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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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<   2009年 05月 ( 21 )   > この月の画像一覧

ネコふんじゃった

  陽ざしが強くなって、ケヤキの緑陰が気持ちよいなぁと思うようになったので、モンベル帽にした。
円形のつばが帽子を囲んでいて、浅く柔らかいコットン生地だ。
フニャーとしている。
ハンチングと比べ、視界が若干、見えにくいなぁ。。。とか思いつつ歩く。
ヤベッ、案の定、なにか踏んだ。
むぎゅ。。といった。
この感触は遠い昔に、よくあったなあ。
ズック靴でよ~く慣れしんだ。たぶん、犬猫のアレだ。

 ヤダナァ~~、心無い愛犬、愛猫家が後始末をサボったのだろう。
靴を見ると、あーら幸い、梅の実だった。
てっきりアレと勘違いしたくらい、柔らかだった。
感触といい、つぶれぐあいも見事な完熟だった。
ベチャ~~という感じだ。
なんだか、感動だなあ。
見上げると、梅の実がたわわになっていた。
歩道にはもう一個、梅の実が落ちていた。誰かまた、踏むに違いない。

 ネコふんじゃった。。。がはやった世代だ。
♪ネコふんづけちゃったら、引っ掻いた~と続く。

 ネコふんづけちゃったら、死んじゃった~。。。とか替え歌で遊んでいた。
今、大声でこれを歌ったら、石投げられそうだが、あの頃は、他意はなかった。
オリジナルの歌詞も、ネコのつめ切れとか、ヒゲをそれとか、今だったらかなり過激だ。

 愛犬・愛猫家の人は、偉いとつねづね、そう思う。
道楽といったって、ミステリ、映画、食べ歩き、写真、油絵、旅行とかなら、迷惑さえかけなければいい。
生き物を飼うというのは、ご飯と散歩だけじゃないものなあ。

 面倒だし、無私の心と責任と義務がある。こうなると仕事と同じだ。
利他主義の精神は美しい。ボクは自分のことだけで精一杯だ。親兄弟が限界ですな。

 個人的には、犬やネコはおバカで、大飯ぐらいで、ネコなら家のコタツでぐーたらの方がかわいいと思う。
犬は庭の犬小屋がふさわしく、雪が似合う。
愛犬・愛猫家の人たちのつめた~い視線感じつつ、犬やネコ好きでもないワタクシが、とんでもないことを書いてしまいました。


by nonoyamasadao | 2009-05-31 13:37 | 雑文 | Comments(6)

らっきょの気持ち

  先輩から、大好物のらっきょの酢漬けをいただく。歴史ある甘酢液に浸ったみたい。
じつは若かりし頃、このらっきょが、愚かにも食わず嫌いだった。
なべて不器用で、青春のきらめきが苦手だった。
同じように、食べ物に保守的で、偏食で、独りよがりだった。

 いただいた自家製のらっきょは、甘酸っぱくて、半端でなく美味だ。
花らっきょのように線が細くなく、ご立派なお姿である。
らっきょのダイナミズムがある。
シャキッとした歯ごたえ、そして野趣豊かな匂いが漂う。
爽やかな甘酸っぱさに、かすかな辛みが混じる。
この辛みがカ・イ・カ・ンになると、らっきょの深く繊細な味わいの虜となる。

 けれど、らっきょは不遇だなあと思う。
カレーにらっきょは必要か?という問いを立ててみた。
あれれ~、同じ疑問を持つ人っているものだなぁ。
 Yahoo!知恵袋をひもとくと、驚愕の事実が記されていた。
思わず、ナヌッ!!、と逆上するワタクシがいた。

 曰く、かくの如し。
あると嬉しいが精一杯の評価で、後はらっきょはいらん。。食べない。。らっきょは嫌い・・・ときたもんだ。
 むごい。ひど過ぎる~。。。あまりに不憫だ。
それに較べ、福神漬けは、実に要領のよい生きかたをしてるなあ。
なるほど、ソバ屋のカレーライスには福神漬けだけがついている。
かくして、陽の当たる場所を歩む福神漬けとの格差のなかで、らっきょは飼い殺し的存在に甘んじる。
おお~~、他人事とはとても思えん。

 らっきょは栄養豊富だし、夏バテの防止や疲労回復に役立つ。
なにより胃腸を強くし、血液をサラサラにするのである。
 
 でも、ワタクシとて、らっきょはダメだったものなぁ。
まぁ、魚と野菜のほとんどは、NGだった。
それがコペルニクス的転回を遂げたのは、日本酒をたしなむようになったからだね。
とっておきのちんみが、ひたすら愛おしくなった。
『食』は口の中のドラマであり、人生でもある。。。なんちゃって~おじさん。かなり古いな。

 そして年を経て、好みのカツ丼やすき焼きがヤバクなり、刺身や魚の塩焼きに移って行った。
ある日、切り干し大根やヒジキや煮物などに開眼した自分がいた。
ラーメンよりソバが美味しくなった。

 ああ、今が昔だったらと強く思った。
こんなふうに多様な、複雑な食べ物にも反応できるようになったのだ。
だったら恥多き青春はどうなっていただろうとなどと考える。

 だが今はもう昔ではなく、やっぱり昔は遠くて、でもねー、もうすぐ夏である。
by nonoyamasadao | 2009-05-29 08:38 | 雑文 | Comments(6)

あじさい通り

  ♪暮れそうで暮れない黄昏どきは~というのは、秋のイメージなのだろうが、初夏だが昨日もそんな感じだった。
暮れそうで、なかなか暮れない黄昏のオレンジ色の世界が広がり、夜の気配は始まりそうもなかった。
15階建ての大きなマンションだけがやけに目立つ通りを歩いていると、住宅にかなり大きな枇杷の木があった。
上の方まで、枇杷の実が生っていた。
ああ、枇杷の季節だなあと思った。桜桃や水蜜桃の季節でもあり、野菜なら茄子、胡瓜、隠元豆の季節だ。

 枇杷は家庭果樹であり、実の生る木は屋敷内に植えてはならない。一応、そういう慣習だった。
だから、柿や枇杷の木は、裏庭の物置の脇あたりにまとめて植えられた。
ボクが住んでいた荻窪の社宅もそうだった。

 江國香織さんの『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』という、人間模様を描いた小説がある。
ロバート・アルトマンや『アニバーサリーの夜に』のような、大勢の人の出入りを描いた作品だった。
 その中のチャーミングな若い女性モデルが強く印象に残っている。
花屋の花は夜店の金魚のようで、道に咲く草の方が好ましいと思う女性だった。
彼女が子供の頃に住んだ家の裏庭に大きな枇杷の木があり、いつか、そのような庭のある家に住むと決めている女性だった。
フ~ン、そうなんだ。。。と思った。
江國香織さん、ご自身の想い出かもしれない。すももの木のある家に住んだのは確かだ。

 それにしても、枇杷は高価だなあと、スーパーに行くたびに思う。
家庭果樹でもあり、種は大きい。でも食すと美味なので、仕方ないのかなぁとも思う。
茂木びわゼリーも、これまた絶品だ。

 まだまだ暮れそうもない坂道を下ると、官舎の植え込みにガク紫陽花が咲いている。
水色の装飾花が楚々と咲く。
ああ、よいなあと思う。
西洋の紫陽花の全部が装飾花の球の花房を見ると、ゲッソリしてしまう。
厚ぼったくて風情に欠けるように思うのだが・・・、いや、んなこたぁないな、好きな人にはそこがよいのだろう。
日和ってんじゃねえよ!と叱られるかも。

 
by nonoyamasadao | 2009-05-27 13:27 | 江國香織 | Comments(6)

はりつめない、ぬるぬる食

  少しハードな筑前煮を試食をしたら、顎関節症になりかけた。
やっぱ、やせ我慢はからだに毒ですね。
ということで、ゆる~い食について書く。
 
 締りのない、ゆるゆる生活派の究極はおもゆでしょう。
おかゆもおいしいけれど、おもゆは久しく食していない。

 おもゆに似合うおかずはむつかしい。
温泉卵はゆるゆるだからあう。おもゆにのせると美味そう。
冬瓜のあんかけ風も柔らかだ。鶏そぼろなど夾雑物は、混ぜてない方がいい。

 こうなると、はりつめたものなどいらない。
デザートは、ババロアもプリンもあるが、ここは冷たいゼリーだろう。
ミカンとかフルーツ系は噛まなくてはいけない。ご遠慮願おう。

 でも、和菓子で決めたい気分だ。
ならば、葛水羊羹などどうだろう。
葛水羊羹で、さめた茶をすする。
フ~ム、これだ!。

 充実しない食もたまには、いいなあ。
胃にもやさしい。
なんだか離乳食のような気もしないではない。
基本に戻るのもまた楽しい。 
by nonoyamasadao | 2009-05-26 10:55 | 雑文 | Comments(6)

月曜日

   早朝、くだんの大学の抜け道を歩いていると、『ちょっと待って~』と黄色い声がした。
はて、なんだろうと思い振り返ると、女の子が駐輪場に自転車をつないでいた。
裏門の細い道の石段を上ると、男の子が女の子を振り返り、笑っていた。
だが、男の子はプイという感じで、女の子をほっぽらかして行ってしまった。
ほう、草食系男子もなかなか、やるではないか。
日本の未来も、そう捨てたものじゃないな。。。と一人ごちた。

 『ちょっと待って~』の黄色い声には聞き覚えがあった。
遠い夏の日、女子高生の家庭教師をしていた。
昔だから、彼女はコーヒーがダメで、映画もダメという時代だった。
ある日、試験の成績がとてもよくなったので、そのご褒美に映画を見に行った。
『ちょっと待って~』は、休日の歩行者天国をアイスを食べながら歩いていた時だった。
彼女の家では、アイスもダメだった。理由は、アイスを食べると、お腹をこわすからだった。

 ヤッパ、時代である。
彼女が虚弱だったこともあるだろうが、当時の女子高生は抑圧されていたのだなと思う。
そんな時代だから、女子大生はみなサガンとかを読んだのかもしれない。

 五月の陽光に街路樹がきらめくようだ。
ああ、二十代のときは、五月の空も、風もどうでもよかったな。。。と思った。
むしろ、樹木ばかりが元気になるのが疎ましかった。
興味があったのは、財布の中身と、今日のテレビと、エッチなことだけだった。

 季節の移ろいが愛おしいのは、年をとった証左なのだなあ。
遠い昔、今の季節は憂鬱で、夏休みの事ばかりを考えていた。

 そっかぁ。
なんだかさみしいけど、自然にさからってもしかたない。


by nonoyamasadao | 2009-05-25 14:03 | 雑文 | Comments(0)

五目蓮根餅

  映画や小説から知ることは多い。以下に、気になってそのままを列挙する。例によって、どうでもいいこと。

 人生ゲームなど、長いこと知らず、つい先だって知った。サイコロを振って、遊ぶんだ。
ゼンゼン知らなかったー。
がしかーし、不謹慎きわまりない。
♪じゃないが、人生はゲームではない。
働いて、食べて、遊んで、寝る。。。を必死で繰り返すことに尽きる。(『人生ゲーム』:間宮兄弟より)

 居酒屋メニューなども、食い入るように見入ってしまう。
『ウドと新たまねぎのカラスミ和え』などの短冊メニューがぶら下がっていて、フム、美味そう。。してやったりとほくそ笑んでいたら、なんと、その横に『五目蓮根餅』があった。
な、なんなのだろう。五目ヒジキは知っているけどなぁ。
どうやら蓮根をすりおろして片栗粉などで混ぜ合わせ、炒めた豚肉と長ネギと干しえびをみじん切りにして加える。調味料で味を調えて、小判形に焼くものみたい。
だったらシイタケなども入れよう。こーゆーどうでもよい、ちまちましたことを考えているときが楽しい。(『五目蓮根餅』:幸福のスイッチより)

 この数年、パン関係に目からうろこなのだ。。。で、凝っている。
プレッツェルという菓子は摩訶不思議なシロモノだ。ややっこしく腕組みしたような形状が妙に気を引く。気になって、むずむずする。
ビールにもマッチするし、消化もよいらしい。
近々、ミートボールサンド&プレッツェルを試そう。(『ミートボールサンド』:リッジモンドハイより)

 一度、ブリオッシュとやらを焼いてみたい。
たぶん、フランスパンより簡単に焼けるに違いない。
違うかな。齧るのかな。
ランシュ・バージュ(初体験)を飲み、試食しよう。(『ブリオッシュ&ランシュ・バージュ』:ニューヨークの恋人、メグ版より)
 パーティーにも、いろいろある。
カレーパーティー、浴衣パーティー、おでんパーティーもあるそうだ。
なんだかいじけて、うろんな感じがする。(『カレーパーティー』他:間宮兄弟より)

 あ~あ、明日から仕事かあー。
げに日曜になると、ユーウツは。。。。いくつになっても変わらない。
今から数時間が贅沢な時間である。

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by nonoyamasadao | 2009-05-24 13:17 | 雑文 | Comments(0)

『雨の音がきこえる』はリアルタイムで読んだ

  繁華街の一番大きな本屋の高い棚に、その本はあった。
この棚が好きだ。ホッとする本が並んでいる。
棚からとりだして、少し読む。
タマという名の猫と散歩をしたり、原っぱをタマが走ったりする大島弓子さんの二枚の見開きのマンガ、二話を読む。
この『グーグーだって猫である4』の単行本には、ビミョーで心地よい脱力感がある。
読者をのんびり、ゆったりと安心させ、読んでいると静か~な、ちょっと幸せな暮らしが満喫できる。奥付を見ると、2008年だから、久しぶりにリアルタイムに近いタイミングで読んだことになるのか。(*追記:初出誌2003.10~2006.3)

 ふと、われに返る。立ち読みしながら、後ろを振り返り、周囲を見る。知っている人はいない。
こんなに無防備にくつろいだところは、人に見られたくないな。
大丈夫だ。この地の友人はかなり、限られている。
うんにゃ、わからんよー。
この前、ネギなど突っ込んだビニール袋をぶら下げ、スーパーからブラブラ帰るとき、知人の娘さんにしっかり見られたではないか。
『お買い物ですか~』などと、あかるく声をかけられたのだった。
お上品なお嬢さんがニコニコ笑って、立ってたなぁ。
ありゃー、こっ恥ずかしかった。あらっ、見てた?。。。ああ、カッコ悪~。

 しかし、『グーグーだって猫である』も、ずいぶん、長く続いている。
前に手にとった時は、サバの死や、際立ってちっちゃく、元気がないグーグーとの出会いを読んだのだな。
大島マンガをリアルタイムに近い時点で読むのは、二十代の後半、以来だ。

 一番すきなのは、なんだろう。
フ~ム、わからん。
 『雨の音がきこえる』は好きだったなー。これって、切ないのだよなぁ。
ちゃわんが割れたところや、雨の中をずぶ濡れになるコマは今も、憶えている。

 似た話だけど、『さよなら女達』もよかった。これも、突然の雨降りだった。
あの頃は、樹木や葉叢がいっぱい書き込まれていて、そこも好きだったなー。
二作とも母親が死んじゃうけど、ハッピーエンドだった。
 
 『いちご物語』も捨てがたい。
結局、ヒロインのキャラクターが好きなんだろう。
要領の悪い、お人よしで、人の気持ちを大切にするヒロインがすきなのだろう。
やっぱ自分にないものに憧れを抱くのだなぁ。
 
 な~んて、書いていたら、『グーグーだって猫である』を読みたくなった。
あの好きな棚から四冊が消えるのは、しのびない気もする。
まっ、いっかあ。
帰りに、本とDVDも買って帰ろう。

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by nonoyamasadao | 2009-05-23 14:48 | 花の24年組 | Comments(4)

『ロシュフォールの恋人たち』

  『ロシュフォールの恋人たち』は、ボクにとっては記念碑的映画だ。
ジャック・ドゥミー監督=ミェル・ルグラン音楽の作品では、『シェルブールの雨傘』よりも好きだ。
ジャック・ドゥミーの移動撮影が素晴らしいし、クレーンをふんだんに駆使した群舞シーンもよいなあ。
ロシュフォールの街角の色彩がケーキみたいだ。

 なんといっても、映画の白眉は、ジャック・ドゥミー作詞=ミェル・ルグラン作曲の音楽でしょう。
素敵なコンサートに行ったみたいだった。余韻に酔った。

 ジャック・ドゥミーを論じるときのキーワードは、フランスの港町のナントだ。
ジャック・ドゥミーの上記二作の母体となる『ローラ』では、陽気なアメリカの水兵で賑うナントが舞台になっていた。
『シェルブールの雨傘』では、ナントの美しいアーケードなど、市井風景が挿入された。
『ロシュフォールの恋人たち』でも、水兵のジャック・ペランが休日になり、ナントへ家族に会いに行くという挿話があった。
この謎は、奥方のアニエス・ヴァルダ監督の『ジャック・ドゥミーの少年期』で、彼が映画への憧れに満ちた幼少期をナントで過ごしたことで種明かしされる。
全ての作品はナントの風土から生まれた。あらためて、ジャック・ドゥミーの夭折を哀悼する。
 
 『ロシュフォールの恋人たち』は、ミシェル・ルグランの姉クリスチャンヌ・ルグランもいたスウィングル・シンガーズの吹き替えである。(ダニエル・ダリューはご本人)。
まばゆいばかりに美しいカトリーヌ・ドヌーヴと、若くして亡くなられたドヌーヴの実の姉フランソワーズ・ドルレアックの『双子の歌』は覚えやすい。
美人姉妹が歌うシーンには、胸がときめく。
♪ミ・ファ・ソ・ラ・ミ・レ、♪レ・ミ・ファ・ソ・ソ・ソ・レ・ドだから、偏差値低めだなあ。。。などと思ったらおバカです。

 この映画にはたくさんの名曲がある。
ジャック・ペランの水兵が歌う『マクサンスの歌』は、わずか八小節を繰り返すシンプルな作品だけど、転調がある。
この曲が、晩年のビル・エヴァンスの伝説の名盤『You Must Believe in Spring』(Warner Bros)の表題作である。
ビル・エヴァンスのピアノは深く、せつなく、悲しみに満ち満ちていた。エヴァンスの代表作でもあった。

 ボクのささやかな音楽遍歴は中村八大さんから始まり、第二世代の宮川泰さんやフィル・スペクター、そしてフレンチ・ポップスを経て、ミシェル・ルグランで完結している。
その後はまったく進歩していない。

下では、『双子の歌』のさわりが楽器でちらりと『マクサンスの歌』はヴォーカルで二曲が聴ける。
 やっぱ、『双子の歌』に変えた。

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by nonoyamasadao | 2009-05-21 10:31 | 60年代ポップス | Comments(0)

麦藁帽子とミニスカート

  初夏である。気が早いが、麦藁帽子が大好きだ。
あのかすかに焦げたような匂いがよい。
焦げたような匂いというのは、堀辰雄先生の『麦藁帽子』からの孫引きだ。
麦藁帽子には、なぜか永遠の青春を感じる。

 生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート

 上は、谷川俊太郎先生の『生きる』からの抜粋だ。
それはミニスカート。。。っていうフレーズは、とてもキュートである。
ガ-ンという感じだった。
清潔なエロスと、不思議だが初夏らしいな。。。と思った。

 この季節は水辺がこいしい。
よく会社をサボって、川原に行った。
水辺でノリ弁当を食べた。

 橋があって、ときおり電車が通った。
成瀬巳喜男監督の『女の座』では、この川土手をふざけながら歩くシーンがあった。
遠くで小田急線ロマンスカーの音がする。
昔、このあたりはカブト虫がいたんだな、と思った。

昨日のことのようだ。 

追加です。

by nonoyamasadao | 2009-05-19 11:23 | 60年代ポップス | Comments(10)

バーカと言われるかも

  マジメに書くと,どえりゃーことになるので、適当に書く。
『金髪の草原』を観た。
池脇千鶴さんは、今までに観た『ジョゼと虎と魚たち』や『ストロベリーショートケイクス』よりも、本品が一番好きだ。

 今から五十年も前の朝ごはんを思い出した。
あのぬか漬けはうまそうだった。

 大島弓子さんのマンガは、リアルタイムで読んでいた。といっても、『綿の国星』のあたりまでだ。
少し違和感を感じるようになって、読まなくなった。後になって、白泉社文庫でまとめて読んだ。また、はまった。

 大島さんファンの女性には、元気のよい人が多い。最近のことでしょうか?。
男なんかに大島マンガはわかるわけないジャン、バーカ。。。みたいな記事を読んだ。
犬童監督など、わかった気でいるけど、実はナーンも解っていないと言う。
そこまで書かれると、何か書くとなるとさすがにひるむなあ。

 『綿の国星』のアニメは、正直、ゼンゼン面白くなかった。
『金髪の草原』を観ると、やっぱ、大島マンガの映画化はムリなのかもしれないなぁ。

 コマ割りの妙まで考えて、犬童監督は工夫しているようだ。
けれど、細かく、チマチマしたコマ割りだったり、縦に割ったり、横に切ったり、字が大きくなったりするリズムは映画ではムリだ。

 大島弓子さんの流体的思考は、まことにビミューである。
日常から内部世界に入り、複雑に綾なす心理小説のようになる。

 心理や意識が揺らぎ、揺らぎがさざなみになり、やがて過剰な感情の迸りとなって乱流になる。
闇が広がり、深い疎外感が押し寄せて来る。

 けれど、どの作品でも深い絶望を感じたことはない。
白い綿屑なのか、何ものなのか定かではないものが空中を舞い、やわらかなホヨホヨ感にゆっくり寄り掛かっていると、なんだかやすらかになる。

 『金髪の草原』は鏡の中の鏡のように、夢の中のまた夢のような二重構造になっている。
迷路のようなところでの老いの進行が描かれるが、内面的にとことん切り詰めるところまでにはならない。寸止めである。だから余韻が残る。

 総体としては、内部世界から抜け出して、外にでたような爽快感がある。
でも、この感覚や地の文のポエムはヤッパ、映画では描けませんね~。

 初期作品集を採録した『ほうせんか・ぱん』(白泉社文庫、2001年)のあとがきマンガを読む。
2001年は、大島さんが病気をされた後のことである。

 お引越しの様子が描かれている。
24年分のガラクタを仕分けし、ネコをキャリーケースに入れて、小さな一軒屋と一坪ほどのささやかな庭つきへのお引越しである。

 大島さんは、転居後五ヶ月は慣れない家で落ち着かない日々を過ごす。そして、ストレスを心配したネコたちは、ずーっと住んでいた家であるかのように、アッサリ順応したと言う。

 『グーグーだって猫である』で映った井の頭公園の見える、あのマンションからのお引越しなのだろうか。


by nonoyamasadao | 2009-05-17 13:49 | 花の24年組 | Comments(2)