いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
more...
タグ
(838)
(687)
(200)
(186)
(181)
(158)
(121)
(101)
(72)
(57)
カテゴリ
全体
ミステリ映画
ヒッチ・ワイルダー
洗練コメディー映画
60年代ポップス
本格パズラー
川上弘美
江國香織
短編小説・詞・詩
雑文
中村八大
竹内まりや
伊東ゆかり
花の24年組
最新のコメント
To 穴沢ジョージさん ..
by nonoyamasadao at 11:59
『ビコーズ』2009年に..
by 穴沢ジョージ at 01:49
To まめ蔵 さん ..
by nonoyamasadao at 17:17
こんにちは^^ 『騎士..
by まめ蔵 at 15:21
To 穴沢ジョージさん..
by nonoyamasadao at 12:40
そうですか。WMC です..
by 穴沢ジョージ at 22:55
To まめ蔵さん >立..
by nonoyamasadao at 09:59
nonoyamaさん、こ..
by まめ蔵 at 15:49
To まめ蔵さん >枝..
by nonoyamasadao at 18:05
nonoyamaさん、こ..
by まめ蔵 at 17:02
お気に入りブログ
soda-pop
自然風の自然風だより
おいしいもの見つけ隊 隊...
のほほん便り
ふらんす堂編集日記 By...
佐賀県武雄市  武雄温泉...
散歩日和
deux fraise
魅せられて大和路
ちまもの読書日和
最新のトラックバック
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
ああ、ついに…双葉十三郎..
from ラムの大通り
坂本九
from いいたいことは少しある
検索
メモ帳
いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


タグ:小説 ( 45 ) タグの人気記事

身辺雑記

 昨日は暑さでヘロヘロになりながら、それでも書店に行く。そこに流れている空気感に落ち着く。
本棚にずらっと並んだ文庫本コーナーを散歩するように、ブラブラしながら、写真の美しい趣味のコーナーや料理のレシピ本なども、興味津々である。じぃーっと見入る。
三年坂通りという、な~んともロマンティックな名前の坂にある書店を出て、川上弘美さんの書いていたことを思い出す。

 陽炎がゆらゆらと立ちのぼるような街角を歩きながら、最近、一番、数多く足を運んだ場所は、やっぱ、本屋さんだった。
二番目は、ソバ屋か居酒屋だと思う。
ソバ屋でビールを飲んで憩い、ゆっくりと陽が暮れていくと、ああ、今日も一日が終わるのだなあ、と少ししんみりする。
もう少し、年が行けば、涙ぐむのだろうか。だったら、やだなあ。
三番目は、スーパーか映画館だろうと思う。
けれど、最近は、『海街diary』も『バケモノの子』も、みんなDVDだ。
前者は、ちょっとだけ小津風で、後者は、評判悪いけれど、スペクタクルだった。

 こう暑いと、たまらなく北国へ行きたくなる。
でも、本当に行きたくなるのは、寒くなってからだ。
雪の舞う季節に、北国の温泉に行って、紅葉の終わりの旅館の庭の樹木など眺め、鍋料理を食し、雪見酒をすると、ああ、日本人でよかった。。。って実感する。
もっと、年が行くと、生きててよかったになるのかもしれない。

 まあ、あれやこれや妄想をたくましくして、夕暮れが近づく時間のころに、一週間の晴れたり曇ったりの出来事などをゆるりと振り返ってみるのも、人生の彩りになるのかもしれない。
人生には幾通りもの道があって、人生論などはまったく無縁で、これから先、ど~なっていくのだろうと漠然とした不安を抱えてた子供の頃が、懐かしい。
ま、今だって、晩飯は何を食おうとか、夜、観るDVDはなんにしようとか、即物的なことで、あ~でもない、こ~でもないと悩む。

 人間はいくつになっても、あんまり、進歩しませんね。

って、ボクだけか。


More
[PR]
by nonoyamasadao | 2016-07-31 13:23 | 雑文 | Comments(2)

白い影

 中居クンこと、中居正広さんの『白い影』を1話、2話と見る。
ああ、この人は、こういう陰影のある役もできるのだなあ、とあらためて、そう思った。
確かに、アイドル全盛のころでも、そういう雰囲気はどこかに隠し持っていた。

 『白い影』の原作は、渡辺淳一氏の『無影燈』である。
同じタイトルで、故田宮二郎氏が演じたテレビドラマは名作だが、もう40近いころで、さすがにニヒルで、苦い演技がさまになっていた。

 対して、中居正広さんは、20代最後のころだから、堂々の演技である。
看護師さんという言葉は、どうも昭和には似合わない気がするので、あえて、看護婦さんという言葉を使わせてもらおう。
相手役の看護婦さんは、竹内結子さんで、こちらは、山本陽子さんよりも、もっと存在感があって、ういういしい。
ああ、渡辺淳一氏は、比較的初期には、『阿寒に果つ』とか、これとか、骨のある作品も、書いていたんだなぁ。

 いつのまにか、渡辺淳一氏は、必然性も、葛藤などまったくない、弛緩しきった新聞小説ばかりを書くようになった。
いってみれば、不倫大好きな、オジイチャンといったふうだった。
くんずほぐれずのベッドシーン作家になった。

 我が敬愛する、立原正秋氏となると、無理に無理を重ねたメジャー志向の中で、流行小説を書いていた。
曰く、李朝の末裔であったり、日韓混血など、虚言を重ね、その役を演じきって、逝った。

 けれど、小説のプロットはいわゆる風俗小説風でも、それなりの必然性や緊張感は、いつも維持していた。
純粋な恋愛小説は読むと、ある種の抜き差しならない状況になり、男のエゴイズムや女性のエゴイズムの醜悪な部分に逢着する。
倫理を超えてしまった向こう側で、問われる愛の形が、たしかなかたちで、描き切られていた。

 時として、立原正秋氏の描く男は立派すぎて、リアリテイ―を欠くという指摘もあった。そうかもしれない。
けれど、いってみれば、渡辺淳氏一の描く不倫は、ふしだらで、破られるべくしてなされた、自堕落な日常だった。

 立原正秋氏の書いた小説には、いつだって、哀しさが漂っていた。
それは、血の問題だったり、破滅への道行きだったり、情念の美学であったりした。

 畏友の高井有一氏の『立原正秋』は、独特な旧かなの古風な文体で綴られた伝記であり、私小説的でもあった。
高井有一氏は、立原正秋氏が兄事した吉行淳之介氏の言葉の中に焔を読みとり、立原の片想いだったかもしれない。。。とシビアな視線で吉行発言(手紙)の的を射抜いた。
 文章の教本といわれ、規範ともいわれた志賀直哉氏の文体に、「が」がおおいことや、「事」の濫用を指摘し、美しくないと指摘した鋭い人である。
彼の書いた立原評伝は、なんとも、あたたかな陽がさし、友への敬愛に満ちていた。

 そ~んなことを思い出しながら、今日は、『白い影』の第3話と第4話を見よう。
立原文学など生意気に語ったら、久しぶりに、彼の小説が読みたくなった。
三年坂通りの本屋さんに行っても、どうせ、絶版なのだろうなあ。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2016-05-19 14:59 | 雑文 | Comments(0)

男が感じる男の色気

 このところ、伊東ゆかりさんのことばかり書いている。
実は、きょうも書こうと思って止めた。

 昨夜、ブライアン・デ・パルマ監督の「スカーフェイス」を観た。ハワード・ホークス監督のギャング映画「暗黒街の顔役」を現代化した作品で、脚本は社会派のオリバーストーンである。そんなはずではなかったが、思わずアル・パチーノに見入ってしまった。
抑制の効かない上昇志向と、家族への屈折した思いが入り混じった複雑な性格の役柄だった。
なんともすさんだ凄みが漂っている。異形な生き様を、実に的確に演じていた。力演である。
夜陰に乗じて、豪邸に攻撃をしかける殺し屋の大群を相手にマシンガンを乱射する、壮絶なクライマックスは圧倒的だった。
さすが、デ・パルマ的な華麗な見せ場だ。こうじゃあなくちゃあねえ、と感心した。

 遠い昔のことだ。
リニューアル前の「テアトル新宿」には、ビルの上の方に大きな馬蹄形のカウンターのパブがあった。
「スケアクロウ」のアル・パチーノの話題で、年少の女の子から絡まれたことがある。アル・パチーノを嫌いだと言ったからだ。
「スケアクロウ」のアル・パチーノはチンケな小男に見えた。オドオドしたおどけた役だったからでもある。だから、でかくて喧嘩がつよいジーン・ハックマンがかっこよく見えたのだ。
でも、当時からアル・パチーノは女性の人気はあったようだ。
「アルパシーノ+アラン・ドロン<あなた」なんて歌もあった。あ、榊原郁恵が歌ってました。
森雪之丞の作詞・作曲だった。この人も摩訶不思議な才人だった。
今はパシーノとは、あまり言わない。パチーノだ。

 アル・パチーノには、「セルピコ」、「狼たちの午後」、「ゴッドファーザー」など既に代表作はあったが、断然「スカーフェイス」がいい。
完全に危ないどこかに逝っちゃった感じがあった。
そういえば、山本薩夫監督の「皇帝のいない八月」の渡瀬恒彦の眼技にも似た感じがあった。
現状への焦燥感から破滅を急ぐ男の興奮とおびえのアンビバレンスがあった。その背後には美学とニヒリズムがある。

 話題は変わって、志水辰夫の「行きずりの街」を今頃になって、読み出した。これが抜群に面白い。読書家でなくても、なにを今更。。。っていう話題でしょうね。お恥ずかしい。あちこちに、読み落とした作品がたくさん、あります。

 25年以上昔に、ぜったいに僕の好みのはずだと、ミステリ通の友人から強く薦められた作家である。僕好みの文章だと聞いた。あ、僕自身は悪文だが、読むのはきれいな文章が好きだ。柄じゃなくて、すみません。
だから何度も試みたが、どうもキブンが乗らなかった。
類稀な文章力といったって、そんなに上手いかなあ。そうも思わないけれど。。。っていう感じだった。

 今回、はじめて本気で読んでいる。今半分まで読んで書いている。
見切り発車だが、なるほど。。。すこし興奮している。そう、たしかに僕の好みのスタイルだ。
結構、部分的にかなりキザな文章もある。それがなんとも心地よい。たとえばこうだ。

 男はみんな糸の切れた凧になりたがるものなのだ。それで女が苦労している。

 う~ん、こういうのが隠し味で、行間に埋もれて、散らばって書かれている。
地名が固有名詞なのもよい。場所が描写力をもって活写されている。
イマージナリー・ランドスケープ(デジャブじゃなくて)がある。
とくに、広尾から六本木までの空間的広がりの描写が冴えている。それも’90年代初頭のバブルの時代の頃だ。鷺宮あたりの光景の描写もいい。

 女の人の描き方が、チャンドラーほど柔でなく、ロス・マクほど透明でもない。
てきどに叙情的なのだが、観察には酷薄な視線があって、描写は乾いた感傷に留まっている。
うん、シミタツと短縮形で呼ばれるのが、よ~く理解できた。

 シミタツというスタイルを感じた。
スタイルをもったハード・ボイルド作家は日本では、稀有なことである。主人公はわりとボコボコにされるが、またルックスもぼんやりしているが、なんか雰囲気があっていい。

 ちょっぴりクールで、そのくせ情もある。インテリで、内省的だが、無鉄砲。まあ、矛盾している。
そこが凡庸に見えて、ヒロイックなのだ。男の色気、うん、ありますな。

この作家の良質な部分は冒険小説にあるのではなく、正統派ハードボイルド小説にあるように思った。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2012-02-09 10:41 | ミステリ映画 | Comments(0)

Q10

 The night was young and so was he. The night was sweet, but he was sour.
夜は若く、彼も若かった。夜の空気は甘いのに、彼の表情は苦かった。
韻を踏んだ、ウールリッチの『幻の女』の有名な書き出しである。
夜の散歩が好きである。
もう少し年令がいくと、ただの深夜徘徊老人になる。
ホント、シャレにならない。
ウ~ム、苦い。

 そういえば、ディクスン・カーの処女作が『夜歩く』だった。
 夜の散歩には、いくつか思い出がある。
酔っぱらった女の子を自宅まで送って行った甘酸っぱいのもある。
酩酊して、グダグダと歩いたのもある。
おいしい空気をイッパイ吸って、帰ったのもある。

 どうして夜の散歩を思ったのか。
『Q10』で、レイ・ブラッドベリの『生涯に一度の夜』について話していたからだ。

 このドラマはすこし、ヤバい。
なぜなら、中原中也の詩や、同じ風は二度と吹かないなど、妙にリリカルで、矢鱈と気障なセリフが飛び交う。
倉本聡というよりも、山田信夫の時代に戻ったような錯覚に落ちていく。

 けれど『ウォーターボーイズ2』や『Q10』を見ている還暦を過ぎたジジイというのも、客観的には不気味なものだろう。
実際、若かりし頃に、『眠れる美女』を読んで、川端康成なる芸術家はなんたる醜悪な老人かと悲憤慷慨したものだ。
あちらは稀代の天才だが、こちとら凡人だから、なお気色も悪かろう。

 春の夜の散歩には、昼にない風景や空気感がある。
ブラッドベリの小説は、月灯りの夜に、草いきれの丘に登って、星を見上げ、妻と手をつなぐ。
思えば、これって、変態かと思ったのものである。

 夭折したM先輩も、ブラッドベリと同じことを30才を過ぎても云っていた。
そうか、生涯に一度の夜は、そんなことがあってもよいのかもしれない。と、凡人は今になって思う。

 はだしの似合うマーク・トウェインの町で、暖かい夜に歩く。
ウ~ム、よいものかもしれない。
ワタクシの人生、かなりとっ散らかってはいるが、生涯に一度のことなど、まったく思いもつかない。

 テリー・レノックスはかくのたまう。
一生に一度は、空中ブランコのスイングのような離れ業をしてみせるさ。。。。ってね。
 
 今夜は、遠い昔に読んだ虫明亜呂無の短編でも探し出して、読もうか。
あれも昭和の太宰のような小説だった。
木皿泉の『Q10』は、そんなヤバいドラマである。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2011-06-08 20:39 | 雑文 | Comments(3)

人形の家

 晩御飯の後、『狼たちの午後』を観る。
公開当時、ホモセクシャルが題材だと聞いてパスした。
観ていて、迂闊にもウトウト。
おい、しっかりせいとばかりに、目薬を差して気合を入れるも効果なし。
後半にさしかかった頃、目覚める。
銀行強盗映画ではなく、適度にのほほんとして、社会風俗や群集心理を描いた映画だなと思う。

 やっと目が冴え、志水辰夫の『人形の家』を読む。30ページ程度の短編だ。
定年退職の送別会から始まる。
ああ、ボクも何回も送別会をしてもらったけど、一度も辞退しなかったのは図々しかったかもしれないと気づく。
しばし、中途退職の送別会をしてもらった頃を懐かしむ。
 短編では、定年後の二週間の寂寥が滲み、少しセンチな気分になる。
草木染めのテーブルクロスが出てきて、だったら、よもぎがいいなどと勝手に想像する。
結末近くなると一気呵成になるが、この人の文章は好きだ。
檜原村が結末にでてくるが、子供の頃、あこがれていた雲取山は今どうなったろう。

 宮沢りえの舞台『人形の家』を観たのは、もう一年前になるのか。
一年がずいぶん、駆け足になったなと驚く。
 近くの桜公園の紅葉を眺め、ナナカマドの紅葉と赤い実を想う。
旅行がしたいなと一瞬、頭をよぎるが、できやしないと頭を振る。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-09-24 11:03 | 雑文 | Comments(0)

ザクロの美味しい食し方

  日曜の日経新聞にザクロの挿画が載っていた。
『私は夕闇の川のザクロなの』というある小説の一節を思い出した。
悲しく孤独なフレーズだった。
けれど、鬼子母神との絡みだろうが、血の味だとか、人肉みたいとか言うのは、ザクロがかわいそうだ。

 ザクロをモチーフとした文学の傑作といえば、やっぱり、川端康成の『ざくろ』でしょうね。
一夜の木枯らしで、雨戸を開けたらザクロが裸木になっていた短編。。。。というよりショートショートに近い。
葉がなぜかきれいな円を描いて落ちていた。。。というのを今も、おぼえている。
好きな人の齧りかけのザクロを食すと酸味がしみて、泣きそうに幸福だった。。。というのが、ああ~、うつくしい青春であるなあって思った。

 川上弘美さんの短編にもあったな。
亡くなった叔父さんの好物がアワビ、ナマコ、葛きり、ザクロ、ソラ豆というのがあって、ボクとまったく、同じじゃんと思った。脈絡がないのも同じくだ。

 ザクロは、赤い実を、四つくらいに割って、ツブツブをほじって、頬張って食べるとおいしいよね。
ツブツブの中には種がいっぱいあるから、ペッペッって、庭に吐き出すのがカイカンなのだよね~。つまり、野趣豊かな食し方がオススメである。
甘酢っぱいのではなく、酸っぱ甘いのがザクロならではの味かな。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-07-07 12:26 | 雑文 | Comments(4)

青が散る

  『青が散る』は本屋の平積み台で手にした。ハードカバーで大部だったが、リアルタイムで読んだ。
青春群像小説の傑作だと、当時のミステリ好きの友人達に宣伝した記憶がある。
宮本輝は『蛍川』くらいは読んでいたが、それほど大好きな作家でもなかった。
当時だと、丸山健二とかが好きだった。
『青が散る』はドラマにもなったが、どうもキャスティングのイメージが違うような気がして、それっきりになっている。
見ておけばよかったなと、今になって思う。

 『青が散る』の本は手元になく、記憶もかなり頼りなくなっているが、ヒロインの二人は、わりとよく記憶している。
小説の真のヒロインは佐野夏子だろう。
ひまわりのように目立つ、美人で華のある大学生だ。少しわがままなところのある、可愛いお嬢さんといった風ではなかったか。
ボクが心惹かれたのは、星野祐子という、もう一人の地味なヒロインである。
うろ覚えの記憶では、すこしハンディがあり、テニス部のマネージャだった。
聡明で、小柄で、すこしさみしげだが、芯の強さをうちに秘めた、ボクにとってあこがれの女性像だった。

 もっとも、思い込みが激しいから、とてつもない勘違いをしているかもしれない。

 星野祐子の描き方は、せつない部分がずっと隠されていて、ほのかにそうであるとよいなぁ。。。と思いつつ読み込んでゆくと、ラスト近くでその期待が大きく膨らんだ。
これって、宮本輝自身もこうした展開を考えていなくて、とっさの衝動で、その成り行きになったのでは・・・と思うくらいだ。
もちろん、緻密に構成された、考え抜かれたストーリーテリングであり、だからこそクライマックスがグッとくるのである。
女は怖いなぁ。。。でも、星野祐子なら、ぜんぜんノープロブレムだなぁ。。。と思った。
フォークソングの挿話など冗長にも感じたが、時代のリアリズムを考えると、そうなるのだろう。

 フレッシュでちょっぴり酸っぱいレモンを齧ったような爽やかさを基調として、はかなく、ほろ苦い青春が活写されていた。
赤や黄色やさまざまな色の花火が煌めくような瞬間が浮かび上がっては、花火のしずくが読み手めがけて降って来るような気になった。

 ドラマは見なかったが、主題歌の♪港の引き込み線を渡る時~というフレーズには、イマジナリー・ランドスケープがある。
あまり相性がよくなかった松本隆の秀作だと思う。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-06-24 13:47 | 雑文 | Comments(4)

Mさんのこと

  倒叙ミステリの第一人者の折原一さんの過去ブログ(『頭蓋骨の裏側』)を読んでいたら、敬愛するMさんを偲ぶ会のことが綴られていた。
Mさんは大学の学部・学科の一年先輩で、亡くなられてからもう二年半になる。

 四十年近く昔、趣味の上でも人生の歩みの上でも、いろいろと教えて頂いた。彼について書く。
 
 大学の講堂と文学部を結ぶ通りの講堂よりに、その喫茶店はあった。
外からは内部がまったく窺うことができない。入るのが少し躊躇われるといった風情だ。
そんな喫茶店の窓際の一隅で、はじめて会った。昭和45年の今の季節か、もう少しあとだった。

 彼は抜群の英語力で、大学の二年生のころから、ハヤカワ・ミステリ・マガジン(HMM)の下訳などをしていた。
宝塚市出身の俊才で、夏目漱石の著作などに親しんでいた。あの若さで、あれほどの知的成熟を、他にボクは知らない。
 はじめて彼と話した日を、昨日のことのように覚えている。
彼が大好きだったL.デヴィッドソンの『モルダウの黒い流れ』の話を畏敬を以って聞いた。

 当時、新刊で出版されたばかりのジェフリー・ハドソン(マイケル・クライトン)の『緊急の場合は』は、上半期のベスト5には入るなぁ。。。なんて話した。
その頃は当たり前だけれど、彼もボクも貧乏で、たいしたお昼も食べず、かわりに、ポケミスの新刊や新作映画のほとんどは、読んだり、観たりしていた。
授業にはお互い、見向きもしなかった。凄いと思ったのは、期末テスト期間中に、神田の古本屋まわりをしていた。さすがに付き合いきれない。
ミステリや海外小説の話になると、彼は時間の経つのを忘れて夢中になって話した。
そんな話を聞くのが楽しくて、じぃ~っと聞いてた。

 彼は八方美人的でなく、どちらかというと人嫌いに見えた。
しかし親しくなると、ゼンゼン違っていた。さみしがりやで、人恋しいタイプの人だった。
但し、本音を心置きなく語り合う関係になるまで、随分と、時間のかかる人ではあった。
 嘘や巧言令色を弄ぶ事は大嫌いだったと思う。
そのぶん、後に翻訳家になった時、原稿の持ち込みや出版社との社交の面で、そうとう損に働いた様にも思う。

 MWA最優秀短編賞のロバート・L・フィッシュの『月下の庭師』を彼が訳し、HMMに掲載された日のことー。
喫茶店が閉店時間になり、東西線の入り口の傍の喫茶店『オリエント』で続きを話した。
『月下の庭師』はヒッチ師匠の『裏窓』とダンセイニの『二壜の調味料』が合体したような傑作短編だった。

 彼とボクの付き合いは大学の三年から四年までと、社会人になってからの半年弱である。
彼は事情があって、急に帰郷してしまった。

 そして四年間が過ぎた。
そんなある日、彼から突然電話があり、そして他に誰も引き受け手はいない・・・と言う。
彼の結婚式の司会の依頼だった。いったん宝塚に集まり、式は京都だった。
東京からは、大作家になられたMKさんと、高校ー大学と同じサークルの編集者になったHくんも出掛けた。

 今も杉戸在住の作家MKさんは、彼の一番の親友だったと思う。
泉鏡花を研究しつつ、MKさんはコチコチの本格ミステリ派だった。
SFからハードボイルド、サスペンス、新刊ミステリは全部バカスカ読破するMさんとは肝胆相照らす仲だった。
結婚式でも、まだデビュー前のMKさんが主賓をつとめた。

 ついこの間まで、浮き沈みが激しい、出版ジャーナリズムを駆け抜けるのは、Mさんに不向きだった。。。と勝手に思っていた。
それは学生時代の最後のエッセイに由来する。
およそ、うろ覚えで不正確だが、『泣きたくて、泣きたくて、仕方がなかったある日、ボクは泣かずに発狂した』(かなりいい加減だが)というタイトルの名文がある。
そこでは、本当はミステリなど好きではなく、文学や童話に対する憧れが綴られていた。
彼の早成がよくわかった。
シャープな知性ゆえ、神経も鋭敏であり、繊細だった。翻訳の仕事には一切の手抜きがないことも、学生時代からうわさで聞いていた。
どちらかといえば、思慮深い英文学の研究者とかの方が似合っていた。
ボクもそうだが、ボクとは比較にならないくらいに、政治学には縁遠かったと思う。

 けれど、この記事を書くために翻訳家としての作品を調べて、やっぱり、才能が貫かれたことを知る。
とりわけ、彼が訳した作家に、フィリップ・K・ディックとマーガレット・ミラーの名前を見つけ、うれしくなった。
『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』は、彼の大好きなSFだった。
マーガレット・ミラーは彼が一番、敬愛していた翻訳家の小笠原豊樹(詩人:岩田宏)が訳した作家である。美しい文章を書く作家だった。

 彼の旅立ちは、やはり早すぎたのだが、それでも、よい仕事をなされたのだなぁ。。。と思う。
彼の訳した本を集め、読むのは老後の楽しみにとっておこう。
おそまきながら上を以って、合掌。

 以下は、彼の結婚式で時間が余りそうになり、司会者自らが歌うことを覚悟した曲だ。歌わずにすみ、ぶち壊しにしないでよかったぁ。。。心よりそう思う。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-05-10 16:50 | 60年代ポップス | Comments(0)

デジダルはでぇぇ~きらいだぁああっ!。。。。のはずだった

 先週は鹿児島出張やあれこれとイベントがあったので、酒は四飲三休だった。
それを三飲四休のペースに戻すには、今週は二飲五休でなければならない。
これが辛い。ホント、つらいんだから・・・・。
健康診断のために、胸を張って言えることではないけど、休肝日を十二日間続けるより、ずっとつらい。
飲む日をはさみながら、週に五日のアルコールホリディは精神衛生上よくない。
我慢って、体に悪い。

 昨日は終日、家にいてNHKテレビを見ていた。
『趣味悠々 デジタルカメラ』(再放送)と『衆議院 予算委員会』など、漫然と見た。
デジタルカメラに、指一本触れたことがない。また、触れたいとも思わなかった。
でも、観てたら、イヤ~面白かった。
写真家の川合麻紀さんのおしゃべりがとてもよい。サバサバしているが、女性ならではの優しさがある。
それに、な、なんざんしょね。この人の醸し出す雰囲気が好き。
ボクより、はるか年少なのだが、爽やかお姉さんタイプだ。
小柄で、かわいくて、キュート。このての女性に、弱いんだよなあ。

 デジダルはでぇぇ~きらいだぁああっ!。。。。なのだが、見ていて感心した。
『室内で花を撮ろう』がテーマなのだけど、前ピンや後ピンあたりのテクから俄然、面白くなる。
知ったふうだが、sadao4432さんから習った。
レフ板の光の反射あり、カラーボードの背景作りあり、マニュアルフォーカスのワイドや望遠のボケなどなど、かなりマニアック。
なんなの、これ。。。
あと、クレーンやレールと移動車(ドーリー)があれば、映画の映像論になるではないか。
ふ~ん、感心した。
でも、これって中高年のためのとってもやさしいデジカメの入門編なのでしょ。ずいぶん、高級なのだなあ。

 番組のバックの窓から、繁った樹木が見える。
この番組の収録は凝ったスタジオのセットでやるのだなぁ。。。と、またまた感心していたら、雨が降りだして、雨粒が窓を濡らしている。
どこで収録したのだろう。。。どうでもよいことだけど、しばし考え込んでしまった。

 ネット検索したら、爽やかお姉さんの川合麻紀さんのブログを見っけ。。。ふ~ん、ブログもあるんだ。
光の色をイッパイに取り入れた淡い色の花の写真がある。
写真のことなど、な~んもわかってないが、パルテル画のような、ソフトフォーカスのふわふわした感じがとっても好きだ。
ハイキーって、このことを言うのだろうか。よくわからない。
『小さな恋のメロディー』とか、初期のクロード・ルルーシュ監督の『パリのめぐり逢い』の光に満ちた映像を想い出していた。
ただ、この手の映像は飽きやすい。

 酒を飲まないと、やることがない。
『日本アカデミー賞』も、わかっていたことだが、ゴヒイキ俳優はまたも最優秀賞を逃した。
このところ、老眼が進んだのかも・・・。読書すると、すぐに目が疲れる。
でも今日のようにヒマだと、読書しかない。
川上弘美さんは老後の楽しみに、藤沢周平の数作を残しているそうだ。
ボクも藤沢周平は同じように残してあるけど、もう一人の残しておいてる作家が志水辰夫だ。
『背いて故郷』と『いまひとたびの』など、未読のままにしてある。
いいや~、読んじゃえ。
短編集『いまひとたびの』を読む。
いや~~~、傑作ですよ。すんばらしい!! 。
R.チャンドラー、リング・ラドナー、デイモン・ラニアンの時代を思い出させてくれた、既に読んだ小説も凄い。
けれど、この短編集は、いったい、なんなんだ!!!。
田舎を書いているのに、ニューヨーカーの短編のようだ。あるいはまた、平成の太宰治のようでもある。
ようは、キザ。。。でも、そのキザが気持ちよいのだ。
こういうリリシズムはかなり長い間、味わっていない。

 週末には、メガネ屋さんへ行こう。
そして短編集に出てきたような魅力的な女性に、メガネのフレームを選んでもらおう。
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-02-21 13:48 | 短編小説・詞・詩 | Comments(2)

暴走族になってたら

 暴走族になりたくて、教習所へ行ったことがある。
マンディアルグの『オートバイ』の映画化の『あの胸にもういちど』を観た頃だ。
マリアンヌ・フェイスフルがハーレをぶっ飛ばす映画だった。
フランスとドイツの国境を越えて、美しい風景を切り裂くように疾走する。
いや~、カッコよかった。

 『族』という言葉は、昔はよく使われた。
たとえば、『太陽族』、『六本木族』、『みゆき族』、『原宿族』から『竹の子族』に変化した。
『太陽族』は昭和31年だから、まだ、小学校にも行かない子供の頃だから無縁だ。
『原宿族』の時は17才だから同時代だが、スポーツカーかバイクに乗れないと、お話にならない。
結局『六本木族』や『みゆき族』は、当時、高校生だった団塊の世代が先頭をきってしたことだ。
兄貴分の世代である。
『竹の子族』はダサかった。
だって、代々木公園の歩行者天国は、仮装行列のようだった。アフロもモンペも、ストリーキングもイモっぽい。
たぶん、お上りさんが主体だったからだろう。上野駅のペーソスが滲んで、都会的洗練はなかった。

 昭和50年のころだったと思う。
中央線が三日間くらいストップして、勤務先の分室だった麻布のマンションに泊り込んだことがある。
泊り込みの少し前に、イタリアンレストランの『キャンティ飯倉本店』で『六本木族』を遅れて体験した。
静かな街並みの中のレストランは地下にあった。
ああ、ここで、加賀まり子さんや安井かづみさんたちは、金曜の夜に特製の『ブイヤベース』を食したのだなあ。。。と思った。
去年亡くなられた峰岸徹さん(当時、峰岸健二)の『六本木の夜 愛して愛して』を懐かしく思い出した。
昨日のことのようだ。

 『みゆき族』は少し、知っている。
今もある和洋菓子・喫茶『風月堂』のそばに、『ジュリアン・ソレル』という瀟洒な喫茶があった。
一階がオートクチュールで、螺旋階段を上った二階だった。
みゆき通りには、女の子はロングスカートに大きなバッグをもって立っていた。男たちはみな、アイビールックだ。
『平凡パンチ』の表紙の大橋歩の絵が、あちこちに散らばったようだった。
VANの細いこうもり傘は持っていた。
その名残が今も、残っている。
いつも、傘を手放せない。夏も春も、こうもり傘だ。
腕時計と同じで持っていないと、なんだか落ち着かない。

 『原宿族』は友だちと友だちのガールフレンドのお供で、しぶしぶついて行き体験した。
JR原宿駅のリゾート風意匠は好きである。
表参道のケヤキ並木が気持ちよくて、坂道も好きだ。
行ったことないが、シャンゼリゼ通りもこんな感じなのかなあと思ったものだ。
明治神宮前駅ができたころから、少し、原宿の雰囲気が変わった。
お呼びでない原宿ビブレも消え、ラフォーレ原宿がなんと30周年!!!だとか。以前は、教会だったのになぁ。
江國香織さんの短編で、原宿に出て、『ピーチメルバ』を食べるのを読んだことがある。
どんなのかなあ。バニラアイスクリームのようなものだろうか。

 冒頭のバイク免許がとれてたら、夜の原宿を乗りまわしたに違いない。
ひょっとしたら、『族』のオピニオンリーダーになっていたかも。。。んなこたぁ、ないな。
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-01-20 16:19 | 雑文 | Comments(2)