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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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<   2010年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧

還暦カウントダウン

昨日のワーゲンのバスはクーラーききすぎだった。
さ、さぶいぃ〜。暑い日だったからでしょうね。
でもね、冷蔵庫みたいにガンガン冷やしてる。
やっぱ、ボクには寒い、寒すぎる。ああ、コタツに入りたい。
お年寄りが体壊すよ。あっ、お年寄りってボクだ。

 とか何とかいいながら、バスは和風宿に着く。
篠竹のアプローチを通ると、真夏の太陽が散って、薄緑の斑をつくった。
二階の会議室で仕事だが、誰もいない一階の喫茶室の目前を球磨川の濁流が流れる。
ホットコーヒーでも飲むか。あっ、メニューにビールがある。
いや、待て。さっきまで、鳥肌だと騒いでいたではないか。喫茶は止めにする。

 仕事が終わり、帰りのバスを待っていると、大通りには子供の姿がない。
もう夏休みにはいっているのだろう。
この季節になると、みんみん蝉がうるさかったのだが、この地ではとんと聴かない。

 還暦カウントダウンである。
川上弘美さんのエッセイで、還暦のお祝いで『赤』関係の歌をカラオケで歌い倒したのを読んだ。
だったら、ボクはザ・サークルの『Red Rubber Ball』を歌おう。
赤いゴムマリだが、今時、ゴムマリなど死語だ。歌もあるまい。

 女性参加者(など、いるわけがない)がいたら、『Tonight You Belong to Me』を歌ってもらいたい。
『苺の片想い』ですからね。

 苺の実は赤だ。

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by nonoyamasadao | 2010-07-30 11:14 | 雑文 | Comments(6)

カレーの匂い

 昔のDVDを見ると、電話ボックスがよく出てくる。
金魚鉢のような電話ボックスは大嫌いだったが、ワタクシのしがない人生でも、ドラマはなくもない。
テレカの時代より、硬貨を継ぎ足す時代の方がドラマティックだった。
 ケータイは文明の利器だが、私的空間はあるのだろうか。
人目を憚らず、よくもまあ、いけしゃあしゃあと・・・なのだが、自由闊達ではある。
そのぶん、しっとりしたドラマは消えた。深夜の灯りだけがともった電話ボックスには、哀感があった。

 ミルクチョコクッキーで、砂糖抜きコーヒーを飲みつつ、昨夜の映画を思い出す。
戦争映画は、ストレス解消に抜群の効果である。ドカン、ドカンと景気よく爆発すると、スカッとする。
男はみな『特攻大作戦』が大好きで、『危険な情事』でみな、ズドーンと落ち込むという映画のセリフがあった。
なるほどね。
救いようのないアウトローでも、前者では一瞬のヒーローになれる。
後者だと、一度だけ関係した女性に付きまとわれる男性が、マイケル・ダグラスだから他人事で見れる。
主人公が温水 洋一だったら身につまされて、夜、うなされるに違いない。

 雨が落ちだしたが、すぐにやんだ。
それでも、澄んだ空気の中で、いくつかの激安のビニール傘が揺れる。
日暮れなのに、昼のように明るい中を歩いて帰る。
途中で、住宅から料理の匂いが漂う。
ニンジンやタマネギや馬鈴薯などが煮えた匂いだ。
カレーか。
しんみりした気分になる。
感傷的なのに、なぜか幸福な空気を運ぶ。

 カレーの空気を胸いっぱいに吸い込んで、ああ、明日はバスで小京都へと遠出だったなと思う。

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by nonoyamasadao | 2010-07-28 20:54 | 60年代ポップス | Comments(0)

遅咲きの百日紅

近くの住宅の百日紅の花が咲く。まだかまだかと待ちかねていた。
今年は遅咲きである。
ブロック塀から道の上に薄紅い花をつけた枝を伸ばしている。
今年は、この紅い花の下をくぐって、ダラダラ坂を上ったり降りたりしてみようか。

 海に行きたい。
できうるなら野蒜海岸の海をまた、見たい。仙石線はゆっくりと走った。
30数年前の野蒜駅は、明るいが小さな駅だった。
改札口を出ると、プーンと夏の潮風が吹いてくる。
ペパーミントのように、顔にしみた。
藍色の海は静かだが、暴走族のバイクが走り、遠浅の海岸には海水浴客がいた。
沖には奥松島が見渡せ、海を見ながら、晩飯はキスかな、イシモチか、カレイかなとか思った。
イシモチなら塩焼きがよいなあ、白身でさっぱりしているとか考えた。

 夜の浜に行くと、昼は平坦に見えたが、波打ち際はなだらかに傾斜していた。
夜の海は初めてで、波の音がザブッ,ザブッと音高く聞こえた。
淡い灯の闇に、暗い海がにぶく光って見えた。
しばらく見ていると、なんだか怖くなった。

 明けて翌日、とんでもないものを見てしまうのだが、海水浴はせずとも、海岸を歩くことは楽しい。
もしもう一度引っ越すことがあるなら、海のそばに住んでみたい。

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by nonoyamasadao | 2010-07-26 15:58 | 雑文 | Comments(0)

猛暑日の一服の清涼剤

  久しぶりに早朝の仕事があって、朝の5時に起きる。
カーテンを開いて、窓を開けると、もう十分に明るい。
早くもモヤッとしたというべきか、ムッとした空気が流れ込む。
ヤダなぁ。今日も猛暑日か。

 しっかり朝めしを食べる。どんなに暑くても、食欲だけは旺盛だ。
このところ暑すぎるので、往路だけだがタクシーを予約する。
でないと、仕事部屋に行き背広を脱ぐと、ワイシャツは汗でびっしょり。
仕事をなにもしないうちから、フゥゥ~とヘタレる。

 階段をトントンと降りて、外からタクシーの待つエントランスに行く。
ああ、早くも一面の蝉時雨だ。
タクシーはもう、待っていた。近距離なのに、いやはや、面目次第もござらぬ。
おや、リクライニングのベビーカーがあって、半袖ジャケットにひざ丈スカートのお母さんがいる。
通勤前かしら。
見知らぬお母さんだ。それにしても、お美しい。

 お早うございますと、お顔も見ずに会釈する。
すると、行ってらっしゃ~いと明るく仰る。
思わずつられて、・・・ってきますと言いそうになった。
いや~、気持ちよいなぁ。
テンションが、パパ、行ってらっしゃ~い♥のノリだもんなあ。
お仕事ガンバってねえ。。。などと言われたら、死ぬ気で頑張るかもしれないなぁ。

 まぁ、ゴキゲンな気分でタクシーに乗ると、ボクよりも年長の運転手さんが、若いですね、おきれいですね。。。などと言う。
いや、と軽く受け流す。
確かに、若かったぞ。うん、すっごい美人やった。
けど、運転手さんはボクの娘だと思ったのだろうか。
まさか、孫娘と思ったのではあるまいな。
 まっ、いっか。
猛暑日の一服の清涼剤だな。
甘さ控えめのレモンシャーベットのようなものだ。

 あれはなんだか、妙に後をひく余韻があったな。

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by nonoyamasadao | 2010-07-25 11:32 | 雑文 | Comments(0)

北国の青い空(2)

 連日の猛暑日でつけっぱなしのせいか、クーラーの調子がおかしい。
風速を上げると、飛行機が離陸するときと同じ音がする。
まあ、おかしくもなるか。

 老母がハッピーキャンドルなる鉢花を買って、リビングのテーブルの上に置く。
ふむ、キャンドルというより、ヤングコーンのような花だ。
ケイトウだそうだが、キュートな感じのプティット・フルールだ。
8月2日の誕生日になると、ハッピーバースデイキャンドルになる。

 最近、ひまわりやダリアをとんと見ない。ケイトウもあまり見ない。
どちらかというと、酷暑にうだる中では、あまり見たくない花だ。
暑苦しいんだよ~、オマエは。。。と言う感じだ。

 こうも暑いと、阿蘇でもよさそうなものだが、なぜか北海道に行きたくなる。
旭川の最高気温をネット検索すると、昨日25℃、一昨日が28.2℃、その前が26.8℃だった。

 ♪風にまかれた私の髪に  野バラの甘い香りがせつない
と聴くと、あ~~なんか北海道行きたくなちゃった。。に始まって、どうしようもなく、夏の北海道に行きたくなる。絵が浮かんでくる。
昔はベンチャーズだけはやらないと、バカにしていたのになあ。
やっぱ、年令によって感じ方は変わるのですね。

 北国の青い空は泣いているのだろうか。

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by nonoyamasadao | 2010-07-23 09:44 | 雑文 | Comments(3)

お引越し

  中学2年の今頃、3年生になると、武蔵小金井に引っ越すことになった。
武蔵小金井と言えば、憧れていた女の子が住む街だった。
あ、ラッキー。
『君住む街角』(On The Street Where You Live)ですね。
もっとも、一言も話したことなどなかった。

 彼女は、1年のころ、芥川龍之介の『杜子春』の舞台に立った。
杉並公会堂で上演したけれど、ボクは見なかった。
ただ、夕暮れの体育館で舞台稽古に参加する彼女を、何度も目にした。
いかにも、中国少女が似合いそうなキリリとした顔立ちだった。
ボーイッシュな子だった。
彼女は足が長かったので、悪童仲間は5/6と呼んだ。
 後年になって、『野性の証明』の薬師丸ひろ子さんを見たときに、ああ、そっくりだと思った。
すこし翳りがあった。
 違うクラスだし、1学年が約550名もいる時代だったから、違うクラス同士が、あーだこーだ話すようなことなど皆無だ。
でも、廊下で、偶然、すれ違うだけだが、だんだんと好きになっていった。
もちろん、話し掛ける勇気などない。なによりも、彼女にとって、ボクは見知らぬ他人でしかない。

 彼女は、武蔵小金井の北口に住んでいた。
ボクは南口だが、バスはみな北口からだった。
彼女は中央大学付属高校経由の循環バスで、ボクは多摩霊園行きのバスで、かなり離れた乗り場だった。
貫井北町1丁目のバス停まで一緒で、彼女のバスは右に曲がり、ボクのは左折してガードをくぐった。
ボクにとっては、泣き別れである。
成績は、あちらは才媛で、ボクは中の下くらいだった。

 あるときに、母の買い物にくっついて、北口の京王ストアまで出かけた。
母が循環バスで帰った後、彼女の家はこのへんかもしれない。。。とほっつき歩くと、ブロック塀の屋敷の表札が彼女の名字だった。
ストーカーである。
立派な家だなあ、とたじろいだのを覚えている。
当時はカメラ小僧だったので、バシャバシャと彼女の自宅を撮って、悪童仲間にばら撒いた。

 今の時代なら、メールで人づてに好きな子がいるって書けたのだろうか。 いや、できそうにない。
写真の一件が彼女に知れて、幻滅だと怒っていたと同級生の女子から聞く。幻滅とは、ボクを知っていたと言うことか。
 幻滅と言う言葉は、本来は、多少のよい印象と落胆の落差を意味する。
だが、何分中学生だから、言語は不明瞭なものである。
  
 歳月は流れ、小金井ではアブラゼミの声がうるさい夏の日だった。社会人1年生になっていた。
昼に映画を観て、日比谷の『スカラ座』の外階段をガタンガタンと音立ててダラダラと降りた。
その先の人波の路上で、彼女たちに出逢った。
目を見張っていたので、ああ、ボクのことは憶えててくれてたのだなあ。。。と懐かしく思った。
彼女はカップル、めったにないことだが、こちらもカップルだった。それ以来、逢うことはなかった。

 それにしても、今にして不思議なのは、彼女は『杜子春』で、なんの役だったのだろう。
母親役はとてもミスキャストなのだけれど。
DVD『恋を何年休んでますか』で、↓の曲を聴いて、上を思い出した。

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by nonoyamasadao | 2010-07-21 22:48 | 雑文 | Comments(4)

大嫌いだぁ

 『食は人をつくる』と言う。
本当かしらん。
 長年、朝はあきれるくらいギリギリまで寝てた。
僻地からの遠距離通勤だったから、インスタントコーヒーを一杯飲むか、飲まないかで家を出た。
なにも口にしていない。
毎日が二日酔いだった。

 お昼は、カップメンの天ぷらソバか、コンビニおにぎり2個だったな。
パックの天ぷら、粉末スープの天ぷらソバは、サクサク天ぷらでなく、ドロドロにして食した。
10分以上は熱湯に浸したので、熱湯だけは注ぎ足した。
お汁には、さぞ悪い油がみなぎっていたろうね。よい子はマネをしてはいけません。
 海苔パリパリのコンビニおにぎりだと、ウメとオカカが多かった。
たまにメンタイも食した。

 夜は、鮮度のよい刺身、山芋の千切り、揚げだしドーフ、カレイの塩焼きか唐揚げなどだった。
刺身と、焼きナス、揚げ納豆、ゴリの唐揚げ、なめこおろしとかも定番だった。
ビールと日本酒をたらふく飲んだ。
 その後でカラオケに行くと、再びビール。
つまみはフライドポテトやチーズだった。

 いかにも貧しい食生活であるな。
体にも悪そう・・・。

 ステーキ、洋食、コース料理など高級料理はまったく無縁だった。
アンキモやカラスミすら食べてない。
あっ、パンやご飯も食べてないや。
主食はアルコールだ。
 でも、どこも悪くならなかった。
丈夫な体に産んでくれた両親に、ひたすら感謝である。
だが、今や堅気の食生活だ。
雪だるま式に、こんどの定期健診の不安がつのる。
『こわいものしらず』のいくさ向きの性格なんだよね。守りに入ると、とことん臆病者になる。

 たくさん採るのでしょうね。採血なんて大嫌いだぁ~~。

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by nonoyamasadao | 2010-07-19 15:14 | 雑文 | Comments(4)

アラ還の不良

 『あなたが暮らしたいところは、どちらですか』と問われたとしよう。
日本が大好きという狭隘な世界観の中での話である。
だったら、子供の頃から40才になる頃までなら、迷うことなくこう答えてたと思う。
酒と刺身が美味にして、城下町で、山と川のある町だと。
まあ、おまけとして温泉も好きなんだよね。。。と付け加えたかもしれない。

 という意味では、It’s A Dream Come Trueである。
だが城下町で暮らしながら、城には行ったことがない。
 ディズニーランドがすぐそこの場所に、5年も勤務したのに、一度も行かなかったのだから不思議でもないか。
いつでも行けると思って、あなどったのかもね。
釣ったつもりの魚にエサやらないよね~~で、随分、失敗したけれど、性懲りもなく繰り返す。

 今年の夏はじめて、今朝クマゼミの声を聴く。
この地に来るまで、クマゼミは見たことも聴いたこともなかった。
東京では幻のセミだった。
 東京生まれの(生まれは大宮だが)東京育ちであるせいか、空の色とか、雲や山の稜線などはっきりと見てこなかった気がする。
花火をしにサンダルをつっかけておもてに出ることなど、ごくちいさな子供の頃だけである。
 今になって大黒埠頭には遊びに行かなかったとか後悔もするけれど、日傘と浴衣の季節が来た。
夏を彩る若い女性の浴衣はよいなあと思いつつ、都会の時代は不良だったけれど、今はエロ親父だなあ。。。とアラ還にして思う。

 少しガリガリ感が残るスイカとナシを食し、アラ還の不良は可能だろうかと自問自答する。

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by nonoyamasadao | 2010-07-18 11:33 | 雑文 | Comments(2)

食卓の夏

  梅雨前線の停滞もあってか、急な豪雨のせいで、膝の上あたりから、ズボンがびしょびしょになった。
大きな傘をさしているのに、スコールみたいだ。

 仕事部屋に歩いていく時は、山の上には入道雲が湧き出したばかりで、その背後に青空が広がっていた。
確かな夏があったのになあ。

 いつも歩く歩道の右に、小学校がある。
図書館は見えないけれど、廊下が歩道と平行していて、窓のカーテンが揺れて、教室や職員室が見える。
廊下をバタバタ走る子供達はもういないけれど、懐かしい廊下の匂いがある。
子供の頃は、こんなふうに、小学校を眺める日が来ることなど思いもしなかった。
時々、女の先生を見るけど、びっくりするほど若く、そして美しい。
子供の頃の記憶では、担任の先生はみんなメガネをかけたオバサンだった。
時代が変わったのか。見る目が変わったのか。
 
 もう少しすると、通り抜けの大学はテストが終わって閑散となる。
朝の食卓では、桃、プラム、メロン、スイカ、ハウスミカン、さくらんぼなど、夏の盛りである。
盛りを過ぎた晩柑がまた、おいしい。晩柑はザボンに似るが、違うのだろうか。

 今年も、うちわとゆかた、ほのぼの蚊遣り豚の夏ですね。
願わくば、定期健診をクリアして、ビールの夏になればよいな。

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by nonoyamasadao | 2010-07-14 09:03 | 雑文 | Comments(5)

『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版

 『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版を見て、うら若き女性は、これだから男は後ろ向きの人生なのだ。。。などとのたまう。
そりゃ、そうだけど、だから男はかよわいとか、いとおしいとか思ってくれないのか。
そっか、じゃ仕方ない。

 35才くらいまでは、ずっと農耕民族的定住生活を続けた。勤務先の会社は、5年~8年サイクルで本社所在地を変えるというまことに、遊牧民的な企業だった。
その影響を受けてか、35才を過ぎたあたりから、計7回、引っ越している。
すっかり、狩猟民族的生活となった。趣味も同じく、遊牧民的にあれこれと手を出し、すぐに新しい興味へと移った。
井底の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知るそうである。
他方、ボクは散文詩的な生き方だが、これって、『脱出願望』のようなものに根ざしているのかもしれない。
大好きな映像作家の蔵原惟繕監督も、『広い世界へと脱出するための仮の停留地』を描いた作品をたくさん、つくった。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』も、脱出をテーマにした作品だ。それでは蔵原もトルナトーレも脱出に成功したのかといえば、脱出未遂と言ったところである。けだし、『脱出願望』のゆえんである。
アルフレードは、トトに言う。
『もう、この村には帰ってくるな。長い年月帰るな。
人生はお前の見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。
町を出てローマへ行け。帰ってくるな。
ノスタルジーに惑わされるな。すべて忘れろ。
私の家には、帰ってきても迎えてやらない。
自分のすることを愛せ。子供の頃に映写室を愛したように』と。

 アルフレードの葬式に出席するために、30年ぶりに、ローマで大成功を収め大監督になったトトがシチリア島に帰ってくる。
島はなに一つ変わっていない。
人々が老い、構築物が老朽化しただけである。
廃墟となった30年前に新築した映画館が、爆破され、崩落していくシーンは、未完結なままだったトトの青春の埋葬であり、レクイエムでもあった。
そして、アルフレードが墓場まで隠し持っていくつもりだったことが、明らかになる。アルフレードの作為は正しかったのか。

 『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版は、『脱出』の果てに『愛』の不毛を見ることを描いた作品である。
つまり『脱出』のテーマが、ガラスのように硬質で美しく、けれどもろい『愛』と結びつき、情念の世界を描出した。
人間は一つを手に入れると、一つは失うことになるというようにも、見て取れた。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督は『海の上のピアニスト』でも、逆説的な『脱出』を描いた。
脱出を峻拒する主人公は、外界に出て他動的に変化するのではなく、変革を自分の中に起こさねばならない。
主人公は内部世界の変革には成功したけれど、『脱出』することはなく、閉じた世界での死を選ぶ。
トトも『海の上のピアニスト』の階段を下りかけて戻ってくる主人公も、99日目の夜に立ち上がって去る兵士と同じである。

 ジュゼッペ・トルナトーレも蔵原惟繕も、映像の切れや叙情的作風にも共通するものがあるが、愛の不毛を描いた作家のように思う。
蔵原惟繕の『硝子のジョニー 野獣のように見えて』は、アントニオーニの『さすらい』が、その原型であった。
『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版では、映画館で上映される名画の中で『さすらい』は、ドラマの中核に据えられてた。

 苦いことだらけのように書いてきたけれど、『ニュー・シネマ・パラダイス 』の完全オリジナル版でのラストシーンは、忘れかけていた大切なことがあると語っているようにも思える。
気付かずにいる人生の面白さがある。
少なくとも、それを見出そうとする努力をせよと、ボクにはそう聞こえた。

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by nonoyamasadao | 2010-07-11 15:36 | 雑文 | Comments(0)