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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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人生は六十一から

 このところ、風邪気味で、風邪薬ばかりを飲んでいる。
インフルになるかなあ、なると嫌だなあと思っていると、案の定、ほらね~、やっぱりなった。。。っていうことがよくある。
だから、インフルに罹ったと思えば軽いかもと思ってたら、あれま、かえって悪化した。
体力が劣化したのだ。あと2年で古希だ。当たり前だ。

 『人生は四十二から』というアメリカ映画があった。
英国の貴族がポーカーで負け、召使チャールズ・ロートンを譲ることになる。
チャールズ・ロートンはアメリカの西部の片田舎に連れて行かれ、リンカーンの有名なゲティスバーグの演説に感化される。
人はみな、自由と平等であり、世のため人のために献身しましょうというようなことか。
人民の人民による人民のための政治というところだけ、知っていた。
ロートンは、独立して店を開く。。。というような話だった。

 たぶん、その影響からだろう。小林信彦さんに、『人生は五十一から』という連載エッセイがある。
人は、五十を過ぎると、体力的には劣化するけれど、その分、わかってくることもある。
世の中のことも、少しは見えてくる。
そんな紹介文を読んだ記憶がある。

 ボクは、勝手に『人生は六十一から』に読み替えて、四十半ばでやめてたことを再開した。
うまく行ったかどうかは全く自信はないが、2年後の定年前には、どうにか終えたい。
はてさて、どうなりますか。
万事がおくてで、大江健三郎に『遅れてきた青年』という小説があったけれど、こちらは、遅れてきたおじいさんになってしまった。

 三十になるかならないかのころ、年賀のご挨拶で、会社の役員の自宅へうかがった。
役員の方は、たぶん、六十三才ぐらいのころだと思う。
曰く、二十代は女性、三十代は自分の仕事、四十代は会社の仕事、五十代は財界人活動だと、ご自分の人生を述懐された。
ふ~ん、そういうものか。ボクはたぶん、そうはならないだろうなと思った。

 ボクの人生も四十二才で転職し、六十一才から、途中でやめていた仕事を再開した。
残された時間は、楽しく過ごしたいけれど、いかんせん、趣味などない。

 まあ、人気のないファーストフード店よりも、行列ができる定食屋の方が、今は魅力的である。
三十代は、それが待てなかった。
 がしかし、目の前にビールの中缶があれば、1年後の生ビールの大100杯よりもうれしい。
経済学では時間選好というらしいけれど、1年後の一升の日本酒よりか、今日の1合なんだよなあ。
わかっちゃいるけどやめられねえ。。。とは、至言である。

 そういえば、『ニューシネマパラダイス』の中で、アルフレードがトトに聞かせた物語を思い出した。
美しい王女様が、100日間、昼も夜もバルコニーの下で待ってくれたら、護衛の兵士のものになると言ってくれるけれど、兵士は99日目の夜、なぜか去って行ってしまう話だ。
なぜか。こたえはない。

 ボクは99日も待ち続ける自信はないけれど、かりに99日目になったら、やっぱ、帰るタイプだなと思う。
ただ自己破壊的衝動ではなく、敗者の論理が近いかなと思ったけれど、それも違う気がする。
最後のたった1日が待てない。それって、ボクに本質的に欠けている何かだと思う。
それは、致命的な欠落部分だ。
 
 でもね、贅沢な物語ですよね。
まっ、いっか。


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by nonoyamasadao | 2018-11-17 11:48 | 雑文 | Comments(0)

長部日出雄さんを偲ぶ

 長部日出雄さんが亡くなった。やはり、悲しい。
こう書くと、ずっと愛読者だったようだが、十代から二十歳ちょっと過ぎまでと、還暦を過ぎたあたりから、ときどき気になった。
十代の頃は、『映画評論』の日本のヌーベルバーグ作家の映画評が鮮烈だった。
鋭角的な書き方で、かなり辛辣だった。
なにより、大好きな山田信夫や蔵原惟繕などを採りあげているのが、うれしかった。
当時は、松竹系ヌーベルバーグや増村保造は採りあげても、また、鈴木清順や中平康は論じても、山田信夫や蔵原惟繕までは、なかなか論じる人は少なかった。

 大島渚監督が松竹ヌーベルバークという表現をしたのは、『週刊読売』の編集者だと言っていたが、それは記者時代の長部さんのことだ。
そうだった。その頃のボクは、シナリオライターになりたかった。雑誌『シナリオ』など買いこんで、一番、憧れていたのが、山田信夫さんだった。
田村孟でもなく、橋本忍でもなく、山田信夫さんが一番、モダンで、センスがよいと思い込んでいた。

 長部さんは、たぶん、本邦では浦山桐郎、海外ではフェリーニが一番、好きだったのではないか。
当時の長部さんは、切れ味鋭く、往時の双葉十三郎先生の『日本映画月評』を想起させた。
後日、双葉十三郎先生の『映画の学校』の対談で、小林信彦さんが長部さんも双葉ファンだったと、双葉先生に言っているのを読んで、やっぱりなと得心したのを記憶している。
後年、瀬戸川猛資さん編集の『ボクの採点表』の序文を書いていて、うれしくなった。

 双葉先生も感覚的な切れの衰えが早かったけれど、長部さんも後の『紙ヒコーキ通信』や直木賞の『津軽じょんから節』などは、感覚の冴えの衰えを感じて、さびしく思った。シャープで、明晰な人だけにみられる現象だ。
ただ、「エレファントマン」の映画評などは、さすがに辛いことが書いてあって、長部さんなら、こうでなくっちゃね。。。と、思ったことがある。

「赤ひげ」の批評は、ボクが中学の頃だと思うが、黒澤明の作風には、マックス・ウェーバーを引いて、家父長的な支配構造が一貫していると論じたのを読んで、フム、なるほどと思った。
この説は、今では批判もあるけれど、一つの解釈であるのは疑いない。
ボクがアラ還のころ、マックス・ウェーバーの『経済と社会』など調べる機会があって、世良晃志郎訳『支配の社会学』を読んで、伝統的支配、カリスマ的支配、官僚的支配の支配の3類型を知った。家父長制は伝統的支配になる。
ああ、長部さんは、1960年代前半にはこの本を読んでいたか、ひょっとしたら、原書(ドイツ語)で読んでいたのかなと、感心してしまった。
ただ、『二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェ―バー物語』は、観光を楽しむ紀行文のようで、あまり感心しなかった。

 大学3年のころ、朝日ジャーナルに、小林信彦さんが小林旭のことを書いていて、古いヒット曲のLPを入手したので、上京していた長部さんを誘うと、「泣いちゃうからなあ」と言った記事を読んだことがある。
結局、小林さんと一緒に聴いて「恋という字はヤッコラヤノヤ・・・・」という石郷岡豪作詞の「ノーチヨサン節」が入ってないとダメだなというくだりがある。
この作詞は、西沢爽さんになっているが、どうやら、長部さんと同郷の石郷岡さんが書いていたようだ。
長部さんと同郷の青森の人で、ミュージカルや「ジャングル大帝」の作詞もした人だ。
志半ばで、消えて行った脚本家だ。
この挿入歌の映画は、小林旭の『東京の暴れん坊』だった。銀座にはまだ、三愛がなく、一歩、路地に入ると、銀座はまだ、くすんでいたころだ。
小林旭がコックで、フランス語を喋ったりしてた。お隣の銭湯の娘さんが、浅丘ルリ子さんで、美しいというより、かわいい感じだった。
松木ひろし・向田邦子さんの『新だいこんの花』で、大原麗子さんがやったような役だった。

 長部さんと言えば、やっぱ、石井均論だろう。
パセティックで、対象に、思いっきりのめりこんでいくような評論だ。
昔、靖国通りには、松竹文化演芸場があった。
テアトル新宿より新宿駅側だ。
ボクはまだ、子供だったので、この演芸場には行ったことがない。
ただ、石井均一座のテレビ中継が、夜30分くらいあって、まったくのドタバタで、とても面白かった。
もっと大きくなっていれば、スラップスティックとか、云っていたのでしょう。
この石井均さんに、ほれ込んだ長部さんが、石井均さんが、本当の芝居がしたいということから、一座を解散したことを悲しむ評論だった。
ペーソスとか、しめった演技などが本当の芝居だとしたら、そんなものは見たくもないという失望を綴ったものだった。ボクが、寅さんが苦手なのも、乾いてないからだ。
憂愁が漂った名文だった。
ヒッチ・マガジンの見開き程度の枚数だった。 

 長部さんは太宰治のユーモアを感じられるお伽草子とか、本当に好きな対象について語るとき、それはそれは素晴らしい筆致だった。
合掌。


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by nonoyamasadao | 2018-11-10 16:36 | 雑文 | Comments(0)