いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
more...
タグ
(842)
(691)
(202)
(187)
(181)
(158)
(122)
(101)
(72)
(57)
カテゴリ
全体
ミステリ映画
ヒッチ・ワイルダー
洗練コメディー映画
60年代ポップス
本格パズラー
川上弘美
江國香織
短編小説・詞・詩
雑文
中村八大
竹内まりや
伊東ゆかり
花の24年組
最新のコメント
To まめ蔵さん >..
by nonoyamasadao at 22:14
nonoyamaさん、こ..
by まめ蔵 at 16:10
了解です(笑)
by まめ蔵 at 20:55
To まめ蔵さん >「..
by nonoyamasadao at 23:20
あ、ここでは sadan..
by まめ蔵 at 21:35
T0 まめ蔵さん >初..
by sadanono at 10:56
> 若いって素晴らしい。..
by まめ蔵 at 17:04
To まめ蔵さん >エ..
by sadanono at 20:33
nonoyamaさん、御..
by まめ蔵 at 15:27
To 穴沢ジョージさん..
by nonoyamasadao at 00:18
お気に入りブログ
soda-pop
自然風の自然風だより
おいしいもの見つけ隊 隊...
のほほん便り
ふらんす堂編集日記 By...
佐賀県武雄市  武雄温泉...
散歩日和
deux fraise
魅せられて大和路
ちまもの読書日和
最新のトラックバック
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
ああ、ついに…双葉十三郎..
from ラムの大通り
坂本九
from いいたいことは少しある
検索
メモ帳
いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


タグ:映画 ( 187 ) タグの人気記事

愛の様相ー哀しみの街かど

 今や、本屋さんに行って、同じフロアで、ピザを食せる時代だそうである。
べ、便利になったなあ。
でもね、本屋さんに行って、同じフロアでピザを食っている人がいたら、かなり、引くでしょうね。
もう、その本屋さんには、行かないでしょうね。

 我が地でも、昨年の震災で、大きく模様替えした本屋さんがある。
新刊書も今や、カテゴライズされて分業システムとして、分類されて並ぶようになった。
でも、ミステリの新刊の隣に、たまさか、純文学が並んでいたから、庄野潤三の『絵合せ』とか『屋根』を読んだんだよなあ。
今のような、整理だったら、ぜったいに読まなかったな。
これは、ひねくれものの自己正当化かしら。だったら、スマヌ。

 今の地のよく行く三年坂通りの本屋さんも、かなり様相が変わったな。
昔々、あれだけ古本を買いあさって、それから、喫茶店に行って、その日の成果をじっくりと確信するのが、あれだけ楽しかった時間だったのに、本屋さんと喫茶室が同じフロアにあるのが、なーんかね、とっても抵抗がある。

 羨ましいのか。ちょっと、違うな。
でも、この感覚こそが、老害なんでしょうね。

 昔々、『哀しみの街かど』だったかな、ロードショーではなくて、二本立てか何かで、仲間たちと、新宿に観に行った。
映像派というか、フォトジェニックなタッチのシャッツバーグだったと思う。
この監督の致命的な欠陥は、ドラマツルルギーが弱いことだった。
『哀しみの街角』は、薬物のことはな~んも判んないけれど、亡くなった当時の大先輩(実年齢は3才違い)は、映画後の喫茶室で、密告した恋人は怪しからんみたいなことな事を言われた。
ボクは、それって、仕方ないじゃん。。。みたいなことを言った。
先輩は立腹して、理路整然と反論された。先輩、申し訳なかったです。
仲間達の唯一の女性は、ボクと同じで、アル・パチーノに同情的だった。たぶん、かなりのパチーノのファンだったのでしょうね。
傷ましくも、惨めで、メランコリックな映画は、深夜のバス停で、ゼッタイに来っこないバスを、来ないだろうな~と知ってて、待ってたボクの心情にマッチしていると思ってた。
今、思うと、カール・ヤスパースのドイツ哲学専攻の大学院生で、ギリギリのところでしのぎを削っていた大先輩は、切迫した中で、どこかにブレークスルーを求めなきゃ、男じゃない。。。と思ってたのだろう。
こ~んな簡単なことを、還暦の半ばを過ぎて、気づくなんて・・・・。
俺って、バカか。

 『スタンド・バイ・ミー』のように、みんなで無邪気に死体探しに森林に行ったつもりが、ボクは麻薬と恋愛への懊悩など、な~んも判らなかった。
ちょっとは、感受性の欠片ぐらいは持っていると思ってたけれど、結局、信じられないほど、それが欠けてたみたい。
 
 でもね、現代だって、トム・ソーヤーが描いてた夢とか冒険って、永遠なんじゃないかな。。。な~んて思うんだけれど・・・。
でも、それも後づけですな。



More
[PR]
by nonoyamasadao | 2017-04-26 19:41 | 雑文 | Comments(4)

かなりヤバいかも・・・

 『秒速5センチメートル』を観る。
劇中の話だと、秒速5センチメートルとは、さくらの花びらが地上に降下する速度そうだ。
ボクは小林秀雄の「中原中也の思ひ出」を思い出していた。

 「あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めてゐるに違ひない。」のくだりである。
違うのは、浅葱色の春の黄昏に、海棠の花が散っていくさまと桜の違いだ。

 小学校のころは、鞍馬天狗ごっこや頓馬天狗ごっこや椿三十郎ごっこに、熱中した。
チャンバラ大好きで、畑で三角ベースの野球で遊び、土曜日の午後は、パン屋さんの焼きたての菓子パン、肉屋さんの揚げたてコロッケだけが、楽しみだった。
資本主義には、ミシェル アルベールの説く『資本主義対資本主義』の2通りがあるけれど、このアニメ映画の第1話を観ていると、日本的資本主義は、間違っていなかったのかも知れないな。。。と痛感する。
もちろん、今の日本の資本主義には、大反対である。

 まあ、ぼんやりした、あたまの空っぽな小学生や中学生時代だったけれど、なんとシアワセだったことだろう。
ドラマにあるような根拠のない自信などなかったし、未来への漠然とした不安もなく、くよくよすることも、ほとんどなかった。
たまに、不安定になることはあっても、放課後の休み時間をひたすら楽しみにする、極楽とんぼであった。
図書館など見向きもせず、同級生の女子にも、小学校のときは、無関心だった。
めざめていなかった。

 そ~んな思春期だったけど、このアニメを観ていると、動作や気持ちは今からすると、ぼんやりなりに、もの凄いスピ―ドがあって、1日の時間がありすぎて、持て余した頃が蘇った。
また、会社員になってから、とてつもなくミスマッチのシステム・エンジニアの仕事に絶望しながら、それでも、捨て身で頑張ってきたころが、主人公に重なる。

 主人公が高校生活を過ごす種子島で、進路調査を書かず、紙ヒコーキに織って、飛ばすシーンでは、ハーバート大学生を描いた『ペーパーチェイス』のラストシーンを思い出した。
第三話の桜の花屑が舞い込んでくるシーンでは、中原俊監督の『櫻の園』のラストシーンを思い出したし、エンディングの奇跡的なすれ違いの後の場面では、アンリコの『若草の萌える頃』のジタ伯母さんを思い出した。

 このアニメは、女流作家のような繊細なタッチが持ち味だ。シルエット、坂、新宿駅界隈、並んだ鉄塔、列車の連結器の揺れ、夜の電話ボックス、そして踏切などの添景が見事である。
カポーティの『草の竪琴』を読む女子高生や漱石の『こころ』を読む女性は、魅力的だ。
どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるか。。。というドラマには縁がなかったけれど、それなりに溌溂としていた、そして生々しい一瞬が、闇の中の篝火のように、いくつか浮かんでは消えた。

 そうだった。
ボクだって、草っぱらで流れていく雲の輪郭を気にしたり、夜中の新宿のタクシー乗り場をうろついた時期もあった。だいぶ、時間はかかったけれど、満を持して会社も辞めた。

 ただ、今、振り返れば、きっと、あの人も振り返ると思ったことは、ただの一度もなかった。かりに、そんなことがあっても、振り返らなかっただろう。
来年も一緒に桜が見れるといいねと思った相手もいない。
そんなさみしい人生の人は、ほかにはあまり、いないだろう。
少年のころ、ボクが遠くを見ていた視線の先には、なにがあったのだろう。
 今もって、自分でもわからないし、わかった気もしない。
かなり、ヤバいかも・・・。


More
[PR]
by nonoyamasadao | 2016-10-30 16:57 | 雑文 | Comments(0)

スクリーンミュージック

 穴沢ジョージさんのブログを拝見していて、そういえば、昔は、スクリーンミュージックのラジオ番組があったことを思い出す。
スクリーンミュージックのベストテンでは、『エデンの東』とか、いつも上位だったような気がする。
映画を見ないのに、音楽だけで、『エデンの東』は名画に違いないと、勝手に想像を膨らませた。

 『デート ~恋とはどんなものかしら~』を見ていると、映画の話題でマニアックな論争が繰り広げられる。
松重豊さんが、「スティーブ・マックイーンといえば、『大脱走』と『荒野の七人』でしょう」と、したり顔で、切り出す。
フム、たしかに、『大脱走』と『荒野の七人』は、ジョン・スタージェス監督らしい、スカッとした画面構成とテンポよく展開されたアクション映画だった。
こういうテンポがよくて、ワクワクする娯楽映画は、近年、とんと見ない。
すかさず、長谷川博己さんがたしかにそうだけれど、「『ブリット』を見なきゃあ、マックイーンファンとは言えない。そして『ゲッタウェイ』と『パピヨン』が続く」とのたまう。
そっかなあ、『ブリット』のカーアクションは、確かに伝説的である。
英国の俊才のピーター・イェーツは、この出来があまりに良すぎて、爽やかな青春映画で、自転車レースが楽しい『ヤング・ジェネレーション』や、彼が撮ったとはとても想像できない渋い傑作『ドレッサー』まで、長~いスランプに陥った。
けれど、『ゲッタウェイ』と『パピヨン』はたしかに大作だけれど、そ~んなにマックイーンの代表作かしらん。

 だったら、やっぱ、『シンシナティ・キッド』じゃないかい。
E.G.ロビンソンの圧倒的な貫禄と、サスペンスフルなスタッド・ポーカーと、ラストシーンの靴磨きの少年のシーンなど、今でも、余韻が残っている。
ああ、あのころのスティーブ・マックイーンは、たしかに好漢だった。

 じゃなければ、小学校の低学年の頃に見た、賞金稼ぎのテレビドラマの『拳銃無宿』は、忘れがたい。
宮部昭夫さんの吹き替えで、スティーブマックイーンが、妙に、老けて見えたっけ・・・。
考えてみりゃ、何をいまさらだが、ボクはかなりのオタクだったなあ。愚かにも、今にして、気づく。

 スクリーンミュージックで追いかけたのは、たしかにデビ―レイノルズの歌う『タミー』が主題歌の映画は、一生懸命探したけれど、とうとう見れなかった。
幼心に、切々として、せつない気分になった名曲だった。
子供のころ、きれいなお姉さんとして憧れた園まりさんが、♪あなたにほほ寄せて ささやくしあわせ・・・と歌う『女王蜂』は、曲先行で、なけなしのお小遣いを払って映画を見に行った。

 ほかには、Dreamという曲が、夢見るように素敵だった『足ながおじさん』は、曲が聞きたくて、電車に揺られて、千葉のほうの名画座まで出掛けた。
すごく満足して帰ったけれど、Dreamが、『足ながおじさん』のオリジナルでないと知ったのは、ずっと下って、中年に差し掛かったころだった。
あれは、ショックだったなあ。


More
[PR]
by nonoyamasadao | 2016-09-01 18:22 | 雑文 | Comments(0)

フロントページ

 1975年5月のゴールデンウィークは、今でも覚えている。
明るい陽光が差し込む喫茶店で待ち合わせして、『フロント・ページ』を見に行く。たしか、みゆき座だったと思う。
当時、映画を見るのは色気抜きの親友と、異性では、画板を持った絵描きの恩人しかいない。画板からは、クレヨンの匂いがしたり、絵の具の匂いがした。
絵描きの恩人は、ただ憧れるだけの異性で、まったく手の届かないところの人だった。

 その頃のボクはまだ、ストイックで、飲んだら観るな、観るなら飲むなの時代だった。
異性とは、酒は何度も飲んだけれど、映画を見に行くことはなかった。
真っ白いスクリーンと対峙するような気分で映画を見た。
今は明るい茶の間で、ゆるゆると映画を観てる。堕落したものだが、それも悪くはないと最近、思っている。
要は、結構、映画に命をかけていたんだなと、今にしてしみじみ、そう思う。
 『フロント・ページ』はリメイクのリメイクで、その後も『スイッチング・チャンネル』で、再度、リメイクされた。
ジャック・レモンとウォルター・マッソーの掛け合いがあうんの呼吸で、なんともおかしい。ビリーワイルダー先生のドタバタ演出もさすがに洗練されてて、ゲラゲラ笑い、堪能した。
フロントページとは、新聞の第一面のことで、やっぱ、新聞記者になりたかったな。

 外に出て、6月には『イルカの日』を観ようとか話したのを覚えている。
大学時代の1年下の友人がボクらを見つけ、近寄ってくる。
な~んのことはない、彼もガールフレンドと次の回を見に来たのだった。
みな、顔見知りで、ボクより1学年下で1才年上の親友(2浪)と彼は同期だった。みんな大学のサークル仲間で、彼女だけが卒業したてだった。
彼は、山口百恵さんの『潮騒』を観ようか、これにしようかで迷ったみたいだ。

 立ち話して別れると、親友は自分も含め、我々男どもは、ちっとも成長していないという。
この年代では、社会人1年目となる女性は、学生時代とがらりと変わって、大人びた女性になっていた。
男二人じゃ、ニューヨーカーのようにはならないが、本屋の新刊をのぞいたり、銀座を散歩して、休日のパブで、明るいころから飲む。

 この年の2年後の彼女の誕生日に、カップルは結婚した。
男どもは成長しないと嘆いた我々は、その後、十数年以上、何ら身辺変化はなかった。
そして、暇を見つけては、おいしい刺身が食えて、温泉があって、美人女将の名館で酒を飲み、くつろぐ。
親友は、50才少し前になり、突然、炎のごとく、電撃的結婚をする。

 ボクはといえば、な~んの変化もなく、相変わらず、美味い刺身と温泉と酒をこよなく愛す。

 ここまできたら、もうどうしようもないなぁ。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2015-05-09 15:27 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(2)

フルーツ牛乳

 昔々、住宅には鳥の巣箱のような牛乳受けの箱があって、フルーツ牛乳とか、牛乳屋さんが瓶で配達してくれた。
子供のころ、一日牛乳4本の人工栄養で育ったせいか、ボクは牛乳が苦手になって、フルーツ牛乳も飲めないが、子供の頃は、色彩にものすごく敏感だった。
瓶のフタの絵の色が匂いや味覚まで連想させ、あっ、おいしそうとか。。。感動したものだった。
今でも、時々、たとえば、twitterの絵文字の色に、ふと遠い昔を思い出し、ああ、年食っちゃったなぁと悲しくなる。

 高橋克典さんのDVD『恋愛ドラマをもう一度』を見る。
失礼ながら、元来、額の狭い、この種の二枚目俳優は、どちらかというと、苦手だった。
けれど、『傷だらけのラブソング』とか、落魄したヒーローを演じると、う~ん、力量のある俳優さんなんだなと思う。
『バツ彼』なども、ダメ優男ぶりが、似合っていた。

 『恋愛ドラマをもう一度』は、『最後から2番目の恋』の、プロデューサー(小泉今日子)とライター(内田有紀)の関係に的を絞り、男女関係に置き換えたインサイドストーリーで、都会派恋愛ドラマであった。
昔なら、ソフィスティケーション・コメディーなどといった。
最近の岡田惠和さんには、ニール・サイモンの味わいが出てきた。
男と女の人情の機微に、せつなさもあるが、暖かい余韻の残る台詞回しが、素敵だ。
『ホームドラマ!』なども意識していたのでしょうが、眼高手低だったような気がする。

 ふと、思ったのだが、『恋愛ドラマをもう一度』は栗原美和子プロデューサーだったので、
堤真一さんが演じていたら、どうなったのかなあと思った。
昔の彼なら、得意だったはずだ。
この手の都会派ロマンティックコメディーを見るたびに、ジャック・レモンを思い出す。
『アパートの鍵貸します』の、あのさみしそうな微笑みが蘇ってくる。
昔昔、松木ひろしさんの脚本で石立鉄男さんや、同じ、松木脚本で西田敏行さんがそれらしく演じた。
けれど、あの手の哀感を漂わせる俳優さんは、日本には、ちょっと出そうにない。

 『ザ・プレイヤー』のパーティシーンで、ピアノを弾いていたジャック・レモンさんが、ふと頭をよぎった。


More
[PR]
by nonoyamasadao | 2015-04-11 16:08 | 雑文 | Comments(2)

もう一度

  難問的雑用が終わり、久しぶりに仕事部屋に出かける。
いつも通り抜けする大学はもう春休みなのか、ひっそりとしている。
ユーミンの最後の春休みの歌詞ではないが、感傷的な風景が広がっているように思えて、♪長い廊下を歩いていたら、泣きたくなった。。。という気分は、フム、よ~くわかる。

 裏口から入って、左側に紅梅が数輪咲いている。
誰もいないので、近づいて、匂いをかぐ。奥床しいけれど、ほんのりお酒のような匂いがする。
イカンなあ。昨日、飲まなかったせいか。
小さな紅梅の花は、繊細で、練りきりのようである。
いつか、月夜に、この紅梅を見たことがある。
最初は朧で、だんだん近づくと何とも、艶やで愛らしく、セクシーな気分になった。

 昨日は、ロブ・ライナー監督の『最高の人生のはじめ方』を観た。
モーガン・フリーマンは、交通事故の障害を持つアル中の書けなくなった作家で、避暑地の湖畔の別荘のキャビンで、一夏を過ごす。
で、お隣には離婚した、3人の子持ちの中年女性の”サイドウェイ“で素敵だったヴァージニア・マドセンが住んでいる。
な~んか、ボクの理想の老後に似ている。まあ、アル中は困るけれど。
物語展開はステレオタイプだが、冒頭には、ビーチボーイズの“Don’t Worry Baby”が流れ、月夜の晩には、ボクでも知ってるベートーヴェンの”ピアノ・ソナタ 第8番 悲愴 第2楽章“が、お隣さんのピアノから流れる。老いらくの恋なんでしょうが、ほのめかす程度でよかったのではないか。
筏を組んで、湖の向こうの美しい小さな無人島に行くシークエンスでは、“スタンド バイ ミー”のテイストを思い出した。いくつか、ご都合主義はあるけれど、それは許そう。
モーガン・フリーマンが言う。“一つのドアが閉じると、もう一つのドアが開く”。
う~ん、それには希望がある。な~んか、ヘレン・ケラーのようだ。

 このところ、寝しなに“バツ彼”を見てる。いっとき、寝しなにケラリーノ・サンドロヴィッチの“カメレオン・リップ”を見ていたけれど、“バツ彼”は、吉祥寺の南口の丸井の先のいせやの石段の坂や、井の頭公園の雑木林や、池の丸太の柵が、とっても懐かしい。
登場人物の男性陣がみんな、恋愛の負け組ってのも、なんともねえ、同輩だから身に染みてわかる。

 まっ、恋愛はともかく、70までは、思いっきり、ハードに生きてみるさ。
時々、ズル休みしたり、とことん飲んだりしてね。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2015-02-03 13:56 | 雑文 | Comments(6)

だから、あなたは・・・

  貝柱のカルパッチョ、ねぎトロ湯葉巻き、黒胡麻コロッケで、ビールと日本酒を飲む。
突然、思い出す。
正確には、黒胡麻コロッケで、ビールを飲んでいるときに、頭に閃いた。

 遠い昔に、フライドポテトで、よくウィスキーを飲んだ。
ウィスキーは、ホワイトホースだったり、カナディアンクラブだったりしたが、カティーサークだけは、なぜかバカにして飲まなかった。
そんな時のことである。

 ”だから、あなたは、女がわからないのよ~”ってなことを、何人もから言われた。
前の晩に、『ラストクリスマス』のDVDを見て、矢田亜希子さんが織田裕二に向かって、『だから春木さん、モテないのよ。』というセリフの影響もあって、思い出したのかもしれない。
 酒をたくさん飲んで、言いたい放題だったとしても、突然、キレられてもねえ。
だから、オマエなんかに、オレが分かってたまるか~ってなる。

  たとえば、どうして、そんなこと言うの~とか相手が怒るなら、なんだか知らないけれど、傷つけてしまったのかなぁ。。。と自省して、ああ、これかと思い当たれば、即、謝る。
まあ、何かが気に食わなくて、『少女A』のように、“♪女の子のこと、知らなすぎるのよ、あなた。”ってなったのでしょう。
思えば、男系家族に育っているから、修行僧のごとく、女性を美化するバカ男だった。

 話は変わって、数日前に、熱中症でみながバタバタ倒れ、藤崎台では9台救急車が到着した。
世間はみなクールビズだが、ボクは背広にネクタイで過ごすことにしている。
みんなが背広にネクタイの時は、ボクはタートルネックで、フォーマルな席でも、気ままに過ごす。
 やれやれ、逆説的人生観や斜に構える悪い癖は、永遠に治らないだろう。

 友人から教えてもらったDVD『500日のサマー』は、1960年代を想起する洒脱で、ちょっとビターで、スウィートな小佳作だった。
LAが舞台のカットつなぎや、ばらばらにした時間を再構成する手法など、監督の才気を感じさせる。
映画では、男と女の物語は、偶然でも、運命でもなかった。
会話に出てくる、ザ・スミスが偶然で、オスカーワイルドの『ドリアングレイの肖像』が運命を意味するシンボリックな小道具か。
ボーイ・ミーツ・ガールの”出逢い”を、必然に変えていくプロセスがあり、振り返ってみたときに、ああ、それが運命だったんだぁ。。。というテーマのように思った。
違ってるかなあ。

 それにしても成長しませんなあ。


More
[PR]
by nonoyamasadao | 2014-07-20 12:31 | 雑文 | Comments(5)

ラブ・ダイアリーズ

 1992年は、この地にくる前年だった。
その年の、ビル・クリントンの大統領選挙事務所に主人公はいた。
 そして、まじめな主人公をとりまく3人の女性がいる。
将来は大統領になる主人公の夢にたじろぐ学生時代からの恋人、
精力絶倫の大学教授の愛人で、ジャーナリストの卵のキャリアウーマン、
同じ事務所でバイトするエキセントリックな女友達の3人がいる。

 別居している我が娘との週2回の逢瀬が、今の主人公には、一番の憩いの時間だ。
そんな娘の問いに、心ならずも、1992年から5年くらいの己が恋愛遍歴を、主人公は、女性の名前を変えてポツリ、ポツリと語り出す。
誰が今、離婚しつつある娘の母親なのかが、ミステリっぽい謎解きのように、展開されていく。

  う~ん、なんだかほのぼのとして、でもほろ苦い味わいだ。
それでいて、それなりに知的で、ステレオタイプではあるけれど、よくできた脚本だった。

 この『ラブ・ダイアリーズ』という映画、どうして未公開だったのだろう。
ロマンティックコメディーとして、弾けていなかったからかしらん。
シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の本が、小道具として、とてもうまく使われている。
ブロンテで、遠い昔のある日曜日の午後を思い出す。

 季節は、たぶん、梅雨明けの7月に入るか入らないころで、時間はゆっくりと過ぎていく。
午後の陽だまりの中を、バスに乗って、初恋の人の家の近くの京王ストアの先の中央大学附属高校前で降りた。

 みーん、みーんとセミの声を聞いた思う。
その年の8月に急逝する父と一緒に、附属高校の裏手の住宅地を歩く。

 その家の応接間からは、いろいろな樹木と芝庭が見えた。
芝庭の奥には、強い陽射しの中、逆光で、ショートカットのボーイッシュな小学生くらいの女の子を見た。
すぐ姿を消し、しばらくすると、ピアノが聴こえてきた。
彼女なのか、ご近所の人なのかは、わからない。
なんだか、石坂洋次郎の小説の世界みたいだなぁ。。。と思った。
あれは、きっと、父が友人にボクを引きあわせ、大学の4年にもなって、就職活動もしないマスコミ志願のボクの就職のお願いをしたんだと、今にして思う。

 エネルギッシュな感じの父の友人に較べ、ずいぶん若くお嬢様ふうで、なにより、我が母と較べて、都会的な奥様がお茶を運んできた。
先程の、父の友人の娘にしては、ずいぶん小さな小学生の女の子の話になる。
今、娘はブロンテ姉妹に凝ってますのよ・・・オホホホホと笑ったかどうかは定かでない。
まっ、そんな感じのやりとりだった。

 どうして、記憶に残っているのだろう。
なんだか、不思議だ。
 これって、老母が言っていた、残照のような記憶ってヤツなのかなぁ。
そういえば、オレンジ色の夕暮れの匂いがしたような気になった。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2014-05-18 10:25 | 雑文 | Comments(0)

浴衣と花火と映画の話

 健診でカリウムが基準値オーバーしたので、朝食のバナナを2日に1度にする。
このところ、桃が多い。
久世光彦の男と女のもの狂おしい、滅びの美学の小説を思い出す。

 花火のことを書くと、どうもウェットになっていけない。
『金魚花火』など、金魚が生来、苦手もあって、好きになれない。
大塚愛さんのファンの方、ご免してくれ~~~。 
ボクの誕生日に、玉名で花火大会があった。
川が流れ、橋があって、花火が上がる。
遠い日、船取線をタクシーで帰ると、旧手賀大橋にさしかかる手前で、打ち上げ花火を見た。

 後になって、DVDでバリー・レヴィンソンの『わが心のボルチモア』の冒頭の感謝祭の花火を見た時、手賀沼花火大会をなぜか思い出した。
ヒッチ師匠の『泥棒成金』では、暗がりにシルエットで浮かぶグレース・ケリーに、官能的な花火が炸裂する。
不肖の弟子っぽいブライアン・デ・パルマの『ミッドナイトクロス』では、逃げるナンシーアレンに追手が迫る場面で花火が上がった。

 そういえば、『結婚できない男』でも、花火刺しカクテルを、嫌味か...とか言いながら、阿部寛が飲んでいた。
あれは、1度でいいから、飲んでみたい。
事務所の屋上で、一人で神宮外苑の花火大会を見るのは、さみしいからいらない。

 恋は、遠い日の花火ではない。。。のか。
たまには、浴衣で花火大会に向かう女性の姿を眺めながら、遠くなった日々を思い、冷えたビールでも飲んでみますか。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2013-08-04 11:10 | 雑文 | Comments(0)

ちょっとだけ、シアワセ気分

 梅雨である。
世間様はずっと忙しいのであろうが、久しぶりに忙しい。
夜になって、DVDなど観ると、ぎょ、ぎょぎょ、同じネクタイをしている。
ドラマの始まりで、榮倉奈々さんがこともあろうに、今日、ボクが締めていったネクタイと同じ模様のネクタイをしてる。
ふ~む、な~んかフクザツな気分になる。

 では、シアワセな気分になろうね。。ってことで、『結婚しない』のDVDを見る。
これは、花屋さんが舞台だし、天海祐希さんが造園デザイナ―なのも好きだった。
還暦過ぎて、女性化したような気がしないでもない。
花があって、花言葉があって、う~む、やっぱ、これは男の世界ではないよなぁ。

 実は、高校生の頃に、将来は飯野ビルのようなオフィスビルのテナントの花屋に憧れた。
30代の中ごろに、家を建てるつもりになったころ、造園業に憧れた。
専門書を数十冊読破して、作庭技法など学んだつもりで、通景線など用いて、お絵描きなどした。

 ドラマでは、深夜に菅野美穂さんが、バラ園の公園で、ビールを飲み、噴水など眺める。
おいおい、そこそこ若い女性が深夜の公園に一人で出掛けて大丈夫か。。。などといらぬことを考えつつ、まったりする。
う~ん、久しぶりのまったりであるなぁ。
ここは里見公園だと、ネット検索にて、ロケ地を知る。

 このバラ園は、昔、病院だったという。
夜泣き石もあるという。
なんか怖そうである。

 昔、島田荘司さんの本格推理小説に、本格的に、はまった時期があった。
やっぱ、本格パズラーは、とびきりの謎が提示されないとつまらない。
不可能犯罪こそ、推理小説の醍醐味である。

 そういえば、『北の夕鶴2/3の殺人』というのを読んだ。
夜泣き石が、すすり泣くのだったなぁ。
鎧武者の幽霊が写真に写ったりして、あの作品は、ディクスン・カ―を読んだときみたいに、深夜にゾッとして後ろを振り返った記憶がある。

 でも、『結婚しない』は、なんとも、しみじみさみしくて、それでいてあたたかな気持ちになる、近来まれなドラマである。
寝る前に見ると、シアワセな感じで眠れる。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2013-06-15 21:36 | 雑文 | Comments(3)