いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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柚子とポインセチア

 ここのところ、あまり、読書をしていない。
メガネの度数が微妙に狂っているので、目が疲れる。
裸眼の方が、よく見える。
読書は、仕事の本だけにしていた。

 映画と読書と食べ物くらいしか楽しみのないボクにとって、なんだか彩りに欠けるどころじゃあない。
たとえてみれば、読書抜きのボクなど、冷飯やぬるーいビ―ルのような、いよいよもって碌なものじゃない。
そういえば、季節の風景にも鈍感になって、色褪せた風景のようになっている気もする。
こいつはイカンですよ。
鬱々した我が人生の危機かもしれない。

 で、さっそく、メガネ屋さんで、遠近ではなく、近々メガネとやらをつくってもらう。
う~ん、新聞の文字が実にくっきり鮮やか。
日曜版に載っている記事の内容が、ばかに面白く読める。

 フム、やっぱ、お休みって大事だなと思う。
エンタメ系の活字から、随分と長いこと、ご無沙汰していた気がする。

 さりとて、たいした仕事などしていないのだけれど、お遊びにも、お休みが必要なことを知る。
たまには、DVDを見ない日とか、おしゃべりをほとんどしない日とか、朝ごはんを抜く日とか設けてみよう。

 よ~く、見えるメガネで、塔晶夫の『虚無への供物』の日経新聞の紹介文を読む。
ウ~ム、読みたい、読みたい。
あの素晴らしく長い、日本ミステリ史上燦然と輝く、最高峰のミステリを読みたい衝動が津波のように襲ってくる。
他にも面白い新刊書などないか、新聞の読書欄を眺めながら、日本茶を啜る。
あ、そういえば、このところ、コーヒーばかりを飲んでいた。
おいしい日本茶のおかわりを丁寧に淹れる。

 冬なのに、ばかに明るい午後の日ざしがリビングに伸びている。
そろそろ、柚子とポインセチアを買わなくっちゃ・・・だな。


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by nonoyamasadao | 2016-12-18 13:22 | 雑文 | Comments(0)

北村薫さんの新刊本

 いつのころからか、映画の舞台となっている風景に、しげしげと見入るようになった。

たとえば、『或る夜の出来事』は、たぶん、この地に来てから見た。マイアミからNYに向かうグレイハウンドの夜行バスが、とても気になった。

もちろん、ボーイ・ミーツ・ガールの恋愛物語の方程式の原型は、素晴らしいものだった。

『スウィートノベンバー』であれば、サンフランシスコの路面電車(muni)や黄色いタクシーのイエローキャブに目が行った。『ユーガットメール』なら、NYのアッパーウェストの秋から冬、そして春のホットドッグ店やスタバが興味深かった。

その昔、映画を思想と結び付けてみる裏目読みが流行した時期があった。

ボクの場合は、外国には一生行かないと思うので、旅行気分と食べ物に意地汚いことが、映画の背景好みの理由のようだ。


 北村薫さんの『太宰治の辞書』に、興味津々である。

最初期の『空飛ぶ馬』の、やや素人っぽさを残した上品で、爽やかなストーリーテリングと、きれいな文章が好きだった。

紅茶に砂糖を7杯も8杯もいれるような、実際、そのような人物も知っているのだけれど、『砂糖合戦』の着想のセンスや装丁の高野文子さんの簡潔で、洗練された絵が好きだ。

物語も、文章も、装丁もみな、瀟洒だなぁと思う。

どうやら、作者の友人で、ボクも知っているS先輩への鎮魂歌でもあるようで、やりさしの仕事が終わったら、ぜひ読もうと思う。

そうだった。『空飛ぶ馬』の出版祝いは、S先輩が音頭をとって、うなぎ屋さんでお祝いをして、当時の銀座東武ホテルに流れた。

そっか。あれから、25年も流れたのか。


 太宰治の『女生徒』を題材にした中編は、今から、いろいろと憶測してしまう。

『女生徒』は、ヒロインの独白だけで書かれたもので、太宰にしては破綻もあるが、言葉がキラキラしていて、この世代特有の女の子の生理的な感覚がビビッドで、ドキッとする。

うら若い愛読者の日記が下敷きになっているのは、知っているが、やっぱ、太宰だ。

フム、朝の目覚めの冒頭からして好きだ。

そして、「キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る」。。。っていうくだりは、忘れられない。

夕靄はピンク色とか、百合の匂いの透明なニヒルという言葉には、みずみずしいポエムがある。


 そして、ボクの座右の銘は、

”幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――”である。

今もって、そう思っている。

ところで、ボクは今、熊本のどこにいるのかご存知ですか?


 前橋の秀才だった、亡くなられた世田谷在住のS先輩に合掌。↓は彼が好きだった詞である。



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by nonoyamasadao | 2015-05-24 11:53 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

わたしのぼうし

  朝起きる。
目がチカチカする。
かくれんぼして、押し入れに隠れていたら、ふすまが開けられ、あっ、まぶしい。。。と朝の目覚めを表現したのは、太宰治だったと思う。
それだ。

 このところ、さぶいばい。
昔、正ちゃん帽、今はニット帽というらしいが、これが離せない。
室内でも、被っている。
ニットにつば付きなのもあるけれど、こちらは、さすがに鬱陶しい。
元来、10年くらい前に買ったハンチングを愛用していたが、今、帽子屋さんにあるハンチングは、映画『ボルサリーノ』で、ジャン=ポール・ベルモンドが被っていたようなたっぷりしたサイズである。
かなり前から、流行していたのかもしれないが、ツバが長く、たっぷりふくらんだハンチングは、どうもしっくりこない。ユルユルな感じだ。
大体、狩りの帽子だから、頭の形にぴったり合って、ずれにくいのが正統派でしょ。
イカンなあ。オヂサンは、年々、頑固になっていく。

 佐野洋子さんの絵本に、『わたしのぼうし』というのがあって、印象に残っている。
家族で汽車に乗って、おばさんの家に行く途中で、赤い花のついた、かなりくたびれた「わたし」の帽子が、窓から風に飛ばされてしまう話だった。

 絵本は、新しい帽子に蝶がとまるところで終わったのだと思う。
気になってしょうがなかったのは、風に飛ばされ、遠くに列車が走っている草むらにぽつねんと置かれたままの昔の帽子の行方だ。
ストーハ、ストーハ。
母さん、わたしのあの帽子どうしたんでしょうね。

 ニット帽もハンチングも、メガネとおなじで、もう体の一部になったようだ。

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by nonoyamasadao | 2015-02-15 14:17 | 雑文 | Comments(2)

ロング・グッドバイ

 銀杏並木が冴え冴えとした黄色になり、ああ、錦秋の季節だぁと思う。
そう思うと、旅に行きたい衝動がドドッと殺到してきて、我ながら驚く。
原宿あたりは、もうすっかりクリスマス模様だろうな。

 旅と読書は、似ていると言ったのは、池澤夏樹さんだったかしらん。
たしか、どちらも、ほんのひととき、別な自分になる行為とか言っていた。

 う~ん、別な自分か。
けれど、いったい、自分とは何者かは、今もって、定かではない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。。。。だもん。
昨日の私は流されてどこかに消えて、今日の私が流れていく。
いったい、ワタクシは、どこから来て、どこへいくのかしら。。。と問うたのは、三木清センセイだったと思う。

 らしくないことを書いてしまった。
どうして旅に出たくなるのかとか、どうして人は恋をするのかとか、掘り下げて考えるのは、あんまり趣味ではない。

 地方都市のクリスマスは、それなりに華やかなのに、なぜかさみしい。
たぶん、喧騒がないからだと思う。

 ハードボイルド小説は、やっぱ、大都会の喧騒渦巻く夜を、孤独な中年男が無鉄砲に生きるのが、よく似合う。
この感覚は、年食っても、変わんない。

 どんな夜明けの五分前   どんな日暮れの五分前
 午睡からさめて      時計をみたら いつまでも五分前にはならないのだ

 五分前の寸止めか。
フム、田村隆一さん、カックィー。

 今、NHK土曜ドラマの『ロング・グッドバイ』のDVDを、毎晩、すこしずつ見ている。
憂愁の色濃い後期チャンドラーの名作であるが、やっぱ、違和感アリアリである。
そっか、『ロング・グッドバイ』の再訳は、稲葉明雄さんだけでなく、田村隆一さんでもよかったな。
ウィリアム・アイリッシュとレイモンド・チャンドラーは異質だと言ってきたけれど、やっぱ、つながっているよね。
素直じゃなかった。

 読んでもいないのに、申し訳ないが、村上春樹さんでは、読む気がしない。
毎年、春浅い宵、”ギムレットには早すぎる”とか言いながら、ライムジュースの入ったギムレットを飲んだ。
もう40年以上昔だが、背伸びしていたな。

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by nonoyamasadao | 2014-11-22 11:07 | 雑文 | Comments(12)

図書館

 最近、週に3回は、図書館に行く。
芝生の築山に、ケヤキのような百日紅の大木のある図書館である。
仕事の関係で行くのだけれど、この年になって、図書館通いをするとは、夢にも思わなかった。

 まあ、元来、図書館が似合うタイプではないよなあ。 
図書館といって、思い出せるのは、小学校と高校の時だけだ。
中学時代は記憶がないし、大学のときは、場所はよ~く知っているけど、一度も足を運んだことがない。
小学校のころは図書室で、図書係という役割があったけれど、マンガしか読まなかったボクだから、そんな当番がつとまるわけはない。

 最新の図書館は、新刊本の平置きがあったり、学生さんのオープンカフェのようなお洒落なつくりになっている。
今の人なら、シャレオツな図書館とでも、いうのかしらん。
図書館にいると、好きな果物の実のなっている森の中にいるようだと書いていたのは、誰だっけ?
川上弘美さんだったような気がする。
う~ん、才媛の誉れ高いですねえ。
あ、結婚式のスピーチみたいになった。

 でも、秋の日の図書館は、森の中を散歩しているような気分にはなる。
階段を女子学生がひそひそ話をしながら、降りてくる。
なんの話題か知らないけれど、なんだか、のどかで、ゆるゆるとした時間が流れた。

 あっという間に、時間は過ぎて、外に出ると、夜空に月がポッカリ浮かぶ。
リー、リーというコーロギの虫の音が聞こえる。
遠くなったり、近くなったりする。
誰かの小説を思い出して、月に向かって話しかけるような気分で、夜の空気のなかを帰る。
石に話しかけるのではないから、お迎えが来る心配はないよね。

 そろそろ、あたたかなニット帽でも被ろう。

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by nonoyamasadao | 2014-10-26 16:11 | 雑文 | Comments(5)

きらきらひかる

  ゴーヤのポン酢かけ、だだちゃ豆で、ビールを飲む。
秋の冷酒の季節になった。
カマスの炙りとコチの刺身を食す。
たぶん、カマスの炙りは、初めてのような気がする。
秋の冷酒はスッキリしているけれど、味わい深くも感じる。
お上品な香りを楽しみながら、下品にも、ズズズ~ッと啜る。

 タクシーで帰ると、あずき色の空の下、白と赤の百日紅の花が、ぼんやりかすんで見える。
そっか。
今年は、青空の下で、百日紅を眺めた記憶がないや。
いかんなあ、イカンですよ。
勤務先近くの樹木の多い住宅では、灯障りのモミジが、かすかに色づいたように見えたもの。
今年は錦秋が、早そうな気がする。

 自宅で、読みさしの江國香織さんの『きらきらひかる』を読む。
ある事情があっての再読だが、ほとんど、憶えていない。
『紫のおじさん』と呼ばれるセザンヌの自画像とユッカエレファンテプス(青年の木)を冷めた紅茶で育てるところは、思い出した。
う~ん、このあとで、山口雅俊Pの『きらきらひかる』を観たら、まったく、違った物語だったのを思い出した。

 秋の夜は、やっぱ、映画だよね。。。。ってことで、DVD『世界に一つのプレイブック』を観る。
方程式通りの展開だけれど、ちょっぴりビターだが、ロマティックな余韻がよい。
劇中、シナトラの♪Have yourself a merry little Christmasが流れる。
『恋人たちの予感』では、紅葉の時に、ビング・クロスビーのが流れたっけ。

 夜遅くに、久しぶりにテレビを見ていたら、三井住友海上あいおい生命の &LIFEの桐谷美玲さんのCMになった。
この人は、どこか、いつも不機嫌そうに見える。
CMだから、無愛想でよいわけはないけれど、なんか新鮮でよいなあって思う。
遠い昔、無愛想だけれど、ホントは気持ちのやさしい後輩に、卒論の清書をしてもらったことを思い出した。

 今の時代は、ワープロですからね。
きっかけとか、口実はどうやって、見つけるんでしょう。
大きなお世話ですね。

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by nonoyamasadao | 2014-09-20 14:25 | 江國香織 | Comments(6)

セプテンバー

 中秋の名月は、9月20日ころらしい。
秋の味覚を詰め込み、 紅葉を散らしたような。。。という豪勢な味覚の宣伝が、新聞広告に増えた。
紅葉を散らす。。。っていうのは、ワタクシ的には平手造酒の喀血や、あるいははにかんで顔をあからめる少女の形容だ。

 でもね、中秋といえば、風に揺れるススキときぬかつぎでしょう。
お月見というのは、そんなもんだ。

 中秋の満月の夜に、愛犬を連れてお散歩する若い女性の高校教師が、豊平川の河原で奇妙な武士に出逢う。
これは、原田康子さんの『満月』というちょっぴり切ない長編ロマンティック・ファンタジーだ。
映画になって、原田知世さんがヒロインを演じたけれど、これもよかった。
ロマンティックなタイムトラベルは、ロバート・F・ヤングばかりでなく、国産小説にもある。

 リーマン時代に、若いOLが、吉本ばなな(現よしもとばなな)の本が面白いといって本を貸してくれた。
う~ん、お父さんの吉本隆明なら、お世話になったけれど、むつかしくて、よ~くわかんなかった。
で、読んだ。
恋人と兄貴を交通事故で同時に失った男が、亡くなった恋人のセーラー服を着る話がある。
もちろん、アブノーマルではなく、ちょっと切ない。
川をはさんで、青い夜明けのかすみの中で、失った恋人と向きあう場面は、今も絵がうかぶ。
グッと来るところがあって、最近の若い作家も、OLの女の子も、なかなかやるじゃん。。。な~んて、傲慢にも思った。

『ムーンライト・シャドウ』って、タイトルだった。

 ムーンライトシャドウか。
月影とでも訳すのか。
中森明菜さんに『MOONLIGHT SHADOW ~月に吠えろ~』という曲があった。
でも、やっぱ、萩原朔太郎センセイの『月に吠える』でしょ。
その中の『恋を恋する人』は、当時としてはタブーだったのか、削除された。
まあ、あんまりボクの趣味ではない。
でも、なてたって、怖くなるほど迫力があるのはこれでしょ。
これは女装の詩で、空想するとゾッとした。

鏡のうしろへ廻ってみても、私はそこに居ないのですよ。お嬢さん!

 今年は意識して、月を追いかけているけれど、昨夜は月は見えなかった。
気分はもう、すっかり秋の空気の色に染まってますね。

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by nonoyamasadao | 2013-09-06 10:51 | 雑文 | Comments(1)

還暦過ぎのドリカム

 朝起きてしたことを書く。
トイレに行き、洗面所に行き、カーテンを開き、ベランダの窓を開ける。
空を眺め、今日は幾分、涼しそう。。。とか思いながら、深呼吸する。

 ソバ茶をつくり、仏壇にお供えをする。
仏壇のロウソクに、灯をともす。
100円ライタ―だけれど、子供の悪戯防止用だから、着火するのにかなり力がいる。
なによりも、時々、指先に火傷しそうで、なんだか危険である。
お線香の沈香、天壇を立てる。
古都の安らぎのような香りがするが、煙控えめなので、なんか温もりに欠ける気がしないでもない。
亡父はヘビースモーカーだったので、嫌味か、オマエなどと言われそうで、一考を要す。

 上腕式血圧計で、血圧測定をする。
110-70くらいだ。
どぶ水のような色の飲みにくい持病の飲み物をズ、ズズっと飲む。
何十年も飲んで、慣れたって、不味いものは不味いと気づいたのは、最近の発見だ。

 トースト2枚(パン・ド・ミ食パン)、スクランブルエッグ、ホウレンソウ炒め、ミニトマト、ポテト、薄切りハム3枚食す。
果物は、大分産のスイカだ。
やっぱ、塩をふると美味しいものだ。

 健診でカリウムが基準値を超えたので、毎日、食したバナナは3日に1度にした。
インスタント・コーヒーは、日に、濃いめの6杯は飲んでいたけれど、完璧に止めた。
そのかわりに、ティーバックの紅茶は、日に10回は飲んでいる。
何かを止めると、別な何かにハマるのは、ヤッパ、依存症のゆえんだろうな。。。と思う。
 
 DVDで、ロバート・F・ヤングの『タンポポ娘』の話が出てきてから、久しぶりにSFが読みたくなる。
ロバート・F・ヤングは、こっ恥ずかしくなるロマンティックなファンタジーの名手だった。
『タンポポ娘』の最後のバス停、白いワンピースは忘れられない。
『時が新しかったころ』のかぼちゃとキャンプのマシュマロやホットドッグは、最近だから、よく覚えている。
絵が浮かぶ小説って、いいなぁと思う。

 そっかあ。ヤッパ、ボクはロマンティックな時間旅行が好きなんだなぁと思う。
映画の『ある日どこかで』と『メイド・イン・ヘブン』は、同じ年に、見たのではなかったかな。
『天国から来たチャンピオン』の余韻が好きだったな。...と連想が広がる。

 過去のことばかり思うのは、年を重ねて、未来が描けないからだという説がある。
我がブログでは、未来を書いた記憶があまりない。老後は谷中に住みたいなと書いたくらいだ。

 実は、今もって、夢みたいなことばかりを考えている。
バカかって言われそうだが、還暦過ぎても、Dream Comes Trueなのだ。
 
 まっ、一つ、見逃してやってくれ。

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by nonoyamasadao | 2013-08-25 14:52 | 雑文 | Comments(2)

隣人愛

 谷川俊太郎先生のエッセイのあとがきを読んでたら、小学校以来、つけてない日記を書いてるそうだ。
そっか、ボクは小学校時代も日記など書かなかった。
だったら、このブログはボク的には、奇跡的なくらい長く続いてる。
たまに古いブログを読み返すと、ばかに一生懸命になっている記事がある。
これでもか~とばかりに、鉄アレイを持ち上げてるみたいに無理してる。
さすがにコッ恥ずかしい。
それでも、今はとうに忘れている、遠い昔のディテールなど読むと、そうだったんだぁ、すこし物忘れが入って来たなと思う。
こうして人間は、いろんなことを忘れ、年をとって行くのか。
日記は、過去の心にふと浮かんだことを、振り返るよすがである。

 日記で思い出した。
ドラマの『ビブリア古書堂の事件手帖』で、小山清著の『落穂拾ひ』の回があった。
老詩人の嘘の日記のこの小説は読んでいた。
大学の2年の晩秋の寒い日、コタツにもぐって読んだ。
そのころ、サッカーで体調を崩していたので、読み終わって、人恋しくなったのを憶えている。
実録かどうか、それは言うまでもない。。。って終わり方が、リドル・ストーリーぽっくて、同じ作家の『小さな町』も続けて読んだ。

 大学の教養ゼミに行くと、貧しい本屋さんの優しい少女と真逆の、優雅で美人の絵描きの友だちが、教えてくれた。
ゼミでは、シャルル=ルイ・フィリップの『朝のコント』(Les Contes du Matin)を、原書で読まされてた。
絵描きの友人は、小山清の『小さな町』よりも、フィリップの短編集の『小さな町で』(翻訳もの)の方が、面白いという。
タイトルはもう忘れたが、例によって、腕組みなどして、それは・・・って話してくれたのだと思う。
子どもたちが親に内緒で、パンやチーズをもって、木箱で作った車で遠出する。
子どもたちの冒険の旅だ。
遅く帰って来ると、親はカンカンになってて叱られる話だった。
これは文庫本は見たことがあるけど、読んだのではなく、彼女の話を聞いただけだと思う。
ずっと下って、ロブ・ライナー監督の秀作『スタンド・バイ・ミー』を見た時、同じテイストだな。。。って感じた。

 調べたら、最近になって、『小さな町で』で、朝のコントの数編も同時収録されて出版されてるようだ。
これは買わなくっちゃね。
考えてみたら、シャルル=ルイ・フィリップの方が、芥川 龍之介先生の『トロッコ』よりも早かったんだなぁ。

 ああ、ボクは恋愛というより、隣人愛に支えられて生きてきたなと切実に思う。
初めてのガールフレンドはお隣で、お医者さんごっこもご近所で、地図を借りたのも隣の机の子で、大学も職場もつきあった人は、みな隣人だった。
♪私は人を呼ぶ、すると世界がふり向く、そして私はいなくなる。。。そんなふうに生きてきたんだな。 

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by nonoyamasadao | 2013-08-22 12:01 | 雑文 | Comments(0)

百日紅文学

 ずいぶん昔になるけれど、この季節の夕暮れ、皇居で泰山木を偶然見たことがある。
おおきな幹の高いところに、白い花が白無垢の花嫁さんのように、うつむいて咲く。
赤い夕陽の中で、見とれていた。

 去年の暮れ、雨の杵築の武家屋敷に行く。
枯山水の庭に、なぜか、泰山木が主木だった。
これって、あり?
泰山木は北アメリカ産のモクレンですよ。。。って思った。
きれいだから、まっいっか。

 雨の石畳の急な坂道をひとり歩く。
『月様、雨が…』と妙齢な美女が傘をさしかける。
『夕立じゃ、濡れてまいろう』
ない、ない、ゼッタイにない。

 夏の花は少なくて、この地ではあまり、ザクロの木は見ない。
百日紅の紅い花は、仕事部屋から帰るときに、5~6本見る。
百日紅文学といえば、国木田独歩だと、バカの一つ覚えのように、何度も書いた。

少女は百日紅の樹によりかかって、
西の山に沈む夕日を眺めながら小声で歌をうたっているー

 そういえば、ケバイ茶髪の姉ちゃんや似合わないサングラスの姉ちゃんのように、でぇぇ~きらいだぁああっ!の太宰にもあった。

玄関の前の百日紅は、今年は花が咲きませんでした。

 ザマーミロと思いながら、読んだ。
大人とは、裏切られた青年の姿であり、大人というものはさみしいものだし、富士山には月見草がよく似合うのもよ~くわかる。

 けれど、女々しい奴め。。。は今も、変わらない。
帰途の坂道で、目の前を大きなアゲハ蝶がゆっくり、揺れながら飛んでいく。
久しぶりに、ポルノグラフィティを思い出した。
ああ、ことしも暑い夏が来たんだね。

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by nonoyamasadao | 2013-07-25 13:55 | 竹内まりや | Comments(0)