人気ブログランキング |

いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
以前の記事
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
more...
タグ
(891)
(740)
(228)
(192)
(185)
(160)
(124)
(104)
(73)
(59)
カテゴリ
全体
ミステリ映画
ヒッチ・ワイルダー
洗練コメディー映画
60年代ポップス
本格パズラー
川上弘美
江國香織
短編小説・詞・詩
雑文
中村八大
竹内まりや
伊東ゆかり
花の24年組
最新のコメント
To 穴沢ジョージさん ..
by nonoyamasadao at 09:45
「イモだけど傑作」は名言..
by 穴沢ジョージ at 01:42
そうでしたか。完全なる誤..
by 穴沢ジョージ at 01:14
To 穴沢ジョージさん ..
by nonoyamasadao at 11:49
そうですか。引っ越してし..
by 穴沢ジョージ at 02:11
To えらりあなさん ..
by nonoyamasadao at 00:45
初投稿 ときどきのぞい..
by えらりあな at 22:32
To 穴沢ジョージ さん..
by nonoyamasadao at 12:29
シュープリームス聴いて頂..
by 穴沢ジョージ at 02:01
To 穴沢ジョージさん ..
by nonoyamasadao at 17:23
お気に入りブログ
soda-pop
おいしいもの見つけ隊 隊...
散歩日和
deux fraise
魅せられて大和路
最新のトラックバック
検索
メモ帳
いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


タグ:読書 ( 104 ) タグの人気記事

恋するナツツバキ

  我が地は、なかなか梅雨入りしない。
引っ越してから、テレビの連続ドラマDVD-BOX三昧の夜の過ごし方をやめた。
そのぶん、文庫本の小説などを読むことにしている。
たとえば、藤沢周平の『ささやく河』など、読む。
悪くはないのだが、ロスマク調とか、ロスマクの味などと言われると、かなり違うよなと思う。
まあ、一人称の、私立探偵ものであるのは、確かである。
このところ、読書から遠のいているので、ボクの評価はアヤシイものである。

 理想の老後は、読書三昧であったから、定年がいよいよ視野に入って来たので、そろそろ、そちらの感覚を磨かなければと思う。
けれど、努力してまで、慣れる必要などない。

 松本清張の『殺人行 おくのほそ道』と『Dの複合』なども、読む。
こちらは、楽しく読めた。
前者は長くお蔵入りしていたヤツで、清張の長編は全作近く読んでいるのに、未読のままだった。
後半の破たんがひどいのでお蔵入りだったのだろうが、往時の清張の物語展開と、サスペンス醸成方法がまざまざと蘇る。
な~んてことない風景をじーぃっと見つめるシーンなどあると、ああ、これが、のちのち、何らかの形で絡んでくるんだったなぁ。。などと、見えてる伏線が楽しい。
ヒッチ師匠などと、同じ手法だった。

 『Dの複合』は、2度目で、最初のときは、リアルタイムで読んだ。
ああ、丹後半島の木津温泉の夜の死体探しのチラチラと揺れる灯りは、今も、読んだ当時も、変わらないなあ。絵が浮かぶのだ。
やっぱ、清張は好きだなぁと、あらためてそう思う。
そういえば、城崎温泉も、天橋立も、その後で、行ったなあ。
なべてメランコリックに思えた青春だったけれど、フム、今、思うと、ずいぶん、贅沢な時間だったんだなあ。

 すこし梅雨っぽく感じられる空気を浴びた帰り道、中学校の裏庭にタイサンボクの白い肉厚の花を見る。
今頃、咲くんだ。

 白モクレンに輪をかけて厚ぼったい花は壮麗だが、好みではない。
老体には刺激が強すぎるよな。
和菓子のような、ナツツバキの清潔な白い花が、やけにきれいに見える。
恋する和菓子だ。

 沙羅双樹の花の色。
ナツツバキは沙羅とも言うけれど、ホンマ物の沙羅双樹は、どのような花だろう。


More
by nonoyamasadao | 2019-06-18 18:08 | 雑文 | Comments(0)

あのときかもしれない

 休肝日が、数えてみると9日めになった。
毎年のことだけれど、今年は天中殺なのに引っ越ししたし、とっ散らかった仕事も整理したり、無理をした。
フム、健診が不安だらけだ。

 日曜日なのに、早朝、パン屋さんへ行く。
昭和な味のクリームパン、メロンパンなど買いこむ。
帰り道、川端で、犬の散歩の人や自転車に乗った少年とすれ違う。
バッサリと剪定したタイサンボクのある道を、プリウスがゆっくりと通り過ぎてゆく。
この感じ、遠い昔の荻窪に、ちょっと似てる。

 『君の膵臓をたべたい』を読む。再読である。
あまり覚えていない。
思春期の主人公たちの会話に、当節の青春の空気が匂い立つ。
ヒロインの相手の、教室の隅っこにいる協調性のない孤独に、昔の自分が被る。
案外、作者は50才に近いくらいではないか。
女性的な文体だけれど、きっと、オヂサンが書いているなと、勝手に決め込む。
ボクは草舟…草舟は知らないなあ。きっと、未開の土地で作るでかいヤツなんだろうな。
笹舟なら、作った。今、思うと、な~んか優雅な遊びだったなあ。言葉も風流だ。

 テレビでは、城達也さんのジェットストリームのCMが、何度となく流れた。
これって、最初の頃、リアルタイムで聴いたかなあ。
思い出そうとしたが、どうも定かでない。イージーリスニングはバカにしてたもんな。

 いにしえの日はなつかしや。思えば、遠くへ来たもんだ。
”遠くへいってはいけないよ”とは、もうさすがに誰からも言われない。
「遠く」へ行くと、戻れないことを、最近になって、知った。そのわりに、あちこちから、同窓会のお誘いが増えた。
ありがたいことだけれど、不義理をしてる。

 でも、誰かの歌のように、さよなら昨日、ありがとうね、さびしいなぁ・・・の心境には、なれない。
ボクは、ずっと昨日のままだった。

 ユーミンの、昨晩、お会いしましょう。。。なら、わかる。
これは、一昨日こいのシッシの意味ではなくて、 わたくしは何時も昨日の中にいるから、また来てねの意味だと思っている。

 長田弘さんの『あのときかもしれない』の大人には、一体、いつになったらなれるのでしょう。


More
by nonoyamasadao | 2019-05-12 13:41 | 雑文 | Comments(0)

I LOVE YOU

 お引越しをした。
まあ、疲れたのなんのって、その他にもあれこれあって、どっと疲れた。
もう二度と、引っ越しなどしない。
するとしたら、施設のお世話になるときだ。

 仕事部屋への道が変わったので、いろいろな花や樹木が見れる。
これは、もの凄く楽しみだ。
今なら、満天星やツツジや、コデマリの花や、大きなケヤキと大きなクスやエノキの緑が楽しい。
その分、ハナミズキなど、うっかり花期を逃して、葉と花を楽しんでる。
まあ、あまり好きではないのでいいや。

 集合住宅は9階なので、陽当たりだけはよい。
せっせと洗濯をして、なんでもかでも、お日様にほしている。
よく乾く。

 夜景はホテルのバーのようにきれいなのだが、月が見えない。
アイ・ラブ・ユーの日本語訳について、日本人は、愛しているなどとはいわない。
月が綺麗ですね、とでもしておきなさいと言ったのは、夏目漱石だったと思う。

 昔々、ペギー・マーチのアイ・ウィル・フォロー・ヒムのザ・ピーナッツのヴァージョンが好きだった。
♪I LOVE YOU, I LOVE YOU, I LOVE YOU
♪あなただけが好きよ、好きよ
♪心から 好きよ、好きよ
って、I LOVE YOUを連呼する歌詞だった。

  さすが、漱石先生だなあ。
たしかになあ。
世代間によってギャップもあるのだろうが、たしかに、日本人には、愛してるっていうのは、すこし直截的すぎる気がする。

 『センセイの鞄』に、違う場所にいるセンセイに向かって、川沿いの道を歩きながら、月に向かって話しかけるような気分で、話しかけつづけるという文章があった。
I LOVE YOUの見えている伏字みたいなもんだが、せつないなあ。
う~ん、よいなぁ。
文庫本のあとがきで、亡くなられた木田元先生が、一番、好きなくだりだ。。。って、書いていた。
川上弘美さんは、ゆっくりさよならをとなえるとか、こういう情感が冴えているな。

 引っ越しで消耗したし、DVDはすべて捨ててしまったので、夜になると、『田園発 港行き自転車』を読んでいる。
ひょっとしたら、『青が散る』以来の読書かもしれないが、う~ん、行ったこともないのに、富山の風景の絵が浮かぶ。
まだ、半分弱だが、傑作かもしれない。
それとも、こっちが、かなり弱ってきたのかもしれない。

 酒を飲みながら、読みたいけど、休肝日なんだよなあ。


More
by nonoyamasadao | 2019-04-22 15:45 | 川上弘美 | Comments(0)

与謝野馨さんを偲ぶー松本楼と堂々たる政治

 与謝野馨さんが亡くなった。9年前に書いた記事に、少し加筆して追悼文を書かせて頂く。

 日比谷公園内のレストラン「松本楼」で、日中首脳の非公式の夕食会が開かれた。松本楼の経営者は梅屋庄吉の末裔にあたるそうだ。梅屋庄吉は、中国の国民的英雄の孫文を物心の両面から支えた人だという。だが、今日書くのは松本楼にちなんだ政治の話だ。

 松本楼は、東京のセントラルパークの日比谷公園の中にある。日比谷公園は日本で初めての西洋風公園だ。野外音楽堂、噴水、花壇などがあり、昔の邦画には不可欠な公園であった。
松本楼は9月25日になると、10円カレーが食べられる。集まったお金はチャリティー募金になるそうだ。筆者が新入社員になったころ、勤務先は内幸町のNHKの向かいにあった。
松本楼は筆者が大学のころ、放火で全焼した。再建されたが、10円カレーは、後のことである。
昼休みには、よく日比谷公園に出掛けた。たくさんのOLがお昼を寛ぐ場所でもあった。風が強い日だと砂埃が舞い上がるが、時として思いもよらぬ目の保養の恩恵にも浴した。

 松本楼は日露戦争(1904年 - 1905年)の講和の結果、とばっちりでとんでもない災厄に見舞われた。
時代背景を大雑把に整理しておく。
帝政ロシアは苛烈な拡張政策をとり、それはイギリスのような資本の論理に従ったものとは性質を異にした。レーニンは、「軍事的封建的帝国主義」と表現した。
バルカン半島への進出を目指して、ドイツの反対にあって断念するや否や、その矛先を極東に向けるといったものだった。アジア諸国では欧米列強の植民地支配への鬱積した憤怒があった。

 日露戦争は日本にとってリスクの高い賭けである。日本政府内にも深刻な対立があった。
主戦派の桂太郎、小村寿太郎と戦争回避派の伊藤博文、山県有朋らの対立である。なかんずく伊藤博文と桂太郎の対立は以下の如くであった。
桂太郎は外務大臣に小村寿太郎を擁し、列強のイギリスと連携してロシアに対抗できると考えた。他方、伊藤博文は、ロシアと対決する力は日本にはないと判断し、自らペテルスブルグへ出かけ対ロ交渉にあたる。ロシアと妥協し、ロシアの満鉄支配を事実上、認めることで日本の安全を図ろうとする構想だった。
衛藤瀋吉先生の「東アジア国際関係史」の講義では、伊藤博文は政治的出自に於いて、人殺しを厭わないような輩だったが、政治の中枢になってからは、命がけでロシアとの戦争を回避しようとした。その識見はまさしく卓越し、周囲の反対にもかかわらず、穏当な意見であったと高く評価された。
だが、桂、小村らのリーダーシップで日露戦争に突入してゆく。

 日露戦争はギリギリの勝利となるが、1905年、セオドア・ローズベルト大統領の仲介による講和条約(ポーツマス条約)では、朝鮮に対する優先権、旅順や大連などの租借権、サハリンの南半分の領有権を手にしたが、賠償金は得られなかった。
賠償金の放棄は、どうにかこうにか勝たせてもらった日本であるから、必死の戦争終結努力の結果である。中途半端であれ、講和成立のためには詮無く引き返しも当然であった。
少しでも延びればロシアは必ず勝つという戦争の内情を知らない日本国民は、小村外交を不服として、松本楼、新聞社、交番などの「日比谷焼き討ち事件」と呼ばれるものを起こす。当時の松本楼でカレーを食べ、コーヒーを飲むのが、もっともモダンとされた時代だった。
焼き討ちの理由だが、自分たちの生活が賠償金によってよくなることを望む人たちの怒りの暴動であった。また、こうした小村外交を激越に弾劾したのは、「朝日新聞」であり、それに拠った東京帝国大学法学部の「七教授」であると、衛藤先生は指摘されている。(「近代東アジア国際関係史」、p.88,東京大学出版会)

 「戦勝はすなわち亡国の始めならん」と言ったのは徳富蘆花である。
 以下にまた、引用を記す。当節の政治家の本からの引用である。

 「私は、「どうして日本はあんなばかな戦争をやったのか」と考えることがある。そこで一つ思い至るのは、昭和10年代の政治家というのは、ほとんどイメージが残っていないということだ。」

 引用は、与謝野馨著「堂々たる政治」からである。
判断を誤り、戦争の引き金を引いたのが近衛文麿だと言う。また肝心なときに何の発言もせず、行動もしていない当時の政治家が、お粗末だったと言うのももっともである。
だが昨今もまた、残像のない政治家ばかりである。
与謝野氏も衛藤先生も、保守の人である。どちらかと言えば、筆者とはスタンスが違う人たちだが、凄みを帯びた知的廉直は人の心を打ち、かつ魅了する。(2008年5月9日)

 与謝野馨さんには、一度だけ会ったことがある。正しくは、サントリー・バーの、たまさか隣に座った人が与謝野さんだった。
そのサントリー・バーはトリス・バーが進化したのだと思う。
僕たちが学生時分から、行きつけだったくらいだから、銀座にあるのが不思議なくらいだ。
ストゥールだけのバーだ。新橋の銀座口そばに、十仁病院や喫茶店アマンドがあったころだ。僕もまだ、二十代の半ばころだった。
与謝野さんは地下のそのバーに颯爽と現れた。風のようにだ。
旧知であるらしいバーのマスターとの話しぶりから、新聞記者だと確信した。じつは、もう当選一回だった。
今、思うと、与謝野さんが、余命2年とガン宣告されたころだったと思う。
シングルの水割りを二杯飲んで、じゃあまた、と風のように去った。

 その与謝野さんが、金融・経済財政相のときのことだ。株の取引ミスに乗じて、利殖を目論んだ証券会社に対して、美しくないと短くコメントしたのが新聞に掲載されたのを読んだ。
ミスにつけこんだ経済行為を、美しくないといったのだろう。
政治家と美意識は対立概念のようだが、なぜか与謝野さんらしいと思った。
与謝野さんは、靖国神社A級戦犯分祀論者でもあった。
「君死にたもうことなかれ」の作者の孫だから当然であるが・・・。

 今、思い出すのは、小泉内閣時代の国会答弁で、野党から派遣についての見解を問われ、「同一労働、同一賃金は大原則だ」と、答弁したことだ。
野党議員も拍手した。
昔の保守の人には、たしかに品位がある人もいた。

 今の自民党には、もっとも必要な人であった。東京1区に向かって、合掌。

by nonoyamasadao | 2017-05-25 13:28 | 雑文 | Comments(4)

柚子とポインセチア

 ここのところ、あまり、読書をしていない。
メガネの度数が微妙に狂っているので、目が疲れる。
裸眼の方が、よく見える。
読書は、仕事の本だけにしていた。

 映画と読書と食べ物くらいしか楽しみのないボクにとって、なんだか彩りに欠けるどころじゃあない。
たとえてみれば、読書抜きのボクなど、冷飯やぬるーいビ―ルのような、いよいよもって碌なものじゃない。
そういえば、季節の風景にも鈍感になって、色褪せた風景のようになっている気もする。
こいつはイカンですよ。
鬱々した我が人生の危機かもしれない。

 で、さっそく、メガネ屋さんで、遠近ではなく、近々メガネとやらをつくってもらう。
う~ん、新聞の文字が実にくっきり鮮やか。
日曜版に載っている記事の内容が、ばかに面白く読める。

 フム、やっぱ、お休みって大事だなと思う。
エンタメ系の活字から、随分と長いこと、ご無沙汰していた気がする。

 さりとて、たいした仕事などしていないのだけれど、お遊びにも、お休みが必要なことを知る。
たまには、DVDを見ない日とか、おしゃべりをほとんどしない日とか、朝ごはんを抜く日とか設けてみよう。

 よ~く、見えるメガネで、塔晶夫の『虚無への供物』の日経新聞の紹介文を読む。
ウ~ム、読みたい、読みたい。
あの素晴らしく長い、日本ミステリ史上燦然と輝く、最高峰のミステリを読みたい衝動が津波のように襲ってくる。
他にも面白い新刊書などないか、新聞の読書欄を眺めながら、日本茶を啜る。
あ、そういえば、このところ、コーヒーばかりを飲んでいた。
おいしい日本茶のおかわりを丁寧に淹れる。

 冬なのに、ばかに明るい午後の日ざしがリビングに伸びている。
そろそろ、柚子とポインセチアを買わなくっちゃ・・・だな。


More
by nonoyamasadao | 2016-12-18 13:22 | 雑文 | Comments(0)

北村薫さんの新刊本

 いつのころからか、映画の舞台となっている風景に、しげしげと見入るようになった。

たとえば、『或る夜の出来事』は、たぶん、この地に来てから見た。マイアミからNYに向かうグレイハウンドの夜行バスが、とても気になった。

もちろん、ボーイ・ミーツ・ガールの恋愛物語の方程式の原型は、素晴らしいものだった。

『スウィートノベンバー』であれば、サンフランシスコの路面電車(muni)や黄色いタクシーのイエローキャブに目が行った。『ユーガットメール』なら、NYのアッパーウェストの秋から冬、そして春のホットドッグ店やスタバが興味深かった。

その昔、映画を思想と結び付けてみる裏目読みが流行した時期があった。

ボクの場合は、外国には一生行かないと思うので、旅行気分と食べ物に意地汚いことが、映画の背景好みの理由のようだ。


 北村薫さんの『太宰治の辞書』に、興味津々である。

最初期の『空飛ぶ馬』の、やや素人っぽさを残した上品で、爽やかなストーリーテリングと、きれいな文章が好きだった。

紅茶に砂糖を7杯も8杯もいれるような、実際、そのような人物も知っているのだけれど、『砂糖合戦』の着想のセンスや装丁の高野文子さんの簡潔で、洗練された絵が好きだ。

物語も、文章も、装丁もみな、瀟洒だなぁと思う。

どうやら、作者の友人で、ボクも知っているS先輩への鎮魂歌でもあるようで、やりさしの仕事が終わったら、ぜひ読もうと思う。

そうだった。『空飛ぶ馬』の出版祝いは、S先輩が音頭をとって、うなぎ屋さんでお祝いをして、当時の銀座東武ホテルに流れた。

そっか。あれから、25年も流れたのか。


 太宰治の『女生徒』を題材にした中編は、今から、いろいろと憶測してしまう。

『女生徒』は、ヒロインの独白だけで書かれたもので、太宰にしては破綻もあるが、言葉がキラキラしていて、この世代特有の女の子の生理的な感覚がビビッドで、ドキッとする。

うら若い愛読者の日記が下敷きになっているのは、知っているが、やっぱ、太宰だ。

フム、朝の目覚めの冒頭からして好きだ。

そして、「キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る」。。。っていうくだりは、忘れられない。

夕靄はピンク色とか、百合の匂いの透明なニヒルという言葉には、みずみずしいポエムがある。


 そして、ボクの座右の銘は、

”幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――”である。

今もって、そう思っている。

ところで、ボクは今、熊本のどこにいるのかご存知ですか?


 前橋の秀才だった、亡くなられた世田谷在住のS先輩に合掌。↓は彼が好きだった詞である。



More
by nonoyamasadao | 2015-05-24 11:53 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

わたしのぼうし

  朝起きる。


More
by nonoyamasadao | 2015-02-15 14:17 | 雑文 | Comments(1)

ロング・グッドバイ

 銀杏並木が冴え冴えとした黄色になり、ああ、錦秋の季節だぁと思う。
そう思うと、旅に行きたい衝動がドドッと殺到してきて、我ながら驚く。
原宿あたりは、もうすっかりクリスマス模様だろうな。

 旅と読書は、似ていると言ったのは、池澤夏樹さんだったかしらん。
たしか、どちらも、ほんのひととき、別な自分になる行為とか言っていた。

 う~ん、別な自分か。
けれど、いったい、自分とは何者かは、今もって、定かではない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。。。。だもん。
昨日の私は流されてどこかに消えて、今日の私が流れていく。
いったい、ワタクシは、どこから来て、どこへいくのかしら。。。と問うたのは、三木清センセイだったと思う。

 らしくないことを書いてしまった。
どうして旅に出たくなるのかとか、どうして人は恋をするのかとか、掘り下げて考えるのは、あんまり趣味ではない。

 地方都市のクリスマスは、それなりに華やかなのに、なぜかさみしい。
たぶん、喧騒がないからだと思う。

 ハードボイルド小説は、やっぱ、大都会の喧騒渦巻く夜を、孤独な中年男が無鉄砲に生きるのが、よく似合う。
この感覚は、年食っても、変わんない。

 どんな夜明けの五分前   どんな日暮れの五分前
 午睡からさめて      時計をみたら いつまでも五分前にはならないのだ

 五分前の寸止めか。
フム、田村隆一さん、カックィー。

 今、NHK土曜ドラマの『ロング・グッドバイ』のDVDを、毎晩、すこしずつ見ている。
憂愁の色濃い後期チャンドラーの名作であるが、やっぱ、違和感アリアリである。
そっか、『ロング・グッドバイ』の再訳は、稲葉明雄さんだけでなく、田村隆一さんでもよかったな。
ウィリアム・アイリッシュとレイモンド・チャンドラーは異質だと言ってきたけれど、やっぱ、つながっているよね。
素直じゃなかった。

 読んでもいないのに、申し訳ないが、村上春樹さんでは、読む気がしない。
毎年、春浅い宵、”ギムレットには早すぎる”とか言いながら、ライムジュースの入ったギムレットを飲んだ。
もう40年以上昔だが、背伸びしていたな。

More
by nonoyamasadao | 2014-11-22 11:07 | 雑文 | Comments(10)

図書館

 最近、週に3回は、図書館に行く。
芝生の築山に、ケヤキのような百日紅の大木のある図書館である。
仕事の関係で行くのだけれど、この年になって、図書館通いをするとは、夢にも思わなかった。

 まあ、元来、図書館が似合うタイプではないよなあ。 
図書館といって、思い出せるのは、小学校と高校の時だけだ。
中学時代は記憶がないし、大学のときは、場所はよ~く知っているけど、一度も足を運んだことがない。
小学校のころは図書室で、図書係という役割があったけれど、マンガしか読まなかったボクだから、そんな当番がつとまるわけはない。

 最新の図書館は、新刊本の平置きがあったり、学生さんのオープンカフェのようなお洒落なつくりになっている。
今の人なら、シャレオツな図書館とでも、いうのかしらん。
図書館にいると、好きな果物の実のなっている森の中にいるようだと書いていたのは、誰だっけ?
川上弘美さんだったような気がする。
う~ん、才媛の誉れ高いですねえ。
あ、結婚式のスピーチみたいになった。

 でも、秋の日の図書館は、森の中を散歩しているような気分にはなる。
階段を女子学生がひそひそ話をしながら、降りてくる。
なんの話題か知らないけれど、なんだか、のどかで、ゆるゆるとした時間が流れた。

 あっという間に、時間は過ぎて、外に出ると、夜空に月がポッカリ浮かぶ。
リー、リーというコーロギの虫の音が聞こえる。
遠くなったり、近くなったりする。
誰かの小説を思い出して、月に向かって話しかけるような気分で、夜の空気のなかを帰る。
石に話しかけるのではないから、お迎えが来る心配はないよね。

 そろそろ、あたたかなニット帽でも被ろう。

More
by nonoyamasadao | 2014-10-26 16:11 | 雑文 | Comments(3)

きらきらひかる

  ゴーヤのポン酢かけ、だだちゃ豆で、ビールを飲む。
秋の冷酒の季節になった。
カマスの炙りとコチの刺身を食す。
たぶん、カマスの炙りは、初めてのような気がする。
秋の冷酒はスッキリしているけれど、味わい深くも感じる。
お上品な香りを楽しみながら、下品にも、ズズズ~ッと啜る。

 タクシーで帰ると、あずき色の空の下、白と赤の百日紅の花が、ぼんやりかすんで見える。
そっか。
今年は、青空の下で、百日紅を眺めた記憶がないや。
いかんなあ、イカンですよ。
勤務先近くの樹木の多い住宅では、灯障りのモミジが、かすかに色づいたように見えたもの。
今年は錦秋が、早そうな気がする。

 自宅で、読みさしの江國香織さんの『きらきらひかる』を読む。
ある事情があっての再読だが、ほとんど、憶えていない。
『紫のおじさん』と呼ばれるセザンヌの自画像とユッカエレファンテプス(青年の木)を冷めた紅茶で育てるところは、思い出した。
う~ん、このあとで、山口雅俊Pの『きらきらひかる』を観たら、まったく、違った物語だったのを思い出した。

 秋の夜は、やっぱ、映画だよね。。。。ってことで、DVD『世界に一つのプレイブック』を観る。
方程式通りの展開だけれど、ちょっぴりビターだが、ロマティックな余韻がよい。
劇中、シナトラの♪Have yourself a merry little Christmasが流れる。
『恋人たちの予感』では、紅葉の時に、ビング・クロスビーのが流れたっけ。

 夜遅くに、久しぶりにテレビを見ていたら、三井住友海上あいおい生命の &LIFEの桐谷美玲さんのCMになった。
この人は、どこか、いつも不機嫌そうに見える。
CMだから、無愛想でよいわけはないけれど、なんか新鮮でよいなあって思う。
遠い昔、無愛想だけれど、ホントは気持ちのやさしい後輩に、卒論の清書をしてもらったことを思い出した。

 今の時代は、ワープロですからね。
きっかけとか、口実はどうやって、見つけるんでしょう。
大きなお世話ですね。

More
by nonoyamasadao | 2014-09-20 14:25 | 江國香織 | Comments(4)