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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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 いままででの人生で、一番通った店は居酒屋だと思う。たぶん、これは間違えないと思う。それが今や、1ヶ月に10日の飲酒。辛いよ~。休肝日の過ごし方ってむつかしい。 それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。 う~む、ボクの方は、こりゃ実感だなぁ。
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社寺散策

 生涯現役で生きてゆきたいと思うが、さすがにそう都合よくは運ばない。
週2回のアルバイトがあるだけ、ありがたいことだと考えている。

 昔々、ヒマができたら、古都巡礼などいいもんだと思っていた。
いろいろと行きたいところはあるが、お1人様となると、躊躇いもある。
 若い頃、大好きで、よく読んだ立原正秋さんには、社寺を背景にした恋愛小説が多かった。
奈良を舞台にした『春の鐘』は、『残りの雪』などの珠玉の名品と較べると、通俗に流れた部分が気になり、とても佳作とは言い難い。映画も同じくだが、これまた大好きな蔵原惟繕監督の映像美学が、ひと時だけだが堪能できた。
だが、小説の秋篠寺の伎藝天の描写は、素晴らしい。若かったボクには理想の年上女性のように思え、秋篠の里に恋するように想いを馳せたものだ。
けれど、いまだ1度も行っていない。

 やはり、京都、奈良は遠く、とても広い。
その意味では、鎌倉は狭い街だ。そのわりに、興味深い社寺が多い。
一度は行こうと思い乍ら、東慶寺は近かったのに、想いは果たせぬままだ。
いまの地からは遠くなってしまった。
東慶寺は北鎌倉からすぐで、その昔、駆け込み寺、縁切寺と呼ばれた。つれあいがいないので、行っても差し障りはない。
テレビ映像で見た記憶によると、まっすぐな石畳が長く伸びて、花菖蒲やアジサイが繚乱と咲いていた。
山門へのきざはしのところには、リンドウのような境栽が植えられていたが、季節ではなかったので、何の花か定かでない。

 瑞泉寺には、あまりよい記憶はないが、バスで行った。寺自体は、大好きだ。
山門まで、疎水が流れ、梅の老樹が満開だった。

 どうして、一人の古都巡礼が躊躇われるのかと言えば、たとえば、東大寺の大仏殿のような荘厳な大伽藍が苦手だ。
と言うより、物凄い圧倒感に押しつぶされそうで、怖い。
一人で行くなら、壮大な伽藍とは縁のない、ひっそりとした寺がよい。

 アジサイの頃、アスファルトのすぐ下に、土の湿りが感じられるような道を歩きたい。
緑の苔むした石畳やシダや竹林があると、尚よい。

 日暮れて道遠しの人生だが、せめて5月の陽光を浴びて、社寺散策を楽しもう。


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# by nonoyamasadao | 2023-05-11 15:29 | 雑文 | Comments(3)

図書館

 ボクなりに考えた結論は、大学のエッセンスは図書館とゼミだと思う。
ボクの大学時代を知る友人なら、図書館で本を読むことなど、1度もなかったくせにというだろう。
そうなのだ。当時、大学の図書館に行った記憶がない。第一、ほおづえをついて、俯き加減に読書にいそしむタイプとは、程遠い。

 ただ、付属高校だったので、大学の図書館を利用する特権があった。
高校の時、大学の図書館に行き、高校とは違うややっこしい手続きをして、机の本に目を落とす。
すぐに飽きてしまい、勉強している周囲の人たちを見渡すと、すぐ隣に化粧っ気のないメガネの女性が必死の面持ちで、雑誌を読み耽っていた。
吉永小百合さんだった。

 小学生のころは、1冊も本を読まなかった。他に楽しいことがいっぱいあった。本屋さんが配達してくれる『少年サンデー』と『少年マガジン』だけ、楽しみにしていた。

 中学のころは、何度も書いたことだが、源氏鶏太、石坂洋次郎、丹羽文雄などを読んだ。
たぶん、新聞小説の影響だと思う。
みな文庫本で、面白いと、学校の授業中も読んだ。
 高校受験が近い頃は、石原慎太郎の短編集の『灰色の教室』や『亀裂』、大江健三郎の短編集の『セブンティーン』や『われらの時代』など、読んだ。
通学の電車や、受験勉強の合間に読むはずが、読書の合間に受験勉強をした気がする。

 高校の頃は、放課後の図書室で、江戸川乱歩の『孤島の鬼』や石川達三の『蒼氓』などを読んだ。

 冒頭の大学のエッセンスは、ゼミと図書館というのは、図書館の少し大きめの「学習室」で、ずっとゼミをしていたからだ。
教学の事務局がセミ教室を割り当ててくださるのだが、長机の長方形の口の字形式の並びで、小さな声で話す女子の声が聞き取れなかったからだ。
ひょっとしたら、老人性難聴なのかもしれない。

 どこの図書館に行っても、ひんやりしていて、少し本のカビ臭い匂いがする。
ボクの時代では、ノートとインクの匂いは、嗅いだことがない。

 秋の午後、授業ではなく、図書館へ行った。
他の大学から寄贈された紀要を、誰もいない閲覧室で読んだ。
ちょっとだけ鬱屈した気分だったが、ひんやりと流れる空気感が、鬱屈を薄めてくれるようだ。
そういえば、高校の時、サマセット・モームだったか、オスカー・ワイルドだったかを読んでいるときだった。
窓を通して、柔らかい秋の陽が光のチリを散らし射し込んできて、本のページをオレンジ色に染めたのを、今、思い出した。

 棚が幾重にも並んだ図書館のひっそりとした独特な空気は、どこから来るのだろう。


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# by nonoyamasadao | 2023-04-19 15:47 | 雑文 | Comments(2)

素敵な新学期

 すこし前に、20才前の女子と話していたら、ミステリ好きだという。
「何が好きなの」と聞くと、すこし考えて、『人間椅子』だと、屈託なく言う。
ん、何だって....
「江戸川乱歩の『人間椅子』か」と尋ねると、そうだという。しかも、高校生の妹にも読ませたと笑う。
そ、そーなんだ。オジサン、いや、オジイサンは、甚だ動揺したのであった。
『人間椅子』は、ブサイクな職人が椅子の中に住み、座る女性の感触を悦ぶという、紛う方ない変態文学だ。
ラスト1行がヘンに洒落ていて、すこし気分が軽くなったのを憶えている。
女子はどういう感覚で、この作品が好きなのだろう。さすがに追及する勇気がない。

 川上弘美さんのエッセイに、鷲にさらわれ、高い塔に幽閉されたお姫様が生肉を食し、だんだんとその生肉の血の匂いにうっとりする絵本の話があった。
読んでいて、川上さんは、あの隠微な匂いは、きっと子供の性欲みたいなものをかきたてたんだと思うと書いていた。
ボクはその絵本を読んでいないが、たぶん、男なら、淫靡な感じにはならないなと思った。

 ボクは知能は遅れたまんまだが、かぐや姫の話はエッチな気分になった。
なぜだがわからないが、そんな色彩や匂いを感じた気がする。

 毎年、桜の季節になると、すこしユーウツになり、遠いこだまを聞くように、華やいだ色っぽい気分を思い出す。
もうすぐ、きょうからはじまる楽しい新学期だ。


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# by nonoyamasadao | 2023-03-31 14:58 | 雑文 | Comments(0)

春の足音

 いつから春になるのか、まじめに考えたことなどなかったけど、そんな思いとは無関係に春になった。
季節の移り変わりなど、若い時も中年になってからも、およそ関心事ではなかった。
なんとなく衣替えになって、いつの間にかコートを着てたという感じだ。
だから、季節の勾配や裂け目など、無自覚だった。

 ただ、春というのは、昔から、なんとなく実感できた。
ボクの友人は、近くの家の蝋梅が花開き、いい香りがすると、春が立つと、何十年も前から感じてきたという。

 春になると、子供の頃だと進級があったし、会社では人事異動があった。
花見に行くほど風流ではなかったし、浮かれもしないが、ヒタヒタヒタという春の足音は感じた。
 今の地では、近くの中学の蘇芳色のヒカンサクラが咲き、すこし遅れてコブシの街路樹の白い花が咲くと、春の足音は消えた。
子供の頃は、中庭の梅の老樹が咲くと春を感じた。梅の老樹が朽ちて庭からなくなると、実感がなくなった。

 年のせいもあって、冬から春への移り変わりに、少しだけ敏感になったような気がする。
ひょっとして、心のどこかで、今年も生き延びたという実感があるのかもしれないけど、深くは考えたくない。

 スーパーの帰り道、1人でボーッと歩いていると、小学生の女の子が、「こんにちは」とニコニコ笑って挨拶をする。
とってもかわいいのに、しつけもよろしいので、尚更、かわいい。「こんにちは」と返事をした。
しかし、知らない人とは話してはいけないとは、今は言われないのかと、すこし不思議でもある。
このへんの事情は子も孫もいないので疎いのだが、昔には、知らない人とは話してはダメという時代があり、今の時代は、もっと物騒にも思う。

 先日、母の一回忌の法要で、守谷の墓参りをした。
そういえば、20年近く、多磨霊園の裏門のすぐ近くに住んでいた。
大きな墓地には、広い砂利道があり、桜並木がかなり長く続いた。
徹夜の受験勉強をした中学生のころに、早朝、眠気覚ましに歩いた。

 テレ朝の久米宏さんの『ニュースステーション』のアークヒルズの夜桜中継を見てた時に思い出したのだが、30才になるかならないころに、今年は桜を見ていないと思って、多磨霊園に出掛けたことがあった。
暗闇でも、灯りに照らされた墓地の夜桜は真っ白で、ときおり、チラチラと小雨のように降ってきた。

 どうして怖くなかったのか不思議な気もするけど、そのころは、たぶん、いつかは墓地に入ることなど、思いもよらなかったからだろう。


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# by nonoyamasadao | 2023-03-14 12:54 | 雑文 | Comments(0)

八波むと志さんの想い出

 中学校1年生のボクのお楽しみは、『チロリン村とくるみの木』だった。
荻窪の社宅だった家から、中学校が見えるくらい近いところに住んでいた。
『チロリン村とくるみの木』は、野菜や果物、小動物を擬人化した人形劇だが、楽しんで見ていた。
18時に終わると、お風呂に入って余韻を楽しみ、お風呂から出ると、すぐに夕ご飯だったような気がする。
『チロリン村とくるみの木』のご贔屓は、八波むと志さんの「スカンクのガスパ」、一龍齋貞鳳さんの「イタチのプー助」とはせさん治さんの「はらぺこ熊」だった。
そんなある日、八波むと志さんが交通事故死した。
彼の大ファンだった中学生のボクには、ケネディー大統領の暗殺と同じくらいの大ショックだった。

 そのころの八波むと志さんは、東京宝塚劇場の『マイ・フェア・レディ』に出演していた。
江利チエミさんがイライザ、ヒギンズ教授は高島忠夫さんだった。
小林信彦さんだったと思うが、ハードボイルドがカリフォルニアの太陽と切り離せないように、ミュージカルもアメリカの風土に馴染んだもので、日本のミュージカルなどありえない。
日本のミュージカルはグロテスクだと言い切った。そりゃそうかもしれないが、そこまでいわなくてもよいのになあと、少し思った。
そんななかで、イライザの父役の八波さんの「運がよけりゃ」は好評で、亡くなった後で、その録画が何度も流れた。
わざと音程を外したような、野太いしゃべり声で歌い、群舞の中、軽やかに踊った。なんとも味わい深い。

 八波むと志さんの白眉は、脱線トリオというより、三木のり平さんとのコンビだ。
東京宝塚劇場の『雲の上団五郎一座』の劇中劇の源治店(玄治店?)で、切られ与三郎の三木のり平さんがごろつき仲間の蝙蝠安の八波さんに連れられ、金をせびりに、妾の家を訪ねる。
妾は、与三郎が別れたお富さんだったくだりである。
 先ずは、本番前の予行演習をする。
切られ与三郎が、おそるおそる歩き出す。
強面の蝙蝠安が、歩き方から怖そうに見せなきゃだめだと突っ込みを入れる。
なんとも頼りなさげな与三郎が、「こうですか」と右手、右足で歩く。
手足は互い違いじゃないとダメと、八波さんが再度、突っ込む。
さて、場面転換して、「源治店」。お富さんは、由利徹さんである。
与三郎が、「ご新造さんへ、おかみさんへ、イヤサお富!久しぶりだなあ...」と啖呵を切るが、ぜんぜん啖呵になっていない。
凄んであぐらをかいても、体が傾いて、調子が狂う。
最後は、「ご新造(心臓)さんへ、ご肝臓さんへ....」とかになったような記憶がある。
ここらあたりが、のり平さんと八波さんの阿吽の呼吸で、まさに抱腹絶倒で、あんなに声に出して笑った記憶は、後にも先にもない。

 他にも、社長シリーズで、森繫さんがむらむらして美人のマッサージ師を所望したら、元プロレスラーだったというふれこみの盲目の八波さんのあんまが登場する。
レスリングの荒業で身を揉み、くんずほぐれずの結果、森繁さんが痛みで悶絶しそうになるシークエンスも大爆笑だった。

 『マイ・フェア・レディ』つながりで、江利チエミさんについても、思い出がある。
それにしても、三人娘は新旧ともに、プライベートは全員、おひとり様になった。
江利さんといえば、進駐軍まわりだから、「テネシーワルツ」が圧巻だった。やや意外だが「さのさ」もお色気があって、とても心地よい。
映画やテレビでは、サザエさんや「咲子さんちょっと」のようなコメディエンヌの役柄も楽しめた。
晩年近くの「酒場にて」は、鈴木邦彦さんらしいダイナミックな展開で、さみしい歌だけれど、よい曲だなって思った。

 江利チエミさんは中村八大さんに無理やり、第1回ブラジル音楽祭に引っ張り出されたことがあるという。江利さんは飛行機が大嫌いだそうだ。
「私のだけのあなた」という曲だ。
江利さんの音域を超えた低いパートもあって、八大さんの作家性を感じる。
今思うと、後の合歓ポピュラーフェスティバル'70のグランプリ曲、雪村いづみさん「涙」の原型ともいえる曲調だ。
音楽祭は審査委員長がヘンリー・マンシーニで、江利さんは最優秀歌唱賞、八大さんは最優秀編曲賞を受賞したという。

 「酒場にて」もしんみりした歌詞だが、映画の「銀座の恋の物語」のラストシーンの雑踏のパトカーから、石原裕次郎とヒロインの浅丘ルリ子さんを見るさみしそうな憂い顔が忘れられない。
その後の、彼女の人生を暗示しているような気がしてならない。


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# by nonoyamasadao | 2023-02-09 13:21 | 雑文 | Comments(2)