いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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人生は、ついふらふらと

 川上弘美さんに 、午後の早い時間から、お蕎麦屋でせいろを食し、ヒマだから、神社などに寄り道して、匂いにつられて赤提灯に行くエッセイがある。
20代半ばの女子の同僚と二人で、ついふらふらとという、理想の老後みたいな生活をしていたとある。

 そっか、20代女子二人だと、そうなるのかもしれない。
時代背景も、あるだろう。
昔のころは、そうだったんでしょうね。

 ボクも、会社員をしてたけれど、17時30分過ぎは、ついふらふらと季節料理屋さんで、お酒を飲んでいた。
それが病みつきになった。

 最近、基本は、1飲2休肝日だけれど、ビール中缶2本か、ビール中缶1本、日本酒1合の生活に、ビールか日本酒か、どちらか1本増える日が多くなった。
いかんなあ。。。とは思う。
しかし、晩年の山口瞳さんは、お猪口一杯を何時間も費やして、飲んだというエッセイを読んだ気がする。
これは、辛すぎる。

 ここで、『恋人たちの時間』を思い出す。
主人公は、かく語りき。「本は、まず、最後のオチから読む。なぜなら、いつ死ぬかわからないから」。。。ってね。
『君の膵臓をたべたい』みたいな、流れ弾だって、あるかもしれぬ。

 まあ、一本増やすことの正統化に、必死過ぎる気がする。
人生は、ついふらふらとであってよいのだと思う。

 梅雨の季節である。
梅雨入りしてから、一度だけゲリラ豪雨があったけれど、暑い日が多い。
今日は、それほどでもなかった。

 初夏の空は青く、まだ少しくらいは暑いけれど、空気はじめじめしないで乾いている。
理想の老後は、この後、テレビを見たり、本を読んだりして、夜の帳が降りたころ、美味しいつまみで、熱燗の日本酒を時間をかけて、ゆっくりと飲むことしか、思い浮かばない。

 ほかには、なにも浮かばない。
大判のノリで包んだオカカのおにぎりと、あみの佃煮で、日本酒を飲む。
それに勝るシアワセは、ない。
まっ、いっか。


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by nonoyamasadao | 2018-06-12 19:18 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

夢は嘘をつかない

  最近、明け方によく夢を見る。
トイレに行こうかな、面倒だから、我慢しよ。
ということで、眠りが浅いせいもあるのでしょう。

 夢の中では、中学時代の友達と、大学時代の友達と、会社時代の友達が、一緒になって、登場する。
ボクは、実物も悪いのだが、写真うつりが、選りすぐって悪い。
自意識過剰なのである。
だから、知らないで撮られたものなら、かろうじて、見られる。
まあ、ブサイクなのは、仕方ない。
そんなことだから、アルバム写真など、高校の修学旅行の数枚の写真から、一挙に、30代の年末パーティ写真まで、なにもない。
当然だが、友だちとなると、記憶の中に痕跡として、残っているだけだ。
ただ、夢は嘘をつかないというか、知らない同志の中学時代の友人と会社時代の友人が、話し合うことはない。

 昨日見た夢では、30才直前の頃に、1才上の友人と旅をしていた。
列車の中だった。
流れていく景色が、日本海っぽいので、金沢か、温海温泉に、行った時のことが、原風景だろう。

 ふと、岩崎宏美さんの二十才前のメロディーが夢の中で、浮かんだ。
フム、阿久悠さんの詞は、苦手なのになあ。

 そうだった。
いつだったか、どこかに向かう列車の中で、二十才前が思い浮かんで、三十路前に読み替えて、心の中で、歌ったことが、確かにあった。
三十路になるのが、ああ、もう青春とはさすがにいえないなあ。。。と、とてつもなく、さみしかったのを、覚えている。

 もちろん、声に出して歌ったわけではないし、一緒に旅した友人にも話していない。
そ~んなささいなこと、よく覚えていたなあ。

 なるほど、夢は嘘つかない。



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by nonoyamasadao | 2018-06-11 17:54 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

疲れたときには散歩

 最近、肩こり、首凝りがひどい。
そりゃ、そうだ。
元来、出来の悪い頭を、酷使しているからだ。
しかも、成果はあがらず、どうどうめぐりか、かえって、出来が悪くなっているような気がする。

 年なんだから、こーゆー時は、何も期待せず、ゆっくりと、まったりと、散歩でもすればよい。

 はじめて、大人になったと自覚したのは、いつだろう。
何かの体験で、子供から、大人に変わるものではないと、思っている。
だいいち、大人になることが、いいことなのか、立派なことなのかは、分かんない。
な~んとなく、税金を納めたときが、一応、大人になった時かなと思う。

 はじめて、人を好きなったのはいつだろう。
幼稚園や、小学校の初恋は、人を好きなったとは思わない。
もっと、違う何かだ。
それは、きっと懐かしい時間だったり、大切な風景なんかを連れて、その瞬間が蘇るはずだ。
しかし、そんなものは、思い出せない。
ひょっとしたら、本気で、人を好きなったことなど、なかったのかもしれない。
だったら、もの凄く、自分で自分が不憫だ。

 もしかしたらあの時かもしれない・・・が、2つ、3つ、よみがえる。
う~ん、思い違いかもしれなけれど、ボクにしては、上出来だ。

 毎回、集合住宅のゴミ出しだの、お酒のつまみだの、そんなことしか、このブログに書いていない。
さっき、仕事部屋から帰る時に、ナツツバキの白い花が、‌数輪、開いていた。
ひっそりとして咲くが、この花は、好きなんだよなあ。
通り抜けの大学では、暑い日差しのなかで、植栽のクチナシが、かなり、濃密な匂いを放つ。
この香りは、少し遠めの方が、よい香りがする。
小学校の額縁アジサイをチラ見して、病院の雑木の中に、ヤマモモの実を見つける。
ああ、そろそろ、梅雨が来るんだなあ。

 最近は、樹木すら観察しなかったけれど、やっぱ、樹木観察は、季節とか、空気の匂いを感じる。
そういえば、この数年、鳥の声も、川の音も聞いてないな。

 今日は、寝る前に、星を探してみよう。
 長田弘さんによれば、人生には何一つ無駄なことなどないのだから、散歩したり、樹木を見たり、星を数えていれば、人生は森の中の一日に近づくかもしれない。
このところ、若い人と触れ合うと、つくづく年令を感じるけれど、生きているから、年を食う。

 春の日、あなたに会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。。。。とは、無縁だ。
けれど、3月末に亡父のお墓参りに行き、きれいな水と、安物の花だが手にもって、出掛けた。
 それで、いっか。


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by nonoyamasadao | 2018-05-29 16:19 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

毎日、お酒を飲まなくなってから

 お酒を毎日、飲まなくなってから、12年目に入る。
その代わりに、しなくなったことがある。

 羽田空港のゴージャスなフカひれラーメンは、それ以来、久しく、食していない。
ビールと前菜で飲み、その後で、ビールと日本酒の熱燗で、フカひれラーメンを食した。
お昼頃の中華料理店は、相席でごった返し、朝の10時ころだと、開店まもなく、一人で食したこともある。

 日曜は、夕方から飲み始めて、大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』の頃は、ゆっくりと焼酎を飲み、日曜劇場『GOOD LUCK!!』も見ていた。
堤真一さんと内山理名さんが、ぜんぜん違う役柄で、双方に出演してた。
翌朝になって、日曜劇場を思い返すと、かなりあやふやだった。
今は、大河ドラマも日曜劇場も見ない。

 酒量も減らして、1飲2休肝日になってから、飲まない日は、夕食後は、DVDで、映画を観たり、DVD-BOXの昔の連続ドラマも、よく観る。
連続ドラマは、ついこの間終わったものを見ていたが、それが2000年代、1990年代と遡っていった。
1993年以前は、東京で、サラリーマンをしていたから、テレビなど、ほとんど観ていなかった。
そういえば、サラリーマンを辞めてから、ウィスキーを飲まなくなった。
一人では、飲みにいかないからだろう。

 1980年代ドラマは、題名だけ知っていて、観なかったものばかりだ。
最近は、1960年代後半の連続ドラマを見ている。
なんだかな、無限後退するようで、少し、コワイ。
この時代は、高校、大学の時代だったから、お酒は飲んでいないころだ。

 昨日から、3日間の休肝日だ。
お酒を飲まないと、朝早く、目覚める。
集合住宅の非常階段を下りると、行ってらっしゃーいとか、ちっちゃな女の子の声で、お仕事頑張ってね~とか聞こえてくる。
ああ、いいなあ。
ボクの場合、あ、オレ。あ、今日、遅くなる。。。というようなことは、とうとうなかった。

 星由里子さんが、亡くなった。
とても悲しい。合掌。

 大好きだったのは、1969年に一回目のご結婚をするまでだったから、ボクが19才になるまでだ。
目、鼻、顔の輪郭、配置、ヘアスタイル、声、みな好きだったけれど、一番、好きなのは、挙措動作とか、全体の雰囲気だったかもしれない。
自分なりの面食いのパターンがあるとすれば、その原型は星由里子さんだった。

 銀座の街中を歩いていて、一瞬、空気が華やいだ気がして、振り返ったことがある。
しばらくして、ああ、星さんに似た女性とすれ違ったのだと、気づく。
すぐに、もしかしたら一瞬の恋、みたいなものは消えたけれど、なんだか、シアワセな気持ちになった。

 なんだろう。こうして、さぁーっと過ぎて行く悲しみみたいのが、案外、大切なことのような気がする。


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by nonoyamasadao | 2018-05-20 10:09 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

日々、所在なく

 5才頃、誰もいない大宮の競輪場で、ガキ大将に連れられ、よく遊んだ。
とその時、突然、警備員のような人に見つかる。
ヤバい!!ずらかれ。。。と、ガキ大将の指示がくだる。
子供たちは、クモの子を‏散らすように、あちこち、無差別に走って逃げた。
それは、きっと、サツだ!ずらかれに似た、緊迫した興奮があった。
子供心に、高く逃げ道を遮った柵であったか、塀をのぼって、脱兎のように逃げ帰ったのを記憶している。

 その時は、オヤジにどこからか漏れて、ヤバいなどという言葉は不良の言葉で、以後使用してはならぬと、きつく叱られた。

 今や、ヤバイよヤバイよ。。。は、誰でも使う。
きっと、出川哲郎の貢献だろう。

 美味しすぎてヤバい、‪カッコよすぎてヤバいとか、若い人たちはよく‌、口にする。
女性の人の方が、よく使うかもしれない。

 少し、下品な言葉の変格活用は、ある意味で、不思議な魅力を持っているのかもしれない。
子供の頃は、下ネタに拘って、よく連呼した。
 若かった親が過剰に反応して止めるものだから、よけいに関心が沸いた。
それは、音感に微妙な魅力があるのと、ワンワード、ワンフレーズで、周囲の人が、皆振り向いてくれたからでもあった。
カ・イ・カ・ンだった。

 さみしくって、よるべなかった、気持ちをうつしていたのかな。

 今や、年を重ねに重ね、それでもよるべないのだけれど、拘っている言葉がある。
ゆっくりと、とか、まったりと、とか、あわあわと、とかである。
きっと、残りの時間が、つるべ落としの速さで過ぎて行く反動からだろう。

 昨日と、一昨日と、傘をさして、雨のなかをゆっくりと歩く。
場所とか、時間とか、天候とかを、じっくりと意識して過ごす日々も、存外、捨てたものでないなと思っている。


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by nonoyamasadao | 2018-05-03 14:44 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

子供の頃のお楽しみは・・・

 このところ、昭和の古いドラマのDVDばかりを見る。
雑司ヶ谷や鬼子母神などが映って、ああ、これは、昭和の原風景だなあと、つくづく感じ入ってしまう。
じつは、雑司ヶ谷にも鬼子母神にも行ったことはない。
けれど、都営荒川線が走っている当時の周囲の風景が流れると、なんだかせつない。

 そのせつなさは、どこから来るのだろう。な、なんなのだろう。
子供の頃のあの心細さと、それと裏腹の感情である楽しさとか、トキメキのようなものが蘇ってくる。
問題児で、学校の先生から怒られたり、お説教ばかりくらった。まあ、悪ガキだった。
その頃は、楽しいなどとは、決して思わなかったのに、今思い返すと、シアワセなキブンになる。

 夏休みのお楽しみは、一人遊びだった。学校がないから、友達とは遊べない。
ダラダラと起きて、テレビの『狼少年ケン』の再放送が楽しみだった。
片目のジャックが好きだった。
月岡貞夫は、やっぱ、天才アニメーターだと思う。
午前中の10時ころからだったと思う。

 夏ゼミの声がワンワン響くお昼ころは、麦わら帽子を被って、虫かごと、長い竹の棒の網を持って出かけた。
近くの住宅の松の木や、木の電信柱で、セミは簡単に見つかった。
アブラゼミは簡単に採れるけど、鳴きやんで飛び立つときに、よく、オシッコをかけられた。
よく声は聞いたけれど、ミンミンゼミは、なかなか、つかまらなかった。

 汗ダラダラになって、家に帰ると、冷たい麦茶を飲んだ。
はじめてのコカ・コーラは、クスリくさくて、まじいなと思ったけど、すぐに慣れた。
今思うと、あのころのコカ・コーラは、もの凄くパンチがきいていた。
子供だったからかな。
コカ・コーラがやみつきになるのは、確かだった。

 一息つくと、軟球とグローブをもって、近くの十字路にある大きなお屋敷に向かった。
角に、ブロック塀が、かぎ型に広がっている。
塀に全力投球して、跳ね返ってくるボールを拾った。
その家の人は、よく我慢してくれてたなぁと、今にして思う。

 そうだった。
小中学校のころは、ずっと、平屋の社宅だった。
学校から帰って、トントントンと階段を上がって、2階の部屋にランドセルや鞄などを投げ出すのが、夢だった。

 春が闌けていく。
もう少しすると、大好きなナツツバキの季節だ。


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by nonoyamasadao | 2018-04-28 15:15 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

桜餅

 昭和のドラマのDVDを見ていたら、桜の花びらが散っていた。
ああ、今年もじっくりと、桜を見なかったなと思う。
いつも、通り過ぎてから、もったいないことをしたと悔やむ。
後ろ向きの生き方が、よく表れている。
この地では、桜があちこちで咲くので、さほど珍しくないのも影響しているのかもしれない。

 今は、ツツジが盛りだ。
東京時代にオオムラサキツツジで育ったせいか、大味で、雑駁な感じがして、あまり好きになれない。

 すぐ傍に桜の公園がある。
マンションの陽当たりが悪くなったせいだろうか。
全部、切り倒してしまった。もったいないことをする。
 
 少し前なら、小雨が降った日など、出掛けに公園に寄ると、満開の桜が間近で見れた。
見上げると、風に乗って、チラチラと花びらが舞う。
子供の頃に、風に流れる桜を、パクッと食べる遊びをよくした。
湿った土が、懐かしい匂いだった。

 改築中のご近所の住宅では、塀が取り払われ、庭の枝垂れ桜が、よく見えた。
今年は早かったが、いつもは、お彼岸の頃に咲く。
樹間越しにチラリと見える、一重で淡いピンクの花がとてもきれいだった。
こういうのを桜色と言うのだろうか。毎年、そんなことを考えた。
 今年は、じっくり全容が見えたのだが、なぜかつまらない。
きっと、ちらとしか見えない方が、もっと見たいという想像が、かき立てられるのかもしれない。
 こう書いてきて、な~んだ、今年は、結構、桜を見ているではないか。
じっくりと桜を見なかったわけではないなと思い返す。
さみしいけれど、感受性も老いるのかもしれない。

 まだ、ボクが小さかった頃、父が桜餅や、言問団子をよく買ってきた。
老母によると、料亭のお土産だろうという。向島の方の料亭によく行ったのだろうか。

 そうだった。遠い昔のことー
まだ、宵の口の銀座では、よく街頭で、竹で編んだ籠に入った桜餅を売っていた。帽子を被った花売りの人もいた。
鳩居堂の屋上では、星型のネオンが灯り、地球儀のネオンも遠くに見えた。
 春浅い宵に、ボクはなぜ、銀座にいたのだろう。
たぶん、まだうんと若かった母に連れられ、月ヶ瀬にでも行った帰りに、見たのかもしれない。
 
 竹籠に眠る桜餅は、数枚の桜の葉に被われていた。
荻窪の社宅の茶の間で、薄い半透明な羽衣に包まれた桜餅を食した。
淡く、さみしい味がした。
 ずっと後になって、同じものを食しても、もうその味は戻らなかった。
なぜだろうと、ずっと不思議に思っていた。
 勉強ができないと叱られてばかりの悪ガキのころ、春のうらうらとした陽が射す縁側の濡れ縁でも、食べた。
その時も、ほんのりと甘く、せつない味がした。

 あれは、きっと、幼い頃のあやふやに揺れた心をうつした味だったのかなと思う。


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by nonoyamasadao | 2018-04-22 11:30 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

花散策

 今年は、ハクモクレンをあまり見なかった。
目の隅には入ってくるけれど、凝視はしなかった。
まあ、折々の花は、意識して凝視するようなものではないのかもしれない。
あっ、今年も咲いた。きれいだけれど、もうそんな季節か。。。って方が、自然だ。

 仕事部屋に行くとき、すこし時間があったので、遠い方の道を歩く。
あちこちで、桜を見る。
住まいの集合住宅を出て、すぐの神社に二本聳えるようにして、咲く。

交差点で、信号待ちしていると、神社の向かいの高校でも、咲く。

コンビニを通り越して、小学校にかかる前の住宅にも桜があり、小学校の正門には、何本もの桜がある。
一本、二本と数えていたのだけれど、さすがに面倒くさくなる。

 元来、桜には関心が薄いほうだ。
それって、己がさみしい人生を象徴しているような気がする。
いや、お花見デイトとか、臆面なくイチャイチャしたバカップルをイメージしているわけではない。
桜は異性とみて、来年もまた一緒に見れるとよいなあといった、ちょぴり感傷的で、あわあわとした静かな佇まいで見てみたいものだ。

 県立劇場では、コブシが整枝したせいか、花つきが遅い。
どこかで、北海道では、コブシを四季桜と言っている聞いたことがある。
たぶん、桜は5月にならないと、咲かないからだろう。
我が地では、はじめて、桜がコブシより、先行して咲くのを見た。

 過ぐる日、会社の友人たちから、蘇芳桜をお祝いにいただいたのを、歩きながら思い出した。
なんだか、ハナズオウに似ているなと思った。
地植えして咲いたら、やはり、やっぱ、ハナズオウだった。
赤紫の花が蝟集して咲く。
少々、ケバイ。プレゼントしてもらったのに、すまない。

 あれから、30年近くたつ。
自宅まで樹木を運んでくれた後輩は、ボクがこの地に移ってから、すぐに結婚し、間もなく亡くなられたと聞く。合掌。
ボクにも、たいしたことなどないけれど、いろんなことがあった。
守谷の庭に植えたハナズオウは、相変わらず、ケバイ花を咲かせているのだろうか。

 帰り道、突然、強風がビューッと唸り、住宅のオカメザクラの若木の枝が、柳のようにしなった。

↓弘田三枝子さんでは気に入らなくて、中二の時に、下井草のレコード屋さんで買った。



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by nonoyamasadao | 2018-03-20 15:56 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

映画と私

  数年前に、45年ぶりくらいの高校の同窓会に行くと、辛うじて面影をとどめた仲間たちの一人から、「勉強ができなかったね」とからかわれた。
今になって、そんなことを言わなくてもいいのになあ。。。と思う。
でも、よっぽど、印象深かったのだろう。まあ、事実だから仕方ない。
本当は、できなかったのではなく、勉強しなかっただけさと、うつむいて、心の中で嘯く。
みながみな、ボクが映画狂(cinemacrazy)だったという。
そうだったかな。

 ボクにとって、映画は、ある意味で、背徳の行為だった。
高校に行くふりをして、サボって、吉祥寺のオデオン座の洋画の三本立てや、小金井名画座で、渥美マリさんのでんきくらげシリーズや、帯盛迪彦監督の高校生番長などの性典ものなどに、見入っていた。

 映画の事始めは、怪獣映画か、東映時代劇だと思う。
その後で、『用心棒』や『椿三十郎』の黒澤時代劇に、魅了された。
左手の逆手斬りに痺れた。
そうだった。
逆手斬りは、勝新太郎さんの座頭市ではなかった。
三船敏郎さんの方が、圧倒的なスピード感とダイナミズムがあった。
 自宅の庭の竹林で、竹林相手に、三船さんを真似て一人チャンバラをよくした。
な~んて、さみしい子供だったのだろう。

 亡父が時代劇好きだったから、『新吾十番勝負』などもよく見た。
今、思い返すと、10番勝負、20番勝負と進む勝ち抜き合戦だから、マンガの横山光輝さんの『伊賀の影丸』などと、同じ趣向だった。
もっとも、そのころは、山田風太郎さんなど知らず、『甲賀忍法帖』のイタダキだなんて、思いもしなかった。

 小説は、源氏鶏太さん、石坂洋次郎さんの文庫本は全部読んで、中学後半では、松本清張さんや黒岩重吾さんばかりを、新刊本や文庫本で読んだ。
たぶん、源氏鶏太さんや石坂文学だと、順列組み合わせのような青春群像の恋愛コメディーが、好きだったのだと思う。
黒岩重吾さんとなると、ニヒルな一匹オオカミのハードボイルドな生き様と、蠱惑的な女性との性愛という風俗小説的な読み方をしていた。

 映画を本格的に好きになったのは、フランス・ヌーベルバーグの『墓に唾をかけろ』からだった。
ボリス・ヴィアンが、別名で書いたハードボイルド小説が原作だったのは、ずっと後で知った。
ブルースがバックに流れる復讐映画だったけれど、青春バイオレンスといってよく、エロスも強烈だった。
今、思うと、『太陽の季節』や『狂った果実』と同じで、乾いた感傷があった。
『太陽の季節』は、この映画のあと数年後に、読んだ。

 『霧の中の男』という、濃霧の中を人影がうごめく、なにやら文学的な映画が好きだった。
これも、実は、石原慎太郎さんの原作だと、ずっと、後になって知った。
この映画で、蔵原惟繕監督の名前を知った。

 今年そうそうに、夏木陽介さんが亡くなられた。
なにをかくそう、夏木陽介さんの大ファンだった。
東宝女優では、星由里子さんのファンで、デビュー作品からみていた。
若大将シリーズの澄子さん役よりも、恩地日出夫監督の『若い狼』の夏木陽介さんと星由里子さんのツーショットがよかった。
夏木陽介さんの帰りを安アパートで、小鳥相手に待っている星由里子さんの姿には、フランス映画の味わいがあった。
この映画のキスシーンは長かったし、谷口千吉監督の『やま猫作戦』では、星さんは幼い中国少女だったが、ここでもキスシーンがあって、子供心に、夏木さんが羨ましかった。

 こう見てくると、ボクは、西部劇やサスペンス映画、チャンバラ、ミュージカルなどから、映画好きになったのではなかったのがよくわかる。
きっと、砂を噛むような青春の空白を、映画や小説のなかの青春で、埋めていたのではないか。

 数多くの映画との出会いでは、出会っても、気にも留めず、見ることもなくすれ違うはずだったのが、時間つぶしで、たまたま観たものが多い。
そのほとんどは、忘れてしまっている。
人は駄作と言っても、自分の中には、妙に色濃く記憶に残る作品がある。
その時の状況や、気分にもよるのだろう。
でも、きっと、そこには、何らかのルールのようなものがあって、偶然ではなく、必然としてめぐり会い、記憶に残ったような気がしないでもない。


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by nonoyamasadao | 2018-02-17 14:24 | 洗練コメディー映画 | Trackback | Comments(0)

土曜日のタクシー

  昨日の土曜日は、午前中は雨降りで、午後は曇りだった。
夕方近くなって、用事で、タクシーに乗る。
ん?めずらしく渋滞する。
この地の渋滞は、東京のように、ばたっと止まって動かないなんてことは、先ず、なかった。
昨日は、橋のあたりで、バタリと止まる。
市電だけが、がたんごとんと動く。
一軒だけになったデパートで、うまいもの市と駅弁フェアと、バレンタインで賑わうので、渋滞になるのだと、運転手さんから聞く。

 フム、どれもこれも、ぜんぜん関係なくて、かすりもしない。
歩いた方が早いかも。。。とか思う。
まあ、そんなに急ぐことなど何もない。
信号が青になる。
けれど、車は進まないし、隣の車線のバスもうごかない。
日が暮れそうになり、市電はさっきより、お客を増やして、ゆるやかに過ぎて行く。

 窓から、外を漠然と見ていると、マスクをした女性が多い。
髪が揺れているから、風が吹いているのだろう。
そっか、ことしは、インフルが流行っているのだなと、あらためて思う。

 あっ、シートベルトをするのを、忘れていた。
渋滞しているから関係ないけれど、しないと癖になるから、シートベルトをつける。
やっぱ、身体を締めるのは、どうしても好きになれない。

 することがないので、黒糖飴を食べる。
手持ちのペットボトルから、ぬるい茶を飲み、そろそろ、入試の季節だなと思う。
それが終わると、冬も終わって、卒業式か。

 今年は、ウメ、モクレン、コブシの花を楽しもう。
ウメは、そろそろかもしれない。
家の近所は、だいぶ、様変わりしてしまった。
夏に楽しんだ、紅と白のサルスベリのトンネルは、なくなって久しい。
白いサルスベリのアパートは、新しいマンション風の建物になった。
紅いサルスベリの住宅は、主がいなくなり、家屋が壊されても、サルスベリだけ残っていた。
今はそれもなくなり、駐車場になった。

 タクシーが動き出す。
セピア色の景色が、すこし、明るんだ。

 ああ、ことしも、春が来るんだな。
雲間から夕焼けが、すこしだけ、西の空に残った。


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by nonoyamasadao | 2018-02-11 14:29 | 雑文 | Trackback | Comments(0)