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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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カテゴリ:雑文( 804 )

もっとも遅い梅雨入り

 今住む集合住宅の前を、掘割のような小さな川が流れている。
我が地も、史上、もっとも遅い梅雨入りをしてから、雨がよく降って、水位が増した。
無残に剪定したかに見えた柳も、さみどりの葉を繁らせ、少し、先には、こちらも無残に剪定したはずのタイサンボクにも白い肉厚の花が咲く。
フム、やっぱ、プロだな。

 海沿いや、川沿いに住んでみたかった。
してみると、終の棲家の今のマンションも捨てたものじゃない。

 川の両側 には、ムラサキシキブやススキがたくさんしげる。
葉腋から、ムラサキシキブの薄紫色の小さな花が、チラチラと咲く。
ひっそりしてて、儚げで、好みだ。けれど、つぶさに花を見たことは、あまりない。

 仕事先からの雨の帰り道、通る道が変わったので、知らなかった花木によく出会う。
住宅にすずなりに、紫の花穂をつけた木を見つける。
西洋人参木というらしい。知らなかったが、華美でなく、うつくしい。
もうすこしすると、サルスベリやザクロなどが、楽めるだろう。

 引っ越ししてから、松本清張をまた、読み返している。
今、『火の路』を読んでいる。
これは手ごわい内容だが、奈良の風景が描写され、いつもながら絵が浮かぶ。
たまらなく、奈良や京都に行きたいなと思う。

 夜になって、おでんやワサビ漬や岩ノリで、日本酒を飲む。
いと美味なりけり。
ああ、こんなふうにして、老境というのは深まっていくのか。。。と思う。
若かったら、だったらなにか?とか反発するのだろうが、今はそんな気にならない。

 若いころが絢爛華美だったわけではないが、な~んとなくだが、淡彩な風景へと変わった気がする。
これが枯れていくってことか。なんだか、ヤダ。

 はるか昔の子供の頃、四畳半の濡れ縁に座って、陽だまりの庭を見ながら、日本茶を飲む祖母を見て、年をとるってよいなあと思った。
勉強しないでいいし、働きに出ないでもいい。
たしか季節は春で、梅が咲いていた気がする。

 祖母は何を見ていたのだろう。


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by nonoyamasadao | 2019-06-29 10:57 | 雑文 | Comments(0)

恋するナツツバキ

  我が地は、なかなか梅雨入りしない。
引っ越してから、テレビの連続ドラマDVD-BOX三昧の夜の過ごし方をやめた。
そのぶん、文庫本の小説などを読むことにしている。
たとえば、藤沢周平の『ささやく河』など、読む。
悪くはないのだが、ロスマク調とか、ロスマクの味などと言われると、かなり違うよなと思う。
まあ、一人称の、私立探偵ものであるのは、確かである。
このところ、読書から遠のいているので、ボクの評価はアヤシイものである。

 理想の老後は、読書三昧であったから、定年がいよいよ視野に入って来たので、そろそろ、そちらの感覚を磨かなければと思う。
けれど、努力してまで、慣れる必要などない。

 松本清張の『殺人行 おくのほそ道』と『Dの複合』なども、読む。
こちらは、楽しく読めた。
前者は長くお蔵入りしていたヤツで、清張の長編は全作近く読んでいるのに、未読のままだった。
後半の破たんがひどいのでお蔵入りだったのだろうが、往時の清張の物語展開と、サスペンス醸成方法がまざまざと蘇る。
な~んてことない風景をじーぃっと見つめるシーンなどあると、ああ、これが、のちのち、何らかの形で絡んでくるんだったなぁ。。などと、見えてる伏線が楽しい。
ヒッチ師匠などと、同じ手法だった。

 『Dの複合』は、2度目で、最初のときは、リアルタイムで読んだ。
ああ、丹後半島の木津温泉の夜の死体探しのチラチラと揺れる灯りは、今も、読んだ当時も、変わらないなあ。絵が浮かぶのだ。
やっぱ、清張は好きだなぁと、あらためてそう思う。
そういえば、城崎温泉も、天橋立も、その後で、行ったなあ。
なべてメランコリックに思えた青春だったけれど、フム、今、思うと、ずいぶん、贅沢な時間だったんだなあ。

 すこし梅雨っぽく感じられる空気を浴びた帰り道、中学校の裏庭にタイサンボクの白い肉厚の花を見る。
今頃、咲くんだ。

 白モクレンに輪をかけて厚ぼったい花は壮麗だが、好みではない。
老体には刺激が強すぎるよな。
和菓子のような、ナツツバキの清潔な白い花が、やけにきれいに見える。
恋する和菓子だ。

 沙羅双樹の花の色。
ナツツバキは沙羅とも言うけれど、ホンマ物の沙羅双樹は、どのような花だろう。


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by nonoyamasadao | 2019-06-18 18:08 | 雑文 | Comments(0)

あのときかもしれない

 休肝日が、数えてみると9日めになった。
毎年のことだけれど、今年は天中殺なのに引っ越ししたし、とっ散らかった仕事も整理したり、無理をした。
フム、健診が不安だらけだ。

 日曜日なのに、早朝、パン屋さんへ行く。
昭和な味のクリームパン、メロンパンなど買いこむ。
帰り道、川端で、犬の散歩の人や自転車に乗った少年とすれ違う。
バッサリと剪定したタイサンボクのある道を、プリウスがゆっくりと通り過ぎてゆく。
この感じ、遠い昔の荻窪に、ちょっと似てる。

 『君の膵臓をたべたい』を読む。再読である。
あまり覚えていない。
思春期の主人公たちの会話に、当節の青春の空気が匂い立つ。
ヒロインの相手の、教室の隅っこにいる協調性のない孤独に、昔の自分が被る。
案外、作者は50才に近いくらいではないか。
女性的な文体だけれど、きっと、オヂサンが書いているなと、勝手に決め込む。
ボクは草舟…草舟は知らないなあ。きっと、未開の土地で作るでかいヤツなんだろうな。
笹舟なら、作った。今、思うと、な~んか優雅な遊びだったなあ。言葉も風流だ。

 テレビでは、城達也さんのジェットストリームのCMが、何度となく流れた。
これって、最初の頃、リアルタイムで聴いたかなあ。
思い出そうとしたが、どうも定かでない。イージーリスニングはバカにしてたもんな。

 いにしえの日はなつかしや。思えば、遠くへ来たもんだ。
”遠くへいってはいけないよ”とは、もうさすがに誰からも言われない。
「遠く」へ行くと、戻れないことを、最近になって、知った。そのわりに、あちこちから、同窓会のお誘いが増えた。
ありがたいことだけれど、不義理をしてる。

 でも、誰かの歌のように、さよなら昨日、ありがとうね、さびしいなぁ・・・の心境には、なれない。
ボクは、ずっと昨日のままだった。

 ユーミンの、昨晩、お会いしましょう。。。なら、わかる。
これは、一昨日こいのシッシの意味ではなくて、 わたくしは何時も昨日の中にいるから、また来てねの意味だと思っている。

 長田弘さんの『あのときかもしれない』の大人には、一体、いつになったらなれるのでしょう。


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by nonoyamasadao | 2019-05-12 13:41 | 雑文 | Comments(0)

平成元年のお正月

 平成元年のお正月は、千葉県柏駅から、お仲人さんの挨拶へ向かった。
あかね町というロマンティックな町名の、その高台にあるお宅に伺った。フジパンという目標物が見つからず、迷子になった記憶がある。
10段ほどある階段をのぼって、門扉を開くと、形のよく仕立てたつげの主木があった。

 平成最後の年に、いくつかの事情があって、天中殺にもかかわらず、引っ越しをした。
知らないで引っ越しをしたのだが、やっぱ、お引越しはせねばならなかったと思う。

 そ~んなこともあって、今年は、はやめに、健康診断をしようと思う。
思えば、56才の時に、打撲からくる頭の怪我で、入院するまでは、健康診断は、ずずっと、”必死の逃亡者”で通した。
会社勤務時代、健康診断の最後の時間帯は、トイレに閉じこもって、まさかの、ご指名呼び出しをやり過ごした。

 『続・最後から二番目の恋』の、小泉今日子さんの千明役が、まったく、同じだった。
まあ、煙草は多いころは、200本近くだったし、50代だって、40本は吸っていた。
酒も、ほどほどにとはいかない。
休肝日なしで、日本酒換算で、日日5合は飲んでいた。
まして、夜遅くまで飲むので、睡眠不足だったし、運動どころか、歩くこともしなかった。

 まあ、健康に悪いことしかしてないし、 いいことなんて何にもしていない。
今も似たりよったりだけれど、タバコはやめたのと、休肝日もある。
なによりも、健診の結果が怖いから、健診前の15日は、休肝日にしている。

 平成最後のカウントダウンのころ、『田園発港行き 自転車』の最終章を読んでいた。
まるで、グランドホテル形式のように、たとえば『愛と哀しみのボレロ』とか、『ラブ・アクチュアリー』の終章のように、滑川市に登場人物がみんな集まってくるのが、圧巻だった。
願わくは、エンディングが、牛原陽一監督の最初で最後の大傑作『紅の拳銃』みたいだったらよいなぁ。。という、淡い期待に近いものがあった。
それは、盲目だったのが、手術で目が見えるようになった笹森礼子さんが「この汽車に中田(赤木圭一郎)が乗っているような気がする」と車内を探し回るが、顔を知らない彼女は赤木圭一郎の横を素通りする。
あの人かしら?だったらいなぁ。。。とほのかに思いながら、通り過ぎていく。
赤木圭一郎さんも、彼女に気づいたが敢えて声を掛けない。
宮本輝先生、やってくれました。まさに似た情感があった。
思えば、『青が散る』も、同じような期待に応えてくれたのでした。

 令和元旦の夜、ビールの中缶2本飲んだ後、ああ、サイダーとか、清涼飲用水を買っていないことに気づく。
めんどいなあ。
新元号そうそう、あとで、後悔するのはヤだから、電車通りのセブイレブンまで、出掛けることにする。
墨絵のような闇の中、ランタンのような街燈が石畳の道に、ポッと黄色い灯りを落とす。
川沿いの緑地に植えられた剪定した栁やみずきの白い花も闇に埋もれ消え、いつもは煌々とライトアップされているはずの、公園のテニスコートの灯りも消えていた。
でも、墨絵のような風景の中、緑をすこしづつ濃くした樹木の香りがした。葉揺れが、ところどころでしている。風があるのか。

 う~ん、こういう令和元年の初日も、悪くないかもなぁ。。。と、ふと思う。
見上げると、夜空には、星がひとつ、瞬いていた。

 セブンイレブンの灯りが遠くに見える夜道を歩くと、すべてはボクの不徳の致すところだが、平成元年の元旦の苦い思い出が蘇ってきた。

 今年の検診は、いつもに増して、不安がイッパイだ。
まあ、年だから仕方ないのだが、ボクは、この年になってわかったのだが、かなりうたれ弱い方だ。

 令和の三日め、ボクはいまだ、よるべなく、さしあたり16日後の検診をめざし、今日は、度を超すくらいしこたま飲むぞと固く決意する。


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by nonoyamasadao | 2019-05-03 20:25 | 雑文 | Comments(0)

今年のサクラ

 引っ越してから、夜、文庫本を読んでいる。
はるか下を、灯りをつけた市電が走っている。
9階である。高所恐怖症なのに、我ながら、冒険したものだ。

 山口瞳さんの『けっぱり先生』と東野圭吾さんの『片想い』を読む。
読み較べたわけではないけれど、前者は原稿用紙に書いたもので、後者はワープロだなと、いまさらながらそう思う。

 『けっぱり先生』は、大学の頃、翻訳家になった先輩が、絶賛していて読んでいた。
そのころは、ラストが、いかにも往時のハリウッド映画みたいで、こっ恥ずかしかった。
ただ、けっぱり先生が、”教育の行きつくところは文学”で、”自分にきびしく生きること”だ。。。と語ったところだけは、よく覚えていた。
教育などまったく興味なかったのに、不思議だ。

 引っ越して、仕事部屋まで行くルートが変わったので、今年は産業道路沿いの河津桜をよく目にした。
ピンクで、きれいだなあ。。。と当初、思ったけれど、すぐに飽いた。
やっぱ、ヒカンザクラの濃い紫色っぽい紅のほうが、飽きないし美しい。

 いつもの通り抜けの大学を歩くと、誰もいない。
キャンパスから、若い男女学生のさんざめきや匂いは、消えた。ひっそりしている。

 自販機そばの山桜のピンクの花が、いくつかほころび、やけに白っぽく見える。若葉の淡い緑が、これまた堪らん。
な、なんなんだろう。
門こそ開いているが、春休みのキャンパスに咲く桜は、心細さやときめきを伴ったさみしさを連れてくる。
でも、やっぱ、山桜は最高である。

 あたらしい帰り道では、コブシの街路樹が満開だ。
白い雲がかかったみたいだ。
ああ、もともとは、白モクレンよりコブシが大好きだった。
そのころに、連れ戻された。

 中学校のフェンスの向こうでは、ソメイヨシノがちらちらと咲き出す。
傘型の大きな木が列植されてる。
そっか、ソメイヨシノの横開する枝も、なかなかよいなあ。
生れてはじめてソメイヨシノに感動して、じぃーっと見上げる。

 なんだか楽しくなって、両手を挙げて深呼吸をしたくなった。
もちろん、そんなことは、しない。


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by nonoyamasadao | 2019-03-27 16:20 | 雑文 | Comments(0)

ジョージー・ガール

 穴沢ジョージさんが、シーカーズのジュディのことを書いていて、50年近く昔のことを思い出した。

 大学2年になって、ミステリ同好会に入部した。
さっそく、映画通の同好会の2大巨頭の諍いに巻き込まれた。

 高校のとき、『ジョージー・ガール』を観た。
ヒロインは、リン・レッドグレーヴで、バネッサの妹さんだ。
ヒロインは彼氏いない歴がずっと続いて、他方、ルームメイトはモテモテ、ボーイフレンドをとっかえひっかえの我儘娘。
ところが、ある日、ルームメイトがご懐妊、さぁ、どうしよう、大騒ぎさ。。。というコメディーだった。
ルームメイトが若き日のシャーロット・ランプリングで、やっぱ、クール・ビューティでした。
けれど、後年の『評決』のアンニュイな感じや、『愛の嵐』のような変態的なエロスは、想像だにしなかった。
モノクロ映像で、ロンドンの街角が楽しかった。

 同じ、シルヴィオ・ナリツァーノ監督の『血と怒りの河』は、人種テーマを持ち込んだアクション西部劇だった。
開巻の群青色の空に真紅のスカーフが舞うシークエンスから、見入ってしまった。
川を挟んだ壮烈な銃撃戦、苦いラストと大ロングショットは今も、憶えている。

 ミステリ同好会の牢名主的存在の4年生と3年生の映画通は、ともに『血と怒りの河』の大絶賛は変わらずだが、『ジョージー・ガール』となると、その評価は真逆だった。

 3年の映画通から、シャーロット・ランプリングがピアノに寄りかかっているショットがよかったよねとか、ロンドンの公園や教会の映像美がよかったねと同意が求められた。
ボクはセリフがビビッドでよかったし、珠玉の映像でしたと、あいづちをうった。

 4年の牢名主の先輩は、「S(3年の映画通)は、『ジョージー・ガール』なんかを褒めるから、イモなんですよ。あんなのを褒めたら、ダメです。あなたも絶賛してると聞いたけど、本当はどうなのかしら?」と、真意を質された。
ボクは、たしかに『血と怒りの河』の原色主体の圧倒的な映像美には、ずいぶん劣るけれど、『ジョージー・ガール』は大好きです。
要は、”イモだけど、傑作です”と答えた。

 牢名主さんは一瞬、フ・ク・ザ・ツな表情を浮かべたが、破顔して、「イモだけど、傑作ねえ・・・・合わせ技ですな」と笑って言った。
ボクは、まあ、言葉の綾ですと、やり過ごした。

 以来、”イモだけど、傑作”というフレーズが独り歩きして伝わり、ボクの阿諛迎合が咎められた。
まあ、それは仕方ない。

 50年経った今、「イモだけど傑作」というのは、苦し紛れではあったけれど、あれはあれで、ある意味で適切であったな。。。と思う。

 今も、あの頃のことを思い出すと、モノクロで、すこしせわしないけれど、空気がさっぱりとしていた贅沢な時間が蘇ってくる。
それにしても、ずいぶん、時間が流れてしまったなあ。


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by nonoyamasadao | 2019-02-27 11:50 | 雑文 | Comments(2)

いいことあるっかな

 引っ越しした。
前の集合住宅から、近くの集合住宅へである。

 いつものスーパーの帰り道、細い小道から、中学生の女学生たちがぞろぞろと出てくる。
笑い声がにぎやかだ。
なんか、いいなあ。
抜け道のようである。

 そっか、この道はずっと、気になっていた。
一目惚れのような道だ。

 昭和30年代の荻窪。
小学校が終わると、抜け道を通って、いつも帰った。
塀と塀のわずかな隙間のようなところなど、好んで通った。
狭い路地を通ると、住宅の犬がわんと吠えた。

 女学生たちが出てきた道を、新しい集合住宅に向かって歩くと、道はだんだんと狭くなる。
9歳になるかならないころ、なにも考えないけど、エネルギーだけがあったころだった。
その頃の気持ちを思い出した。
心細くて、それでも、楽しいような不思議なキブンだった。

 ああ、あのころは何も考えなかったけれど、人づきあいは、今よりもましだったかもしれないなあ。

 その道は今の集合住宅の傍に抜けるかっこうの抜け道だった。
信号を渡ると、疎水の流れる今の集合住宅の前だった。
しだれ栁は落葉している。
しだれ柳は落葉するのか。知らなかった。

 ほんの一瞬、内堀通りの新緑の柳並木を思い出した。

 今年は、ベランダの枝垂れ梅が、3輪咲いた。
去年は、一輪も咲かなかった。
2年めのポインセチアも赤くないけど、葉はいっぱい繁っている。

 なんかいいことあるっかな。


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by nonoyamasadao | 2019-02-26 12:43 | 雑文 | Comments(0)

これって、終活

 来月の半ばに、引越しをする。
父、自宅にて急逝のあと、8度目の引っ越しだ。
46年間で、8回の引っ越しは、多い方だろう。
6年に1度の引っ越しになる。
なんかお役人みたい。。。というか、転勤族みたいである。
致命的に違うのは、行き先に宿舎など、用意されていないことである。
こーなると、趣味ですね。だから、引っ越し貧乏だ。

 引っ越しに当たって、まず、DVD収納ラック9台をDVDと一緒に、処分する。
くるくると360度ターンをするヤツである。
それでも、DVDは机の上やら、つくりつけの収納棚や、リビングの床にも散乱している。
一回ぼっきりのものや、何度も繰り返し見たDVDが、ランダムに散らばっている。

 え~い、一切合切、捨ててしまえ~。
DVDで見た映画やドラマで、楽しい時間を過ごしたが、過ぎてしまえば、ただのゴミか。
ちょっぴりさみしいけれど、ボクが死んでしまえば、無主物はただのゴミだ。
思えば、イヌやネコを飼わなくて、つくづくよかったなと思う。
 
 ついでに、長年、引きずってきた家財道具も処分する。
これが手ごわい。
亡父が無理して買ってくれた茶箪笥のような年代物がある。
なかには、ティーカップやグラスなどがたくさん収納されている。

 え~い、これも茶箪笥ごと、処分してしまえ。
ウェッジウッドだろうがなんだろうが、これみな、ただのゴミである。
ここで逡巡すると、なんだかんだと、使わぬ家具を温存することになるのだ。
使いもしないで、おいておくだけの高級家具よ、さらばじゃ。

 おっ洒落!!とか言いながら、一人悦に入って見惚れていたのが、ウソのようだ。

 かくして、冷蔵庫、本棚、巨大な整理ダンス、背広、資料などなど、一斉に処分した。
2トントラック3台分の粗大ゴミになった。

 ガラ~ンとしたリビングに一人でいると、ああ、ボクの中での昭和が、やっと終わったな。。。。という気がした。
昭和というのは、ボクにとって、茜色の夕日がさしていた時代だ。
でもそれは、サザエさんの世界でもなく、向田邦子さんの世界でもなく、ましてや、 ALWAYS3丁目の夕日の描く世界では絶対なかった。
映画に出てくる、昔はよかった風の懐旧は、嘘っぱちだ。

 ボクの昭和は、お台場っぽかったり、タマタカっぽかったりするのではなく、銀ブラ族の時代だ。
そんなころ、早朝、大手町の殺風景な地下道をせわしなく歩き、階段を上って、旧パレスホテルを抜けて,出勤した。
夜は、『セーラー服と機関銃』のエンディングのように、ごった返していた新宿紀伊國屋書店を横目に睨んで、新宿三丁目で飲んだ。

 これから先の時代は、誰もテレビも見ず、新聞など読まず、まして文庫本など読まず、CDなどもいよいよ聞かなくなるのだろう。
ボクもはじめて、スマホを買った。
スマホをさわっていると、なるほど、時間はどんどん経っていく。
何も考えない時間が流れた。な~んて彩りに欠けた時間なのだろう。
これ以上の、おバカにはなりたくないから、そうそうにやめた。

 昨晩、ボクはだだっ広いリビングで、濃い日本茶を啜り、四万十の青のりせんべいを齧り、井伏鱒二の『駅前旅館』を読んだ。
フム、やっぱ、本物はよいなぁ。
今日は、獅子文六の『箱根山』を読もう。
また、文庫本の本棚を買わなくちゃならないかもしれない。

 ああ、やっぱ、昭和は遠く、でも今年も、もうすぐ春が来るんだなあ。
頭の中に、銀座日航ホテル裏のバーの灯が、宵闇の中、青く灯っていたのが、ほんの一瞬蘇った。
 


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by nonoyamasadao | 2019-01-30 20:18 | 雑文 | Comments(3)

月夜の紅梅

 事情があって、このところ、スーパーの幕の内弁当ばかり食している。
ほかのお弁当もあるけれど、栄養のバランスは、やっぱ、幕の内が一番、よい。
お値段も298円か、高くても398円だ。
レンジでチンすると、それなりにおいしい。
けれど、何日も、何週間も続けていると、さすがに、自分で自分が不憫になる。
じゃあ、気分を変えましょう。
昨日は、おいなりさんと、ドンコ椎茸入り太巻きの弁当と、栄養を考えて、おからのお惣菜を買う。
夜のとばりが降りた帰り道、遠くに見える黒々とした山の稜線の上方に、満月がぽっかりと浮かんでた。
原田康子さんのファンタジーの『満月』を思い出した。

 今朝は早くから、用事があって、朝の6時過ぎに起きる。
まだ、外は暗い。
なにより、さ、さぶい。
朝は、ライ麦パンのトースト2枚を食す。さすがに、これでは体に悪いと思って、キウイとキンカンを食す。
我が食文化の中で、キウイの出現は、ある意味で革命的であったなと、思う。

 用事を済ませて、郵便局によって、通り抜けの大学に入ると、紅梅がほころんでいる。
去年も今年も、ブログやフェイスブックの写真の紅梅を見るばかりで、今年も観梅など無縁だなと思っていたので、すこしうれしい。

 心のどこかで、老後の日々がこうして過ぎて行っていいものだろうかという気持ちがあった。
桜よりも、梅を見ないということが、日々を無駄にしているという思いと結びついていた。
 あ、そうだった。
昨日が満月だったから、今夜は月夜の花泥棒ってのも素敵ではないか。
紅梅を見ると、いつも、こうした怪しい気分になる。

 あんた、何わけがわかんないこといってるの?
花泥棒だって、泥棒だろうが・・・って誰かにいわれそう。


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by nonoyamasadao | 2019-01-22 12:39 | 雑文 | Comments(0)

一人ぼっちの大つごもりの夜

 大つごもりなのに、早起きして、だて巻き、かまごこ、栗きんとん、黒ラベル、トーフ、ネギ、ゆでソバ、めんツユなどなど、スーパーで買いこむ。
一夜飾りはイカンと老母が言っていたので、しめ飾りは、昨日に買った。
一番、しょぼいのを探して、買った。
リビングには、昨年買って、育って大きくなったポインセチアと、ついこの間、買った小さなのもある。
見ると、大きなポンセチアは、葉がぐったりして、ほとんど枯れてた。
イカンなあ、老母が骨折入院してから、水を一滴もあげていない。
コップに2杯ほど、翌日になると忘れるに違いなので、今日になった真夜中に水を注ぐ。

 あけて、翌日。
現金というべきか、いや、我が怠慢こそ恥ずべきであろう。
ポインセチアは、鮮やかに、蘇っていた。
いや、よかったあ。

 大島弓子さんのマンガだった。
『秋日子かく語りき』だったかな。
フランクリンと名付けたベンジャミンが枯れていた。。。というカットがあったなあ。
あのころは、観葉植物などまったく、興味なかったけれど、年のせいかな、最近はイノチあるものは、なんだか気になるようになったのだよ。

 この年齢になって、ひとりぼっちははじめての、おおつごもりの宵だった。
やはり、すこし人恋しいけれど、、まあ、自業自得である。
デパ地下に行くが、家族向け仕様の刺身の詰め合わせや、お刺身も柵ばかりだ。
まあ、そりゃそうだ。
うつくしく柵を切れるかどうかは、家人か包丁次第だが、お正月は家族で過ごすものである。

 早めに風呂に入って、早飲み支度をする。
と、手前勝手な電話が2本も、しつこく鳴る。
あ~あ、仕方ない。
出た。

 でも、電話というのは、そもそも相手の事情など関知しないものだ。
おおつごもりの営業など論外だが、相手にも罪はない。

 電話の相手は、小さなドラマになるよ~な人たちではなく、善良な人たちばかりだった。
でも、でも、ですね~。今日と明日だけは、とことん大酒を飲むつもりだったのです。
邪魔が入るのは、イヤだったなあ。

 さて、そろそろ、ゆでソバとつゆを買ったので、年越しそばで、もうイッパイやっか。
今、紅白では、北島三郎さんの『まつり』をやっている。
ああ、平成最後の大つごもりである。

 みなさまにとって、来年もまた明るい、よい年でありますように。そして、ついでにボクにも。
今年もいよいよ、終わるんだな。


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by nonoyamasadao | 2018-12-31 22:16 | 雑文 | Comments(2)