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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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タグ:ゆっくりとまったりと ( 893 ) タグの人気記事

赤いバス

  今日は、終戦記念日である。
老母によれば、当時、浦和にあった埼玉県庁も、現在と同じように、とても暑かったようだ。

 そういえば、昔、異性と映画を観ることが、できなかった。
一緒に観るのが、とても辛かった。
べつに、Hなことばっか考えていたのではないし、楽しかったのだが、同時にな~となく居心地が悪く、どーにも落ち着かない。
 相手の方は、どってことないのだろうが、こちらはと言えば、映画は上の空だった。
後年、テレビなどで、その頃の映画をたまさか観ると、ふ~ん、こういう内容だったのかと、不思議な気持ちになる。
ようは、極端な自意識過剰なのだった。

 何事にも結論を出すのが、イヤだった。
異性とつきあっているのなら、つきあっているという状況をずっと、引っ張っていたかった。
たいがい、つきあっている異性は、焦れるか呆れるかして、そして誰もいなくなった。
要は、つきあっているという状況を、長く長く、キープしていたかったのだと思う。

 フム、誰がどう考えたって、碌なもんじゃないなあ。
つくづく、そう思う。
人間として、かなり問題がある。

 そういえば、酒も同じだった。
最初はビールから始まって、本命で、正念場は日本酒、その後に場所を変えて、時にウィスキーを飲み、最後に、またビールを飲んだ。
ダラダラと、飲んでいる状況をキープするのが好きだった。

 結局、何事にも終りはあるということを意識しつつ、その事実を先送りしたかったのだろう。
うん、かなり問題だが、正直なところ、わからんでもない。

 お盆になり、今年は、赤と黄のバラの花、キュウリとナスの精霊馬が入った竹籠、ホオズキなど、スーパーで買った。
バラは棘があるから、供花には不向きらしいが、亡父が好きだったから、よいことにしよう。
精霊馬は、少し前まで、老母が本物のキュウリとナスに、爪楊枝を刺してつくっていた。

 お盆になると、毎年、志水辰夫さんの『赤いバス』を思い出す。
夕焼け空の彼方から、高速を走る赤いバスに揺られて、懐かしい思い出が帰ってくる。

 本を書きました。
f0147120_13215875.jpg


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by nonoyamasadao | 2019-08-15 13:20 | 雑文 | Comments(0)

初恋の味

 我が集合住宅のお隣の豪邸の百日紅が、なかなか咲かない。
フム、この暑さのせいだろうか。
それとも、けったいな梅雨のせいか。
そういえば、三浦哲郎先生に『百日紅の咲かない夏 』という小説があったなあ。

 しかし暑い。
この地に来て、初めての夏、焼け焦げるような太陽光線に、やられた。
アスファルトの舗道から、ユラユラと陽炎が立ちのぼるようで、クラクラっとして、意識がとんだような気がしたものだ。
そ~んな時は、ドックマンを飲んで、濃~い目の麦茶で、どうにかひと夏を越えた。

 昔なら、ギンギンに冷えたコーラを飲んでいた。
コーラは、中高年には似合わない。
老人には、やっぱ、昔ながらのカルピスが、よく似合う。
たしか、紺に白の水玉模様のパッケージであった。
な~んたって、甘酸っぱい初恋の味ですものね。
いやあ、懐かしい。

 昨夜、熱中症になりかけて、博多から夜8時過ぎの新幹線で帰り、駅からタクシーでくると、白川の川べりが賑わっていた。
あ、夏祭りかなあ。
昔々、祭りデートは初日が本命ということになっていたとか、どこぞのブログに書いてあったけれど、そんなもん、全く縁がなかった。
古希まじかにして、初めて聞いた。
我が事ながら、自分で自分が不憫になる。

 昔々、夕暮れのオレンジ色の空の下を、神社に向かって自転車で走ると、夏祭りだった。
綿菓子のお店、あんず飴やお面などの露店が、灯りの中に並んでいた。
そんなときに、わりと近所の女の子と、出会った。
勉強のできる、おとなしい女の子で、話などしたことはたぶん、なかった。けれど、声をかけられた。
 
 彼女は、背中にうちわをさして、下駄をはいて、浴衣姿が、ばかに大人っぽく見えた。
こっちは、白いトレーニングパンツだった。
もっとも、大人っぽくといっても、まだ、10才か、11才だ。

 元気してるかな。今も、お祭りとか行っているのかな。
たぶん、あれがボクの初恋だったんだな。


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by nonoyamasadao | 2019-07-29 18:32 | 雑文 | Comments(0)

もっとも遅い梅雨入り

 今住む集合住宅の前を、掘割のような小さな川が流れている。
我が地も、史上、もっとも遅い梅雨入りをしてから、雨がよく降って、水位が増した。
無残に剪定したかに見えた柳も、さみどりの葉を繁らせ、少し、先には、こちらも無残に剪定したはずのタイサンボクにも白い肉厚の花が咲く。
フム、やっぱ、プロだな。

 海沿いや、川沿いに住んでみたかった。
してみると、終の棲家の今のマンションも捨てたものじゃない。

 川の両側 には、ムラサキシキブやススキがたくさんしげる。
葉腋から、ムラサキシキブの薄紫色の小さな花が、チラチラと咲く。
ひっそりしてて、儚げで、好みだ。けれど、つぶさに花を見たことは、あまりない。

 仕事先からの雨の帰り道、通る道が変わったので、知らなかった花木によく出会う。
住宅にすずなりに、紫の花穂をつけた木を見つける。
西洋人参木というらしい。知らなかったが、華美でなく、うつくしい。
もうすこしすると、サルスベリやザクロなどが、楽めるだろう。

 引っ越ししてから、松本清張をまた、読み返している。
今、『火の路』を読んでいる。
これは手ごわい内容だが、奈良の風景が描写され、いつもながら絵が浮かぶ。
たまらなく、奈良や京都に行きたいなと思う。

 夜になって、おでんやワサビ漬や岩ノリで、日本酒を飲む。
いと美味なりけり。
ああ、こんなふうにして、老境というのは深まっていくのか。。。と思う。
若かったら、だったらなにか?とか反発するのだろうが、今はそんな気にならない。

 若いころが絢爛華美だったわけではないが、な~んとなくだが、淡彩な風景へと変わった気がする。
これが枯れていくってことか。なんだか、ヤダ。

 はるか昔の子供の頃、四畳半の濡れ縁に座って、陽だまりの庭を見ながら、日本茶を飲む祖母を見て、年をとるってよいなあと思った。
勉強しないでいいし、働きに出ないでもいい。
たしか季節は春で、梅が咲いていた気がする。

 祖母は何を見ていたのだろう。


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by nonoyamasadao | 2019-06-29 10:57 | 雑文 | Comments(0)

恋するナツツバキ

  我が地は、なかなか梅雨入りしない。
引っ越してから、テレビの連続ドラマDVD-BOX三昧の夜の過ごし方をやめた。
そのぶん、文庫本の小説などを読むことにしている。
たとえば、藤沢周平の『ささやく河』など、読む。
悪くはないのだが、ロスマク調とか、ロスマクの味などと言われると、かなり違うよなと思う。
まあ、一人称の、私立探偵ものであるのは、確かである。
このところ、読書から遠のいているので、ボクの評価はアヤシイものである。

 理想の老後は、読書三昧であったから、定年がいよいよ視野に入って来たので、そろそろ、そちらの感覚を磨かなければと思う。
けれど、努力してまで、慣れる必要などない。

 松本清張の『殺人行 おくのほそ道』と『Dの複合』なども、読む。
こちらは、楽しく読めた。
前者は長くお蔵入りしていたヤツで、清張の長編は全作近く読んでいるのに、未読のままだった。
後半の破たんがひどいのでお蔵入りだったのだろうが、往時の清張の物語展開と、サスペンス醸成方法がまざまざと蘇る。
な~んてことない風景をじーぃっと見つめるシーンなどあると、ああ、これが、のちのち、何らかの形で絡んでくるんだったなぁ。。などと、見えてる伏線が楽しい。
ヒッチ師匠などと、同じ手法だった。

 『Dの複合』は、2度目で、最初のときは、リアルタイムで読んだ。
ああ、丹後半島の木津温泉の夜の死体探しのチラチラと揺れる灯りは、今も、読んだ当時も、変わらないなあ。絵が浮かぶのだ。
やっぱ、清張は好きだなぁと、あらためてそう思う。
そういえば、城崎温泉も、天橋立も、その後で、行ったなあ。
なべてメランコリックに思えた青春だったけれど、フム、今、思うと、ずいぶん、贅沢な時間だったんだなあ。

 すこし梅雨っぽく感じられる空気を浴びた帰り道、中学校の裏庭にタイサンボクの白い肉厚の花を見る。
今頃、咲くんだ。

 白モクレンに輪をかけて厚ぼったい花は壮麗だが、好みではない。
老体には刺激が強すぎるよな。
和菓子のような、ナツツバキの清潔な白い花が、やけにきれいに見える。
恋する和菓子だ。

 沙羅双樹の花の色。
ナツツバキは沙羅とも言うけれど、ホンマ物の沙羅双樹は、どのような花だろう。


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by nonoyamasadao | 2019-06-18 18:08 | 雑文 | Comments(0)

あのときかもしれない

 休肝日が、数えてみると9日めになった。
毎年のことだけれど、今年は天中殺なのに引っ越ししたし、とっ散らかった仕事も整理したり、無理をした。
フム、健診が不安だらけだ。

 日曜日なのに、早朝、パン屋さんへ行く。
昭和な味のクリームパン、メロンパンなど買いこむ。
帰り道、川端で、犬の散歩の人や自転車に乗った少年とすれ違う。
バッサリと剪定したタイサンボクのある道を、プリウスがゆっくりと通り過ぎてゆく。
この感じ、遠い昔の荻窪に、ちょっと似てる。

 『君の膵臓をたべたい』を読む。再読である。
あまり覚えていない。
思春期の主人公たちの会話に、当節の青春の空気が匂い立つ。
ヒロインの相手の、教室の隅っこにいる協調性のない孤独に、昔の自分が被る。
案外、作者は50才に近いくらいではないか。
女性的な文体だけれど、きっと、オヂサンが書いているなと、勝手に決め込む。
ボクは草舟…草舟は知らないなあ。きっと、未開の土地で作るでかいヤツなんだろうな。
笹舟なら、作った。今、思うと、な~んか優雅な遊びだったなあ。言葉も風流だ。

 テレビでは、城達也さんのジェットストリームのCMが、何度となく流れた。
これって、最初の頃、リアルタイムで聴いたかなあ。
思い出そうとしたが、どうも定かでない。イージーリスニングはバカにしてたもんな。

 いにしえの日はなつかしや。思えば、遠くへ来たもんだ。
”遠くへいってはいけないよ”とは、もうさすがに誰からも言われない。
「遠く」へ行くと、戻れないことを、最近になって、知った。そのわりに、あちこちから、同窓会のお誘いが増えた。
ありがたいことだけれど、不義理をしてる。

 でも、誰かの歌のように、さよなら昨日、ありがとうね、さびしいなぁ・・・の心境には、なれない。
ボクは、ずっと昨日のままだった。

 ユーミンの、昨晩、お会いしましょう。。。なら、わかる。
これは、一昨日こいのシッシの意味ではなくて、 わたくしは何時も昨日の中にいるから、また来てねの意味だと思っている。

 長田弘さんの『あのときかもしれない』の大人には、一体、いつになったらなれるのでしょう。


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by nonoyamasadao | 2019-05-12 13:41 | 雑文 | Comments(0)

平成元年のお正月

 平成元年のお正月は、千葉県柏駅から、お仲人さんの挨拶へ向かった。
あかね町というロマンティックな町名の、その高台にあるお宅に伺った。フジパンという目標物が見つからず、迷子になった記憶がある。
10段ほどある階段をのぼって、門扉を開くと、形のよく仕立てたつげの主木があった。

 平成最後の年に、いくつかの事情があって、天中殺にもかかわらず、引っ越しをした。
知らないで引っ越しをしたのだが、やっぱ、お引越しはせねばならなかったと思う。

 そ~んなこともあって、今年は、はやめに、健康診断をしようと思う。
思えば、56才の時に、打撲からくる頭の怪我で、入院するまでは、健康診断は、ずずっと、”必死の逃亡者”で通した。
会社勤務時代、健康診断の最後の時間帯は、トイレに閉じこもって、まさかの、ご指名呼び出しをやり過ごした。

 『続・最後から二番目の恋』の、小泉今日子さんの千明役が、まったく、同じだった。
まあ、煙草は多いころは、200本近くだったし、50代だって、40本は吸っていた。
酒も、ほどほどにとはいかない。
休肝日なしで、日本酒換算で、日日5合は飲んでいた。
まして、夜遅くまで飲むので、睡眠不足だったし、運動どころか、歩くこともしなかった。

 まあ、健康に悪いことしかしてないし、 いいことなんて何にもしていない。
今も似たりよったりだけれど、タバコはやめたのと、休肝日もある。
なによりも、健診の結果が怖いから、健診前の15日は、休肝日にしている。

 平成最後のカウントダウンのころ、『田園発港行き 自転車』の最終章を読んでいた。
まるで、グランドホテル形式のように、たとえば『愛と哀しみのボレロ』とか、『ラブ・アクチュアリー』の終章のように、滑川市に登場人物がみんな集まってくるのが、圧巻だった。
願わくは、エンディングが、牛原陽一監督の最初で最後の大傑作『紅の拳銃』みたいだったらよいなぁ。。という、淡い期待に近いものがあった。
それは、盲目だったのが、手術で目が見えるようになった笹森礼子さんが「この汽車に中田(赤木圭一郎)が乗っているような気がする」と車内を探し回るが、顔を知らない彼女は赤木圭一郎の横を素通りする。
あの人かしら?だったらいなぁ。。。とほのかに思いながら、通り過ぎていく。
赤木圭一郎さんも、彼女に気づいたが敢えて声を掛けない。
宮本輝先生、やってくれました。まさに似た情感があった。
思えば、『青が散る』も、同じような期待に応えてくれたのでした。

 令和元旦の夜、ビールの中缶2本飲んだ後、ああ、サイダーとか、清涼飲用水を買っていないことに気づく。
めんどいなあ。
新元号そうそう、あとで、後悔するのはヤだから、電車通りのセブイレブンまで、出掛けることにする。
墨絵のような闇の中、ランタンのような街燈が石畳の道に、ポッと黄色い灯りを落とす。
川沿いの緑地に植えられた剪定した栁やみずきの白い花も闇に埋もれ消え、いつもは煌々とライトアップされているはずの、公園のテニスコートの灯りも消えていた。
でも、墨絵のような風景の中、緑をすこしづつ濃くした樹木の香りがした。葉揺れが、ところどころでしている。風があるのか。

 う~ん、こういう令和元年の初日も、悪くないかもなぁ。。。と、ふと思う。
見上げると、夜空には、星がひとつ、瞬いていた。

 セブンイレブンの灯りが遠くに見える夜道を歩くと、すべてはボクの不徳の致すところだが、平成元年の元旦の苦い思い出が蘇ってきた。

 今年の検診は、いつもに増して、不安がイッパイだ。
まあ、年だから仕方ないのだが、ボクは、この年になってわかったのだが、かなりうたれ弱い方だ。

 令和の三日め、ボクはいまだ、よるべなく、さしあたり16日後の検診をめざし、今日は、度を超すくらいしこたま飲むぞと固く決意する。


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by nonoyamasadao | 2019-05-03 20:25 | 雑文 | Comments(0)

I LOVE YOU

 お引越しをした。
まあ、疲れたのなんのって、その他にもあれこれあって、どっと疲れた。
もう二度と、引っ越しなどしない。
するとしたら、施設のお世話になるときだ。

 仕事部屋への道が変わったので、いろいろな花や樹木が見れる。
これは、もの凄く楽しみだ。
今なら、満天星やツツジや、コデマリの花や、大きなケヤキと大きなクスやエノキの緑が楽しい。
その分、ハナミズキなど、うっかり花期を逃して、葉と花を楽しんでる。
まあ、あまり好きではないのでいいや。

 集合住宅は9階なので、陽当たりだけはよい。
せっせと洗濯をして、なんでもかでも、お日様にほしている。
よく乾く。

 夜景はホテルのバーのようにきれいなのだが、月が見えない。
アイ・ラブ・ユーの日本語訳について、日本人は、愛しているなどとはいわない。
月が綺麗ですね、とでもしておきなさいと言ったのは、夏目漱石だったと思う。

 昔々、ペギー・マーチのアイ・ウィル・フォロー・ヒムのザ・ピーナッツのヴァージョンが好きだった。
♪I LOVE YOU, I LOVE YOU, I LOVE YOU
♪あなただけが好きよ、好きよ
♪心から 好きよ、好きよ
って、I LOVE YOUを連呼する歌詞だった。

  さすが、漱石先生だなあ。
たしかになあ。
世代間によってギャップもあるのだろうが、たしかに、日本人には、愛してるっていうのは、すこし直截的すぎる気がする。

 『センセイの鞄』に、違う場所にいるセンセイに向かって、川沿いの道を歩きながら、月に向かって話しかけるような気分で、話しかけつづけるという文章があった。
I LOVE YOUの見えている伏字みたいなもんだが、せつないなあ。
う~ん、よいなぁ。
文庫本のあとがきで、亡くなられた木田元先生が、一番、好きなくだりだ。。。って、書いていた。
川上弘美さんは、ゆっくりさよならをとなえるとか、こういう情感が冴えているな。

 引っ越しで消耗したし、DVDはすべて捨ててしまったので、夜になると、『田園発 港行き自転車』を読んでいる。
ひょっとしたら、『青が散る』以来の読書かもしれないが、う~ん、行ったこともないのに、富山の風景の絵が浮かぶ。
まだ、半分弱だが、傑作かもしれない。
それとも、こっちが、かなり弱ってきたのかもしれない。

 酒を飲みながら、読みたいけど、休肝日なんだよなあ。


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by nonoyamasadao | 2019-04-22 15:45 | 川上弘美 | Comments(0)

今年のサクラ

 引っ越してから、夜、文庫本を読んでいる。
はるか下を、灯りをつけた市電が走っている。
9階である。高所恐怖症なのに、我ながら、冒険したものだ。

 山口瞳さんの『けっぱり先生』と東野圭吾さんの『片想い』を読む。
読み較べたわけではないけれど、前者は原稿用紙に書いたもので、後者はワープロだなと、いまさらながらそう思う。

 『けっぱり先生』は、大学の頃、翻訳家になった先輩が、絶賛していて読んでいた。
そのころは、ラストが、いかにも往時のハリウッド映画みたいで、こっ恥ずかしかった。
ただ、けっぱり先生が、”教育の行きつくところは文学”で、”自分にきびしく生きること”だ。。。と語ったところだけは、よく覚えていた。
教育などまったく興味なかったのに、不思議だ。

 引っ越して、仕事部屋まで行くルートが変わったので、今年は産業道路沿いの河津桜をよく目にした。
ピンクで、きれいだなあ。。。と当初、思ったけれど、すぐに飽いた。
やっぱ、ヒカンザクラの濃い紫色っぽい紅のほうが、飽きないし美しい。

 いつもの通り抜けの大学を歩くと、誰もいない。
キャンパスから、若い男女学生のさんざめきや匂いは、消えた。ひっそりしている。

 自販機そばの山桜のピンクの花が、いくつかほころび、やけに白っぽく見える。若葉の淡い緑が、これまた堪らん。
な、なんなんだろう。
門こそ開いているが、春休みのキャンパスに咲く桜は、心細さやときめきを伴ったさみしさを連れてくる。
でも、やっぱ、山桜は最高である。

 あたらしい帰り道では、コブシの街路樹が満開だ。
白い雲がかかったみたいだ。
ああ、もともとは、白モクレンよりコブシが大好きだった。
そのころに、連れ戻された。

 中学校のフェンスの向こうでは、ソメイヨシノがちらちらと咲き出す。
傘型の大きな木が列植されてる。
そっか、ソメイヨシノの横開する枝も、なかなかよいなあ。
生れてはじめてソメイヨシノに感動して、じぃーっと見上げる。

 なんだか楽しくなって、両手を挙げて深呼吸をしたくなった。
もちろん、そんなことは、しない。


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by nonoyamasadao | 2019-03-27 16:20 | 雑文 | Comments(0)

ジョージー・ガール

 穴沢ジョージさんが、シーカーズのジュディのことを書いていて、50年近く昔のことを思い出した。

 大学2年になって、ミステリ同好会に入部した。
さっそく、映画通の同好会の2大巨頭の諍いに巻き込まれた。

 高校のとき、『ジョージー・ガール』を観た。
ヒロインは、リン・レッドグレーヴで、バネッサの妹さんだ。
ヒロインは彼氏いない歴がずっと続いて、他方、ルームメイトはモテモテ、ボーイフレンドをとっかえひっかえの我儘娘。
ところが、ある日、ルームメイトがご懐妊、さぁ、どうしよう、大騒ぎさ。。。というコメディーだった。
ルームメイトが若き日のシャーロット・ランプリングで、やっぱ、クール・ビューティでした。
けれど、後年の『評決』のアンニュイな感じや、『愛の嵐』のような変態的なエロスは、想像だにしなかった。
モノクロ映像で、ロンドンの街角が楽しかった。

 同じ、シルヴィオ・ナリツァーノ監督の『血と怒りの河』は、人種テーマを持ち込んだアクション西部劇だった。
開巻の群青色の空に真紅のスカーフが舞うシークエンスから、見入ってしまった。
川を挟んだ壮烈な銃撃戦、苦いラストと大ロングショットは今も、憶えている。

 ミステリ同好会の牢名主的存在の4年生と3年生の映画通は、ともに『血と怒りの河』の大絶賛は変わらずだが、『ジョージー・ガール』となると、その評価は真逆だった。

 3年の映画通から、シャーロット・ランプリングがピアノに寄りかかっているショットがよかったよねとか、ロンドンの公園や教会の映像美がよかったねと同意が求められた。
ボクはセリフがビビッドでよかったし、珠玉の映像でしたと、あいづちをうった。

 4年の牢名主の先輩は、「S(3年の映画通)は、『ジョージー・ガール』なんかを褒めるから、イモなんですよ。あんなのを褒めたら、ダメです。あなたも絶賛してると聞いたけど、本当はどうなのかしら?」と、真意を質された。
ボクは、たしかに『血と怒りの河』の原色主体の圧倒的な映像美には、ずいぶん劣るけれど、『ジョージー・ガール』は大好きです。
要は、”イモだけど、傑作です”と答えた。

 牢名主さんは一瞬、フ・ク・ザ・ツな表情を浮かべたが、破顔して、「イモだけど、傑作ねえ・・・・合わせ技ですな」と笑って言った。
ボクは、まあ、言葉の綾ですと、やり過ごした。

 以来、”イモだけど、傑作”というフレーズが独り歩きして伝わり、ボクの阿諛迎合が咎められた。
まあ、それは仕方ない。

 50年経った今、「イモだけど傑作」というのは、苦し紛れではあったけれど、あれはあれで、ある意味で適切であったな。。。と思う。

 今も、あの頃のことを思い出すと、モノクロで、すこしせわしないけれど、空気がさっぱりとしていた贅沢な時間が蘇ってくる。
それにしても、ずいぶん、時間が流れてしまったなあ。


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by nonoyamasadao | 2019-02-27 11:50 | 雑文 | Comments(2)

いいことあるっかな

 引っ越しした。
前の集合住宅から、近くの集合住宅へである。

 いつものスーパーの帰り道、細い小道から、中学生の女学生たちがぞろぞろと出てくる。
笑い声がにぎやかだ。
なんか、いいなあ。
抜け道のようである。

 そっか、この道はずっと、気になっていた。
一目惚れのような道だ。

 昭和30年代の荻窪。
小学校が終わると、抜け道を通って、いつも帰った。
塀と塀のわずかな隙間のようなところなど、好んで通った。
狭い路地を通ると、住宅の犬がわんと吠えた。

 女学生たちが出てきた道を、新しい集合住宅に向かって歩くと、道はだんだんと狭くなる。
9歳になるかならないころ、なにも考えないけど、エネルギーだけがあったころだった。
その頃の気持ちを思い出した。
心細くて、それでも、楽しいような不思議なキブンだった。

 ああ、あのころは何も考えなかったけれど、人づきあいは、今よりもましだったかもしれないなあ。

 その道は今の集合住宅の傍に抜けるかっこうの抜け道だった。
信号を渡ると、疎水の流れる今の集合住宅の前だった。
しだれ栁は落葉している。
しだれ柳は落葉するのか。知らなかった。

 ほんの一瞬、内堀通りの新緑の柳並木を思い出した。

 今年は、ベランダの枝垂れ梅が、3輪咲いた。
去年は、一輪も咲かなかった。
2年めのポインセチアも赤くないけど、葉はいっぱい繁っている。

 なんかいいことあるっかな。


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by nonoyamasadao | 2019-02-26 12:43 | 雑文 | Comments(0)