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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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タグ:映画 ( 192 ) タグの人気記事

男が感じる男の色気

 このところ、伊東ゆかりさんのことばかり書いている。
実は、きょうも書こうと思って止めた。

 昨夜、ブライアン・デ・パルマ監督の「スカーフェイス」を観た。ハワード・ホークス監督のギャング映画「暗黒街の顔役」を現代化した作品で、脚本は社会派のオリバーストーンである。そんなはずではなかったが、思わずアル・パチーノに見入ってしまった。
抑制の効かない上昇志向と、家族への屈折した思いが入り混じった複雑な性格の役柄だった。
なんともすさんだ凄みが漂っている。異形な生き様を、実に的確に演じていた。力演である。
夜陰に乗じて、豪邸に攻撃をしかける殺し屋の大群を相手にマシンガンを乱射する、壮絶なクライマックスは圧倒的だった。
さすが、デ・パルマ的な華麗な見せ場だ。こうじゃあなくちゃあねえ、と感心した。

 遠い昔のことだ。
リニューアル前の「テアトル新宿」には、ビルの上の方に大きな馬蹄形のカウンターのパブがあった。
「スケアクロウ」のアル・パチーノの話題で、年少の女の子から絡まれたことがある。アル・パチーノを嫌いだと言ったからだ。
「スケアクロウ」のアル・パチーノはチンケな小男に見えた。オドオドしたおどけた役だったからでもある。だから、でかくて喧嘩がつよいジーン・ハックマンがかっこよく見えたのだ。
でも、当時からアル・パチーノは女性の人気はあったようだ。
「アルパシーノ+アラン・ドロン<あなた」なんて歌もあった。あ、榊原郁恵が歌ってました。
森雪之丞の作詞・作曲だった。この人も摩訶不思議な才人だった。
今はパシーノとは、あまり言わない。パチーノだ。

 アル・パチーノには、「セルピコ」、「狼たちの午後」、「ゴッドファーザー」など既に代表作はあったが、断然「スカーフェイス」がいい。
完全に危ないどこかに逝っちゃった感じがあった。
そういえば、山本薩夫監督の「皇帝のいない八月」の渡瀬恒彦の眼技にも似た感じがあった。
現状への焦燥感から破滅を急ぐ男の興奮とおびえのアンビバレンスがあった。その背後には美学とニヒリズムがある。

 話題は変わって、志水辰夫の「行きずりの街」を今頃になって、読み出した。これが抜群に面白い。読書家でなくても、なにを今更。。。っていう話題でしょうね。お恥ずかしい。あちこちに、読み落とした作品がたくさん、あります。

 25年以上昔に、ぜったいに僕の好みのはずだと、ミステリ通の友人から強く薦められた作家である。僕好みの文章だと聞いた。あ、僕自身は悪文だが、読むのはきれいな文章が好きだ。柄じゃなくて、すみません。
だから何度も試みたが、どうもキブンが乗らなかった。
類稀な文章力といったって、そんなに上手いかなあ。そうも思わないけれど。。。っていう感じだった。

 今回、はじめて本気で読んでいる。今半分まで読んで書いている。
見切り発車だが、なるほど。。。すこし興奮している。そう、たしかに僕の好みのスタイルだ。
結構、部分的にかなりキザな文章もある。それがなんとも心地よい。たとえばこうだ。

 男はみんな糸の切れた凧になりたがるものなのだ。それで女が苦労している。

 う~ん、こういうのが隠し味で、行間に埋もれて、散らばって書かれている。
地名が固有名詞なのもよい。場所が描写力をもって活写されている。
イマージナリー・ランドスケープ(デジャブじゃなくて)がある。
とくに、広尾から六本木までの空間的広がりの描写が冴えている。それも’90年代初頭のバブルの時代の頃だ。鷺宮あたりの光景の描写もいい。

 女の人の描き方が、チャンドラーほど柔でなく、ロス・マクほど透明でもない。
てきどに叙情的なのだが、観察には酷薄な視線があって、描写は乾いた感傷に留まっている。
うん、シミタツと短縮形で呼ばれるのが、よ~く理解できた。

 シミタツというスタイルを感じた。
スタイルをもったハード・ボイルド作家は日本では、稀有なことである。主人公はわりとボコボコにされるが、またルックスもぼんやりしているが、なんか雰囲気があっていい。

 ちょっぴりクールで、そのくせ情もある。インテリで、内省的だが、無鉄砲。まあ、矛盾している。
そこが凡庸に見えて、ヒロイックなのだ。男の色気、うん、ありますな。

この作家の良質な部分は冒険小説にあるのではなく、正統派ハードボイルド小説にあるように思った。

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by nonoyamasadao | 2012-02-09 10:41 | ミステリ映画 | Comments(0)

パパとなっちゃん

  DVD『パパとなっちゃん』(1991)を観る。
駅前が狭かった頃の永福町駅の住宅地の風景が楽しい。
たまさか、井の頭線が走ったりしている。
やっぱ、懐かしい。武蔵小金井に住んでいたころ、明大前で乗り換えて、千歳船橋に通った。
今は橋上駅だそうだ。
ふ~ん、そーなんだ。
季節が冬から春の設定のようで、樹木は冬枯れである。
オープニングはお正月のようで、永福町の住宅の玄関前に立派な角松が飾られる。
竹3本を松で囲み、荒縄で結んだ形の角松である。
失われた日本の風景って、よいなあと思う。
玄関前のアプローチには、常緑樹が繁り、梅や桜の落葉樹もある。
やっぱ、一戸建てはよいなぁと羨む。
田村正和は、妻に先だたれ、一人娘をもつ父親役である。
娘は小泉今日子だ。
『パパはニュースキャスター』や『パパは年中苦労する』でも、父親役だった。時系列で見ていくと、父親の頑固度がエスカレートしていく。『オヤジぃ』ころまでは、観ている。
酔うと、女性をくどいたりする役柄なので、飲むシーンが多い。
おでん屋の屋台でイッパイだったり、女性のいるバーでも痛飲する。

 『パパとなっちゃん』はホームドラマだが、パパの育児手帳のようなドラマである。
そういえば、このドラマの原型は『パパの育児手帳』(1962)かもしれない。
『パパの育児手帳』なんて、今の時代、誰も知らないだろう。
小6から中1のころのお昼のTBSのホームドラマだった。
どうして見れたのか不思議だ。でも、しっかり記憶している。
『パパとなっちゃん』は娘を溺愛し過ぎのドラマである。
あまりにも娘ベッタリで、歯が浮く感じもあるから、十年前なら、こっ恥ずかしく、観るのを止めていただろう。
待て。今やワタクシ、孫、溺愛感覚でみているのか???。
まあ、父親の経験者なら、今観ても、きっと照れくさいだろう。

 『花嫁の父』のころから、子供のくせに、父親の視線から観てきた。
披露宴の混雑で、父スペンサー・トレイシーは、とうとう娘のエリザベス・テイラーに言葉をかける暇さえもなかった。
帰宅して、シミジミもの想いに沈みこむ。
その時に、電話がかかってくる。
駅から、娘のエリザベス・テイラーが父に送る最後のおやすみの電話だった。
子どもながら、グッと来る。
 子供の分際で、父性などあるのだろうか。
う~む、謎だ。

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by nonoyamasadao | 2011-09-03 10:00 | 雑文 | Comments(0)

CCの水割り

   MM,BB,CCって知ってるかい。
うん、知ってる。
これって、中学3年生ころの塾での会話だった。
もちろん、その頃は名前だけで、詳しく映画を見たわけではなかった。
『ブ―べの恋人』だけ、見ていて、カルディナーレは美しい人だと思っていた。
レコードも持っていた。
園まりさんが歌っていた。そういえば、マリナ・ブラディの『女王蜂』も彼女が歌った。

 さて、冒頭のMM,BB,CCといえば、モンロー、バルドー、カルディナーレのことだ。
MMはそんなに好きではなかった。『イヴの総て』と『バスストップ』なら、また観たい。
BBもそれほど好きではないが、『素直な悪女』なら、また観たい。
CCは女優生命が長く、だんだん、つまらない役になっていくのが悲しかった。
『鞄を持った女』が一番、好きかもしれない。

  その後のCCといえば、カナディアン・クラブの水割りを思い出す。
銀座日航ホテルの裏手の地下1階のサントリ―・パブでよく飲んだ。
ウィスキーの味などわかっていないのだけれど、すっきりした味だった。
第一、経済的だった。
最近、出張があると銀座日航ホテルに泊まる。
そのたびに木屋のうどんなど食し、姿を消したサントリー・パブをさみしく思う。
あのころ、ウィスキーの琥珀色の液体の向こうに、何を見ていたのだろう。
肩を並べて、同じ方向を見ていた女性は何人かいたけれど、彼女たちはどこを見ていたのか。
結局、全ての女性と平行線のまま、なにもかもすべては終わってしまった。

 ウィスキーはお好きでしょ。
もう少し、しゃべりましょ。
まさに、そんな感じだった。
休肝日のさなか、CCの水割りが飲みたい気分になった。

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by nonoyamasadao | 2011-07-06 08:37 | 雑文 | Comments(0)

スカイスクレイパー

  『ワーキングガール』の冒頭で、メラニーグリフィスの乗るフェリーがマンハッタンに向かう。
場面は変わって、高層ビルのエレベーター前の通勤前の場面になる。
ボクもその頃、大手町の高層ビルのエレベーター前の朝の雑踏に立っていたことを思い出した。

 NYでは、雨降っても男は傘をささないと、遠い昔に聞いたことがある。
当時はハードボイルドであるなあ。。。って思った。
けれど、それだけじゃなさそうだ。
 濡れてもわずかな間だけということもありそうだ。
摩天楼がたくさんあって、ビルの谷間の風も強そうだ。
早足なら建物でも、地下鉄でも雨宿りは簡単そうに思える。

 そういえば、NYの街角を行き交う忙しいビジネスパーソンは、みんな折りたたみの黒い傘を持っていた。
もっとも、映画で見聞した知識だけであるので、エラそうに書けない。けれど折りたたみの黒い傘で十分そうに見える。ニューヨーカーは傘にこだわらない、そんなふうに見れる。

 空気も日本に比べて乾燥した感じだし、傘よりスターバックスコーヒーが大事そうだ。
な~んて書くと不適切だと叱られるかもしれない。
でも書いちゃいました。
 『シェルブールの雨傘』では、俯瞰で撮った雨傘が色とりどりの落ち葉のようだった。
カラフルな傘は、アメリカ映画ではあまり見た記憶がないなあ。
もっとも『シェルブールの雨傘』は、傘屋の娘という設定だった。

 NYの夏は、アーウィンショーで知った。
NYの冬は、『恋人たちの予感』と江國香織さんのエッセイで知った。
いつか真冬の夜のNYの街を急ぎ足で歩いてみたい。
願わくば、クリスマスソングなど流れていれば、申し分なしだ。
海外旅行をするなら、それはNYかLDである。

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by nonoyamasadao | 2011-05-18 08:30 | 雑文 | Comments(3)

『トップキャスター』の小道具

 明け方近く、雨が降る。夜半の驟雨だ。
でも眠いので、窓はあけたままだ。とりあえず、どってことなかったようだ。

 DVD『トップキャスター』の第2話を、就寝前に観る。
『シュールストリングス』の缶詰めを開けて、みな、バタバタ倒れる。
天海祐希さんなど、部屋のシャターにすがって、崩れ落ちるように倒れる。
アレって、食べたことないけれど、スウェーデン産のニシンの缶詰ですよね。
発酵して缶が膨張し爆発寸前状態になってた。
開缶すると、汁が飛び散り、まるでパンドラの箱を開けたかのように、食の災いが天空を駆け巡る。
本当かしらん。
わざと発酵を起こさせて缶を膨らませているとしても、ドリアンのようなものか?
一度、食してみたい。どんな気分で卒倒するのだろう。快楽か、地獄か。興味はつきない。

 12支の置物の小道具も面白かった。ベトナム土産だそうだが、12支に猫が混じっている。
ふむ、どうして12支に猫が入っていないのか。
で、検索をかけたら、どうやらネズミの謀略説があるようだ。
本当かどうかは、しらない。
気になったら、お調べください。

 昨日も34℃だが、すこし秋を感じなくもない。
ベランダの黄色いミニバラの葉が微妙に揺れる。
はて、秋風か、蝶でもいるのか?。
クーラーの室外機の風だった。
気分に虹がかかったような気がすれば、ワタクシ的には秋なのだが・・・。
それは、まだだ。

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by nonoyamasadao | 2010-09-22 08:49 | 雑文 | Comments(0)

再び「昨日したこと」

 朝7時近く目が覚める。
クーラーを26℃にする。
手洗いに行く。手を洗い、ついでにうがいをする。
ソバ茶を入れ、線香を立てる
血圧を測る。
バナナを食べ、新聞を読む。
石窯ライ麦パンとフランスパンの2枚とベーコン・エッグを食べる。
メロン、パイン、グレープフルーツ、オレンジを食べる。みんな切れ端だ。
ソバ茶を啜る。
手洗いで、双葉十三郎のぼくの採点表(1980年代)を読む。
メールを見る。しょうもないエロメばかりだ。
エロメを削除。
ブログを書いて、投稿する。
Bossの無糖ブラックを飲む。
老母が人形浄瑠璃文楽の人形遣いの吉田なんとかさん(吉田蓑助さんか?)は、カタカナ文字の食生活だと言う。ニュースソースは週刊新潮に違いない。

 日経新聞のコミュニティバスの記事を読む。
以前観た『アットホーム・ダッド』で、阿部寛が乗り急いだ幼稚園の送迎バスを思いだす。
ハンカチ二枚を用意する。
マスク二枚も用意する。(冷房病なのだ!)
歯をみがく。顔をあらう。(今頃になって!!)
ワンメーターなのに、タクシーを呼ぶ。(熱中症だあ!)
帽子をかぶる。
傘を持つ。(サブリナのボガートの気分で・・)
出涸らしの冷めた紅茶を飲み、タクシーで、仕事に行く。

 仕事部屋の建物に着く。
管理人さんから鍵を借りるが、今日はクーラーがきかないことにハタと思い当たる。けど、後の祭りだ。
暑い。ムワッとした空気がなんとも気持ち悪い。でも後の祭りだ。
謎の行動をとる。(悪いことだけはしていない。)
竹内まりやさんのアルバムをWMPで聴きながら、用事を済ます。
それにしても、やけに暑い。またまた、後の祭りだ。
これからお世話になる人にメールを書く。
ヘロヘロになり、仕事部屋をでる。
エレベーターで一階まで降りる。
建物の鍵を閉める。

 自動販売機で、伊右衛門の濃いめとBossを買う。
近くの銀杏並木を抜ける。ギンナンの匂いがする。
スーパーに向かう。
あまりに暑いので、日陰を選ぶがあまり意味ないのに気づく。
カットフルーツ、納豆、阿蘇のトーフ、ソバ茶、ヨード卵光、石窯ライ麦パン3枚切り、酢豚のセットなど買い込む。レジに向かう途中で、再び、軽い熱中症になる。
家に帰り、クーラーをギンギンにすると、あっという間に蘇る。
風呂に入る。休肝日である。ツーコンだ。
食欲は旺盛だ。まるで天野邪鬼のようだと、我ながら感心する。
事情があり、『資本論』第1巻の協業と分業を読む。
読みにくく、頭が混乱する。
早々に切り上げる。
借りてきたDVD『ホームドラマ!』、『ラストクリスマス』、『君の瞳に恋してる』を続けて観る。
ふむ、面白いが、さすがにバカバカしくなる。
あ~あ、12時30分を過ぎてしまった。
さみしいというほどのこともないが、未だよるべなく、仕方なく寝る。

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by nonoyamasadao | 2010-09-20 10:00 | 短編小説・詞・詩 | Comments(2)

花火とチップス先生

 花火というと、花火大会ではなく、物心つかないころを思い出す。
かずこちゃんという隣の女の子と一緒にした。
彼女の名は、漢字でどう書くかはしらない。
大宮の祖母の家の路地裏で、線香花火をした。
 かずこちゃんは膝をそろえてしゃがみ、土管に座ったボクが握ってた花火の火を見ていた。
3才の頃だ。
若い頃、なぜか甘い記憶として、よくよみがえって来た。
 3才の秋、大宮から荻窪に引っ越すのだが、別れるのがつらくて涙をこらえたのを覚えている。
その後はまったくつきあいもなく、今日にいたる。
けれど、思い出は今もある。永遠に3才の姿のままである。

 いつのころからか、この思い出を忘れてしまった。
たぶん、オトナはこうして過去の名残りのしっぽを落としていく。
誰もみな、いつか夏の影法師が消え、そしてオトナになる。
オトナになるのは素晴らしいことだが、そう考えると、少しだけ寂しい。

 だが、今また、あのときの絵が浮かび、甘い秘密のように思い出す。
どこかにあきらめきれない何かが、あったのか。
それともいまだ、オトナになれないのか。

 Summer is gone and Autumn has come.

 立秋である。
秋の黄昏がチップス先生のようだったら、きっと楽しいだろう。
でもチップス先生の生徒は、全員男子だった。
全員女子だったら、もっと楽しいでしょうね。

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by nonoyamasadao | 2010-08-08 19:06 | 雑文 | Comments(4)

『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版

 『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版を見て、うら若き女性は、これだから男は後ろ向きの人生なのだ。。。などとのたまう。
そりゃ、そうだけど、だから男はかよわいとか、いとおしいとか思ってくれないのか。
そっか、じゃ仕方ない。

 35才くらいまでは、ずっと農耕民族的定住生活を続けた。勤務先の会社は、5年~8年サイクルで本社所在地を変えるというまことに、遊牧民的な企業だった。
その影響を受けてか、35才を過ぎたあたりから、計7回、引っ越している。
すっかり、狩猟民族的生活となった。趣味も同じく、遊牧民的にあれこれと手を出し、すぐに新しい興味へと移った。
井底の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知るそうである。
他方、ボクは散文詩的な生き方だが、これって、『脱出願望』のようなものに根ざしているのかもしれない。
大好きな映像作家の蔵原惟繕監督も、『広い世界へと脱出するための仮の停留地』を描いた作品をたくさん、つくった。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』も、脱出をテーマにした作品だ。それでは蔵原もトルナトーレも脱出に成功したのかといえば、脱出未遂と言ったところである。けだし、『脱出願望』のゆえんである。
アルフレードは、トトに言う。
『もう、この村には帰ってくるな。長い年月帰るな。
人生はお前の見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。
町を出てローマへ行け。帰ってくるな。
ノスタルジーに惑わされるな。すべて忘れろ。
私の家には、帰ってきても迎えてやらない。
自分のすることを愛せ。子供の頃に映写室を愛したように』と。

 アルフレードの葬式に出席するために、30年ぶりに、ローマで大成功を収め大監督になったトトがシチリア島に帰ってくる。
島はなに一つ変わっていない。
人々が老い、構築物が老朽化しただけである。
廃墟となった30年前に新築した映画館が、爆破され、崩落していくシーンは、未完結なままだったトトの青春の埋葬であり、レクイエムでもあった。
そして、アルフレードが墓場まで隠し持っていくつもりだったことが、明らかになる。アルフレードの作為は正しかったのか。

 『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版は、『脱出』の果てに『愛』の不毛を見ることを描いた作品である。
つまり『脱出』のテーマが、ガラスのように硬質で美しく、けれどもろい『愛』と結びつき、情念の世界を描出した。
人間は一つを手に入れると、一つは失うことになるというようにも、見て取れた。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督は『海の上のピアニスト』でも、逆説的な『脱出』を描いた。
脱出を峻拒する主人公は、外界に出て他動的に変化するのではなく、変革を自分の中に起こさねばならない。
主人公は内部世界の変革には成功したけれど、『脱出』することはなく、閉じた世界での死を選ぶ。
トトも『海の上のピアニスト』の階段を下りかけて戻ってくる主人公も、99日目の夜に立ち上がって去る兵士と同じである。

 ジュゼッペ・トルナトーレも蔵原惟繕も、映像の切れや叙情的作風にも共通するものがあるが、愛の不毛を描いた作家のように思う。
蔵原惟繕の『硝子のジョニー 野獣のように見えて』は、アントニオーニの『さすらい』が、その原型であった。
『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版では、映画館で上映される名画の中で『さすらい』は、ドラマの中核に据えられてた。

 苦いことだらけのように書いてきたけれど、『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版でのラストシーンは、忘れかけていた大切なことがあると語っているようにも思える。
気付かずにいる人生の面白さがある。
少なくとも、それを見出そうとする努力をせよと、ボクにはそう聞こえた。

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by nonoyamasadao | 2010-07-11 15:36 | 雑文 | Comments(0)

映画の桜

 桜咲く入学式の季節である。
親子二代で、同じ小学校の桜の下をくぐった。。。と友人は言う。
たぶんこういうのを、普遍的な幸せって言うのじゃないか。

 ポトマック河畔のベンチに腰掛けて、コーヒーを飲み、ド-ナッツを齧り、さくらを愛でるのも絵になる。
アメリカのSakura(flowering cherry)見物も、悪くない。
 
 映画『蛍川』では、いたち川は満開のソメイヨシノの並木がずっと続いた。
母親役の十朱幸代さんが桜風景を歩く。
ローアングルの十朱幸代さんは、とてもフォトジェニックだった。
年をとっても、かわいい感じがいいなあ。

  映画『春の鐘』では、長谷寺、東大寺、興福寺の絢爛たる桜を北大路欣也と古手川裕子さんが道行く。
少しいびつな曲線の一輪挿しの壺のような女性か。
うっ、よいなあ。
男の永遠の理想である。

 映画『手紙』のエンディングでは、桜並木を沢尻エリカさんたちの家族三人が歩く。
カメラがクレーンでどんどん上がっていく。
好みではない小田和正の『言葉にできない』が流れた。
けれど、突然、真っ暗になる締め括りはよかった。

 いつもの通りの小学校の道に、桜の花屑が落ちてた。
そうか。今年もこうして、時間が過ぎていくのかと思った。

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by nonoyamasadao | 2010-04-03 19:16 | 雑文 | Comments(0)

どこかで誰かの本棚に

  サリンジャーが亡くなった。
といっても、′65年ころから表舞台からフェードアウトしていた。現代社会に背を向けたのか、あるいは居場所がなくなったのかわからない。
けれど一昨年ころに、我が心のサリンジャーは復活していた。
ゴヒイキ作家ではなかったのだが、状況がボクに『そろそろ、また読んだらどうですか』と暗示したのかもしれない。

 『借りたままのサリンジャー』という歌がある。
ああ、それで思い出した。
社会人になってまもない頃で、まだ学生キブンが抜けきれずに、仕事をしてたときだ。
この会社に、一生いるのかなあ。
あまりゾッとしないなあ。。。などと思っていた。
そんなだから、いつも深夜の二時や三時まで、ミステリを読んでいた。
そして翌朝、いつもねむいねむいといいながら起きて、遅刻するのが日課だった。
 そんなある夜、電話が鳴った。
サークルの後輩の女の子で、アメリカの政治の本を貸して欲しいといった。
レポートでも書くのだろう。
そんな本など、ほとんど読んでいないから、本棚から四~五冊選んだ。
まあ、それが全部だったのだと思う。

 新宿紀伊国屋書店の地下の喫茶店で、こんなのしかないけれどと言って、おずおず差し出す。
彼女が選んだ本は、猿谷要『現代の幌馬車』、永井陽之助『平和の代償』、そして江藤淳の『アメリカ再訪』だった。
ごうつくばばあ!というのはあるけど、じじいは聞かない。
はるか昔なのに、いまだに本のタイトルを覚えているとはねえ。
 晩御飯は外で食べてくると言ってきたと彼女がいうので、パブでよいかと尋ねた。
じゅらくの上のコナン・ドイルの名探偵の名前のパブラウンジで、夜遅くまで飲んだ。
彼女は山口百恵さんが好きと言っていたけど、どちらかといえば桜田淳子さん似の、ボクとはおよそ無縁なアイドル的優等生だった。

 貸した本はそのままで、三十五年以上が過ぎた。
『借りたままのサリンジャー』の歌だと、
♪借りたままのサリンジャー いつか返しに行くわ
♪それまでは恋を閉じこめて
なのだが、んなわけなどありえない。
 あの本は今、どこでどうしているのだろう。
やっぱ、ポイ捨て同然かもなあ。
どこかで誰かの本棚に並んでいたら、よいなぁと思う。

 感動の映画『フィールド・オブ・ドリームス 』だと、どんな大人も誰もみな、痛みや後悔をかかえて生きている。
映画の役名だとテレンス・マンのサリンジャーは、最後に幽霊たちと野球場の先のトウモロコシ畑に消えて行ったのでしたね。合掌。

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by nonoyamasadao | 2010-01-30 11:16 | 雑文 | Comments(7)