いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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一人ぼっちのサンタクロース

 岸部一徳さん(岸部修三さん)といえば、僕らの世代では、今でもピック弾きべ―シストである。
もう50年近く前に、ゴールデン・カップスにいた、ハンサムなルイズルイス加部さんは、リードベースと呼ばれ、アクロバティックなスタイルで、ベースプレイも際立っていた。
けれど、人気でも、実力でも、岸部一徳さんも、負けてはなく、実力べ―シストでは、べスト3を落ちたことはなかったと思う。
ザ・タイガース復活コンサートでも、『美しき愛の掟』の中盤以降の、ベースランニングは、今だって、すごい迫力で、涙ぐみそうになった。
PYGを経て、長谷川和彦脚本=久世光彦演出の『悪魔のようなあいつ』あたりからの役者転向は、どうもピンと来なかった。
その後、どうしたわけかNHKのドラマに重用されたけれど、これも気の抜けたような役ばかりで、ボクには違和感があった。
ボクにとって印象深いのは、『死の棘』よりも、あまり好きではない大林映画の傑作『ふたり』を見たとき、ああ、この人は立派な役者なのだなぁ。。。と、ようやく感心した。
 
 『医龍2』になって、『医龍1』と変わって、白髪のヅラになった野口教授の岸部一徳さんを見ていて、不思議な気分に陥った。
水槽をゆうゆうと泳ぐ古代魚のゴールデンアロワナも不気味だった。
けれど、抑揚のないバスバリトンの声で、”エントラッセンですよ”っていうのが、さすがで、かなり気色が悪かった。

 『相棒』では、水谷豊さんの右京と小野田官房長との肝胆相照らしたような丁々発止が見もので、でも、どこかすきま風が吹いているような、微妙な人間関係の距離感が好きだった。
『医龍』での稲森いずみさんや、内田有紀さんのようなきれいどころの熟女との絡みも、これまた、一徳さん特有で、また楽し。。。であった。

 これが伏線となって、『ドクターX~外科医・大門未知子~』の米倉涼子さんとオネエ言葉の、銭湯だの、ピンポンなどでの”じゃれあい”につながる。
あ、そういえば、オネエ言葉は、『ありふれた奇跡』でも、演じてましたね。
これまた、すこぶる気持ちが悪いんですが、うまいというよりも、存在感が圧倒的でした。
奇っ怪な演技派ってところでしょうか。

 つまり 岸部一徳さんの袢纏姿を見、女言葉を聞くと、もう少し若い時に、この人で、林不忘オリジナルに即した丹下左膳を見たかったなあ。。。とつくづくそう思う。
なにせ、丹下左膳は右目には大きな刀傷があって、おまけに右腕はない。隻眼隻腕なのである。
そして、ドクロの紋を染め抜いた黒襟白地の着物、たしか下には女物の派手な長襦袢でした。
この容貌怪異な銀幕の怪剣士を大河内傳次郎センセイとは違って、岸部一徳さんの現代バージョンで、すこしリズミックなテンポで観てみたかった。

 そんなふうに『医龍2』を見るのは、邪道でしょう。
けれど、坂口憲二さんも『恋のチカラ』や『いつもふたりで』 のなんの取り柄もなさそうで、ほのぼのぼくとつ系二枚目から、ぐんと引き締まった演技をしていた。
共演の内田有紀さんも、本来の美形が、ここでは満開で、大好きだった。

 二人は『最後から二番目の恋』では男・女の双子兄妹役で、坂口さんは事情があって、正真正銘ののほほん鎌倉天使のやさしい男を演じた。他方、内田さんはピント外れの、民族系モコモコファッションの”使い古しのぬいぐるみ”のようなひきこもり女性を演じた。
はたまた、内田有紀さんは、『ドクターX~外科医・大門未知子~』の、微かにはかなげな(これが好き)麻酔医の城之内博美役が、これぞ、彼女の真骨頂だった。

 話は変わって、やっぱ、ことしもクリスマスらしことはなかったが、アナゴの一夜干しとナスの田楽で、うまいソバを食し、日本酒を飲む。
遠い昔に経験した、ほのかに甘く、ほのかに切ない竹籠に眠る桜餅を食した時と同じ、あまく、ちょっぴり、かなしい味がした。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-25 21:19 | 雑文 | Comments(0)

ポインセチアを買わなくっちゃ・・・

  クリスマスは、昔から何事もなく、過ぎて行った。
けれど、コートを着た人たちの幸せないそぎ足や、またたく電飾の灯があたたかで、楽しかった。
そんなことを思いながら、お茶を飲む。
あっ、おいしい。
最近、人が入れてくれたお茶は、しみじみ、おいしいと思う。

 ついこの間まで、真っ赤にそまった楓は裸木になり、冬の午後の薄い陽ざしが朽ち葉の上に溜まりをつくる。
ああ、今年もあと少しで終わりになる。

 毎年、クリスマスが終わると、ワクワク感が消え、いっとき、さみしくなる。
それでも、暮れのおしせまった、セカセカした、あわただしい時間は好きだ。

  お正月は、のどかだけれど、退屈だ。
子供のころから、いつもそうだった。
元旦は、おもての匂いがいつもとは違う。
人通りのない、おもてはひっそりとして、いかにもお正月という空気が流れる。

 今年のお正月は、やっと、味がわかった気がする、ほうじ茶でも、ゆっくり飲もう。
ふっ、と息を吹きかけ、熱いほうじ茶を啜る。
きっと、しあわせな気分になるだろう。

 風があるのか、目の前を、コナラかブナの黄色い枯れ葉が、無重力のように、おそろしいほど優雅に舞い降りてくる。

 なんか、年のせいか、すこし、弱って来たかな。
だったら、やだなあ。
まっ、いっか。ゼンゼン、大丈夫だぜ。

 あ、そろそろ、ポインセチアを買わなくっちゃ・・・。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-22 13:47 | 雑文 | Comments(6)

もの思う、クリスマス

 土曜日の午後、クリスマス商戦のデパートへ向かう。
老母が頼んでいた、年賀状を受け取りにである。
デパートの外壁のツリーや、アーケードの垂れ幕には、Santa All Starsなどと、書いてある。
う〜ん、誰もがサンタか。

 どこに印刷を頼んだのか、うっかり聞いたので、4階、5階のフロアをうろつくはめになる。
エスカレーターで、行ったり来たりしていると、若いカップルが、やたら多い。

 でも、はぁ!?、人前で、手などつなぐか?
なんだか、暑苦しい。
我が美意識には、著しく反する光景に出っくわす。
あらら、あちらも、あれま、こっちでも。。。という感じである。
だから、デパートは、遠い昔から、でぇっっー嫌いだ。

 公衆の面前で、イチャついて二人の世界に浸るのは、あまり、美しくない。
ワタクシの恋愛観は、今じゃ、ツンデレか。
あ、男性だと、オラニャンとか言うのかしらん。
まっ、老いたる馬は道を忘れず。。。なのだ。
そのはずが今や、老いたる馬は道をしらない。。。のかもしらない。

 印刷屋さんはどこにもなく、有名な印鑑屋さんがあった。
それらしき風情があり、おそるおそる問い合わせると当りで、ようやく、年賀状をありがたく落手する。

 もう、デパートには用はない。
近いけれど、寒くて、タクシーでスーパーに行く。
レジのお姉さんたちは、サンタ帽をしている。
フム、そういえば、昨年は、全身サンタクロースの格好の運転手さんのタクシーに、乗せてもらったのを思い出す。
あまりにお気の毒で、ゼンゼン笑えなかった。

 今年も何もないまま、クリスマスは過ぎていくでしょう、きっと。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-21 16:29 | 雑文 | Comments(0)

歳末の独り言

 いつのまにか、歳末になって、今年ももう少しで、終わってしまう。
我が人生の残りの時間も考えなきゃ、バカなのだが、そんなこともないまま、あれやこれややっているうちに時は流れてく。

 この季節になると、本が読みたくなり、三年坂通りの本屋さんによく行く。
平置きされた新刊本の絵柄など眺め、文庫本の棚にうずくまったり、立ち上がったりの屈曲と伸展を繰り返しながら、何度も棚をまわる。
最近では、おいしそうな写真が表紙の料理雑誌なども、こっそりのぞき見する。
青山のブックセンターみたいな、オールナイトの本屋さんが、わが地にもできないかなあ。。。などといつもそう思う。

 クリスマスの装飾に飾られた町並みを見ながら、川上弘美さんが書いていた一番、足を踏み入れたお店を数えあげてみる。
今年だと、1番目はやっぱ、本屋さんで、次は、そば屋さんか居酒屋さんだと思う。
そば屋さんや居酒屋さんで、おいしい酒のつまみで、サクッと飲み、まったり感に憩う。
3番目に行ったお店は、映画館ではなく、たぶん、スーパーか八百屋さんではないかと思う。

 他には、な〜んもないのかねとさみしく思って考えると、今年は、結構、旅や温泉に行った気がする。
読書と旅は、そのひととき、別な自分になれると池澤夏樹さんは書いてた。これは、最近のこのブログにも書いた。
そういえば、居酒屋も、スーパーも、映画館も、別な自分になれるような気がする。
家を出発して、何をしようと決めないで、お店に行くせいか、その移動の過程で、あれやこれやとケッタイな想念が浮かんでは消える。
そっか。
今もって、ワタクシは、さすらっているのだなあ。。。と思う。

 子供のころの道草は、楽しかった。
けれど、今も道草をしているのは、やっぱ、合理性には欠ける。
うだうだと、まごまごと、人生の行き方、行く末を思案するでもなく、あっちプラプラ、こっちプラプラだもんなあ。
あっちの谷でホーホケキョ、こっちの谷でホーホケキョ人生で、よいのかな。

 願わくば、妙齢な女性と、
スタバのオープンカフェの気分で、夕暮近い放課後の時間に、クリスマスツリーでも眺めながら、お茶したいなあ。
あ、妙齢とは、けっして、結婚適齢期のお若いお嬢さんではありません。
微妙に若くないけれど、魅力的な女性のことですので、くれぐれも誤解無きように。

 てなことを妄想するけれど、なにせ、寒くて寒くて、スーパーに行くのもしんどく、めんどい。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-19 15:37 | 雑文 | Comments(4)

布団の似合う男

 さ、さぶい。
冬将軍さまがやってきた。
冬将軍は、モスクワに遠征したナポレオンが、冬の厳寒と雪が原因で敗れたところに由来するらしい。
ナポレオンといえば、余の辞書に不可能はないと言ったご当人より、やっぱ、ブランディーですね。
でも、ほとんど縁がない。

 原田知世さんのブレンディのCMなら、大好きだった。
水まきしているしている親子のやつだ。
クラッシュアイスですね〜」
「ふぅぅ、これですね〜」という、子供に敬語で話すのが、な〜ンか、新鮮で好きでした。

 今年は、還暦をだいぶ過ぎで、辛くもスタバデビューした。
アールグレーのティバックにも、開眼した。
 
 『続・最後から二番目の恋』を見ていたら、小泉今日子さんの男っぷりが爆発して、だんだんとエスカレートしていく。
"裸も、ベッドも似合わない男・・・"とか、酷いことを言っている。
そーか、そーか、だったら、布団の似合う男じゃ、悪いのか?。
しょせん、いつも寝巻きの男だもんね。

 な〜んか、還暦過ぎて、だんだん、女性化してきた気がする。
こ、怖い。
♪あ〜る日突然、"突然ですが、乙女始めました"になったら、やだなあ。

 あちこちに、クリスマスツリーや光の意匠をこらした街はすっかりクリスマスムード一色になってきた。
う〜ん、気分がよいなあ。
市電で、なぜか『大江戸妖怪かわら版』の文庫本をよんでたら、お隣の女性が色っぽく、くすん。
くすん風邪か。
フム、風邪ひきの女性は、頬が赤らんで、ふうわりとセクシーである。よいなあ。
やっぱ、ことしもエロ親父は満開だあ。

 ああ、安心した。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-07 10:41 | 伊東ゆかり | Comments(4)

すっぴんだからマスク

  女子の風邪ひきが増えてきた。
マスクをした女子が、はんぱなく多い。
蛇蝎のごとく忌み嫌ってパスしてきた、インフルエンザの予防接種を今年はせんとアカンかなと思う。
やだなあ。。。と思っていたら、すっぴんだからマスク。。。なのだそうだ。

 フ〜ン、そーなんだ。
大きなお世話だろうが、あまりオヂサンは感心しない。
どうせ、家にいれば、ほとんど毎日すっぴんで、動き回っているんでしょ。
美しい人も、とくにそうでなくたって、若ければスッピンの方が好ましいと、世のオヂサンたちは思うわけですよ。
烏天狗のようなマスクをつけて、若き女子が行き交うのは、いささか、不気味でもある。

 黄葉したイチョウ並木のトンネルをゆっくり歩く。
イチョウは風がないと直下するが、風が吹くと、落ち葉がくるくる舞って、降りてくる。
ああ、滞空時間が長いのも、悪くないなあ。
ことしも、もうすこしで、イエローカーペットになるのか。

 通り抜けの大学のモミジは今が盛りで、風が吹くと、ダイダイ色の葉叢がさやさやと揺れる。
夕日を浴びたモミジは、ポエムである。

 四季が交差するこの季節は、たまらなく読書をしたくなる。
読書の秋も、万事が遅咲きの人生のワタクシにとって、これからだ。
一輪ざしの、葉に埋もれたサザンカが、ポツ、ポツ咲いたのを眺めながら、火鉢が燃える部屋で、ゆっくりと文庫本でも読もう。

 火鉢ね。うん、渋いな。
ことしも季節はめぐる。


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# by nonoyamasadao | 2014-11-30 11:05 | 雑文 | Comments(2)

ロング・グッドバイ

 銀杏並木が冴え冴えとした黄色になり、ああ、錦秋の季節だぁと思う。
そう思うと、旅に行きたい衝動がドドッと殺到してきて、我ながら驚く。
原宿あたりは、もうすっかりクリスマス模様だろうな。

 旅と読書は、似ていると言ったのは、池澤夏樹さんだったかしらん。
たしか、どちらも、ほんのひととき、別な自分になる行為とか言っていた。

 う〜ん、別な自分か。
けれど、いったい、自分とは何者かは、今もって、定かではない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。。。。だもん。
昨日の私は流されてどこかに消えて、今日の私が流れていく。
いったい、ワタクシは、どこから来て、どこへいくのかしら。。。と問うたのは、三木清センセイだったと思う。

 らしくないことを書いてしまった。
どうして旅に出たくなるのかとか、どうして人は恋をするのかとか、掘り下げて考えるのは、あんまり趣味ではない。

 地方都市のクリスマスは、それなりに華やかなのに、なぜかさみしい。
たぶん、喧騒がないからだと思う。

 ハードボイルド小説は、やっぱ、大都会の喧騒渦巻く夜を、孤独な中年男が無鉄砲に生きるのが、よく似合う。
この感覚は、年食っても、変わんない。

 どんな夜明けの五分前   どんな日暮れの五分前
 午睡からさめて      時計をみたら いつまでも五分前にはならないのだ

 五分前の寸止めか。
フム、田村隆一さん、カックィー。

 今、NHK土曜ドラマの『ロング・グッドバイ』のDVDを、毎晩、すこしずつ見ている。
憂愁の色濃い後期チャンドラーの名作であるが、やっぱ、違和感アリアリである。
そっか、『ロング・グッドバイ』の再訳は、稲葉明雄さんだけでなく、田村隆一さんでもよかったな。
ウィリアム・アイリッシュとレイモンド・チャンドラーは異質だと言ってきたけれど、やっぱ、つながっているよね。
素直じゃなかった。

 読んでもいないのに、申し訳ないが、村上春樹さんでは、読む気がしない。
毎年、春浅い宵、”ギムレットには早すぎる”とか言いながら、ライムジュースの入ったギムレットを飲んだ。
もう40年以上昔だが、背伸びしていたな。

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# by nonoyamasadao | 2014-11-22 11:07 | 雑文 | Comments(12)

石垣島の夕日

 石垣島に行く。


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# by nonoyamasadao | 2014-11-15 14:56 | 雑文 | Comments(0)

はじめの一歩

 はじめの~いいいっ歩♪と言って、スタートラインから、ピョンと飛ぶ遊びがあった。
どんな遊びだったかは、もう忘れた。
あきのろじにあそぶあそびをふたたびはせず ...だ。

 それからアッという間に、時は過ぎ、非モテの無頼漢になってた。
けれど、こと女子には、はじめの~一歩が踏み出せない。
そのまんま、ここまで来てしまった。
思えば、遠くへ来たもんだあ。。。である。

 からきし意気地なしに気づいたのは、20才になったくらいだ。
30半ばで、もうなおらないと諦めた。
はたから見れば、そうとうに不憫な人生だろうが、それ以外は、かな~り楽しいことがイッパイあった。
まっ、いっか。

 昨夜は寒かった。
凍てついたようにみえる星を見上げながら、帰る。

 恥ずかしながら、オデオン座もカシオペア座も、北斗七星ですら、ただの一度も認識できたことはない。
無秩序に、金平糖が散らばっているような星空だった。
『最後から二番目の恋』なら、ファンタジックな夜空ですね。。。ではなく、ファンキーですねえ。。っていうかもしれない。

 無灯火自転車がいきなり向かってきたり、追い越したりする。
おいおい、歩道を通ってくれるなよ、と思うけど、♪寒い夜だから、明日が待ち遠しくて、急いでいるのでしょう。
まっ、いっかあ。

 十字路の公園の大きなケヤキのシルエットが、闇にも黒い。
ときおり、葉がハラハラ落ちる。
ごく稀にしかバスを見たことのないバス停が、ポツリと立つ。

 ひやひやした秋の夜気が流れ、あ、そっか、あさってから石垣島だったなと思い出す。
来週は、宴会二つ、再来週に一つ、12月にもいくつか宴があった。

 かくて、今年も暮れていくのだなあ。
例年どおりであるなら、それも、いっか。。。と思う。

 車の来ない通りのイチョウ並木が、夜目にも黄葉してみえる。
そっか。
ことしも、おつとめご苦労様と、ケヤキとイチョウに感謝する。

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# by nonoyamasadao | 2014-11-07 10:26 | 雑文 | Comments(6)

憂鬱な土曜日

 自販機失踪すると書いた場所が、きれいに整地されている。
以前、Pの灯が点滅していた有料駐車場だったところだと思う。
高校の校庭に隣接しているから、お店が出来るのか、それとも住宅なのか。

 仕事部屋に向かうルートで、いつも大学を通り抜けるけれど、表門から抜けるのと、裏門から抜けるのと2通りある。
裏門から抜けるルートは、すこしまわり道になるので、このところ、遠ざかっていた。
昨日、久々に歩く。
あれま、空き地になっていたところが、アパートになっていたり、どんどん様変わりしている。
この界隈も、世代交代しているのかしらん。

 いつも見慣れている道が、よそよそしく感じる。
あ~あ、日暮れて道遠しであるなあ。
この本来の意味は、人生は思うようにいかないものだ。
もうそろそろタイムリミットなのに、まだまだ先は長い。
そんな感慨をさほど深刻でなく、呟く言葉だと、個人的にはそう勝手に理解している。

 思えば子供の頃から、日暮れの帰り道がぜんぜん違うように感じて、心細くなって、日暮れて道遠しを実感してた。
♪あなたに~一日会えないと
♪それだけで~人生にはぐれた

 う~ん、恋する女の歌詞だけど、帰り道がわからくなったことが、子供の頃は、なんどもあった。
荻窪の社宅に戻るつもりが、中野の先をうろついたりしていた。
そのころは、環八も環七などなく、青梅街道、水道道路、五日市街道だけだった。
帰り道を見失って、とっぷり暮れた夜道を、トボトボと迷いながら帰った。
あれこそ、人生にはぐれた感じだったなあ。

 大学の裏門からおそる、おそる中に入ると、学園祭の只中だった。
真っ赤に爛れたハナミズキの並木にそって、テントが並んでいた。
雨もよいの中、毎年のことだけれど、ご苦労なことである。
振り返ると、学園祭嫌いだった。
無意味につるんで、楽しむことができなかった。
やっぱ、素直じゃないよね。ひねくれている。

 風が吹くと、すこし、さむい。もうすこしで、コートがいる。
今年は、季節にもはぐれてしまったな。

 午後の新幹線で、博多に行くと、そぼ降る雨の中、その会場でも、学園祭だった。
小高い丘を下って、守衛室の前の闇に立ち止まり、学園祭にも祟られたかなと思う。

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# by nonoyamasadao | 2014-11-02 11:27 | 雑文 | Comments(0)

図書館

 最近、週に3回は、図書館に行く。
芝生の築山に、ケヤキのような百日紅の大木のある図書館である。
仕事の関係で行くのだけれど、この年になって、図書館通いをするとは、夢にも思わなかった。

 まあ、元来、図書館が似合うタイプではないよなあ。 
図書館といって、思い出せるのは、小学校と高校の時だけだ。
中学時代は記憶がないし、大学のときは、場所はよ~く知っているけど、一度も足を運んだことがない。
小学校のころは図書室で、図書係という役割があったけれど、マンガしか読まなかったボクだから、そんな当番がつとまるわけはない。

 最新の図書館は、新刊本の平置きがあったり、学生さんのオープンカフェのようなお洒落なつくりになっている。
今の人なら、シャレオツな図書館とでも、いうのかしらん。
図書館にいると、好きな果物の実のなっている森の中にいるようだと書いていたのは、誰だっけ?
川上弘美さんだったような気がする。
う~ん、才媛の誉れ高いですねえ。
あ、結婚式のスピーチみたいになった。

 でも、秋の日の図書館は、森の中を散歩しているような気分にはなる。
階段を女子学生がひそひそ話をしながら、降りてくる。
なんの話題か知らないけれど、なんだか、のどかで、ゆるゆるとした時間が流れた。

 あっという間に、時間は過ぎて、外に出ると、夜空に月がポッカリ浮かぶ。
リー、リーというコーロギの虫の音が聞こえる。
遠くなったり、近くなったりする。
誰かの小説を思い出して、月に向かって話しかけるような気分で、夜の空気のなかを帰る。
石に話しかけるのではないから、お迎えが来る心配はないよね。

 そろそろ、あたたかなニット帽でも被ろう。

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# by nonoyamasadao | 2014-10-26 16:11 | 雑文 | Comments(5)

まるであなたは・・・

  朝食のあと、アールグレイのアップルティーのティーバッグ紅茶を飲む。
でも、さすがに飽きた。
まだ、暑い。
冷えたお茶のペットボトルを買いに、自販機に行く。
あっ、ない。自販機が突然に消えた。
自販機、失踪する。
まあね、自販機が家出するわけない。
撤去するなら、あらかじめ、告知してよねとかなんとかブツブツいいながら、お向かいのコロッケ弁当屋さんの自販機で買う。

 もう、1週間以上前から、朝晩、金木犀の強烈でない程度の匂いが、毎年のことだが、気持ちいい。
どこの家の木だろうと、探すが見つからない。
金木犀、匂いはするけど姿は見えぬ、まるで、あなたは屁のような・・・・。
いや、もとい。
金木犀、香りはすれど姿は見えぬ 気分はすっかりノスタルジー。。。。ってな、感じですね。
今年は百日紅もタンノーしなかったし、やっと、ハナミズキの紅葉に、つい昨日気づく。
ああ、いつのまにか、秋が深まって来ているのだろうなあ。

 昨日の帰り道、夢タウンだの焼肉屋だのスタバなどで、半分近く埋められた広大な空き地を横目で見ながら、小学校わきの歩道を歩く。
空き地の部分には、ついこの間まで、まだ、あおあおとした雑草が茂っていて、ところどころに、ススキがてんてんと揺れてた。
う~ん、いいなあと思いながら、帰っていた。
ところが、全部、雑草は刈り取られ、整地されていた。
あ~あ、つまんない。
せめて、長持ちした淡いピンクの昼顔でも咲いてないかと、あちこち探すけれど、ありっこない。

 毎年、囲いの塀から見える空き地のススキを眺め、オレンジ色の夕陽の道を山並みの方角に向かって、遠い日のことなど思って帰った。
心が紅に染まるような気がした。
残念だ。
整地された空き地の先を見はるかすと、マンションの鉄骨が見えた。

 家で飲む楽しみが、一つ、消えた。

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# by nonoyamasadao | 2014-10-01 12:43 | 雑文 | Comments(4)

きらきらひかる

  ゴーヤのポン酢かけ、だだちゃ豆で、ビールを飲む。
秋の冷酒の季節になった。
カマスの炙りとコチの刺身を食す。
たぶん、カマスの炙りは、初めてのような気がする。
秋の冷酒はスッキリしているけれど、味わい深くも感じる。
お上品な香りを楽しみながら、下品にも、ズズズ~ッと啜る。

 タクシーで帰ると、あずき色の空の下、白と赤の百日紅の花が、ぼんやりかすんで見える。
そっか。
今年は、青空の下で、百日紅を眺めた記憶がないや。
いかんなあ、イカンですよ。
勤務先近くの樹木の多い住宅では、灯障りのモミジが、かすかに色づいたように見えたもの。
今年は錦秋が、早そうな気がする。

 自宅で、読みさしの江國香織さんの『きらきらひかる』を読む。
ある事情があっての再読だが、ほとんど、憶えていない。
『紫のおじさん』と呼ばれるセザンヌの自画像とユッカエレファンテプス(青年の木)を冷めた紅茶で育てるところは、思い出した。
う~ん、このあとで、山口雅俊Pの『きらきらひかる』を観たら、まったく、違った物語だったのを思い出した。

 秋の夜は、やっぱ、映画だよね。。。。ってことで、DVD『世界に一つのプレイブック』を観る。
方程式通りの展開だけれど、ちょっぴりビターだが、ロマティックな余韻がよい。
劇中、シナトラの♪Have yourself a merry little Christmasが流れる。
『恋人たちの予感』では、紅葉の時に、ビング・クロスビーのが流れたっけ。

 夜遅くに、久しぶりにテレビを見ていたら、三井住友海上あいおい生命の &LIFEの桐谷美玲さんのCMになった。
この人は、どこか、いつも不機嫌そうに見える。
CMだから、無愛想でよいわけはないけれど、なんか新鮮でよいなあって思う。
遠い昔、無愛想だけれど、ホントは気持ちのやさしい後輩に、卒論の清書をしてもらったことを思い出した。

 今の時代は、ワープロですからね。
きっかけとか、口実はどうやって、見つけるんでしょう。
大きなお世話ですね。

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# by nonoyamasadao | 2014-09-20 14:25 | 江國香織 | Comments(6)

砂に消えたラブレター

  『サマーヌード』の10話を観ていたら、ヒロインが“サイコーの夏をありがとう”と砂文字を指で書いてた。
青い月の光は浴びてなかったし、愛のかたみを埋めてはいなかったけれど、遠からず、波に消されていく。
若い季節の夏の終りは、いつだって、センチメンタルになった。
 
 ドラマでは、二人でしけった線香花火をするのだが、“絶体絶命の窮地から復活してくる感じ”だとか意味不明なセリフがあった。
線香花火と『ダイハード』は、ボク的には、まったく結びつかない。

 一人ぼっちの線香花火は、さぞ、さみしいことだろうと想像してみる。
ボクもいまだ、経験してないし、経験したくもない。

 子供のころに、ご近所の悪ガキたちと夜の縁側に座って、小庭に向かい線香花火をした。
少しでも、長持ちをさせようと、まっすぐに持つ。
点火した後、火玉にならず、つぼみのままの玉が落下することが、たまにあった。

 マッチをすって、ヒマワリ色の火がつくと、息をとめて、じぃーっとつぼみの玉だけに集中した。
火薬の匂いがかすかにして、チリチリチリという音がして、黄緑色のマンサクの花のような、松葉のような光の矢が飛散する。

 ただ、じぃーっと息をつめて見守っていた。
あれは、何故だったんだろう。
最後の玉が落下したときに、子供心に、物の哀れのような気分になった。
淡くほのかで、遠慮がちな華やぎが消えて、夏の闇が小庭に広がる。

 な~んか、繊細で、短めの人生のようだ。
寺田寅彦センセイだったか、蚊のいない夏は、ワサビのない刺身のようだとか書いてた気がする。
今や、北村薫センセイではないが、”蚊はいやよ 刺すから”そして、こわい病気があるからの心境だ。

 毎年のことだけれど、夏の終りになると、深夜のバス停で一人、バスを待っているような気持ちになる。
この心細さは、きっと年令からくるユーウツかもしれない。
だったら、やだなあ。

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# by nonoyamasadao | 2014-09-11 15:29 | 雑文 | Comments(5)

なんばしよっと?

 一泊二日で東京に行く。
梅ヶ丘と世田谷の中間地点の某所で、懇親会があった。
L字型の会場でのバイキング形式の懇親会だが、芋を洗うが如しである。
ムムッ、人多すぎ、最悪だ。
遠い昔の江の島の湘南海岸を思い出す。
青~いビニール風船がよいなぁと思ったら、電気クラゲだった時代だった。

 なんか、こーゆー人ごみは大嫌いだ。
人に酔う。。。というか、船酔いのような気分になって、ほうほうの体で逃げ出す。

 夜の世田谷の住宅地をトボトボと一人歩く。
来ないはずの空車のタクシーをラッキーと偶然に見つけ、いざ、宿泊ホテルへ向かう。

 いや~、都庁はあらためて見ると、パリのノートルダム大聖堂のシルエットをパクったというか、な~んとも名状しがたい悪趣味である。
ゴシック建築、ロマネスクな~んて感じない。

 お隣の住友三角ビルに挟まれた、ホテルに着く。
和食のお店で、鯵の叩きと、めんたいや子持ちワカメで、ビールと夏の冷酒をいただく。
夏の冷酒は、スッキリ、さっぱりしてて良いなぁ。

 ホテルの部屋のテレビで見た八重樫のボクシングは、勇敢にして、熱かったなあ。
いや~、興奮した。
あれなら、負けても、実にさわやかである。
ダメージが少し、心配だ。
部屋は大嫌いな高層の26階だけれど、すっかり満足して寝る。

 帰りの飛行機で、斜め前の白髪頭の男性は、マンガを広げて、一心不乱に読んでいる。
通路を隔てた男性は、ノート型パソコンで、家族写真を眺めている。
見るともなく見ていると、小さな女の子の写真がいっぱいある。
なんだか、微笑ましい。
ボクの左隣の男性は、離陸から着陸まで、ずっと、丸窓から写メを撮っている。
なんばしよっと?
松本清張の『影の地帯』の冒頭の飛行機内で、ヒロインがカメラをのぞいて、『裏窓』のグレースケリーみたいね。。。っていうのを中学生のとき、授業中にかくれて読んだのを思いだした。

 そういえば、羽田空港の廊下を、スッチー軍団がカツカツカツとキャリーバックを引っ張って歩くのと出っくわした。
一人のかわいいスッチーさんが、ボクに向かって、ニコっと笑って、深々と会釈した。
はて、あれはなんだったのだろう。

 またしても妄想か?
フム、謎だ。

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# by nonoyamasadao | 2014-09-06 14:45 | 雑文 | Comments(0)

ゆっくり、ゆっくり、たまに本気で

 早朝、ゴミ出しに行く。
カラっと晴れた青空が気持ちよい。
カツカツカツという、小気味よく、リズミックな音がする。
みると、若い女性が、すこし足早に通り過ぎていく。
ああ、ヒールの音か。九月になると、もうノースリーブのワンピースではなのだなぁ。
まだ、暑いから、日傘をさして遠ざかっていく後ろ姿を、しばし、見送る。

 ここがNYで、若い女性がスターバックスを横目に見ながら、オフィスへ急ぐシチュエーションなら、ニューヨーカーの短編小説みたいだ。
でも、日傘は余計だ。

 年を食ったせいか、若い女性がテンポよく階段を下りるところや、歩くスピードに見入ってしまう。
けれど、ボクだって、大手町の地下道の雑踏を足早に駆け抜け、旧パレスホテルそばに出る階段を駆け上って、通勤してたんだよなぁ。
あの頃は、いつだって、急ぎ足だった。

 人生、だいぶ、くたびれてきたけれど、今週、二度目の東京出張である。
まだまだ、ビジネス・パーソンでいけそうな気がしないでもない。
けど、後で、ドドッと疲れが、時間差でやってくるから、厄介だ。

 ま、ゆっくり、ゆっくり、たまに、本気で。。。それがよい。
↓これ、よく歌ったな。

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# by nonoyamasadao | 2014-09-05 10:24 | 雑文 | Comments(4)

夏の裸

 タイトルにつられて、不埒な気分で『サマ-ヌード』を観る。
な~んだ。すこしも、エッチっぽくない。
夏の素っ裸なんて、な~んもない。
あ~あ、つまんな~い。

 といいたいところだが、ファンの戸田恵梨香さんの視線で見ていたら、な~んか、せつなくてよい。すくなくとも、2話はとても、よかった。
せつなくてよいというのは、ヘンだけれど、とうの昔に忘れていた気持ちがよみがえって来た。

 今もそうだが、そのころだって、夏の終わりは、さみしかった。
いつだって、不完全燃焼だった。

 五才のころに、東京湾の釣り船から、父親から海へ突き落されて以来、水恐怖症になった。
海水を飲み、沈んでいた間に、ひょっとして死ぬかなぁ。。。と思った。
以来、そのトラウマから解放されないでいる。

 今年も、な~んもないまま、夏が終わろうとしている。
ボクにとっては、オーシーツクツクが鳴き出すと、夏の終わりだった。
ツクツクボーシと鳴いているようには、今も聞こえない。

 ボクのひと夏は、ただただダラダラと過ぎていく。
思い出すのは、蝉やクワガタ採り、ラムネやコーラの飲み物、アイスキャンデー、よくずる休みしたプールの水泳くらいだ。
あ、夏草の草いきれと庭になったイチジクやグミをもいで食べたのは、今、思い出した。
ブラッドベリの小説のような、陽だまりの芝の匂いや真っ白いスニーカーやたんぽぽのお酒のような、夏の魔法は何もなかった。

 ケータイの時代、冒頭のドラマでは、雨の日に必ず、雨の絵文字のメールを書く男性がいる。
そったらこと、こっ恥ずかしくて、死んだって、できない。
そっか。ボクの時代に、もしもDVDやケータイがあったとしても、やっぱ、同じく退屈な夏だったに違いない。

♪最後の花火に今年もなったな
♪何年経っても 思い出してしまうな

な~んてことは、やっぱ、ムリだな、ムリだよな、きっとね、ありえないよな。

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# by nonoyamasadao | 2014-09-04 12:52 | 雑文 | Comments(0)

アートな時間だったかも・・・

 今年の夏は、なんどもハモを食した。
蕎麦屋さんでは天種で食し、季節料理屋さんでは、自家製の梅肉で食す。
う~ん、夏の味覚もいいものである。
いっとき、ハモを食べすぎた時代があって、しゃぶしゃぶなどで食すと、独特な脂っこさがあって、遠ざかっていたのだった。
ハモをはじめて食べたのは、案外、遅い。
30になるか、ならないかのころだと思う。

 子供のころの夏は、いたってシンプルで、質素だったけれど、夏は飲み物という感じだった。
まだ、ドリンクとかいう言葉が流行ってなかった。
学校から汗をしたらせて、走って帰る。
冷蔵庫の三ツ矢サイダーの栓を抜いて、コップにトクトクトクとつぐと、シュワーって音がした。
ごくごくと飲み、コップの中では、まだプチプチプチと小さく炭酸が弾ける音がした。
そのころ、朝顔の色水で、よく画用紙にお絵描きなどもしてたのを思い出した。
表向きは野生児だったけど、ひょっとしたら、内向的な子供だったのかもしれないと、今になって思う。

 荻窪の喫茶店に行くと、母はよくスパゲッティミートソースを食べさせてくれたけど、ソーダ水もおいしかった。
まだ、母も若かったのだなぁ。な~んか、不思議な気がする。

 あの真緑色のソーダ水を、スリムな逆三角形の足のついたグラスで、また飲んでみたいものである。
けれど、あのころの安っぽいような、さみしいような、懐かしい香りの味は、もう二度と戻ってこないだろう。
クリームソーダとかは、まだ、なかった時代だ。

 夕暮れになって、自転車でブラつくと、わりと近所にキリッとした顔の女の子がいて、時々、出会った。
浴衣姿の時もあったと思う。
その子とは、とうとう一回も口をきくことはなかった。
・・・って、当たり前か。

 夕方の道は、よく水がまかれてあったけれど、はて、あれは打ち水というたぐいのものだったのか。
定かではない。
夕空が、あかね色からすみれ色に移り始める頃に、きまって夕風がふいて、なぜかいつも、退屈な気分になった。ほんとにヒマを持て余していて、途方に暮れた。
ああ、そんなこともあったなあ。
そんな昔が懐かしい。

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# by nonoyamasadao | 2014-08-27 11:27 | 雑文 | Comments(0)

八月の迷子

 福岡のある大学に、用事があって出かけた。
新幹線はホントに早いなぁと思う。
玉名かなあと思っていると、博多に着く。

 博多からある大学の催しへと、タクシーで高速を走る。
キャンパスは未来都市のような人工的な建物がならび、夏休みのせいで、誰もいない。
のどかな野中にポツンとただ一人なら、嫌いじゃない。
孤独もまた楽しなどと思う。

 なにせ、未来都市のような空間でただ一人は、とても心細い。
そのうち、周囲が不気味に思えてくる。
はるかかなたに、女子学生が歩いて行くのが小さく見える。
ああ、ほっとした。

 用事がすんで、タクシーに乗ろうと、さっき来た道を戻る。
のはずが、あれま、なんだか、景色が異なような・・・気がする。
まっ、いっか、と突き進む。
大学の敷地内をぐるぐる回って、やっと、外へ出たら、今度はどこをどう歩いているのか、皆目、わからない。

 やっぱ、迷子になってしまった。
元来、方向音痴の傾向がある。
まして、タクシーで来ると、風景のつながりを意識していないから、記号となる建物なり、駅なりをしっかり把握できていない。

 だれかの本で、風波の残る海岸の砂浜で、巣に帰るアリがあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、行きつ戻りつする幾何学的な行動軌跡を綴っていた。
う~ん、それって、アリの内面が複雑なのではなくて、海岸線の複雑さを反映したんだって書いてあった。
だよなあ。
この大学の建物が人工的で、記号となる目印の建物がないのだ。整然とした未来都市のようでも、中心がはっきりしないと迷路のようだった。

 思えば、散歩も、我が人生だって、風の吹くまま気の向くままだった。
近所の散歩も、飲み屋さん探しも、転職だって、みな、それでやって来た。
計画なんざ、でぇっ嫌いだ。

 小説のフレーズに、“男はみんな糸の切れた凧になりたがるものだ。それで女が苦労している。”ってあったよなあ。
ボクには、そんな物好きな女性は、だーれもいなかった。

 今年も夏が過ぎていく。

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# by nonoyamasadao | 2014-08-20 11:03 | 雑文 | Comments(8)

夏の緑

 いつのころからか、明け方近くに、はたと目覚めるようになった。
最初の頃は、どうして目覚めちゃったんだろう、などと不思議だった。
ああ、トイレに行きたいんだぁ。ヤダヤダ、やっぱ、年だなあ。
それでも、薄明かりの中、起き出してトイレまでいくのは、めんどい。
よって、じっと、我慢の子を決め込むことにしている。
体にはよくないよね。
でも、眠気をそこなわないように、のそのそと起き出すと、かえって目が冴え、結局、心ならずも、起きることになるのだ。

 老母の話では、昨日は36.7度の猛暑日だったという。
暑いさなか、スーパーへ行く。
さすがに、このくらい暑いと、空気はさっぱりと乾いて、天を仰ぐと、鮮やかな青空がひろがる。
焦げる位の、陽射しを浴びながら、『ショーシャンクの空に』の脱走直後の、歓喜の雨を浴びるポーズをしたくなる衝動にかられる。
さすがに実行はしない。

 スーパーで、美味しそうな肉まんを買って帰る。
高野の肉まんが一流なら、こちらは三流かもしれない。

 だが、やわらかふわふわの肉まんの皮を齧ると、ほのか~に甘い。
よよっ、これはアプリコットのような味がする。
いや違うな。
シフォンケーキのバナナの味に似て非なるものだ。

 フ~ム、バラのフローラルのような甘~い香りもする。
病みつきになる予感がした。

 スーパーで買ってきた、シキミは仏壇の供花だそうだ。
恥ずかしながら、昨日まで、まったく知らなかった。
葉っぱだけだが、葉はつやつやとして、夏の緑である。

 肉まんをガブリと齧ると、にら饅頭のような中味で、わりと近くで、遠雷が聞こえる。
なんだかシュールである。


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# by nonoyamasadao | 2014-07-31 11:06 | 雑文 | Comments(0)

だから、あなたは・・・

  貝柱のカルパッチョ、ねぎトロ湯葉巻き、黒胡麻コロッケで、ビールと日本酒を飲む。
突然、思い出す。
正確には、黒胡麻コロッケで、ビールを飲んでいるときに、頭に閃いた。

 遠い昔に、フライドポテトで、よくウィスキーを飲んだ。
ウィスキーは、ホワイトホースだったり、カナディアンクラブだったりしたが、カティーサークだけは、なぜかバカにして飲まなかった。
そんな時のことである。

 ”だから、あなたは、女がわからないのよ~”ってなことを、何人もから言われた。
前の晩に、『ラストクリスマス』のDVDを見て、矢田亜希子さんが織田裕二に向かって、『だから春木さん、モテないのよ。』というセリフの影響もあって、思い出したのかもしれない。
 酒をたくさん飲んで、言いたい放題だったとしても、突然、キレられてもねえ。
だから、オマエなんかに、オレが分かってたまるか~ってなる。

  たとえば、どうして、そんなこと言うの~とか相手が怒るなら、なんだか知らないけれど、傷つけてしまったのかなぁ。。。と自省して、ああ、これかと思い当たれば、即、謝る。
まあ、何かが気に食わなくて、『少女A』のように、“♪女の子のこと、知らなすぎるのよ、あなた。”ってなったのでしょう。
思えば、男系家族に育っているから、修行僧のごとく、女性を美化するバカ男だった。

 話は変わって、数日前に、熱中症でみながバタバタ倒れ、藤崎台では9台救急車が到着した。
世間はみなクールビズだが、ボクは背広にネクタイで過ごすことにしている。
みんなが背広にネクタイの時は、ボクはタートルネックで、フォーマルな席でも、気ままに過ごす。
 やれやれ、逆説的人生観や斜に構える悪い癖は、永遠に治らないだろう。

 友人から教えてもらったDVD『500日のサマー』は、1960年代を想起する洒脱で、ちょっとビターで、スウィートな小佳作だった。
LAが舞台のカットつなぎや、ばらばらにした時間を再構成する手法など、監督の才気を感じさせる。
映画では、男と女の物語は、偶然でも、運命でもなかった。
会話に出てくる、ザ・スミスが偶然で、オスカーワイルドの『ドリアングレイの肖像』が運命を意味するシンボリックな小道具か。
ボーイ・ミーツ・ガールの”出逢い”を、必然に変えていくプロセスがあり、振り返ってみたときに、ああ、それが運命だったんだぁ。。。というテーマのように思った。
違ってるかなあ。

 それにしても成長しませんなあ。


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# by nonoyamasadao | 2014-07-20 12:31 | 雑文 | Comments(5)

夏の匂い

 しばらく、ブログを書くゆとりのない気分でいる間に、どうやら梅雨明けしたみたいだ。
数日前から、朝起きて、居間のカーテンを開けて、深呼吸をするとき夏ゼミの声がした。
今日など、かまびすしいくらいだった。
ああ、今年も夏が来るのだなぁ、と思うと、朝の空気に夏の陽射しの匂いがするようだ。
駐車場を隔てた住宅の先に見える樹木が、夏の緑に見えた。

 子どもの頃は、夏にしかできない遊びがいっぱいあった。
やがて中年になって、その時も過ぎると、陽射しのほてりが失われていく、夏の夕暮れのちょっとだけ退屈で、さみしい気分が好きになった。

 いつもの通り抜けの大学の正門前の通りのショッピングセンターが堂々と完成した。
たこ焼き屋さんや餃子屋さんの大きなお店が、入り口そばに見える。
な~んか、堂々としすぎてヤダなぁ。スマヌという風情が欲しかったなぁ。。。などとブツブツ呟きながら、ケヤキ並木を歩く。
何台も路線バスが過ぎていく。
バスに乗っている人って、どうして、みんな、無表情なのだろう。
老若男女を問わず、人生に疲れて、つまんなそうに乗っているように見える。
まぁ、修学旅行のバスのように、みんながはしゃいでいたら、それもまた、無気味である。

 てなことを考えていながら、朝の食卓を見ると、ハッサク、晩柑、ジューシーフルーツと続いたミカン系からイチジクに変わった。
そっか、この地では、自生しているようなイチジクが楽しめるのだった。
熟れた重くとろったしたイチジクではない。
昔、荻窪の社宅にあった、木からイチジクをもぐと、白い樹液がしたたる、すこし固めで、かそけくあまい香りのイチジクだ。

 食すと、遠い昔の、通り過ぎていった夏の香りの味がした。


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# by nonoyamasadao | 2014-07-17 10:36 | 雑文 | Comments(4)

世界中の誰よりきっと

  『誰かが彼女を愛してる』のDVDを見ていると、22年前の年の瀬が昨日のことのようによみがえる。1992年10月14日~12月23日のオンエアだから、転職のため中途退職する直前の日々と重なる。
ボクは30代から40代に掛けて、テレビを見ていない。
たぶん、40代前半を冷静に振り返られる年令に到達したのだと思う。このところ、40代前半の頃の連ドラばかり見ている。
退嬰的で、すこしさみしいが、仕方ない。

 転職のための中途退社だからというよりも、不徳の致すところで、同期の送別会はなかった。ある意味で、ありがたかった。
けれど、一生のともだちというものには、数人出会った。
中途退社したのが半数くらいいて、残留組は来年春には定年延長が終る。
時間の矢はある年令を過ぎると、容赦なく速い。

 クリスマスの数日前、六本木のしゃぶしゃぶ屋で、4~5人のかなり年少の連中が送別会を開いてくれた。
二次会の個室カラオケで、『世界中の誰よりきっと』を聴いたのが最初だ。
 浦安のイタリアンレストランを貸切で、部の送別会があった。
若い婦人社員が、お料理を取ってきましょう。。。と小皿に正体不明の料理を何度も運んでくれる。ナポリタンは知っているけど、ラザニアなど知らない。
そういえば、転職してからは、これがおいしいとか選んだり、運んでくれることなど、一度もない。
気を遣ってくれたのだと、不覚にも今になって気づく。
若い友人が路上で、万歳三唱をしてくれた。
ありがたくもあるが、走って消えてしまいたい衝動の方が上回った。
その若い友人もだいぶ前に、病死したと聞いた。合掌。
その二次会のカラオケでも、『世界中の誰よりきっと』を数回、聴いたような気がする。
二次会のビールがきいて、浦安からタクシーに乗る。
浦安インターから高速にのり、ディズニーランドを見て、ああ、夜の9時頃の花火をよく見たなあと思う。

 退職の日、フロアの真ん中で、婦人社員から花束をもらう。
なにを挨拶したのか、サッパリ覚えていない。
まさか私より先にやめられるとは思ってもいませんでした。。。という婦人社員の呟きはおぼえている。
そっか、やっぱ、エロ親父はその前のはるか昔から、発症していたのだなぁ。
 バラばかりの冬の花束は、やっぱ、コッ恥ずかしい。
定年には早過ぎるし、結婚の年じゃない。
 冬至を過ぎているのに、まだ明るい浦安の駅でしみじみ花束を見る。
匂いなどみっともなくて嗅げないが、それでも甘い香りが匂い立つ。
退職の晩も、新橋で送別会があった。
たらチリで、酒を飲んだ。これも、しっかりおぼえている。
やっぱ、よほど食べ物に関して、いじきたない人間なのだろう。

 年が明け、今の地に赴任するまでの二ヶ月は、寝たいときに寝て、飲みたいときに飲み、食べ、時間のない日々を過ごした。
その間、いつも頭の中で、『世界中の誰よりきっと』が鳴り響いていた。。。そんな気がする。

↓『世界中の誰よりきっと』は昔で、今のゴヒイキはこの人。

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# by nonoyamasadao | 2014-07-16 22:29 | 雑文 | Comments(0)

やまとなでしこ

  一日二食になって久しい。
別に病気や健康診断でそうしたのではなく、一食のおいしさを堪能するためである。

 最初は、腹減ったあ。。。から、味わうというよりも、まあ、ガツガツと食した。
少し余裕が出てくると、パンやご飯の主食のおいしさに目ざめる。
パンなら、最初はしっとりソフトな芳醇パンなど好む。
そのうちに、山型のイギリスパンやハードな酵母パンなどに変わった。
食パンのおいしさに目覚めたのは、石窯ライ麦パンあたり、からかもしれない。

 白米もそうだ。
炊きたての、あつあつのご飯の匂いを知る。
ふっくらお米の味など、わかったような気がした。
何年も人生をやってきて、主食の味わいに、よくやく目ざめたのは、先ずは恵まれた時代に育ったからだ。
ついで、長い間、アルコール主体で、刺身、突き出し、山海の珍味に眼の色を変えて、明け暮れていたからだ。

 もっとも、東海林さだお先生だったか、主食の味がわかる人は、本物の味のツウの人だと書いたのを読んだことがある。
だとすれば、勝手な思い込みだろう。

 1飲2休肝日になって、6年間くらい経つ。
今の理想は、まだ、明るいうちから飲めるお店を見つけることだ。
16時か16時30分ころが理想だ。
街の空気は若く、暖簾をかけたばかりのういういしい居酒屋のきれいなテーブル席で、ビールの中瓶と日本酒をいただく。
残念ながら、この地では、そのようなお店はない。
新幹線の構内の飲食店か、デパートか、あまり流行らないソバ屋さんなら可能だが、小体で、ちょっと風情のある居酒屋ではない。

 恥ずかしながら、大山鳴動してネズミ一匹でなかった。。。健診結果がうれしくて、飲酒の頻度はかわらないが、油断をすると、酒量が増える。
イカンなあ。
ビールは中瓶1本と、日本酒は冷やを辞めて、熱燗1本以上は、ぜったいに飲むまい。
量を超えるのは、特別なお誘いの日だけにしようと、固く誓う。
我がストイシズムの矜持の問題だ。。。。などと、妙に力んでみる。

 というのはドラマ『やまとなでしこ』を見たからだ。
小野武彦さん(桜子の父)が、中原欧介(堤真一)に、「あんたとこうして、一生、飲めたらなぁ」というセリフに、かなりグッとくるものがあった。
そうだよなぁ。
一生、飲んでいたいよなぁ。
てなわけで、夏でも、ビール1本と、熱燗で1合やや欠けるくらいを、味わっていただこう。。。と決意を固める。

 梅雨開けまじかの気配がする。
夏の緑がざわざわ揺れ、ああ、今年も、また、夏が来るのだなと思う。 


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# by nonoyamasadao | 2014-07-02 10:41 | 雑文 | Comments(0)

ビキニ・スタイルのお嬢さん

 いつも通り抜ける、銀杏並木が茂る大学の案内所の向かいの紫の花が開きだす。
何年間も対岸から見るせいか、ムクゲだと思っていた。
ムクゲにしては、早いなと思っていた。
昨年、そばを通った時、待て!、こ、これは芙蓉だなと気づく。
しかし、今年、ようやく正解に辿り着く。
こ奴は、きりっと屹立、この立ち姿は、アオイではないか。
タチアオイとはよくいったもので、なかなか美しい立ち姿であ~る。

 フム、みようによっては、和服の装いの佳人のようにも思える。
舞台の主役がキリッと立つ、立ち姿の佇まいにも似る。
まあ、我が花の知識たるや、まことに頼りない。

 樹木だと、合歓の木の花が咲いているなぁ。。。とか、もっこくの花が咲いたなと、わりかし敏感に気づく。
梅雨時なのに、淡いすみれ色の夏空のような薄暮の時間が心地よく、帰り道をチンタラチンタラ帰る。
早足の女子高生が、スイと抜いていく。
く、くやしい。
でも、むきになって、抜き返すのも、さすがに大人げない。

 いつも通るダラダラ坂のご近所の公務員住宅の樹木に、薄黄色の花が穂のように咲く。
葉が昔懐かしドクダミのようでもあり、形が美しいなとも思う。
定かではないが、どうやら、あかめがしわというらしい。

 早く、帰宅しても、まだ定期健診前なので、飲めない。
ああ、ビールが飲みたいと思う。
そう思うと、昔、生ビールを飲みながら、泥レスを見た記憶が蘇る。
ビールは美味しくなかったけれど、当時、悪趣味だと思った泥レスも悪くないよね。

 今なら、浅尾美和さん?のような美しい女性のビーチバレーでも見ながら、ギンギンに冷えたビールを飲んだら、きっと、生きていてよかったぁ。。。とシミジミ感動するだろう。
願わくば、ビキニ姿のママさんでなく、お嬢さんであってほしい。
久しぶりに、ブログを書くと、やっぱ、エロおやじが満開ですね。


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# by nonoyamasadao | 2014-06-22 15:22 | 雑文 | Comments(2)

ユーウツな休肝日

 今年もまた、いつものように健診が近づく。
凝った住宅の露地に、ヒメシャラがひっそりと咲き、どこからかクチナシの香りが漂っている。
健診が近づけば、15日間の休肝日がスタートする。
憂鬱な気分になる。
いや、憂鬱ではなく、ユーウツな気分が正しい。

 この地に来てから、あまりユーウツな気分になったことはない。
なぜだろう。
満員の通勤電車に乗らなくて、よいからか。
徒歩で、仕事部屋までいけるし、たまに乗る路面電車は適度な揺れでのんびりした気分になる。
都会では、人の乗り降りが、半端ではなかった。
どさっと乗り込み、どさっと降りていく。

 この地の路面電車は、昔乗った海沿いを走る江ノ電ほどには、揺れない。
荻窪に停車している丸の内線は沈んだ色をしている。。。と書いたのは川上弘美さんだった。
たしかに、荻窪駅の丸の内線はガラガラだからよく利用したけれど、気分は沈んだ気がした。

 子どもの頃は、楽しい毎日だったけれど、水曜になると、ユーウツに似た気分になった。
そういえば、『あしながおじさん』のジュディの作文も、ユーウツな水曜日だった。

 今はさみしい気分にはよくなっても、ユーウツはどこかに消失した。
唯一のユーウツが健診までの15日間の休肝日と、そのピークが直後の採血なのである。

 いつも休肝日スタートまで、すこし飲む回数を増やした。
今日はしこたま、飲もうかなあ。
シアワセな気分がドドッと押し寄せてきた。

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# by nonoyamasadao | 2014-06-08 10:21 | 雑文 | Comments(10)

M物産 三代目襲名

 先週の金曜日、土曜日、日曜日と東京に行く。
大手町M物産本社のお隣のお隣の建て替えられたホテルの17階に2泊する。
金曜に昔の友人たちと、新橋の焼き肉屋で、ビール2本飲む。

 う~ん、飲み足りないなあ。
だだっ広いダブルの部屋で、ホテル地下のセブンイレブンで買ったビールの中缶を飲む。
フム、まだ飲み足りない。
旅先だから、まっ、いっか。

 冷蔵庫をあさって、日本酒とバニラ・ウェハ―スで飲む。
ミスマッチだけれど、案外、いけているかも・・・と思う。
部屋の外にはバルコニーがあり、テーブルや椅子もあるが、夜景など楽しむ前に、高所恐怖症だったのを思い出す。

 しかし、だだっ広いホテルの部屋でただ一人というのは、なんとも心細いものである。
遠い昔、大学時代の友達の女性が出張先で、夜汽車の音を聞いて、さみしくなって、電話してきたのが、50年の歳月を経て、よ~くわかった。

 翌朝、眼下にはお濠や皇居が一望でき、M物産の15階会議室に何カ月も缶詰めになり、仕事をしていたころが蘇る。
20数年まえだが、昨日のようだ。

 M物産は老朽化したとのことで、分散配置されて、来年、お取り壊しだそうだ。
今のM物産は1976年築で、その前のNHKのお向かいの内幸町時代もよく覚えている。
フム、『緋牡丹博徒』だって、 二代目襲名までだったよなぁ。
あ~あ、建物の三代目を目前にするとは、ワタクシという人間も古くなったなぁと、しみじみ悲しくなる。

 昨日の夕方、三年坂のツタヤ書店に行き、これまた、しみじみ痛感する。 
このブログの最初のころ、川上弘美さんの“人生で一番、足を運んだ店は書店”のフレーズを真似て、一番足を運んだお店は、居酒屋だと書いた。

 このところ、ソバ屋と居酒屋は、交互に行っている。
ソバ屋さんで旬の天ぷら、湯葉、もろみ、のどぐろ一夜干しなどで、辛口の酒を冷やで飲むと、シアワセな気持ちになる。
還暦過ぎて、冷酒のうまさを知る。
せめて、1飲2休肝日の原則だけは、遵守しようと固く誓う。
でも、あまり、自信はない。

 いよいよ60代の半ばが近い。
未来から逆算などして、「いま」を過ごすよりも、今日の続きは、また明日のほうが、ゼッタイに楽しいと思う。
昔は本屋さんに行くと、平積みの新刊書コーナーへと一目散に向かった。
最近は、趣味のコーナーとか、料理本や旅行雑誌とかに立っていることが多くなった。

 人間が古びると、明日は明日の風が吹く...でいいのかなぁ。
確実に、明日は今日とは違っているのだから、それを楽しめたらサイコーである。

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# by nonoyamasadao | 2014-05-30 13:44 | 雑文 | Comments(0)

ラブ・ダイアリーズ

 1992年は、この地にくる前年だった。
その年の、ビル・クリントンの大統領選挙事務所に主人公はいた。
 そして、まじめな主人公をとりまく3人の女性がいる。
将来は大統領になる主人公の夢にたじろぐ学生時代からの恋人、
精力絶倫の大学教授の愛人で、ジャーナリストの卵のキャリアウーマン、
同じ事務所でバイトするエキセントリックな女友達の3人がいる。

 別居している我が娘との週2回の逢瀬が、今の主人公には、一番の憩いの時間だ。
そんな娘の問いに、心ならずも、1992年から5年くらいの己が恋愛遍歴を、主人公は、女性の名前を変えてポツリ、ポツリと語り出す。
誰が今、離婚しつつある娘の母親なのかが、ミステリっぽい謎解きのように、展開されていく。

  う~ん、なんだかほのぼのとして、でもほろ苦い味わいだ。
それでいて、それなりに知的で、ステレオタイプではあるけれど、よくできた脚本だった。

 この『ラブ・ダイアリーズ』という映画、どうして未公開だったのだろう。
ロマンティックコメディーとして、弾けていなかったからかしらん。
シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の本が、小道具として、とてもうまく使われている。
ブロンテで、遠い昔のある日曜日の午後を思い出す。

 季節は、たぶん、梅雨明けの7月に入るか入らないころで、時間はゆっくりと過ぎていく。
午後の陽だまりの中を、バスに乗って、初恋の人の家の近くの京王ストアの先の中央大学附属高校前で降りた。

 みーん、みーんとセミの声を聞いた思う。
その年の8月に急逝する父と一緒に、附属高校の裏手の住宅地を歩く。

 その家の応接間からは、いろいろな樹木と芝庭が見えた。
芝庭の奥には、強い陽射しの中、逆光で、ショートカットのボーイッシュな小学生くらいの女の子を見た。
すぐ姿を消し、しばらくすると、ピアノが聴こえてきた。
彼女なのか、ご近所の人なのかは、わからない。
なんだか、石坂洋次郎の小説の世界みたいだなぁ。。。と思った。
あれは、きっと、父が友人にボクを引きあわせ、大学の4年にもなって、就職活動もしないマスコミ志願のボクの就職のお願いをしたんだと、今にして思う。

 エネルギッシュな感じの父の友人に較べ、ずいぶん若くお嬢様ふうで、なにより、我が母と較べて、都会的な奥様がお茶を運んできた。
先程の、父の友人の娘にしては、ずいぶん小さな小学生の女の子の話になる。
今、娘はブロンテ姉妹に凝ってますのよ・・・オホホホホと笑ったかどうかは定かでない。
まっ、そんな感じのやりとりだった。

 どうして、記憶に残っているのだろう。
なんだか、不思議だ。
 これって、老母が言っていた、残照のような記憶ってヤツなのかなぁ。
そういえば、オレンジ色の夕暮れの匂いがしたような気になった。

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# by nonoyamasadao | 2014-05-18 10:25 | 雑文 | Comments(0)

バスで四時に

  老母が買ってきたピーチティーをいやいや飲む。
なるほど、桃の匂いが立ち上る。それって、邪道だろう。
やっぱ、ま、不味い。
がしかし、トワ・エ・モアふうには、♪或る日そっと、近づく二人~になり、やみつきな味に変わる。
ふん、生意気なヤツめ。
お前なんか、でえっ嫌いだあ!待て、ちょっと好き。。。。って、我が人生で、幾度繰り返した愚行だろう。

 してみると、ベランダで繁茂している匍匐系と屹立系の2鉢のローズマリ―など、そろそろ賞味してみてもよいなぁ。
葉をむしって香りを嗅ぐと、う~ん、楠の樟脳のような匂いがするような・・・・。
きっと、緑っぽい味のハーブティーになるかもしれん。
まだ、試したことはないけれど、体や脳の朝の目覚めにはいいかもしれない。
そういえば、『ハムレット』で、オフィーリアがローズマリーを忘れないでというセリフがあった。
まあ、私を忘れないでは、forget-me-not(忘れな草)も同じだ。
まっ、今度、ためそう。

 今朝、ボーっとしてて、老母の泡洗顔をつかってしまった。
なんだか、いい香りがする。
ネットで調べたら、”安っぽいフローラルベリーの香り”などと書いてある。
あっ、そーなんだ。
ごめんね、安っぽい香りに感動などして、悪かったね。
でも、なんだか春っぽい、仄かにフルーティな香りが爽やかなのだったのだよ、ボクにとって。

 昨日の夕の帰り道、青い雨模様と言うのか、水玉模様のワンピースの少女とすれ違う。
だとすれば、きっと・・・エロ親父が満開になる。
ああ、昨日は夏日のようだったからなあ。
はるか遠い昔に、水玉模様のワンピースの女の子をよく見た気がする。
記憶違いかもしれない。

 しっかり覚えているのは、挿絵しかしらない高野文子さんの『バスで四時に』だったと思う。
お見合いに向かう心もとないヒロインは、シュークリームの入った箱を持ってバスに乗る。
お相手のお母さんが水玉模様のワンピースだった。
たった今、『棒がいっぽん』で確認した。


 ろくすっぽ、調べもせずに書くこの性分は治らない。
母の日なのに、イカンですなあ。


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# by nonoyamasadao | 2014-05-11 10:34 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

あの角を曲がると

 生まれて初めて、スターバックスに行く。
最近、人生なにごとも経験と、今までの禁忌を破ることにしている。
しかしである。
衆人環視の中で、オ―ダーするのは、抵抗がある。ボクの感性じゃあ、ない。

 開店して間もないためか、店内は、若いOLさんの二人連れとかで、いっぱいである。
注文を若い友人たちにまかせて、ウッドデッキで、オープンカフェ気分を始めて味わう。
焼肉屋さんの、おいしそ~な匂いが流れてくる。
う~ん、虎ノ門に勤務していた頃は、真っ昼間から、焼肉でビールを飲んでたことを思い出す。

 しかし、わが青春時代の喫茶店は、ルノアールとかは、繁華街のあちこちにあったけれど、ゴヒイキの喫茶店は、みな大通りから外れたところだった。
だいたい、そばに古本屋があったり、激安の大衆食堂などのそばにある、引っ込んだところにある、奥ゆかしい喫茶店が好きだった。
外部世界から遮断された、うす暗い所で、コーヒーいっぱいで、古本屋まわりの収穫の本など読んでいた。

 ウ~ン、ところ変われば・・・であるなぁ。
ウッドデッキで、アイスコーヒーを飲む。
シマトネリコやオリーブの若木の植栽が取り囲んでいた。
下にはヒイラギナンテン、ツルニチソウなど常緑の根じめが植えこまれている。

 ウッドデッキでお茶してるのは、みな、男性ひとり客だけなのに気づく。
フム、さもありなん。
その気持ちは、よ~くわかる。

 植栽の若木が、ときおり、さわさわと揺れる。
風も吹いていないのだけれど、どうしてだろうと天を仰ぐ。
抜けるような青空が広がり、ポカポカ陽気のいいお天気である。
果てしなく、透き通ったブル―か。どこかで聞いたフレーズだ。

 人のシアワセとは、いい天気であるなあ。。。とか、青空だなぁと感じることだと言ったのは、誰の言葉だったっけ?
一瞬のシアワセな~んて、そんなものかもしれない。

 若いころ、桜が終って、新緑の季節になると、きまって、メランコリックな気分になった。
あれは、いったい、何だったのだろう。
ゴールデンウィークが退屈だったのか、はなやかな季節の後のさみしさだったのか?
たぶん、感情過剰な自分を持て余していたのでしょうね。
でも、今だって、新緑の憂うつは、時に感じる

 アレレ、間違った。
ストローは、カップの十文字の穴に刺すのか。知らなかったぁ。
ま、いっか。

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# by nonoyamasadao | 2014-04-18 11:56 | 雑文 | Comments(11)