いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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人生は六十一から

 このところ、風邪気味で、風邪薬ばかりを飲んでいる。
インフルになるかなあ、なると嫌だなあと思っていると、案の定、ほらね~、やっぱりなった。。。っていうことがよくある。
だから、インフルに罹ったと思えば軽いかもと思ってたら、あれま、かえって悪化した。
体力が劣化したのだ。あと2年で古希だ。当たり前だ。

 『人生は四十二から』というアメリカ映画があった。
英国の貴族がポーカーで負け、召使チャールズ・ロートンを譲ることになる。
チャールズ・ロートンはアメリカの西部の片田舎に連れて行かれ、リンカーンの有名なゲティスバーグの演説に感化される。
人はみな、自由と平等であり、世のため人のために献身しましょうというようなことか。
人民の人民による人民のための政治というところだけ、知っていた。
ロートンは、独立して店を開く。。。というような話だった。

 たぶん、その影響からだろう。小林信彦さんに、『人生は五十一から』という連載エッセイがある。
人は、五十を過ぎると、体力的には劣化するけれど、その分、わかってくることもある。
世の中のことも、少しは見えてくる。
そんな紹介文を読んだ記憶がある。

 ボクは、勝手に『人生は六十一から』に読み替えて、四十半ばでやめてたことを再開した。
うまく行ったかどうかは全く自信はないが、2年後の定年前には、どうにか終えたい。
はてさて、どうなりますか。
万事がおくてで、大江健三郎に『遅れてきた青年』という小説があったけれど、こちらは、遅れてきたおじいさんになってしまった。

 三十になるかならないかのころ、年賀のご挨拶で、会社の役員の自宅へうかがった。
役員の方は、たぶん、六十三才ぐらいのころだと思う。
曰く、二十代は女性、三十代は自分の仕事、四十代は会社の仕事、五十代は財界人活動だと、ご自分の人生を述懐された。
ふ~ん、そういうものか。ボクはたぶん、そうはならないだろうなと思った。

 ボクの人生も四十二才で転職し、六十一才から、途中でやめていた仕事を再開した。
残された時間は、楽しく過ごしたいけれど、いかんせん、趣味などない。

 まあ、人気のないファーストフード店よりも、行列ができる定食屋の方が、今は魅力的である。
三十代は、それが待てなかった。
 がしかし、目の前にビールの中缶があれば、1年後の生ビールの大100杯よりもうれしい。
経済学では時間選好というらしいけれど、1年後の一升の日本酒よりか、今日の1合なんだよなあ。
わかっちゃいるけどやめられねえ。。。とは、至言である。

 そういえば、『ニューシネマパラダイス』の中で、アルフレードがトトに聞かせた物語を思い出した。
美しい王女様が、100日間、昼も夜もバルコニーの下で待ってくれたら、護衛の兵士のものになると言ってくれるけれど、兵士は99日目の夜、なぜか去って行ってしまう話だ。
なぜか。こたえはない。

 ボクは99日も待ち続ける自信はないけれど、かりに99日目になったら、やっぱ、帰るタイプだなと思う。
ただ自己破壊的衝動ではなく、敗者の論理が近いかなと思ったけれど、それも違う気がする。
最後のたった1日が待てない。それって、ボクに本質的に欠けている何かだと思う。
それは、致命的な欠落部分だ。
 
 でもね、贅沢な物語ですよね。
まっ、いっか。


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# by nonoyamasadao | 2018-11-17 11:48 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

長部日出雄さんを偲ぶ

 長部日出雄さんが亡くなった。やはり、悲しい。
こう書くと、ずっと愛読者だったようだが、十代から二十歳ちょっと過ぎまでと、還暦を過ぎたあたりから、ときどき気になった。
十代の頃は、『映画評論』の日本のヌーベルバーグ作家の映画評が鮮烈だった。
鋭角的な書き方で、かなり辛辣だった。
なにより、大好きな山田信夫や蔵原惟繕などを採りあげているのが、うれしかった。
当時は、松竹系ヌーベルバーグや増村保造は採りあげても、また、鈴木清順や中平康は論じても、山田信夫や蔵原惟繕までは、なかなか論じる人は少なかった。

 大島渚監督が松竹ヌーベルバークという表現をしたのは、『週刊読売』の編集者だと言っていたが、それは記者時代の長部さんのことだ。
そうだった。その頃のボクは、シナリオライターになりたかった。雑誌『シナリオ』など買いこんで、一番、憧れていたのが、山田信夫さんだった。
田村孟でもなく、橋本忍でもなく、山田信夫さんが一番、モダンで、センスがよいと思い込んでいた。

 長部さんは、たぶん、本邦では浦山桐郎、海外ではフェリーニが一番、好きだったのではないか。
当時の長部さんは、切れ味鋭く、往時の双葉十三郎先生の『日本映画月評』を想起させた。
後日、双葉十三郎先生の『映画の学校』の対談で、小林信彦さんが長部さんも双葉ファンだったと、双葉先生に言っているのを読んで、やっぱりなと得心したのを記憶している。
後年、瀬戸川猛資さん編集の『ボクの採点表』の序文を書いていて、うれしくなった。

 双葉先生も感覚的な切れの衰えが早かったけれど、長部さんも後の『紙ヒコーキ通信』や直木賞の『津軽じょんから節』などは、感覚の冴えの衰えを感じて、さびしく思った。シャープで、明晰な人だけにみられる現象だ。
ただ、「エレファントマン」の映画評などは、さすがに辛いことが書いてあって、長部さんなら、こうでなくっちゃね。。。と、思ったことがある。

「赤ひげ」の批評は、ボクが中学の頃だと思うが、黒澤明の作風には、マックス・ウェーバーを引いて、家父長的な支配構造が一貫していると論じたのを読んで、フム、なるほどと思った。
この説は、今では批判もあるけれど、一つの解釈であるのは疑いない。
ボクがアラ還のころ、マックス・ウェーバーの『経済と社会』など調べる機会があって、世良晃志郎訳『支配の社会学』を読んで、伝統的支配、カリスマ的支配、官僚的支配の支配の3類型を知った。家父長制は伝統的支配になる。
ああ、長部さんは、1960年代前半にはこの本を読んでいたか、ひょっとしたら、原書(ドイツ語)で読んでいたのかなと、感心してしまった。
ただ、『二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェ―バー物語』は、観光を楽しむ紀行文のようで、あまり感心しなかった。

 大学3年のころ、朝日ジャーナルに、小林信彦さんが小林旭のことを書いていて、古いヒット曲のLPを入手したので、上京していた長部さんを誘うと、「泣いちゃうからなあ」と言った記事を読んだことがある。
結局、小林さんと一緒に聴いて「恋という字はヤッコラヤノヤ・・・・」という石郷岡豪作詞の「ノーチヨサン節」が入ってないとダメだなというくだりがある。
この作詞は、西沢爽さんになっているが、どうやら、長部さんと同郷の石郷岡さんが書いていたようだ。
長部さんと同郷の青森の人で、ミュージカルや「ジャングル大帝」の作詞もした人だ。
志半ばで、消えて行った脚本家だ。
この挿入歌の映画は、小林旭の『東京の暴れん坊』だった。銀座にはまだ、三愛がなく、一歩、路地に入ると、銀座はまだ、くすんでいたころだ。
小林旭がコックで、フランス語を喋ったりしてた。お隣の銭湯の娘さんが、浅丘ルリ子さんで、美しいというより、かわいい感じだった。
松木ひろし・向田邦子さんの『新だいこんの花』で、大原麗子さんがやったような役だった。

 長部さんと言えば、やっぱ、石井均論だろう。
パセティックで、対象に、思いっきりのめりこんでいくような評論だ。
昔、靖国通りには、松竹文化演芸場があった。
テアトル新宿より新宿駅側だ。
ボクはまだ、子供だったので、この演芸場には行ったことがない。
ただ、石井均一座のテレビ中継が、夜30分くらいあって、まったくのドタバタで、とても面白かった。
もっと大きくなっていれば、スラップスティックとか、云っていたのでしょう。
この石井均さんに、ほれ込んだ長部さんが、石井均さんが、本当の芝居がしたいということから、一座を解散したことを悲しむ評論だった。
ペーソスとか、しめった演技などが本当の芝居だとしたら、そんなものは見たくもないという失望を綴ったものだった。ボクが、寅さんが苦手なのも、乾いてないからだ。
憂愁が漂った名文だった。
ヒッチ・マガジンの見開き程度の枚数だった。 

 長部さんは太宰治のユーモアを感じられるお伽草子とか、本当に好きな対象について語るとき、それはそれは素晴らしい筆致だった。
合掌。


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# by nonoyamasadao | 2018-11-10 16:36 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

古希が近いというのに

  安室奈美恵さんが引退された。若い人たちは大騒ぎだったが、ボクにはピンとこなかった。
安室ファンの人、ごめんなさい。
嫌いとか好きの問題ではなく、ボクが時代の感覚とズレたのだと思う。

 かなり以前に、ケーリー・グラントの方が、ジェームズ・ステュアートより4才も年長なのに、スチュワートの方がずっと老けているという記事を読んだ。
書いたのは、小林信彦さんだったと思う。
そっか、たしかにそうだなあ。
『リバティ・バランスを射った男』のステュアートは、ヨレヨレのおじいさんの風貌だった。まだ、54才だった。
それに比べ、なるほどグラントの方は『北北西』が55才、『シャレード』が59才だ。やっぱ、若い。
26才年少のオードリー・ヘプバーンをロマンスの相手にして、違和感がない。
『北北西』なんか、そういう役とはいえ、あちこち、縦横に走り回って逃げていた。若々しい。

 でも、ボクが若かったせいか、グラントよりも、ステュアートの方が渋くて好きだった。
グラントさんは、甘いマスクだったけれど、すこし軽薄な感じでそれほど好きではなかった。
今思うと、洗練されていた。
日本人でも池部良さんとか、2枚目俳優は妙に苦手だった。コンプレックスとか、嫉妬なのかもしれない。

 でも、よくしたもので、ケーリー・グラントさんは82才でお亡くなりになり、ジェームズ・ステュアートさんは、なんと、89才まで生き延びた。
外見と寿命は必ずしも一致しないようだ。

 考え方てみれば、オードリー・ヘプバーンは、おじさんばかりが相手役だった。
相手役といえば、30才年上のハンフリー・ボガート、28歳年上のゲイリー・クーパー、21才年上のレックス・ハリソンですからね。

 東京で、リーマンをしていたころ、若い女性にダブダブの服が流行った時代があった。
なにも知らないボクは、若い女性社員がセーターの袖などを折り返しているの見て、それはファッションなのですか?それともサイズが大きいの?と、失礼な質問をしたのを思い出した。
今だったら、セクハラになるかしらん。
ご本人が不快に感じてたら、きっと、セクハラだったのかもしれない。
女性がゆったりめの服を着ているのは、可愛い。好きだなあ。
お風呂あがりにだぼだぼのワイシャツを着るとか考えるだけで、堪りません。

 今思うと、ダブダブの服を着ていた方が、華奢で、可愛らしく見えるのを知ってて、そうしてたのかしら。
彼女たちは計算していたのかな。
ボクはひょっとしたら、その戦略にまんまとしてやられたのかもしれない。

 だとしたら、枯れ専女子のオードリー・ヘプバーンさんも、実は、おじさん相手の方が、自分が愛らしく見えるのを計算していたのかもしれない。
八千草 薫さんなんかも、谷口千吉監督とならぶと、いつまでも初々しかった。

 しかし、古希が近いというのに、こ~んなことを考えているのは、そうとうマヌケですね。


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# by nonoyamasadao | 2018-10-06 17:09 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

夏休み最後の日

 昨日は、平成最後の夏休みの日だった。
東京での2日間は、連続でかなり飲みすぎちゃったなと思う。

 朝早いのに、芝の増上寺近くの街角を行き交う人々が多い。みな、職場に向かい急ぎ足だ。まあ、25年前のボクも同じだった。
朝8時ちょっと過ぎ、スタバの扉を開くと、な、なんと満席だった。
あかの他人同士が肩を触れ合うくらい蝟集して座り、みな、スマホをいじってる。

 ウ〜ム、東京なんだなぁ。異様に映るのは、ボクがすっかり田舎者になったからなんだろう。
だったら、田舎者でいいや。

 タクシーで空港に向かう途中に、サルスベリの若木の街路樹の道を通る。そんなに長い道じゃない。
ああ、ここは数年前に、三田に向かうとき、通った道だった。
都会の朝日に輝くサルスベリの縮れた赤紫の花房が目に染みる。

 車窓から、増上寺と東京タワーが、一緒に並んで見える。
東京タワーって、こんなに優美だったんだとはじめて気づく。
女性のロングスカートのような風姿である。

 空港につくと、めずらしく、バス出発のラウンジだった。
小さな子供連れが多い。夏休みの最後だからだな。

 チーフパーサーの機内アナウンスを、ぼんやり聞いていた。
日本語では名字だけなのに、英語だとフルネームだった。
リカさんというのか。おぼえておこう。

 機内食は、ハワイアンスタイルのポークサンドイッチ海老マリネゴボウサラダだった。
茄子とズッキーニのオニオンスープを、スプーンですくい、すする。
フム、な〜んかあとひく感じで、これは病みつきになりそうだ。

 ポッカリ浮かんだ雲の塊をながめ、今年の夏は、いつもにも増して、な〜んにも仕事をしなかったなと思う。
まあ、そのかわり、健康診断はセーフだったから、まっ、いっか。

 アップルジュースを飲みながら、9月になったら、仕事を再開しようとチラと反省するが、果たして、どうなるか。
あ、そういえば、スタバでホットコーヒーを飲めなかったんだと、悔やむ。

 ああ、今年も、ほんとうに夏休みが終わったんだなあ。And Summer Is Goneだ。


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# by nonoyamasadao | 2018-09-01 10:42 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

ゆるゆる生活

 このところ、DVD化されたテレビ・ドラマばかり見ている。
『受験のシンデレラ』は、なかなか良くできていて、面白かった。
小泉孝太郎さんは演技が上手くなっていたし、川口春奈さんがけなげで、愛らしい。
お受験のドラマで、小泉孝太郎さんが伝説の予備校教師で、川口春奈さんが受験生という役柄だった。

 和歌は、ラブレターであるという。フム、そりゃそうだ。
西野カナだと思えと、教える。
会いたくて、会いたくて、震えるみたいなものだと、ドラマでは言う。
またまた、いいかげんなことを・・・と思いつつ、受験勉強はそ~んなもんだよなと、思い返す。
もっとも、受験は高校だけだから、お気楽だったのかもしれない。
まあ、イチゴパンツの明智光秀さんが、本能の赴くまま行動したら、本能寺の変になったとか、結構、言葉遊びしながら暗記した。

 『コントレール~罪と恋~』は、これでもか~とばかりの、あざといドラマで、すぐにやめた。映像はきれいなのに、大石静さんのドラマとは、相性が悪いみたい。

 お口直しに、寝しなに見たドラマでは、男女が、男坂と女坂の石畳の階段をそれぞれ上り、夜の湯島天神でお参りして、夫婦坂を一緒に降りてくる。
う~ん、これは、1度くらい、やってみたかったなあ。

 ビールを飲みたくなったけれど、休肝日だから、やめて寝る。


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# by nonoyamasadao | 2018-08-26 14:37 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

ラブ・ジェネレーション

 酷暑である。
危険な夏の暑さが、連日続く。
毎日、雑用で外出するが、外の方がクーラーがきいているのか、歩き回るからなのか、過ごしやすい。
家にいて、テレビなど漫然と見ていると、かえって、熱中症になりそうである。

 夜、一番星を見つける。
DVD-BOX『ラブジェネレーション』を見る。
そっか、もう20年以上前か。
してみると、この地に来て、四半世紀が流れたのか。

 ドラマでは、開巻、渋谷発、品川行きの山手線の終電に乗り遅れたキムタクを映し出す。キムタク、若っ。
山手線は、ウグイス色ではなく、銀色のステンレスの車体だった。

 あの頃の終電は、何時だったかな。
1時ちょっと過ぎくらい、だったような気がする。

 深夜の渋谷文化会館の前に、キムタクがいる。
ああ、パンテオンや、渋谷東急が入っていた建物だった。
タワーリング・インフェルノは、ここで見たような気がする。
 天文博物館の五島プラネタリウムには、とうとう、一度も行かなかった。
まあ、ディズニーランドにも、一度も行かなかったので、不思議ではないけれど、かすかな後悔がある。

 振り返ると、中央線か、東西線、丸ノ内線が主体の毎日だった。
新宿、銀座、新橋で、よく飲んだ。
 ドラマの渋谷東口界隈は、あまり馴染みがないはずだが、不思議と懐かしい。
渋谷は若者の街といった風情で、疎遠に感じていたのだが、大都会の夜の匂いは共通しているのかもしれない。

 渋谷という街が嫌いというのではない。大学生活や通勤では、縁がなかっただけだ。

 このドラマの頃は、四十代後半の中年の終わりのころだった。
念願が叶い、思い通りに転職し、この地に来たが、それでも挫折や欲求不満を抱え、何もしないまま時間が流れた。
 今思うと、まだまだ若く、贅沢な時間だったと思う。
大切なことは、いつだって失ったり、通り過ぎてから気づく。

  寝しなに窓を開けると、一番星と同じあたりに、星を見つけた。


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# by nonoyamasadao | 2018-08-13 13:24 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

平成最後の夏

  早朝、通り抜けの大学のキャンパスを歩く。
まだ、ほとんど誰もいない。
あたり一面、蝉時雨である。
見上げると、大楠やモミジや欅などさみどりの葉を繁らせる。
さみどりという季節はとうに過ぎたけれど、暑さのせいか、そう見える。
一面の蝉時雨といっても、東京時代のアブラゼミのようににぎやかを通り越して、うるさいわけではない。
文字通り、雨が降るような感じの蝉時雨で、程よい。

 それにしても、一晩中、クーラーをつけっぱなしでないと、かなり堪える。

 ああ、ことしも夏が来たんだなあ。
平成最後の夏は、焦げるような、陽炎がゆらめくような暑さだ。
もう、二度と来ない平成の夏だ。

 夏は、恋愛などと似て、魔法のような、幻のような魅力をもっている。
焼け爛れるようで、堪らなく辛くて、でも、それが終わると、哀愁がある。 
不思議な魔法の季節である。
平成、最後の夏は、殺人酷暑だが、しかと噛みしめるように過ごそう。

 きっと、十年くらいたって、まだ、健康で生きていたら、平成最後の夏を思い出したら、甘くて切ない、しみいるようなさみしが襲ってくるに違いない。
ことしの夏は、スモモを食し、スイカを食し、イチジクを食し、おいしいビールをたくさん飲もう。

 もう少し、若ければ、日暮れのダラダラ坂が続く道を、麦わら帽子を被って、自転車をこぎたかったなあ。
願わくば、桔梗模様のうちわでももっている、浴衣がけの黒島結菜さんのような、昭和な感じのショートカットの女の子とでも、すれ違ったらサイコーである。

 背中で聞いた蝉時雨を思い出しながら、あの夏の、あの夕景は、ああだった。。。な~んて、思い出すのもよいものである。
そして、ゆっくりと、冷たい枝豆で、冷たいビールを飲むのである。


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# by nonoyamasadao | 2018-07-24 16:20 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

夢見るころを過ぎても、まだ、夢を見る

  明日は、自己紹介をしなければならぬ。
いくつになっても、寄る辺なくて、ついついメモなど書いて、それを上手く読めないで、自滅するパターンである。以下は、その概要である。

 ボクは本が大好きで、暇ができると、三年坂通りの蔦屋書店や長崎書店によく出掛けます。
本棚に、びっしりと並んだ文庫本のコーナーや平置き新刊本のコーナーを散歩するように見て回ると、何だか気分が落ち着きます。
写真が美しい料理のレシピ本も好きで、木の葉型のデミグラ・オムライスの優しい黄色に、じぃっーと見入ってしまいます。
要は、食べ物に、並外れて意地汚いんです。

 川上弘美さんのうけうりですが、今までの人生の中で、一番多く、足を踏み入れたお店は、本屋さんです。
その次は、居酒屋か、大人の喫茶店のお蕎麦屋さんだと、思います。
陽が暮れるころに、お蕎麦屋さんでビールを飲んで、ああ、今日も一日が平和に暮れてゆくなあ。。。と思うと、少し感傷を伴った、懐かしいような、心地よい気持ちになります。若いころは、こんなこと、小市民的でヤだなぁと思っていた。人間は変われば変わるものだ。
三番目に行くお店は、スーパーか、映画館だと思います。

 ということで、いつでも、どこでも、映画と読書。。。が、ボクの趣味の大半です。
じゃあ、他には何があるだろう。。。と、つらつら考えると、旅と温泉と旬の料理に、興味津々です。
雪が舞う季節に、寒い北国の温泉に行って、庭の灯籠に照らされた灯障りの木の紅葉などを眺め、たくさんセリの入ったキリタンポ鍋を食すと、ああ、生きていてよかったぁ。。。と、心底、そう思う今日この頃です。

 映画も読書も、そして、居酒屋や旅にも、共通するものがあります。
それは、池澤夏樹さんのうけうりですが(だったと思う)、ほんのひとときの間だけ、別の自分に出逢うことができます。

 でも、ときどき、あまり浮世離れしてもいけないよなあ。。。と反省することもあって、月に一度くらいは、時局を論じた、進歩的なのと、保守的なオピニオン雑誌など、斜め読みします。
もう一度は、政治、経済、経営、社会、文化に関する、アカデミックな書物も、一応、読みます。でも、ほとんど訳わからない。

 人生には選択の道が迷路のようにあって、いまだ、筋書きのないドラマに翻弄されていますが、これから先、どうなるかなあと思うと、年甲斐もなく、思いもかけない僥倖が明日にも来るような気がして、楽しくなります。実際は、ほとんど来ません。けれど、ごくまれに奇跡みたいなことも起こります。2度くらい経験したので、もう1度、来るかもしれない。小さなミラクルを、今も祈っている。
まあ、老害なんでしょうが、そういう生き方が、ボクにあっていると思う。
 
 願わくば、宮沢賢治先生の雨ニモマケズのようにありたいと、ちらと思いますが、まあ、我儘な人間だから無理です。

 小学校、中学校の放課後の道草のように、晴れたり曇ったりの日々の出来事あれこれを思い出しながら、ゆっくりとまったりと、残された時間を、楽しく過ごせたら最高だなって思います。

 中学校になるかならないころの、お正月に読んだ大好きな石森章太郎さんの『あかんべえ天使』のように、今日に「おかえりなさい」と、明日に「いってらっしゃい」を繰り返しながら、一日が過ぎれば、それはきっと、ボクにとって、サイコーなのだと思う。


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# by nonoyamasadao | 2018-07-10 19:11 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

人生は、ついふらふらと

 川上弘美さんに 、午後の早い時間から、お蕎麦屋でせいろを食し、ヒマだから、神社などに寄り道して、匂いにつられて赤提灯に行くエッセイがある。
20代半ばの女子の同僚と二人で、ついふらふらとという、理想の老後みたいな生活をしていたとある。

 そっか、20代女子二人だと、そうなるのかもしれない。
時代背景も、あるだろう。
昔のころは、そうだったんでしょうね。

 ボクも、会社員をしてたけれど、17時30分過ぎは、ついふらふらと季節料理屋さんで、お酒を飲んでいた。
それが病みつきになった。

 最近、基本は、1飲2休肝日だけれど、ビール中缶2本か、ビール中缶1本、日本酒1合の生活に、ビールか日本酒か、どちらか1本増える日が多くなった。
いかんなあ。。。とは思う。
しかし、晩年の山口瞳さんは、お猪口一杯を何時間も費やして、飲んだというエッセイを読んだ気がする。
これは、辛すぎる。

 ここで、『恋人たちの時間』を思い出す。
主人公は、かく語りき。「本は、まず、最後のオチから読む。なぜなら、いつ死ぬかわからないから」。。。ってね。
『君の膵臓をたべたい』みたいな、流れ弾だって、あるかもしれぬ。

 まあ、一本増やすことの正統化に、必死過ぎる気がする。
人生は、ついふらふらとであってよいのだと思う。

 梅雨の季節である。
梅雨入りしてから、一度だけゲリラ豪雨があったけれど、暑い日が多い。
今日は、それほどでもなかった。

 初夏の空は青く、まだ少しくらいは暑いけれど、空気はじめじめしないで乾いている。
理想の老後は、この後、テレビを見たり、本を読んだりして、夜の帳が降りたころ、美味しいつまみで、熱燗の日本酒を時間をかけて、ゆっくりと飲むことしか、思い浮かばない。

 ほかには、なにも浮かばない。
大判のノリで包んだオカカのおにぎりと、あみの佃煮で、日本酒を飲む。
それに勝るシアワセは、ない。
まっ、いっか。


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# by nonoyamasadao | 2018-06-12 19:18 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

夢は嘘をつかない

  最近、明け方によく夢を見る。
トイレに行こうかな、面倒だから、我慢しよ。
ということで、眠りが浅いせいもあるのでしょう。

 夢の中では、中学時代の友達と、大学時代の友達と、会社時代の友達が、一緒になって、登場する。
ボクは、実物も悪いのだが、写真うつりが、選りすぐって悪い。
自意識過剰なのである。
だから、知らないで撮られたものなら、かろうじて、見られる。
まあ、ブサイクなのは、仕方ない。
そんなことだから、アルバム写真など、高校の修学旅行の数枚の写真から、一挙に、30代の年末パーティ写真まで、なにもない。
当然だが、友だちとなると、記憶の中に痕跡として、残っているだけだ。
ただ、夢は嘘をつかないというか、知らない同志の中学時代の友人と会社時代の友人が、話し合うことはない。

 昨日見た夢では、30才直前の頃に、1才上の友人と旅をしていた。
列車の中だった。
流れていく景色が、日本海っぽいので、金沢か、温海温泉に、行った時のことが、原風景だろう。

 ふと、岩崎宏美さんの二十才前のメロディーが夢の中で、浮かんだ。
フム、阿久悠さんの詞は、苦手なのになあ。

 そうだった。
いつだったか、どこかに向かう列車の中で、二十才前が思い浮かんで、三十路前に読み替えて、心の中で、歌ったことが、確かにあった。
三十路になるのが、ああ、もう青春とはさすがにいえないなあ。。。と、とてつもなく、さみしかったのを、覚えている。

 もちろん、声に出して歌ったわけではないし、一緒に旅した友人にも話していない。
そ~んなささいなこと、よく覚えていたなあ。

 なるほど、夢は嘘つかない。



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# by nonoyamasadao | 2018-06-11 17:54 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

疲れたときには散歩

 最近、肩こり、首凝りがひどい。
そりゃ、そうだ。
元来、出来の悪い頭を、酷使しているからだ。
しかも、成果はあがらず、どうどうめぐりか、かえって、出来が悪くなっているような気がする。

 年なんだから、こーゆー時は、何も期待せず、ゆっくりと、まったりと、散歩でもすればよい。

 はじめて、大人になったと自覚したのは、いつだろう。
何かの体験で、子供から、大人に変わるものではないと、思っている。
だいいち、大人になることが、いいことなのか、立派なことなのかは、分かんない。
な~んとなく、税金を納めたときが、一応、大人になった時かなと思う。

 はじめて、人を好きなったのはいつだろう。
幼稚園や、小学校の初恋は、人を好きなったとは思わない。
もっと、違う何かだ。
それは、きっと懐かしい時間だったり、大切な風景なんかを連れて、その瞬間が蘇るはずだ。
しかし、そんなものは、思い出せない。
ひょっとしたら、本気で、人を好きなったことなど、なかったのかもしれない。
だったら、もの凄く、自分で自分が不憫だ。

 もしかしたらあの時かもしれない・・・が、2つ、3つ、よみがえる。
う~ん、思い違いかもしれなけれど、ボクにしては、上出来だ。

 毎回、集合住宅のゴミ出しだの、お酒のつまみだの、そんなことしか、このブログに書いていない。
さっき、仕事部屋から帰る時に、ナツツバキの白い花が、‌数輪、開いていた。
ひっそりとして咲くが、この花は、好きなんだよなあ。
通り抜けの大学では、暑い日差しのなかで、植栽のクチナシが、かなり、濃密な匂いを放つ。
この香りは、少し遠めの方が、よい香りがする。
小学校の額縁アジサイをチラ見して、病院の雑木の中に、ヤマモモの実を見つける。
ああ、そろそろ、梅雨が来るんだなあ。

 最近は、樹木すら観察しなかったけれど、やっぱ、樹木観察は、季節とか、空気の匂いを感じる。
そういえば、この数年、鳥の声も、川の音も聞いてないな。

 今日は、寝る前に、星を探してみよう。
 長田弘さんによれば、人生には何一つ無駄なことなどないのだから、散歩したり、樹木を見たり、星を数えていれば、人生は森の中の一日に近づくかもしれない。
このところ、若い人と触れ合うと、つくづく年令を感じるけれど、生きているから、年を食う。

 春の日、あなたに会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。。。。とは、無縁だ。
けれど、3月末に亡父のお墓参りに行き、きれいな水と、安物の花だが手にもって、出掛けた。
 それで、いっか。


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# by nonoyamasadao | 2018-05-29 16:19 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

毎日、お酒を飲まなくなってから

 お酒を毎日、飲まなくなってから、12年目に入る。
その代わりに、しなくなったことがある。

 羽田空港のゴージャスなフカひれラーメンは、それ以来、久しく、食していない。
ビールと前菜で飲み、その後で、ビールと日本酒の熱燗で、フカひれラーメンを食した。
お昼頃の中華料理店は、相席でごった返し、朝の10時ころだと、開店まもなく、一人で食したこともある。

 日曜は、夕方から飲み始めて、大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』の頃は、ゆっくりと焼酎を飲み、日曜劇場『GOOD LUCK!!』も見ていた。
堤真一さんと内山理名さんが、ぜんぜん違う役柄で、双方に出演してた。
翌朝になって、日曜劇場を思い返すと、かなりあやふやだった。
今は、大河ドラマも日曜劇場も見ない。

 酒量も減らして、1飲2休肝日になってから、飲まない日は、夕食後は、DVDで、映画を観たり、DVD-BOXの昔の連続ドラマも、よく観る。
連続ドラマは、ついこの間終わったものを見ていたが、それが2000年代、1990年代と遡っていった。
1993年以前は、東京で、サラリーマンをしていたから、テレビなど、ほとんど観ていなかった。
そういえば、サラリーマンを辞めてから、ウィスキーを飲まなくなった。
一人では、飲みにいかないからだろう。

 1980年代ドラマは、題名だけ知っていて、観なかったものばかりだ。
最近は、1960年代後半の連続ドラマを見ている。
なんだかな、無限後退するようで、少し、コワイ。
この時代は、高校、大学の時代だったから、お酒は飲んでいないころだ。

 昨日から、3日間の休肝日だ。
お酒を飲まないと、朝早く、目覚める。
集合住宅の非常階段を下りると、行ってらっしゃーいとか、ちっちゃな女の子の声で、お仕事頑張ってね~とか聞こえてくる。
ああ、いいなあ。
ボクの場合、あ、オレ。あ、今日、遅くなる。。。というようなことは、とうとうなかった。

 星由里子さんが、亡くなった。
とても悲しい。合掌。

 大好きだったのは、1969年に一回目のご結婚をするまでだったから、ボクが19才になるまでだ。
目、鼻、顔の輪郭、配置、ヘアスタイル、声、みな好きだったけれど、一番、好きなのは、挙措動作とか、全体の雰囲気だったかもしれない。
自分なりの面食いのパターンがあるとすれば、その原型は星由里子さんだった。

 銀座の街中を歩いていて、一瞬、空気が華やいだ気がして、振り返ったことがある。
しばらくして、ああ、星さんに似た女性とすれ違ったのだと、気づく。
すぐに、もしかしたら一瞬の恋、みたいなものは消えたけれど、なんだか、シアワセな気持ちになった。

 なんだろう。こうして、さぁーっと過ぎて行く悲しみみたいのが、案外、大切なことのような気がする。


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# by nonoyamasadao | 2018-05-20 10:09 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

日々、所在なく

 5才頃、誰もいない大宮の競輪場で、ガキ大将に連れられ、よく遊んだ。
とその時、突然、警備員のような人に見つかる。
ヤバい!!ずらかれ。。。と、ガキ大将の指示がくだる。
子供たちは、クモの子を‏散らすように、あちこち、無差別に走って逃げた。
それは、きっと、サツだ!ずらかれに似た、緊迫した興奮があった。
子供心に、高く逃げ道を遮った柵であったか、塀をのぼって、脱兎のように逃げ帰ったのを記憶している。

 その時は、オヤジにどこからか漏れて、ヤバいなどという言葉は不良の言葉で、以後使用してはならぬと、きつく叱られた。

 今や、ヤバイよヤバイよ。。。は、誰でも使う。
きっと、出川哲郎の貢献だろう。

 美味しすぎてヤバい、‪カッコよすぎてヤバいとか、若い人たちはよく‌、口にする。
女性の人の方が、よく使うかもしれない。

 少し、下品な言葉の変格活用は、ある意味で、不思議な魅力を持っているのかもしれない。
子供の頃は、下ネタに拘って、よく連呼した。
 若かった親が過剰に反応して止めるものだから、よけいに関心が沸いた。
それは、音感に微妙な魅力があるのと、ワンワード、ワンフレーズで、周囲の人が、皆振り向いてくれたからでもあった。
カ・イ・カ・ンだった。

 さみしくって、よるべなかった、気持ちをうつしていたのかな。

 今や、年を重ねに重ね、それでもよるべないのだけれど、拘っている言葉がある。
ゆっくりと、とか、まったりと、とか、あわあわと、とかである。
きっと、残りの時間が、つるべ落としの速さで過ぎて行く反動からだろう。

 昨日と、一昨日と、傘をさして、雨のなかをゆっくりと歩く。
場所とか、時間とか、天候とかを、じっくりと意識して過ごす日々も、存外、捨てたものでないなと思っている。


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# by nonoyamasadao | 2018-05-03 14:44 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

子供の頃のお楽しみは・・・

 このところ、昭和の古いドラマのDVDばかりを見る。
雑司ヶ谷や鬼子母神などが映って、ああ、これは、昭和の原風景だなあと、つくづく感じ入ってしまう。
じつは、雑司ヶ谷にも鬼子母神にも行ったことはない。
けれど、都営荒川線が走っている当時の周囲の風景が流れると、なんだかせつない。

 そのせつなさは、どこから来るのだろう。な、なんなのだろう。
子供の頃のあの心細さと、それと裏腹の感情である楽しさとか、トキメキのようなものが蘇ってくる。
問題児で、学校の先生から怒られたり、お説教ばかりくらった。まあ、悪ガキだった。
その頃は、楽しいなどとは、決して思わなかったのに、今思い返すと、シアワセなキブンになる。

 夏休みのお楽しみは、一人遊びだった。学校がないから、友達とは遊べない。
ダラダラと起きて、テレビの『狼少年ケン』の再放送が楽しみだった。
片目のジャックが好きだった。
月岡貞夫は、やっぱ、天才アニメーターだと思う。
午前中の10時ころからだったと思う。

 夏ゼミの声がワンワン響くお昼ころは、麦わら帽子を被って、虫かごと、長い竹の棒の網を持って出かけた。
近くの住宅の松の木や、木の電信柱で、セミは簡単に見つかった。
アブラゼミは簡単に採れるけど、鳴きやんで飛び立つときに、よく、オシッコをかけられた。
よく声は聞いたけれど、ミンミンゼミは、なかなか、つかまらなかった。

 汗ダラダラになって、家に帰ると、冷たい麦茶を飲んだ。
はじめてのコカ・コーラは、クスリくさくて、まじいなと思ったけど、すぐに慣れた。
今思うと、あのころのコカ・コーラは、もの凄くパンチがきいていた。
子供だったからかな。
コカ・コーラがやみつきになるのは、確かだった。

 一息つくと、軟球とグローブをもって、近くの十字路にある大きなお屋敷に向かった。
角に、ブロック塀が、かぎ型に広がっている。
塀に全力投球して、跳ね返ってくるボールを拾った。
その家の人は、よく我慢してくれてたなぁと、今にして思う。

 そうだった。
小中学校のころは、ずっと、平屋の社宅だった。
学校から帰って、トントントンと階段を上がって、2階の部屋にランドセルや鞄などを投げ出すのが、夢だった。

 春が闌けていく。
もう少しすると、大好きなナツツバキの季節だ。


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# by nonoyamasadao | 2018-04-28 15:15 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

桜餅

 昭和のドラマのDVDを見ていたら、桜の花びらが散っていた。
ああ、今年もじっくりと、桜を見なかったなと思う。
いつも、通り過ぎてから、もったいないことをしたと悔やむ。
後ろ向きの生き方が、よく表れている。
この地では、桜があちこちで咲くので、さほど珍しくないのも影響しているのかもしれない。

 今は、ツツジが盛りだ。
東京時代にオオムラサキツツジで育ったせいか、大味で、雑駁な感じがして、あまり好きになれない。

 すぐ傍に桜の公園がある。
マンションの陽当たりが悪くなったせいだろうか。
全部、切り倒してしまった。もったいないことをする。
 
 少し前なら、小雨が降った日など、出掛けに公園に寄ると、満開の桜が間近で見れた。
見上げると、風に乗って、チラチラと花びらが舞う。
子供の頃に、風に流れる桜を、パクッと食べる遊びをよくした。
湿った土が、懐かしい匂いだった。

 改築中のご近所の住宅では、塀が取り払われ、庭の枝垂れ桜が、よく見えた。
今年は早かったが、いつもは、お彼岸の頃に咲く。
樹間越しにチラリと見える、一重で淡いピンクの花がとてもきれいだった。
こういうのを桜色と言うのだろうか。毎年、そんなことを考えた。
 今年は、じっくり全容が見えたのだが、なぜかつまらない。
きっと、ちらとしか見えない方が、もっと見たいという想像が、かき立てられるのかもしれない。
 こう書いてきて、な~んだ、今年は、結構、桜を見ているではないか。
じっくりと桜を見なかったわけではないなと思い返す。
さみしいけれど、感受性も老いるのかもしれない。

 まだ、ボクが小さかった頃、父が桜餅や、言問団子をよく買ってきた。
老母によると、料亭のお土産だろうという。向島の方の料亭によく行ったのだろうか。

 そうだった。遠い昔のことー
まだ、宵の口の銀座では、よく街頭で、竹で編んだ籠に入った桜餅を売っていた。帽子を被った花売りの人もいた。
鳩居堂の屋上では、星型のネオンが灯り、地球儀のネオンも遠くに見えた。
 春浅い宵に、ボクはなぜ、銀座にいたのだろう。
たぶん、まだうんと若かった母に連れられ、月ヶ瀬にでも行った帰りに、見たのかもしれない。
 
 竹籠に眠る桜餅は、数枚の桜の葉に被われていた。
荻窪の社宅の茶の間で、薄い半透明な羽衣に包まれた桜餅を食した。
淡く、さみしい味がした。
 ずっと後になって、同じものを食しても、もうその味は戻らなかった。
なぜだろうと、ずっと不思議に思っていた。
 勉強ができないと叱られてばかりの悪ガキのころ、春のうらうらとした陽が射す縁側の濡れ縁でも、食べた。
その時も、ほんのりと甘く、せつない味がした。

 あれは、きっと、幼い頃のあやふやに揺れた心をうつした味だったのかなと思う。


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# by nonoyamasadao | 2018-04-22 11:30 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

花散策

 今年は、ハクモクレンをあまり見なかった。
目の隅には入ってくるけれど、凝視はしなかった。
まあ、折々の花は、意識して凝視するようなものではないのかもしれない。
あっ、今年も咲いた。きれいだけれど、もうそんな季節か。。。って方が、自然だ。

 仕事部屋に行くとき、すこし時間があったので、遠い方の道を歩く。
あちこちで、桜を見る。
住まいの集合住宅を出て、すぐの神社に二本聳えるようにして、咲く。

交差点で、信号待ちしていると、神社の向かいの高校でも、咲く。

コンビニを通り越して、小学校にかかる前の住宅にも桜があり、小学校の正門には、何本もの桜がある。
一本、二本と数えていたのだけれど、さすがに面倒くさくなる。

 元来、桜には関心が薄いほうだ。
それって、己がさみしい人生を象徴しているような気がする。
いや、お花見デイトとか、臆面なくイチャイチャしたバカップルをイメージしているわけではない。
桜は異性とみて、来年もまた一緒に見れるとよいなあといった、ちょぴり感傷的で、あわあわとした静かな佇まいで見てみたいものだ。

 県立劇場では、コブシが整枝したせいか、花つきが遅い。
どこかで、北海道では、コブシを四季桜と言っている聞いたことがある。
たぶん、桜は5月にならないと、咲かないからだろう。
我が地では、はじめて、桜がコブシより、先行して咲くのを見た。

 過ぐる日、会社の友人たちから、蘇芳桜をお祝いにいただいたのを、歩きながら思い出した。
なんだか、ハナズオウに似ているなと思った。
地植えして咲いたら、やはり、やっぱ、ハナズオウだった。
赤紫の花が蝟集して咲く。
少々、ケバイ。プレゼントしてもらったのに、すまない。

 あれから、30年近くたつ。
自宅まで樹木を運んでくれた後輩は、ボクがこの地に移ってから、すぐに結婚し、間もなく亡くなられたと聞く。合掌。
ボクにも、たいしたことなどないけれど、いろんなことがあった。
守谷の庭に植えたハナズオウは、相変わらず、ケバイ花を咲かせているのだろうか。

 帰り道、突然、強風がビューッと唸り、住宅のオカメザクラの若木の枝が、柳のようにしなった。

↓弘田三枝子さんでは気に入らなくて、中二の時に、下井草のレコード屋さんで買った。



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# by nonoyamasadao | 2018-03-20 15:56 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

映画と私

  数年前に、45年ぶりくらいの高校の同窓会に行くと、辛うじて面影をとどめた仲間たちの一人から、「勉強ができなかったね」とからかわれた。
今になって、そんなことを言わなくてもいいのになあ。。。と思う。
でも、よっぽど、印象深かったのだろう。まあ、事実だから仕方ない。
本当は、できなかったのではなく、勉強しなかっただけさと、うつむいて、心の中で嘯く。
みながみな、ボクが映画狂(cinemacrazy)だったという。
そうだったかな。

 ボクにとって、映画は、ある意味で、背徳の行為だった。
高校に行くふりをして、サボって、吉祥寺のオデオン座の洋画の三本立てや、小金井名画座で、渥美マリさんのでんきくらげシリーズや、帯盛迪彦監督の高校生番長などの性典ものなどに、見入っていた。

 映画の事始めは、怪獣映画か、東映時代劇だと思う。
その後で、『用心棒』や『椿三十郎』の黒澤時代劇に、魅了された。
左手の逆手斬りに痺れた。
そうだった。
逆手斬りは、勝新太郎さんの座頭市ではなかった。
三船敏郎さんの方が、圧倒的なスピード感とダイナミズムがあった。
 自宅の庭の竹林で、竹林相手に、三船さんを真似て一人チャンバラをよくした。
な~んて、さみしい子供だったのだろう。

 亡父が時代劇好きだったから、『新吾十番勝負』などもよく見た。
今、思い返すと、10番勝負、20番勝負と進む勝ち抜き合戦だから、マンガの横山光輝さんの『伊賀の影丸』などと、同じ趣向だった。
もっとも、そのころは、山田風太郎さんなど知らず、『甲賀忍法帖』のイタダキだなんて、思いもしなかった。

 小説は、源氏鶏太さん、石坂洋次郎さんの文庫本は全部読んで、中学後半では、松本清張さんや黒岩重吾さんばかりを、新刊本や文庫本で読んだ。
たぶん、源氏鶏太さんや石坂文学だと、順列組み合わせのような青春群像の恋愛コメディーが、好きだったのだと思う。
黒岩重吾さんとなると、ニヒルな一匹オオカミのハードボイルドな生き様と、蠱惑的な女性との性愛という風俗小説的な読み方をしていた。

 映画を本格的に好きになったのは、フランス・ヌーベルバーグの『墓に唾をかけろ』からだった。
ボリス・ヴィアンが、別名で書いたハードボイルド小説が原作だったのは、ずっと後で知った。
ブルースがバックに流れる復讐映画だったけれど、青春バイオレンスといってよく、エロスも強烈だった。
今、思うと、『太陽の季節』や『狂った果実』と同じで、乾いた感傷があった。
『太陽の季節』は、この映画のあと数年後に、読んだ。

 『霧の中の男』という、濃霧の中を人影がうごめく、なにやら文学的な映画が好きだった。
これも、実は、石原慎太郎さんの原作だと、ずっと、後になって知った。
この映画で、蔵原惟繕監督の名前を知った。

 今年そうそうに、夏木陽介さんが亡くなられた。
なにをかくそう、夏木陽介さんの大ファンだった。
東宝女優では、星由里子さんのファンで、デビュー作品からみていた。
若大将シリーズの澄子さん役よりも、恩地日出夫監督の『若い狼』の夏木陽介さんと星由里子さんのツーショットがよかった。
夏木陽介さんの帰りを安アパートで、小鳥相手に待っている星由里子さんの姿には、フランス映画の味わいがあった。
この映画のキスシーンは長かったし、谷口千吉監督の『やま猫作戦』では、星さんは幼い中国少女だったが、ここでもキスシーンがあって、子供心に、夏木さんが羨ましかった。

 こう見てくると、ボクは、西部劇やサスペンス映画、チャンバラ、ミュージカルなどから、映画好きになったのではなかったのがよくわかる。
きっと、砂を噛むような青春の空白を、映画や小説のなかの青春で、埋めていたのではないか。

 数多くの映画との出会いでは、出会っても、気にも留めず、見ることもなくすれ違うはずだったのが、時間つぶしで、たまたま観たものが多い。
そのほとんどは、忘れてしまっている。
人は駄作と言っても、自分の中には、妙に色濃く記憶に残る作品がある。
その時の状況や、気分にもよるのだろう。
でも、きっと、そこには、何らかのルールのようなものがあって、偶然ではなく、必然としてめぐり会い、記憶に残ったような気がしないでもない。


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# by nonoyamasadao | 2018-02-17 14:24 | 洗練コメディー映画 | Trackback | Comments(0)

土曜日のタクシー

  昨日の土曜日は、午前中は雨降りで、午後は曇りだった。
夕方近くなって、用事で、タクシーに乗る。
ん?めずらしく渋滞する。
この地の渋滞は、東京のように、ばたっと止まって動かないなんてことは、先ず、なかった。
昨日は、橋のあたりで、バタリと止まる。
市電だけが、がたんごとんと動く。
一軒だけになったデパートで、うまいもの市と駅弁フェアと、バレンタインで賑わうので、渋滞になるのだと、運転手さんから聞く。

 フム、どれもこれも、ぜんぜん関係なくて、かすりもしない。
歩いた方が早いかも。。。とか思う。
まあ、そんなに急ぐことなど何もない。
信号が青になる。
けれど、車は進まないし、隣の車線のバスもうごかない。
日が暮れそうになり、市電はさっきより、お客を増やして、ゆるやかに過ぎて行く。

 窓から、外を漠然と見ていると、マスクをした女性が多い。
髪が揺れているから、風が吹いているのだろう。
そっか、ことしは、インフルが流行っているのだなと、あらためて思う。

 あっ、シートベルトをするのを、忘れていた。
渋滞しているから関係ないけれど、しないと癖になるから、シートベルトをつける。
やっぱ、身体を締めるのは、どうしても好きになれない。

 することがないので、黒糖飴を食べる。
手持ちのペットボトルから、ぬるい茶を飲み、そろそろ、入試の季節だなと思う。
それが終わると、冬も終わって、卒業式か。

 今年は、ウメ、モクレン、コブシの花を楽しもう。
ウメは、そろそろかもしれない。
家の近所は、だいぶ、様変わりしてしまった。
夏に楽しんだ、紅と白のサルスベリのトンネルは、なくなって久しい。
白いサルスベリのアパートは、新しいマンション風の建物になった。
紅いサルスベリの住宅は、主がいなくなり、家屋が壊されても、サルスベリだけ残っていた。
今はそれもなくなり、駐車場になった。

 タクシーが動き出す。
セピア色の景色が、すこし、明るんだ。

 ああ、ことしも、春が来るんだな。
雲間から夕焼けが、すこしだけ、西の空に残った。


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# by nonoyamasadao | 2018-02-11 14:29 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

風花

 毎日が、寒い。
さむいではなく、さぶい。さぶいの方が、なんとなく、冷え冷えした感じがする。
と思って、外を見ると、風花が舞っている。

 風花は、晴れているのに、風が立ち、ちらちらと花びらの雪が舞うさまをいうのだろう。
美しい日本語だ。
まあ、狸の嫁入りっていうよりは、ロマンティックである。

 今年は、寒いからか、じっと我慢していた、自宅の酒量が、2倍になる。
その分、休肝日も2倍に増やしているけれど、この11年間の努力が、水泡に帰しそうだ。
ここは踏みとどまって、また、ストイックに飲むようにしよう。

 何がいけないのかというと、どうも、炬燵がいけない。
昨日など、カニ鍋のできそこないの野菜鍋で、ビールと日本酒を飲んだ。
ここまでで、やめれば問題ない。

 そのあと、リビングに広げた炬燵に入る。
炬燵の上には、水性ペン、爪切り、エンピツ、電気ヒゲソリ、文庫本、メガネ、体温計、腕時計、ケイタイ、モバイルノートpc、テレビのリモコン、くしなどあって、これが妙に落ち着く。
テレビや、DVDなど、ぼんやりとみていると、まあ、当然、飽きてくる。

 しょうがないなあと、ミカンなどむく。
炬燵の中に猫でもいたら、退屈じゃないのなあ。。とか考えていると、退屈の限界に達する。
もう、いけません。エーイ、また、飲んじゃおってなる。

 てなことで、1合半徳利の熱燗で、シソコンブとか、きんぴらレンコン、ゴーダチーズで、飲んでしまう。
う~ん、極楽極楽、至福の時間が、ゆっくり、まったりと過ぎていく。

 いけませんね。立て直さなくっちゃ。



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# by nonoyamasadao | 2018-02-05 15:30 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

キラキラ音楽

 大つごもり、元旦とたくさん飲酒したので、1月2日から9日連続の休肝日にする。
一年の計は、元旦にありだ。
今年の目標は、「フルフワでまいろう」と、「休肝日を大切に」にした。
ユルフワの意味は、リラックスして、何事も柳に風と、ふんわり、ふんわりと、優雅にやり過ごしたいという願望から来ている。
さっそく、イヤな出来事が起きたが、いや、気にしない、気にしない、のユルフワ路線で日々あわあわと、暮らしたい。
果たして、できるっかな。

 ネット検索すると、当節の女子を語るときにも、2つのユルフワのタイプがあるみたいだ。
1つは、イチゴショート系の、いかにも異性にモテそうなタイプだそうで、もう1つは、モンブラン系の、ナチュラルなタイプだそうだ。
だとすれば、我が青春は、前者には、かすりもしなかった。

 ボクはケーキは嫌いである。
けれど、昔々、ケーキを食べたことはある。
子供の頃に、荻窪にあった坂井屋(だったと思う)から、まだ若かった母が、買ってきたからだ。
東郷青児の幻想的な、子供心にも美しい洋風女性の絵が包装紙だった。

 食したのは、いつもモンブランだが、ショートケーキのほうが、じつは、好きだった気がする。
わずかな女性交遊では、モンブラン系しか、縁がなかった。
そう、男性の視線を意識した女性には、とてつもなく抵抗があって、でも、じつは、ショートケーキ系女性に、憧れていたのだ。
当然、手も足も出ない。
フ~ム、新年早々、我が逆説的、屈折した若かりし日を今更、公式に語ってどうする?

 でも、イチゴショート系女子は、今風に言えば、キラキラッとした感じがある。

 ケーキを食したころは、ララミー牧場が、小学校では人気だった。
ロバートフラーの印象はほとんど残っていないけれど、馬に乗った二人が登場するクレジットタイトルが流れるシーンだけは、覚えている。
なによりも鮮烈に記憶しているのは、ビールがコップから、ドボドボと溢れ、淀川長治さんが登場する西部こぼれ話である。
日曜ロードショーの前だった。

 音楽で、キラキラって何だろうと考えたら、『スタンド・バイ・ミー』の挿入歌のロリポップが思い浮かんだ。
な~んか、白黒映画にカラーの逆光線のハレーションが線路づたいに、きらめいた様に錯覚したのだった。

 本当は、伊東ゆかりさんが11才の時に(1958年)歌ったlollipop(ラリポップ)が、聴きたかった。


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# by nonoyamasadao | 2018-01-20 18:25 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

年賀状

  年末に、クリスマス会と、13年ぶりくらいの年少の仲間と忘年会をした。
ちょっとうれしい気分になって、ここのところ、家に引きこもっている。

 郵便振替と年賀状を出しに、郵便局に行く。
寒い。
ボッコ、ボコの着ぶくれだから、体がかなり重い。
はたから見たら、ものすごくカッコ悪いだろうなと思いながら、トボトボ歩く。
べつに、ウツになったのではない。

 ん?あれっ、払込書が見つからない。
どこかに、落としたのかしら。
まっ、いっか。

 仕方ないので、年賀状だけ、赤いポストへ投函する。
年賀状の枚数が少ないので、少しの時間差の後で、ポソという音がした。
数年前までは、ポトだったのになあ。
すこし、さみしい。

 スーパーに行く。
しめ飾り、蒲鉾、冷凍カニなど買いこむ。
 最近、アメに凝っている。
のどアメ、沖縄黒糖アメ、サイダー果物風味アメなど、買いこむ。
タバコをやめて、もう11年になる。
なぜに今、アメなのか。
口さみしいからだろうが、こんなことじゃ、糖尿病になるかもしれない。
アメごときで、糖尿病は引き合わないので、すこし、控えようと、誓う。

 帰宅すると、消し忘れの暖房の風で、リビングのポインセチアがそよそよと揺れてた。


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# by nonoyamasadao | 2017-12-30 11:23 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

年の瀬

  年賀状をまだ、書いていない。
一言そえるのは、どうしよう。
定年まで、あと3年になります。。。とかじゃ、どうもぱっとしない。

 来年の目標を考える。
だったら、腹筋を鍛える、少し、早めに歩こうかな。
昨日、こたつに足を突っ込んだとき、おなかがポコッと出てるのを、今になって、気づいたからだ。

 毎日、5000歩くらいは、歩いてはいるけれど、だらけきって歩いてる。
時々、鬼のような必死の形相で早歩きする、ボクより年長者がいるけれど、あれって、かえって、体によくないような気がする。

 年末年始にみる映画を探してて、新海誠さんと細田守さんのDVDを買ってしまった。
そう、今年になって、遥か年少の友人たちから、アニメの面白さを教わった。

 大みそかと元旦だけは、しこたま、お酒を飲もうと思う。
その後は、9日間、休肝日にしよう。
もともと意志薄弱なのが、さらに弱くなり、誘惑に抵抗することなく、従うことになった。こりゃ、イカンですよ。
亡父は、ボクが享楽的なタイプだと、嘆いていたようだ。
 フム、最初が肝心だ。不退転の決意である。さて、どうなるか。

 今年は、脳ドックでひっかかり、心電図でひっかかり、どちらも怖い思いをして、再検査して、問題なかった。
先ずは、よかった、よかった。

 クリスマスに、遥か年少の友人たちから、ポール・スミスの高価そうなハンチングを頂く。
彼らの来年が平和で、シアワセであることを祈ろう。

 大みそかの晩は、やっぱ、カニ鍋にしようと思う。
矢田亜希子さんがドラマの中で、カニの入らない鍋は、鍋じゃないと言っていたのを思い出した。


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# by nonoyamasadao | 2017-12-27 11:42 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

理想と現実の間

  最近、仕事の帰りに、いつもスーパーへ行く。
食い物には、際立って意地汚いので、お総菜売り場にはよく行ってた。
たまに、贅沢して、百貨店のお惣菜の売り場にも行く。
この間、おうつくしい売り子のお嬢さんに、注文した後に、今日は、ニラ餃子は、よろしいのですか?と問われる。
あらっ、ボクをおぼえてたんですか。
その後、二つあって、ほとんど行かない側のお刺身の売り場に行くと、これまた、おうつくしいおねえさんが、いつもどうもと頭を下げる。

 う〜ん、なんかねえ、人生に疲れて、たそがれたじいさんが、いつも買い物に来てて、不憫にうつるのかなあ。
熟年離婚かなにかで、奥さんに逃げられた孤独な老人っぽいのかなあ。
だったら、やだなあ。。。と、くよくよと悔やむ。
まあね、お愛想の挨拶って、考えればよいのでしょう。
自意識過剰と思うことにした。

 そーいえば、このところ、使い捨てカイロだの、食洗器の洗剤だの、燃えるゴミの袋だの、やけに所帯じみた買い物が増えた。

 我が夢に描いた人生の設計図では、今頃は、今日のように風花が舞う中、寒い〜寒い〜と言いながら、サザンカの生垣の剪定などする。
一仕事して、茶の間で、アップルティーか、八女茶でも啜り、まだ、年賀状にははやいな、などと思っていると、お隣から、お声がかかる。
お隣には、美人の料理研究家がお住まいで、なんと、都合のよいことに、なぜか独身なのだった。

 ちょっとだけ、希少品のビールか、日本酒をもって、いそいそと出掛ける。
夜の帳が降りたころ、おいとまして、今の季節だと、ジョージ・シートン監督の『三十四丁目の奇蹟』のDVDなど観る。
そ〜んな、理想の老後を過ごすはずだった。

 今年は、今のところ、インフルエンザに罹っていない。
ジジイのみなさん、インフルエンザの予防接種は、必ず、しましょうね。

 受験の神様の神社から来た来年のお守りを仏壇にのせ、亡父に、今年は、お墓参りに行けなかったことを詫びる。


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# by nonoyamasadao | 2017-12-17 16:08 | 雑文 | Trackback | Comments(2)

デイ・ドリーム・ビリーバー

  NTTドコモのCMが楽しくて、ゴヒイキである。
まあ、堤真一さんと高畑充希さんの絡みが、見どころだ。
ケバメに決めた、ボディコンのタイトスカートでブルゾンみつきが参上し、オフィスを闊歩するあたりから、連続性のあるこのCMは、どんどんエスカレートしていった。
どこまで行くのかしらと、思っていた。
案の定、CMのタブーである上司・部下の不倫関係の距離感の、エレベータ内の今のCMに至る。

 いいのかな。。。と思いながら、高畑充希さんのオーバーアクティヴな演技が面白い。ハマったかな。
アニメの『ひるね姫』の彼女が歌う主題歌の「デイ・ドリーム・ビリーバー」をyoutubeで聴きながら、う~ん、よい詞だなあと思う。

 モンキーズの『ザ・モンキーズ』は、そう、高校2年生の冬だった。TBSテレビで、見た。
「デイ・ドリーム・ビリーバー」も、リアルタイムのヒット曲で、ラジオでよく聴いた。
モンキーズは彗星のように現れて、あっという間に、流れ星のように漆黒の闇の中へ、その光点を消していった。

 「デイ・ドリーム・ビリーバー」と言えば、訳詞ではなく、独自の歌詞をつけた忌野清志郎さんを思い出す。
いつも、学生運動家か土木作業員のようないでたちで、日本語で歌っていた。
でも、当時は、およそ興味なかった。

 振り返ると、井上陽水さんの名盤だと思った『氷の世界』の「帰れない二人」の詞は、ボク的には退屈なだけの、同じアルバム内の小椋佳さんの「白い一日」と較べると、遥かに心に響いた。
なのに、清志郎さんとは、相性が相当悪かった。
「い・け・な・いルージュマジック」は、パンクファッションやエキセントリックな行動がどうにもダサク感じて、違和感だけが残った。
あざといなって、思った。

 当時、本社が千歳船橋にあって、地下室の会議室にプロジェクトチームとして、終日、蟄居していた。
お昼になると、2階にいるOLさんたちが、注文していた出前を、業務用のエレベーターに乗せて、地下まで下降させて、運ぶ操作をしてくれた。
そのプロジェクトチームのまじめな、メガネをかけた、とてもプログラミングに才能があった典型的な理系女子が、忌野清志郎さんの熱狂的なファンだった。
追っかけをしてて、本人曰く、ライブに行くと、人格が変わるほど、RCは弾けるのだという。あな、おそろしい。

 彼女が、自宅かどこかの庭で写した、くつろいだ和服姿の清志郎さんの写真を見せてくれた。
スナップでは、閑寂な空気が流れ、すこしはにかんだ清志郎さんの目に、かなしみの影を見つけた。
でも、鎌倉文士的佇まいだなと思った。
ああ、これが、彼の本性だなって思った。不思議なくらい、違和感はなかった。
けれど、彼の音楽性に魅力を感じなかったし、時は過ぎ、清志郎さんは逝った。

 たぶん、セブン・イレブンのCMのせいだろう。
彼の「デイ・ドリーム・ビリーバー」の詞の1部だけは、よ~く、記憶していた。
♪ずっと夢を見て 幸せだったな
♪僕は Day Dream Believer そんで
♪彼女はクイーン

 高畑充希さんのアニメのPVの「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、清志郎さんのコピーだ。
じっくり、聴くと、ステキな詞で、けど、どこかさみしい詞だなあと思った。

 朝早めに、目覚ましが鳴って、ケンカしたり、仲直りしたりして暮らしてきた、別れた彼女を懐かしむ歌かなと思いつつ、じっくり聴いていると、どーも、違う。
まあ、ファンの人には、有名なのでしょうけど、清志郎さんの記事を読んで、ああ、そうなのかと得心がいった。
この彼女ってのは、彼の亡母への追慕の総称だった。
彼は、出生の秘密を、育ての親が亡くなってから、知ったという。
ならば、彼女が生みの親か、育ての親かは、どちらだっていい。
個人的には、まだ見ぬ、3才で死別した母のような、気がしないでもない。

 どちらにしても、ずっと夢を見て 幸せだったーーー夢信者には、変わらない。
う~ん、ちょっと、泣きそうになるようなグッとくるせつなさを、久しぶりに味わった。
清志郎さんに、合掌。

 願わくば、リアルタイムで、1度くらいは、ちゃんと聴いてみたかったな。NHKのSONGSとかでね。

 そろそろ、今年も12月なんですね。↓この女優さん、歌、うまいです。


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# by nonoyamasadao | 2017-11-24 20:48 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

街中のパン屋さん

 秋の寒さらしきものと、インフルらしきもの到来の季節だ。
だが、我が 仕事に、大きな手直しが必要となった。ムム、辛い。
晩飯の買い出しをして、食後にテレビを見ながら、締め切りがあるので、深夜まで思い詰めて仕事をする。
この程度のことは、若い時なら、土曜から日曜にかけて完徹で、楽勝で、仕上げたのになあ。
そりゃ、疲れたけれど、日曜にはゆっくり寝て、月曜日には仕事を定時に終えて、夜は飲みに出掛けた。
でも、この仕事は、しばらく続くだろう。じつは、それもあり難き哉の心境もある。

 まあ、こんなことは、昔なら、いとも易々とやってのけたものだ。
ロートルになったんだなあ。
こうして文字にすると、己が限界が明瞭となり、なんだか、あらためて、さみしさが増してくる。
でも、幸せはささやかなるものをもって極上とする。。。のである。それが、大人さ。
だったら、まっ、いっか。

 我が地の街中に、他が店仕舞いしたために、一つだけになったデパートがある。
道路を挟んだ隣に、店に名前が横文字で書かれ、パンの家という日本語が添えられた看板のかかったパン屋さんがある。

 いかにも街角のこじんまりしたパン屋という風情である。
レンガ造りの縦枠と丸太を使った横の流れが調和した外装は都会的で、いかにも若い女性が好みそうだ。
『ユー・ガット・メール』のNYのアッパーウェストサイドのメグ・ライアンの経営する、小さな絵本専門店を思い出した。
そう、オサレな感じである。

 若い女性が好きそうだなどと書くと、わっ、若いという言葉に過剰反応されて、立ち往生した苦い記憶が蘇る。
まあ、いかにも、女性好みのパン屋さんだ。

 実際、老いも若きも入り乱れ、狭いお店は、女性だけでひしめく。
朝、昼、夕は、OLでイッパイだし、いついかなるときも、デパート帰りの人や、目抜き通りからも人は流れ込んでくるみたいだ。
そんな、ごく限られたスペースで、男一匹が女性群像にまじって割り込み、パンを探すのはまことに気恥ずかしい。
若い時だったら、卒倒しないまでも、立ちぐらみするか、パニック障害になっていたかもしれない。
いやあ、たくましくなったというべきか、破廉恥な人間になったというべきか。後者だろう。

 店の広さの割に、実にさまざまなパンがある。
しかも、みな美味だ。
甘い系のパンと、食事系のパンがほどよく、ミックスしてて、バケット系がさらに美味だ。
食事系のパンとは、焼きそばパンのような一般の発想と境界を画した、一捻りした、がっつり食べる系の総菜が詰まったサンドとかだ。

 でも、トングを使って、トレイにのせる心の余裕など、まったくない。
ささっと見つけ、わしづかみし、胸に抱きかかえて、レジへと駆け込む。
そして、脱兎のように、風の中を走って逃げ帰る。クリスマスの5週間前が(わかる人には分かる)近い。

 ほらね、三昧ブレッドを買い忘れた。


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# by nonoyamasadao | 2017-10-29 11:43 | 雑文 | Trackback | Comments(2)

こたつには、まだ早い秋

  昔、9月に入ると、衣替えだった。今は、どうか知らない。
夏の陽ざしがじりじりと照りつける日々は、遠くなって、このところ雨の日が続いた。

 やっと、肌寒くなる。
今までの人生で、いくつかの旅はしたけれど、目くるめくような錦秋の秋は未だ、未経験である。
山田線で、宮古に向かうときに、すこし、そのような気分を味わった。
激しい恋のように紅蓮に燃え上がる山や、はぜる火花のように降りしきるモミジの紅葉など、しらない。
もっとも、そのような過剰は、今となっては、疲れるだけだ。

 もう少したつと、日暮れが早くなる。
そんな時間になると、荻窪の社宅にいたころ、庭の鉄平石の飛び石を、ワン、ツー、スリーと言いながら、一人飛ぶ、遊びをした。
みんな、小学生なのに、英語のお勉強などで忙しくて、誰も遊び相手がいなかったころだ。

 夜になると、ご近所のどこからか、キンモクセイの香りがして、夜の匂いにまじって漂い、やがて、どこかに去って行った。
この地でも、昨日の深夜、同じ気分を味わった。
青白い月明かりも、同じだった。

 友人からのメールで、ビートルズ好きの、もっともハイブラウで、ウィッティだった同級生が、逝去したのを知る。合掌。
そっか。こうやって、一人一人、消えていくんだな。

 亡くなった同級生とは、高校そばラーメン屋に、二人で行ったことがある。
ボクはラーメンスープを残らず啜り、彼は、汁は半分以上を残した。
都会的洗練とは、そういうものかと思った。

 高校から、一人で帰るときにだけ通っていた道がある。
キンモクセイの咲く道のダラダラ坂をのんびりと下ると、数名の女子高生とすれ違った。
スカートが、秋です、秋ですよっていうように、細かく揺れた。
 上石神井駅につくと、そんな日は、西武線で帰ろうか、関東バスで西荻窪から帰ろうか、ほとんど人のいない改札口で、考えた。

 季節も月日もめぐる。
こたつにはまだ早い50年前の秋の上石神井駅に、黄色い落葉が舞った。


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# by nonoyamasadao | 2017-10-20 11:22 | 雑文 | Trackback | Comments(2)

あと十年たったら、クリスチャン

 今年は生まれてはじめて、 脳ドックでMRI検査を受けた。
MRIのトンネルに入ると、ウィーン、カンカンカン、ドヒャ、ドド〜ンという工事現場みたいな騒音がする。

 検査結果はすぐにわかって、異常なし。
ああ、よかったぁ。
ホッと胸をなでおろして、ぼっち祝杯のさなか、不穏な電話がなる。
 案の上、脳の打撲で、10年前にお世話になった主治医からだった。
MRI画像を仔細に見ると、動脈瘤の疑いがあるという。
仔細になんか見るなよな〜と恨めしく思いつつ、その夜は、暗い気持ちで、残された時間などクヨクヨと考える。

 最先端の設備の病院で、造影剤CTを受け、動脈瘤ではなく、問題ないことがわかる。
3ヶ月後、もしものためのMRI検査で、異常なしになる。
 ああ、よかったあ。

 長いこと人生をしていると、いろいろなことがある。
 十年ちょっと前に、脳の打撲による生まれてはじめての手術で、ヨレヨレになった。
 以来、隠れているものをワザワザ探りだすなんて、ゼッタイに回避する無頼路線を捨て、無難な人生路線に切り替える。
タバコはやめ、お酒はやめれないので、すこしつつ減らす。
5飲2休肝日、4飲3休、3飲4休、そして1飲2休肝日になった。
 もう、これ以上、休肝日を増やすのはムリだ。
最近、飲める日のお酒の量が1本、増える。
我慢するとストレスになるので、どうか、見逃してほしい。

 十年前に、休肝日を設けたころ、お酒の飲めない日は早めの夕食後、することがな〜んもない。
読書、音楽、そして映画三昧の日々になった。
今や、映画よりも、日本の連ドラのDVDばかり見ている。

 そっか。十年間というのは、かなりの時間が流れたのだなあ。
もともと、毎日が不良な生活だったけれど、ずいぶん、健康オタクになりさがった。

 あと十年たって、健康で生きているなら、クリスチャンになっているかもしれない。
それなら、それで、まっ、いっか。


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# by nonoyamasadao | 2017-10-14 16:35 | 雑文 | Trackback | Comments(2)

やっぱり、一人がよろしいと思った夜

 還暦というのは、その人にとって、やはり、エポックメーキングなことだと思う。
赤いちゃんちゃんこというのは、もう昔であって、今の時代は少し違う。
でも、干支が5回繰り返されるまで、生き延びたというのは、先ずもって、めでたい。
大仰に言えば、生まれ変わるということだろう。
まあ、余生なのである。

 そういえば、60代の半ばから、健康診断で、基準値に引っ掛かる項目が現れ、毎年、一個づつくらい増えている。
深刻な疑いは、まだなかった。よかったあ。
今年は、無理に無理を重ねたので、ぜったいにヤバいと覚悟してた。

 今日、テレビを見てて、NHKの『土スタ』司会者の女優の足立梨花さんが、麻生久美子さんのように見えて仕方ない。
別人であるのは十分に判るが、やっぱ、麻生久美子さんの若いころと、同じように見える。 
 
 ゲストの葵わかなさんの横で、愛想よく、にこにこしている女性が、ばかに、世渡り上手のように見える。
これって、偏見だよなあ。そーゆー見方はいけないなア。。。としげしげと見ていると、鈴木保奈美さんだと気づく。
そりゃあ、屈託も、分別もあるよね。
失礼ながら、五十路を超えてるもん。
だったら、かなり、お若く、そうとう、お美しい。

 時間は下って、お酒のつまみの買い出しにデパートまで行って帰ってきて、『実践!にっぽん百名山』を見る。
う~ん、萩原浩司さんは、万年、青年だなと見ていると、工藤夕貴さんが、これまた、若っ。
ちょっと待て。
工藤夕貴さんは、相米慎二監督の『台風クラブ』や、なんたって、ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』というオムニバス映画でも、初々しかったことを思い出す。随分、昔のことだ。

 しばらくして、落ち着いてみると、鈴木保奈美さんも、工藤夕貴さんも、かなりお若いが、それなりの年令に見えた。
これって、ボクの認知能力の衰えなんだと、思う。

 人間群像もイワシの大群も同じだと、喝破したのは、青島幸男さんだったと思う。
たしかに、人間も、イワシも、群れをなして、大きな渦を巻くようにして人(魚)生行路を回遊する。
小さなところでは、小競り合いや諍いもあるけど、大きな全体としてみると、な~んとなく大勢の方に気が向いて、行列を作ってしまうんでしょうね。

 それじゃあ、あまりに、味気ない。
たった一人の芭蕉になるには、あまりに非才だが、たった一匹だって、そっぽに行く試みだけは、一生したい。
ちと矛盾しているようだが、健康診断の結果がなんでもなかったことを、素直に喜んだ夜ーー。そ~んな事を考えてた。

 昼下がりに、街中に出掛けると、中学生のカップルが、手をつないで、臆せず、歩いている。
フ~ム、いい時代になったよなあ。
でも、こーゆー時代に、ボクののような非モテ人生一直線の若者は、どう生きていくんだろう。

 男は、やっぱり、一人がよろしいと、この間、眠りにつくまでの間に、そう思った。
おそらく間違えで、きっと後悔すると思うけれど、ボクは、その時には、そう思った。
季節は、やっぱり一人がさみしい枯れ草・・・の頃だけど。


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# by nonoyamasadao | 2017-10-07 20:45 | 雑文 | Trackback | Comments(0)

雨の日の郵便局

 雨の中、郵便局に出掛ける。
送付物の締切日なので、速達でお願いすると、レーターパックには、速達はないといわれる。
そっか。そーなんだ。

 最近になって、ボクは方向音痴なのだと、知る。
郵便局から、どうやったって、家には帰れるのだからと、わき道を選んで、逸れながら帰る。
案の定、何処がどこだか、わからなくなる。

 目印など気にしないで、な~んとなく路地を曲がって、行きどまると、その時の気分で、右、左を決めるから仕方ない。
あらっと思った時には、見知らぬ住宅地に立ち尽くす自分がいる。
やっちまったという感じが、幼いころに戻ったような、頼りない、途方に暮れた気持ちを連れてきて、じつは、嫌いではない。
高層25階建てのマンションがあり、現在地がつかめるのを、やっと、発見した。
もうすこし、年を食うと、徘徊老人に間違えられるかもしれない。

 帰り道、途中で工事をしている。このところ、工事が多い。

 嵐のように忙しかった4ヶ月にもわたる、あれやこれやの雑件が、やっと終わる。
解放感が押し寄せる。
とかなんとかいって、忙しかったと思うけれど、若い頃や中年のころなら、易々と、楽勝でやってのけたのかもしれない。

 つい最近になって、レタスやズッキーニの美味しさに、目覚める。
子供のころは、果物は大好きだったけれど、野菜は、ぜんぜん、眼中になかった。
まあ、タンメンのもやしとキャベツはおいしいと思ったし、肉野菜炒めや、カレーのジャガイモ、落ち葉で焚いた焼き芋は、大好きだった。

 レタスは、野菜独特な、野生の強い香りや匂いがない。
野菜には、野菜だぞっていう、ある種の鮮烈さがある。
自己主張みたいなもんだ。ピーマンとか、ニンジンとか、玉ねぎとかは、顕著だ。
レタスは、いってみれば、病み上がりみたいで、無味にして、ひ弱だなあと思った。

 それが、レタスは炒めても、シャキシャキの生でも、仄かな甘さが好きになった。
江國香織さんの「やわらかなレタス」という、心の声をタイトルにしたエッセイがあった。
だとしたら、ボクの感じる甘さも、錯覚によるものかもしれない。
弱って来たので、レタスに癒されたのかもしれない。

 夜、DVDで『ラヴソング』を観る。これって、視聴率が悪かったそうだが、欠陥はあるけど、ボクは面白かった。
藤原さくらさんが、バイクで疾走し、桜の花びらが散って流れるのを、口パクするシーンは、遠い昔を思い出した。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・、という、日本語版の500MILESも、新鮮だった。

 本当は一瞬だったけど、LOVE PSYCHEDELICOのLast Smileが一番、よかった。


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# by nonoyamasadao | 2017-09-16 14:12 | 雑文 | Trackback | Comments(1)

幕の内弁当の日々

 タクシーに乗って、美味しいものを食べに出掛ける。
たまには、そういう贅沢もあってよいだろう。
フロントガラスの脇の小さな一輪挿しみたいなポケットに、ススキがさしてある。
ど~せ、造花に違いないとたかをくくって 、運転手さんに尋ねると、意外にも、本物だった。
俵山かどこかで、採ってきたのをもらったようだ。

 そっか、もうススキの季節か。
今年は、いろいろなイベントや、個人的な事情もあって、幕の内弁当ばかり、3か月間くらい、食した。
お弁当なら、スーパーにいろいろとあるのだけれど、ボクくらいの年齢になると、どれも体に悪そうに見えて仕方ない。
本当は焼肉弁当でも、天ぷら弁当でも、ウナギ弁当だって、よかったと思う。
毎回、298円とか398円の幕の内弁当に、それと変わらないくらいの値段の野菜の惣菜を一品買った。
朝は、パンと果物と、インスタント・コーヒーだけだ。
身体に悪いだろうなあ。。。と思って、健康診断は、9月まで、延長した。

 今年の夏は、仕事部屋まで、行きはタクシーで移動する。
昔、広い空き地だったところに、マンションが建ったと思ったら、いつの間にか、大きな病院が二つも建った。
病院前というと、大きな病院の場合は、広々とした駐車場が広がっているのが、この地の相場だ。
小学校と道を隔てた病院前に、雑木の庭が出来た。
すこし、うれしい。

 仕事部屋からの帰り道、スーパーで買い物をして、夕方の誰もいなくなった病院の雑木の庭を散歩する
イロハモミジ、シラカシ、クス、ヤブニッケイ、ウメ、カクレミノ、マンサクまであった。
この病院に入院している人には、季節感があって、いいだろうなと思う。
しかし、若木だけど、こんなにイッパイ植えたら、いくら剪定しても、何年かすると、森のようになるに違いない。

 でも、長田弘さん的に言えば、森には、なに一つ、余分な物などない。
だったら、サルスベリと白モクレンとマユミが、あればもっと、いいのにな。

 サルスベリは今、主が引っ越されて、家屋が壊されたご近所の庭に、唯一残って、藤色の花が咲く。
ひっそりと美しく咲くが、ヤッパ、さみしい。
森にも、人生にも、余分なものは、ない。
足りないものなら、たくさんある。

 まあ、これも真似だが、そのとき、ふりかえって、人生は森のなかの一日のようだったと言えたら、ボクもうれしい。
明日から、恐怖の16日の休肝日が始まる。
絶体絶命のピンチから、少しづつ、復活していく感じで、健診の日になる。
今年も、自信がない。
健診のない夏は、蚊のいない夏のようでもあり、ショーガのつかない、サヨリのお造りのようでもある。
いつもにも増して、心配だあ。


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# by nonoyamasadao | 2017-09-08 10:35 | 雑文 | Trackback | Comments(2)