いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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さみどりの憂鬱

  風邪なのか、はたまた花粉のせいなのか不分明だが、喉の痛みが治らない。
このところ、身体のあちこちにガタが来たようで、いろいろな検査をしに、大きな病院に行き、最先端の機械で検査した。
まあ、結果オーライなのだから、ハッピーだけれど、あれこれ心配して、ああ、年をとるってのは、こういうことなんだろうな、という感触をようやく思い知った気がする。

 4月末から、5月のゴールデンウィークのころになると、昔から、さみどりの憂鬱になった。
そ~んな憂さ晴らしに、ちょうどよい具合に、2~3年前まで、週に一度は顔を合わせていた若い人たちのOB呑み会に混ぜてもらう。
朝はコッペパン、ゆでた野菜付きハムエッグ、果物は晩柑を食す。
昼は抜いて、ちょっとだけ、月末の青森出張の下調べなどする。
宴会は、20時からだから、かなりおなかがすくが、じっと我慢する。
喉の痛みは消えないが、会合に出掛けて、瓶ビールや日本酒をおいしくいただくと、すっかり治ってた。
帰るとき、お店の急な傾斜の階段には手すりがなくて、ああ、ここから落ちたら、死ぬだろうな。。。。と、恐る恐る階段を降りる。
もしもボクが有名人なら、飲酒により階段を踏み外し、脳挫傷のために急逝。66歳没。葬儀は・・・などが、頭に浮かぶ。
ひょっとしたら、こういう妄想も、あらてのさみどりの憂鬱かもしれないなどと思う。

 お店の外で、若い友達たちとしばらく名残を惜しみあってから、次回はお盆だと言われ、別れる。
連休のせいか、タクシー乗り場には、誰もいない。
タクシーで帰ると、お隣のマンションのエゴノキの花が咲いてる。
下を向いた、釣鐘形の小さな白い花だ。

 はて、エゴノキは、5月の中旬過ぎころから梅雨前の花では、なかったか。
かすかな芳香のある木だが、匂いは、まだしなかった。
静かな真夜中の雨が降りだした。


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by nonoyamasadao | 2017-05-04 17:55 | 雑文 | Comments(3)

振り返ると桜

 桜の開花宣言の後、このところ、雨降りである。
雨の上がった合間を見計らって、スーパーに出掛ける。
まだ寒い。
キッチンから見下ろせる高校の桜は、一番、いいころに差し掛かっている。
フム、あらためて、学校に咲く、桜はよいものだなと、感心して見入ってしまった。
希望と感傷が入りまじった、微妙に揺れる少年だった昔に還ったような気がするからかもしれない。
なつかしい気持ちでながめると、桜はうつくしい。

 大通りのソメイヨシノの並木の花見には、出掛けたいとは思わない。
寒いせいか、年令なのか、ニット帽でないと、風邪ひきになりそうな気がする。
この地には、桜が多く、学校の桜のほかに、小さな桜の公園、覆いかぶさるような楠の大木の手前の桜も美しい。

 県営住宅の前庭の桜は、もう葉が出だして、下の自動車の屋根は、白玉模様だった。
ちらと桜を見上げると、風もないのに、ちら、ちょっと間があって、また、ちらと花びらが舞い降りる。
 
 しかし、最近、思うのである。
左右に大きく枝を伸ばした桜より、すこし、小振りな桜の方が美しい。
おじさんたちがお酒を酌み交わし、じきに、桜などど~でもよくなって、BBQだのカラオケだののどんちゃん騒ぎには、巻き込まれたくないなと思う。

 スーパーのいつもの帰り道で、学校の桜を、ああ、この季節がくると進級したんだなあ。。。と少しだけ痛みを伴った気持ちで見ていたら、小さな女の子が、雨は降ってないのに、白い花弁のついた赤い傘をさして、よぎっていった。
おや、と思うと同時に、な~んか、いいなとすこしあたたかな気持ちになる。

 フム、危ないな。弱ってきたのかな。
そのうち、盆栽の桜に、じぃーっと見入っている自分がいるような気がする。
な~んか、そんな気がするんだよね。


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by nonoyamasadao | 2017-04-08 16:29 | 雑文 | Comments(0)

ワイルド系男子はどこへ行った?

 今年も、あまり梅を見なかった。
な~んか、バタバタしているうちに、季節は変わっていた。
早春の匂いを連れてくる、黄色い花をつける蝋梅なども見逃した。

 唯一、スーパーで買った赤い木瓜の鉢植えが、色合いが変化して、楽しい。
といっても、鉢植えだし、こころもち、色にいきおいがない。
まあ、元気溌剌だけが取り柄のようにしか見えないダリアとかヒマワリは、どうも相性が悪い。

 ぼーっと、陽が高く上った空をながめていると、白いちぎれ雲が、あれよあれよという間に、流れていく。
あ、この間、長年の懸案だった舗道を隔てた隣の黄色いマンションの先に蝟集して咲く、白い花の正体を突きとめた。
電話で呼んだタクシー会社の配車係の人が、空車がそばにいないので、遠くから来るとのことで、ならば白い花を見に行こうと思った。

 遠目でも、たぶん、白モクレンに違いないと思ったけど、やっぱ、そうだった。
ボクは、40代のころまで、この純白の大輪花が、どーも不得手だった。
ふっくらとした、肉厚のゴージャスな花という印象で、いきおいがありすぎるように思えた。

 ところが気づくと、50代になるころ、妙に、気になる樹木になった。
人生にくたびれたのか、はたまた弱ってきたのだろうか。
白モクレンが咲くと、周囲がパッと明るくなり、陽光に白く輝く。
沢山のロウソクを立てたように、浮き立つように咲く。
ウ~ム、嫌いは好きと同義語か。

 去年は、インフルエンザ予防接種をしたので、まわりの人はバタバタと倒れたけれど、インフルにならなかった。

 大好きな渡瀬恒彦さんが、亡くなった。合掌。
オンシジュームが、大好きだったそうだ。
知らないので、検索をかけると、甘~くよい香りがするという。
な~んか、乙女チックな感じのする、らしくない黄色い花だが、フム、黄色のフリージアのように、ボクでも好きになりそうだ。
 
 最近、日に一度は、甘いものを食す。
今週は、人前で話をしなければならないし、来週は人間ドックがある。
やだなあ。
どっちも、不安がイッパイだ。

 かつての野卑で卑猥系のワイルド男子は、どこに行ってしまったのだろう。


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by nonoyamasadao | 2017-03-19 13:41 | 雑文 | Comments(0)

学園祭の季節

 遠い昔のこと。あれは、中央線に乗って、信濃町を過ぎたあたりのことだったと思う。
電車がガタンと揺れたとき、シネ研にいた下級生の女子が、ボクは近寄りがたいと言った。
まるで、鉄条網でまわりを仕切って、女子には、寄るな、さわるな、シッシッと取りつく島もないといったふうだと言った。
そのまんまの表現ではないけれど、そんなことだったと思う。

 ああ、見透かされているなと思う。
ボクにとって、女性は、小学校時代の男子、女子のママで時間が止まっていた。
だから、女子とは何者か。
どんな生き物で、どんなことを考え、どんなことを話すのかなど、皆目見当がつかず、雲をつかむようなことだった。
野坂昭如さんだったと思う。
自宅の庭の物干しに、姉でも妹でもよいから、彼女らの洗濯ものでも翻っていたら、この心細い感覚は、随分と薄まったと思う。

 だから、長田弘さんのあるフレーズを、別なシチュエーションだが当てはめると、「話すこともなかった女子(正しくは人)とだって、語らうことができると知ったのは、死んでからだった」。
というような心境が、ピッタリだった。
これが緩和されたのは、三十路をだいぶ過ぎてからではないか。
 
 まあ、非モテを認めまいと、ハードボイルドに生きることを強調すると、逆に非モテのコンプレックスが異性には際立って見えてくるのだろう。
そのような屈折は、まあ、年令からくる感性の鈍化により、ことごとく消えてなくなり、今や、おばさんチックですらある。

 屈折時代の名残で、今でも残っているのは、群れるのが大嫌いなことかもしれない。
たとえば、立食パーティーなどで、見ず知らずの赤の他人と、さも楽しそうに談笑することなど、ぜったいに考えられない。
若い時は、どんなに憧れていた異性から一緒に来てと懇願されたって、家族やカップルや女子達でひしめくデパートの雑踏はめまいをもよおすので、行ったことはない。

 だから、学生が群れる学園祭は、今も、大っ嫌いだ。
大学時代の学園祭の時は、ただの一度もキャンパスには足を踏み入れず、高田牧舎のあたりから、たまに、イチョウ並木の通路の光景をチラ見する程度だった。
遠くから、さんざめきが風に乗って、聞こえるくらいで、ちょうどいい。

 昨日も、さんざめきを背にして、大きな緑のかたまりの金木犀の香りが漂う、並木のイチョウが色づく帰りの道すがら、今年の金木犀は香りが淡いなと思う。金木犀は、空気のきれいな場所で、よく花をつけるという。
そっか、道を隔てた先が空き地だったのが、大きなショッピング・モールになり、車の出入りが頻繁になったからかなとも思う。

 夕暮れが近い空気を、紅葉が秋の色に染め、はるか遠くの山にかかった陽がうるんで揺れる。
な~んか、人生を感じてしまう。冬の人生の色か。

 すこし風が吹いて、ケヤキ並木の梢がこちらも少しだけ傾く。舗道には、ケヤキの朽葉が散らばっている。
 枯葉は、凋落した葉である。いくら、うつくしい葉でも、いのち尽きた葉は、まだ、好きにはなれない。

↓本当は、落葉の喫茶店がよいけれど、本物がないので、次に好きなコレを。


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by nonoyamasadao | 2016-11-06 10:55 | 雑文 | Comments(1)

土曜日の新幹線

  先週の土曜日、博多まで出かけた。
以前なら、ちょっとした遠足気分だった。

 子供のころ、杉並の堀ノ内(川崎の堀之内じゃあ、ないですよ。念のため)の妙法寺とか、井之頭公園とかに遠足に出かけた。
まあ、学校の授業脱出のだいご味は、小学校や中学校までだった。
高校になると、もう、ずる休みとか、登校途中で気が変わって、有楽町まで映画を見に行ったりする、遊びをおぼえた。
今なら、自主休講とかいうのでしょう。

 今や、熊本ー博多が、新幹線で38分だから、東京のリーマン時代の通勤時間の半分より速い。

 帰りの博多駅の新幹線のチケット売り場が、あれれ~、混んでる。
ラーメン丼の四角い渦巻に入り口と出口がついたような囲いに、列ができてた。
昔は、囲いなどなくて、並びの列はジグザグになったり、どこかで微妙に曲がってたりしたのを、思い出す。
ああ、昔は、すべからく、秩序的でないのが、みょうーな魅力だったよなあ。
無くしてから、はじめて気づいた。

 新幹線に乗ると、午後の四時過ぎの窓の外は、青い空が広がっている。
明るい。でも、まぶしくはない。
ところどころで、サルスベリの花を見つける。
通路を隔てた座席では、おじさんが、缶ビールを飲んでる。

 ああ、もう少ししたら、秋だ。
マツタケでなくても、シメジやマイタケ、ナメコなどのキノコ狩りにも行きたいなあ。
キノコは、ボクの好みのタイプの、コナラ、クヌギ、ブナ、ミズナラなどの落葉樹の根元に生える。
もっとも、『センセイの鞄』じゃないけれど、毒キノコには、気をつけなくっちゃね。
助かる前提なら、一度くらいは、ワライダケとやら、食してみたい気がしないでもない。
いや、冗談です。よい子の皆さん、マネしないでください。

 そろそろ夕方になるなあ。
ハギや桔梗の季節がすぐそばだ。
ほとんど揺れない新幹線で、少しくらい揺れたほうが風情があるのになあ。。。などと思う。
まことに、勝手なものである。
通路の向こうでは、おじさんは、まだ、ビールを飲んでいる。

 午後の日ざしが、まだ明るい。


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by nonoyamasadao | 2016-09-12 12:28 | 雑文 | Comments(2)

緑のキ・ブ・ン

 一仕事して、通り抜けのキャンパスを通ると、青空に夏雲が浮かぶ。
梅雨はこれからなのになあ。
どこからか、甘い香りが漂い、周囲を見回すと、境栽のクチナシの白い花がたくさん開いている。
そっか。
クチナシの香りは、甘いんだとあらためて思う。
キャンパスにはナツツバキが結構、植えこまれていて、上品な白い花が咲く。
芯の部分が、黄色い。
梅雨の季節は、ナツツバキ、同系統で、ヒメシャラが楽しみだった。

 東京のリーマン時代は、朝早く、タクシーで北柏駅に向かう途中で、魚市場のニュースなど車中でよく聞いた。
魚市場のスポークスマンは、梅雨の季節は、イサキがおいしいので、ぜひ食べてみてください。
値段の割に、淡泊で、上品な味が楽しめます。。。。というようなことを、よ〜く聞いた記憶がある。
塩焼きでよし、煮つけてもよし、とも言っていた。

 梅雨の前の季節、草萌が終わり、木々の若草色がしっかりした緑になるころ、気分も緑色になった。
気分は緑色というのは、ボク的には、夢と現実のちょうど中間のような気分で、疲れない状態である。
何事にも、必死で生きている人には、物足りないか、頼りなく感じるかもしれない。
ボクにだって、小学校や中学校の頃は、結構、捨て身で生きてきたことがあった。

 でも、いまいち、ピリッとしないよね。。。っていうのも、存外、悪くない。
あえて、この季節の難をいえば、果物が少ない。
みかんは終わって、ビワイチジクの季節か。

 桜は、好きではない。
太宰治の桜があまりに、下品で、それがトラウマになったようだ。

 古都金沢では、梅もスモモ桜の花と一緒に咲くという。
室生犀星だったかな。

 今日は、スモモを買って帰ろう。


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by nonoyamasadao | 2016-06-06 12:29 | 雑文 | Comments(1)

エゴノキ

  昨晩、少し寒くなって、暖房にすると、老母が買ってきた胡蝶蘭に似た花が、あっという間に満開になる。
胡蝶蘭のような高価な花は、我が家には似合わないし、好みでないので買わない。
まあ、胡蝶蘭ではないにしても、なんとも華やかな花だ。
洋花には、どうも抵抗がある。けれど、右翼ではない。

 最近、この地では、クスやケヤキの街路樹を剪定しすぎである。
もともと、自然樹形を楽しむものなのに、痛ましい。
繁茂したさみどりで、信号が見え難いなどの理由は、あるのだろう。

 再開したが、玄関入り口前の青空営業のスーパーに行く。
『ユーガットメール』のような、ストリート・マーケットなら、楽しいのだけれど、雑駁な感じで、なんとも味気ない。

 帰り道、無駄足だったなと独り言ちながらトボトボと歩くと、自宅のすぐそばのマンションでエゴノキが咲く。
それにしても、生け花のように、ズタズタに剪定されているのに、けなげにも咲く。

 どこからともなく、甘〜い、バニラのような香りがキラキラキラと漂う。
人通りがないので、有毒な木ではあるが、このやるせない匂いはどこからくるのでしょう。。。。と、くんくんと匂いをかぐ。
匂いの正体は、どうやら、花の真ん中からのようだ。

 うつむきかげんの女の子と言った風情の、真っ白な小さな鈴のような花が、下を向く。
この木は、以前、住んでた住宅に、庭師の人が運んでくれた。
コナラ、棒カシなどの雑木の庭に、オガタマのバナナのような匂いが終わると、エゴノキのバニラの匂いが漂った。
5月の連休のころだった気がする。

 そして、まだ蕾もたくさん、つけているのに、小さな花はハラハラと散る。
好きだったな。
ああ、そうだった。
志水辰夫さんの『散る花もあり』は未だ、読まずにとってあるのだった。
そろそろ、読む時期かもしれない。

 どんなときでも、季節の時の刻みは、正確なんだな。


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by nonoyamasadao | 2016-04-24 18:06 | 雑文 | Comments(1)

雨の石畳

 朝、芝の増上寺を見ながら、小雨の道を歩く。
子供のころから、今にいたるまで、闇のお寺は、なべて不気味だ。
よい年をして、恥ずかしいのだが、こ、怖い。
夜中に、タクシーから見るだけでも、築地本願寺は、際立って怖い。

 増上寺は、なぜだろう。
早朝のせいもあるが、全然、怖さがない。なんか開放的な感じがする。夜でも、大丈夫かも知れない。

 慶應大学の西門に行くつもりが、三田駅から市役所に向かうふれあい大通りとかに、出てしまった。
街路樹のサルスベリが、そろそろ終わりですよ。。。。というようにワインレッドの花をつける。
西門を探しながら、サルスベリの花に話しかけるように、ゆるゆると歩く。
角を曲がって、ああ、今年はサルスベリを見なかったけれど、街路樹のサルスベリというのは、また格別だなと思う、
そっか。
今年の夏も終わってしまうのだなあ。
なんとなく樹木の葉が、秋の装いを告げているような気がする。

 な~んて、のどかに歩みをゆるめていると、バケツをひっくり返したような雨が降りだす。
叩きつけるようで、だいぶ、濡れてしまった。

 ひっそりとした道を行くと、ああ、ありました。
ここが、慶應大学の西門か。
狭い、石畳の坂を上る。
雨に濡れた舗石などながめ、まっすぐに坂を上ると、学問の庭が広がった。

 こういう道を毎日、歩いて、なにがしかを考えていれば、もうすこし、ましな人間になれたかもしれない。
でもね、しょうしょ間抜けで、マンガのような毎日だけど、まだまだだよね。。。と思えるのも結構、楽しいのですよ。

 今年の秋は、少し長めだとよいのになあ。


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by nonoyamasadao | 2015-09-09 18:17 | 雑文 | Comments(2)

チェリーブロッサム

 昨日の朝、ゴミ出しに行くと、小雨の中、ゴミ置き場にさくらが風花のように舞い、降る。


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by nonoyamasadao | 2015-04-04 10:19 | 雑文 | Comments(9)

損したキブン

 インターネットは便利だと、あらためて思う。
実は、この地に来る21年前に住んでいた、当時は新興分譲地だった名前を検索をしてみた。
「パークシティ守谷」という。
 あったぁ!!。
地図があって、拡大すると、道の曲がり具合や建物の真上から見た形状で、昔の我が家は、簡単に特定できた。
 その建物を、でたらめにクリックすると、あ~ら不思議、21年ぶりの我が家の玄関前が、あたかもホームページのように立ち上がったではないか。

 家の玄関前の目隠しのカイズカイブキの後ろに、おめでたいことがあるといいなぁとおもって植えたユズリハが、もう、二階の高さになって、葉を茂らせていた。
 なによりも驚いたのは、隣のさかいに植えたクスが、圧倒的な巨木になって、やっぱ、クスは住宅には植えてはいけないなあ、と痛感する。
見知らぬ隣人の方、スマヌと心の中で謝る。
 でも、21年ぶりの我が家とのご対面は、そりゃあ、うれしいものでした。
「パークシティ守谷」万歳三唱する。

 建物の裏の竹林もそのままで、日曜日の11時ころ、朝風呂に入っていると、ウグイスが、ケキョケキョケキョ、ホーホケキョと鳴いたことを思い出した。
白い雲の流れは速くて、あの時は、シアワセだった。

 「フリーター、家を買う。」はドラマしかみていないけれど、すこし似ていたかもしれない。
その頃、夢もなく、貯金は赤で、かいしょうなしだった。
そっか、お金もなく、自信もない、しがないサラリーマンだったけれど、無理して買ったのだった。
なにもかもが必死だった。あれも、過ぎし日の青春だった。

 用事があって、仕事部屋に出掛ける。
ああ、梅はリアルタイムで観賞したけど、今年はまったく白モクレンやコブシを楽しまなかった。
ボクは、花が開きかける早春という季節が、1年で一番、好きだ。
たぶん、進級や進学の少年時代の不安と期待が入り混じった、不安定に揺れた昔の気持ちが蘇ってくるからだと思う。
通り抜けの大学には、しだれ系の山桜の老樹に、かすかにピンクの混じった白い花が、あわあわと咲く。

 春のはじめの、人生を楽しむいつもの儀式ができなくて、今年は損してしまったなぁ。
でもね、そんなことを考えるのも、優雅な時間かもしれないとなぐさめてみる。

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by nonoyamasadao | 2015-03-22 11:00 | 雑文 | Comments(6)