いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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雨の石畳

 朝、芝の増上寺を見ながら、小雨の道を歩く。
子供のころから、今にいたるまで、闇のお寺は、なべて不気味だ。
よい年をして、恥ずかしいのだが、こ、怖い。
夜中に、タクシーから見るだけでも、築地本願寺は、際立って怖い。

 増上寺は、なぜだろう。
早朝のせいもあるが、全然、怖さがない。なんか開放的な感じがする。夜でも、大丈夫かも知れない。

 慶應大学の西門に行くつもりが、三田駅から市役所に向かうふれあい大通りとかに、出てしまった。
街路樹のサルスベリが、そろそろ終わりですよ。。。。というようにワインレッドの花をつける。
西門を探しながら、サルスベリの花に話しかけるように、ゆるゆると歩く。
角を曲がって、ああ、今年はサルスベリを見なかったけれど、街路樹のサルスベリというのは、また格別だなと思う、
そっか。
今年の夏も終わってしまうのだなあ。
なんとなく樹木の葉が、秋の装いを告げているような気がする。

 な~んて、のどかに歩みをゆるめていると、バケツをひっくり返したような雨が降りだす。
叩きつけるようで、だいぶ、濡れてしまった。

 ひっそりとした道を行くと、ああ、ありました。
ここが、慶應大学の西門か。
狭い、石畳の坂を上る。
雨に濡れた舗石などながめ、まっすぐに坂を上ると、学問の庭が広がった。

 こういう道を毎日、歩いて、なにがしかを考えていれば、もうすこし、ましな人間になれたかもしれない。
でもね、しょうしょ間抜けで、マンガのような毎日だけど、まだまだだよね。。。と思えるのも結構、楽しいのですよ。

 今年の秋は、少し長めだとよいのになあ。


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# by nonoyamasadao | 2015-09-09 18:17 | 雑文 | Comments(2)

9月になれば・・・

 9月になれば、世間の人はみな忙しく、学生さんもそれなりに忙しくなる。
いつもヒマしているワタクシも、すこし忙しくなった。

 地方都市なのだから、帰るころは、そんなに暑くもないし、本の歩き読みでもしたいなと思う。
けれど、歩道を自転車が走ってくる。
ああ、そういえば、遠い昔は、授業中でも、行き帰りの電車でも、バスを降りた家までの帰途でも、本を読んでいたことを思い出す。
フム、娯楽小説が面白くて仕方なかったころだ。
ミステリやSFだけでなく、新聞小説、恋愛小説、中間小説、時代小説、風俗小説、都会小説、みな読んだ。

 なんで、本ばかり読んでいたのか。
孤独な少年だったわけでもない。
川上弘美さんはさみしいから、本を読むのだ。。。みたいなことを書いていたのを、読んだ気がする。

 さみしいと言えば、今だって、さみしい。
たしかに、さみしかったから、本のなかのいろんな人に出会って、退屈を忘れた。

 明日から、東京に行って、しばらく一人ぼっちになる。
若いころは、九段下から神保町まで古本屋巡りをして、新宿の紀伊国屋に行き、渋谷の大盛堂書店も覗いたな~んてことがあった。
今、そんなことをしたら、ヘトヘトだ。
そ~なんだ。
若い人たちと仕事をすると、若いころは、こんなの楽ちんだったのに、と思うことがしばしばある。

 ウ~ム、年令には勝てぬ。
でも、そのぶん、夜空を眺めたり、朝の空気を吸ったり、お茶をのんびり啜ったりを自覚して、しているような気がする。
女性ならカツカツと歩くのだろうが、スタスタと素早く歩くことが、ほとんど無くなったぶん、季節の移ろいや、そういえば、今年のサルスベリは花の終わりがはやかったな。。。とか思うようになった。
これは、若いころには経験しないさみしさだけれど、なんか少しづつ秋の気配を感じることも、そう捨てたもんじゃない。
すこしづつ夏が去って行き、すこしづつ秋が近づいてくる。

 こういうあいまいな季節のなかで、ゆるゆると過ごし、まったりとしたキブンでいたいときに、読む本は、はて、なんだろう。


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# by nonoyamasadao | 2015-09-06 16:14 | 雑文 | Comments(10)

紅の渚

 夏のお酒、『悦凱陣』を飲みながら、甘鯛の焼き物などをつつき、今日一日に思いを馳せる。
でも、夏のお酒と言っても、実のところ、よ~くワカラン。まだまだ、修行が足りない。
いつもの、佐賀のお酒『東長』の方が、ボクにはおいしい。
ようは、猫に小判なのだった。

 猛暑日だというのに、野暮用で、郵便局へ行き、仕事部屋へ向かう。
土曜日の郵便局は、こちらでは東郵便局と、中央郵便局しか開いていない。

 郵便局の用事が済んで、ああ、くたびれたぁ。。。と思いながら、こだわりの背広に、こだわりのネクタイで仕事場へと歩く。
こだわりというのは、人がネクタイをするときはせずに、世間がクールビズの時には、ネクタイをする。
アウトローのワタクシらしいのが、こだわりである。
でも、あじぃー。とけるかとおもった。

 学園大通りのケヤキ並木の木陰に、何人かの女性が、くっつくようにして信号待ちをしている。緑陰なのでしょう。
こういうときに、あの角を曲がったら、海の匂いがした。。。みたいな地にすみたいなとつくづく痛感する。

 路地にはお寿司屋さんや古本屋さんがあって、でも、ボクはカレーやうどんも出揃った大衆食堂で、鰺の叩きで、ビールを飲む。
海辺ならではの醍醐味だ。
目の前には、駿河湾のような青い海が広がっていて、漁港には、船が桟橋につながれている。

 常連のボクに、食堂のオヤジが、うまいエボダイの開きがあるから、これ食ってよ。。。とかいって、タダで焼き立てを出してくれる。
バカうまっ!。
じゃあ、うまいものも食ったし、仕事でもすっか。。。。ていうのが理想だ。
猛暑のせいだろうか、妄想は際限なく、広がっていくのだ。

  というような、夏の日々なら、さぞ楽しかろう。
こういう喜びは、若いころにさんざんバカにしていた、ささやかなシアワセってヤツ?。。。なのかもしれない。
俺も随分、堕落してしまった。

 ところで、ダメついでに、『夜は短し歩けよ乙女 』っていうのは、面白いのだろうか。
年甲斐もなく、実は、気になっている。
な~んとなく、好きそうな予感がする

 遠くなった昔、函館の夏、湯の川温泉からイカ釣り船の漁火を見た。
闇夜に、たいまつの炎が揺れる。
日の出の朝には、紅黄色の海の朝焼けを見た。妄想ではなく、実話だ。
 
 そして一日が暮れていくなあと、思いながら、今、最後のビールを飲んでる。
定年退職したら、海辺で暮らしたい。


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# by nonoyamasadao | 2015-08-22 20:31 | 雑文 | Comments(0)

遠い日の花火

  今年も、夏真っ盛りになった。
昼下がり、強烈な陽光を浴びながら、ペットボトルをラッパ飲みしながら帰る。
うだるような空気がゆ~らゆら、こちらの意識も、少しだけ、ゆ~らゆらしながら、スーパーの横の細い横道を歩く。
スーパーを過ぎると、小学校の向かいの原っぱに、青々としたススキが幾重にも重なって伸びている。
草の茂みのムッとした、青くさい草いきれがプ~ンと鼻をつく。
う~ん、これは遠い昔、子供のころに嗅いだ夏草の匂いだ。
向かいの小学校側を、浴衣の小学生か、中学1年くらいの女の子が歩く。
ん、なぜに浴衣?。
江津湖で花火大会でもあるのかなぁ。

 そうだった。
中学のころは、石坂文学の影響か、山と川とお城のある町に憧れてた。
さらに、この地では、いたるところに温泉まである。
そっか、夢は叶ったのだな。。。今になって、そう思う。

 花火大会で、あらためて思う。
ボクには、恋は遠い日の花火ではない。。。というような、ロマンティックな思い出などなかったな。
♪チッチッ…チッチッ… チッチッ…祭りの太鼓がテンテケテンと泣いちっち。。。という甘酸っぱい失恋の思い出すらねーよ。無念じゃ。

 ボクの子供のころの花火は、みな、おもちゃ花火だった。
橋の上に立って、ドーンという音がする、夜空に咲く花火をまじかに見たのは、ぐっと下って、30代の半ばである。
手賀沼の花火は、自宅そばでやっていた。

 おもちゃ花火でも、ねずみ花火とロケット花火は、別格だった。
ねずみ花火は、円形の軌跡を描いて、ネズミのようにしゅしゅっと音を立てて走り回り、最後に、パンとはじけた。
ロケット花火は牛乳瓶に立てる打ち上げ花火だった。

 中一の時に、クラス委員の女の子が、ボク向かって、スイカを食べるとき、楽でいいでしょ。。。と意地悪を言った。
ボクの前歯は、二本がにょっきりと大きくて、すこし出っ歯だった。
ムカついたので、習字の時間(書道?)に、顔にめちゃくちゃ墨を塗ってやった。
放課後職員室でしかられ、校門を出ると、待ってたクラス委員がすまなそうにあやまった。
なんだか、とりかえしのつかないことをしたような気がした。

 そのクラス委員の子と夏の夕暮れに、おもちゃ花火をしたことがる。
クラス委員が駄菓子屋さんで買った、しけった花火を持ってきたからだ。
その頃の舗道には、各家々に木のゴミ箱があって、ゴミくさいところで、しゃがんで花火をした。
ねずみ花火などなく、もっと、地味で、しょぼい花火だ。
それでも、青や黄色い炎が燃えて、影法師が長く伸びた。

 クラス委員は浴衣の膝をそろえて、ボクの花火をじぃーーっと見てた。
な、なんなんだろう。突然、むずがゆいような尿意をもよおした。
けれど、我慢をしたのを覚えている。

 実は、高校時代にもマネージャーの子と花火をしたことがあるが、この時は、影を踏んだ踏まないで、喧嘩になった。

 してみると、中一の夏のしけった花火が、ボクにとって、最初で最後の、遠い日の花火だったのかもしれない。


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# by nonoyamasadao | 2015-08-01 14:36 | 雑文 | Comments(7)

動く歩道

 高校からエスカレーター式に大学へ進んだ。
エスカレーター式というのは、今や、死語かもしれない。
あまり、聞いたことがない。
若い人はつかわないでしょう。

 幼、小、中、高、大の自動進学の場合は、エレベーター式といった方がよいかなあ。
幼稚舎に入って、階を示す5階のボタンを押せば、エレベーターは勝手に、するすると大学に運んでくれる。
ボタンを押し間違えて、8階とか押した人は、高校とか、大学で留年を繰り返すと考えると、その方がなんとなく彩りがある気がする。

 顧みれば(なんて大仰なんだ!!)、我が高校から大学へ進むプロセスは、エレベーターほど速くないけれど、エスカレーター式そのものだった。
だから、大学で、ミステリや映画などに、とち狂ってしまった。
けれど、その道草はとても楽しかった。あっちプラプラ、こっちでウロウロしてた。
最短距離は時間が速い分、味気ない。
願わくば、女性関係の寄り道とかあったなら、尚よかった。けどなかったな。
人生はかなり、とっ散らかっていたかもしれないけれど、素敵だったろうなあ。遠い目。

 な~んて、思うのは、最近、空港で動く歩道に乗った時に、えも言われぬ違和感を感じるからだ。
おいおい、かっての人の進路をきめるなよ。
あまり前向きに人生を生きたくないな。。。って、還暦を過ぎるか、過ぎないころから、そう強く自覚した。
本当は、子供のころからかもしれない。
手塚治虫に、時間を止めるマンガがあったようで、そのドラマ化の『ふしぎな少年』は小学生時代のお楽しみだった。
♪時間よ止まれ・・・は、矢沢の永ちゃんが、最初ではないのですよ。

 勝手に前進するのは、どうもいけません。
したがって、後戻りしたくなる。
まあ、このブログは、後退し続けているというより、たぶん10代から30代で、時間が止まっている。

 年令相応に生きるが自然で、そのように体力は衰えては来てるのだけれど、見るのは『ごめんね青春!』のDVDだもんな。時間の無駄遣い、道草、寄り道、これぞ、人生の醍醐味のような気がする。
違うかな。
まっ、死ぬまで、ジタバタ暴れてやる。。。。な~んてね。
でもそれも、また、まっ、いっか。


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# by nonoyamasadao | 2015-07-16 11:02 | 雑文 | Comments(6)

やっぱり、ぼっちはさみしい

 最近、ぼっちだから、行くのがヤダとか、若い人がよく口にするのを聞く。
ぼっちは、たぶん、一人ぼっちのことだろう。

 昔々、『孤高の人』というアルピニストの小説があったが、ぼっちというのは嫌いではなかった。
孤高というような高邁で、ストイックな精神ではなく、な~んとなく、群れたくないなあ。。。と若い時はよくそう思った。

 別に友達がいないのではなく、男は、群れたり、つるんだりするのってのは、あまりカッコよくないなって思っていた。
だから、SF小説マニアが渋谷の喫茶店あたりで、たむろしているのを見て、いっときSF嫌いにもなった。
まあ、一匹狼気質を気取ってたわけだ。

 死ぬときは一人みたいな、やせ我慢の美学は、確かな形であった。
今に至るまで、当たり前だが、人前で吐いたことはないし、友人に見られたこともない。
だが、体調がよくて、酒が美味しくて美味しくて仕方ない時に限って、突然、何の前触れもなく、急速な酔いが襲い、何回か気持ち悪くなったことがある。
そんな時は、猫は死ぬ姿を人に見せないように、フッと目立たなく、消えたものだ。

 今や、死ぬときは一人は、もう、冗談ではなくなった。
独居老人、自宅にて孤独死。。。な~んて、新聞記事はゾッとしない。

 ほんとうは、さみしがり屋の、人恋しいような人が、ハードボイルドタッチを気取るのかもしれない。

 ちょっと見、苦み走ってタバコを加え、寡黙にして、卑劣な悪漢たちにボコボコにされても、軽口を叩けるような男に憧れた。
バーボンを飲んで、ネオンの街を無鉄砲に去るトレンチコートを着た男の後姿には、孤影が宿るみたい系ですよ。

 でも、上のイメージは、ワンパターンで、記号化されていますね。
セリフも妙に、リリカルで、実は、感傷的な雰囲気をまき散らす。
知性派クール系女子から、男のハーレクイン・ロマンスと皮肉られるのも、よくわかる。

 さて、幾時代かがありまして 茶色い戦争もなかったし、冬は疾風吹かないが、人は一人では生きていけないし、自分がいかに孤独に弱いかを学んだ。
♪思い出す 春の日 一人ぼっちの夜
♪泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 さすがに泣きはしないが、やっぱり、ぼっちはさみしい。
”やっぱり一人はさみしい 枯草”であり、”それはやっぱり君でした”でもある。

 ぼっちの夜は,あたたかい紅茶を飲んで、ミステリ映画を見るか、まったり系の小説を読むか、寒い北国の温泉に行くのも悪くなさそうだ。
ひとときだけ、別な自分に出会うことができるかもしれない。

 ほんとうは、一人ぼっちの時間は、そうわるいものではないはずだが。


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# by nonoyamasadao | 2015-06-26 12:46 | 雑文 | Comments(4)

梅雨時の憂鬱

 梅雨である。
実は、子供のころから、若葉がさやさや揺れる新緑の季節と、梅雨時は、どーにも苦手だ。
いつも能天気なのに、なぜか、柄になく、憂鬱になる。
今風に言えば、病むというのか。
ドーンと気分が落ち込む。
理由は、今もって、定かでない。

 雨露に濡れた色鮮やかなアジサイがきれいではないか、と人は言う。
たしかに、ガクアジサイは美しいが、西洋アジサイは大嫌いだ。
はたまた、日本の美の粋を集め、無理に詰め込んだような墨田の花火も、正直、好きではない。
素直じゃないなあ。。。とか咎められそうで、今まで、書かなかった。
あの、わざとらしい八重が嫌いだ。
まあ、素朴なガクアジサイを、じぃっーと見入ると、物悲しくなって、子供なのに、人生の黄昏や哀愁みたいのを感じた。

 すこし、色気づいたころになると、お洒落なコートを着て、ステキな雨傘をさした美しいお姉さんが、颯爽と歩くのは悪くないなあ。。。などと思うようになった。
漆黒の前髪に、雨のしずくでも、ついてると、あっ、いいなあ。。と、いつのころからか思うようになった。
それでも、梅雨の憂鬱はあって、家で、ぼんやり本でも読んでいたような気がする。

 今でも、梅雨の憂鬱は変わらない。

 遠くなった昔、お祝いに小さなアジサイの鉢植えを、はるか年少の若い女性から贈っていただいた。
地植えしようと言ったら、彼女は大きくしてあげてくださいと言った。

 アジサイの花言葉など、知らなかった。
二宮に住む、本屋のバカ旦那が、なぜか、花言葉に詳しくて、新橋のバーで、自慢話をしたら、ばか笑いして教えてくれた。
苦いはずの思い出なのに、今となっては、なんだか、懐かしい。

 はるか年少の若い女性は、花言葉を知ってて、プレゼントしてくれたのだろうか。
当時はな~んも知らないから、ホント素直に受け取っていたけれど、どうだったのでしょう。

 そんな話を思い出し、どっちに転んでも、今のボクにとっては、ひとときの安らぎになった。
時の流れは、すべてを浄化するのかもしれない。


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# by nonoyamasadao | 2015-06-10 15:35 | 雑文 | Comments(4)

健康診断

 『続・最後から二番目の恋』に、人間ドックでの健康診断をすすめられ、醜くも抵抗する小泉今日子さんのシーンがある。
ジタバタするのは、まったく同じだあ。
ボクも会社員時代は、検診の時間帯は、しばし、トイレに閉じこもっていたことがある。

 一度だけ、悪い先輩(本当は、心優しい)が面白がって、検診場から電話をかけてきて、ご指名で呼び出しがかかっている。。。と言って、医務室の女性に変わった。
ドナ・ドナ・ドーナである。
まあ、暗い廊下を歩いていたら、屠殺場の引かれるようなドーンと落ち込んだ心境になる。
目をつむって、採血したら、な、なんと二本も血を採られたらしい。
見てた人が教えてくれた。こと、健康問題については破滅型ふうでありながら、とことん、男らしくない。

 来月の検診に備えて、15日の休肝日を1日増やして16日にしたけれど、どうも勝つ気がしない。不安はますます、つのるばかりだ。
中井貴一さんが、「確実にじじぃに向かってんだな~」とシミジミつぶやくが、だったら、ジジィはどうする?
小泉今日子さんのように、ぜったいに勝つという闘志すら年々、薄れてく。
ウ~ム、暗い。

 仕事部屋からの帰り道、小学校の菩提樹に黄色い花が、ぽよぽよと咲く。
ぽよぽよとは何ぞやと突っ込まれると困るけど、そ~んな感じだ。
ハート型の葉先がすーっと伸びて、なんだか、気持ちがなごむ。

 空き地には、とうとう、マンションが立ち上がって全容があきらかになる。
立派というべきか、でかい。
先の歩道を、髪の長い女性が自転車で走っている。
紫陽花が鮮やかに咲いて、なつつばきの白い花が、ひっそりと咲く。

 背広の背中に、西日が陽だまりをつくっているように、背が暑い。

 ボクの定年退職後は、老母が寝た後、深夜、ひとりでビールを飲みながら、『 続・最後から二番目の恋』など、見ているのかなあ。
それも悪くない。

 願わくば、海の見える場所か、落ち着いた町並みで、ところどころに、ほほけたススキなど揺れるところに住みたい。


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# by nonoyamasadao | 2015-05-29 11:18 | 雑文 | Comments(9)

北村薫さんの新刊本

 いつのころからか、映画の舞台となっている風景に、しげしげと見入るようになった。

たとえば、『或る夜の出来事』は、たぶん、この地に来てから見た。マイアミからNYに向かうグレイハウンドの夜行バスが、とても気になった。

もちろん、ボーイ・ミーツ・ガールの恋愛物語の方程式の原型は、素晴らしいものだった。

『スウィートノベンバー』であれば、サンフランシスコの路面電車(muni)や黄色いタクシーのイエローキャブに目が行った。『ユーガットメール』なら、NYのアッパーウェストの秋から冬、そして春のホットドッグ店やスタバが興味深かった。

その昔、映画を思想と結び付けてみる裏目読みが流行した時期があった。

ボクの場合は、外国には一生行かないと思うので、旅行気分と食べ物に意地汚いことが、映画の背景好みの理由のようだ。


 北村薫さんの『太宰治の辞書』に、興味津々である。

最初期の『空飛ぶ馬』の、やや素人っぽさを残した上品で、爽やかなストーリーテリングと、きれいな文章が好きだった。

紅茶に砂糖を7杯も8杯もいれるような、実際、そのような人物も知っているのだけれど、『砂糖合戦』の着想のセンスや装丁の高野文子さんの簡潔で、洗練された絵が好きだ。

物語も、文章も、装丁もみな、瀟洒だなぁと思う。

どうやら、作者の友人で、ボクも知っているS先輩への鎮魂歌でもあるようで、やりさしの仕事が終わったら、ぜひ読もうと思う。

そうだった。『空飛ぶ馬』の出版祝いは、S先輩が音頭をとって、うなぎ屋さんでお祝いをして、当時の銀座東武ホテルに流れた。

そっか。あれから、25年も流れたのか。


 太宰治の『女生徒』を題材にした中編は、今から、いろいろと憶測してしまう。

『女生徒』は、ヒロインの独白だけで書かれたもので、太宰にしては破綻もあるが、言葉がキラキラしていて、この世代特有の女の子の生理的な感覚がビビッドで、ドキッとする。

うら若い愛読者の日記が下敷きになっているのは、知っているが、やっぱ、太宰だ。

フム、朝の目覚めの冒頭からして好きだ。

そして、「キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る」。。。っていうくだりは、忘れられない。

夕靄はピンク色とか、百合の匂いの透明なニヒルという言葉には、みずみずしいポエムがある。


 そして、ボクの座右の銘は、

”幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――”である。

今もって、そう思っている。

ところで、ボクは今、熊本のどこにいるのかご存知ですか?


 前橋の秀才だった、亡くなられた世田谷在住のS先輩に合掌。↓は彼が好きだった詞である。



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# by nonoyamasadao | 2015-05-24 11:53 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

長電話

 会社勤めの1年目は、真夜中に、二宮に住む本屋の若旦那の友人と男の長電話をした。

辛辣な友人批判などもごく稀にはなったけれど、いつもは、ミステリや映画のこと、あとはごく日常的な由無しことあれこれ、要はしょーもない話をダラダラと続けた。不向きだった仕事の話は、いっさい、しなかった。

今、思い返すと、何一つとして思い出せない。

でも、どーでもよいことを話すうちに、その日のウサは、露と消えた。つきあってくれた、二宮のバカ旦那に感謝しなければならない。

 今の時代のtwitterは、サミダレ式では似ているけれど、ひとまとまりの話をうんうん、そっかそっかと聞いたり、あまりのバカバカしさにお互いにゲタゲタと笑いだしたり、同時に気恥ずかしくなったりするのは、あまりないだろう。

言いっぱなしやつぶやきは、しょせんは、独り言なのである。

 若くたって、人生をやっていると、まして多感なころは、『ショーシャンクの空に』の脱出後のように、無量の光を浴びた解放感やトキメキもあるけれど、今はもう経験できないどーしようもない心細さや収束しないさみしさもある。

 結局、嫌なことやなかなか去ってくれないさみしさは、時間がたって薄まるのだろう。

 若い時のボクは、そんな時間のやり過ごし方は、たぶん、本屋さんだった。

大きな本屋さんの幾重にも並んだ棚から棚へと立ち寄り、コーナーを曲がるときに、ごく稀に心がときめくときがあった。

あたかも、一瞬の恋のように、沈んだ気持ちに虹が輝く。

 あれって、なんだったのだろう。コーナーを曲がると、特別な本を発見するわけではない。

街を歩いていて、あの角を曲がると、突然、何かよいことがありそうな予感もあって、本屋さんのコーナーを曲がるのと、同じ感じだった。

 結局、何もないのだけれど、色っぽいような、ちょっとだけシアワセ気分になった。

 今ではもうありえないが、よいものだったなと思う。



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# by nonoyamasadao | 2015-05-15 20:25 | 雑文 | Comments(2)

センダン

 "どっきゅんトーク"なる言葉を聞く。
はて、なんだろ。しらない。
こういう時は、インターネット検索ということで、調べる。
“気になるカレとおしゃべりを楽しむっていうのはもちろんだけど、カレをどきどき、きゅんきゅんさせちゃう会話・・・”とある。

 バーカめ。
男子はドキドキはあっても、きゅんきゅんなどしないの。
もし、いたなら、そういう輩は、馬に蹴られて死んじまえ~である。
しかし、そのたとえは、もう死語だな。
いや、待て。
オレの恋路を邪魔する奴はあアア、オレに切られて死んじまえ。。。ってのが、『幽☆遊☆白書』にもあったゾ。
しかし、『幽☆遊☆白書』も、20才前後の若い人は誰も知らないだろう。

 そういえば、今や、ドキドキもない。あれば、心臓に異常があるときだろう。

 でもさ、ネット右翼には、ならなくて正解だけど、日本人なのだから、カレくらいは、漢字で書きましょうよ。
って、いいながら、バーカも、カタカナだった。

 明るい夕暮れの帰り道、センダンの高木に紫色の花が咲く。
ほぇ、きれいと、しばし見上げる。

 栴檀は双葉より芳し。。。。って、わっかるかなー、ワっからないだろうなァ~、イェーイ。

 よい子のみなさん、正しくは、栴檀は白檀ですからね。

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# by nonoyamasadao | 2015-05-14 16:11 | 雑文 | Comments(0)

ほろよいサマーワイン

 1964年の8月に、アメリカはトンキン湾決議をしてベトナム戦争に介入し,1965年に、当時の中華人民共和国は、天安門前広場の国慶節パレードを中止して、文化大革命前夜を迎えた。
そ~んなことには、ぜんぜん無関心だったけど、そのころからアメリカンポップスや音楽から、遠ざかって行った。これは、鬱屈したアメリカとは無関係ではないだろう。

 ‘60年代前半の中学校時代は、帰り道ですら、楽しかった。
「進路決めたー?」
「まだ、ゼンゼン。」
「台風はいいよね。進路決まってて」
まあ、スマホもないし、イケメンでなくても、それ程、気にしなくてよい時代だった。
そんなころに聴いた甘酸っぱくて、全てが初々しく、未熟で、思春期の真っ只中の曲だった。それがレモンのキッスだ。

♪恋をした 女の子 誰でもが好きなこと
♪目をとじて 静かに待つ 甘いレモンのキッスよ

 う~ん、夢見るように、’恋に恋してた季節’だ。
でも、どうして、レモンのキッスなのだろうとか、真剣に考えていた。
レモンは酸っぱいのに、どうして甘いのか。
ファーストキスはレモンの味と言われた時代だった。
今なら、ナンシー・シナトラつながりで、サマーワインのキッスというのだろうか。
いや、違う。”ほろよいサントリー”の、レモンジンジャーのキッスで、ほろ苦く、ほろ甘いとかいうのかもしれない。

 時代は下って、映画『恋しくて』を観てて、ビビってしまった。
映画では「キスの練習」シーンがある。
男の子と女の子の喧嘩友達同士が、キスしたことあんのかよ、ね~よ、おお、やってやるよ、とか言いながら、本番のキッスのリハーサルをするシーンだ。
本当は切ない、甘酸っぱい青春の一コマのシーンだが、ああ、女の子は、こ~んなことまで練習してるんだ。。。と思うと、敵を甘く見てたことに、つくづく思い至った。

 音楽から遠ざかって、GSブームになってから、また音楽を聴くようになった。
その間、読んでいたマンガのモニターをきっかけに、少女マンガの原作や作詞の真似事を始めるのは、さらに下って、20才ころからだ。

 ミュージックライフの出版社のシンコーミュージックでは、尊敬する漣健児センセイと安井かずみさんたちが、みナみカズみという名前を共有していたけれど、レモンのキッスだけは、安井かずみさんにしか書けない。
天才、漣健児センセイをして、あの詞は書けないと、『恋しくて』を観て、ボクは確信した。

 このころの音楽で、ボクの時間は今も、止まっている。

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# by nonoyamasadao | 2015-05-11 17:51 | 雑文 | Comments(0)

フロントページ

 1975年5月のゴールデンウィークは、今でも覚えている。
明るい陽光が差し込む喫茶店で待ち合わせして、『フロント・ページ』を見に行く。たしか、みゆき座だったと思う。
当時、映画を見るのは色気抜きの親友と、異性では、画板を持った絵描きの恩人しかいない。画板からは、クレヨンの匂いがしたり、絵の具の匂いがした。
絵描きの恩人は、ただ憧れるだけの異性で、まったく手の届かないところの人だった。

 その頃のボクはまだ、ストイックで、飲んだら観るな、観るなら飲むなの時代だった。
異性とは、酒は何度も飲んだけれど、映画を見に行くことはなかった。
真っ白いスクリーンと対峙するような気分で映画を見た。
今は明るい茶の間で、ゆるゆると映画を観てる。堕落したものだが、それも悪くはないと最近、思っている。
要は、結構、映画に命をかけていたんだなと、今にしてしみじみ、そう思う。
 『フロント・ページ』はリメイクのリメイクで、その後も『スイッチング・チャンネル』で、再度、リメイクされた。
ジャック・レモンとウォルター・マッソーの掛け合いがあうんの呼吸で、なんともおかしい。ビリーワイルダー先生のドタバタ演出もさすがに洗練されてて、ゲラゲラ笑い、堪能した。
フロントページとは、新聞の第一面のことで、やっぱ、新聞記者になりたかったな。

 外に出て、6月には『イルカの日』を観ようとか話したのを覚えている。
大学時代の1年下の友人がボクらを見つけ、近寄ってくる。
な~んのことはない、彼もガールフレンドと次の回を見に来たのだった。
みな、顔見知りで、ボクより1学年下で1才年上の親友(2浪)と彼は同期だった。みんな大学のサークル仲間で、彼女だけが卒業したてだった。
彼は、山口百恵さんの『潮騒』を観ようか、これにしようかで迷ったみたいだ。

 立ち話して別れると、親友は自分も含め、我々男どもは、ちっとも成長していないという。
この年代では、社会人1年目となる女性は、学生時代とがらりと変わって、大人びた女性になっていた。
男二人じゃ、ニューヨーカーのようにはならないが、本屋の新刊をのぞいたり、銀座を散歩して、休日のパブで、明るいころから飲む。

 この年の2年後の彼女の誕生日に、カップルは結婚した。
男どもは成長しないと嘆いた我々は、その後、十数年以上、何ら身辺変化はなかった。
そして、暇を見つけては、おいしい刺身が食えて、温泉があって、美人女将の名館で酒を飲み、くつろぐ。
親友は、50才少し前になり、突然、炎のごとく、電撃的結婚をする。

 ボクはといえば、な~んの変化もなく、相変わらず、美味い刺身と温泉と酒をこよなく愛す。

 ここまできたら、もうどうしようもないなぁ。

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# by nonoyamasadao | 2015-05-09 15:27 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(2)

連休の散歩道

 老母が八百屋さんにいったついでに、鉢植えカーネーションを買ってくる。
クレアか、カミーユピンクという品種のプレゼント用の十分の一くらいの価格である。
自分用に買ってきたみたい。
こーゆー時は、 つくづく親不孝なジジィになった息子だなと、我ながら、さみしくなる。
まあ、普段しない母の日のプレゼントなどして、老母の寿命でも縮めたら大変だと居直ってみる。

 仕事部屋の帰りに、赤っぽい新芽を残しつつ緑色に変化したケヤキ並木を歩く。
信号を曲がって、小学校前の歩道を行くと、前に、おばさんの二人ずれが、おそろしいほど,のんびりと歩く。
ボクも書類を詰め込んだ重いショルダーバックを掛けているから、まっ、いっか。
帰途を急ぐわけでもないので、こちらもチンタラ歩く。

 あれま、おばさんたちは立ち止まる。
ショッピングセンターの裏手の現在、建設中のマンションのはるか上の空を見上げてる。
ピ-チュク、ピーチク、間断なく、鳴く鳥の声がする。
おばさんたちは、ひばりが見えないとかいっているので、ああ、あれが、ヒバリなのかと初めて知る。いや、勉強になった。
いつも聞く鳥なら、東京ならカアカアカアと鳴くカラスが、この地では、クアクアクアと聞こえる。方言だろうか?
まあ、川が流れるように、空き地にも草が生い茂り、枯れていくのを、この道を行き帰りするたびに繰り返すと、ぼんやりと思っていた。それが荒らされれば、鳥だって、驚くよな。
都会のリーマンをしていたころは、行き帰りは無表情で無関心で、疲れ切って電車に揺らていた。

 大好きな川上弘美さんの小説を読んでいたら、イイ男でもなく、背も高くなく、お金も持たず、面白い話もしない、そんな男性でもモテルことがあるという。
女性の話をよく聞く男性は、すごくモテルという。
嘘だあ。
リーマン時代は、酒を飲むと、いつだって、女性の話ばかりを聞いてきた。
だが、非モテ道一直線には、いささかの変化もなかったゾ。

 だが、最後に納得した。一番、重要な条件が末尾に書いてあった。
いつも機嫌のよい男でなければならない。
そっかあ。
いつだって、意識の水面下では鬱屈していた。いや、すっかり忘れてた。

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# by nonoyamasadao | 2015-05-05 13:03 | 雑文 | Comments(0)

ドツボにはまる

 主婦のけものみちである”買いもの道“(川上弘美さん説)を歩きながら、バート・バカラックを口ずさんでいた。
♪raindrops are falling on my head
『明日に向かって撃て』の主題歌である。
すぐに、英語の歌詞に行き詰り、でたらめに歌うが、情けなくなってやめる。

 いっとき、バカラック・ブームがあった。
明るく、からっとしたボサノバ調のアレンジで、トランペットや複雑なリズムが絶妙だった。
お洒落で、ゴージャスな気分になった。
けれど、すぐ飽きた。

クロード・ルルーシュ監督の『男と女』も、流麗な映像と音楽の配合に陶然となり、これぞ稀代の映像詩人が現れた。。。と思ったものだ。
けれど、数作で、もういいやってなった。
ポエムを意識したカメラワーク、車、食事、子供、老人、音楽の組み合わせで構成されただけで、お話自体は軽薄で、内容がないのに気づいたからだ。

 バカラック的イージーリスニングは、くつろいで楽しめる。。。ということなのだろう。けれど,万人に愛される狙いは、毒にも薬にもならないものになる。
 ただ、I’ll Never Fall in Love Again(恋よさよなら)は、好きだ。
ニールサイモンの舞台が好きなせいもあるけれど、ハル・ディヴィットの作詞がいいなって思ったからだ、

♪I’ll Never Fall in Love Again、まあ、二度と恋なんかしない。。。という失恋ソングである。
恋をすると、碌なことがないと、えんえんと語った後にー
So far at least until tomorrow
I’ll Never Fall in Love Again
もう、ずっと、すくなくとも明日まで、二度と恋などしない
な~んだ、明日かよって、笑ってしまった。

 子供のころ、肥溜めに落ちる夢を見た。今なら、ドツボ(ところにより野つぼ)である。
I’ll Never Fall into ドツボだ。
夢でも,もがけばもがくほど沈んでいき、ああ、たまらん、死ぬ~。ぶくぶくぶくぅぅ…。

 まあね、恋は育むもじゃない。落ちるとか、ドツボにはまる。。。は、当たってるかもしれない。
ドツボにはまった人のその後の人生は、きっと、素晴らしかったに違いない。

 何故って?幸運だったからさ。

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# by nonoyamasadao | 2015-05-03 12:21 | 雑文 | Comments(0)

人生は五十七から

 いっとき、小林信彦さんの『人生は五十一から』といコラムを読んでいた。
人間は五十を過ぎて、いろいろなしがらみなど知って、世の中が別に見えてくるということなのだろうか。
よく見えてくるというのは、若い時の感性がより確かだから、年寄りの弁解のようにも聞こえる。
だから、別に見えるにしておこう。
まあね、人生は不条理なものだと思う。筋書きのないドラマだ。
けれど、そう捨てたもんじゃない。
腹も立つけれど、まっ、いっか、とすぐに忘れる。すべからく、淡泊になった気がする。
昔は、毎日が、楽しくて、楽しくて、しょうがなかった時もあった。
ああ、思い出してしまった。
子供のころに習った童謡?かしらん。
♪あの町 この町 日がくれる。。。って、ありましたよね。
あの町にも、この町にも日暮れは訪れ、やがて真っ暗になるけれど、シアワセなことだけ思い出して、やな記憶はどんどん、希薄になっていくことだけは確かだ。つまり、年くっただ。

 ボクの場合は、老いと大人になるのが、連動している気がする。
しかも、ボクにとって、人生は五十七からなのだ。
酒は3日1度になり、禁煙をはじめ、1日2食にして、再び、映画に戻ってきた。

 ボクにとって、エポックメーキングな出来事は、ブロッコリーが好きになったことだ。
ブロッコリーは木だから、嫌い。。。と発言したのは、志田未来さんだった。
そのころは、う~ん、同感、同感、太田道灌な~んて思ったもんだ。
ブロッコリーは木ではなく、蕾の状態の花序と茎だそうだ。
言ってみりゃ、アジサイの花と茎を食べてるようなもんでしょ。
違うか?
サラダとか、ペペロンチーノとかは邪道だ。
ゆでたての青々としたブロッコリーをモグモグといただく。
一瞬、ワタクシはハムスターかと思うけど、高原の香りがたまらん。
いや、思えば、大人になったもんだ。。。と、自画自賛しながら食す。

 もう一つ、大人になったなぁと思うのは、レタスの味に開眼したことだ。
愚かにも、レタスは味がなくて、食感だけだと思っていた。
これは、食感ではなく、みずみずしさが楽しい。
いや~、大人になったもんだ。

 なんだか、江國香織さんのエッセイ『やわらかなレタス』が読みたくなった。

 ↓穴沢ジョージさんのブログを真似して。

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# by nonoyamasadao | 2015-04-24 15:26 | 雑文 | Comments(0)

SWEET MEMORIESだったころ

 松田聖子さんのB面に、『SWEET MEMORIES』という傑作がある。
ペンギンが歌を歌って、泣かせる味じゃというナレーションで終わる”生”の缶ビールのCMがあった。
まあ、実際に生なのでしょうが、ボクのようなビールの素人は、缶ビール、瓶ビール、生ビールは別だと思っていた。缶ビ-ルは缶くさいと思うと、まことに味気ない。

 『SWEET MEMORIES』は、途中で、英語に変わるので、今もって、カラオケでは歌ったことはない。
30代の前半といえば、立派なオヂサンなのだけど、当時は自覚がなく、『ガラスの林檎』とか堂々と歌っていた。今、思い出すと、駆け出したいほど、恥ずかしい衝動に駆られる。

 そのころは、ビールは前座で、グィっとひと飲みしたらすぐ飽きて、日本酒に旬の刺身に移った。まあ、早く、酔ってしまいたかったのかもしれない。
どちらのお酒の味もわかってなかった。

 『SWEET MEMORIES』が流行りだした頃は、千歳船橋から銀座や新橋に出て、銀座の三笠会館そばの豊後料理か、ニュー新橋ビル地下の金沢料理で、ビールを前座に日本酒を3本くらい飲んだ。
二件目のサントリーバーで、サン・ミゲルやツボルグのコクがあるような、フルーティなようなビールを味わって飲んだつもりだ。
ボクの味覚だから、あてにならない。

 サンドイッチは芝生に似合い、おにぎりはベンチが似合うと書いたのは、東海林さだおさんだった。
フム、フム、なるほど、さもありなん。
川上弘美さんのエッセイで、20代前半の女の子が公園の芝生に座って缶ビールを飲んでいると、初老のオヂサンにビールをたかられ、一緒にビールを飲み、タバコをふかすという話があった。
う~ん、今の季節に、ハナミズキでも眺め、芝生の上で、1人でも缶ビールをグィと飲み、青空に向かって、タバコをふかしてみたいなって思う。
けれど、いや、それはならぬ。
きっと、また、タバコ中毒に戻ってしまうに違いない。

 今、思い出すのは、5月ころの四万十川の水辺で、缶ビールを飲んだことだ。
対岸で子供たちは水浴びをして、ボクは缶ビールを飲む。
ときおり、背後の道路を車が走っていく。
川は静かに流れ、かなりの数のトンボが河原を舞う。
河原に大の字になって、缶ビールを飲み、鬱屈の日々をうっすら思い描く。

あれは、ボクのささやかなセイシュンであったなあ。

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# by nonoyamasadao | 2015-04-21 11:02 | 雑文 | Comments(2)

フルーツ牛乳

 昔々、住宅には鳥の巣箱のような牛乳受けの箱があって、フルーツ牛乳とか、牛乳屋さんが瓶で配達してくれた。
子供のころ、一日牛乳4本の人工栄養で育ったせいか、ボクは牛乳が苦手になって、フルーツ牛乳も飲めないが、子供の頃は、色彩にものすごく敏感だった。
瓶のフタの絵の色が匂いや味覚まで連想させ、あっ、おいしそうとか。。。感動したものだった。
今でも、時々、たとえば、twitterの絵文字の色に、ふと遠い昔を思い出し、ああ、年食っちゃったなぁと悲しくなる。

 高橋克典さんのDVD『恋愛ドラマをもう一度』を見る。
失礼ながら、元来、額の狭い、この種の二枚目俳優は、どちらかというと、苦手だった。
けれど、『傷だらけのラブソング』とか、落魄したヒーローを演じると、う~ん、力量のある俳優さんなんだなと思う。
『バツ彼』なども、ダメ優男ぶりが、似合っていた。

 『恋愛ドラマをもう一度』は、『最後から2番目の恋』の、プロデューサー(小泉今日子)とライター(内田有紀)の関係に的を絞り、男女関係に置き換えたインサイドストーリーで、都会派恋愛ドラマであった。
昔なら、ソフィスティケーション・コメディーなどといった。
最近の岡田惠和さんには、ニール・サイモンの味わいが出てきた。
男と女の人情の機微に、せつなさもあるが、暖かい余韻の残る台詞回しが、素敵だ。
『ホームドラマ!』なども意識していたのでしょうが、眼高手低だったような気がする。

 ふと、思ったのだが、『恋愛ドラマをもう一度』は栗原美和子プロデューサーだったので、
堤真一さんが演じていたら、どうなったのかなあと思った。
昔の彼なら、得意だったはずだ。
この手の都会派ロマンティックコメディーを見るたびに、ジャック・レモンを思い出す。
『アパートの鍵貸します』の、あのさみしそうな微笑みが蘇ってくる。
昔昔、松木ひろしさんの脚本で石立鉄男さんや、同じ、松木脚本で西田敏行さんがそれらしく演じた。
けれど、あの手の哀感を漂わせる俳優さんは、日本には、ちょっと出そうにない。

 『ザ・プレイヤー』のパーティシーンで、ピアノを弾いていたジャック・レモンさんが、ふと頭をよぎった。


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# by nonoyamasadao | 2015-04-11 16:08 | 雑文 | Comments(2)

チェリーブロッサム

 昨日の朝、ゴミ出しに行くと、小雨の中、ゴミ置き場にさくらが風花のように舞い、降る。
ドラマ『ドラゴン桜』のような高校の校庭の一株のサクラの花屑が敷きつめてた。
ちょっと、待てぃ。
風花というのは、雪のことでそ。
さくらの風花だって、、、。
はぁ?、バーカ・バーカ・ヴォーカ。。。と言わないでください。
あはれ花びらながれ・・・本当に、風花のような感じだった。


 小雨が雨に変わるころ、県立劇場では、入学式をしている。
親御さんは大変だなぁ。
まっ、大学の入学式に親が行くなんて~ってのは、はるか昔のことになった。

 遠い昔、多磨霊園の裏門にいたころ、徹夜明けの白い朝日がさす時間に、山桜を見た。
白い朝日の中、淡く白い山桜は空に溶けて、消えていった。
真夜中、闇に浮かぶ満開の桜の下にいたこともある。
五月近い日曜日の昼下がりに、里ザクラやボタン桜の咲く通りにいたこともあった。
まだ、十代から二十代のころで、鬱屈はしていたけれど、まだ若いころだった。

 今は鬱屈はしていないけれど、だいぶ、たそがれてきたので、新たな経験をしてみようと思う。
今年は、みかん色の夕陽に染まる桜を見ようかな。

 雨の中、車の屋根に、雪のように桜を乗せた車が、通り過ぎていく。
ああ、誰もいない夜のお城の石垣のところで、桜の花びらをすくい集めて、桜のつぶてを作って、好きな女の子と投げっこしたかったなあ。

 夢のようなことを考えていたら、住宅の桜が風にしなって揺れた。

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# by nonoyamasadao | 2015-04-04 10:19 | 雑文 | Comments(10)

損したキブン

 インターネットは便利だと、あらためて思う。
実は、この地に来る21年前に住んでいた、当時は新興分譲地だった名前を検索をしてみた。
「パークシティ守谷」という。
 あったぁ!!。
地図があって、拡大すると、道の曲がり具合や建物の真上から見た形状で、昔の我が家は、簡単に特定できた。
 その建物を、でたらめにクリックすると、あ~ら不思議、21年ぶりの我が家の玄関前が、あたかもホームページのように立ち上がったではないか。

 家の玄関前の目隠しのカイズカイブキの後ろに、おめでたいことがあるといいなぁとおもって植えたユズリハが、もう、二階の高さになって、葉を茂らせていた。
 なによりも驚いたのは、隣のさかいに植えたクスが、圧倒的な巨木になって、やっぱ、クスは住宅には植えてはいけないなあ、と痛感する。
見知らぬ隣人の方、スマヌと心の中で謝る。
 でも、21年ぶりの我が家とのご対面は、そりゃあ、うれしいものでした。
「パークシティ守谷」万歳三唱する。

 建物の裏の竹林もそのままで、日曜日の11時ころ、朝風呂に入っていると、ウグイスが、ケキョケキョケキョ、ホーホケキョと鳴いたことを思い出した。
白い雲の流れは速くて、あの時は、シアワセだった。

 「フリーター、家を買う。」はドラマしかみていないけれど、すこし似ていたかもしれない。
その頃、夢もなく、貯金は赤で、かいしょうなしだった。
そっか、お金もなく、自信もない、しがないサラリーマンだったけれど、無理して買ったのだった。
なにもかもが必死だった。あれも、過ぎし日の青春だった。

 用事があって、仕事部屋に出掛ける。
ああ、梅はリアルタイムで観賞したけど、今年はまったく白モクレンやコブシを楽しまなかった。
ボクは、花が開きかける早春という季節が、1年で一番、好きだ。
たぶん、進級や進学の少年時代の不安と期待が入り混じった、不安定に揺れた昔の気持ちが蘇ってくるからだと思う。
通り抜けの大学には、しだれ系の山桜の老樹に、かすかにピンクの混じった白い花が、あわあわと咲く。

 春のはじめの、人生を楽しむいつもの儀式ができなくて、今年は損してしまったなぁ。
でもね、そんなことを考えるのも、優雅な時間かもしれないとなぐさめてみる。

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# by nonoyamasadao | 2015-03-22 11:00 | 雑文 | Comments(8)

トワイライト

  送別会の季節である。
毎年、この季節になると、そろそろ、送られる側の謝辞を考えないといけないなあ。。。。と思う。
本当は、行き当たりばったりの人生なので、最後の儀式だって、行き当たりばったりでいいのではないかと思ったりもする。
まあ、今現在では、まだ先の話だ。

 マヨネーズが大っ嫌いである。
仕方なく、サンドイッチでは美味しくいただくので、根っからの大嫌いとは違うようだ。
マヨネーズは百パーセント、体に良いなどと言われる。
まず、こういう完璧な優等生には、幼児のころから抵抗感を抱いてきた。不自然ではないか。
真っ白いごはんにマヨネーズをかけるような無粋な輩とは、友人になりたくないと、心底思う。
欧米のどこかの国へ飛んで行ってしまえ~とか、不謹慎にも思う。

 そういえば、伊丹十三監督の作品がどうにも苦手で、どうして?と問われたときに、マヨネーズの匂いがするから・・・と答えた記憶がある。

 まっ、マヨネーズ嫌いを、ボキャ貧のボクでは、論理的には説明できない。
ただ、今現時点で、明日に食べたい献立は、解凍したごはんでよいから、納豆と、茄子か、あっ、今、突然思い付いたのだが、ニラの味噌汁、固ゆで卵などで食したい。
やっぱ、サンマの味であり、お茶漬けの味が好きだ。
だからと言って、反戦の保守ではあっても、断じて、ライトではない。

 送別会の夜は、いつだって、少し酔ってはいるのだが、所在なく過ぎてゆく。
退屈なら、近い将来の行方など、考えてもよいのだろう。
また、先行きのことを考えると、まったく見通しが甘いんだから。。。と叱られるに違いない。
けれど、何も分かってないというのも、無計画、鉄砲玉男のボクには、似合った人生かもしれないなとも思う。

 今日の収穫は、初めてデートした映画のタイトルを、何の前触れもなく、突然、思い出したことだ。
しかし、ここで書くことは、ノスタルジーとか、後ろ向きのことだけだ。。。と、あらためて再確認する。
仕方ねーな。

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# by nonoyamasadao | 2015-03-11 23:07 | 雑文 | Comments(2)

春朧

  朝、コッペパン(ジャム&マーガリン)をガブリと齧る
う~ん、これは、昔の給食のコッペパンとは違う。
こんなにフカフカしてない。
もっとパサパサしてて、固く、重かった。
マーガリンは四角い銀紙に包まれ、それをはがして、食したのだ。

 魚肉ソーセージが挟まったコッペパンもあったような気がする。
きな粉や砂糖をまぶした揚げコッペパンは、みんな、好きだった。

 最近のメロンパンは、やっぱ邪道だと思う。
クリームが中身に入っていたり、メロン果汁入りだったり、高級すぎる。
厚地のメロンの皮で、粉末のメロンソーダのような味で、安っぽくて、下品な味が好きだった。

 そういえば、メロンパン体内すこし朧なり。。。という句があったよなあ。
母体回帰願望とかいうけれど、なんか春朧な感じと、昔のメロンパンを思い出す。

 人は三度、恋をするというドラマがあったけれど、チャンスは3度ある。。。。という柴田錬三郎先生の厚い通俗小説を読んだのも、コッペやメロンパンの時代の少し、後だった。
これも、安手の軽さが好きだったが、今の小説と比べれば、堂々たるものかもしれない。

 今や、完全なたそがれ族とか立ち枯れ族なんでしょうが、これだとお先真っ暗でいやだ。
せめて、最後の残照の余韻の残る“夕暮れまで族”くらいで、いたい。
あ、そういえば夕ぐれ族という、とんでもないのも、あったなあ。

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# by nonoyamasadao | 2015-03-01 16:51 | 雑文 | Comments(9)

わたしのぼうし

  朝起きる。
目がチカチカする。
かくれんぼして、押し入れに隠れていたら、ふすまが開けられ、あっ、まぶしい。。。と朝の目覚めを表現したのは、太宰治だったと思う。
それだ。

 このところ、さぶいばい。
昔、正ちゃん帽、今はニット帽というらしいが、これが離せない。
室内でも、被っている。
ニットにつば付きなのもあるけれど、こちらは、さすがに鬱陶しい。
元来、10年くらい前に買ったハンチングを愛用していたが、今、帽子屋さんにあるハンチングは、映画『ボルサリーノ』で、ジャン=ポール・ベルモンドが被っていたようなたっぷりしたサイズである。
かなり前から、流行していたのかもしれないが、ツバが長く、たっぷりふくらんだハンチングは、どうもしっくりこない。ユルユルな感じだ。
大体、狩りの帽子だから、頭の形にぴったり合って、ずれにくいのが正統派でしょ。
イカンなあ。オヂサンは、年々、頑固になっていく。

 佐野洋子さんの絵本に、『わたしのぼうし』というのがあって、印象に残っている。
家族で汽車に乗って、おばさんの家に行く途中で、赤い花のついた、かなりくたびれた「わたし」の帽子が、窓から風に飛ばされてしまう話だった。

 絵本は、新しい帽子に蝶がとまるところで終わったのだと思う。
気になってしょうがなかったのは、風に飛ばされ、遠くに列車が走っている草むらにぽつねんと置かれたままの昔の帽子の行方だ。
ストーハ、ストーハ。
母さん、わたしのあの帽子どうしたんでしょうね。

 ニット帽もハンチングも、メガネとおなじで、もう体の一部になったようだ。

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# by nonoyamasadao | 2015-02-15 14:17 | 雑文 | Comments(2)

もう一度

  難問的雑用が終わり、久しぶりに仕事部屋に出かける。
いつも通り抜けする大学はもう春休みなのか、ひっそりとしている。
ユーミンの最後の春休みの歌詞ではないが、感傷的な風景が広がっているように思えて、♪長い廊下を歩いていたら、泣きたくなった。。。という気分は、フム、よ~くわかる。

 裏口から入って、左側に紅梅が数輪咲いている。
誰もいないので、近づいて、匂いをかぐ。奥床しいけれど、ほんのりお酒のような匂いがする。
イカンなあ。昨日、飲まなかったせいか。
小さな紅梅の花は、繊細で、練りきりのようである。
いつか、月夜に、この紅梅を見たことがある。
最初は朧で、だんだん近づくと何とも、艶やで愛らしく、セクシーな気分になった。

 昨日は、ロブ・ライナー監督の『最高の人生のはじめ方』を観た。
モーガン・フリーマンは、交通事故の障害を持つアル中の書けなくなった作家で、避暑地の湖畔の別荘のキャビンで、一夏を過ごす。
で、お隣には離婚した、3人の子持ちの中年女性の”サイドウェイ“で素敵だったヴァージニア・マドセンが住んでいる。
な~んか、ボクの理想の老後に似ている。まあ、アル中は困るけれど。
物語展開はステレオタイプだが、冒頭には、ビーチボーイズの“Don’t Worry Baby”が流れ、月夜の晩には、ボクでも知ってるベートーヴェンの”ピアノ・ソナタ 第8番 悲愴 第2楽章“が、お隣さんのピアノから流れる。老いらくの恋なんでしょうが、ほのめかす程度でよかったのではないか。
筏を組んで、湖の向こうの美しい小さな無人島に行くシークエンスでは、“スタンド バイ ミー”のテイストを思い出した。いくつか、ご都合主義はあるけれど、それは許そう。
モーガン・フリーマンが言う。“一つのドアが閉じると、もう一つのドアが開く”。
う~ん、それには希望がある。な~んか、ヘレン・ケラーのようだ。

 このところ、寝しなに“バツ彼”を見てる。いっとき、寝しなにケラリーノ・サンドロヴィッチの“カメレオン・リップ”を見ていたけれど、“バツ彼”は、吉祥寺の南口の丸井の先のいせやの石段の坂や、井の頭公園の雑木林や、池の丸太の柵が、とっても懐かしい。
登場人物の男性陣がみんな、恋愛の負け組ってのも、なんともねえ、同輩だから身に染みてわかる。

 まっ、恋愛はともかく、70までは、思いっきり、ハードに生きてみるさ。
時々、ズル休みしたり、とことん飲んだりしてね。

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# by nonoyamasadao | 2015-02-03 13:56 | 雑文 | Comments(6)

枯草の匂い

  はるか年少の友人が、仕事部屋に遊びに来る。
フム、最近は誰も寄り付かないから、稀有なことではある。
友人は、あちこち遠慮なく眺め、図書館の地下室のような匂いがするとポツリという。

 そーなんだ。
加齢臭がするとか言われなくて、よかった。

 昔は、雨上りの匂いが好きだった。夏の夕暮れの懐かしい感じに、ちょっぴり切ない香りが混じっていた。
 リーマン時代は、この季節はコートに枯草の匂いがした。枯葉の街を歩いて染みついたのかもしれない。誰かが、枯葉の匂いは猫の匂いと同じだとか言っていた気がする。
真相は定かでない。

 桜の季節になると、背広には、春の陽だまりのような匂いがした。
ああ、お風呂上がりの匂いも、好きだったなぁ。

 年をとると、すべからく鈍感になるけれど、匂いというのは、瞬時に、遠い昔の記憶に連れてってくれる。

 武蔵小金井の自宅の応接間は、タバコの匂いだった。
父とボクの2代に亘った匂いだ。
そのころは、鬱屈していて、休日は応接間にこもって、ウィスキーを飲みながら、レコードばかりを聴いていたのが不意に蘇ってきた。

 そんなこともあったな。

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# by nonoyamasadao | 2015-01-23 16:11 | 雑文 | Comments(4)

老後の楽しみ

 ’80年代の映画『恋人たちの予感』で、ビリー・クリスタルが演じる主人公はまず本の結末から読むという。
いつ死ぬかわからないから、先ずは、結末を知っておかねばならない。。。がその理由だった。
ロマンティック・コメディだから、ペシミスティックというほど深刻ではなく、まあ、素直じゃない男のセリフだった。

 定年退職になったら、藤沢周平と池波正太郎を読破しようと予定している。
まあね、老後の楽しみですね。

 老後の楽しみと言えば、一般的には、庭いじり、食道楽、孫を猫かわいがり、猫を膝に縁側でひなたぼっことか、いくつか浮かぶ。
庭いじりは、家なし、マンション暮らしだから、無理だ。
食道楽は今も、それなりにしてる。
妻なし、子なしだから、孫には、無縁だ。

 もう還暦を過ぎて、半ばにさしかかったのだから、ドラマは解禁にしようと『鬼平犯科帳』のDVDを見る。
二代目中村吉右衛門は今も大ファンだが、このころから、渋かったのだなあ。
格好いいし、男の色気がある。

 いきなり場面は変わって、多岐川裕美さんが、しずしずと、お酒の肴を運んでくる。
うっ、好きだなあ。色っぽい。
うめーなぁ、この川エビは。赤身の色のよさ、ほんのりとした塩加減ときた。
ああ、こりゃ、ビールでも飲まねば、とてもじゃないが、おさまらない。
あ、大川の白魚、あいなめの煮つけときた。
あ、また飲んじゃお。
鯨骨(かぶらぼね)の吸物だと!!だったら、ビールでなくて、日本酒を飲んじゃお。
う~ん、わけぎときくらげの和えものか。

 今のテレビドラマからすれば、豪華キャストで、圧倒的によくできたドラマだ。
しかし、食べ物に意地汚いワタクシにとって、要注意な番組でもあるな。

 気をつけましょう。


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# by nonoyamasadao | 2015-01-03 15:57 | 雑文 | Comments(0)

元旦のスーパー

  還暦まじかの頃、アラサー、アラフォー、アラフィフと来れば、だったら、今現在はアラシ―で、”嵐”みたいで格好いいではないか。。。とブログで呟いた。
すかさず、”横レスすまそ”のご挨拶もなく、’あら、残念ね~、それってアラ還というのー’という 血も涙もないお言葉を頂く。
そっか。と平静を装うが、内心の動揺はかくせない。
♪突然の嵐みたいに、音を立ててくずれてく。。。と、ワタクシはピアノ状態になった。

 そんなことを思い出したのは、紅白のトリが嵐だったからだ。
ま、白組はゼンゼン興味なく、大トリの松田聖子さんは、しっかり見た。
やっぱ、めっきり女性化して中性的になりつつあるが、エロ親父はなおらない。

 松田聖子さんは、昔は大っ嫌いだったのだが、今は、そうでもない。
大嫌いは大好きに通じる。
これ、人間普遍の真理なり。
たとえば、肥だめの液体で作ったとしか思えないクサヤが、ある日突然、カ・イ・カ・ンになるのに似る。

 大つごもりのカウントダウンは、あれ程『ゆく年来る年』を見ようと誓ったにもかかわらず、今年もまた、CDTV年越しライブで、EHILEやSMAPの新曲など聴いてしまう。
こうなると、例年のごとく、さだまさしさんの、ゆるゆるトークを聴いて、寝る。

 明けて、初詣に近所の神社に行く。
2礼2拍手1礼が、この年になって、はじめて、落ち着いてうまくできた。
どんど焼き用の集積所にお守りなど捨て、元旦からスーパーに行く。
あれま、意外に、人が多い。

 ネギマ用、つみれ鍋用食材など買い、陽は差しているのに、冷たい風の中、帰る。
ユキヤナギの花のような、風花が風に流され、斜め横に降って来た。
元旦の雪か。

 寒いの苦手だけど、今宵は雪見酒もよいなあ。
かくして、今年も、ゆるゆると始まりました。


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# by nonoyamasadao | 2015-01-01 15:14 | 雑文 | Comments(0)

殊勝な気持ち

  朝、年内最後のゴミ出しに行く。
ワッ!!、集積所は、ゴミ袋こそ整然と置かれているが、遠い昔の夢の島状態になってる。

 紅茶を飲み、最後の仕事をチャっチャっとやって、大掃除のまねごとをする。
本や紙屑の山(一応、書類のつもり)をリビングから、いっとき、別の部屋に移動するだけだから、簡単なことだ。

 テレビの無人島を開拓する『DASH島』をチラ見するが、すぐ退屈になる。
谷川史子さんの『風の道』を読み、『時をかける少女』の原田知世さんを思い浮かべる。
撫子柄の浴衣って、よいなあ。
あ、あぶないオヂサンになりそうで、やばい。

 ついで、大島弓子さんの『あまのかぐやま』も、パラパラと読む。
登場人物の夏野織子とか霊林院吹子という名前が新鮮で、な~んとなく、新古今なキブンになる。

 朱の地に金色の『未』と大書された、かなり趣味のよくない年賀状をすこし書く。
近くのポストに投函する。
もうすぐ、今年にさよならなのだなあ、人生ってせつないなぁ。。。って大げさに考えながら、トボトボ帰る。

 明日はたくさん飲んで、何十年ぶりくらいに、紅白を見ようかなと思う。
そして年越し蕎麦を食べ、除夜の鐘を聞こう。
たまには、殊勝な気持ちになって、厳かに、粛々と元旦にのぞむのだ。

 でも、たぶん、100パーセント、そうならないでしょう。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-30 16:47 | 雑文 | Comments(6)

優雅な退屈

 年末だというのに、残務整理で英語の辞書のページを繰る。
そういえば、江國香織さんだったと思うけれど、忙しいのは悪いことではないが、忙しがるのは、恥ずかしいことだと書いていたっけ。
そっか。
去年も、そうだった。

 大掃除に貢献しなくっちゃあと、勇んで、風呂掃除をする。
それなりに体力を消耗すると、なんだか、ストレス解消になったような気がする。

 東京で、しがないサラリーマンをしてた頃は、年末の今ころも飲んていだ。
大つごもりでも飲んだし、元旦から飲んだことも、ままある。
職場の同僚や大学時代の友人たちとしょうもないことをダベって、飲んだ。

 話ははずんで、楽しく酔って、いつの間にか、2時間が過ぎ、3時間たってた。。。な~んて日常茶飯事だった。
ごく自然に盛り上がり、酒もすすんだけれど、内容のある話などしたことは、ただの一度もなかった。

 ただ、食べ物に意地汚ないのは、今と、変わらない。
酒の初心者の頃は、お刺身と揚げだし豆腐やカレイの空揚げから始まった。
やがて、まぐろ納豆梅肉和え、ゴリの空揚げ、納豆の軽石揚げなどに進化していった。
正しくは進化ではなく、場数を踏んで、レパートリーが広がった。

 その頃は、今の仕事をするとは、夢にも思わなかった。
今の仕事は、どちらかというと孤独な作業だから、仲間と飲む機会は、ほとんどなくなった。
だから、すこし前までは、自宅にて、早い時間から、ダラダラと飲んだ。
それは、学生時代の寮飲みに似ていたかもしれない。
若い時は、誰もみな、これから先、どうなってしまうのだろう。。。というような心細さや内面の揺れを抱えつつ、それをあまり語らずに飲んだ。

 トーマス・ハーディの傑作『はるか群衆を離れて』(Far from the Madding Crowd )は、物語展開は別物だけれど、タイトルは、今の仕事になって、遥か東京を離れて、宅飲みする、そのころのボクの心境にぴったりだった。
俗世間を離れてという日本語訳ではなく、都会の喧騒から遠ざかってしまった。。。という感じだった。
『続・最後から二番目の恋』で、名古屋へ左遷を命じられた森口博子さんが、東京から近いというより、東京に住んでるのが大事だ、というようなセリフがあった。
南の地に来た頃は、そ~んなキブンだったのかもしれない。

 たぶん、企業という組織から離れたボクは、一人だけの宅飲みをしながら、酔った頭で、組織で協働するのって悪くないよね。。。って感じていたのだと思う。
組織の中に仲間がいて、その中に、ワタクシもいる。
なんだか、郷ひろみの、♪あなたがいたから ぼくがいた。。。みたいなことになってしまった。

 やっぱ、酒を飲む時は、おバカな会話をしつつ、優雅な退屈に憩うのがサイコーの贅沢である。大切なことって、それを失って、しかもだいぶ経ってから気がつく。

 あっ、年賀状を書かなくっちゃ。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-28 18:19 | 雑文 | Comments(0)

ほうれん草ソバ

『恋愛ニート』を観ていたら、仲間由紀恵さんと佐々木蔵之介が、立ち食いそば屋さんで、ほうれん草ソバを美味そうに食べてた。
そうなんだよね。昔、ハマってよく食した。
ネギと唐辛子だけ入れたほうれん草ソバは、たしかにおいしい。
卵とか余計なものは一切入れない野趣豊かな、ほうれん草ソバは、緑っぽいキブンになる。

 いつか試そうと思って、未だ果たせないのは、ほうれん草をフード・プロセッサーで細かくして、ジュースで飲むことだ。
な~んか、すっごくまずそうな予感が、かすかにする。
まっ、グビグビって飲んでも、死ぬことはないだろう

 クリスマスがさみしすぎたので、『ラストクリスマス』のDVDを観る。
六本木のけやき坂通りが、何度もでてくる。
ここは知らないなあ。。。と調べると、2003年の六本木ヒルズとともに生まれたみたいだ。
ここのイルミネーションは、きっと美しいだろう。

 観ていたら、麻布の日進ワールドデリカテッセンも、織田裕二や矢田亜希子さんの住むマンションのすぐそばのようだ。
フム、ここは一度だけ、シアターコクーンで芝居を観た帰りに、なぜか、行ったことがある。
つややかな野菜や果物、世界のビールを見てるだけで、楽しくなった。
ああ、サン・ミゲルやツボルグのビールが、また飲みたい。

 子供ころに大好きだった明治屋の灯りが、一瞬、蘇った。


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# by nonoyamasadao | 2014-12-27 15:08 | 雑文 | Comments(0)