いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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人生は六十一から

 このところ、風邪気味で、風邪薬ばかりを飲んでいる。
インフルになるかなあ、なると嫌だなあと思っていると、案の定、ほらね~、やっぱりなった。。。っていうことがよくある。
だから、インフルに罹ったと思えば軽いかもと思ってたら、あれま、かえって悪化した。
体力が劣化したのだ。あと2年で古希だ。当たり前だ。

 『人生は四十二から』というアメリカ映画があった。
英国の貴族がポーカーで負け、召使チャールズ・ロートンを譲ることになる。
チャールズ・ロートンはアメリカの西部の片田舎に連れて行かれ、リンカーンの有名なゲティスバーグの演説に感化される。
人はみな、自由と平等であり、世のため人のために献身しましょうというようなことか。
人民の人民による人民のための政治というところだけ、知っていた。
ロートンは、独立して店を開く。。。というような話だった。

 たぶん、その影響からだろう。小林信彦さんに、『人生は五十一から』という連載エッセイがある。
人は、五十を過ぎると、体力的には劣化するけれど、その分、わかってくることもある。
世の中のことも、少しは見えてくる。
そんな紹介文を読んだ記憶がある。

 ボクは、勝手に『人生は六十一から』に読み替えて、四十半ばでやめてたことを再開した。
うまく行ったかどうかは全く自信はないが、2年後の定年前には、どうにか終えたい。
はてさて、どうなりますか。
万事がおくてで、大江健三郎に『遅れてきた青年』という小説があったけれど、こちらは、遅れてきたおじいさんになってしまった。

 三十になるかならないかのころ、年賀のご挨拶で、会社の役員の自宅へうかがった。
役員の方は、たぶん、六十三才ぐらいのころだと思う。
曰く、二十代は女性、三十代は自分の仕事、四十代は会社の仕事、五十代は財界人活動だと、ご自分の人生を述懐された。
ふ~ん、そういうものか。ボクはたぶん、そうはならないだろうなと思った。

 ボクの人生も四十二才で転職し、六十一才から、途中でやめていた仕事を再開した。
残された時間は、楽しく過ごしたいけれど、いかんせん、趣味などない。

 まあ、人気のないファーストフード店よりも、行列ができる定食屋の方が、今は魅力的である。
三十代は、それが待てなかった。
 がしかし、目の前にビールの中缶があれば、1年後の生ビールの大100杯よりもうれしい。
経済学では時間選好というらしいけれど、1年後の一升の日本酒よりか、今日の1合なんだよなあ。
わかっちゃいるけどやめられねえ。。。とは、至言である。

 そういえば、『ニューシネマパラダイス』の中で、アルフレードがトトに聞かせた物語を思い出した。
美しい王女様が、100日間、昼も夜もバルコニーの下で待ってくれたら、護衛の兵士のものになると言ってくれるけれど、兵士は99日目の夜、なぜか去って行ってしまう話だ。
なぜか。こたえはない。

 ボクは99日も待ち続ける自信はないけれど、かりに99日目になったら、やっぱ、帰るタイプだなと思う。
ただ自己破壊的衝動ではなく、敗者の論理が近いかなと思ったけれど、それも違う気がする。
最後のたった1日が待てない。それって、ボクに本質的に欠けている何かだと思う。
それは、致命的な欠落部分だ。
 
 でもね、贅沢な物語ですよね。
まっ、いっか。


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by nonoyamasadao | 2018-11-17 11:48 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

長部日出雄さんを偲ぶ

 長部日出雄さんが亡くなった。やはり、悲しい。
こう書くと、ずっと愛読者だったようだが、十代から二十歳ちょっと過ぎまでと、還暦を過ぎたあたりから、ときどき気になった。
十代の頃は、『映画評論』の日本のヌーベルバーグ作家の映画評が鮮烈だった。
鋭角的な書き方で、かなり辛辣だった。
なにより、大好きな山田信夫や蔵原惟繕などを採りあげているのが、うれしかった。
当時は、松竹系ヌーベルバーグや増村保造は採りあげても、また、鈴木清順や中平康は論じても、山田信夫や蔵原惟繕までは、なかなか論じる人は少なかった。

 大島渚監督が松竹ヌーベルバークという表現をしたのは、『週刊読売』の編集者だと言っていたが、それは記者時代の長部さんのことだ。
そうだった。その頃のボクは、シナリオライターになりたかった。雑誌『シナリオ』など買いこんで、一番、憧れていたのが、山田信夫さんだった。
田村孟でもなく、橋本忍でもなく、山田信夫さんが一番、モダンで、センスがよいと思い込んでいた。

 長部さんは、たぶん、本邦では浦山桐郎、海外ではフェリーニが一番、好きだったのではないか。
当時の長部さんは、切れ味鋭く、往時の双葉十三郎先生の『日本映画月評』を想起させた。
後日、双葉十三郎先生の『映画の学校』の対談で、小林信彦さんが長部さんも双葉ファンだったと、双葉先生に言っているのを読んで、やっぱりなと得心したのを記憶している。
後年、瀬戸川猛資さん編集の『ボクの採点表』の序文を書いていて、うれしくなった。

 双葉先生も感覚的な切れの衰えが早かったけれど、長部さんも後の『紙ヒコーキ通信』や直木賞の『津軽じょんから節』などは、感覚の冴えの衰えを感じて、さびしく思った。シャープで、明晰な人だけにみられる現象だ。
ただ、「エレファントマン」の映画評などは、さすがに辛いことが書いてあって、長部さんなら、こうでなくっちゃね。。。と、思ったことがある。

「赤ひげ」の批評は、ボクが中学の頃だと思うが、黒澤明の作風には、マックス・ウェーバーを引いて、家父長的な支配構造が一貫していると論じたのを読んで、フム、なるほどと思った。
この説は、今では批判もあるけれど、一つの解釈であるのは疑いない。
ボクがアラ還のころ、マックス・ウェーバーの『経済と社会』など調べる機会があって、世良晃志郎訳『支配の社会学』を読んで、伝統的支配、カリスマ的支配、官僚的支配の支配の3類型を知った。家父長制は伝統的支配になる。
ああ、長部さんは、1960年代前半にはこの本を読んでいたか、ひょっとしたら、原書(ドイツ語)で読んでいたのかなと、感心してしまった。
ただ、『二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェ―バー物語』は、観光を楽しむ紀行文のようで、あまり感心しなかった。

 大学3年のころ、朝日ジャーナルに、小林信彦さんが小林旭のことを書いていて、古いヒット曲のLPを入手したので、上京していた長部さんを誘うと、「泣いちゃうからなあ」と言った記事を読んだことがある。
結局、小林さんと一緒に聴いて「恋という字はヤッコラヤノヤ・・・・」という石郷岡豪作詞の「ノーチヨサン節」が入ってないとダメだなというくだりがある。
この作詞は、西沢爽さんになっているが、どうやら、長部さんと同郷の石郷岡さんが書いていたようだ。
長部さんと同郷の青森の人で、ミュージカルや「ジャングル大帝」の作詞もした人だ。
志半ばで、消えて行った脚本家だ。
この挿入歌の映画は、小林旭の『東京の暴れん坊』だった。銀座にはまだ、三愛がなく、一歩、路地に入ると、銀座はまだ、くすんでいたころだ。
小林旭がコックで、フランス語を喋ったりしてた。お隣の銭湯の娘さんが、浅丘ルリ子さんで、美しいというより、かわいい感じだった。
松木ひろし・向田邦子さんの『新だいこんの花』で、大原麗子さんがやったような役だった。

 長部さんと言えば、やっぱ、石井均論だろう。
パセティックで、対象に、思いっきりのめりこんでいくような評論だ。
昔、靖国通りには、松竹文化演芸場があった。
テアトル新宿より新宿駅側だ。
ボクはまだ、子供だったので、この演芸場には行ったことがない。
ただ、石井均一座のテレビ中継が、夜30分くらいあって、まったくのドタバタで、とても面白かった。
もっと大きくなっていれば、スラップスティックとか、云っていたのでしょう。
この石井均さんに、ほれ込んだ長部さんが、石井均さんが、本当の芝居がしたいということから、一座を解散したことを悲しむ評論だった。
ペーソスとか、しめった演技などが本当の芝居だとしたら、そんなものは見たくもないという失望を綴ったものだった。ボクが、寅さんが苦手なのも、乾いてないからだ。
憂愁が漂った名文だった。
ヒッチ・マガジンの見開き程度の枚数だった。 

 長部さんは太宰治のユーモアを感じられるお伽草子とか、本当に好きな対象について語るとき、それはそれは素晴らしい筆致だった。
合掌。


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by nonoyamasadao | 2018-11-10 16:36 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

古希が近いというのに

  安室奈美恵さんが引退された。若い人たちは大騒ぎだったが、ボクにはピンとこなかった。
安室ファンの人、ごめんなさい。
嫌いとか好きの問題ではなく、ボクが時代の感覚とズレたのだと思う。

 かなり以前に、ケーリー・グラントの方が、ジェームズ・ステュアートより4才も年長なのに、スチュワートの方がずっと老けているという記事を読んだ。
書いたのは、小林信彦さんだったと思う。
そっか、たしかにそうだなあ。
『リバティ・バランスを射った男』のステュアートは、ヨレヨレのおじいさんの風貌だった。まだ、54才だった。
それに比べ、なるほどグラントの方は『北北西』が55才、『シャレード』が59才だ。やっぱ、若い。
26才年少のオードリー・ヘプバーンをロマンスの相手にして、違和感がない。
『北北西』なんか、そういう役とはいえ、あちこち、縦横に走り回って逃げていた。若々しい。

 でも、ボクが若かったせいか、グラントよりも、ステュアートの方が渋くて好きだった。
グラントさんは、甘いマスクだったけれど、すこし軽薄な感じでそれほど好きではなかった。
今思うと、洗練されていた。
日本人でも池部良さんとか、2枚目俳優は妙に苦手だった。コンプレックスとか、嫉妬なのかもしれない。

 でも、よくしたもので、ケーリー・グラントさんは82才でお亡くなりになり、ジェームズ・ステュアートさんは、なんと、89才まで生き延びた。
外見と寿命は必ずしも一致しないようだ。

 考え方てみれば、オードリー・ヘプバーンは、おじさんばかりが相手役だった。
相手役といえば、30才年上のハンフリー・ボガート、28歳年上のゲイリー・クーパー、21才年上のレックス・ハリソンですからね。

 東京で、リーマンをしていたころ、若い女性にダブダブの服が流行った時代があった。
なにも知らないボクは、若い女性社員がセーターの袖などを折り返しているの見て、それはファッションなのですか?それともサイズが大きいの?と、失礼な質問をしたのを思い出した。
今だったら、セクハラになるかしらん。
ご本人が不快に感じてたら、きっと、セクハラだったのかもしれない。
女性がゆったりめの服を着ているのは、可愛い。好きだなあ。
お風呂あがりにだぼだぼのワイシャツを着るとか考えるだけで、堪りません。

 今思うと、ダブダブの服を着ていた方が、華奢で、可愛らしく見えるのを知ってて、そうしてたのかしら。
彼女たちは計算していたのかな。
ボクはひょっとしたら、その戦略にまんまとしてやられたのかもしれない。

 だとしたら、枯れ専女子のオードリー・ヘプバーンさんも、実は、おじさん相手の方が、自分が愛らしく見えるのを計算していたのかもしれない。
八千草 薫さんなんかも、谷口千吉監督とならぶと、いつまでも初々しかった。

 しかし、古希が近いというのに、こ~んなことを考えているのは、そうとうマヌケですね。


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by nonoyamasadao | 2018-10-06 17:09 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

映画と私

  数年前に、45年ぶりくらいの高校の同窓会に行くと、辛うじて面影をとどめた仲間たちの一人から、「勉強ができなかったね」とからかわれた。
今になって、そんなことを言わなくてもいいのになあ。。。と思う。
でも、よっぽど、印象深かったのだろう。まあ、事実だから仕方ない。
本当は、できなかったのではなく、勉強しなかっただけさと、うつむいて、心の中で嘯く。
みながみな、ボクが映画狂(cinemacrazy)だったという。
そうだったかな。

 ボクにとって、映画は、ある意味で、背徳の行為だった。
高校に行くふりをして、サボって、吉祥寺のオデオン座の洋画の三本立てや、小金井名画座で、渥美マリさんのでんきくらげシリーズや、帯盛迪彦監督の高校生番長などの性典ものなどに、見入っていた。

 映画の事始めは、怪獣映画か、東映時代劇だと思う。
その後で、『用心棒』や『椿三十郎』の黒澤時代劇に、魅了された。
左手の逆手斬りに痺れた。
そうだった。
逆手斬りは、勝新太郎さんの座頭市ではなかった。
三船敏郎さんの方が、圧倒的なスピード感とダイナミズムがあった。
 自宅の庭の竹林で、竹林相手に、三船さんを真似て一人チャンバラをよくした。
な~んて、さみしい子供だったのだろう。

 亡父が時代劇好きだったから、『新吾十番勝負』などもよく見た。
今、思い返すと、10番勝負、20番勝負と進む勝ち抜き合戦だから、マンガの横山光輝さんの『伊賀の影丸』などと、同じ趣向だった。
もっとも、そのころは、山田風太郎さんなど知らず、『甲賀忍法帖』のイタダキだなんて、思いもしなかった。

 小説は、源氏鶏太さん、石坂洋次郎さんの文庫本は全部読んで、中学後半では、松本清張さんや黒岩重吾さんばかりを、新刊本や文庫本で読んだ。
たぶん、源氏鶏太さんや石坂文学だと、順列組み合わせのような青春群像の恋愛コメディーが、好きだったのだと思う。
黒岩重吾さんとなると、ニヒルな一匹オオカミのハードボイルドな生き様と、蠱惑的な女性との性愛という風俗小説的な読み方をしていた。

 映画を本格的に好きになったのは、フランス・ヌーベルバーグの『墓に唾をかけろ』からだった。
ボリス・ヴィアンが、別名で書いたハードボイルド小説が原作だったのは、ずっと後で知った。
ブルースがバックに流れる復讐映画だったけれど、青春バイオレンスといってよく、エロスも強烈だった。
今、思うと、『太陽の季節』や『狂った果実』と同じで、乾いた感傷があった。
『太陽の季節』は、この映画のあと数年後に、読んだ。

 『霧の中の男』という、濃霧の中を人影がうごめく、なにやら文学的な映画が好きだった。
これも、実は、石原慎太郎さんの原作だと、ずっと、後になって知った。
この映画で、蔵原惟繕監督の名前を知った。

 今年そうそうに、夏木陽介さんが亡くなられた。
なにをかくそう、夏木陽介さんの大ファンだった。
東宝女優では、星由里子さんのファンで、デビュー作品からみていた。
若大将シリーズの澄子さん役よりも、恩地日出夫監督の『若い狼』の夏木陽介さんと星由里子さんのツーショットがよかった。
夏木陽介さんの帰りを安アパートで、小鳥相手に待っている星由里子さんの姿には、フランス映画の味わいがあった。
この映画のキスシーンは長かったし、谷口千吉監督の『やま猫作戦』では、星さんは幼い中国少女だったが、ここでもキスシーンがあって、子供心に、夏木さんが羨ましかった。

 こう見てくると、ボクは、西部劇やサスペンス映画、チャンバラ、ミュージカルなどから、映画好きになったのではなかったのがよくわかる。
きっと、砂を噛むような青春の空白を、映画や小説のなかの青春で、埋めていたのではないか。

 数多くの映画との出会いでは、出会っても、気にも留めず、見ることもなくすれ違うはずだったのが、時間つぶしで、たまたま観たものが多い。
そのほとんどは、忘れてしまっている。
人は駄作と言っても、自分の中には、妙に色濃く記憶に残る作品がある。
その時の状況や、気分にもよるのだろう。
でも、きっと、そこには、何らかのルールのようなものがあって、偶然ではなく、必然としてめぐり会い、記憶に残ったような気がしないでもない。


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by nonoyamasadao | 2018-02-17 14:24 | 洗練コメディー映画 | Trackback | Comments(0)

愛の様相ー哀しみの街かど

 今や、本屋さんに行って、同じフロアで、ピザを食せる時代だそうである。
べ、便利になったなあ。
でもね、本屋さんに行って、同じフロアでピザを食っている人がいたら、かなり、引くでしょうね。
もう、その本屋さんには、行かないでしょうね。

 我が地でも、昨年の震災で、大きく模様替えした本屋さんがある。
新刊書も今や、カテゴライズされて分業システムとして、分類されて並ぶようになった。
でも、ミステリの新刊の隣に、たまさか、純文学が並んでいたから、庄野潤三の『絵合せ』とか『屋根』を読んだんだよなあ。
今のような、整理だったら、ぜったいに読まなかったな。
これは、ひねくれものの自己正当化かしら。だったら、スマヌ。

 今の地のよく行く三年坂通りの本屋さんも、かなり様相が変わったな。
昔々、あれだけ古本を買いあさって、それから、喫茶店に行って、その日の成果をじっくりと確信するのが、あれだけ楽しかった時間だったのに、本屋さんと喫茶室が同じフロアにあるのが、なーんかね、とっても抵抗がある。

 羨ましいのか。ちょっと、違うな。
でも、この感覚こそが、老害なんでしょうね。

 昔々、『哀しみの街角』だったかな、ロードショーではなくて、二本立てか何かで、仲間たちと、新宿に観に行った。
映像派というか、フォトジェニックなタッチのシャッツバーグだったと思う。
この監督の致命的な欠陥は、ドラマツルルギーが弱いことだった。
『哀しみの街角』は、薬物のことはな~んも判んないけれど、亡くなった当時の大先輩(実年齢で3才違い)は、映画後の喫茶室で、密告した恋人は怪しからんみたいなことな事を言われた。
ボクは、仕方ないじゃん。。。みたいなことを言った。
先輩は立腹して、理路整然と反論された。先輩、申し訳なかったです。
仲間たちの唯一の女性は、ボクと同じで、アル・パチーノに同情的だった。たぶん、かなりのパチーノのファンだったのでしょうね。
傷ましくも、惨めで、メランコリックな映画は、深夜のバス停で、ゼッタイに来っこないバスを、来ないだろうな~と知ってて、待ってたボクの心情にマッチしているとか、思った。
今、思うと、カール・ヤスパースのドイツ哲学専攻の大学院生で、ギリギリのところでしのぎを削っていた大先輩は、切迫した中で、どこかにブレークスルーを求めなきゃ男じゃない。。。と思ってたのだろう。
こ~んな簡単なことを、還暦の半ばを過ぎて、気づくなんて・・・・。
俺って、バカか。

 『スタンド・バイ・ミー』のように、みんなで無邪気に死体探しに森林に行ったつもりだが、結局、ボクは麻薬と恋愛の懊悩など、な~んも判らなかった。
ちょっとは、感受性の欠片ぐらいは持っていると思ってたけれど、信じられないほど、それが欠けてたみたい。
 
 でもね、現代だって、トム・ソーヤーが描いてた夢とか冒険って、永遠なんじゃないかな。。。な~んて思うんだけれど・・・。
でも、それも後づけですな。



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by nonoyamasadao | 2017-04-26 19:41 | 雑文 | Trackback | Comments(4)

かなりヤバいかも・・・

 『秒速5センチメートル』を観る。
劇中の話だと、秒速5センチメートルとは、さくらの花びらが地上に降下する速度そうだ。
ボクは小林秀雄の「中原中也の思ひ出」を思い出していた。

 「あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めてゐるに違ひない。」のくだりである。
違うのは、浅葱色の春の黄昏に、海棠の花が散っていくさまと桜の違いだ。

 小学校のころは、鞍馬天狗ごっこや頓馬天狗ごっこや椿三十郎ごっこに、熱中した。
チャンバラ大好きで、畑で三角ベースの野球で遊び、土曜日の午後は、パン屋さんの焼きたての菓子パン、肉屋さんの揚げたてコロッケだけが、楽しみだった。
資本主義には、ミシェル アルベールの説く『資本主義対資本主義』の2通りがあるけれど、このアニメ映画の第1話を観ていると、日本的資本主義は、間違っていなかったのかも知れないな。。。と痛感する。
もちろん、今の日本の資本主義には、大反対である。

 まあ、ぼんやりした、あたまの空っぽな小学生や中学生時代だったけれど、なんとシアワセだったことだろう。
ドラマにあるような根拠のない自信などなかったし、未来への漠然とした不安もなく、くよくよすることも、ほとんどなかった。
たまに、不安定になることはあっても、放課後の休み時間をひたすら楽しみにする、極楽とんぼであった。
図書館など見向きもせず、同級生の女子にも、小学校のときは、無関心だった。
めざめていなかった。

 そ~んな思春期だったけど、このアニメを観ていると、動作や気持ちは今からすると、ぼんやりなりに、もの凄いスピ―ドがあって、1日の時間がありすぎて、持て余した頃が蘇った。
また、会社員になってから、とてつもなくミスマッチのシステム・エンジニアの仕事に絶望しながら、それでも、捨て身で頑張ってきたころが、主人公に重なる。

 主人公が高校生活を過ごす種子島で、進路調査を書かず、紙ヒコーキに織って、飛ばすシーンでは、ハーバート大学生を描いた『ペーパーチェイス』のラストシーンを思い出した。
第三話の桜の花屑が舞い込んでくるシーンでは、中原俊監督の『櫻の園』のラストシーンを思い出したし、エンディングの奇跡的なすれ違いの後の場面では、アンリコの『若草の萌える頃』のジタ伯母さんを思い出した。

 このアニメは、女流作家のような繊細なタッチが持ち味だ。シルエット、坂、新宿駅界隈、並んだ鉄塔、列車の連結器の揺れ、夜の電話ボックス、そして踏切などの添景が見事である。
カポーティの『草の竪琴』を読む女子高生や漱石の『こころ』を読む女性は、魅力的だ。
どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるか。。。というドラマには縁がなかったけれど、それなりに溌溂としていた、そして生々しい一瞬が、闇の中の篝火のように、いくつか浮かんでは消えた。

 そうだった。
ボクだって、草っぱらで流れていく雲の輪郭を気にしたり、夜中の新宿のタクシー乗り場をうろついた時期もあった。だいぶ、時間はかかったけれど、満を持して会社も辞めた。

 ただ、今、振り返れば、きっと、あの人も振り返ると思ったことは、ただの一度もなかった。かりに、そんなことがあっても、振り返らなかっただろう。
来年も一緒に桜が見れるといいねと思った相手もいない。
そんなさみしい人生の人は、ほかにはあまり、いないだろう。
少年のころ、ボクが遠くを見ていた視線の先には、なにがあったのだろう。
 今もって、自分でもわからないし、わかった気もしない。
かなり、ヤバいかも・・・。


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by nonoyamasadao | 2016-10-30 16:57 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

スクリーンミュージック

 穴沢ジョージさんのブログを拝見していて、そういえば、昔は、スクリーンミュージックのラジオ番組があったことを思い出す。
スクリーンミュージックのベストテンでは、『エデンの東』とか、いつも上位だったような気がする。
映画を見ないのに、音楽だけで、『エデンの東』は名画に違いないと、勝手に想像を膨らませた。

 『デート ~恋とはどんなものかしら~』を見ていると、映画の話題でマニアックな論争が繰り広げられる。
松重豊さんが、「スティーブ・マックイーンといえば、『大脱走』と『荒野の七人』でしょう」と、したり顔で、切り出す。
フム、たしかに、『大脱走』と『荒野の七人』は、ジョン・スタージェス監督らしい、スカッとした画面構成とテンポよく展開されたアクション映画だった。
こういうテンポがよくて、ワクワクする娯楽映画は、近年、とんと見ない。
すかさず、長谷川博己さんがたしかにそうだけれど、「『ブリット』を見なきゃあ、マックイーンファンとは言えない。そして『ゲッタウェイ』と『パピヨン』が続く」とのたまう。
そっかなあ、『ブリット』のカーアクションは、確かに伝説的である。
英国の俊才のピーター・イェーツは、この出来があまりに良すぎて、爽やかな青春映画で、自転車レースが楽しい『ヤング・ジェネレーション』や、彼が撮ったとはとても想像できない渋い傑作『ドレッサー』まで、長~いスランプに陥った。
けれど、『ゲッタウェイ』と『パピヨン』はたしかに大作だけれど、そ~んなにマックイーンの代表作かしらん。

 だったら、やっぱ、『シンシナティ・キッド』じゃないかい。
E.G.ロビンソンの圧倒的な貫禄と、サスペンスフルなスタッド・ポーカーと、ラストシーンの靴磨きの少年のシーンなど、今でも、余韻が残っている。
ああ、あのころのスティーブ・マックイーンは、たしかに好漢だった。

 じゃなければ、小学校の低学年の頃に見た、賞金稼ぎのテレビドラマの『拳銃無宿』は、忘れがたい。
宮部昭夫さんの吹き替えで、スティーブマックイーンが、妙に、老けて見えたっけ・・・。
考えてみりゃ、何をいまさらだが、ボクはかなりのオタクだったなあ。愚かにも、今にして、気づく。

 スクリーンミュージックで追いかけたのは、たしかにデビ―レイノルズの歌う『タミー』が主題歌の映画は、一生懸命探したけれど、とうとう見れなかった。
幼心に、切々として、せつない気分になった名曲だった。
子供のころ、きれいなお姉さんとして憧れた園まりさんが、♪あなたにほほ寄せて ささやくしあわせ・・・と歌う『女王蜂』は、曲先行で、なけなしのお小遣いを払って映画を見に行った。

 ほかには、Dreamという曲が、夢見るように素敵だった『足ながおじさん』は、曲が聞きたくて、電車に揺られて、千葉のほうの名画座まで出掛けた。
すごく満足して帰ったけれど、Dreamが、『足ながおじさん』のオリジナルでないと知ったのは、ずっと下って、中年に差し掛かったころだった。
あれは、ショックだったなあ。


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by nonoyamasadao | 2016-09-01 18:22 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

フロントページ

 1975年5月のゴールデンウィークは、今でも覚えている。
明るい陽光が差し込む喫茶店で待ち合わせして、『フロント・ページ』を見に行く。たしか、みゆき座だったと思う。
当時、映画を見るのは色気抜きの親友と、異性では、画板を持った絵描きの恩人しかいない。画板からは、クレヨンの匂いがしたり、絵の具の匂いがした。
絵描きの恩人は、ただ憧れるだけの異性で、まったく手の届かないところの人だった。

 その頃のボクはまだ、ストイックで、飲んだら観るな、観るなら飲むなの時代だった。
異性とは、酒は何度も飲んだけれど、映画を見に行くことはなかった。
真っ白いスクリーンと対峙するような気分で映画を見た。
今は明るい茶の間で、ゆるゆると映画を観てる。堕落したものだが、それも悪くはないと最近、思っている。
要は、結構、映画に命をかけていたんだなと、今にしてしみじみ、そう思う。
 『フロント・ページ』はリメイクのリメイクで、その後も『スイッチング・チャンネル』で、再度、リメイクされた。
ジャック・レモンとウォルター・マッソーの掛け合いがあうんの呼吸で、なんともおかしい。ビリーワイルダー先生のドタバタ演出もさすがに洗練されてて、ゲラゲラ笑い、堪能した。
フロントページとは、新聞の第一面のことで、やっぱ、新聞記者になりたかったな。

 外に出て、6月には『イルカの日』を観ようとか話したのを覚えている。
大学時代の1年下の友人がボクらを見つけ、近寄ってくる。
な~んのことはない、彼もガールフレンドと次の回を見に来たのだった。
みな、顔見知りで、ボクより1学年下で1才年上の親友(2浪)と彼は同期だった。みんな大学のサークル仲間で、彼女だけが卒業したてだった。
彼は、山口百恵さんの『潮騒』を観ようか、これにしようかで迷ったみたいだ。

 立ち話して別れると、親友は自分も含め、我々男どもは、ちっとも成長していないという。
この年代では、社会人1年目となる女性は、学生時代とがらりと変わって、大人びた女性になっていた。
男二人じゃ、ニューヨーカーのようにはならないが、本屋の新刊をのぞいたり、銀座を散歩して、休日のパブで、明るいころから飲む。

 この年の2年後の彼女の誕生日に、カップルは結婚した。
男どもは成長しないと嘆いた我々は、その後、十数年以上、何ら身辺変化はなかった。
そして、暇を見つけては、おいしい刺身が食えて、温泉があって、美人女将の名館で酒を飲み、くつろぐ。
親友は、50才少し前になり、突然、炎のごとく、電撃的結婚をする。

 ボクはといえば、な~んの変化もなく、相変わらず、美味い刺身と温泉と酒をこよなく愛す。

 ここまできたら、もうどうしようもないなぁ。

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by nonoyamasadao | 2015-05-09 15:27 | ヒッチ・ワイルダー | Trackback | Comments(1)

フルーツ牛乳

 昔々、住宅には鳥の巣箱のような牛乳受けの箱があって、フルーツ牛乳とか、牛乳屋さんが瓶で配達してくれた。
子供のころ、一日牛乳4本の人工栄養で育ったせいか、ボクは牛乳が苦手になって、フルーツ牛乳も飲めないが、子供の頃は、色彩にものすごく敏感だった。
瓶のフタの絵の色が匂いや味覚まで連想させ、あっ、おいしそうとか。。。感動したものだった。
今でも、時々、たとえば、twitterの絵文字の色に、ふと遠い昔を思い出し、ああ、年食っちゃったなぁと悲しくなる。

 高橋克典さんのDVD『恋愛ドラマをもう一度』を見る。
失礼ながら、元来、額の狭い、この種の二枚目俳優は、どちらかというと、苦手だった。
けれど、『傷だらけのラブソング』とか、落魄したヒーローを演じると、う~ん、力量のある俳優さんなんだなと思う。
『バツ彼』なども、ダメ優男ぶりが、似合っていた。

 『恋愛ドラマをもう一度』は、『最後から2番目の恋』の、プロデューサー(小泉今日子)とライター(内田有紀)の関係に的を絞り、男女関係に置き換えたインサイドストーリーで、都会派恋愛ドラマであった。
昔なら、ソフィスティケーション・コメディーなどといった。
最近の岡田惠和さんには、ニール・サイモンの味わいが出てきた。
男と女の人情の機微に、せつなさもあるが、暖かい余韻の残る台詞回しが、素敵だ。
『ホームドラマ!』なども意識していたのでしょうが、眼高手低だったような気がする。

 ふと、思ったのだが、『恋愛ドラマをもう一度』は栗原美和子プロデューサーだったので、
堤真一さんが演じていたら、どうなったのかなあと思った。
昔の彼なら、得意だったはずだ。
この手の都会派ロマンティックコメディーを見るたびに、ジャック・レモンを思い出す。
『アパートの鍵貸します』の、あのさみしそうな微笑みが蘇ってくる。
昔昔、松木ひろしさんの脚本で石立鉄男さんや、同じ、松木脚本で西田敏行さんがそれらしく演じた。
けれど、あの手の哀感を漂わせる俳優さんは、日本には、ちょっと出そうにない。

 『ザ・プレイヤー』のパーティシーンで、ピアノを弾いていたジャック・レモンさんが、ふと頭をよぎった。


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by nonoyamasadao | 2015-04-11 16:08 | 雑文 | Trackback | Comments(1)

もう一度

  難問的雑用が終わり、久しぶりに仕事部屋に出かける。
いつも通り抜けする大学はもう春休みなのか、ひっそりとしている。
ユーミンの最後の春休みの歌詞ではないが、感傷的な風景が広がっているように思えて、♪長い廊下を歩いていたら、泣きたくなった。。。という気分は、フム、よ~くわかる。

 裏口から入って、左側に紅梅が数輪咲いている。
誰もいないので、近づいて、匂いをかぐ。奥床しいけれど、ほんのりお酒のような匂いがする。
イカンなあ。昨日、飲まなかったせいか。
小さな紅梅の花は、繊細で、練りきりのようである。
いつか、月夜に、この紅梅を見たことがある。
最初は朧で、だんだん近づくと何とも、艶やで愛らしく、セクシーな気分になった。

 昨日は、ロブ・ライナー監督の『最高の人生のはじめ方』を観た。
モーガン・フリーマンは、交通事故の障害を持つアル中の書けなくなった作家で、避暑地の湖畔の別荘のキャビンで、一夏を過ごす。
で、お隣には離婚した、3人の子持ちの中年女性の”サイドウェイ“で素敵だったヴァージニア・マドセンが住んでいる。
な~んか、ボクの理想の老後に似ている。まあ、アル中は困るけれど。
物語展開はステレオタイプだが、冒頭には、ビーチボーイズの“Don’t Worry Baby”が流れ、月夜の晩には、ボクでも知ってるベートーヴェンの”ピアノ・ソナタ 第8番 悲愴 第2楽章“が、お隣さんのピアノから流れる。老いらくの恋なんでしょうが、ほのめかす程度でよかったのではないか。
筏を組んで、湖の向こうの美しい小さな無人島に行くシークエンスでは、“スタンド バイ ミー”のテイストを思い出した。いくつか、ご都合主義はあるけれど、それは許そう。
モーガン・フリーマンが言う。“一つのドアが閉じると、もう一つのドアが開く”。
う~ん、それには希望がある。な~んか、ヘレン・ケラーのようだ。

 このところ、寝しなに“バツ彼”を見てる。いっとき、寝しなにケラリーノ・サンドロヴィッチの“カメレオン・リップ”を見ていたけれど、“バツ彼”は、吉祥寺の南口の丸井の先のいせやの石段の坂や、井の頭公園の雑木林や、池の丸太の柵が、とっても懐かしい。
登場人物の男性陣がみんな、恋愛の負け組ってのも、なんともねえ、同輩だから身に染みてわかる。

 まっ、恋愛はともかく、70までは、思いっきり、ハードに生きてみるさ。
時々、ズル休みしたり、とことん飲んだりしてね。

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by nonoyamasadao | 2015-02-03 13:56 | 雑文 | Trackback | Comments(6)