いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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タグ:エッセイ ( 37 ) タグの人気記事

さみしいから、アップカミングガールズでも、聴きますか。

  深夜、寝室の窓を全開にして、周囲の景色と月のありかを確認して、深~く深呼吸して寝る。
それが、慣習になったのは、今の集合住宅に引っ越してからだ。
それも、9年目になるのか。早いような、遅いような・・・だ。
昨日の真夜中、かすかにキンモクセイの微香が漂っているような錯覚に陥った。
けれど、まんざら、錯覚でもないような気もする。

 朝晩、少し、秋めいてきた気がする。
ボクの精神状態では、そうである。
暑いのはヤダな、38℃になるのは、ガクブル。。。という気分は、もうない。

 スーパーに行くと、お上品な風情の柿が並んでいる。
太秋柿というのも、この地の特産だか定かではないが、やわらかく、中途半端な感じで、好みではない。
サラダ感覚というのだろうか。
 柿は、そんなものではない。
歯が折れそうなくらいに、ガチガチに硬いものだ。
でも、ゴマが入っていて、齧り付くと歯ごたえ十分すぎるぐらいで、乾いた柿特有の爽やかな甘さが、口中に広がった。
ああ、柿はハードボイルドな果実だった。

 老母が美容院に行っている間に、ちゃちゃっと、遅れていた仕事をやっつける。
声を出して、原稿を読み上げる練習をしたりするので、人がいると、とてもこっ恥ずかしい。
それは、読み上げる時間を計算するためだが、結婚式のスピーチも、最近では、あまり長すぎると思わなくなった。
それって、こちらの時間の幅が長くなったのか、客観的に、短くなる傾向にあるのかは、よくわからない。

 秋が来ると、思い出すことが一つある。
ボクに、文才がないことに起因する思い出だ。
 作文がまったくダメで、とにかく、書くとなると、思いつくことがな~んもない。
今、内容空疎でも、こうして書いていることが、夢のようである。
たぶん、大学の同好会で、倶楽部ノートに誰もみな、毎日、何かを書くのが約束事だったためだろう。
 
 亡父が、小学校2年生か、3年生のボクの宿題を、めずらしく手伝って、全部、一人で書いてくれた。
宿題の詩を代作してくれた。

 覚えているのは、以下のフレーズだけだ。

 秋が来た、秋が来た。
八百屋さんに黄色いミカンが並んでいて、秋が来た、秋が来た。
 
 って、ところだけ、60年近く前なのに、今も覚えている。
父は意外と、作文が好きだったのかもしれない。な~んとなく、そんな気がする。

 秋が来たって、夕暮れに誘われて、街角に立つことは、もうないだろう。
サンマの煙がもうもうと立つ光景に、出っくわすこともない。
もう何年かたって、朝、燃えるようなモミジの紅葉を見に、散歩に出かける日々なら、それは幸せってヤツだろうなと思う。

 街は色づくのに~、逢いたい人は来ないか。そのような経験は、今も昔も、なかった。
さみしいから、AKBのアップカミングガールズでも、聴きますか。


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by nonoyamasadao | 2016-09-09 21:28 | 雑文 | Comments(0)

大のご贔屓~レイチェル・マクアダムス

 レ―チェル・マクアダムスのファンである。美女ではないが、溌剌とした演技派で、キュートで、理知的な感じもある。特典などの素の彼女は声も小さくて、どちらかといえば地味な淑女である。
『ミーン・ガールズ』は女子って、怖いのね。。。っていう映画だった。
主演のアフリカ帰りのリンジー・ローハンは、よく演じていたと思う。
ただ、数学がものすごく出来る女の子にはゼンゼン見えなかった。ときどき、つまらなそうな顔に見えるときがある。
レ―チェルは学園の女王様役で、ブロンドのストレートヘアの意地の悪い敵役だった。
ラスト近くで、ジングルベル・ロックで踊るシーンは今も、憶えている。
 
 『きみに読む物語』(原題のノートブックの方がよかったかも)で、この作品でレイチェルのファンになる。
高慢ちきで野心的ともいえる役を演じた。
初々しくて、表情がいきいきとしていた。
サウスキャロライナで撮影した風景がうつくしく、ニック・カサヴェテス監督の親孝行な佳作である。
そうそう、当時、かなり若い女性から『きみに読む物語』っていう恋愛映画の傑作がありますよ。。。とおススメがあった。
どうせアラ還のオヤジなど、知らないだろう。。。という若さの驕りがビシバシと響き、観とるわい。。。とむきになりそうなのを、必死で堪えたのを憶えてる。

 『パニック・フライト』は、レ―チェル目当てで見た映画である。
けれど、ヒッチ先生風のサスペンススリラーでもあった。といっても、まったく腕が違う。それなりに楽めた。
最後はスパイスリラーになってしまうけど、空港のラウンジ、機内のおっかっけ、空港、自宅まで走り回るからあきない。
護身のためにペンで刺すシーンがあって、ああいうのは、どうも生理的に苦手だ。

 『幸せのポートレート』はクリスマス映画であるが、もっと深いテーマが狙いだった。
そこが気に入らないし、退屈だ。
主役のサラ・ジェシカ・パーカーも、得意ではない。『ラブINニューヨーク』のシェリー・ロングのようなペーソスのある役なら、似合いそうだ。
レ―チェルは、意地悪な小姑のチョイ役だが、とってもキュートだった。
ラスト近く、赤いセーター姿で、クリスマスツリーの飾りつけをしてるシーンは、今も憶えている。

 『ウエディング・クラッシャーズ』はドタバタ映画である。雑木の中をオーウェン・ウィルソンと自転車で走るシーンだけ、記憶に残っている。
レ―チェルが両手離しで自転車に乗るシーンは可愛かった。おバカなラブコメよりは、演出もキャストも豪華で、まともだった。

 『あぁ、結婚生活』は、これぞ中途半端という凡作だった。
まあ、初老倦怠期やミステリ紛いの話など、ごった煮の様相を呈するが、レイチェルは美しい愛人役で、愛人の心得も持っていた。
いや〜、そこだけがよかった。

 『シャーロック・ホームズ』、う〜ん、ガイ・リッチー監督って才能がありそうで、いつでも不発。。。って気がする。
ロバート・ダウニー・Jrのホームズとジュード・ロウが相棒のワトソンですからね。面白くないわけがない。
やっぱ、ハイテクの映画ってのは、どうも乗れない。
アイリーン役のレ―チェルは小悪魔的な魅力を振りまいて、ああ、こーいうのもいいなぁって思った。

 『消されたヘッドライン』は社会派ミステリで、これは抜群に面白かった。
個人的な話だが、新聞記者を目指して挫折したせいか、今もって、新聞記者ものに点が甘い。
やさぐれアウトローで、実はやり手のジャーナリストのラッセル・クロウと生意気で気の強い若い記者のレ―チェルがコンビで調査する。
よくあるステレオタイプですが、レ―チェルはキュートだったなあ。これが一番、好きかもしれない。

 『きみがぼくを見つけた日』(原題:時間旅人の妻、いい邦題をつけましたな)、タイムトラベラーと恋愛するとどうなるかというお話。
近年、タイムパラドックスという規則を無視した映画が横行するなかで、規則を守ったまっとうな映画である。
主人公のエリック・バナは、タイムトリップするとき、服は残したままになる。従って、トリップ先では、つねに素っ裸である。
ロバート・ネイサンの『 ジェニーの肖像』の逆を行くような展開で、レ―チェルは図書館の20代から30代の母親まで演じ、演技力満開である。
余韻が『ゴースト/ニューヨークの幻』ににているのは、同じ脚本家だから、そうなるかと思った。

 『恋とニュースのつくり方』は、『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェル監督で、『プラダを着た悪魔』のアライン・ブロッシュ・マッケンナが脚本を書いた。
だから、つまらないはずがない。
アン・ハサウェイは、これほどきれいな人はいないとおもっていたけれど、最近は、なんか口裂け女のようになってしまった。(ファンの方、失礼)
レ―チェルは、新米素人TVプロデューサー役で、ひたすら可愛い。張り切り過ぎて、しばしば、空回りして、まわりはハラハラドキドキである。
プラダの時のアン・ハサウェイほどの疾走感はないけど、まあ、就活で挫折中の人など、一服の清涼剤になるかもしれない。
ハリソン・フォード が無骨な、昔気質の伝説の報道キャスターを好演している。
ハリソン・フォードさん。あと10年近くたったら、あなたが演じる、ヘンリー・フォンダの秀作『黄昏』のような作品がみたいデス。

 『君への誓い』は、何回か前の‘三十路まえ’で書いたし、『ミッドナイト・イン・パリ』は未見なので書けない。
ああ、くたびれた。こんな長い記事、読む人なんて、いるっかな。

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by nonoyamasadao | 2012-10-30 13:38 | 洗練コメディー映画 | Comments(0)

永井陽之助氏を偲ぶ

  先日、二月の神谷不二氏に引き続き、永井陽之助氏の訃報を新聞で知る。実際には、旧臘に亡くなられたとのことである。
′60年代後半から′70年代にかけて、研究者でありながら、論壇でも社会的発言をした保守系の論客であった。
キッシンジャー博士が初訪日のとき、四人の国際政治学者と意見交換をしたという。
四人は、衛藤瀋吉、高坂正尭、永井陽之助、神谷不二の四名だったと記憶している。
エスタブリッシュメント側に立つ御用学者という人もいた。
研究内容も、研究のスタイルも個々に複合的なプリズムがあり、十把一絡げに論じるのは些か問題がある。
とまれ、保守系の現実主義に立つ研究者たちであったのは、確かである。

 ここで拘っておきたいのは、彼らは時宜を得て、現状分析のできる研究者であったことと同時に、時事分析だけに専心、埋没した研究者ではなかったということである。

 永井陽之助氏で最初に思い出す論文は、『日本外交における拘束と選択』(『中央公論』1966年3月号、『平和の代償』所収)である。
約言すれば、現代政治は計量化できるものではなく、人々の意欲もまた、計測不能なものである。
ややもすると、その困難さを過大評価するか、過小評価するかに陥り勝ちになる。
 たとえば国の外交政策の難しさを過大評価しすぎるなら、既成事実(fait accompli)の重視へと傾く。
つまり政治の流れが好ましくない方向に進んでいても、流れを変えることは難しい。かくて永井氏の表現では『無為の蓄積』になる。
その典型が、米国のベトナム戦争介入後の『介入の蓄積』である。
本来、米国にとって、このような介入は好ましくないのだが、介入の放棄はとてつもなく厄介な難問になった。
スペイン戦争に始まり、朝鮮戦争、ベトナム戦争を『国際的内戦』と、氏が定義されたのを今、懐かしく思い出す。
 他方で、氏は困難さを過小評価しすぎた非武装中立論も、現実的分析を無視した観念的な『構想論』として斥けた。

 高坂正尭氏や神谷不二氏は、外見は柔和で優しい感じであるが、衛藤瀋吉氏にはある種の、凄みがあった。
永井氏は重厚にして、温厚というふうであった。
衛藤氏が歴史の背景を念頭に置き、具体的に論述するスタイルだとすれば、高坂氏と永井氏は理論的で、グローバルに叙述されたように思う。
永井氏も高坂氏も核抑止に立ち、価値自由に力点を置く現実主義者であった。
だが、彼らは坂本義和氏や福田歓一氏らの非武装中立論を叩きながら、中立論者の描いた国家ヴィジョンの理想や価値を正当に評価していたことも忘れてはならない。

 永井氏は非武装には反対であったが、重武装にも反対であった。
そして、民衆の『全能の幻想』を煽るデマゴーグを懸念し、正当な手続き(due process)を重視したことは付記してよいだろう。
顧みれば、神谷氏を除く三名が吉野作造賞を受賞したのも、至極、妥当な受賞だったのかもしれない。合掌。
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by nonoyamasadao | 2009-03-20 15:44 | 雑文 | Comments(2)

好きと嫌いは微妙だ

  毎日、寒い。秋来たりなば、冬遠からじ。。ってね。なんか勘違いしているかなあ。
さぶいギャクかましてどうするって。。。まあ、寒い季節ですからねえ。ご容赦ください。

 パスタとかイタリアンという言葉など、流布していなかったころのことー。
マカロニとスパゲッティが、イタリア料理のシンボルだった。
マカロニだと、グラタンとサラダが先ず思い浮かぶ。
気の利いた喫茶店では、スパゲッティのナポリタンとミートソースの二種類があった。

 ボクはマカロニがまったくダメである。
匂いがダメだ。。。と思っていた。
他方で、スパゲッティは大好物だった。類まれなる美味しさに感動し、特別な食べものだった。

 だが、やがてマカロニもスパゲッティもパスタであることを知る。
原料は小麦粉で、他に水、塩、鶏卵など、同じである。匂いは苦手というのは、無関係だった。
なんでやねん。。。。と必死で無い知恵を絞り、艱難辛苦を乗り越え辿りついた結論は、マカロニの穴がダメなのに気づく。

 長じて就職したころ、先輩がかくのたまう。
『だったら、マカロニの穴にスパッゲティを通して、穴埋めすればいいじゃん!!。』
ふ~ん、なるほど。理系の先輩は理詰めであった。
なんか、納得だなぁ。

 でも、ちくわは穴があいてても、大好きだ。
そうなると、マカロニ嫌いとちくわ好きは矛盾する。

 でも、おでんダネに、ちくわのごぼう詰めがあった。
あれって、ボクのマカロニと同じパターンのちくわ嫌いの人のためだろうか。
最近だと、アスパラや人参をつめたのもある。彩りはきれいだ。

 南の地方に来て、ごぼ天ソバ、ごぼ天うどんに開眼する。
16年前に、東京にいた時は、お昼は毎日ソバ屋だったけど、ごぼ天など見たことも聞いたこともなかった。
東京を離れるころ、新宿あたりにそんなお店があると、聞いたことがあるような気がしないでもない。
記憶違いか、空耳かもしれない。

 棒状のごぼ天うどんもあるが、ささがきのごぼ天うどんはごぼうの風味が汁に滲み、これぞ美味である。
こちらの人はうどん贔屓だけど、もちろん、ソバもいける。ボクはソバの方が好きだ。
今の東京のソバ屋さんは、どうでしょうか。ごぼ天もあるのかな。
江戸っ子は美味いものでも認めたがらない癖がある。江戸っ子の『ヤセがまん』でね。これが、有害になることもあるんだよね。

 ごぼ天うどん(ソバ)はモツ煮込みなどと違って、全国区に通じる普遍性のある味わいだと勝手に思っている。
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by nonoyamasadao | 2008-11-26 17:15 | 雑文 | Comments(4)

明るい雨空

 今日も雷注意報が出ているが、昨日は快晴だった。このところ、大雨注意報が続いていた。
梅雨時、ほっとひと息の一日だった。
先週の土曜日まで、どしゃ降りだった。ズボンも靴もビショビショで、魚河岸スタイルとまで行かなくても、長靴が必要だ。
背広に長靴も妙だが、仕方ない。

 ニューヨーカーは、雨降っても男は傘をささないって聞いた。
大好きなアーウィン・ショーの「ニューヨークへようこそ」や「愁いを含んで、ほのかに甘く」を読んでも、雨の場面はない。
実際、近しいアメリカ人はみな、ザンザン降りなのに平気で目的地まで走っているのをよく見る。
ずぶ濡れでも気にしないのは、やっぱ、ハードボイルドであるなあ。。。な~んて思う。
NYではそうだとしても、シアトルだとどうだろう。
シアトルは雨が多いことで有名だ。
だったら、イチローは雨が降っても傘をささないのかしらん。
映画「Sleepless in Seattle(「めぐり逢えたら」)」では、シアトルは1年のうち、9ヶ月は雨が降る街だと言っていた。
妻を亡くし、悲しみの淵のトム・ハンクスが、息子ジョナと引っ越した場所がシアトルだ。
ボルティモアの記者メグ・ライアンは、フィアンセがいるけれど、トム・ハンクスに一目逢いたくて、シアトルまで押し掛けるが、ハンクス君とはすれ違いばかり。
高校生(たぶん?)の女の子が市電の中で、あんなジレッタイ映画はない。。。な~んて言っていた。
あのすれ違いがいいのに~。だから「邂逅」(オリジナル映画の題名でもある)が生きるんだけど、判ってないなあ。

 脇道だけど、ボルティモアといえば、往年のバリー・レヴィンソン監督でしょう。
ボルティモア出身だそうだから、ほとんど自伝的映画なのでしょうね。
「ダイナー」にはボルチモアの駅が出て来るけれど、やっぱ、映画の出来だったら、「わが心のボルチモア」がダントツによかった。
冒頭の花火は見事な映像だったし、火事を起した子供と父親の会話もなんかしみじみして、余韻が残った。

  ♪行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ ♪雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない
と歌ったのは、井上陽水だった。
文学界で「川べりの道」を読んだときに天才だと確信した故鷺沢萠に、「明るい雨空」という短編がある。
あまり出来がよくないけど、傘の話だ。
高校生の主人公の男は、女の子とデートの約束をしている。激しい雨が降っているけど、傘がない。
♪雨雨降れ降れ、もっと降れェ
などと歌いながら、地下鉄で文庫本を読んでいる年配の男の傘をかっぱらう。
地下鉄の扉が閉まる寸前に、老人の傘を盗むのだが、車両に残された老人は怒りもせず、走り去る車中から悲しそうな目で、駅に降り立つ主人公を見ていた。

 六、七年の時は流れ、主人公の男は一流会社の商社マンになり、少し仕事に疲れている。
退社時刻を過ぎて外に出ると、小雨が降っている。一ツ木通りを裏から抜けたところで、かつての自分と同じ年頃の青年から、ニューオータニへの道を聞かれる。青年は雨に濡れてる。
主人公は道案内をして、青年にむりやり傘をもたせる。
主人公は雨に濡れながら、あの雨の日の老人への絶対に返せっこない借りの、ほんのわずかを返せたような気がする。
この短編は女流作家とは思えないくらいハードボイルドタッチだった。
石原慎太郎の初期作品を思い出した記憶がある。

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by nonoyamasadao | 2008-06-24 16:44 | 短編小説・詞・詩 | Comments(4)

一つの時代の終わりを感じたりして・・・

 新聞の死亡欄を眺めて、少しショックを受けた。
 亡くなられた三名には、多少だが、かかわりがあった。面識などないが、それなりに気に留めた人たちだった。前者の二人はそう云えるだろう。

 野田宏一郎氏は、フジテレビのディレクターだが、それより、少しおバカだが、めっぽう楽しいSF小説を教えてくれた。
そのSF小説とは、キャプテンフューチャー・シリーズのことである。
彼はその紹介者であり、翻訳者であり、なによりもマニアだった。
キャプテンフューチャー・シリーズは、エドモンド・ハミルトンのスペース・オペラだが、ほとんど内容を記憶していない。けれど、かなりの数を読んだ。
キャプテンフューチャーが翻訳された頃は、真鍋博の挿絵が楽しい星新一の「妖精配給会社」や、健康でHな真鍋博の装丁がゴキゲンな小松左京の「エスパイ」などが生まれた国産SFの黎明期を過ぎた後だ。
「SFマガジン」ももうマイナーではなかった。
 だが大学のサークルとなると、SFはまだ、ミステリに従属していた。
SF愛好家たちは、宇宙塵の同人であったり、渋谷の道玄坂の喫茶店の「一の日会」に集った。
本格、サスペンス、ハードボイルド、軽ハード、冒険などに分属するミステリ畑の僕たちからすると、SFの人はいつも群れたがると思っていた。
けれど未だ日陰の身だった時代を考えると、むべなるかな。。。である。
もっとも、ミステリだって、「SRの会」とか、うるさ型の集まりがあった。
野田氏は宇宙塵の同人であり、花形ディレクターでもあった。

 悲劇のボクサーの関光徳氏は、海老原博幸の次くらいに、好きなボクサーだった。
二人とも、優男だが、無類の強打のサウスポーだった。
強打といっても、パンチに切れがあった。海老原はカミソリ・パンチといわれ、関は名刀正宗と称された。
パンチを力任せにブンブンと振り回さずに、コンパクトに、タイミングよく当てると、相手がバッタリと倒れる。
KOのし方がエレガントで、スマートだった。一瞬の閃きがあった。
パンチの切れって、何でしょう。KOパンチの持ち主を前提にして、考えた。
パンチの切れというのは、スタミナ(最終ラウンドまで繰り出すパンチの絶対量)を分母とすると、分子がパンチ力(一回分の平均)だと思う。
分母が小さくて、同じパンチ力なら、パンチに切れがあるという。
分母が大きくて、KO率が高ければ、重いパンチという事になろうか。だが相手をKOできないタイプは、手数で攻勢点を稼ぐボクサーである。もちろん、それもスタイルだ。
関光徳氏は、とうとう世界チャンピオンになれなかった。
無類の強豪が世界にひしめき合っていた時代である。
だが、明らかに勝っていたが、ホームタウンデシジョンで惜敗するという不運もあった。もっとも、ホームタウンデシジョンとはそういうものだ。
僕は、リアルタイムでテレビで何回も、彼の試合を観ている。
インターバルのとき、セコンドの椅子に座っていると、いつも遠いまなざしでどこかを見ていた。
その姿はどこか、さみしそうだった。佇まいに、はかなさが漂った。
そのことで青い鳥を逃がしてしまったのかもしれないが、「秘すれば花」のボクサーだった。

 氷室冴子さんは「クララ白書」を読みさしで、放り出してしまった。だから、語る資格などない。でも、書く。
中高一貫教育の学園コメディーだった。
親の転勤で寮生活になったヒロインが、入寮儀式で黒のタイツとレオタードという黒ずくめで、真夜中、調理室に忍び込む。
寮の全員分のドーナッツを揚げるところまで読んだ。
ドタバタコメディー仕立てなのだろうけど、なんか泥臭くて、あまり笑えなかった。
偏差値低めだった。
いかんいかん、よみさしだし、他には読んでいない。‘92年だけで、600万部を売ったという。そうなると国民的な作家だ。

 御三人の方に、合掌。

 しかし、氷室さんは51才だから若すぎるが、「天才バカボン」の考案者の少年マガジンの名編集長の内田勝氏も先だって、亡くなられた。
一つの時代の終わりを感じる。

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by nonoyamasadao | 2008-06-09 11:47 | 雑文 | Comments(0)

小林秀雄の美学~寿司の話

 最近、鮨を食べていない。いつからだろう。たぶん、握りは一年半以上食べていない。
病気をして、アルコール・ホリデーを設けてからだ。
別に、食べて悪いわけではなかった。立食形式の懇親会などで鮨が並んでも、なんとなく気が進まない。そういう場所では、ヤキソバやチャーハンとか食べてる。これがまた、妙に美味なのだ。
まあ、刺身は食べているから、とりあえず栄養には支障はない。

ルイベ、カズノコ、生きた養殖クルマエビ、養殖カンパチなどが入った鮨は、あまり好みではない。鮨はやっぱ、江戸前がいい。
たとえば、白身、サイマキエビ、マグロ、貝類、コハダ、アナゴ、玉子焼き、あとは巻物でしょうか。あ、シャコを忘れていた。
ネタは季節によって異なるが、さくらのこの季節だと、白身はマダイ(桜鯛)で、貝類はトリガイでしょうね。

東京にいた頃は、鮨屋の頑固親父に高額の授業料を召し上げられ、なおかつ、叱られながらいくつか学んだ。
たとえばー
白身だったら、青森産の天然ヒラメでも、塩をふって、冷蔵庫で一晩は寝かせ、昆布締めで食せ。生きた車エビで片手で握ると、アタマとシッポが出るくらいの大きさのサイマキでもボイルするし、蛤も水なしで煮て、苦味のあるワタをとって煮切りで食す。
マグロも一晩寝かせたヅケ、アナゴは煮汁で煮て(もしくはあぶって蒸して)、煮イカ汁の煮ツメで食らえ、とかうるさい事この上ない。
親父がインフルエンザで寝込んでいたとき、刺身で、ワサビ醤油で、ガバガバ食べてしまった。そりゃあ、美味だった。

こういうことを書くと、きっとまた叱られるけど、頑固親父の鮨職人から学んだことは、以下の方程式で表現可能だ。
旨い鮨 = 新鮮なネタ + 酢メシ + 本ワサビ + α.

まあ、この+αは、創発特性などではなくて、鮨職人の隠し仕事である。究極はノリのあぶりかたらしい。つまり、鮨職人は単に新鮮なネタを握るだけではない。+αの微妙な細工のところこそ、職人の魂なんだというわけですよ。
煮きりを塗るから、醤油はいらない。。。って理屈はその通りなんですが、事実、その握りは抜群に旨かった。また江戸前の鮨の主役は大トロやアワビ、ウニではなく、玉子焼き、コハダ、アナゴが主役というのも、よくわかる。
けれどお言葉を返すようだが、おもてなし道の究極は、「押し付けがましい」ってことなのでしょうか。フランス料理でもそうさ、鮨と同じさ。。。なのですよ。

小林秀雄が石原慎太郎に、こんなことを言っている。
「お前ね、寿司というのはもっと下品なもんなんだよ。(略)な、ネタを切って並べて置いたガラスのケースの中に蠅が一匹入っちまってるような、それを出すのが寿司ってものなんだよ」

 ふ~む、さすが保守の理論的支柱だけあって、説得力がある。
たぶん、深いことを言っているような気がする。

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by nonoyamasadao | 2008-04-11 15:01 | 雑文 | Comments(0)

柚子こしょうとさくら

 朝、ライ麦パンに、スクランブルエッグとウィンナーソーセージなど食す。
メカブに若筍のみそ汁などで、のどを潤す。そば茶を啜る。
整合性なるものが皆無で、取散らかした朝飯だ。
まさしく性格の反映であり、こればかりは如何ともしがたい。
ウィンナーが美味だ。このところ花粉症で、のどが痛いのだが、ヒリヒリとしみる。それがなんだか心地いい。マゾではない。己に降りかかる痛みには、トコトン弱い。
ヒリヒリの正体は、柚子こしょうのウィンナーだった。たしかに柚子の香りだ。
だが、ウィンナーには、青柚子の果皮と青唐辛子に塩をブレンドしたと書いてある。あれれ、だったら柚子唐辛子だろう。こしょうはローマ時代からの香辛料の王様だ。方や、唐の辛子である。
ただ、唐という言葉は、大辞泉によると、必ずしも中国の国名だけではなく、外国の含意もあるみたいだ。してみると、外国の辛子ということか。
実際、九州北部では柚子こしょうは、一般的な調味料として知られているそうだ。南の地に越して、十五年経って、初めて知った。
柚子こしょうなるもの、うい奴よのぉ。看板に偽りアリであるが、なんともいい加減なところが気に入った。

 スクランブルエッグが好きだ。
ロン・ハワード監督の「ラブ IN ニューヨーク」という悪ふざけ映画がある。悪ふざけは褒め言葉だ。小春日和のポカポカ陽気で布施明が腑抜けしたようなヘンンリー・ウィンクラー君に、同じ下宿に住む気立てのいい売笑婦のシェリー・ロングが朝飯を作ってあげる。
「たまご料理は何がいい」と聞き、ウィンクラー君がスクランブルエッグを所望するのだが、シェリー・ロングは「男の人はみんな、そうね」というシーンがあった。
だったら、僕も正統派だ。

 先週のことだ。朝、仕事部屋に歩いてゆくと、あちこちの電柱に「コンタクトレンズ割引中」の張り紙がしてある。それも、進行方向の右左関係なく、ベタベタ張ってあった。
ムムッ、なんなんだ。日本眼科学会の全国大会でも開催されるのかなあ。はたまた、コンタクト眼科がクーデターでも起こしたのか。なにやら、不穏な空気だった。どんどん張り紙が増えていく。
張り紙を追って行き着いた先は、県の劇場だった。大学の入学式をしていた。おいおい、入学式なら、ふつう大学の講堂でしょう。講堂がなければ、体育館とかほかにあるんじゃないの。手狭でも、大学の中のほうがふさわしいと思う。
入学式だから、コンタクトなのかあ。僕には短絡に思える。

いつも通り抜けする大学の中では、テント小屋がいくつもあった。サークルの勧誘で賑わっていた。かわいい子が勧誘している。
そうそう、くれかけの駅でかわいい子に声をかけられてついて行ったら、隠れるように献血車が止まっていたことがあった。
新学期のさくらは青空に輝くようだ。学校のさくらには希望がある。

 帰り道、春休みの小学校の前を通った。校庭には、だれひとりいない。
かなり開葉しているが、ソメイヨシノの花はまだ咲いている。
真っ白い花だ。
卒業した小学校ではない。縁もゆかりもない他人の学校だ。
でもひっそりした長い廊下を歩いたら、きっと、泣きたくなるのだろう。
人は変わるが、春休みの学校の風景は永遠なのかもしれない。
学校のさくらには郷愁もある。

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by nonoyamasadao | 2008-04-06 11:10 | 雑文 | Comments(2)

朝にすること

ヒマだから、手洗いに起きたあと、朝にすることについて書く。
先ず血圧をはかる。腕を入れるだけの自動血圧計だ。手首ではないから、少し古い。大体、120少し下、下は80少し下。下が高めかな。ボォッとしていて、上が低くて、上と下の幅が30以上ないときは、茶を飲んで、時間をつぶす。
ソバ茶を飲む。熊笹エキスを目分量でたらす。効くか効かないかは、よくわからないけど、冬眠から覚めた熊は、まずクマ笹を食すと聞いた。口の中がサッパリしたような気にはなる。

そうこうしていると、時間がたって、もう一度、血圧を計測する。30以上あれば、とりあえず安心する。
タバコを吸っているころは、上は140少し上、下も90少し上だった。いわゆる、境界血圧だった。脈も90を超えることもあった。定期健康診断で看護婦さんが計ると、160とか180なんてこともあった。ナース服を着ると、みながみな美人に見えるし、健康によいことをなにもしていない後ろめたさもあった。血圧とタバコの因果関係は知らない。けれど、どうして下がったのかを考えると、禁煙以外にほかに何も思いつかない。あ、脈も65から75以下になった。

新聞は日経と地方紙の二紙がくる。地方新聞から読む。
先ずみるのは、今日の運勢か訃報だ。訃報が載っていないとホッとする。あっても、知っている人でなければ、安心する。でも、最近はまったく知らない人でも、年令を読んで、自分と近いととても気の毒に思うようになった。男だと80才くらいまで生きないと、もったいない。女性なら、今や90才の時代だ。
運勢はよいと安心する。悪いことが書いてあると、嫌な気分になるけど、大体は、忘れてしまっている。だったら、読む必要はないのだが、それでも読んでいる。へんだ。
次に、一面の今日の天気を読む。理科の勉強をまったくしなかったのがたたって、天気図がまったくダメである。でもよくしたもので、朝、昼、夜の天気がお日様、雲、傘、お星様マークで示してある。他にも、天気図の解説が文章で綴ってある。今日だと、北のち西の風で暖かく、花粉の飛散が多くなると書いてあった。マスクをしなくてはならない。

次にみるのは、一週間遅れの週刊誌の宣伝広告だ。地方だと、かなり遅れる。見出し部分だけで、なんだか読んだ気になる。だから週刊誌は買わない。
山で出会った花という小さなコラムがある。記事はつまらないのだが、写真はなかなか楽しい。
けっこう、しらない花が多いから、勉強にもなる。
最後に読むのは、県内市場の生鮮市況である。これが一番の楽しみかもしれない。
鯛やレンコ鯛がいくらかとかいうより、サヨリやイサキ、アジ、サバ、キビナゴ、カサゴ、ボラ、コノシロなどの値に見入ってしまう。ヤッパ、青魚大衆魚系好きと、養殖嫌いが相まってそういうことになる。別に市場で取引をしているわけでもないのだが、なんだか楽しい。

次に、野菜、果物、生花などの市況を、嬉々として眺める。

十年一日とは、よくいったものだなあ。こんなのでいいのか、少し反省する日もある。
だが、ビョーキにもならず、こうして腹が減ってきて、朝食にありつけるのは悪かろうはずがない。
満足である。

こうして、一日は始まる。


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by nonoyamasadao | 2008-03-12 10:39 | 雑文 | Comments(2)

雨の断章~コキーユ 貝殻

 先週の土曜日のこと。
雨が降っていた。
できるなら家の中にじっとしていたかったけれど、あいにく打ち合わせがあった。
雨の中、仕事部屋に出掛けた。

 傘をさして歩いていると、雨の匂いに梅の香りがかすかに混じっていた。
花粉の季節は鼻がバカになっているが、雨の日は花粉症が緩和されるから、たぶん梅の香りに違いない。
 打ち合わせは、5~6分で済んでしまった。
もったいないから、連れ立って飲みに出掛けることになる。
打ち合わせの相棒は同業者だ。僕よりかなり年少だが、今の業界ではかなり先輩になる。
東京の人が来ると連れて行く、お店があるという。
ふ~ん、東京の味覚って何だろう。もう、忘れてしまったけど。

 宵になっている。
市内で二番目に大きな書店の側で、タクシーを降りた。
店には、二人分の席があった。小さな季節料理屋だった。
先客が詰めあって席をつってくれたという方がよい。相棒の顔みしりの客が多い。
季節の魚と野菜が吟味してある感じで、値段もマアマアかな。
 山うどのキンピラと山うどの酢味噌、ちょっとずつの突き出しで、ビールを飲んだ。
山うどは、野趣豊かだった。そこがいい。
 メバルの煮付けがでた。筍やワカメと煮つけてある。
魚の身がふっくらやわらく、別な味だがナメタガレイの煮つけを懐かしく思い出した。

 でも、この地だと美味いコノシロ、カサゴが食える。
なんたって、コハダ、アジが一番の好物なのだ。

 春の到来を感じた。春を告げる鳥はウグイス、草は梅である。
魚は昔はニシンで、今は、メバルだ。
メバルは“春告魚”なのだ。
これはぜったい、日本酒だなあ。けど病気をしてからじっと我慢の子だ。

 相棒は、あした、こどもを遊園地に連れて行くという。
雨でも行くのだという。エライなあ。
雨の遊園地かあ。こういう歌がある。
♪木立も ぶらんこも メリーゴーランドも
♪ベンチも みんなみんな 雨にぬれていた

 谷内六郎の詞だ。週刊新潮の表紙絵を書いた画家だった。
日本のノスタルジーを描き続けた人だ。
歌は、中尾ミエが一生懸命、歌っていた。

 あ、こういうのもある。
♪雨が~しとしと日曜日 ぼくはひとりで~君の~帰りを待っていた

 橋本淳の名作、“モナリザの微笑”である。
そうそ、オールデイズで思い出しました。
このところ悪口雑言ばかり書いている大林作品だが、気に入っているシーンがある。
忘れないうちに書いておく。

 “青春デンデケデケデケ”のワンシーンだ。
主人公の林泰文を、ゴヒイキの柴山智加が海水浴に誘いに来る場面だ。
なんとも初々しい感じで、大好きなシーンだ。
 音楽の挿入が絶妙だった。海水浴の場面だけに流れた。
最初は、コニーフランシスの“渚のデイト”から始まる。
次は、コニーフランシスの“ボーイ・ハント”(日本語)だった。
最後は、ポールとポーラの“けんかでデイト”だ。なんだかジーンとなった。

 飲んだときの話題は、バカ話に限る。
 相棒から僕がなぜ、ボールペンを持たないのか聞かれた。
別に理由なんかない。クセだ。
 僕は、消しゴム付きの黄色軸のTOMBOWの鉛筆をずっと使っている。
みんな不思議に思っているみたいだが、なれである。
違うのものも試したが、なんだか調子がでない。別にいいものが書けるワケではないけど、なんだか安心する。
もう、30年以上、この鉛筆だ。

 あ、“恋ノチカラ”に出てきた、楠木文具のエンピツネズミが実在すれば使ってもいいかな。
これ、冗談ではなく、ホンキですよ。
ヤッパ、我ながら、そうとう変わっているよなぁと、つらつら考え込んでしまった。

 相棒は東京で、劇団☆新感線の芝居を観たという。古田新太は出演しなかったらしい。
僕は蜷川演出の“タンゴ・冬の終わりに”のあと、東京の芝居は観に行っていない。
 メルパルクホール福岡で、“コリオレイナス”は昨年に観た。
 チェーホフの“櫻の薗”の話題になって、相棒は“かもめ”の方が好きだという。
ふ~ん、そうなんだ。
田舎暮らしをしていても、“かもめ”なんだ。
だって、“かもめ”は、みずうみの畔のとある田舎の物語だ。まっ、いっかあ。
佐藤オリエさんのをベニサンで観たけど、あれ、何年前だろう。3年以上昔だ。

 まあ、不吉な物語なのに、どうして喜劇だと言うのかな。ふ~む、よくわからん。

 このあいだ、中原俊監督の“櫻の薗”を絶賛した記事を少し書いた。
“12人の優しい日本人”、“Lie lie Lie”、“コキーユ 貝殻”の三作まとめて、拝見した。
 “12人の優しい日本人”は、シドニー・ルメット監督の“12人の怒れる男”が明らかに下敷きだが、でもかなり捻っています。
コメディー仕立てだし、ヤッパ、三谷幸喜の実力を示しています。
感心したのは、堂々たるミステリーであったこと。これ、あなた、そうそうできることではありません。
ワンセット・ドラマだから、ウ~ン、監督ががっちりしたドラマの演出ができることを立証できました。

 “Lie lie Lie”だが、こういうのを邦画でやってやろうという精神は、せこくなくていい。志が高いですよ。立派だ。
けど、作品の評価は別だ。くすぶった出来で、個人的には不完全燃焼でした。
本格的なコン・ゲームにしてたらどうだろう。コン・ゲームはご存知でしょうけど、蛇足ですがちょこっと書きます。
 詐欺や騙し合いの話だ。
出し抜いたり、出し抜かれたりする小競り合いが楽しく展開されるユカイ、痛快なクライムサスペンスだ。話芸の巧拙が見どころになる。 
小説だったら、ジェフリー・アーチャーですかね。
 “Lie lie Lie”は、トヨエツ、鈴木保奈美、佐藤浩市の豪華キャストで、ストーリーテリングも悪くはありません。
けど、してやったりという感じがない。
中島らもがあんまり好きでないこともあるかも。。。でもジョージ・ロイ・ヒルのようなハイセンスな作品は、日本だとこれからなんだと思う。

 “コキーユ 貝殻”はステレオタイプだが、大好きです。コキーユは貝殻というフランス語だ。

私の耳は 貝の殻
海の響きを懐かしむ

 この物語は、おそらく上のジャン・コクトーの“耳”(堀口大學訳)からの着想でしょう。
幼いころに貝殻で耳を塞いで、海の音を聞いたことがないでしょうか。

 この映画では、貝殻はダブル・ミーニングだ。
つまり、子供ころに、あこがれていた小林薫から、偶然、貝殻をもらった風吹ジュン。
彼女にはその貝殻が宝物だった。大人になってスナックを開店する時も、コキーユという名前にした。
 もう一つの意味は、主人公の小林薫の片側の耳が聞こえないということだ。
中学の卒業式の前日に、少女は勇気をふるい起こして少年の耳もとに何かをささやいた。
だが、その言葉は届かなかった。彼の聞こえない方の耳にささやいたからだ。

 そして30年の年月が流れた。
女はずっと男のことを思い続けていた。
結婚しても、子供が産まれても、その想いは変わらなかった。
 そして、同窓会で二人は30年ぶりの再会を果たす。そして小林薫の片側の耳が聞こえないことを、初めて知る。
 小林薫と風吹ジュンは、不倫関係である。
だが、実に微妙なところで、寸止めのような感じで描かれている。
それが露骨な男のエゴイズムとして描かれていないぶん、男からするとメルヘンになっている。

 しかし、風吹ジュンは好きだなあ。実に雰囲気のある人だ。
“ピュア”の老け役の母親役とは別人のようだ。
 圧巻は、赤石沢のハイキングのシーンだろう。
紅葉の盛りだ。森の中を横移動するカメラワークがよくて、たぶん、ワイドで撮影していると思う。
滝、渓谷、夜のバス停、宿の灯り、朝の混浴露天風呂のシーンがリリカルである。

 そして季節は冬になる。
雪が降っている
 雪のなか、紫の傘をさした風吹ジュンが紅いショールを掛けている。
振り向いて笑うのが、とても切なくて、愛らしい。結末がああ?なのに、爽やかな余韻がずっと尾を引いて残った。

 無神経にひやかす出世頭の益岡徹を殴り倒すラスト近くの場面など、心に沁みる。
 初恋へのレクイエムだが、僕があと10才若かったらどうなんだろう。
でも、たぶん今より屈託なく絶賛していたのではないかな。
 ラストの同窓会は不要ではなかったか。
風吹ジュンの娘に邂逅するところで終わっていた方が、よかったような気がする。

コキーユ-貝殻-@映画生活
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by nonoyamasadao | 2008-02-21 11:15 | 雑文 | Comments(2)