いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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おはよう今年

  今年最後の日。
まだ年賀状を書いていないので、朝の七時前に起きて、少し、書きだす。
外はまだ、暗い。
すくない数なので、一応、宛名と数行の言葉は、手書きだ。
今日、投函すると、いつごろ到着するのだろう。
 川上弘美さんだったと思う。
大みそかに、年賀状を書いて、おせちを少し作って、紅白を少し見て、おやすみなさい今年と言いながら眠る。。。とエッセイに書いてた。
SMAPも出ない(といっても、俄かファン)紅白は、たぶん、見ないと思うが、二日酔いになる少し前くらいまで、お酒を飲むと思う。
どうせ、深夜の2時過ぎになる。
だとすれば、年が変わって、年の最初に向かって、おやすみ今年。。。はどうだろう。出逢いの挨拶抜きのサヨナラみたいだ。
明日、起床の時、おはよう今年。。。と挨拶することにしよう。
明日、晴れだとよいなあ。

 このところ、寒い。
老母が腰痛のため、あれこれとせわしないが、どーせ、あちこちに買い物に行く程度である。

 立原正秋さんのエッセイをパラパラと読んでいたら、「造花にしたがい四時を友としたのは芭蕉だ」というくだりがあった。
ん?、一瞬、芭蕉の時代に造花などあったの?。
午後の四時が友達とは、まじ意味わかんない。。。と、ギャル言葉で呟きたくなる。
まあ、理解できていないのは確かで、ネットで調べる。
どうやら、自然(造化)にしたがって、四季(四時)を友達にする、と言うことらしい。
インターネットは、まことに便利なものである。

 今年は、サルスベリもサザンカも、ほとんど意識して見たことはなかった。
そっか。サザンカなら、例年だと、すぐ隣の隣の高校の鉄柵の生垣のあちこちに咲いている。
年賀状を出すときに、ちょっと寄り道して見てみよう。

 本当なら、大つごもりの夜は、お隣の独身の料理研究家(華道か茶道の研究家でもよい)の美女と一緒に、酒盛りするはずであった。
すくなくとも、妄想の世界ではそうだった。

 こうして、今年も一年がすぎて行く。



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# by nonoyamasadao | 2016-12-31 10:09 | 雑文 | Comments(0)

年の瀬の独り言

  今年も、いよいよ押し迫ってきた。
今日は、哲学者のW.ジェームズの地震は、悲惨なものだけれど、破壊から、何かの始まりを予感させるような超楽観的なエッセイを読んだ。
瓦礫からの創造か。
かくありたい。

 最近の青春ドラマは、どーもボクには面白くない。
有村架純さんとか、桐谷美玲さんとかご贔屓のタレントは魅力的なのに、砂をかむ思いだ。
どうやら、相手役の男性や物語展開に問題が、ありそうだ。
比較的、最近のタレントさんで好きなのは、森山未來さん、『Q10』の佐藤健さん、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』のバイプレイヤーの高橋一生さんくらいだ。
それぞれ、個性があった。

 まあ、客観的に見れば、ボクの感性が時代から大きく乖離したんだろう。
最近のイケメン男性のヘアスタイルでは、前髪が額をスッポリと隠すほど垂らす傾向があるようだ。
昔の少女マンガの、眼の中に星がキラキラ時代の男子に、似ている。

 むきになるわけではないけれど、ボクだって、うんざりするほど髪が伸びたころがあった。
髪の毛が目に入ると、カッとした怒りを覚えた。

 この頃の若者はなどというと、年寄りの口ぶりである。
ボクにも、その季節がやって来て久しい。

 しかし、どの男性タレントさんも、恐ろしいくらいに陰影がない。
もしくは、屈託がまるでない。
きっと、せんべいを齧らずにチョコなど食し、みたらし団子を頬張ることなく、ケーキでも食してきた咎だろう。
そういえば、ある少女マンガを読んでいて、ヒロインの相手役の男子が、まったくの没個性で、ノッペラボウに見えた。

 ボクが大学最後の年だったと思う。
『冬物語』という、恋愛ドラマがヒットした。
浅丘ルリ子さんの相手役は、まだ30になったころの原田芳雄さんで、手負いの獣のようだった。
くぐもった、しわがれ声で、ボソボソしゃべる。
前髪が額を覆うようになっていたけれど、かっこよいアンチヒーローだった。
細身のミスタースリムを咥えて、タバコを吸うシーンに、痺れた。
さっそく、それを真似て、セブンスターからミスタースリムに変えた。
これが高くつく。
まあ、格好だけまねたって、中身が伴ってないので、同じ寡黙でも、異性としゃべれないのと、しゃべらないのは大きく違う。

 今や、ソース顔、ショーユ顔の時代を経て、塩顔の時代だそうだ。
そうかい、そうかい。
味噌、醤油、塩なら、塩ラーメンが一番、好きだ。
白菜、椎茸、ニンジンなど野菜たっぷりだし、胃にやさしい感じだ。

 ↓穴沢ジョージさんのブログが素敵だったので、マネして。


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# by nonoyamasadao | 2016-12-28 23:18 | 短編小説・詞・詩 | Comments(0)

冬至

 ブログを始めて、かれこれ9年になる。
最初は、映画や読書や音楽の趣味の話題で、そのうちに日々の暮らしの食べ物や、過去の非モテの鬱屈などに拡散していった。
その日の気分で書いていたのが、過去の由無し事を書くようになって、小中学から40才になるかならないかの意識の流れを、行きつ戻りつした。
通して読んだことはないけれど、統一といったようなことはまるでないと思う。

 振り返れば、茫々として定かでない孤独やさみしさが広がっているに違いない。
本当は、もっと、乾いた淡い感傷や、陽気で、おバカな日々を書きたかったが、本来の体質が、しみじみとか、ペーソスを好んでいたのだなあと、最近になって、やっと気がついた。
そう思うと、かなり、いやな気分になる。
まっ、いっか。
性分なのだから、仕方がない。

 飽きっぽい性格なのに、よくもったなあ。。。我ながら、不思議だ。
これからも、適度に酒を飲み、おいしい刺身を食し、DVDを見て、あーだこーだうしろ向きの話題を綴って、森の中をゆるーく散歩するような感じで続けていきたい。
明日は、冬至である。
ことしこそ、ぜったいに、柚子は六個以上、投じようと固く決意する。
今、夜空は霧でかなり霞んでいるが、かすかに見える朧月を眺め、いまだによるべなくてしんみりした、それでいて、かすかに幸せに似た気持ちになった。まあ、こんな感じがちょうどよいのかもしれない。
今年は、あと何回、ブログが書けるだろう。

 年食っちゃったけれど、まだまだ、これからさと思うと、まだ若かった東京の時代がすこしだけ蘇る。


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# by nonoyamasadao | 2016-12-21 00:20 | 雑文 | Comments(1)

柚子とポインセチア

 ここのところ、あまり、読書をしていない。
メガネの度数が微妙に狂っているので、目が疲れる。
裸眼の方が、よく見える。
読書は、仕事の本だけにしていた。

 映画と読書と食べ物くらいしか楽しみのないボクにとって、なんだか彩りに欠けるどころじゃあない。
たとえてみれば、読書抜きのボクなど、冷飯やぬるーいビ―ルのような、いよいよもって碌なものじゃない。
そういえば、季節の風景にも鈍感になって、色褪せた風景のようになっている気もする。
こいつはイカンですよ。
鬱々した我が人生の危機かもしれない。

 で、さっそく、メガネ屋さんで、遠近ではなく、近々メガネとやらをつくってもらう。
う~ん、新聞の文字が実にくっきり鮮やか。
日曜版に載っている記事の内容が、ばかに面白く読める。

 フム、やっぱ、お休みって大事だなと思う。
エンタメ系の活字から、随分と長いこと、ご無沙汰していた気がする。

 さりとて、たいした仕事などしていないのだけれど、お遊びにも、お休みが必要なことを知る。
たまには、DVDを見ない日とか、おしゃべりをほとんどしない日とか、朝ごはんを抜く日とか設けてみよう。

 よ~く、見えるメガネで、塔晶夫の『虚無への供物』の日経新聞の紹介文を読む。
ウ~ム、読みたい、読みたい。
あの素晴らしく長い、日本ミステリ史上燦然と輝く、最高峰のミステリを読みたい衝動が津波のように襲ってくる。
他にも面白い新刊書などないか、新聞の読書欄を眺めながら、日本茶を啜る。
あ、そういえば、このところ、コーヒーばかりを飲んでいた。
おいしい日本茶のおかわりを丁寧に淹れる。

 冬なのに、ばかに明るい午後の日ざしがリビングに伸びている。
そろそろ、柚子とポインセチアを買わなくっちゃ・・・だな。


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# by nonoyamasadao | 2016-12-18 13:22 | 雑文 | Comments(0)

雪の断章

  11月に東京で、雪が降るのは54年ぶりだという。
ということは、ボクは小学生の最後のころだろう。
フム、思い出せない。
中央自動車道の八王子インターのあたりだろうか。凍てついた路面が映し出される。
そっか、東京は雪か。
いや、よそごとである。

 かと思うと、東山の東福寺では、もみじ紅葉の見ごろである。
やっぱ、紅葉は、イチョウ並木の黄葉もよいけれど、ケヤキ、カエデ、そして、ナナカマドが好きだな。

 ほんとうは、橋上での写真撮影は禁止なのに、みな、ケータイでバシャバシャ撮ってる。
フム、気持ちはわかるけれど、昔の日本人は、そういうルールは愚直なまでに守ったもんだ
守らなかったのは、ワタクシのような無頼漢だけだった。今や、ワタクシだって、守る。
いやはや、困ったもんだ。
いや、よそごとだ。

 仕事が午後近くにあって、11時を過ぎたころ、家を出る。
うっ、さぶっ。
風が冷たいというより、寒い。
そっか、東京では雪だもんなあ。いや、よそ事ではなかった。

 風といえば、風邪が流行っている。
若い女子で、声が出ない人を何人か知っている。
それも、ガラガラ声やかすれ声ではなく、空気音だけでしゃべるような感じである。
そっか、9月の下旬だったか、喉がめずらしく痛くなって、インフルのような発熱で寝込んだのだった。
去年はインフル1回、今年はインフルとインフルもどきで2回寝込んだ。
今までは、インフルなど一度もかからなかったけど、昨年あたりから、自信がなくなった。
はてさて、今年は予防接種をしようか。
いや待て。この2年で、3回も罹ったということは、罹る可能性のあるパターンはほぼ、出尽くしたのではないか。
だったら、やっぱ、予防接種はサボっちゃおう。

 ゴホッ、ゴホッ。。。えへん虫のばかっ! ...という、 懐かしいCMがあった。
モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークに、バーカ、バーカ、エヘン虫、。。。というおバカな歌詞がつけられて、なんだか楽しかったのを記憶してる。

 今年、我が地では、雪は降るだろうか?
30年前、東京にいたころの大雪が、まぶたの裏に、一瞬よみがえる。
そっか、あのころは、まだ、堂々たる中年だった。
 すこしだけ、さみしい。


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# by nonoyamasadao | 2016-11-24 16:06 | 雑文 | Comments(1)

学園祭の季節

 遠い昔のこと。あれは、中央線に乗って、信濃町を過ぎたあたりのことだったと思う。
電車がガタンと揺れたとき、シネ研にいた下級生の女子が、ボクは近寄りがたいと言った。
まるで、鉄条網でまわりを仕切って、女子には、寄るな、さわるな、シッシッと取りつく島もないといったふうだと言った。
そのまんまの表現ではないけれど、そんなことだったと思う。

 ああ、見透かされているなと思う。
ボクにとって、女性は、小学校時代の男子、女子のママで時間が止まっていた。
だから、女子とは何者か。
どんな生き物で、どんなことを考え、どんなことを話すのかなど、皆目見当がつかず、雲をつかむようなことだった。
野坂昭如さんだったと思う。
自宅の庭の物干しに、姉でも妹でもよいから、彼女らの洗濯ものでも翻っていたら、この心細い感覚は、随分と薄まったと思う。

 だから、長田弘さんのあるフレーズを、別なシチュエーションだが当てはめると、「話すこともなかった女子(正しくは人)とだって、語らうことができると知ったのは、死んでからだった」。
というような心境が、ピッタリだった。
これが緩和されたのは、三十路をだいぶ過ぎてからではないか。
 
 まあ、非モテを認めまいと、ハードボイルドに生きることを強調すると、逆に非モテのコンプレックスが異性には際立って見えてくるのだろう。
そのような屈折は、まあ、年令からくる感性の鈍化により、ことごとく消えてなくなり、今や、おばさんチックですらある。

 屈折時代の名残で、今でも残っているのは、群れるのが大嫌いなことかもしれない。
たとえば、立食パーティーなどで、見ず知らずの赤の他人と、さも楽しそうに談笑することなど、ぜったいに考えられない。
若い時は、どんなに憧れていた異性から一緒に来てと懇願されたって、家族やカップルや女子達でひしめくデパートの雑踏はめまいをもよおすので、行ったことはない。

 だから、学生が群れる学園祭は、今も、大っ嫌いだ。
大学時代の学園祭の時は、ただの一度もキャンパスには足を踏み入れず、高田牧舎のあたりから、たまに、イチョウ並木の通路の光景をチラ見する程度だった。
遠くから、さんざめきが風に乗って、聞こえるくらいで、ちょうどいい。

 昨日も、さんざめきを背にして、大きな緑のかたまりの金木犀の香りが漂う、並木のイチョウが色づく帰りの道すがら、今年の金木犀は香りが淡いなと思う。金木犀は、空気のきれいな場所で、よく花をつけるという。
そっか、道を隔てた先が空き地だったのが、大きなショッピング・モールになり、車の出入りが頻繁になったからかなとも思う。

 夕暮れが近い空気を、紅葉が秋の色に染め、はるか遠くの山にかかった陽がうるんで揺れる。
な~んか、人生を感じてしまう。冬の人生の色か。

 すこし風が吹いて、ケヤキ並木の梢がこちらも少しだけ傾く。舗道には、ケヤキの朽葉が散らばっている。
 枯葉は、凋落した葉である。いくら、うつくしい葉でも、いのち尽きた葉は、まだ、好きにはなれない。

↓本当は、落葉の喫茶店がよいけれど、本物がないので、次に好きなコレを。


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# by nonoyamasadao | 2016-11-06 10:55 | 雑文 | Comments(1)

かなりヤバいかも・・・

 『秒速5センチメートル』を観る。
劇中の話だと、秒速5センチメートルとは、さくらの花びらが地上に降下する速度そうだ。
ボクは小林秀雄の「中原中也の思ひ出」を思い出していた。

 「あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めてゐるに違ひない。」のくだりである。
違うのは、浅葱色の春の黄昏に、海棠の花が散っていくさまと桜の違いだ。

 小学校のころは、鞍馬天狗ごっこや頓馬天狗ごっこや椿三十郎ごっこに、熱中した。
チャンバラ大好きで、畑で三角ベースの野球で遊び、土曜日の午後は、パン屋さんの焼きたての菓子パン、肉屋さんの揚げたてコロッケだけが、楽しみだった。
資本主義には、ミシェル アルベールの説く『資本主義対資本主義』の2通りがあるけれど、このアニメ映画の第1話を観ていると、日本的資本主義は、間違っていなかったのかも知れないな。。。と痛感する。
もちろん、今の日本の資本主義には、大反対である。

 まあ、ぼんやりした、あたまの空っぽな小学生や中学生時代だったけれど、なんとシアワセだったことだろう。
ドラマにあるような根拠のない自信などなかったし、未来への漠然とした不安もなく、くよくよすることも、ほとんどなかった。
たまに、不安定になることはあっても、放課後の休み時間をひたすら楽しみにする、極楽とんぼであった。
図書館など見向きもせず、同級生の女子にも、小学校のときは、無関心だった。
めざめていなかった。

 そ~んな思春期だったけど、このアニメを観ていると、動作や気持ちは今からすると、ぼんやりなりに、もの凄いスピ―ドがあって、1日の時間がありすぎて、持て余した頃が蘇った。
また、会社員になってから、とてつもなくミスマッチのシステム・エンジニアの仕事に絶望しながら、それでも、捨て身で頑張ってきたころが、主人公に重なる。

 主人公が高校生活を過ごす種子島で、進路調査を書かず、紙ヒコーキに織って、飛ばすシーンでは、ハーバート大学生を描いた『ペーパーチェイス』のラストシーンを思い出した。
第三話の桜の花屑が舞い込んでくるシーンでは、中原俊監督の『櫻の園』のラストシーンを思い出したし、エンディングの奇跡的なすれ違いの後の場面では、アンリコの『若草の萌える頃』のジタ伯母さんを思い出した。

 このアニメは、女流作家のような繊細なタッチが持ち味だ。シルエット、坂、新宿駅界隈、並んだ鉄塔、列車の連結器の揺れ、夜の電話ボックス、そして踏切などの添景が見事である。
カポーティの『草の竪琴』を読む女子高生や漱石の『こころ』を読む女性は、魅力的だ。
どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるか。。。というドラマには縁がなかったけれど、それなりに溌溂としていた、そして生々しい一瞬が、闇の中の篝火のように、いくつか浮かんでは消えた。

 そうだった。
ボクだって、草っぱらで流れていく雲の輪郭を気にしたり、夜中の新宿のタクシー乗り場をうろついた時期もあった。だいぶ、時間はかかったけれど、満を持して会社も辞めた。

 ただ、今、振り返れば、きっと、あの人も振り返ると思ったことは、ただの一度もなかった。かりに、そんなことがあっても、振り返らなかっただろう。
来年も一緒に桜が見れるといいねと思った相手もいない。
そんなさみしい人生の人は、ほかにはあまり、いないだろう。
少年のころ、ボクが遠くを見ていた視線の先には、なにがあったのだろう。
 今もって、自分でもわからないし、わかった気もしない。
かなり、ヤバいかも・・・。


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# by nonoyamasadao | 2016-10-30 16:57 | 雑文 | Comments(0)

シンプルライフ

  いつもの通り抜けの大学のイチョウ並木の黄葉が、そろそろかなという兆しである。
いつもだと、並木に並んだキンモクセイが軽いめまいをおぼえるほど、濃密な香りをまき散らすはずだが、今年はほんのりという感じだ。
フム、これって、震災の影響なのかなあ。
この程度が、ちょうどよいのだが、震災のせいだと思うと、すこしかなしい。

 アラ還のころ、このブログを始めたときに、竹内まりやさんのシンクロニシティのPVをよく観た。
夢を見ていて笑っていた人から電話が鳴って、目覚め、お互いに同じ夢を見てたーーーという書き出しの歌詞だ。
ああ、いいなあ。でも、それはムリだ。

 ただ、ぐうぜん乗った小田急線の世田谷代田のあたりで、ガタンと揺れて、ボクが落とした本が、向かいの席の女性と同じ本だったことは、あった。
カバーが外れ、本の装丁が剥き出しになったからだ。
村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』で、向かいの女性は、酒井和歌子さん似の美しいお方で、鼻先でニッと笑って、会釈してくれた。
ただ、歌詞と違うのは、恋に落ちることなどなく、二度と逢うこともなかった。
初期の村上龍さんの小説はよかった。
村上春樹さんは、初期の数作はそれなりに面白かったけれど、才能が違うな。。。と勝手に、そう思った。
その評価は、今も変わらない。

 最近、シンプルライフに憧れている。
持たない暮らしや、自宅でリラックスに、一番、シアワセを感じる。
別に物持ちではないのだけれど、省略の美学には、昔から憧れた。
小説も映画も、大部や大作は苦手だ。
三浦哲郎さんだったか、若鮎のような短編が生涯に一作だけでも、書ければ、それがサイコーのようなことを書いていた。

 そんなことだから、今、一番、凝っているのは、湯豆腐である。
大きな土鍋にたっぷりの水をはり、昆布もすこし多めに入れて、豆腐と春菊、シイタケがあればそれでいい。
あとは、ネギの薬味と、生姜、大分産のスダチがあればいい。

 まことに、シンプルである。
太宰の『人間失格』に、朝帰りして、料亭によって、朝風呂を浴びた後で、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安いわりに、贅沢な気分になるというくだりがあった。
まさに、その通りだ。

 川上弘美さんの『センセイの鞄』の小説でも、トーフの角を切るように食す。。。という場面があった。
ウ~ン、これは真似てみたいけれど、ど、どうするのだろうか。

 そう、センセイではないけれど、トーフはエライのだ。


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# by nonoyamasadao | 2016-10-27 15:56 | 雑文 | Comments(0)

松木ひろしさんを偲ぶ

 都会派コメディーの作家、松木ひろしさんが亡くなった。
高校生の頃に、ビリーワイルダーとI.A.L.ダイアモンド脚本のソフィスティケーション・コメディーが大好きになった。
日本の喜劇映画は、どうにも泥臭く、ウェットな人情ものが宿痾であった。
だから、どのようにうまくできていても、渥美清の寅さんは評価しない。
やっぱ、湿った感じは好きになれない。

 『アパートの鍵貸します』の哀愁は、乾いた哀感である。
ビリーワイルダーとI.A.L.ダイアモンドとまではいかなくても、ブレークエドワーズやハリーカーニッツの『ピンクの豹』や『暗闇でドッキリ』のような作品を心待ちにしていた。

 そ~んなころに、松木ひろしさん脚本の石立鉄男ドラマが始まった。
それまでの石立鉄男さんには、安田道代さんを人質に立て籠もる『殺人者』のイメージが強烈だった。
悪漢だが、やがて、人質の安田道代さんと恋に落ちて、最後は自殺する役柄だった。
いってみれば、W.ワイラーの『コレクター』の原作のジョン・ファウルズの前半部分のような映画であった。
三島由紀夫原作、蔵原惟繕監督の前衛映画『愛の渇き』も、忘れ難い。
寡黙な園丁の使用人役で、若く引き締まった、すこし粗野な肉体に、浅丘ルリ子さんが魅かれていく役どころだった。
そうだった。彼は新劇の出身だった。

 岡崎友紀さんとの『おくさま18歳』のころから、はっちゃけた役柄が定着したように見られているが、その前に隠れた佳作の『S・Hは恋のイニシャル』がある。
これは、松木ひろしさんの石立ドラマの原型(後の『おひかえああそばせ』、『雑居時代』etc)のような作品で、大坂志郎さんの家に転がり込むパターンも、この作品からだ。
主人公は布施明さんで、ハンカチを貸してくれた一目惚れの謎の女性が、伊東ゆかりさんだった。
物語は、この女性をひたすら探し続けるわけだが、最終回に、伊東ゆかりさんは再び、ちょっとだけ登場する。

 松木シナリオの定石では、大坂志郎さんは男やもめで、娘たちだけの家庭に、アフロヘヤーの石立鉄男さんが、どういうわけか、いきなり転がり込む。
美女たちの一人(たとえば、大原麗子さん)と、いつも、ののしりあいながら、くっつきそうで、一向に進展しないという、隔靴掻痒な感じが、古ーい、恋愛臆病者のボクには、ぴったりだった。
大原麗子さんとのののしり合いが、なんとも快調なテンポで、都会的なセリフが飛びかう。
このへんが、渥美清さんだと、どーも陰気っぽくなる。スラップスティックなお遊びも満載だった。
松木ドラマは、どちらかといえば、ジャックレモンやトニーカーティスのオーバーアクションのタッチである。
二枚目か二枚目半が、三枚目を演じているふうでないと、そうはならない。
『雑居時代』など、その典型だった。

 松木ひろしさんは、当初、脚本のはこがきができなくて、東宝映画で学んだと、どこかで書いていた。
たぶん、『サラリーマン目白三平 女房の顔の巻』が、井手俊郎さんと共同脚色だから、井手さんから習ったのではないか。
石原慎太郎さんも、井手さんから習ったと書いていた。
植木等さんの『ニッポン無責任時代』(第一作目)は、じつに、愉快痛快な共同脚本(田波靖男)だった。

 松木さんが、コメディ―作家になる前には、日本テレビで、日活の監督が演出した石坂洋次郎シリーズが、何作もあった。
長い連続ドラマの面白い、ストーリーテリングの下地になったのではないか。
 また向田邦子さんと『七人の孫』や『だいこんの花』など、交代で書いていたことがある。
前者は、いろいろな作家が書いていたが、後者になると、松木脚本の方が、断然、面白い。
森繁さんと竹脇無我さんの掛け合いの「片方がいじると、片方がすねる」という会話の妙は、テンポよく、絶妙な間があった。
まるで、社長シリーズの森繁さんと小林桂樹さんの掛け合いのようだった。

 長いこと松木ドラマを見続けていると、ときどき、松木ひろしらしさが失われ、そろそろ、限界かもなあ。。。と思っていた。
そ~んな時に、’80年代の『池中玄太80キロ』が始まり、再び、やっぱり、松木ドラマは面白いなあと再確認する。
やっぱ、通信社の報道カメラマンのシチュエーションが、な~んとも賑やかで、時間に追われる仕事特有の興奮があった。
西田敏行と三浦洋一の掛け合いがドラマのお約束で、毎回、大声で罵倒しあい、ののしりあい、また仲良しに戻るというパターンが快調だった。
ボクは、 坂口良子さんのファンだったから、くっつきそうで、くっつかない、引っ張って、引っ張っての恋愛ドラマが面白かった。

 松木ドラマのエッセンスは、現代風俗と、お洒落会話と都会的洗練であった。
当時、謎だった葉村彰子さんという作家は、どうも、向田さんなどの作家仲間の合作の名前のようだ。
『水戸黄門』や『大岡越前』などあるが、ボクには、あまり、面白くなかった。

 松木ドラマは、’60年代半ばから、’80年代後半まで、約20年間、ボクの鬱屈した青春時代の一服の清涼剤のようだった。あらためて合掌。
考えてみれば、脚本家が原案を名乗れたのは、彼の功績だろうと思う。
大好きだった坂口良子さんも、大原麗子さんも、石立鉄男さんも、みんな逝ってしまった。
とても、さみしい。
 
 そういえば、『フルーツポンチ3対3』とか、『レモンスカッシュ4対4』とか、『水蜜桃は青かった』とか、お洒落なタイトルも魅力だったなあ。


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# by nonoyamasadao | 2016-09-22 18:36 | 洗練コメディー映画 | Comments(0)

土曜日の新幹線

  先週の土曜日、博多まで出かけた。
以前なら、ちょっとした遠足気分だった。

 子供のころ、杉並の堀ノ内(川崎の堀之内じゃあ、ないですよ。念のため)の妙法寺とか、井之頭公園とかに遠足に出かけた。
まあ、学校の授業脱出のだいご味は、小学校や中学校までだった。
高校になると、もう、ずる休みとか、登校途中で気が変わって、有楽町まで映画を見に行ったりする、遊びをおぼえた。
今なら、自主休講とかいうのでしょう。

 今や、熊本ー博多が、新幹線で38分だから、東京のリーマン時代の通勤時間の半分より速い。

 帰りの博多駅の新幹線のチケット売り場が、あれれ~、混んでる。
ラーメン丼の四角い渦巻に入り口と出口がついたような囲いに、列ができてた。
昔は、囲いなどなくて、並びの列はジグザグになったり、どこかで微妙に曲がってたりしたのを、思い出す。
ああ、昔は、すべからく、秩序的でないのが、みょうーな魅力だったよなあ。
無くしてから、はじめて気づいた。

 新幹線に乗ると、午後の四時過ぎの窓の外は、青い空が広がっている。
明るい。でも、まぶしくはない。
ところどころで、サルスベリの花を見つける。
通路を隔てた座席では、おじさんが、缶ビールを飲んでる。

 ああ、もう少ししたら、秋だ。
マツタケでなくても、シメジやマイタケ、ナメコなどのキノコ狩りにも行きたいなあ。
キノコは、ボクの好みのタイプの、コナラ、クヌギ、ブナ、ミズナラなどの落葉樹の根元に生える。
もっとも、『センセイの鞄』じゃないけれど、毒キノコには、気をつけなくっちゃね。
助かる前提なら、一度くらいは、ワライダケとやら、食してみたい気がしないでもない。
いや、冗談です。よい子の皆さん、マネしないでください。

 そろそろ夕方になるなあ。
ハギや桔梗の季節がすぐそばだ。
ほとんど揺れない新幹線で、少しくらい揺れたほうが風情があるのになあ。。。などと思う。
まことに、勝手なものである。
通路の向こうでは、おじさんは、まだ、ビールを飲んでいる。

 午後の日ざしが、まだ明るい。


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# by nonoyamasadao | 2016-09-12 12:28 | 雑文 | Comments(2)

さみしいから、アップカミングガールズでも、聴きますか。

  深夜、寝室の窓を全開にして、周囲の景色と月のありかを確認して、深~く深呼吸して寝る。
それが、慣習になったのは、今の集合住宅に引っ越してからだ。
それも、9年目になるのか。早いような、遅いような・・・だ。
昨日の真夜中、かすかにキンモクセイの微香が漂っているような錯覚に陥った。
けれど、まんざら、錯覚でもないような気もする。

 朝晩、少し、秋めいてきた気がする。
ボクの精神状態では、そうである。
暑いのはヤダな、38℃になるのは、ガクブル。。。という気分は、もうない。

 スーパーに行くと、お上品な風情の柿が並んでいる。
太秋柿というのも、この地の特産だか定かではないが、やわらかく、中途半端な感じで、好みではない。
サラダ感覚というのだろうか。
 柿は、そんなものではない。
歯が折れそうなくらいに、ガチガチに硬いものだ。
でも、ゴマが入っていて、齧り付くと歯ごたえ十分すぎるぐらいで、乾いた柿特有の爽やかな甘さが、口中に広がった。
ああ、柿はハードボイルドな果実だった。

 老母が美容院に行っている間に、ちゃちゃっと、遅れていた仕事をやっつける。
声を出して、原稿を読み上げる練習をしたりするので、人がいると、とてもこっ恥ずかしい。
それは、読み上げる時間を計算するためだが、結婚式のスピーチも、最近では、あまり長すぎると思わなくなった。
それって、こちらの時間の幅が長くなったのか、客観的に、短くなる傾向にあるのかは、よくわからない。

 秋が来ると、思い出すことが一つある。
ボクに、文才がないことに起因する思い出だ。
 作文がまったくダメで、とにかく、書くとなると、思いつくことがな~んもない。
今、内容空疎でも、こうして書いていることが、夢のようである。
たぶん、大学の同好会で、倶楽部ノートに誰もみな、毎日、何かを書くのが約束事だったためだろう。
 
 亡父が、小学校2年生か、3年生のボクの宿題を、めずらしく手伝って、全部、一人で書いてくれた。
宿題の詩を代作してくれた。

 覚えているのは、以下のフレーズだけだ。

 秋が来た、秋が来た。
八百屋さんに黄色いミカンが並んでいて、秋が来た、秋が来た。
 
 って、ところだけ、60年近く前なのに、今も覚えている。
父は意外と、作文が好きだったのかもしれない。な~んとなく、そんな気がする。

 秋が来たって、夕暮れに誘われて、街角に立つことは、もうないだろう。
サンマの煙がもうもうと立つ光景に、出っくわすこともない。
もう何年かたって、朝、燃えるようなモミジの紅葉を見に、散歩に出かける日々なら、それは幸せってヤツだろうなと思う。

 街は色づくのに~、逢いたい人は来ないか。そのような経験は、今も昔も、なかった。
さみしいから、AKBのアップカミングガールズでも、聴きますか。


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# by nonoyamasadao | 2016-09-09 21:28 | 雑文 | Comments(0)

スクリーンミュージック

 穴沢ジョージさんのブログを拝見していて、そういえば、昔は、スクリーンミュージックのラジオ番組があったことを思い出す。
スクリーンミュージックのベストテンでは、『エデンの東』とか、いつも上位だったような気がする。
映画を見ないのに、音楽だけで、『エデンの東』は名画に違いないと、勝手に想像を膨らませた。

 『デート ~恋とはどんなものかしら~』を見ていると、映画の話題でマニアックな論争が繰り広げられる。
松重豊さんが、「スティーブ・マックイーンといえば、『大脱走』と『荒野の七人』でしょう」と、したり顔で、切り出す。
フム、たしかに、『大脱走』と『荒野の七人』は、ジョン・スタージェス監督らしい、スカッとした画面構成とテンポよく展開されたアクション映画だった。
こういうテンポがよくて、ワクワクする娯楽映画は、近年、とんと見ない。
すかさず、長谷川博己さんがたしかにそうだけれど、「『ブリット』を見なきゃあ、マックイーンファンとは言えない。そして『ゲッタウェイ』と『パピヨン』が続く」とのたまう。
そっかなあ、『ブリット』のカーアクションは、確かに伝説的である。
英国の俊才のピーター・イェーツは、この出来があまりに良すぎて、爽やかな青春映画で、自転車レースが楽しい『ヤング・ジェネレーション』や、彼が撮ったとはとても想像できない渋い傑作『ドレッサー』まで、長~いスランプに陥った。
けれど、『ゲッタウェイ』と『パピヨン』はたしかに大作だけれど、そ~んなにマックイーンの代表作かしらん。

 だったら、やっぱ、『シンシナティ・キッド』じゃないかい。
E.G.ロビンソンの圧倒的な貫禄と、サスペンスフルなスタッド・ポーカーと、ラストシーンの靴磨きの少年のシーンなど、今でも、余韻が残っている。
ああ、あのころのスティーブ・マックイーンは、たしかに好漢だった。

 じゃなければ、小学校の低学年の頃に見た、賞金稼ぎのテレビドラマの『拳銃無宿』は、忘れがたい。
宮部昭夫さんの吹き替えで、スティーブマックイーンが、妙に、老けて見えたっけ・・・。
考えてみりゃ、何をいまさらだが、ボクはかなりのオタクだったなあ。愚かにも、今にして、気づく。

 スクリーンミュージックで追いかけたのは、たしかにデビ―レイノルズの歌う『タミー』が主題歌の映画は、一生懸命探したけれど、とうとう見れなかった。
幼心に、切々として、せつない気分になった名曲だった。
子供のころ、きれいなお姉さんとして憧れた園まりさんが、♪あなたにほほ寄せて ささやくしあわせ・・・と歌う『女王蜂』は、曲先行で、なけなしのお小遣いを払って映画を見に行った。

 ほかには、Dreamという曲が、夢見るように素敵だった『足ながおじさん』は、曲が聞きたくて、電車に揺られて、千葉のほうの名画座まで出掛けた。
すごく満足して帰ったけれど、Dreamが、『足ながおじさん』のオリジナルでないと知ったのは、ずっと下って、中年に差し掛かったころだった。
あれは、ショックだったなあ。


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# by nonoyamasadao | 2016-09-01 18:22 | 雑文 | Comments(0)

今年の夏も

 夏である。夏休みである。
じゃあ、どこかに行ったのかと問われれば、な~んもしていない。

 今日など、自宅にて、すこし仕事をした後、豚のしゃぶしゃぶで宅飲みもよいなぁと思ってたけれど、結局、この暑さで、近場のスーパーすら行く気になれず、ありあわせでイッパイとなった。
子供のころ、亡き父や母に、今年もどこに行かないのは、我が家だけだ。。。と憤慨したのが嘘のようだ。

 気持では、老母と新幹線で鹿児島でも行き、桜島や指宿温泉でも連れてってあげたいなぁ。。。。とは思う。
第一、ワタクシ自身も、指宿は未体験なのである。
いやね、行けば、こりゃぁ、行ってよかった。。。と思うに違いない。
早く来ればよかったとか・・・。
でも、たとえば、ディズニーまで飛行機で行って、どうするというのか。
浦安に、本社があったのに、招待券らしきものがあったって、人工的な遊園地じゃあね。。。と思った。
 今だって、毒を飲んで死にかけたティンカーベルに会えるわけではないと思う。
まあ、毒を飲もうが、飲まなかろうが、ティンカーベルに会えるわけじゃない。
そういえば、松田聖子さんにも、『Tinker Bell 』というアルバムがあった。

 まあ、今年の夏は暑すぎたし、大きな地震もあった。
長いこと人生していると、いろんなことがある。
ご近所のご主人が留守宅に、紅い百日紅が、いつものように咲く。
事情は不分明だが、主のいない庭に咲く百日紅は、とてもさみしい。

 そっか、昨日、仕事部屋から見た5階からの風景では、もう、たくさんのトンボが舞ってた。
な~んとなく、夏の暑さが、微妙にゆるんできたような、気がしないでもない。
甘いよ~、夏はまだまだこれからさ~という気もする。

 そ~んなことを思いながら、熱燗の日本酒の最後の一滴を飲み干す。
ああ、そうこうしているうちに、今年もまた、一つ、年をとったんだな。

 あちらこちらで、いつものように百日紅が咲き、ケヤキの緑陰は素敵な日陰をつくってくれる。
今年の夏も、そろそろ、終わるんだね。


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# by nonoyamasadao | 2016-08-21 18:35 | 雑文 | Comments(0)

身辺雑記

 昨日は暑さでヘロヘロになりながら、それでも書店に行く。そこに流れている空気感に落ち着く。
本棚にずらっと並んだ文庫本コーナーを散歩するように、ブラブラしながら、写真の美しい趣味のコーナーや料理のレシピ本なども、興味津々である。じぃーっと見入る。
三年坂通りという、な~んともロマンティックな名前の坂にある書店を出て、川上弘美さんの書いていたことを思い出す。

 陽炎がゆらゆらと立ちのぼるような街角を歩きながら、最近、一番、数多く足を運んだ場所は、やっぱ、本屋さんだった。
二番目は、ソバ屋か居酒屋だと思う。
ソバ屋でビールを飲んで憩い、ゆっくりと陽が暮れていくと、ああ、今日も一日が終わるのだなあ、と少ししんみりする。
もう少し、年が行けば、涙ぐむのだろうか。だったら、やだなあ。
三番目は、スーパーか映画館だろうと思う。
けれど、最近は、『海街diary』も『バケモノの子』も、みんなDVDだ。
前者は、ちょっとだけ小津風で、後者は、評判悪いけれど、スペクタクルだった。

 こう暑いと、たまらなく北国へ行きたくなる。
でも、本当に行きたくなるのは、寒くなってからだ。
雪の舞う季節に、北国の温泉に行って、紅葉の終わりの旅館の庭の樹木など眺め、鍋料理を食し、雪見酒をすると、ああ、日本人でよかった。。。って実感する。
もっと、年が行くと、生きててよかったになるのかもしれない。

 まあ、あれやこれや妄想をたくましくして、夕暮れが近づく時間のころに、一週間の晴れたり曇ったりの出来事などをゆるりと振り返ってみるのも、人生の彩りになるのかもしれない。
人生には幾通りもの道があって、人生論などはまったく無縁で、これから先、ど~なっていくのだろうと漠然とした不安を抱えてた子供の頃が、懐かしい。
ま、今だって、晩飯は何を食おうとか、夜、観るDVDはなんにしようとか、即物的なことで、あ~でもない、こ~でもないと悩む。

 人間はいくつになっても、あんまり、進歩しませんね。

って、ボクだけか。


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# by nonoyamasadao | 2016-07-31 13:23 | 雑文 | Comments(1)

幸福のシッポ

 伊藤ユミさんが亡くなられた。
とても悲しい。
『情報ライブ ミヤネ屋』を見ていると、今度は、永六輔さんが亡くなる。
う~ん、我が青春の影法師の最後のシッポが、突然に切り落とされた感じだ。
そういえば、ザ・ピーナッツに『幸福のシッポ』(永六輔作詞)という劇中歌があった。
でも、幸福のシッポは、♪つかま~えた 幸福のシッポというつかまえるもので、うしなうものではない。

 土曜日の夜になると、『夢で逢いましょう』は、中島弘子さんのなぜかいつも、首を右40度に傾けて、「今晩は」という、おしとやかで、エレガントなご挨拶から始まった。
エンディングは、坂本スミ子さんの『夢で逢いましょう』がサビ近くなると、だんだんと照明が落ちて行って、暗くなって番組は終わった。
ああ、今週の土曜日ももうすこしで終わるなあとさみしく思った。
『シャボン玉ホリデー』では、スターダストが流れ、ハナ肇がザ・ピ-ナッツをタヌキとからかって、ガツンと肘鉄をくって、歯をむくのがエンディングだった。

 どちらの番組も、ボクが小学生のころから始まっていた。
しっかりと記憶しているけれど、一番、印象深いのは、中学生2年ころかもしれない。
頭の中は、エッチな事だけで、爆発しそうで、いざ、学校では、女の子とろくに話もできなかった。
読書では、石坂洋次郎と源氏鶏太の文庫本は読みつくして、獅子文六の『てんやわんや』とか『箱根山』、丹羽文雄の『日日の背信』とか『献身』など読んでいた。
マンガ家のちばてつやさんは、ボクより年長だけれど、同じ年ごろに、同じような読書傾向だった記事を読んだことがある。
なんだか、うれしかった。ちょっとだけ、背伸びして、ユーモア小説や今でいう不倫小説を好んで読んでた。

 永六輔さんは、作詞家ではなく、ある種、天才的な詩人だったと思う。
ただ、ヒステリックなところがあって、テレビ局の生番組をドタキャンして帰ったとかの挿話はなんどもあった。
印象に残っているのは、TBSラジオの『永六輔の誰かとどこかで』で、これは、もう、彼の独壇場だった。
まあ、間断なくしゃべるのは頭の回転が速い証左だろうが、しゃべるしゃべる、アシスタントの遠藤泰子さんは、うなづくだけだったように記憶している。
ちょっと、ドグマティックなところが、好きになれなかった。
けれど、当時としては、ハイブラウで、洗練された都会的センスの構成作家だった。時に、それが鼻についた。

 ザ・ピ-ナッツのベストは、『私と私』(作詞 永六輔)だと思うけれど、やっぱ、ザ・ピーナッツらしいのは、宮川泰さんのアレンジが冴えた『悲しき16才』とか、『恋のバカンス』のイントロも素敵だった。
伊藤ユミさんと永六輔さんに合掌。

 昔は、夜空に散らばる星のように、憧れる人たちが、いっぱいいた。
大きい星や、小さくてもキラリと光る星が、たくさんあった。
それが、一つ消え、二つ消えと、段々と星が消えていって、もう数えられるくらいになった。
とても悲しいけれど、誰かが亡くなられると、その頃の想い出が走馬灯のように蘇ってくる。

 う~ん、ちょっぴりジーンとして、やがて、心がほんのりあたたまる。
また、ぼちぼち、本でも読もうかなという気分になった。


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# by nonoyamasadao | 2016-07-13 17:55 | 雑文 | Comments(0)

あなたならどうする

  今日は仕事をしない日だが、雑事がたまって、市役所や銀行など、中心部に行く。
といったって、10分もあれば、行けるところだ。
この地の人は、中心部に行くことを、街に行くという。
これが、どうもピンとこなかった。
街なのか、町なのかも判然としない。

 せっかくの七夕だから、というので、デパ地下で美味いものでも買って帰ろう。
コチとヒラメの刺身を買って、ニラ饅頭を買って、かぼす釜de和風マリネ風みたいなのを買い込む。

 七夕の短冊に書くなら、お隣に美人の料理研究家か、美人のお茶の先生か、美人のお花の先生がお引越しで来るように・・・とか書いてみたい気分が、濃厚である。幸い、今、お隣は空き家になっている。すくなくとも、ずっとお留守だ。
昔は、老後は谷中で・・・とか、老後は書店主に・・・とか、生涯現役の意欲満々だった。
最近、すこし弱って来たのかなあ。
お隣さんをあてにするようじゃねえ。感心できない。

 イカンなあ。
でも、鉢花専門店なら、いまでもやってみたい。
ミステリ専門の古書店もいいかもしれない。

 ほんとうは、優柔不断な性格が治りますようにとか、ちょっとはあったと思う可能性やそのタイミングを逃さないようにが、きっと似合っているのだろう。
でも、ツーレイトである。第一、性格だもんな。
私のどこがいけないの?

 あっ、そういえば、昔々、いしだあゆみさんの『あなたならどうする』って、歌があったな。
♪私のどこがいけないの
♪それともあの人が変わったの~
♪あなたならどうする。。。って、2度、繰り返す歌が、はやった。

 調べたら、1970年3月、発売だった。
あ、思い出した。
そういうことを言うから、優柔不断だって、当時、先輩から叱られたのだった。

 46年間、煮え切らないのは治らない。
それだから、まだ、夢を見たまま、時間だけが流れているのかもしれないな。


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# by nonoyamasadao | 2016-07-07 22:10 | 雑文 | Comments(0)

晴れたり曇ったり

 いつのまにか、7月になっていた。
健康診断の結果を聞きに行く。
毎年のことだけれど、いつも途方に暮れ、出掛ける。
最悪のシナリオを想定せねばと思いきかせるのだが、その日の朝は、きまってドーンと暗いキブンになる。修行が足りない。
まあ、健康な人間のエゴに他ならないのだけれど・・・。

 検査結果は、ハッピーな結果だった。
でも、ここ数年の数字と較べて、やっぱ、落ちているよな~。。。などと、贅沢にも眺め、ハァ~とため息をつく。

 まあね、よく、考えれば、明日死んじゃったって、おかしくはない年令に差し掛かっているのだ。
でも、その自覚とか、覚悟など皆無だ。
胸を張って言えることではないけれど、覚悟などな~んもないし、1年でも長く、生き延びたい。

 人生など語る資格などないし、そうしたら、おしまいだと思って生きて来た。
そ~んなワタクシですが、人生は、晴れたり曇ったりだと思う。
ずーっと、晴れの日ばかりが続く人は、ずーっと曇りだけの人や、雨ばかりの人と変わりないような気もする。
じつは、大きく違うのだが、キブンの浮き沈みだけなら、同じレベルかもしれない。

 晴れたり曇ったりは、誰にもあって当たり前なのだろうが、順番からすると、曇りのち晴れの方が、ぜったいによろしい。
ボクたちは、いつ死ぬか分からないからって、推理小説は結末から読むというのは、『恋人たちの予感』のビリークリスタルのセリフだ。
けど、うしろから読んだって、読んでる途中で死んだら、同じじゃんか?。違うか。
 
 じゃあ、ボクは、ストイックに生きて来たのか?
違うな。
握り寿司など、好きな順に食っていた。
それを見て、亡父は、この子は享楽的だな。。。と、さみしそうに呟いたという。
フム、そうだったのか。
たしかに、若いころは、享楽的だった。
こと、異性関係を除けば、そうだった。
異性関係だけは、ストイックだった。
いや、見栄を張ってはいけない。非モテなだけだ。

 外見がだいたいパッとしないし、難しい本は無理して読んでいたし、映画ばっかり観ていた。
こういう男子は外見がよくたって、モテナイと伊坂幸太郎さんは『重力ピエロ』の会話の中で、書いてた。
井伏鱒二の『山椒魚』の書き出しの山椒魚は悲しんだ。。。。に影響されたのは同じだけれど、ボクがもてなかったのは、映画や読書の結果ではない。

 どうやら、梅雨明けふうの昼下がりの13時前後に、猛暑日のような日差しを浴びて、背広にネクタイで帰る中、ああでもない、こーでもないと上のような想念が陽炎のようにゆらめいて、たゆとう。
おことわりしておくが、わけわからん想念は熱中症からではない。強い陽射しは、堪えるが、不快ではない。

 ここの処、忙しいし、若いころと違って、疲れもとれにくい。
でも、この1週間の中でだって、やっぱ、晴れたり曇ったりってある。
夕方が近づく放課後の時間に、日々の暮らしの晴れたり曇ったりを思い返して、ゆるふわと生きていたいなって念願しつつ、3日ぶりのビールをいつくしむように丁寧にコップに注いで、飲む。
しみじみ、今年も、一応だけれど、検診クリアでよかったなと感謝する。

 だいぶ、テレビの連ドラDVDも観たなあ。
そろそろ、50年近く昔の、読書三昧、ミステリ三昧のころに、戻ってみてもよいかな。。。っという気分が濃厚である。
はてさて、どうなるか。


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# by nonoyamasadao | 2016-07-05 18:57 | 雑文 | Comments(1)

昼下がりのスーパー

 仕事部屋でクーラーが2ヶ月ぶりで試験運転をはじめたので、出掛ける。
ふむ、涼しい。
いや~、快適快適、思えば随分、贅沢になったもんだ。

 待ち人来たらずで、予定が長引いて、今日は無理。。。との連絡が入る。
じゃあ、長居は無用だ。
新しくできた、通り抜けの道の先の大手スーパーに行く。
まだ、13時ちょっと過ぎなのでで、知っている人にあうかなぁ、会わなければよいなあとビクビクしながら、買い物をする。
ホタルイカ、きびなご刺し、茄子の煮浸し、季節の焚き合わせなど、手抜きのための惣菜を買い込む。
知っている人には会わなかった。
ああ、よかった。

 梅雨時なのに、とてもよい天気で、かなり暑い。
今年の夏は、かなり堪えそうな、やな予感がする。
どうか外れてくれ。

 小学校の樹木に沿って、やや日陰を歩くと、ハナミズキやツバキには、子供が書いた短冊がいくつもぶら下がっている。
ハナミズキさん、ピンクの花を咲かせてくださいとか、ツバキさん、きれいな花をありがとうなどと、まことに愛らしい。
けど、3本もあるコブシの若木には、な~んにもない。
毎年、すこし遅れ気味に、早春の青空に映える純白の花を咲かせるのにな。

 コブシを桜よりも愛するボクとしては、友だちを失ったようで、とてもさみしい。
ただでさえ、友だちはあまり、いないのになあ。
ひょっとしたら、コブシ好きな子供は、世界で一人もいないんじゃないかと、ドーンと落ち込む。
まあ、年々、年賀状も減って来たしなあと、心さみしくトボトボと歩く。

 右手の、柵の向こうには、また、新手の建設中の構築物が見える。
巨大なクレーンが、青空に高く聳える。
ほう、震災後の創造的破壊であるなあ。

 いや、違った。
創造的破壊は、創造が先行するか、創造と破壊が同時に起きるのだった。
震災は被災という破壊が先だった。

 でも、クーラーも戻ったし、どうやら、平和な日常が、よくやく蘇ってきた気が、しないでもない。
静かで、明るくて、暑い午後、反対の道を帽子をかぶった年季の入ったおねえさんやおじさんも、まったりと歩く。

 昼下がりの帰り道も、いいものだなと思う。

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# by nonoyamasadao | 2016-06-17 16:22 | 雑文 | Comments(0)

桃の香り

 夕の7時ころ、飲み会に出掛ける。

まだ、明るい。

お店を探しながら、お店の前に来て、すこしたじろぐ。

ガラス張りのお店で、外から内部がよく見える。明るい照明が輝く。

カジュアルというべきか、どこかオサレで華やいで、美味しい洋食とおしゃべりが大好きな女性向けという感じである。

そっか、女子会とか、よく似合いそうだ。

フム、すこぶる、場違いな感じだが、エーイ、入ってしまえ。


 やっぱ、ピザとかパスタのメニューが豊富である。

隅に、初老っぽい男性や異色の中年女性が、にこやかに話しているが、かなり違和感アリアリだった。

扉が開いて、女子大生風の爽やかな着こなしの女性が、フワリと羽のように入ってきて、そこのテーブルに着く。

あっ、決まった。

場の雰囲気が、あっという間に、その場になじんだ。

してみると、こちらはどうだろう。

まあ、周りに埋もれ、どってことないさと嘯く。

最近、空気が読めなくなったのか、はたまた、感受性が希薄になったのか、とことん打たれ強くなったのか?それは定かではないが、めったなことでは動揺しない。

年をとるのは恥ずかしいことではないけれど、無神経になるのは恥ずべきことだ。

これでいいのかなあ。まっ、いっか。いっぱい、飲んで、酔ってしまおう。


 ビールなどたくさん飲むと、手洗いが近くなる。

手洗いに行って、戻ると、我が手にキツーイ桃の香りがする。

手洗いのせっけんか。フム、香水ならわかるけれど、せっけんねえ。


桃というのは、まことにセクシーな果物である。

形状はお尻に似ているし、産毛だって生えている。

 

 ある作家先生によると、水蜜桃は、起き抜けに、木の下でガブリと食いつく食べ物だった。

間違っても、甘い汁気などを滴らせて、濡れ縁で、食してはならない。

遠い昔、どこからか、ハチが飛んできて、ひどく刺されたことがある。

あれは、悲惨だった。


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# by nonoyamasadao | 2016-06-11 16:13 | 雑文 | Comments(0)

緑のキ・ブ・ン

 一仕事して、通り抜けのキャンパスを通ると、青空に夏雲が浮かぶ。
梅雨はこれからなのになあ。
どこからか、甘い香りが漂い、周囲を見回すと、境栽のクチナシの白い花がたくさん開いている。
そっか。
クチナシの香りは、甘いんだとあらためて思う。
キャンパスにはナツツバキが結構、植えこまれていて、上品な白い花が咲く。
芯の部分が、黄色い。
梅雨の季節は、ナツツバキ、同系統で、ヒメシャラが楽しみだった。

 東京のリーマン時代は、朝早く、タクシーで北柏駅に向かう途中で、魚市場のニュースなど車中でよく聞いた。
魚市場のスポークスマンは、梅雨の季節は、イサキがおいしいので、ぜひ食べてみてください。
値段の割に、淡泊で、上品な味が楽しめます。。。。というようなことを、よ~く聞いた記憶がある。
塩焼きでよし、煮つけてもよし、とも言っていた。

 梅雨の前の季節、草萌が終わり、木々の若草色がしっかりした緑になるころ、気分も緑色になった。
気分は緑色というのは、ボク的には、夢と現実のちょうど中間のような気分で、疲れない状態である。
何事にも、必死で生きている人には、物足りないか、頼りなく感じるかもしれない。
ボクにだって、小学校や中学校の頃は、結構、捨て身で生きてきたことがあった。

 でも、いまいち、ピリッとしないよね。。。っていうのも、存外、悪くない。
あえて、この季節の難をいえば、果物が少ない。
みかんは終わって、ビワかイチジクの季節か。

 桜桃は、好きではない。
太宰治の桜桃があまりに、下品で、それがトラウマになったようだ。

 古都金沢では、梅もスモモも桜の花と一緒に咲くという。
室生犀星だったかな。

 今日は、スモモを買って帰ろう。


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# by nonoyamasadao | 2016-06-06 12:29 | 雑文 | Comments(1)

笹だんごとくちなし

 老母の故郷の新潟から、笹だんごを頂く。
ああ、ありがたや。
窓の外は雨、雨が降ってる。
朝から、仕事関係の分厚い本を読んでいたせいもあって、疲れ気味で、沈んだ気分がパァーと解き放たれる。
我ながら、食べ物への飽くなき執着に、内心の動揺を隠せない。
げに、食い物の恨みは恐ろしいのであ~る。
人が楽しみにしていた、たかが大福だろうが、盗み食いなどしてはならぬ。

 数枚の深山の生笹にくるまれて、イグサで十字に結び、中央でまとめてある。
フム、何回かさわって紐をほどいて、笹をはがすと、すこし、エッチな気持ちになった。
あれですよ、時代劇の帯ほどきの悪戯です。
お代官様いけませぬ、ムヒヒよいではないか、あ~れ~、しゅるしゅる且つくるくる~っと回転するヤツが、頭を駆け巡る。
まあ、欲求不満だろう。
蒸した笹だんごは、甘すぎず、ほのかな笹の香りとヨモギの味が懐かしい季節を連れて来た。
昔は、香りを楽しむ。。。な~んてことはなかった。

 ちかくの通り抜けの庭では、つつじは盛りを過ぎ、くちなしの香りが雨の中に漂った。
斑入りくちなしでも、よい香りだ。
ただ、虫がつく。
虫食いに負けるくらいなら、枯れてしまえ~と書いていたのは、誰だったかしら。忘れた。
明日は、原稿を仕上げなくっちゃ。
 
 ということで、4日ぶりに、ビールと熱燗で、おいしいものでも食べましょう。

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# by nonoyamasadao | 2016-05-28 20:25 | 雑文 | Comments(1)

白い影

 中居クンこと、中居正広さんの『白い影』を1話、2話と見る。
ああ、この人は、こういう陰影のある役もできるのだなあ、とあらためて、そう思った。
確かに、アイドル全盛のころでも、そういう雰囲気はどこかに隠し持っていた。

 『白い影』の原作は、渡辺淳一氏の『無影燈』である。
同じタイトルで、故田宮二郎氏が演じたテレビドラマは名作だが、もう40近いころで、さすがにニヒルで、苦い演技がさまになっていた。

 対して、中居正広さんは、20代最後のころだから、堂々の演技である。
看護師さんという言葉は、どうも昭和には似合わない気がするので、あえて、看護婦さんという言葉を使わせてもらおう。
相手役の看護婦さんは、竹内結子さんで、こちらは、山本陽子さんよりも、もっと存在感があって、ういういしい。
ああ、渡辺淳一氏は、比較的初期には、『阿寒に果つ』とか、これとか、骨のある作品も、書いていたんだなぁ。

 いつのまにか、渡辺淳一氏は、必然性も、葛藤などまったくない、弛緩しきった新聞小説ばかりを書くようになった。
いってみれば、不倫大好きな、オジイチャンといったふうだった。
くんずほぐれずのベッドシーン作家になった。

 我が敬愛する、立原正秋氏となると、無理に無理を重ねたメジャー志向の中で、流行小説を書いていた。
曰く、李朝の末裔であったり、日韓混血など、虚言を重ね、その役を演じきって、逝った。

 けれど、小説のプロットはいわゆる風俗小説風でも、それなりの必然性や緊張感は、いつも維持していた。
純粋な恋愛小説は読むと、ある種の抜き差しならない状況になり、男のエゴイズムや女性のエゴイズムの醜悪な部分に逢着する。
倫理を超えてしまった向こう側で、問われる愛の形が、たしかなかたちで、描き切られていた。

 時として、立原正秋氏の描く男は立派すぎて、リアリテイ―を欠くという指摘もあった。そうかもしれない。
けれど、いってみれば、渡辺淳氏一の描く不倫は、ふしだらで、破られるべくしてなされた、自堕落な日常だった。

 立原正秋氏の書いた小説には、いつだって、哀しさが漂っていた。
それは、血の問題だったり、破滅への道行きだったり、情念の美学であったりした。

 畏友の高井有一氏の『立原正秋』は、独特な旧かなの古風な文体で綴られた伝記であり、私小説的でもあった。
高井有一氏は、立原正秋氏が兄事した吉行淳之介氏の言葉の中に焔を読みとり、立原の片想いだったかもしれない。。。とシビアな視線で吉行発言(手紙)の的を射抜いた。
 文章の教本といわれ、規範ともいわれた志賀直哉氏の文体に、「が」がおおいことや、「事」の濫用を指摘し、美しくないと指摘した鋭い人である。
彼の書いた立原評伝は、なんとも、あたたかな陽がさし、友への敬愛に満ちていた。

 そ~んなことを思い出しながら、今日は、『白い影』の第3話と第4話を見よう。
立原文学など生意気に語ったら、久しぶりに、彼の小説が読みたくなった。
三年坂通りの本屋さんに行っても、どうせ、絶版なのだろうなあ。

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# by nonoyamasadao | 2016-05-19 14:59 | 雑文 | Comments(0)

二者択一の論理

 大学生のころは、二者択一の論理で生きると自任した。
好きなものは大好きで、嫌いなものは大嫌いというわけだ。
当たり前のようだが、好悪の感情で、すべてを一刀両断しようという気負いのあらわれだった。
ミステリや映画を見て、感じたままをいきなり警句風に、あたかも批評家のように、人にぶっつけて来た。
人間関係も、白黒で、割り切った。
たまさか、黒だと思ったら、そのなかに純白を見出しても、いったん、決めた選択は変えずに来た。
これが、我が人生に、どれだけの喪失をもたらしたのか、定かでない。
同時に、白の中にダークな部分を見つけても、そのぶん、寛容でいられたのかもしれない。
今、書いていることが、どれほどゴーマンで、手前勝手な論理なのか気づいたのは、ずっと下って、恥ずかしながら、つい最近のことだ。

 そんなふうだから、高校のころは、放課後のあいまいな時間帯が、苦手だった。
小学校や中学の頃は、放課後の解放されたキブンが好きだったので、受験や勉強との関係がなくはない。
なぜなら、高校は無試験で大学へ行ける附属高だったし、大学のころは、学生運動で授業などなかった時代だ。
まったくのノーベンでも、問題はなかった。

 そんなだから、高校のころは、武蔵小金井の北口にバスがつくと、時間を持て余した。
ボクはすぐに家に帰らず、踏切を渡って、南口駅前のラーメン店の娘娘(ニャンニャン)で、ラーメン・餃子か、タンメン、焼きそばなど食した。
小金井の駅前周辺が、大学のキャンパスのようだった。
駅前の商店街の新星堂で、レコードをさがしたり、わりと大きな本屋さんで、新刊本だの、文庫本だのを読み漁っていると、ゆうに2時間近くは過ぎた。
本屋さんは、ボクにとって図書館であったのだ。
でも、エッチなグラビアの平凡パンチやプレイボーイや、新潮文庫や、カッパノベルスを買ったので、迷惑だったろうが、主人から疎まれてはいなかったと思う。

 あの頃は、昼でもない、夜でもない、夕暮れのあいまいで、たよりない時間を持て余して、永遠に続くくらい長く感じたものだ。
50代の中頃、怪我で入院してから、なぜか、放課後の時間や夕暮れの時間のやるせない感じが好きなった。やっぱ、弱ってきたのかもしれない。
振り返れば、小学校や、中学校の頃は、夕暮れの帰り道が大好きだった。
放課後の帰り道に、ダラダラ坂を下ると、立派なお屋敷の犬が、いつも吠えた。

 夕暮れは、昼の明るさと夜の闇のあいだのどちらでもない、なんともあいまいな時間帯である。
たしかに、頼りないといえば、頼りない感じだ。
でも、ゆっくりと時間が流れていく。
心地よく、重荷にならない、やさしい時間帯である。
最近は、夕暮れの帰り道、時々、深呼吸をしてみたい衝動に駆られる。
けれど、それは70代まで、とっておこうと思う。

 人間を含めた動物は、夕やけ色を見ると、身体が寝る準備を始めるという説がある。
そうかもしれない。
だったら、まだまだ、寝たくない。

 まっ、ありえないことだけれど、ひょっとしたら、オレンジ色の雲の彼方の地から、長距離バスか列車に揺られ、ボクに会いに来る佳人がいるかもしれない、な~んて妄想した。

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# by nonoyamasadao | 2016-05-14 11:58 | 雑文 | Comments(1)

エゴノキ

  昨晩、少し寒くなって、暖房にすると、老母が買ってきた胡蝶蘭に似た花が、あっという間に満開になる。
胡蝶蘭のような高価な花は、我が家には似合わないし、好みでないので買わない。
まあ、胡蝶蘭ではないにしても、なんとも華やかな花だ。
洋花には、どうも抵抗がある。けれど、右翼ではない。

 最近、この地では、クスやケヤキの街路樹を剪定しすぎである。
もともと、自然樹形を楽しむものなのに、痛ましい。
繁茂したさみどりで、信号が見え難いなどの理由は、あるのだろう。

 再開したが、玄関入り口前の青空営業のスーパーに行く。
『ユーガットメール』のような、ストリート・マーケットなら、楽しいのだけれど、雑駁な感じで、なんとも味気ない。

 帰り道、無駄足だったなと独り言ちながらトボトボと歩くと、自宅のすぐそばのマンションでエゴノキが咲く。
それにしても、生け花のように、ズタズタに剪定されているのに、けなげにも咲く。

 どこからともなく、甘~い、バニラのような香りがキラキラキラと漂う。
人通りがないので、有毒な木ではあるが、このやるせない匂いはどこからくるのでしょう。。。。と、くんくんと匂いをかぐ。
匂いの正体は、どうやら、花の真ん中からのようだ。

 うつむきかげんの女の子と言った風情の、真っ白な小さな鈴のような花が、下を向く。
この木は、以前、住んでた住宅に、庭師の人が運んでくれた。
コナラ、棒カシなどの雑木の庭に、オガタマのバナナのような匂いが終わると、エゴノキのバニラの匂いが漂った。
5月の連休のころだった気がする。

 そして、まだ蕾もたくさん、つけているのに、小さな花はハラハラと散る。
好きだったな。
ああ、そうだった。
志水辰夫さんの『散る花もあり』は未だ、読まずにとってあるのだった。
そろそろ、読む時期かもしれない。

 どんなときでも、季節の時の刻みは、正確なんだな。


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# by nonoyamasadao | 2016-04-24 18:06 | 雑文 | Comments(1)

爆発、ゆるふわ料理人

  数年前にあったfacebookムービーのあなたをあらわすキーワードでは、ボクは”爆発、ゆるふわ料理人”だった。
なんだか、納得だなあ。
 最近、ゆるふわ系女子なる言葉があるそうだ。
そんな定義があったんか~いってことで、識者の定義を読む。

 ゆるふわ系女子は、デニムのパンツをロールアップさせ、ナイキかどこぞのスニーカーを履いて、トートバックを持つとある。
じゃあ、一時代前なら、ジーパン足まくりで、ズックを履いて、スーパーのレジ袋を下げれば、いいのか。
な~んか、ダサい。
でも、質素で、けなげな感じなので、まっ、いっか。

 でも、その識者によると、インスタをたしなみ、マリメッコ好きが決めてという。
ウ~ム、こ、これは不得手だ。てか、よく知らない。

 思うに、スマホが流布してから、日本経済のみならず、日本人は堕落したと思う。
インスタで大嫌いなポートレート写真をあちこちで撮られ、知らぬ間に、アップされてる。
自慢じゃないが、自分の顔など見たくなくて、鏡だって、ほとんど見ない。

 極めつけは、マリメッコ好きである。
これは、ボクのささやかな美意識の真逆である。くどいじゃないか。
原色でも、シンプルで、鮮烈にして淡泊が好みだ。
少し前に、キッカイな色模様のヒコーキだの、自動車が走ったり飛んだりして、辟易したことがある。
今や、マリメッコだか、ウニッコだか判然としないけれど、色の氾濫ようなマグカップだの、マウスなどを目にする。
いつぞや、マリメッコの店舗写真をネットで見て、みずすましに見入っていた時や、はたまたメニエルを患った時のように、めまいがしてフッと意識が飛んだような気がした。

 ごく稀に”ハード”に、ほとんどいつも”まっいっか”の精神が、ボクのゆるふわの定義なのだけれど、これはマイナーだろうな。

 先日、たまには立ち枯れしないようにと、一次会、二次会、三次会を経て、カラオケオールをした。
ボクの時代は、『夜明けのBeat』ではなかった。『Dance Beatは夜明けまで』だった。


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# by nonoyamasadao | 2016-04-05 13:45 | 雑文 | Comments(7)

激辛イカの塩辛

 久しぶりに、羽目をはずしてたくさん飲む。
たくさんの料理が並ぶ中、ハムやペンネなど食し、ハートランドビールを飲む。
スキヤキを食いたいと友だちが言うので、2次会に行く。
けれど、スキヤキ屋さんは、休みで途方に暮れる。

 友だちは、もうどーでもよいなどと無責任なことを言うので、お隣の居酒屋に行く。
だだっ広い大広間だけが空いていて、いずれ相席になりますがということで、入れてもらう。
ひとまず安心する。

 友だちと2人で、ボクはビール、友だちは焼酎を頼み、刺身の盛り合わせと枝豆などつまむ。
それにしても、ばかに広い大広間なのだ。
友だちと2人で、だんだん心細くなる。
昔、太平洋ひとりぼっちという映画があったけど、さぞ心細いものだったろうなどと、とんでもないことを思いつく。

 お酒を飲んで、な~んか、しょんぼりは、いけないなあ。
景気づけに、刺激に富んだつまみでも食そうということで、お店の人に聞く。
有村架純さん似のお姉さんは、イカの激辛塩辛がありますが、死にそうなほど辛いという。
まあ、お店で出していますから、死ぬことはありませんが、おなかを壊すかもしれないと、こわごわ、心底、不安そうな顔になる。

 なら、食べてやろうじゃねーか。でないと、男がすたる。
段々よくなる法華の太鼓じゃないけど、徐々に心細さは消えゆき、激辛塩辛なるものを頬張る。
あ、あっ、口が痛い。喉が火傷したみたいで、痺れる。あ、涙出た。
死なないなら平気さと、ムキになって迷わず頬張ると、ど~ってことなくなる。

 ああ、ヤッパ、試してよかった。
どこかでスイッチが入ったのだろう。
 
 あけて翌日、じつは、あれはあまりに激辛すぎて、味覚に支障をきたし、ど~ってことなかったのだ。。。と不覚にも気づく。

 まぁ、よい子のみなさんは決してマネしないでくださいね。って、よい子はこんな記事を読むわけがない。
あれは、ぜったいに、デスソースが入っていたのだな。


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# by nonoyamasadao | 2016-03-31 14:11 | 雑文 | Comments(0)

曲がりくねって生きよう

 サクラが咲き、送別会、歓送迎会、謝恩会などの季節である。
気のせいか、街も何気に賑やかな感じだ。
やっぱ、サクラ効果なのだろうと思う。

 この地は、お城があり、それもかなり由緒ある城だ。
その城で、宴会というのもいかがかと思うけれど、まぁ、節度があればいいでしょう。
観桜や夜桜の観賞には、お城はよく似合う。

 この地に来て、22年になるけれど、この季節は雑用に追われて、バタバタしているうちに過ぎてしまう。
だから、花見は無縁だ。
以前、嘉島方面の新興住宅地に住んでいたころは、タクシーで、自衛隊通りの街路樹のサクラを車窓から眺めて、通勤した。
流れる風景の中の、サクラも悪くはないが、やっぱ、そぞろ歩いてこそのサクラだと思う。

 卒業式や入社式では、よく、前向きに。。。という言葉が使われる。
自分の未来を信じて、前向きに生きていってください・・・みたいな用法である。
前向きにぐれてやる、前向きにムカツクとかは言わない。
この場合は、対義語のうしろ向きがふさわしい。
うしろ向きに生きてやる・・みたいな。

 だったら、真っすぐに生きるの対義語は何か。
曲がりくねるとか、曲折かしらん。
曲がりくねって生きよう、曲折して生きよう。
フム、遠回り主義のワタクシには、な~んとなく、座りがよいような言葉だ。

 きっと、屈折して生きて来た。。。が、一番、ふさわしい。
けれど、後悔はしていない。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-28 10:25 | 雑文 | Comments(2)

再びのさくらもち

 おととい、スーパーに行くとき、県営住宅のお庭を近回りで突っ切ると、さくらが咲き出していた。
一人で開花宣言をして、ああ、今年もまた、さくらの季節になってしまったなと感慨をあらたにする。
最近は、さくらが開花する前の季節が好きになった。

 もの萌えいずる春、ふたたび春を迎えたなあ。。。という思いが、ちょっとだけせつない気持ちを連れてくる。
春は、食べ物に意地汚いボクには、お楽しみがイッパイある。
白魚の刺身、そら豆の殻ごと焼いたもの、小ぶり筍の穂先焼き、たらのめ、こごみなどの天ぷら、メバルの煮つけなど、おいしいものがズラッと並ぶ。

 最近になって、甘いものに開眼する。
体が甘いものを欲している気もする。
生活習慣病の心配は全くないが、一応、用心して、甘さ控えめで生きて来た。
まあ、左党が度を越して、依存症時代が長かったので、甘いものには縁がなかったわけである。

 子供のころは、ケーキなどよりも、練り切りやさくらもちが好きだった。
かしわもちは、どうして、あんなに野暮ったい厚い皮なのか。葉っぱだって、ダサい。
美しくないなぁ、な~んて勝手に思ったものだ。

 ボクの大好きなさくらもちは、長命寺桜もちだったのを、最近知る。
インターネットはこういう時に、便利なものだなぁと思う。

 しめった土と桜の葉の匂いがつよくする。それはまさに桜もちの匂いだ。ーーと書いたのは、江國香織さんだった。
そっかな。ボクはそうは思わない。
ボクが子供のころに、黄昏迫る銀座で買った竹籠に入ったさくらもちは、薄皮が貝殻のような形で中味を覆ったものだった。
しょっぱい葉ごと、薄皮を齧ると、甘~く、なつかしい味がした。

 年を重ねて、あのなつかしさは、せつなさではなかったのかしらん。。。と思うようになった。
でも、せつなさはどこから来るのかは、わからなかった。
アラ還のころになって、不安定に揺れた幼年期特有のもではなかったか?と思った。

 最近になって、このせつなさは、夏の終りの感傷や秋の空気感に似ているのかな。。。って思うようになる。
げに、人間の感情は奥深いのか、感覚が鈍化してきて変化しているのかは、定かでない。

 今年こそ、この季節が持つフワフワ感をじっくり、味わってみようと思っている。
なにせ、急いで移って行ってしまうから。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-22 10:46 | 雑文 | Comments(3)

長靴

 雨降りで、ぬかるんで足もとの悪かった時代は、みな、長靴をはいた。
いまはどこも舗装されて、ドロドロの小道を靴下、ぐっちゃりで歩くことは、ほとんどない。

 実は、中学生くらいの女の子が長靴を履いているのを見ると、とても好感を持つ。
長靴ロリコンフェチとかいう不謹慎なものではない。

 がばがばして歩きにくく、見栄えもダサい長靴をはく、子供の心意気が好きなのである。
男も女もカッコ悪いよりも、カッコよい方がよいに決まっている。

 だが、我慢ならないほど、足もとが悪い時や、雨で靴下が足に貼りつきそうなときは、長靴をはくに越したことはない。
カッコばかりを気にするのは、まことに、くだらないことだ。
第一、シアワセの始まりは、足もとの温かさから、やってくる。これ、普遍の真理なり。チミチミ、知っとるケ。

 ボクらの時代は、小学校や中学校の学校の靴箱には、長靴が入らなかった。
だから、目立った。
今は、どうなっているのでしょう?

 後年になって、ミニスカートで足をニョッキリと大胆に出して、ロングブーツで闊歩する女性が、とても美しく見えた。
やっぱ、コーディネートは、こ~でぃないとね~~。
ミニスカ×ロングブーツよ、永遠なれだ。

 これって、やっぱ、長靴に好感を持った幼少期からの延長でしょうか?
けど、似合う女性が、案外、少ないんだよね。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-14 15:34 | 雑文 | Comments(0)

長い眠り

 インフルエンザに、うなされながら、原稿のことを考えていた。
別に締め切りに追われている職業作家なわけではなく、書かなくても、どうでもよい身分だ。
インフルが少し良くなり、無理やり書き上げた。
でっち上げたといったほうがよい。
定年後のこれからの人生を考えると、これからの5年間は、行ってみれば、ラストスパートのようなもんだ。
おいおい、年甲斐もなく、妙に張り切ると、必死の形相で脂汗を滴り落としながら、猛スピートでランニングするオジイさんが、不覚にもバッタリ。。と同じことになるのではないか、などとも思う。
思えば、還暦前の15年間は、随分、長い眠りについてたもんだ。

 でっちあげた原稿だから、読み返すと、あちこちに穴がボツボツあいてる。
「しょうがないないなぁ。のび太くんは」とドラえもんの心境で、あちこち手直しした。
で、どうにかこうにか、原稿が出来上がる。
柄になく、必死こいたら、めんちょうになった。ああ、無理して頑張ると、いつだってそうだ。欲求不満のめんちょうだ。

 さぁ、これからのボクは、本来に戻って、エッチなことしか考えないエロ親父満開でいくぞ~と、飲みに出かける。
夕方から、たくさん飲む。いつもは数えているし、人のお酌はゼッタイに受けないのだが、不覚にも、お酌されてしまう。
こうなると、元来、意地汚いので、とことん飲んでしまう。
うまい馬刺しも食ったし、刺身も食ったし、いっぱい飲んで、千鳥足の午前さまだ。
あ~ら不思議、めんちょうが治ってた。

 これからの人生、いささか、時既に遅しだが、スケベビッチに生きよう。

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# by nonoyamasadao | 2016-03-06 13:20 | 雑文 | Comments(0)