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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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<   2009年 01月 ( 15 )   > この月の画像一覧

もうすぐ節分

 節分が近い。バレンタインは無関係だから、盛大に祝おう。けれど、今やあんまりパッとしない行事であるなあ。
鬼退治に炒った豆をどうしてまくのだろう。
生の豆だと、たぶん芽が出ると縁起が悪いからではないか。
「福は内」、「鬼は外」だと、室内で一瞬、福と鬼が鉢合わせする。
だから、「鬼は外」を先行させ、「福は内」の順番が、たぶん正しいに違いない。

 豆は摩の目と魔の滅の意味があるらしい。
鬼の目に豆をぶつけて、鬼を滅ぼすということのようだ。本当かウソかは定かでない。
舞妓さんが言えば、『鬼はブブヅケでもどないどす』、『福はおこしやす』。。。となるのか。
福を招くなら、下関のトラフグ(ふく)を食べればよいのに。。。。と思う。
百年に一度の大不況なのに、不謹慎だからやめる。

 どうして、イワシの焼いた頭を竹串に刺して、ヒイラギの葉をつけて門口に括り付けるのだろう。
イワシの匂いとヒイラギのトゲトゲが、鬼は苦手なのかもしれない。
ボクなら、いい匂いにつられて、猫が来ると思うけどどうだろう。
しかしヒイラギ(クリスマス・ホーリー)はクリスマスケーキだの節分だのと、なにかと忙しい。
イワシはとても美味しい魚なのに、鬼退治とはかわいそうだ。
焼いてよし、煮てもよし、新鮮なら刺身も美味い。
イワシ(カタクチイワシ)の稚魚のシラスも美味い。
タタミイワシを遠火でじんわり焼き、畳の部屋で日本酒でイッパイ。。。ワー、堪りません。でも、今日も休肝日なのである。
 今日もまたいつもにも増して、しょうもない、反生産的なことを書いた。
まっ、いっかあ。
by nonoyamasadao | 2009-01-31 16:58 | 雑文 | Comments(4)

スミレの花はまだ咲かないが・・・

朝起きたときは大きなつぼみだったスイセンが、またたくまに花開く。
午後の陽ざしを浴びて、黄色い大輪の花になった。暖房がよく当たるからかもしれない。
ラッパズイセンで、大きな黄色の花冠はまさにラッパだ。
ニオイスミレも芽をふいてきたが、香りはまだだ。
スイセンの花とニオイスミレの芽、旧臘来のスーパーのポンセチアの赤い葉、ヤブランと勘違いした観葉植物のつるをひく細い葉が居間にある。
殺風景な居間が明るんだ。明るくなった食卓で、晩飯を食す。

 最近、やっとご飯の味が、少しわかるようになった気がする。
酒を飲まない日だと、ご飯がおいしい。
東海林さだおだと思うが、トウフ、ソバ、ご飯、納豆の美味さに気づくのはむつかしい。。。と書いてた。
曰く、これはあまり美味しくないなぁ。。。。というのは誰にでもわかる。だが、これは美味であると、断言できる人はよほどの食通だという。
なるほど、主食で、これはイケますよ~というのは、むつかしい。
魚沼産のコシヒカリが一番ですよ~といわれると、ヤッパ、そうだよなあ。。。これに勝るものなしと思う。
げに、ボクの味覚は甚だあやしい。
 おそるおそる書くと、納豆はくめの『丹精』とか、トウフは阿蘇のやわらかトウフとか、青まめトウフなど美味しいのではないかと。。思ったりしてー
ボロカスにいわれるかもしれない。

 でも、ヤッパ、スミレは自生が一番である。野に咲くスミレに勝るものはない。
イギリスの有名な詩人ワーズワースに『ルーシー詩篇』がある。(『対訳 ワーズワース詩集』山内久明編、岩波文庫)
(2)でスミレについて、とても儚くも、美しいフレーズがある。以下、引用する。

 苔むす岩かげの菫のごとく
 人の目につくこともなく。
 ―星のごとくに麗しく、ただ一つ
 輝く星のごとくに。

 まあ、ひっそりと目立たないけど、星のように美しい花だ。。。てなことですな。スミレは女の人をイメージしてるんですよね。

 昨晩は、『ベガスの恋に勝つルール』を見て、久しぶりに楽しいおバカ映画を満喫した。
 さてっと、スミレつながりだが、『すみれ色の涙』というセンチメンタルなヒット曲がある。
岩崎宏美さんで大ヒットしたが、最初は、ジャッキー吉川とブルーコメッツが歌っていた。
こんな詞だ。
♪すみれって すみれって
♪ブルーな恋人どうしが
♪キスして キスして
♪生まれた花だと思うの

引用していて、こっぱずかしくなってまいりました。
作詞の万里村ゆき子さんは、おセンチだが、ボク好みの詞をいくつか書いた人だ。

 野郎どものブルーコメッツが、こんな歌を歌ってたなんて笑ってしまいます。。。でも、そこがよいのです。

by nonoyamasadao | 2009-01-30 15:19 | 雑文 | Comments(0)

2000年代の堤真一

  昨晩は『GOOD LUCK!!!』のDVDを二本見た。『やまとなでしこ』を見てから、国産が続く。
やっぱ、国産は楽である。同じ思いをしたことがある。
学生時分に、早川ポケミスの新刊、古本、早川SF、時あたかも冒険小説ブームとなり、デズモンド・バグリィやハモンド・イネスなど早川ノベルズもバカスカ読んでいた時だ。
たまに、土屋隆夫、天藤真、陳舜臣などの国産の本格の新刊を読んで、なんて面白いんだろう。。。な~んて思ったものでした。
外国の、ほとんどアメリカ映画のDVDを一年中見てると、そうなっておかしくはない。

 『やまとなでしこ』から『GOOD LUCK!!!』と見て、この時代の堤真一のテレビでの演技の充実にあらためて瞠目したのであった。
『やまとなでしこ』の気弱で明朗な好青年だが女性恐怖症の役、『恋ノチカラ』の硬派のアーチストだがウルトラ・オクテ男の役をはさんで、『GOOD LUCK!!!』の翳のある気難しいハードボイルドな役へと繋いだ。どれをとっても別な役者のように、人物を演じ分けた。
実は、この『GOOD LUCK!!!』の香田一樹役の延長上のヴァリエーションに『白い巨塔』の財前五郎役がある。
堤真一の財前五郎、上川隆也か香川照之の里見脩二で見てみたかった。。。とあらためて、そう思った。
『GOOD LUCK!!!』はリアルタイムで見ていたが、その前の時間帯のNHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』も見ていた。
堤真一は、大河ドラマにも又八役で出演していて、こちらはあまりイケていなかった。だが、世間では香田一樹役とのギャップが話題になった。
この頃のボクは18時ころから、ダラダラ酒を飲んでいた。
21時頃になるともう酩酊状態だったので、『GOOD LUCK!!!』を見ているときは面白かったのに、翌日になると内容をからきし覚えてない。いや、うろ覚えだった。
2000~2003年の堤真一はテレビの人であった。
舞台は『贋作・桜の森の満開の下』が印象深い。だが、それはファンタジックで、イマジネーション豊富な野田ワールドが圧倒的だったからだ。
堤真一は動きの切れと、有体だが華があった。

 2004年~2006年の堤真一は舞台の人へと戻って行く。
『カメレオン・リップ』の初日は、ヒッチ師匠の『めまい』のような、謎解きミステリ感覚で見てしまった。
この作品はケラリーノ・サンドロヴィッチの代表作である。
会話がおしゃれで、いまどき、ノーマン・Z・マクロード監督など誰が知っているだろうと思った。
旧聞になるが、彼には福田陽一郎と八木柊一郎が書いたような都会的現代劇のホンを期待している。『カメレオン・リップ』は、宮藤官九郎には望むべくもない都会的洗練のある芝居だった。

『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』は、蜷川幸雄の原点となる芝居で、狂気と正気の往還を軽い感覚で演じた。この芝居は微妙ないきさつを知っていたから、見たとき感激した。
劇団☆新感線『吉原御免状』は、ファン人気は高いのだが、ボクはあまり評価していない。
新感線は『野獣郎見参』のようなスペクタクルなチャンバラだけでよい。アトラクションが深刻ぶると、もういいや~と白けてしまう。
『タンゴ・冬のおわりに』は、今までの堤真一の演技の極北を究めるものであった。
狂気に陥るとき、目が逝っちゃっていた。
『39 刑法第三十九条』以来、狂気の演技には定評があるところだが、この舞台は正直、鬼気迫るものがあった。
それにつけても、清水邦夫戯曲の日本語はなんて、うつくしいのだろう。

 2006年以降の堤真一の舞台は、すこし、調子を落としているように思う。
今年はルヴォーのは演出意図を理解しつつ、不満が残った。コルネイユもいまいちだ。
そのぶん、俄然、映画がよくなった。
振り返ると、感心した映画といえば、『39 刑法第三十九条』くらいか。
京極堂も、『地下鉄に乗って』も『三丁目』も、彼でなくてもよかった。それこそ、他に変わりはいた。SABU作品はどうも苦手だ。
だが『クライマーズ・ハイ』と『容疑者Xの献身』の演技は、彼の新たな地平を切り開くものとなろう。
by nonoyamasadao | 2009-01-27 12:05 | 雑文 | Comments(2)

銀ブラ

 新聞の首相官邸の欄を見ると、15時53分、銀座専門店『和光本館』で買い物と書いてある。そっかあ、銀座ですか。
和光のウィンドゥの前にぼーっと立ち、ゆっくりと暮れていく空とネオンとの不思議な調和を眺めていると、幸福な気持ちになる。。。と江國香織さんは書いていた。
なんだか、納得である。ボクにとって、服部時計台(和光)は銀座のランドマークである。

 遠い昔のことー 
 春浅き宵だった。母に連れられたボクは、数寄屋橋の交差点あたりから、暮れゆく街のすがたをぼんやりと眺めた。
不二越ビルの森永の地球型のネオンや鳩首堂のヒトデ型のネオンが、お伽噺の世界ように瞬いていた。
いつのころだったろう。たぶん、小学生になる前である。
銀座が懐かしいのは、次の三つからだ。
(一)幼いころ、母親に連れられデパートに行き、美味しいものを食べ、
(二)十代から二十代は、喫茶店で待ち合わせして、映画を見て、本屋に行き、パブやバーでウィスキーを飲み、
(三)三十代以降は、季節料理屋で日本酒を飲むために、いりくんだ裏道を歩いた。
結果的にだが、すべて『銀ブラ』だった。

 銀座と言うと、たとえば『鳩居堂』、『ワシントン靴店』、『山野楽器』、『トラヤ帽子店』、『資生堂パーラー』、『バーLupin』、『養清堂画廊』などをイメージする人も多いだろう。
ボクはすっかり地方人になってしまったので、東京に行っても銀座は通過点になった。
待ち合わせの場所ではなくなり、ぶらりと出掛ける場所でもなくなった。

 それでも、ふいに思い浮かぶ光景がある。他に思いだす場所がたくさんあるのに、なぜか以下の三つである。
ひとつめは、『若松』で何度も食べた、粟ぜんざいである。このことは何度も書いた。
ぜんざいのなかに、本当に美しいきいろの微細なつぶつぶが混じる。
なにかしら楽しく、優しい夢を秘めているように思われた。あの時の粟ぜんざいのおいしさは、もう二度と味わえないだろう。

 ふたつめは地下鉄丸ノ内線の銀座駅の改札口(C1の出口側)を出たところの地下の本屋である。
ちょうどニュートーキョーから泰明小学校の真下に当たるあたりに、長い通路があった。
通路の壁際に書棚のコーナーが、いくつか散在していた。結構、古い早川のポケミスなどが買えた。

 みっつめは、先の森永の地球型や鳩首堂のヒトデ型、そして三愛の三菱のスリーダイヤのネオンである。電飾広告が夢の砦を飾った。

 以上の記憶はセピア色だが、時として、闇の中の虹のようにも思ったりもする。
『若松』は月ヶ瀬(コックドール)の裏手の露地にあったが、今は銀座コアビルの1Fにあるようだ。場所は変わってないが、まだ行ったことがない。
ウナギの寝床のような本屋はなくなって久しい。
鳩居堂の屋上からヒトデ型ネオンが消えたのは、そうとう昔だ。
森永の地球型ネオンがあった場所は、今のアルマーニの銀座タワーである。

 ボクが二十歳になった時に、銀座では歩行者天国がはじまった。今はどうなっただろう。
パラソルのついたテーブルとチェアが置かれ、言葉の波が漂っていた。
 外堀通りの銀座東芝ビルの旭屋書店が店を閉じたと聞く。イエナがとうの昔に消えて、近藤書店が消え、旭屋書店も消えた。
さみしいと思うが、それも時代の流れである。

 昨晩まで、ずっと『やまとなでしこ』のDVDを見ていた。何度目になるかわからない。それでも面白い。
下ではテンプターズとともに、最後に森永の地球儀のネオンが見れます。


by nonoyamasadao | 2009-01-25 14:03 | 江國香織 | Comments(2)

クライマーズハイ

 原田眞人監督の『クライマーズハイ』は男達のドラマを描いた小佳作だ。
日航機墜落事故という大惨事が主題ではない。
事故をめぐり、地方紙記者の意地のぶつかりあいや記者魂を描いた熱いドラマだ。
クライマーズハイとは登攀時の精神の高揚のことである。そして、未曽有の事件に遭遇した記者の興奮にも被る。
この映画の主題らしきものは、二つのヤマだ。事件というヤマと父性というヤマのダブルミーニングである。
父性というヤマは谷川岳の衝立岩に象徴されている。
原作は未読だが、映画に限っては、谷川岳の山登りは不要だと思う。
冒頭と終章の登山は映画の額縁になるように工夫したのだと思う。だが、水と油だった。
バッサリと削ったら、ちょうどよい尺数の“瞬間に命を賭ける記者物語”になったろう。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』もダブルミーニングの映画だ。
テーマは映画への愛と恋愛である。
上映時の作品では映画への愛がほとんどであり、恋愛をめぐる部分は補完的であった。
DVDでは劇場版と完全オリジナル版があり、完全オリジナル版では、恋愛をめぐる部分が50分近く復活した。
完全オリジナル版では、主人公は映画監督としては成功したが、恋愛においては挫折したままの人生を歩んだ苦さが強調される。
人生は一方通行では詰まらない。アルフレードの作意さえなかったら、監督としての名声は得られなかったかもしれないが、人並みの両面通行の人生だったかもしれないという描き方である。
どちらが傑作かは人によろうが、劇場版の方が簡潔で、ボクの好みだ。
控えめな描写のぶん、恋愛部分は浮かび上がるように思った。
もちろん、恋愛の挫折の影の部分は随分、淡い。

 過日、若い女性とたまさか、この映画の話をした。
アルフレードの作意はどうなのだろう?。
アレでよかったのかを問うた。
若い人は間髪いれず、監督として大成功したのだから、好いに決まっているという。
なるほど。それが若さかもしれない。
by nonoyamasadao | 2009-01-24 16:53 | 雑文 | Comments(0)

紫色の日

 部屋のポインセチアは元気だ。
暖房のせいだろうか。

 外に出ると、舗道には雨に汚れた朽葉が散っていた。
いつもの花屋さんの前を通る。
以前に、ミニバラを買ったお店だ。
枯らしてしまったと思ってたら、レモン色の花をつけた。

 お店の前に、色々な花の鉢植えが並んでいる。
思い出すままに、以下に列挙する。
『スウィートヴァイオレット』、『ニオイスミレ』、『ユーカリ』、『レモン』、『オリーブ』、『パンジー』、『水仙』、『ローズマリー』、『ヒヤシンス』、『バラ咲ジュリアン』、『マーガレット』、『バラ グリーンアイス』、『クランベリー』、『ムスカリ』、『ラベンダー』、『レースラベンダー』など。
あとは忘れた。

 しかし紫色系が多い。まあ、それも悪くない。
帰りまでに、どれを選ぶか考えておこう。

 近くの大学では、紅梅のつぼみがふくらんでいた。
つぼみの先端が紫っぽい。
今日は紫に縁のある日だ。

 しかし、『スウィートヴァイオレット』と『ニオイスミレ』はどう違うのか。フム、わからん。
『レモン』はニール・サイモンの『わたしは女優志願』で、ウォルター・マッソーが丹誠を込め育てていた。
むつかしそうだから、欲しいけどやめよう。
『マーガレット』と『ヒヤシンス』はよく知っているから、今日はパスする。
『バラ グリーンアイス』、『ユーカリ』、『オリーブ』は大きくなるから、ダメだ。
『ユーカリ』の白っぽい葉は、とても好きなので残念だ。
『バラ咲ジュリアン』はアプリコット色の花なら大好きだが、もし違ったら悔しい。これも見送ろう。
『クランベリー』は、これっぽっちではジャムなどできそうもない。だから別の日にしよう。
『ムスカリ』って、よく知らない。
未知の花の魅力には抗しがたいものがある。でも、今日は占いがよくないので、冒険は止めにしよう。
『ラベンダー』と『レースラベンダー』の違いもわからない。
でも匂いなら、バラの甘い香りの方が好きだ。だから、『ラベンダー』と『レースラベンダー』は見逃そう。

 う~む、父の愛した『水仙』と『ニオイスミレ』か『スウィートヴァイオレット』のどちらかにしよう。
スミレの葉は紅茶に浮かべると、体によいという。喉の痛みによいそうだ。

 はてさて、『ニオイスミレ』か『スウィートヴァイオレット』か。
これが悩ましい。
by nonoyamasadao | 2009-01-23 16:39 | 雑文 | Comments(2)

セクシーな果物

  江國香織さんは大の果物好きらしい。ズバリとそのことに言及したエッセイもある。
ボクが魅せられるのは、そのエッセイではない。
さりげなく、一行添えるように書かれたのを読むと、食欲がそそられる。
たとえば、こうだ。
『風邪で食欲がないと言いながら、結局きょう一日でいちご一パック食べてしまった。』とか、『五つめの無花果で指をべたべたにしながら、それだけは言えるなと思って嬉しくなった秋の夜だった。』とかを読むと、フルーツ食いて~が我慢できない状態になる。
まあ、食べ物に実にいじきたないのである。

 フルーツはセクシーな食べ物だと思う。
たぶん、姿形、そして色、艶、香り、食感などが楽しいからだ。
桃などお尻が形よく、しかも表皮には産毛のようなものが生えている。
ボクは皮ごと、丸かじりする。
傷みやすく繊細な果実だ。どこかはかなげな、病弱のような風情がよい。
食すと、甘く濃密な匂いを放つのが、う~ん、堪らん。
熟れた生の白桃はじぃっーと見てて、飽きることはない。惚れ惚れする。

 洋ナシの曲線は美しい。野性的である。
ひょうたん型の丸みを帯びたお尻のほうからガブリと丸かじりが、これまた堪らん。

 曲線に対してくびれなら、キュウリやセロリだ。素っ気ないが、ウェストなら細い。
柿は道を歩いていて、手を伸ばせばいつでもすぐにとれそう。。。という微妙な距離感がよい。
実際はそうもいかないから、庶民的な風情が好ましい。

 リンゴは歯ごたえと、赤い色と、たとえば紅玉の掌中のおさまり具合が色っぽい。
これぞ、セクシーである。
デラウェアーは10~20粒ほど口いっぱいに頬張ったときの、まぐまぐ感が楽しい。
巨峰だと量感たっぷりで、頬張ると胸苦しくなる。

 柑橘系だと、なつみかんや八朔は酸味豊かで美味だが、ちょっと見ブサァーである。
やっぱ、爽やか香りのレモンが美形である。
紅茶のレモンの色は素敵だ。

 めったにご縁のないメロンも、やっぱ、お尻が素敵である。
押すと、柔らかい。
やわらかいお尻の時が食べごろらしい。
まあ、奥の院にいる深窓の令嬢のごとくで、高嶺の花だ。

 いちごやさくらんぼを見てると、なんだかエッチな気分になる。
いよいよ、危険水域に入ってまいりました。
出入り差し止めになりそうだから、ここで止めとく。

 ああ、そうだ。
もう十数年、オリーブの実を食していないことに気がつく。
酢漬けの深緑の実は美味である。
種付きのバジル風味が好きだが、本場の家庭の味をいまだかつて、味わったことはない。
by nonoyamasadao | 2009-01-22 11:12 | 雑文 | Comments(2)

暴走族になってたら

 暴走族になりたくて、教習所へ行ったことがある。
マンディアルグの『オートバイ』の映画化の『あの胸にもういちど』を観た頃だ。
マリアンヌ・フェイスフルがハーレをぶっ飛ばす映画だった。
フランスとドイツの国境を越えて、美しい風景を切り裂くように疾走する。
いや~、カッコよかった。

 『族』という言葉は、昔はよく使われた。
たとえば、『太陽族』、『六本木族』、『みゆき族』、『原宿族』から『竹の子族』に変化した。
『太陽族』は昭和31年だから、まだ、小学校にも行かない子供の頃だから無縁だ。
『原宿族』の時は17才だから同時代だが、スポーツカーかバイクに乗れないと、お話にならない。
結局『六本木族』や『みゆき族』は、当時、高校生だった団塊の世代が先頭をきってしたことだ。
兄貴分の世代である。
『竹の子族』はダサかった。
だって、代々木公園の歩行者天国は、仮装行列のようだった。アフロもモンペも、ストリーキングもイモっぽい。
たぶん、お上りさんが主体だったからだろう。上野駅のペーソスが滲んで、都会的洗練はなかった。

 昭和50年のころだったと思う。
中央線が三日間くらいストップして、勤務先の分室だった麻布のマンションに泊り込んだことがある。
泊り込みの少し前に、イタリアンレストランの『キャンティ飯倉本店』で『六本木族』を遅れて体験した。
静かな街並みの中のレストランは地下にあった。
ああ、ここで、加賀まり子さんや安井かづみさんたちは、金曜の夜に特製の『ブイヤベース』を食したのだなあ。。。と思った。
去年亡くなられた峰岸徹さん(当時、峰岸健二)の『六本木の夜 愛して愛して』を懐かしく思い出した。
昨日のことのようだ。

 『みゆき族』は少し、知っている。
今もある和洋菓子・喫茶『風月堂』のそばに、『ジュリアン・ソレル』という瀟洒な喫茶があった。
一階がオートクチュールで、螺旋階段を上った二階だった。
みゆき通りには、女の子はロングスカートに大きなバッグをもって立っていた。男たちはみな、アイビールックだ。
『平凡パンチ』の表紙の大橋歩の絵が、あちこちに散らばったようだった。
VANの細いこうもり傘は持っていた。
その名残が今も、残っている。
いつも、傘を手放せない。夏も春も、こうもり傘だ。
腕時計と同じで持っていないと、なんだか落ち着かない。

 『原宿族』は友だちと友だちのガールフレンドのお供で、しぶしぶついて行き体験した。
JR原宿駅のリゾート風意匠は好きである。
表参道のケヤキ並木が気持ちよくて、坂道も好きだ。
行ったことないが、シャンゼリゼ通りもこんな感じなのかなあと思ったものだ。
明治神宮前駅ができたころから、少し、原宿の雰囲気が変わった。
お呼びでない原宿ビブレも消え、ラフォーレ原宿がなんと30周年!!!だとか。以前は、教会だったのになぁ。
江國香織さんの短編で、原宿に出て、『ピーチメルバ』を食べるのを読んだことがある。
どんなのかなあ。バニラアイスクリームのようなものだろうか。

 冒頭のバイク免許がとれてたら、夜の原宿を乗りまわしたに違いない。
ひょっとしたら、『族』のオピニオンリーダーになっていたかも。。。んなこたぁ、ないな。
by nonoyamasadao | 2009-01-20 16:19 | 雑文 | Comments(2)

放課後の帰り道

 ボクのような世代を『アラ還』と言うらしい。
嵐寛寿郎の省略のあらかんではなく、『アラ還』はアラウンド還暦だそうだ。
そっかあ。今年の春に定年退職をしますという年賀状が、随分届いた。
ボクより二年先輩は、みんな還暦なのだなあ。

 アラウンド還暦は事実なのだから、しかと受容せねばならない。
けれど『アラ還』というのは、美しい響きではない。
別の表現はないものだろうか。
落日や黄昏だと、もっとさみしい。
放課後というのはどうだろう。
人生の放課後の時間帯ねえ。個人的には、なんか、納得だなあ。

 六時間めの授業が終わった解放感は、楽しさもひとしおだった。
お昼休みや授業中の休み時間は、いつもザワザワとしていて落ち着かなかった。
放課後は、ほっと一息ついて、ぼーっとしたり、ぐだぐだしていた。
まあ、放課後に体育館の裏で、彼女の告白を聞くことなど、あるわけもなかった。
また、机に頬杖をついて、窓から校庭を眺めるタイプでもない。
学校の塀の外壁の小高いヘリを走るのが得意だった記憶がある。

 放課後は早春の気持ちにも似ている。
とりわけ、13才になる早春は特別だった。
こぶしが咲き、もくれんが咲いて、ああ、この季節が過ぎると中学生になるのだというせつなさと、わくわくする期待が入り混じった感傷は忘れられない。

 最近になって、よく思い出すのは、オレンジ色の夕日が射すあたたかい早春の帰り道である。
よく晴れていて、ふりかえると、校舎が遠くなっていた。
放課後の帰り道は、どうしてあんなに楽しかったのだろう。
『結局、ボクたちはいつの間にか、マクドナルドの前にいた』という世代とは不連続である。
ただ、肩から夕日の匂いが、背中から放課後の匂いはしたかもしれない。そう思うと、世代を超えて同じなのかもしれない。

 お店もなにもないのに、他愛なくブラブラと道草をする。今思うと、心ときめくピクニックだった。
仲良しの友だちと、いつも一緒にいた。
とうとう実現しなかったけれど、好きな女の子と放課後の帰り道を歩いてみたかった。

 しょうもない話ばかりしていたから、なにも思い出せない。
映画の『スタンドバイミー』のような話はよくした。
「スーパーマンとマイティマウスはどっちが強いか知ってるかい」
「う~ん、マイティマウスかなあ」
「ばっかだなあ、マイティマウスはアニメだぞ。スーパーマンは本物の人間じゃないか」
「そっかあ」
こんなおバカな話はよ~くしていた。

 遠い昔の過ぎし早春が、今や消えそうな気配を感じている。
残念だけど、時を経て、早春の名残りのシッポが少しずつ切り落とされて行く。
今年の早春はこぶしの花影を踏もう。

 時間の無駄遣いということの贅沢が懐かしく、いとおしい。
映画のように、あの12才の早春のときのような友だちは、それから二度と持てなかった。
以下は、そんな気分を思い出す曲である。

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by nonoyamasadao | 2009-01-15 13:18 | 60年代ポップス | Comments(7)

ユニークなカレーの作り方

  成人の日に思い出したこと。
袋入り即席カレーうどんに、春菊の軸を入れて、たっぷりと煮込む。
沸騰して汁が少なくなったら、お湯を足す。
どっさりと山ほどの葱をいれ、春菊の葉、千切り生姜を入れ、さらに少し煮る。
はてさて、この出鱈目なぐたぐたカレーうどんの出来はといえば、う~ん、意外と美味なのであった。
一味唐辛子タップリでいただくと、額からどっと汗が噴き出て、ストレス解消である。
かなり病みつきになる。
スパイシーな真面目なカレーやかぼちゃカレーなどに、飽いた頃の話だ。
 
 アイディアだけがあって、試したことのないカレーがある。
美味い湯豆腐のアイディアを用いた、和風カレーである。
カレー粉と小麦粉でつくるが、玉ねぎは使わないことにする。
ここは和風にこだわりたい。
昆布と鰹節と葱醤油に日本酒二級をドボドボ、すった林檎もたっぷりいれよう。
北海道産のジャガイモ、熊本産のニンジンと、他には、ショウガ、ミョーガ、シイタケもおまけして入れよう。
やっぱ、カレーの突き合わせには、紅ショーガと福神漬、ラッキョも外せない。

 スープではないが、汁が多めのカレーである。
ライスの山の全面を覆うように、たっぶりとカレーをかける。
ごはんもカレーも火傷するくらいに、アツアツでなければならない。
肉は入れてはならない。コップに水ではなく、アツいソバ茶を啜り食す。

 これで、どうしようもなく不味かったらどうしよう。
おおいにありえる。
キムチか、納豆を混ぜれば、食べられないはずはない。
まして死に至ることは、絶対にない。
by nonoyamasadao | 2009-01-12 20:28 | 雑文 | Comments(2)