いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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二者択一の論理

 大学生のころは、二者択一の論理で生きると自任した。
好きなものは大好きで、嫌いなものは大嫌いというわけだ。
当たり前のようだが、好悪の感情で、すべてを一刀両断しようという気負いのあらわれだった。
ミステリや映画を見て、感じたままをいきなり警句風に、あたかも批評家のように、人にぶっつけて来た。
人間関係も、白黒で、割り切った。
たまさか、黒だと思ったら、そのなかに純白を見出しても、いったん、決めた選択は変えずに来た。
これが、我が人生に、どれだけの喪失をもたらしたのか、定かでない。
同時に、白の中にダークな部分を見つけても、そのぶん、寛容でいられたのかもしれない。
今、書いていることが、どれほどゴーマンで、手前勝手な論理なのか気づいたのは、ずっと下って、恥ずかしながら、つい最近のことだ。

 そんなふうだから、高校のころは、放課後のあいまいな時間帯が、苦手だった。
小学校や中学の頃は、放課後の解放されたキブンが好きだったので、受験や勉強との関係がなくはない。
なぜなら、高校は無試験で大学へ行ける附属高だったし、大学のころは、学生運動で授業などなかった時代だ。
まったくのノーベンでも、問題はなかった。

 そんなだから、高校のころは、武蔵小金井の北口にバスがつくと、時間を持て余した。
ボクはすぐに家に帰らず、踏切を渡って、南口駅前のラーメン店の娘娘(ニャンニャン)で、ラーメン餃子か、タンメン、焼きそばなど食した。
小金井の駅前周辺が、大学のキャンパスのようだった。
駅前の商店街の新星堂で、レコードをさがしたり、わりと大きな本屋さんで、新刊本だの、文庫本だのを読み漁っていると、ゆうに2時間近くは過ぎた。
本屋さんは、ボクにとって図書館であったのだ。
でも、エッチなグラビアの平凡パンチやプレイボーイや、新潮文庫や、カッパノベルスを買ったので、迷惑だったろうが、主人から疎まれてはいなかったと思う。

 あの頃は、昼でもない、夜でもない、夕暮れのあいまいで、たよりない時間を持て余して、永遠に続くくらい長く感じたものだ。
50代の中頃、怪我で入院してから、なぜか、放課後の時間や夕暮れの時間のやるせない感じが好きなった。やっぱ、弱ってきたのかもしれない。
振り返れば、小学校や、中学校の頃は、夕暮れの帰り道が大好きだった。
放課後の帰り道に、ダラダラ坂を下ると、立派なお屋敷の犬が、いつも吠えた。

 夕暮れは、昼の明るさと夜の闇のあいだのどちらでもない、なんともあいまいな時間帯である。
たしかに、頼りないといえば、頼りない感じだ。
でも、ゆっくりと時間が流れていく。
心地よく、重荷にならない、やさしい時間帯である。
最近は、夕暮れの帰り道、時々、深呼吸をしてみたい衝動に駆られる。
けれど、それは70代まで、とっておこうと思う。

 人間を含めた動物は、夕やけ色を見ると、身体が寝る準備を始めるという説がある。
そうかもしれない。
だったら、まだまだ、寝たくない。

 まっ、ありえないことだけれど、ひょっとしたら、オレンジ色の雲の彼方の地から、長距離バスか列車に揺られ、ボクに会いに来る佳人がいるかもしれない、な〜んて妄想した。

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# by nonoyamasadao | 2016-05-14 11:58 | 雑文 | Comments(2)

エゴノキ

  昨晩、少し寒くなって、暖房にすると、老母が買ってきた胡蝶蘭に似た花が、あっという間に満開になる。
胡蝶蘭のような高価な花は、我が家には似合わないし、好みでないので買わない。
まあ、胡蝶蘭ではないにしても、なんとも華やかな花だ。
洋花には、どうも抵抗がある。けれど、右翼ではない。

 最近、この地では、クスやケヤキの街路樹を剪定しすぎである。
もともと、自然樹形を楽しむものなのに、痛ましい。
繁茂したさみどりで、信号が見え難いなどの理由は、あるのだろう。

 再開したが、玄関入り口前の青空営業のスーパーに行く。
『ユーガットメール』のような、ストリート・マーケットなら、楽しいのだけれど、雑駁な感じで、なんとも味気ない。

 帰り道、無駄足だったなと独り言ちながらトボトボと歩くと、自宅のすぐそばのマンションでエゴノキが咲く。
それにしても、生け花のように、ズタズタに剪定されているのに、けなげにも咲く。

 どこからともなく、甘〜い、バニラのような香りがキラキラキラと漂う。
人通りがないので、有毒な木ではあるが、このやるせない匂いはどこからくるのでしょう。。。。と、くんくんと匂いをかぐ。
匂いの正体は、どうやら、花の真ん中からのようだ。

 うつむきかげんの女の子と言った風情の、真っ白な小さな鈴のような花が、下を向く。
この木は、以前、住んでた住宅に、庭師の人が運んでくれた。
コナラ、棒カシなどの雑木の庭に、オガタマのバナナのような匂いが終わると、エゴノキのバニラの匂いが漂った。
5月の連休のころだった気がする。

 そして、まだ蕾もたくさん、つけているのに、小さな花はハラハラと散る。
好きだったな。
ああ、そうだった。
志水辰夫さんの『散る花もあり』は未だ、読まずにとってあるのだった。
そろそろ、読む時期かもしれない。

 どんなときでも、季節の時の刻みは、正確なんだな。


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# by nonoyamasadao | 2016-04-24 18:06 | 雑文 | Comments(2)

爆発、ゆるふわ料理人

  数年前にあったfacebookムービーのあなたをあらわすキーワードでは、ボクは”爆発、ゆるふわ料理人”だった。
なんだか、納得だなあ。
 最近、ゆるふわ系女子なる言葉があるそうだ。
そんな定義があったんか〜いってことで、識者の定義を読む。

 ゆるふわ系女子は、デニムのパンツをロールアップさせ、ナイキかどこぞのスニーカーを履いて、トートバックを持つとある。
じゃあ、一時代前なら、ジーパン足まくりで、ズックを履いて、スーパーのレジ袋を下げれば、いいのか。
な〜んか、ダサい。
でも、質素で、けなげな感じなので、まっ、いっか。

 でも、その識者によると、インスタをたしなみ、マリメッコ好きが決めてという。
ウ〜ム、こ、これは不得手だ。てか、よく知らない。

 思うに、スマホが流布してから、日本経済のみならず、日本人は堕落したと思う。
インスタで大嫌いなポートレート写真をあちこちで撮られ、知らぬ間に、アップされてる。
自慢じゃないが、自分の顔など見たくなくて、鏡だって、ほとんど見ない。

 極めつけは、マリメッコ好きである。
これは、ボクのささやかな美意識の真逆である。くどいじゃないか。
原色でも、シンプルで、鮮烈にして淡泊が好みだ。
少し前に、キッカイな色模様のヒコーキだの、自動車が走ったり飛んだりして、辟易したことがある。
今や、マリメッコだか、ウニッコだか判然としないけれど、色の氾濫ようなマグカップだの、マウスなどを目にする。
いつぞや、マリメッコの店舗写真をネットで見て、みずすましに見入っていた時や、はたまたメニエルを患った時のように、めまいがしてフッと意識が飛んだような気がした。

 ごく稀に”ハード”に、ほとんどいつも”まっいっか”の精神が、ボクのゆるふわの定義なのだけれど、これはマイナーだろうな。

 先日、たまには立ち枯れしないようにと、一次会、二次会、三次会を経て、カラオケオールをした。
ボクの時代は、『夜明けのBeat』ではなかった。『Dance Beatは夜明けまで』だった。


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# by nonoyamasadao | 2016-04-05 13:45 | 雑文 | Comments(7)

激辛イカの塩辛

 久しぶりに、羽目をはずしてたくさん飲む。
たくさんの料理が並ぶ中、ハムペンネなど食し、ハートランドビールを飲む。
スキヤキを食いたいと友だちが言うので、2次会に行く。
けれど、スキヤキ屋さんは、休みで途方に暮れる。

 友だちは、もうどーでもよいなどと無責任なことを言うので、お隣の居酒屋に行く。
だだっ広い大広間だけが空いていて、いずれ相席になりますがということで、入れてもらう。
ひとまず安心する。

 友だちと2人で、ボクはビール、友だちは焼酎を頼み、刺身の盛り合わせと枝豆などつまむ。
それにしても、ばかに広い大広間なのだ。
友だちと2人で、だんだん心細くなる。
昔、太平洋ひとりぼっちという映画があったけど、さぞ心細いものだったろうなどと、とんでもないことを思いつく。

 お酒を飲んで、な〜んか、しょんぼりは、いけないなあ。
景気づけに、刺激に富んだつまみでも食そうということで、お店の人に聞く。
有村架純さん似のお姉さんは、イカの激辛塩辛がありますが、死にそうなほど辛いという。
まあ、お店で出していますから、死ぬことはありませんが、おなかを壊すかもしれないと、こわごわ、心底、不安そうな顔になる。

 なら、食べてやろうじゃねーか。でないと、男がすたる。
段々よくなる法華の太鼓じゃないけど、徐々に心細さは消えゆき、激辛塩辛なるものを頬張る。
あ、あっ、口が痛い。喉が火傷したみたいで、痺れる。あ、涙出た。
死なないなら平気さと、ムキになって迷わず頬張ると、ど〜ってことなくなる。

 ああ、ヤッパ、試してよかった。
どこかでスイッチが入ったのだろう。
 
 あけて翌日、じつは、あれはあまりに激辛すぎて、味覚に支障をきたし、ど〜ってことなかったのだ。。。と不覚にも気づく。

 まぁ、よい子のみなさんは決してマネしないでくださいね。って、よい子はこんな記事を読むわけがない。
あれは、ぜったいに、デスソースが入っていたのだな。


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# by nonoyamasadao | 2016-03-31 14:11 | 雑文 | Comments(0)

曲がりくねって生きよう

 サクラが咲き、送別会、歓送迎会、謝恩会などの季節である。


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# by nonoyamasadao | 2016-03-28 10:25 | 雑文 | Comments(5)

再びのさくらもち

 おととい、スーパーに行くとき、県営住宅のお庭を近回りで突っ切ると、さくらが咲き出していた。
一人で開花宣言をして、ああ、今年もまた、さくらの季節になってしまったなと感慨をあらたにする。
最近は、さくらが開花する前の季節が好きになった。

 もの萌えいずる春、ふたたび春を迎えたなあ。。。という思いが、ちょっとだけせつない気持ちを連れてくる。
春は、食べ物に意地汚いボクには、お楽しみがイッパイある。
白魚の刺身、そら豆の殻ごと焼いたもの、小ぶり筍の穂先焼き、たらのめ、こごみなどの天ぷら、メバルの煮つけなど、おいしいものがズラッと並ぶ。

 最近になって、甘いものに開眼する。
体が甘いものを欲している気もする。
生活習慣病の心配は全くないが、一応、用心して、甘さ控えめで生きて来た。
まあ、左党が度を越して、依存症時代が長かったので、甘いものには縁がなかったわけである。

 子供のころは、ケーキなどよりも、練り切りやさくらもちが好きだった。
かしわもちは、どうして、あんなに野暮ったい厚い皮なのか。葉っぱだって、ダサい。
美しくないなぁ、な~んて勝手に思ったものだ。

 ボクの大好きなさくらもちは、長命寺桜もちだったのを、最近知る。
インターネットはこういう時に、便利なものだなぁと思う。

 しめった土と桜の葉の匂いがつよくする。それはまさに桜もちの匂いだ。ーーと書いたのは、江國香織さんだった。
そっかな。ボクはそうは思わない。
ボクが子供のころに、黄昏迫る銀座で買った竹籠に入ったさくらもちは、薄皮が貝殻のような形で中味を覆ったものだった。
しょっぱい葉ごと、薄皮を齧ると、甘~く、なつかしい味がした。

 年を重ねて、あのなつかしさは、せつなさではなかったのかしらん。。。と思うようになった。
でも、せつなさはどこから来るのかは、わからなかった。
アラ還のころになって、不安定に揺れた幼年期特有のもではなかったか?と思った。

 最近になって、このせつなさは、夏の終りの感傷や秋の空気感に似ているのかな。。。って思うようになる。
げに、人間の感情は奥深いのか、感覚が鈍化してきて変化しているのかは、定かでない。

 今年こそ、この季節が持つフワフワ感をじっくり、味わってみようと思っている。
なにせ、急いで移って行ってしまうから。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-22 10:46 | 雑文 | Comments(5)

長靴

 雨降りで、ぬかるんで足もとの悪かった時代は、みな、長靴をはいた。
いまはどこも舗装されて、ドロドロの小道を靴下、ぐっちゃりで歩くことは、ほとんどない。

 実は、中学生くらいの女の子が長靴を履いているのを見ると、とても好感を持つ。
長靴ロリコンフェチとかいう不謹慎なものではない。

 がばがばして歩きにくく、見栄えもダサい長靴をはく、子供の心意気が好きなのである。
男も女もカッコ悪いよりも、カッコよい方がよいに決まっている。

 だが、我慢ならないほど、足もとが悪い時や、雨で靴下が足に貼りつきそうなときは、長靴をはくに越したことはない。
カッコばかりを気にするのは、まことに、くだらないことだ。
第一、シアワセの始まりは、足もとの温かさから、やってくる。これ、普遍の真理なり。チミチミ、知っとるケ。

 ボクらの時代は、小学校や中学校の学校の靴箱には、長靴が入らなかった。
だから、目立った。
今は、どうなっているのでしょう?

 後年になって、ミニスカートで足をニョッキリと大胆に出して、ロングブーツで闊歩する女性が、とても美しく見えた。
やっぱ、コーディネートは、こ~でぃないとね~~。
ミニスカ×ロングブーツよ、永遠なれだ。

 これって、やっぱ、長靴に好感を持った幼少期からの延長でしょうか?
けど、似合う女性が、案外、少ないんだよね。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-14 15:34 | 雑文 | Comments(0)

長い眠り

 インフルエンザに、うなされながら、原稿のことを考えていた。
別に締め切りに追われている職業作家なわけではなく、書かなくても、どうでもよい身分だ。
インフルが少し良くなり、無理やり書き上げた。
でっち上げたといったほうがよい。
定年後のこれからの人生を考えると、これからの5年間は、行ってみれば、ラストスパートのようなもんだ。
おいおい、年甲斐もなく、妙に張り切ると、必死の形相で脂汗を滴り落としながら、猛スピートでランニングするオジイさんが、不覚にもバッタリ。。と同じことになるのではないか、などとも思う。
思えば、還暦前の15年間は、随分、長い眠りについてたもんだ。

 でっちあげた原稿だから、読み返すと、あちこちに穴がボツボツあいてる。
「しょうがないないなぁ。のび太くんは」とドラえもんの心境で、あちこち手直しした。
で、どうにかこうにか、原稿が出来上がる。
柄になく、必死こいたら、めんちょうになった。ああ、無理して頑張ると、いつだってそうだ。欲求不満のめんちょうだ。

 さぁ、これからのボクは、本来に戻って、エッチなことしか考えないエロ親父満開でいくぞ~と、飲みに出かける。
夕方から、たくさん飲む。いつもは数えているし、人のお酌はゼッタイに受けないのだが、不覚にも、お酌されてしまう。
こうなると、元来、意地汚いので、とことん飲んでしまう。
うまい馬刺しも食ったし、刺身も食ったし、いっぱい飲んで、千鳥足の午前さまだ。
あ~ら不思議、めんちょうが治ってた。

 これからの人生、いささか、時既に遅しだが、スケベビッチに生きよう。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-06 13:20 | 雑文 | Comments(0)

セクシーな予防接種

 今年もまた、インフルエンザに、かかってしまった。
思えば、去年も1月下旬に日帰りで大阪出張があって、おいしいお昼を食しながら、ああ、ビールが飲みて~、でもお仕事だから、我慢我慢とか思いながら、トンボ帰りで大阪空港から帰る。
飛行機の中で、さぶっ、なんだか悪寒がするなぁ。
風邪ひくかなあ、なるかなあ、なるといやだなぁ。。。とビクビクしてたら、案の定、インフルエンザになった。
今年は、去年の二の舞を踏むのは嫌だから、インフルエンザの予防接種にいこうか、いくまいかクヨクヨ悩む。
 そんななかで、高齢者インフルエンザ予防接種のご案内を頂く。
そっか、いつの間にか、そんな年齢になっちまったのか。すこし、悲しい。
で、止めた。
案の定、2月になって、のどが痛いなぁと思ったら、突然の悪寒。あっ、これは去年のパターンだから、インフルエンザだなと確信する。
今まで、ん十年とインフルエンザなど罹ったことはなかったのになあ。
いよいよ、弱ってきたのだなあ。若さの残滓が残ってた頃は、楽々とクリアしてたことが、いまや、できなくなりつつある。
 終日、ふとんにくるまって、輾転反側しながら、これからの人生、行く末など考えていたら、暗澹たる気持ちなった。いかんなあ。

 子供のころは、予防接種は、甘美なる思い出がある。
授業中に、隣のクラスの最後の女子が、予防接種の始まりを告げに来る。
バラックのような校舎の長い廊下を、みんなで、ぞろぞろ、医務室に向かって集団移動する。
医務室に並んで列を作って、ひとりひとり呼び込まれて、中に入り、予防注射をする。たいていは、さして、痛くない。
来たーって感じでしみるのは、日本脳炎の予防接種だった。
まあ、ビールが苦いのが当たり前のように、注射というものは痛いものだ。
どってことないのは、ツベルクリン位なものだ。
ワイシャツの袖をまくりあげたときの、ひんやりした消毒用のアルコールの匂いと感触が今、蘇る。
 今、思うと、あれは、なぜかセクシーなものだったなぁと思う。

 ボクらの時代の予防接種の順番は、男子が先で、女子が後だった。
ボクは、や行の最後で、たいていそのあとに、わ行のわたなべくんとか、わかばやしくんがいて、そのあとは女子になる。
終わって、外に出ると、あとは女子が列を作って、痛かった?とか不安そうに、声をかけてくる。
モテなかったボクは、女子と口を利くのは、この時くらいだった。
注射を終わって、ひとり廊下を歩くと、廊下の窓の外はいつだって晴れで、樹木がさみどりだったのをおぼえている。

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# by nonoyamasadao | 2016-02-22 13:54 | 雑文 | Comments(0)

初雪

 昨日から、極寒の地のようだ。
さ、さぶい。
初雪である。
わりと大きめの雪片が、ちらちらと舞う。
雪片の大きさにばらつきがあって、大きさのわりに、うすく、色も淡い。

 2011年の元旦以来のことである。
あの時は、初詣に行こうとしたときに、玄関ドアを開けると門扉に下げたお飾りが、やめなよ、寒いよ、戻っておいでと、「おいでおいで」をして、日和って初詣をサボった。

 まあ、晴れたり曇ったりの繰り返しの日常で、突然の雪は、冬の感傷である。

 東京にいたころは、この程度の雪は、年に何回かはあった。
明日は雪が降るぞ~というときは、前日は、これ幸いと遅くまで、飲んだ。
いつもだと、翌朝は、7時15分頃に起きて、7時50分位にはタクシーに乗って、北柏に向かった。

 翌日が雪が確かな場合は、朝は、9時過ぎに、ゆっくりと起き出す。
ニュースを見て、しめしめ、やっぱ、交通機関は、大幅遅れだぜとほくそ笑む。
今の生活のように、ゆっくりまったりくつろいで、わざと、まごまごと出勤準備にいそしむ。
11時少し前に、さぁ、会社に行こうかという決意を固める。

 それでも、常磐線、武蔵野線は、結構、ごった返していた。
じゃあ、新松戸の駅ソバでも食うか。
あわただしく、駅の階段を、上り降りする群像を眺め、そばの汁を啜った。

 やっぱ、人生にはぐれた、人だったみたいだ。
まっ、不良社員の典型ですね。リストラもされない、よい時代だったのですね。

 真面目な方々、おこっちゃや~よ。

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# by nonoyamasadao | 2016-01-24 12:26 | 雑文 | Comments(2)

A Happy New Year

 ご近所の神社に、初詣に行く。
歩いて、1~2分のところにある。

 今年は、鈴をならそうかならすまいか、悩む。
まっ、いっか。
鈴はやめとく。
お賽銭を投じ、二礼二拍手一礼にやっと慣れたみたいだ。おどおどした内心の動揺がなくなった。

 参拝は成功、やれやれ、してやったりと思いつつ、なんだか違和感が残る。
社務所で、お守りを選んでいるときに、ああ、これだと気付く。
神社には、『ニューシネマパラダイス』のテーマ曲が、厳かに流れる。
あの、エンニオ・モリコーネ大先生の傑作である。 

 フム、なんだろこの違和感は?
冬だから、雨はにあわない。。。というフレーズが、昔、あったな。
神社には、ニューシネマパラダイスは似合わない。

 でも、小泉今日子さんなら、ファンキーですねえ。。。とかいうかもしれない。
だったら、お願いごとも、色っぽいことがありますようにとか、生ガキを食べても、おなかをこわさないように。。。とかにしておけば、なおよかったと、くよくよ後悔する。
まあ、やり直しはきかない。

 昨日の紅白の例年のごとく、紅組しか見ない。
大トリの松田聖子さんは、つらそうに見えた。
売れまくっていた時でも、高音になると、声はビューンと伸びたんですけどね。
 そっか、彼女のデビューは'80年だった。

 流れ過ぎていった時間に、しばし、ボーゼンとする。
まあ、日々、楽しいから、時間ははやく過ぎる。

 今日は、久しぶりに、カキ鍋にしよう。


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# by nonoyamasadao | 2016-01-01 14:20 | 雑文 | Comments(0)

年の瀬

 大つごもりというのに、地元の大手百貨店に買い物に行く。
時間がないので、タクシーで向かう。
T百貨店の地下2階で、毛ガニの茹でたのや、短冊のヒラメと大トロ、生食用カキなど買う。
そそくさと、タクシーで帰る。

 タクシーの運転手さん曰く、今日の降水確率は10パーセントなのに、あいにくの雨ですネ。。。とおっしゃる。
あ、そっか。
今、雨降りだということに気づかなかった。
余裕がないのは、いけないですねぇ。
日々ゆるり。。だったはずだったのに・・・。
今年の1年間は、その真逆であったなぁ。
反省しきりである。

 ご近所のスーパーまで、買い忘れの野菜の買いものに行く。
なんだかなぁ、専業主婦みたいであるなぁ。。。これは、充実なのか、はたまた偉大なるマンネリというのか。
答えは、留保しよう。
というよりも、わっからな~い。

 スーパーで、ニンジン、白菜、、ホーレンソーとショッピング・カートに入れると、だったらついでにと、三つ葉とセリなど買ってしまう。
頭の中では、晩飯の鍋は、カニすきにしようか、ネギまか、カキなべかと、ぐるぐる回っている。
ああ、こんなことでよいのかと自省すると、めまいがしてくる。

 反省しつつもそれには懲りず、小田原かまぼこも食いたいよなぁ。。。と、もと来た道を戻る。
棚を見ていると、歯ブラシもそろそろだなと、カートに入れる。
年末の最後の日に、歯ブラシなど買っていいものだろうか。
まっ、いっか。
白ネギなど刺したお買い物袋が、しっかり重い。
いや、いつもの数倍も思い。

 片手だと、やっぱ重い。つらいよ~と思いながら、そぼ降る雨のなか、傘をさして、トボトボ帰る。
こーゆー時に、知りあいの若いお嬢さんに逢ったら、やだなぁ。
そういえば、そーゆーことを思って歩ていたら、かつて、もっとも見られたくない、友人のお嬢さんに出逢ったなぁ。
あれは、わが生涯でも、歴史に残るこっ恥ずかしさだった。
やだなぁ。
そういうことがないように、おそる、おそる、我が身が隠れるわけではないが、気持ち的には、時効寸前の必死の逃亡者だった。

 帰宅して、また、タクシーで、おせちをお願いしたお寿司屋さんへと向かう。
あれれ~、百貨店と同じ、運転手さんに再び、遭遇してしもうた。

 お寿司屋さんで、おせちを待つと、一人、また一人と、お重を待つ客は増えていく。
待ち人、多しである。
まさか、ショーアップしているわけではないよな~。

 いや、失礼。
職人の美学には、仕事の楽屋裏など見せることなどありえない。
邪推、ご免してくれ。

 さて、これから、温泉の素のケヤキの香りを風呂に投入し、風呂上りには、ビールと日本酒をしこたま飲むぞ~~。
かくして、今宵も、そして今年もふけゆく。

 みなさま、よい年を、お迎えください。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-31 19:08 | 雑文 | Comments(0)

今年もまた、ぼんやりと・・・

  冬の晴れた空に、うっすらとしたすじ雲を見る。
そっか、最近はあまり空を見ていない。
歳末のスーパーは、おせちだのの正月支度で賑やかである。
今年も終わってしまうんだなあ、ああ、もう終わりかというさみしいキブンは、嫌いじゃない。

 年末になって、若い友人から、いかなごのくぎ煮のクリスマスプレゼントを頂く。
ご飯と一緒に食すと、これがまことに美味なり。
でも、いかなごをつらつら眺めながら、ほろ甘いこ奴を肴に、ビールか日本酒が飲みたいなあと思う。

 我が老母の方は、帝国ホテルのスティック・チョコなど、都会的なプレゼントが来る。
今年は、大小のポインセチアと、クリスマスローズと、ナデシコのような小さな花でリビングは華やかだ。
クリスマス・ローズは初めて買ったのだが、うなだれて半開で咲く黄桃の花が好みのタイプであった。

 よそゆきのセーターを、ふだん家で着るのが、最近、癖になってる。
あっというまに、くたくたのよれよれ、ぐったりしてしまう。
老母から、立派なセーターをプレゼントしてもらう。

 夜になり、一杯飲み屋さんに出掛ける。
朧で、ぼんやりした灯りのともるお店を見つける。
今年も、ぼんやりと生きてきたなあ、相変わらずであるなあと、我ながら、すこし感心する。

 遅くに店を出ると、さ、さぶい。
闇夜に朧で、心細げな月が浮かんでいた。
すごく、平和な気持ちで帰る。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-27 16:20 | 雑文 | Comments(0)

季節の感傷

 朝、起きると、いつも寒暖計を見る。
この数日は、21℃以上だったけれど、今朝は20℃とちょっとだった。

 昨晩は、冬至だったので、柚子湯に浸る。
思えば、去年は冬至を忘れていて、柚子湯に入らず、どってことないさと嘯いていた。
年明け早々、日帰り大阪出張の帰途の飛行機で、突然、ザワザワと悪寒がする。
案の定、ん何十年ぶりかのインフルエンザに罹ってしまった。長年の習慣は、できれば変えない方がよいな。
あ、ボクはインフルの予防接種をしない、主義です。ようは、注射大嫌い人間なのである。
39度後半の熱はきつくて、勤務先にはたいへん、迷惑をかけた。
やっぱ、冬至は柚子湯に入らないといけないなぁと痛感する。

 老母が買ってきた3個入りの柚子を、もったいないから、2個だけ使用する。
本当は、最低でも7~8個を投入して、黄色い柚子をプカリプカリと浮かべて、柑橘の匂いいっぱいにすれば、サイコーだろうなと思う。

 たったの2個だから効果的活用をはかろうということで、爪楊枝で、それぞれに5つ6つ穴をあける。
これって、そうとう邪道だろうなという気がする。
湯船の中で、いいのかなぁ~と思いつつ、すこし、浮かんだ柚子を絞ってみる。

 傍らにある箱根の温泉の素が目に飛び込んできて、これを入れようか、いや、入れるのはぶち壊しだろう、第一、野暮ではないかと、すこしだけ逡巡する。
ええい、入れてしまえ~てんで、柚子湯だか、温泉の素の湯だが判然としなくなり、いつもの癇癪持ちを後悔する。
スケールちっちゃいな~。
それでも、柚子の酸っぱいような、懐かしいような香りが湯から立ちのぼる。

 秋らしいものは、急ぎ足で移っていく。ついこの間まで、暑いと言っていたのに…みたいな感じだ。
まだ、近くのイチョウ並木は黄葉のさなかだが、いつもの通り抜けする大学のイチョウ並木は、すっかり落葉している。
突然、あたり一面、冬の気配になってしまったなと思う。

 あ、今日、公の場所で、リア充という言葉を聞いて、現実とヴァーチャルを相対比較する時代なのだな。。。と、思う。
現実世界のなつかしい匂いや、本当の意味での胸キュンを希薄にする、言語感覚だよなぁ。。。と、さみしい。

 けれど、季節の始まりや終りへの哀惜など、若い時には、実感などしなかったな。
いつの間にか、コートを着てたり、吐く息の白さで、あ、寒くなったんだ~って、思った。

 この季節は、コートを襟を立てて歩くのが好き。。。と話していた、あまりらしくないことを言った大学の先輩がいたなあと、遠い昔の記憶が蘇る。
薄い日のさす舗道を歩くと、ボクの後ろを街路樹のケヤキの枯葉がカサコソと追いかけて来た。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-23 10:37 | 雑文 | Comments(2)

クリスマスローズ

 人生を80年とすると、ボクのクリスマスはあと16回しかない。
人生設計をせず、残りの時間とか、スケジュールなどを無視し、後ろ髪ひかれ気味に、生きて来たワタクシには、ショックである。

 考えてみれば、高校受験の勉強は、中3の秋が深まってからだった。
就活など考えたこともなく、父が自宅にて急逝して、大学4年生の秋風が立つころに、就職課の掲示をはじめて、眺めた。
青田買いの時代だから、みな、3年の冬くらいには、決めていた。
先輩が心配して、自分の就職先を紹介してやるといっても、大きなお世話だと思った。
そんな先輩も、定年になって、文筆業か何かをしているようだ。
たいへん、失礼なことをしたと、すこしだけ反省している。すこしだけの意味は、当時、まったく勉強しなかったボクの学力では、とても、その会社には入れるわけがなかったからだ。

 しかし、基本、意識はあまり、変わらないものですね。
昨日の続きは、今日に続いて、今日の続きは明日に引き継がれる。
昨日の続きは今日の続き、今日の続きはまた明日。。。な~んて番組もあった。
そんなふうに過ごしてきた。
で、明日のかなり先のころになって、昨日に、再び戻る。
意識の流れ的には、12才くらいから37才くらいまでいって、元に戻る。
見てくれと体力だけが、老いていく。そ~んな感じだ。

 ♪もう会えないかもしれない 時は旅人。。。。という歌詞があった。
風が走り、背後に枯葉の足音を聞いて、冬に埋もれてく。。。。という内容だった。

 いつもながら、しょーもないことを考えながらスーパーに行って、造花のポインセチアを間違えて、買ってしまった。
金粉が降りかけてあるのかと思ったら、造花か。
手ごろな大きさだったに残念ということで、ネットで購入する。
これが、我が家のリビングが狭いのだろうが、バランスを欠いて、バカでかい。
う~ん、困ったもんだと思っていたら、玄関先の飾り物にしてた、先の金粉のポインセチアの下の葉が枯れだす。
ムムッ、こ、これは造花ではなく生花であったのか。
じゃあ、金粉は塗料スプレイか、なにかで細工したのだろう。

 クリスマスローズはいつも買うタイミングを外して、ローズマリーを2度も買った。
で、真っすぐ型が好きなのだが、なぜか、2つとも匍匐性だった。
で、またしても、ネットで、ピンクのクリスマスローズを買う。
男は売られた喧嘩は勝っても、何のてらいもなく、花など買ってはならない。。。と、心のどこかで、そう思っている。

 川上弘美さんに、大学時代、バスの窓越しに見かけた喫茶店があって、一度訪ねてみたいと思いつつ、行くことはなかった。。。。というエッセイがあるらしい。
まだ、読んでいない。
そうなんだよなあ。
行っちゃいけないんだよなぁ。
ははそはの ははもそのこも・・・あそぶあそびをふたたびはせず、と同じだ。
だったら、クリスマスローズは、買うべきではなかったのかもしれないなぁ。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-15 11:36 | 短編小説・詞・詩 | Comments(2)

青島幸男さんのこと

 辻村深月さんの『ツナグ』を読んでいて、巻頭の『アイドルの心得』のモデルは、きっと飯島愛さんだなと思う。
もっと、面白くてよいはずなのに、すこし食い足りないのが残念だった。

 90年代からのこの20数年間は、ハナ肇とクレージーキャッツやザ・ピーナッツなど、『シャボン玉』のメンバーが1人、また1人と消えていく時期だった。
犬塚弘さんやザ・ピーナッツの妹さんがお元気なのは、希望がある。『シャボン玉ホリデー』は、ボクの青春のかなりの部分を占めている。

 青島幸男さんの初期と中期は意識して、追いかけていた。
『おとなの漫画』は、作、青島幸男のフリップを何度、見ただろう。
チミ、北海道に席が空いているけれど。。。と左遷を、におわすセリフは、今でも憶えている。
今なら、差別とかになるのでしょう。
『シャボン玉』では、谷啓さんが斜に構えて、『谷だ!』というと、青島さんがのけぞって『青島だぁ!』と繋いだ。
まあ、意味不明なのだが、ひたすら態度のでかさを競い合うギャグだ。
二人でムキになって、お互いのネクタイを切りあって、どんどん短くなっていくギャグも、何回か見た。

 高校のころに、生徒会の幹事長の下部組織の広報にいたときに、当時、鷺宮にお住いの青島さんに取材する機会があったけれど、1年生で行けなかった。
川崎徹さんに似た3年生が、インタビューに行ったのではなかったかしらん。
川崎徹さん似と書いたけれど、とても洒脱な文章を書く先輩で、ひょっとしたら、ご本人かもしれない。

 青島幸男作、脚本、演出、主演の『鐘』は、試写会で観た。
スポーツカーで海岸に行って、海に沈んでいる鐘を、丘の上の鐘楼にすえつけるシネマ・ベリテ風の前衛映画だった。
全編にモダンジャズが流れ、カミュの『シーシュポスの神話』の岩が鐘のようでもあり、『獄門島』の逆パターンのようでもあった。
まばゆいばかりの才能が溢れていた。

 自分で主題歌を歌った『泣いてたまるか』はそこそこ面白かったが、『意地悪ばあさん』は最初だけで、飽きてしまった。
東宝映画の自作自演の『二人でひとり』は、中山千夏さんと食卓でチャンバラをするシーンだけがちょっと面白かったけれど、凡作だった。
また、直木賞を受賞した『人間万事塞翁が丙午』も、正直、面白くなかった。

 だったら、映画『若い季節』のいかがわしい喫茶店のマスターや、赤塚不二夫さんのバカボンパパが『国会で青島幸男が決めたのだ』と、理不尽さを正当化するギャクが好きだった。
リアルタイムで見た佐藤総理に対して、『あなたは財界の男メカケだ』と噛みついたのは、短い質問時間なので、ちょっとだけだけど、よ~く言ったと思った。
ボクにとっては、彼は都知事でもなく、政治家でもなく、放送作家であり、作詞家であり、テレビタレントだった。
ただ、政治家になると、みなどこか、人相が悪くなるのに、彼の場合は、どこか飄々としていて、ぎらつかないのが好きだった。

 『誠に遺憾に存じます』という歌を、新聞の夕刊で、大宅壮一氏が絶賛している記事を読んで、ああ、もう違うんだって思った。
『スーダラ節』の「わかっちゃいるけどやめられない」のすばらしさは、なかなか、理解できないでいた。
今の経済学では、現在割引価値とか、限定合理性とかいうのかもしれない。
わかっちゃいるけどやめられないの普遍性を理解したのは、還暦を過ぎてからだった。

 数ある青島幸男さんの作詞のなかで一番好きなのは、『明日があるさ』かもしれない。
この詞には、青春の輝きがすべて凝縮されているみたいだ。ドキドキ感や、すこし懐かしく、適度に甘くて、せつない。

 政治活動よりも、TBSラジオのDJ『青島・フーコの天下のジョッキー』のおバカな会話が楽しかった。お兄さんのフィアンセを略奪したのが、今の奥さんなのもこの番組で知った。なるほど、たしかに、奥様は美しい人だった。
ラジオでは、先日亡くなった野坂昭如さんの才気煥発、当意即妙、悪く言えばああいえばこういう頭の回転について、口ではとてもかなわないと言っていた。
都会的で大人の感じだった前田武彦さんは、永六輔さんには詞には、とてもかなわないと彼が泣いた話を、以前、していた。

 そうかもしれない。
けれど、ボクにとって、青島幸男さんは永遠のアイドルだったんだなって、今なら言える。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-12 16:00 | 雑文 | Comments(2)

なみなみの風呂

  ’湯船の中で、オナラをしたような顔’って、言う表現が、映画『沈丁花』の1シーンにあった。
お湯の中からブクブクと上がってくる泡のオナラを嗅いだような顔のお方は、お気の毒に、藤木悠さんだった。

 ボクは、以前、浴槽になみなみと、できればこぼれる位にたっぷりの風呂が、大好きだった。
もうもうと湯気で煙る浴槽に、ろくすっぽ、洗いもせずに、いきなりドボンとつかる。
あ、不衛生、ごめんなさい。
浴槽からは、ザザ~ッとお湯が溢れ出る。
この瞬間、ああ、生きていてよかった~~、これぞ人生の醍醐味と、心の底からそう思った。

 もちろん、我が母は、毎度毎度、激怒し、会社の若いOLさんからは、ああ、お湯がもったいな~いと呆れられた。
なみなみの湯のダイナミズムが大好きだった。

 最近になって、そんなダイナミックな生き方はできなくなり、ほどほどより、少し多めの湯につかる。
熱いお湯をじょじょに足していくので、だんだん、お湯の量は増大してくる。

 風呂というのは、艶っぽいことがなければ、基本は孤独な世界である。
寒くなって、イチョウは黄葉半ばで散りはじめ、大好きな伝統的なサザンカは平開しつつある。
もうすこしで、一枚、もう一枚と、ハラリ、ハラリと散るだろう。

 そ~んな寒い季節の、湯気もうもうの風呂は、最高のよろこびである。
湯船につかり、ああ、極楽と感じたころ、時間差で、ふしぎなさみしさが押し寄せる。

 ああ、たのしさとせつなさは、同じところから、生まれるのかもしれないな。。。って、最近、思うようになった。
そうだ。人を好きになると、たのしさとさみしさは、同時にやって来たっけなあ。。。と、遠い昔を懐かしむ。

 篭町通りでは、今年も、星型と雪の結晶型のイルミネーションが瞬く。
昔は、格子模様の、ちょっと洒落た電話ボックスが、街角にあったっけなあ。

 ポインセチアは、ネットショップで買ったら、やっぱ、大き過ぎだった。
今年こそ、街の花屋さんで、クリスマス・ローズを買おう。

 毎年、同じことを、書いている。進歩しないですね。


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# by nonoyamasadao | 2015-12-11 14:41 | 雑文 | Comments(2)

それなりに・・・

 三角錐の黄葉したイチョウ並木から、はらりとはらりと落ち葉が舞う。
目の前を流れる木の葉を眺め、こちらは憂いも焦燥ともまったく無縁な、お気楽なまったり感に浸る。
お気楽と書いたけれど、お気楽なキブンには、幾ばくかの感傷が混じる。
枯葉を踏むと、カサッ、カサッと足音がする。あ、イチョウはスリッピ―だから、かかわらないほうがよい。
これが、よいのだ。
日本の秋という感じだ。

 日本の夏といえば、キンチョウの夏です。
あ、違った。キンチョウの蚊取り線香の夏でした。
渦巻き蚊取り線香に、マッチで火を灯す。
ゆっくり、ユラユラと除虫菊の煙が、蚊遣り豚の陶器から立ちのぼる。
この退屈な感じがたまらん。ああ、落ち着く。
除虫菊の燻ぶった、匂いがむせるように漂う。
まさに、♪smoke gets in your eyesですなあ。

 してみると、日本の冬はCM的には、お正月を写そう。。。ですかねえ。
美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに・・・。

それなりに…の含意は、深い。
不満がけっしてないわけじゃないけれど、そこそこの満足は得られるってことかしらん。
それなりに・・・は、ひらたく言えば、まあまあ。。。に近い。

 ああ、今年もまた、ケヤキの街路樹の幹に青い電飾、大きく伸びた枝には黄色い電飾が瞬く季節が来たのだなあ。


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# by nonoyamasadao | 2015-11-29 11:10 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

金曜日には花を買って

 ふりかえって、人生は森のなかの一日のようだったと言えたら、わたしはうれしい。。。。という人生の顛末を綴った長田弘さんの詩がある。
いつか、逝く日を念頭に置いて、人生を振り返った詩だ。
非モテの野蛮人という何とも無様で、愚行に満ちた時期だったけれど、ボクにとっての中学時代は、森の中の一日のようだった。
けれど、結構、ヒサーンな青春だったのに、なぜだろう。不思議だ。

 中学2年まで、木造バラックの校舎で、校庭の裏庭には給食の匂いや、ゴミ焼却場の焼け焦げの臭い匂いや、放課後には夕焼けの匂いが混じった空気が漂っていた。

 男たるもの、厨房に入るな、女子などと軽々しく口などきくなが、父権的で、スパルタ教育の父の教えだった。
父親にはことごとく反抗してきたけれど、上については、忠実に守って来た。

 まあ、ブサイクで、ポケットに片手を突っ込んで、うつむいて歩き、上目づかいで、廊下ですれ違う女子など見上げれば、そりゃ、コワーイといわれるだろう。
もっとも、イケメンとまでいかなくても、そこそこなら、ニヒルとかいわれていたのかもしれない。
見た目、ルックスはパッとしないし、遊んでばかりで、勉強はしないし、よいところなどない。

 それでも、家に帰れば、日々楽しく、森永スパーク・ショー、シャボン玉ホリデー、ザ・ヒットパレード、夢であいましょう、真夜中のリクエストコーナー、東京ミッドナイトなどで、ポップスなどの情報を仕入れた。
今でも好きなポップスは、この時代だ。翌日の学校の授業の合間には、そんな話ばかりしていた。
洋楽は、初期のビートルズで、こと切れている。あとは、情けない話だが、J-POPか、歌謡曲である。

 じゃあ、色気がなかったのかと言えば、いえいえ、頭のなかは肉欲の野獣であり、色魔状態である。
まあ、思春期の男子など、みんな、そんなものだと思う。違ってるかな。
仲間内で、頭がよくて、要領のよいヤツは、かわいい女子を見出しては、たとえば、スレンダーで足の長い子を5/6とか、面白いネーミングをしていた。
そのくらい、足がスラーっと長いという意味だったのだと思う。

 しかし、思春期の女子はかなり攻撃的で、そして残酷だったと思うのだ。
女子とは一切、口を利かない(口がきけないが正しいのだが)ので、まったく、眼中になくても、こちらの肉体的欠陥をついてくる。
ボクは、赤塚不二夫さんのマンガのイヤミほどではないが、前歯がニョキリ出ている。
廊下の傍の机で、放課後などボーッとしてると、スイカを好きでしょう、食べるときに便利ね。。。とか、大体、2人連れでやってきて、冷やかして笑う。
かとおもえば、親切だった女子が転校して、引っ越し先から仲良しの女子宛に書いてきた手紙を渡して、ラブレターが来たわよ~といって、これまた、意地の悪い笑いの種にする。

 ウ~ム、今だったらイジメだぜ。考えてみりゃ、コワーイはずのブサイクな野蛮人も、舐められたものである。
そっか。中学校時代は、音楽や遊びでは本当にブリリアントな日々だったが、女性恐怖になったのも、この時期である。
これが引きずる、引きずる、今も、その残滓は色濃く残る。
 
 思えば、男女七歳にして席を同じうせず、女子とは黙して語らず。。。の亡父の教育は、明らかな誤りだった。
このアレルギーは、ひょっとしたら、未だ、治っていない。墓石の下の亡父は、スマヌと言っているに違いない。

 金曜日には花を買って、春の日、あなたに会いにゆく。。。は、一生、ありえない。


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# by nonoyamasadao | 2015-11-22 15:58 | 雑文 | Comments(4)

カノ―プスは見えますか?

 穴沢ジョージさんから、そちらでは、南東の方角に赤く輝くカノープスが見えますかと聞かれた。
実は、カノープスどころか、カシオペアも、北極星すら、識別できない。
子供のころは、ぼくは勉強はできないからだと思ってた。
冬の夜空の凍てついた星をじぃーっと見つめていても、金平糖のような星がランダムに散らばっているだけだ。
どうやら、星をつながりしてとらえる、視点を統合する能力が、まったく欠けているみたいだ。

 子供のころは、夜、暗くなるまで、近所の畑で三角ベースの野球などしていると、一番星を何度も見つけた。
きまって、今思うと、まだ若かったお母さんたちが、晩ごはんよ~って迎えに来て、一人減り、二人減り、ボクのうちだけ遠いので、一人で帰った。

 還暦近くになって、怪我をして入院してから、酒浸り生活を変えたら、やることがな~んもない。
仕方なく10時ころに寝ると、きまって、夜中の3時には目が冴え冴えととして、闇夜のマンションのベランダで深呼吸した。
お隣は国立大学の薬学部の鬱蒼した雑木林で、そのさきに建物があって、ある部屋だけが明かりが灯っていた。まれに、人影がうつり、揺れた。
ああ、実験でもしているのかなあ。みんな、よ~く勉強するのだなぁって思った。
そのときは、夜空も、星も、絵のように眺めた。歌詞ではないけれど、♪星が森へ帰るように、雑木の森の上空にたくさん散らばっていた。

 キラキラヒカルという暗号のような詩がある。
星と言えば、サイボーグ009のラストシーンの物干し台から姉弟が、”あ、流れ星”のシーンが忘れられない。
レイ・ブラッドベリの”刺青の男”のロケットが破裂して、田舎の母子が流れ星だと思うシーンのパクリだが、どちらも残酷なポエムがあった。

 長田弘さんの訳した青い絵本で、白い星はイチゴ、黄色い星はカボチャというフレーズがあった。
今も寝る前に、星を探すのが習慣になっている。
ごくたまにだけれど、小さくまたたく電飾のような星を見つけると、世界でどれくらいの人が同じ星を見ているのかしらん。。。とらしくないことを考える。

 ↓ボクらの世代なら、ザ・ピ-ナッツの”スターダスト”とか、加山雄三さんの”夜空の星”なんでしょうな。


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# by nonoyamasadao | 2015-11-21 13:05 | 雑文 | Comments(4)

お昼の定食屋さん

 今頃になって、『男女7人夏物語』を楽しんで、見ている。
脚本家の鎌田敏夫さんとのおつきあい(といってもドラマを通じてだが)は、結構古い。
東宝映画時代の、井手俊郎先生門下の時の、あまり出来の良くない作品、石原慎太郎原作の青春熱血ドラマ、情緒過剰の『俺たちの旅』も、みな見ている。
そして、アランアルダの『四季』の影響が色濃い『金妻』あたりから、彼の才能が開花して、はまり出す。
つまり、数学の順列と組み合わせのように、男女が織りなすドラマが『金妻』を経由して、開花したのが、『男女7人夏物語』であった。
あらためて、見て、フム、面白かった。

 時間的には、イシダイやイシガレイの刺身がうまかった千歳船橋時代から、麹町に本社が移って3年目くらいだ。
夕暮れになると、夜の空気に誘われて、行きつけの店に、毎日、繰り出していた。
だから、テレビなど見ることはなかった。

 ドラマは、タイトルバックで、清洲橋が正面に映し出され、ズームアップしていく。次いで、首都高速6号向島線がうつった。
今なら、東京スカイツリーが背後に、聳えているはずだ。

 下を隅田川が流れる、清洲橋を大竹しのぶさんが欄干でリズムをとりながら、スキップするように走ってくる。
初々しくて、若さが弾けている。

 好きなシーンは、夜の定食屋さんで、冷ややっことブリの照り焼き定食を頼み、ビールを飲むところである。
いつものように、明石家さんまさんと、口げんかになり、じゃれあっている場面で、小泉今日子さんの『夜明けのMEW』がかすかに被さる。
♪愛をごめんね~  君を~すべて 知っている~と 思っていた~
のところが、低く流れている。

 このころはいつも、おいしい刺身や、酒の肴を求めて、行きつけの店に行った。
毎日だから、さすがに飽きると、美味しい匂いがする銀座や新橋の裏通りをさまよった。
酒量は多すぎたけれど、理想の老後のような毎日だった。

 ああ、日が暮れるなぁ。。。と思うと、今日は、どこへ行こうと胸がときめく。
そっか、おいしい定食やさんで、ほうれん草のおひたしや、きんぴらに、肉豆腐に、味噌汁にご飯など食したのは、虎ノ門勤務のお昼くらいまでだった。
むつ照り、たらこのチョイ焼きとか、さんまの焼き魚定食とか、ホタテのフライ定食とか食べていた。
本格的な酒飲みになってからは、二日酔いの翌日のお昼は、コンビニのおにぎりか、たまに、ホカホカ弁当屋さんの、肉ちょっぴりの野菜カレーなど食し、お昼休みの時間はへたくそな将棋など指してた。
30代の半ばは、卵とじソバとか、毎日食した。

 ああ、今だったら、秋の陽ざしが陰りだした時間、おいしいお酒を飲もうよ~と誰かを誘って、たんたんと、静かなお酒を飲みたいものである。
それが、本当の理想の老後なのになあ。

 しんみりと、過ぎて行った時間とか、今週に起こったうれしかったことなど考え、静かに一杯目のビールを飲み、ゆっくり一杯目のお猪口の酒などすすりたいものである。


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# by nonoyamasadao | 2015-11-05 17:15 | 雑文 | Comments(0)

青春のバカヤロー

 そこそこ寒くなって、好みの季節到来なのだが、昼の陽ざしはまだまだ、暑い。
寒暖差があるので、風邪をひいた。
熱はないし、たいしたことはないのだけれど、これが治りそうで、なかなかよくならない。
で、しかたなく、数日、家にいて、仕事ばかりする。
外の陽ざしは明かるんでも、部屋に閉じこもって仕事ばかりしていると、なんともうっとしい気分だ。
曇天の日の、じっとりしたヤなキブンになるのである。

 永遠の青年というのは、外見も内面も、少年のような純粋さを持った人をいうのだと思う。
この場合、外見というのがキモである。
ボクの場合は、内面だけ、純朴さは、十代、二十代、三十代、そして今も、ほとんど変わっていないと思う。な~んも考えない純朴さは変わらない。
というと、人は何も考えない少年なんか、いるものか。
まして、人生の締めくくりが近くなっても、な~んも考えないのは、単なるアフォなだけさ、と人はいうだろう。
そうかもしれない。
部屋に入りびたりだと、精神衛生に悪い。
見晴らしのよい海辺に行きたいなぁ。。。と思う。でも、海は遠い。

 昔は、多摩川の売店で買った缶ビールなどもって、川を見ながら、立ち飲みして、釣り人観察などをした。
自転車を飛ばして、ICUのゴルフ場跡地の芝生の公園に寝そべって、ビールを飲んだら、すぐそばのカップルの聴いてたユーミンの古い曲が鳴り出して、座りなおしたこともあった。
♪人波~に流されて~ 変わって~いくわたしを~
フム、人波に流されるか。何とも、型通りで、ボキャ貧であるなぁ。。などと思ったかどうかは、忘れた。

 学園祭が始まったが、ボクが大学のころは、群れるのは大嫌いで、いつものように喫茶店でだべって、夜だけ、新宿の映画館の最上階のやすいパブでだべった。
ずらっと並んだ馬蹄形のカウンターの隅がOBが現役に遠慮する席で、さらにその隅で、群れるのは苦手だなぁ。。。と思いながら、さみしく、ウィスキーの水割りを飲む。
きまって、新人の女の子が来て、あれこれとからまれた。
あれは、現役の連中が嫌がらせに、あの先輩をからかって来い、面白いぞ~とか、いったに違いない。

 夜、風邪、ぶりかえすかなぁ、ぶり返すとヤだなぁ。。。などと思いながら風呂に入っていて、上のことを、今になって、ハタと気づく。
なんてぇこった。風呂につかりながら、青春のバカヤローと心の中で、つぶやく。

 ああ、むかつく。


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# by nonoyamasadao | 2015-11-03 11:19 | 雑文 | Comments(0)

ツーコンの極み

  竹内まりやさんの音楽を聴きながら、記事を書く。
ああ、昔はいつもそのまんま何も思いつかないままに、書いていた。
その結果、支離滅裂になって、いつだって、何度も書き直した。

 1年間を通して、一番好きな季節が近づいているのに、あまり感慨がない。
サザンカの花やキンモクセイにも、どこか鈍感な気がする。
ウ~ム、イカンなあ。イカンですよ。

 すこし厚着をしなくっちゃ、でも昼は暑いのよ~という、あやふやに揺れる季節の中で、ちょっと儚げなサザンカや風が運ぶキンモクセイの香りに包まれた、今年だけのかけがえのない風景を味わっていない。
色づくモミジも、この先、いったい何度みるだろうという、せつない想いが、今年は希薄な気がする。

 季節への愛着を失ったら、ボクの大きなこだわりがなくなってしまう。
昔、傘を忘れてしまうま。。。といっていたシマウマ語をあやつっていた女性たちも、今や、50代になると、どこかの記事で読んだ。
今日もまた、昔、お世話になった会社の同窓会のお誘いを頂いた。
そこでは、ボクは若手の部類になる。

 と、まあ、まことに、いきあたりばったりに綴ってきて、ああ、気楽だなと思う。
考えてみれば、いきあたりばったりに暮らし、いきあたりばったりに選択してきた人生だった。
子供のころは、両親から、何も考えない、およそ計画性のない子だと叱られたもんだ。

 あ、今、『ボナペティ!』に変わった。

 でもね、軽率で軽薄な生き方そのものだろうけれど、それだって、別にいいじゃん。。。という気持ちが急に、もたげてきた。

 ただね、ここに一つだけの悔いが残る。
いきあたりばったりのわりに、異性と出会って、恋愛して、別れてという、基本的な人生の醍醐味や切なさだけは、縁がなかったなあ。

 いつもの日常的な空気の中に、一瞬の風が吹いても、それって、全部、見逃してきた気もしないではない。

 だとすれば、ツーコンの極みじゃ。

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# by nonoyamasadao | 2015-10-22 12:10 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

秋の断章

  今月の上旬、ことし2度目のBBQに出かけた。
若い人たちに混ざって、車は山道をゆるやかに、運転する若者のせいか、ばかにのどかーに登る。
森の中にバンガローというべきか、コテージがポツリ、ポツリと散在している。
弱くなったはずの陽光は今日は、賑やかで、穏やかに、でも燦々と降り注ぐ。
ウム、森林浴であるなぁ。
落葉樹林の葉叢のおおかたは、赤や黄や、茶色に染まっている。
まだまだ、陽は暖かくて、木々の葉の組み合わせのつなぎめをぬって、木漏れ日がこぼれ、地面に斑模様を描いた。
そういえば、去年の今頃も、同じところで、同じことをしていた。
ときおり、梢をプルンと揺らして、気持ちよい風が吹き抜けていく。

 若い人たちは、着火した炭火で、BBQの料理をしている。
時は1年過ぎ、去年の若者たちとはそれぞれに手を振って別れ、今頃はあちこちで活躍しているだろう。
ピーターパンとウェンディの物語のように、皆は姿を消し、私だけ、立ち止まったままだ。
ボクは、渋茶でも啜っていればよいのだろうけれど、不謹慎にもビールを飲む。

 今、目の前に展開されている青春を横目でチラ見しつつ、真っ昼間から、遠い昔のセイシュンを懐かしく思い、ときおり、舞い散る枯れ葉など眺める。
二本目のビールを飲む。
年若い、女の子たちが運んでくれる焼き野菜など食し、げに女子力というのは、エライものだなあ。。。と、ありがたいものだなあとシミジミ思う。
女の人は、いつの時代でもエラいんだ。
若くっても、年いってても、やることはやる。

 てなことを考えつつ、我が方はといえば、昔も今も、アウトドアだって、いつだって居酒屋状態なのは、いかがなものか?
しばし猛省する。

 でもね、エクスキューズはいらないから、まっ、いっか。
じゃあ、また飲んじゃお。

 マシュマロの串焼きを去年に引き続き、2度目を食し、不思議な味覚だが、なんだかおいしい。。。と思いながら、またまた、ビールを飲む。
そのうち、キノコをとってみようかしら。。。とか、傍らの女子が呟く。
あぶない、あぶない、おいっ、やめろって。
『センセイの鞄』の樹木希林さんの笑い茸を食べちゃったあとの怪演が、マザマザと脳裏をかすめる。
笑い死にってあるのだよねえ。

 ああ、きょうもそろそろ、暮れるなぁと思いつつ、ビールは飽いて、今度は日本酒をいただく。
でもまだまだ、秋の午後の陽光は明るいなぁ。

 こーゆーのを、至福の時というのかもしれない。
森にはないはずのキンモクセイの甘ーい香りが、どこからか流れてきたが、姿かたちはどこにも見えない。
きっと、あなたはバラの香りが苦しくて、涙をそっと流すでしょう。。。。ブルコメの歌詞が頭に浮かぶ。

 ああ、花の香りが苦しいっていうのはこういうことか。
生まれて、初めて、今になって実感した。いつだって、遅すぎだよ。


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# by nonoyamasadao | 2015-10-21 18:10 | 雑文 | Comments(0)

子供のころの夢

 子供のころから、温泉旅館の美人女将のおバカな旦那さんになるのが、夢でした。
実際はそうではないのでしょうが、リーマンみたいにあくせくしないで、楽ちんそうに見えました。

 たぶん、モスラやゴジラの怪獣映画を見に行った時、併映だった森繁久彌さんたちの駅前シリーズなどの影響もあったんでしょう。
駅前旅館とかね。

 旅館のお昼は、子供心には、ヒマそうに見えた。
畳に寝そべって、堅焼きおせんべいでも齧って、詰将棋など解いたりしながら、まったりと過ごす。
今なら、やっぱ、パリっと堅焼きの伝統の草加せんべいがよいですね。
あ、変わったところで、四万十の青のり・川えびせんべいというのも、1度は食してみたい。

 夜のひと時だけ、お客様の、”お床を延べさせて頂きます”という布団敷きの唯一の1日のおつとめをしたら、旅館や駅前商店街の仲間たちと、ワイワイガヤガヤとお酒を飲み、一日がゆっくりと暮れていく。
ゆっくりとまったりしてて、それなりに自堕落で、でも一定の規則があって、いいなあ。。。。って思ってた。
人生の幸せとは、こういうことなのかしらん。。。って思った。

 ああ、この頃から退嬰的で、享楽的な人間だったのですね。

 最近、24時間営業の居酒屋兼ソバ屋を見つけた。
亡くなった、大好きだった杉浦日向子さんは、”暮らすということは、時間をつなぐことで、酔ってうやむやに終わる1日からは、暮らしの実感は生まれてこない”って書いていたことを思い出す。

 そっか。
還暦を過ぎてから、1飲2休の日々の暮らしだが、たしかに、お酒ははやめに飲んで、読書かDVDを見るなどしてから、しっかりと今日が終わったことを実感してから、眠りたいと考えている。

 そろそろ、夜の月を眺め、夜風がキンモクセイの香りをどこからか運んでくれる季節である。
リーマン時代は、午前様の守谷の分譲地の暗い夜道を酔ってトボトボ帰って、月光に揺れるススキを見るのが好きだった。

 ああ、リーマンというのも、案外、素敵な仕事だったな。。。と、今なら言える。

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# by nonoyamasadao | 2015-10-05 10:11 | 雑文 | Comments(0)

ブリッコの考察

  声優補正という言葉が、あるらしい。
まあ、女性なら、昔、声美人と言っていたようなものだろう。
デパートや野球場には、ウグイス嬢なる姿かたちの見えない声の美人がいて、場内アナウンスをしていた。

 声美人かどうかはわからないけれど、アストラット・ジルベルトやクローディーヌ・ロンジェのウィスパーボイスが好きだった。
甘~くて、繊細で、切れ切れで、ささやくような声質で、世のバカ男どもは、たいてい、これにやられた。

 甘い声では、伊東ゆかりさんの声が好きだった。
アルトで、竹内まりやさんがすこし、似ている。竹内さんの方が、すこし硬質な音色のようだ。

 これを書くと、かなりの女性から反感を買いそうだが、いいや、書いてしまえ。
菊池桃子さんの、息がどこからか漏れたような声が好きだった。
丁寧語で、ゆっくりと鼻詰り風にしゃべる。
いつも目から鼻先にかけてニコニコと笑っているが、口は大きく開けず、テンションも上げずに、感情の起伏はあらわさない。
そして、ここがポイントになるが、クローディーヌ・ロンジェ同様に、舌足らずに、さ行は、しごくあいまい且つ滑舌が悪く、センテンスの語尾だけを強調する。
。。。。で「す」というふうだ。
そこが、かわいい。

 そういえば、部下だったかわいいOLが、お姉さんに子供が生まれ、旦那さんが桃子と名付けたとか聞いたのも、この頃だ。
彼女は、安易だと思いませんか?と言って、笑った。

 まあ、菊池桃子さんの曲は、林哲司さんが独占していた。
けれど、菊池桃子的ワールドを楽譜で表現したのは、尾崎亜美さんだったと思う。
乙女チック路線でありつつ、物語性を持たせた詞の展開で、少女マンガ的世界の絵がパッと、眼前にひろがる。

 あまり売れなかったけれど、以前に書いた『曇り、のち晴れ』など、傑作だと思う。
考えてみれば、'70年代から'80年代にかけて、デパートの屋上での”歌とサイン会’が華やかだった全盛時代は、よたよたしながらも、どうにかリーマン人生を歩いていた。
 
 まあ、ブリッコ路線と言えばそれまでで、きっと今と同じで、同性からは、ウザイとか、イラッとするとか、痛いとか言われたのかもしれない。
ボクだって、天然系の菊池桃子さんは大好きだったけれど、演技派の松田聖子さんには、でぇっ嫌いだぁぁぁぁ~~~を貫いた。
今だから言える。
じつは、隠れ・・・だったと。

 この隠れ・・・というアイドルは、結構、多い。
まだ、恥ずかしくて書けない人もいる。

 そういう意味では、最近のアイドルは一部の人を除いて、ブリッコ的情感に訴えるものが乏しい。
感覚の衰えもあるだろうが、時代がブリッコを求めていないからなのかもしれない。

 肉食系女子時代の青春っていうのは、殺伐として、ヤな時代であるなぁ。


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# by nonoyamasadao | 2015-09-11 16:55 | 雑文 | Comments(2)

雨の石畳

 朝、芝の増上寺を見ながら、小雨の道を歩く。
子供のころから、今にいたるまで、闇のお寺は、なべて不気味だ。
よい年をして、恥ずかしいのだが、こ、怖い。
夜中に、タクシーから見るだけでも、築地本願寺は、際立って怖い。

 増上寺は、なぜだろう。
早朝のせいもあるが、全然、怖さがない。なんか開放的な感じがする。夜でも、大丈夫かも知れない。

 慶應大学の西門に行くつもりが、三田駅から市役所に向かうふれあい大通りとかに、出てしまった。
街路樹のサルスベリが、そろそろ終わりですよ。。。。というようにワインレッドの花をつける。
西門を探しながら、サルスベリの花に話しかけるように、ゆるゆると歩く。
角を曲がって、ああ、今年はサルスベリを見なかったけれど、街路樹のサルスベリというのは、また格別だなと思う、
そっか。
今年の夏も終わってしまうのだなあ。
なんとなく樹木の葉が、秋の装いを告げているような気がする。

 な~んて、のどかに歩みをゆるめていると、バケツをひっくり返したような雨が降りだす。
叩きつけるようで、だいぶ、濡れてしまった。

 ひっそりとした道を行くと、ああ、ありました。
ここが、慶應大学の西門か。
狭い、石畳の坂を上る。
雨に濡れた舗石などながめ、まっすぐに坂を上ると、学問の庭が広がった。

 こういう道を毎日、歩いて、なにがしかを考えていれば、もうすこし、ましな人間になれたかもしれない。
でもね、しょうしょ間抜けで、マンガのような毎日だけど、まだまだだよね。。。と思えるのも結構、楽しいのですよ。

 今年の秋は、少し長めだとよいのになあ。


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# by nonoyamasadao | 2015-09-09 18:17 | 雑文 | Comments(2)

9月になれば・・・

 9月になれば、世間の人はみな忙しく、学生さんもそれなりに忙しくなる。
いつもヒマしているワタクシも、すこし忙しくなった。

 地方都市なのだから、帰るころは、そんなに暑くもないし、本の歩き読みでもしたいなと思う。
けれど、歩道を自転車が走ってくる。
ああ、そういえば、遠い昔は、授業中でも、行き帰りの電車でも、バスを降りた家までの帰途でも、本を読んでいたことを思い出す。
フム、娯楽小説が面白くて仕方なかったころだ。
ミステリやSFだけでなく、新聞小説、恋愛小説、中間小説、時代小説、風俗小説、都会小説、みな読んだ。

 なんで、本ばかり読んでいたのか。
孤独な少年だったわけでもない。
川上弘美さんはさみしいから、本を読むのだ。。。みたいなことを書いていたのを、読んだ気がする。

 さみしいと言えば、今だって、さみしい。
たしかに、さみしかったから、本のなかのいろんな人に出会って、退屈を忘れた。

 明日から、東京に行って、しばらく一人ぼっちになる。
若いころは、九段下から神保町まで古本屋巡りをして、新宿の紀伊国屋に行き、渋谷の大盛堂書店も覗いたな~んてことがあった。
今、そんなことをしたら、ヘトヘトだ。
そ~なんだ。
若い人たちと仕事をすると、若いころは、こんなの楽ちんだったのに、と思うことがしばしばある。

 ウ~ム、年令には勝てぬ。
でも、そのぶん、夜空を眺めたり、朝の空気を吸ったり、お茶をのんびり啜ったりを自覚して、しているような気がする。
女性ならカツカツと歩くのだろうが、スタスタと素早く歩くことが、ほとんど無くなったぶん、季節の移ろいや、そういえば、今年のサルスベリは花の終わりがはやかったな。。。とか思うようになった。
これは、若いころには経験しないさみしさだけれど、なんか少しづつ秋の気配を感じることも、そう捨てたもんじゃない。
すこしづつ夏が去って行き、すこしづつ秋が近づいてくる。

 こういうあいまいな季節のなかで、ゆるゆると過ごし、まったりとしたキブンでいたいときに、読む本は、はて、なんだろう。


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# by nonoyamasadao | 2015-09-06 16:14 | 雑文 | Comments(10)

紅の渚

 夏のお酒、『悦凱陣』を飲みながら、甘鯛の焼き物などをつつき、今日一日に思いを馳せる。
でも、夏のお酒と言っても、実のところ、よ~くワカラン。まだまだ、修行が足りない。
いつもの、佐賀のお酒『東長』の方が、ボクにはおいしい。
ようは、猫に小判なのだった。

 猛暑日だというのに、野暮用で、郵便局へ行き、仕事部屋へ向かう。
土曜日の郵便局は、こちらでは東郵便局と、中央郵便局しか開いていない。

 郵便局の用事が済んで、ああ、くたびれたぁ。。。と思いながら、こだわりの背広に、こだわりのネクタイで仕事場へと歩く。
こだわりというのは、人がネクタイをするときはせずに、世間がクールビズの時には、ネクタイをする。
アウトローのワタクシらしいのが、こだわりである。
でも、あじぃー。とけるかとおもった。

 学園大通りのケヤキ並木の木陰に、何人かの女性が、くっつくようにして信号待ちをしている。緑陰なのでしょう。
こういうときに、あの角を曲がったら、海の匂いがした。。。みたいな地にすみたいなとつくづく痛感する。

 路地にはお寿司屋さんや古本屋さんがあって、でも、ボクはカレーやうどんも出揃った大衆食堂で、鰺の叩きで、ビールを飲む。
海辺ならではの醍醐味だ。
目の前には、駿河湾のような青い海が広がっていて、漁港には、船が桟橋につながれている。

 常連のボクに、食堂のオヤジが、うまいエボダイの開きがあるから、これ食ってよ。。。とかいって、タダで焼き立てを出してくれる。
バカうまっ!。
じゃあ、うまいものも食ったし、仕事でもすっか。。。。ていうのが理想だ。
猛暑のせいだろうか、妄想は際限なく、広がっていくのだ。

  というような、夏の日々なら、さぞ楽しかろう。
こういう喜びは、若いころにさんざんバカにしていた、ささやかなシアワセってヤツ?。。。なのかもしれない。
俺も随分、堕落してしまった。

 ところで、ダメついでに、『夜は短し歩けよ乙女 』っていうのは、面白いのだろうか。
年甲斐もなく、実は、気になっている。
な~んとなく、好きそうな予感がする

 遠くなった昔、函館の夏、湯の川温泉からイカ釣り船の漁火を見た。
闇夜に、たいまつの炎が揺れる。
日の出の朝には、紅黄色の海の朝焼けを見た。妄想ではなく、実話だ。
 
 そして一日が暮れていくなあと、思いながら、今、最後のビールを飲んでる。
定年退職したら、海辺で暮らしたい。


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# by nonoyamasadao | 2015-08-22 20:31 | 雑文 | Comments(0)

遠い日の花火

  今年も、夏真っ盛りになった。
昼下がり、強烈な陽光を浴びながら、ペットボトルをラッパ飲みしながら帰る。
うだるような空気がゆ~らゆら、こちらの意識も、少しだけ、ゆ~らゆらしながら、スーパーの横の細い横道を歩く。
スーパーを過ぎると、小学校の向かいの原っぱに、青々としたススキが幾重にも重なって伸びている。
草の茂みのムッとした、青くさい草いきれがプ~ンと鼻をつく。
う~ん、これは遠い昔、子供のころに嗅いだ夏草の匂いだ。
向かいの小学校側を、浴衣の小学生か、中学1年くらいの女の子が歩く。
ん、なぜに浴衣?。
江津湖で花火大会でもあるのかなぁ。

 そうだった。
中学のころは、石坂文学の影響か、山と川とお城のある町に憧れてた。
さらに、この地では、いたるところに温泉まである。
そっか、夢は叶ったのだな。。。今になって、そう思う。

 花火大会で、あらためて思う。
ボクには、恋は遠い日の花火ではない。。。というような、ロマンティックな思い出などなかったな。
♪チッチッ…チッチッ… チッチッ…祭りの太鼓がテンテケテンと泣いちっち。。。という甘酸っぱい失恋の思い出すらねーよ。無念じゃ。

 ボクの子供のころの花火は、みな、おもちゃ花火だった。
橋の上に立って、ドーンという音がする、夜空に咲く花火をまじかに見たのは、ぐっと下って、30代の半ばである。
手賀沼の花火は、自宅そばでやっていた。

 おもちゃ花火でも、ねずみ花火とロケット花火は、別格だった。
ねずみ花火は、円形の軌跡を描いて、ネズミのようにしゅしゅっと音を立てて走り回り、最後に、パンとはじけた。
ロケット花火は牛乳瓶に立てる打ち上げ花火だった。

 中一の時に、クラス委員の女の子が、ボク向かって、スイカを食べるとき、楽でいいでしょ。。。と意地悪を言った。
ボクの前歯は、二本がにょっきりと大きくて、すこし出っ歯だった。
ムカついたので、習字の時間(書道?)に、顔にめちゃくちゃ墨を塗ってやった。
放課後職員室でしかられ、校門を出ると、待ってたクラス委員がすまなそうにあやまった。
なんだか、とりかえしのつかないことをしたような気がした。

 そのクラス委員の子と夏の夕暮れに、おもちゃ花火をしたことがる。
クラス委員が駄菓子屋さんで買った、しけった花火を持ってきたからだ。
その頃の舗道には、各家々に木のゴミ箱があって、ゴミくさいところで、しゃがんで花火をした。
ねずみ花火などなく、もっと、地味で、しょぼい花火だ。
それでも、青や黄色い炎が燃えて、影法師が長く伸びた。

 クラス委員は浴衣の膝をそろえて、ボクの花火をじぃーーっと見てた。
な、なんなんだろう。突然、むずがゆいような尿意をもよおした。
けれど、我慢をしたのを覚えている。

 実は、高校時代にもマネージャーの子と花火をしたことがあるが、この時は、影を踏んだ踏まないで、喧嘩になった。

 してみると、中一の夏のしけった花火が、ボクにとって、最初で最後の、遠い日の花火だったのかもしれない。


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# by nonoyamasadao | 2015-08-01 14:36 | 雑文 | Comments(7)