いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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カテゴリ:花の24年組( 13 )

張込みとほうせんか

夏空が広がる。やっと梅雨明けしたのだなぁと思っていたら、やけに暑い。
ぺットボトルを飲みながら、松本清張の傑作短編の『張込み』を読む。
この短編を読むのは、たぶん、学生時代以来である。
東京から九州まで、まるまる2日かかって、田舎の小都市に刑事がやっと辿り着く時代だ。
陽光や海の時間を追っての変化やハゼの紅葉など添景の風景描写が簡潔で素晴らしい。
ああ、この舞台は今、住んでいるあたりかもしれない。
40年前には思いもつかない出来事だった。
十代の最後のころ、松本清張の文体に憧れた。
今もって変わらない。
昭和のくすんだ田舎の町の景色を思い描いてみる。
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもみ~んな私が悪いのよが流行ったころだ。

 同じころに、大島弓子さんの『ほうせんか・ぱん』などを読んで、売れなかったけれど少女マンガの原作を書いた。
ディオリシモだったか、ヘリオトロープだか香水の名前をおぼえた。
少女マンガに使えないものかと思案したのが、つかえるわけがない。
今もわすれない。
 マンガはホウセンカの実がパンとはじけて、種が飛び散るところで終った。
子供のころ、夏の季節になるとほうせんかは林の中でも咲いていた。

 大学のころ、夏になるとたまにだが、日暮れの小道を小金井街道のバス停の方から帰った。
タッタッタッという感じで、シッポを振って子犬が小走りでよって来る。
迷子の子犬かしらんと思ったら違った。
しばらくして、違うわ~という、若く澄んだ女の人の呼び止める声が追いかけてきた。
狭い小道で、せっけんの匂いのするような女の人とすれ違った。
このひとのご主人はなんてしあわせ者なのだろうって羨ましかった。
 夜がとっぷり暮れる前に帰宅できて、美しい奥さんや子犬のお出迎えなんて幸せすぎる。
若い時なりの寂寥をかかえたボクはそう思ったのだ。

 狭い小道はすぐ突き当たり、角には書道教室もしている住宅があった。
雑木の緑が影を落とした和風住宅があって、釣忍に風鈴が下がっていた。
 チリーン、チリーンってなるのを聞いた。
風鈴には久しく縁がない。
どんなに眩しくて、こげつくような暑さでも、忍草の葉が揺れるとひんやりした空気になる。

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by nonoyamasadao | 2011-07-10 11:38 | 花の24年組 | Comments(2)

いつか何処かで

 早朝から雨降りである。おしめりは大歓迎だ。
このところ花粉症が悪化したみたいで、やれやれと安堵する。
起き抜けの紅茶を啜ると、小雨を走る庭野千草を思い出す。
『赤すいか黄すいか』だったな。
また明日、学校で。。。で、マンガは終わった。
 あの頃は、出会いも別れにも無自覚だった。
いつか何処かで必ず、逢えると思っていた。

ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず

 うつくしい、ひらがな言葉だ。
遠い昔、教科書でこの詩を読んだときには、やけに勿体つけるなあ。。。って思った。
芹だって、蓮華だって、摘みたければ、摘めばいいじゃん。
『ふたたびはせず』なんて、依怙地だな。心底、そう思った。

 まだボクには、うんざりするほど元気があって、若くそして傲慢だった。
五十路の後半になると、やっぱ、くたびれてくる。
 もう屈託なく遊ぶには人間関係やら、しがらみをいくつか背負った。
さればといって、失うほどのものを得たわけもなく、年令は重ねた。
詩の意味がなんとなく、わかったような気がした。
 
 そしてアラ還にして思う。
でも、祭りは終わらず、いまだ、また逢いましょうのままだってね。 

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by nonoyamasadao | 2010-04-12 09:59 | 花の24年組 | Comments(4)

『雨の音がきこえる』はリアルタイムで読んだ

  繁華街の一番大きな本屋の高い棚に、その本はあった。
この棚が好きだ。ホッとする本が並んでいる。
棚からとりだして、少し読む。
タマという名の猫と散歩をしたり、原っぱをタマが走ったりする大島弓子さんの二枚の見開きのマンガ、二話を読む。
この『グーグーだって猫である4』の単行本には、ビミョーで心地よい脱力感がある。
読者をのんびり、ゆったりと安心させ、読んでいると静か~な、ちょっと幸せな暮らしが満喫できる。奥付を見ると、2008年だから、久しぶりにリアルタイムに近いタイミングで読んだことになるのか。(*追記:初出誌2003.10~2006.3)

 ふと、われに返る。立ち読みしながら、後ろを振り返り、周囲を見る。知っている人はいない。
こんなに無防備にくつろいだところは、人に見られたくないな。
大丈夫だ。この地の友人はかなり、限られている。
うんにゃ、わからんよー。
この前、ネギなど突っ込んだビニール袋をぶら下げ、スーパーからブラブラ帰るとき、知人の娘さんにしっかり見られたではないか。
『お買い物ですか~』などと、あかるく声をかけられたのだった。
お上品なお嬢さんがニコニコ笑って、立ってたなぁ。
ありゃー、こっ恥ずかしかった。あらっ、見てた?。。。ああ、カッコ悪~。

 しかし、『グーグーだって猫である』も、ずいぶん、長く続いている。
前に手にとった時は、サバの死や、際立ってちっちゃく、元気がないグーグーとの出会いを読んだのだな。
大島マンガをリアルタイムに近い時点で読むのは、二十代の後半、以来だ。

 一番すきなのは、なんだろう。
フ~ム、わからん。
 『雨の音がきこえる』は好きだったなー。これって、切ないのだよなぁ。
ちゃわんが割れたところや、雨の中をずぶ濡れになるコマは今も、憶えている。

 似た話だけど、『さよなら女達』もよかった。これも、突然の雨降りだった。
あの頃は、樹木や葉叢がいっぱい書き込まれていて、そこも好きだったなー。
二作とも母親が死んじゃうけど、ハッピーエンドだった。
 
 『いちご物語』も捨てがたい。
結局、ヒロインのキャラクターが好きなんだろう。
要領の悪い、お人よしで、人の気持ちを大切にするヒロインがすきなのだろう。
やっぱ自分にないものに憧れを抱くのだなぁ。
 
 な~んて、書いていたら、『グーグーだって猫である』を読みたくなった。
あの好きな棚から四冊が消えるのは、しのびない気もする。
まっ、いっかあ。
帰りに、本とDVDも買って帰ろう。

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by nonoyamasadao | 2009-05-23 14:48 | 花の24年組 | Comments(4)

バーカと言われるかも

  マジメに書くと,どえりゃーことになるので、適当に書く。
『金髪の草原』を観た。
池脇千鶴さんは、今までに観た『ジョゼと虎と魚たち』や『ストロベリーショートケイクス』よりも、本品が一番好きだ。

 今から五十年も前の朝ごはんを思い出した。
あのぬか漬けはうまそうだった。

 大島弓子さんのマンガは、リアルタイムで読んでいた。といっても、『綿の国星』のあたりまでだ。
少し違和感を感じるようになって、読まなくなった。後になって、白泉社文庫でまとめて読んだ。また、はまった。

 大島さんファンの女性には、元気のよい人が多い。最近のことでしょうか?。
男なんかに大島マンガはわかるわけないジャン、バーカ。。。みたいな記事を読んだ。
犬童監督など、わかった気でいるけど、実はナーンも解っていないと言う。
そこまで書かれると、何か書くとなるとさすがにひるむなあ。

 『綿の国星』のアニメは、正直、ゼンゼン面白くなかった。
『金髪の草原』を観ると、やっぱ、大島マンガの映画化はムリなのかもしれないなぁ。

 コマ割りの妙まで考えて、犬童監督は工夫しているようだ。
けれど、細かく、チマチマしたコマ割りだったり、縦に割ったり、横に切ったり、字が大きくなったりするリズムは映画ではムリだ。

 大島弓子さんの流体的思考は、まことにビミューである。
日常から内部世界に入り、複雑に綾なす心理小説のようになる。

 心理や意識が揺らぎ、揺らぎがさざなみになり、やがて過剰な感情の迸りとなって乱流になる。
闇が広がり、深い疎外感が押し寄せて来る。

 けれど、どの作品でも深い絶望を感じたことはない。
白い綿屑なのか、何ものなのか定かではないものが空中を舞い、やわらかなホヨホヨ感にゆっくり寄り掛かっていると、なんだかやすらかになる。

 『金髪の草原』は鏡の中の鏡のように、夢の中のまた夢のような二重構造になっている。
迷路のようなところでの老いの進行が描かれるが、内面的にとことん切り詰めるところまでにはならない。寸止めである。だから余韻が残る。

 総体としては、内部世界から抜け出して、外にでたような爽快感がある。
でも、この感覚や地の文のポエムはヤッパ、映画では描けませんね~。

 初期作品集を採録した『ほうせんか・ぱん』(白泉社文庫、2001年)のあとがきマンガを読む。
2001年は、大島さんが病気をされた後のことである。

 お引越しの様子が描かれている。
24年分のガラクタを仕分けし、ネコをキャリーケースに入れて、小さな一軒屋と一坪ほどのささやかな庭つきへのお引越しである。

 大島さんは、転居後五ヶ月は慣れない家で落ち着かない日々を過ごす。そして、ストレスを心配したネコたちは、ずーっと住んでいた家であるかのように、アッサリ順応したと言う。

 『グーグーだって猫である』で映った井の頭公園の見える、あのマンションからのお引越しなのだろうか。


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by nonoyamasadao | 2009-05-17 13:49 | 花の24年組 | Comments(2)

ギャグマンガが好きだった

  日を追って、赤塚不二夫を懐かしむ気持ちが強くなった。
『ナマちゃん』を読んだ時、な~んて面白いんだろうと思った。山根 赤鬼の『よたろうくん』や前谷 惟光の『ロボット三等兵』が大好きだった頃だ。
赤塚の『おそ松くん』の六つ子の名前は今でも、言える。

 タモリの弔辞もたんたんと語られ、心に沁みる内容だった。結語の一部を引用する。
『私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義』

                *****************

石森章太郎のペンタッチは、デビュー作の『二級天使』連載当時から、シャープでハイセンスだった。
それに関連して、赤塚不二夫もまた、天才であったことを示す挿話がある。長谷邦夫が『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)で書いている。
ざっと要約すると、手塚治虫の『鉄腕アトム』に、ヒゲオヤジがガスタンクを登る一コマがある。
その一コマのヒゲオヤジの顔のアップの影斜線を見て、手塚はこのような描き方はしない。小野寺(石森の本名)のタッチだと、赤塚が喝破したという。たった一コマだけである。実はアマチュアの高校生だった石森が、内緒で手伝ったそうだ。
喝破する能力も画才である。やっぱり、天才は天才を知るということだろう。

 ところで、突然のクイズです。
 石森は赤塚と合作している。
泉鏡花をもじって、「いずみあすか」なんて、名前を鋳造した。
この二人に女流マンガ家の一人をフューチャーして、U.マイアというペンネームで作品は発表された。ペンネームは、「うまいや~」をモジってつけたようだ。
さて、その女流マンガ家は以下のどなたでしょう?
 1. 萩尾望都
 2. 竹宮恵子
 3. 水野英子

                  *****************

 答えは 3.で、水野英子である。
マイアのMは水野、Iは石森、Aは赤塚という苗字のイニシャルからのイタダキである。
では、U.マイアの合作での共同作業はどんな具合だったのだろうか。
石森章太郎、水野英子の編集者であり、マンガ・ジャーナリズムの名伯楽の丸山昭の証言に水野英子の補足を繋げると、以下のようだ。

石森がざっとアタリをやり、下関の水野に送る。石森のアタリはそうとうアバウトだったようで、丸三角で描かれていた。
水野は話の流れとネームなどからだいたいの雰囲気を推測して、主人公とヒロインのキャラクターを描く。
それに石森が他のキャラクターを足して、赤塚がまとめるという手はずだったそうだ。

なんとも、豪華な合作である。その時、水野はトキワ荘の石森や赤塚には一面識もなかったという。離れ業ですな。

 やはり、往時を知る人の逝去はしみじみと寂しく、せつない。もうすぐ秋である。

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by nonoyamasadao | 2008-08-30 07:29 | 花の24年組 | Comments(0)

『サイボーグ009』あれこれ

   『花の24年組』の1.萩尾望都、2.竹宮惠子、3.大島弓子だと、最後の3.大島弓子を除いて、萩尾望都、竹宮恵子は熱狂的な石森章太郎ファンだった。
ささやななえや、少女マンガのパイオニアの水野英子、西谷祥子も石森ファミリーだ。
これって、どういう理由からなんでしょうね?。
ボクの推測を書く。

     *************************************

  1.萩尾望都だっけ。たぶん、そうだと思う。
石森マンガの線は、柔らかく繊細、且つ透明感がある。
だから、少年マンガの中で石森章太郎が描いていると、ぱらぱらっと見てそこのページだけ非常にナイーブな印象を受ける。
豪傑の中に美少年がひとり、みたいな感じがすると言っていた。
 
 なるほど、最初期の石森マンガは、一コマの絵がリリカルに表現され、若い才能が溢れ出していた。
石森の特筆すべき点は、やっぱ、キャラクターがビジュアル系であること、しかもセクシーであること、この二点がある。
このビジュアル系でセクシーというのに、少女マンガ家たちは、『花の24年組』も含め、「きゃーっっっっっ!!!」という感じでイカれたのではないだろうか。
 
 ボクだったら、ダントツで「サイボーグ009」の003のアルヌールという女の子に憧れた。
ヘアバンドしたフランス系の女の子で、サイボ-グ戦士のマドンナ的存在だった。
マンガで紹介されたプロフィールを書く。
003: フランソワーズ・アルヌール/ 19歳/ フランス/レーダーのような聴覚、遠視力による探索能力を保有/ 紅一点

 若くして亡くなられた、トキワ荘にも出入りしていたお姉さんのイメージがオーバーラップしているという。
その石森の姉への思慕が凝縮して絵に滲んだ。だから技術的な巧拙より、書いている人の思いがより強く訴えかけていたように思う。
ボクは最初の物干し台から、流れ星をみるエンディングで、009を十分堪能したと思っている。後の話には、もう興味が無い。つまり、レイ・ブラッドベリの「万華鏡」に似た結末で、ボクの中では、009は完結した。
素朴な質問だけど、フランス人って、003のように優しかったでしたぁ。。。。??

 でもさー、
誰がためにフィギュアにす…愛の為…永遠のヒロインを愛し続ける人の為…、高品位フィギュア、連続リリース!
『サイボーグ009』よりフランソワーズ・アルヌールを立体化!ですと。。。。

 う~ん、こうなると、さすがにオジサンは引いてしまいます。
考えすぎかもしれないけど、あぶないオジサンになるのだけは、絶対にヤダ。
ボクはかすりもしないようなところで、生きてゆこう。
 
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by nonoyamasadao | 2008-08-24 15:29 | 花の24年組 | Comments(7)

マンガ版アマデウス

  この8月2日にマンガ家、赤塚不二夫が逝去された。(以下、敬称略)
里中満智子は、「赤塚以前と以後で日本の漫画は変わった。100年先でも通用するセンスで、単なる『天才』という言葉では表現できない」とコメントしている。
僕も「トキワ荘のその後」という拙い記事を、今年の5月に書いていた。(http://sadanono.exblog.jp/7978617/)
 そこでは、アマデウス・モーツァルトとサリエリの関係なぞらえた。
モーツァルトが石森章太郎であり、サリエリが赤塚不二夫だと書いた。
石森章太郎が太陽なら、赤塚不二夫は月だった。

 だが、天才石森章太郎は初期の作品で瞬く間に作家的極点に到達し、石ノ森章太郎名義では駄作、凡作のたぐいの紙屑の山を築いた。
遅咲きの赤塚不二夫はといえば、プロダクション・システムにより、作家的なピークを質量ともに長く維持し続け、ギャグマンガの高峰となった。
 とはいえ、石森章太郎の及ぼした影響は大変なものだった。ちょっとだけ書く。

        **********************

 さて、みなさんは『少女マンガ:花の24年組』といえば最初に誰を思い浮かべますか。

1.萩尾望都
2.竹宮惠子
3.大島弓子

 リストアップしていない池田理代子、山岸凉子、ささやななえ。。。などと思ったあなた・・・年がばれてしまいますよ。
水野英子、西谷祥子、里中満智子と思った人は、こりゃ、参った。かなり年季が入った選択ですねえ。

 でも花の24年組は少女マンガの革命として広く認知されているのだから、今の時代でも一概に古い人ばかりが読んでいるとは言えませんね。
SFファンタジーやホモセクシャルのような当時タブーだった要素を導入したり、ダイナミックな画面構成も試みています。
手塚―石森スクールが追及した映画的手法も、「瞳にお星様」の少女マンガに積極的に取り入れられました。
若手マンガ家でもこの影響を受けた人は数多い。
さて、あなたは何番の方を一番先に、思い浮かべましたか。
僕?言わぬが花ですな。

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by nonoyamasadao | 2008-08-22 21:07 | 花の24年組 | Comments(0)

あれが飛んでいる

昨晩、しろうおと、さよりの刺身を食した。残念だが、しろうおは踊りではない。
しろうおは素魚と書く。白魚ではない。しろうおはハゼ科だそうだ。
さよりはルックスが、なんだか好みだ。
バカの一つ覚えだが、生姜と山葵をしょうゆに溶いた。
しろうおには酢を少し、たらした。
この食べ方は邪道で、おいしいのか、まずいのか定かではない。
ただ、立原正秋説に従って、さよりを生姜醤油で食して、今よりまずくなると悔しいではないか。腹が立つに違いない。だから、この方法を変えられない。実に、いじきたないと思う。けど、この性格は直らないだろう。

この南の地に来て、つくづくよかったと思うのは、コノシロが、いつでも食せることだ。
ひかりモノの雄であるコハダ大好き人間である。体長10センチ以下がコハダで、15センチ以上がコノシロだと聞いた。
コハダより大味ではあるが、鮮度は抜群だ。飽きない味である。

ボラや鰆の刺身も、この地ではじめて食した。

今朝、ライ麦パンにマーマレードを薄く延ばしていたつもりが、勘違いでマンゴージャムだった。
ふだんは、甘さひかえめの近場のスーパーで売っているマーマレードか、ブルーベリーのジャムか、紅花のマーガリンだ。
あれれと思い、銘柄を見ると、なんと明治屋のマンゴージャムではないか。
実になつかしい。武蔵小金井の南口に住んでいたときは、明治屋があった。半月形の建物だった。
ジャムはMy(マイ)明治屋である。なつかしのMEIDI-YAだ。
明治屋といえば、中央通りの京橋ストアーを思い出す。その一角だけ、ニューヨークのようだった。
輸入品というより、舶来品店と言う言葉が似合う明治屋ビルだった。
近くの八重洲のブックセンターにも、よく出かけた。今はどうなっているだろうか。

通勤途上、つい先日に見た住宅の白モクレンが、二本とも満開になっていた。
県の雑木の庭のコブシもようやく少し、ほころび始めた。
コブシの開花は、白モクレンより先行してた気がしていたが、記憶違いだろうか。

僕の好みは断然、こぶしなのだが、白モクレンは派手である。
そのあまりの派手さに、コブシは圧倒されそうだ。
コブシは枝に密生して咲く様が美しい。白モクレンよりも、ナチュラルな感じがある。

ちらほらだった、彼岸桜も満開になっていた。
低いところでは、ヒイラギナンテンも黄色い花をつけていた。

空中は、もう春である。
今日は、晴れた青空が広がっていた。
この季節には、空中浮遊物があちこちに、飛んでいるような気がする。
大島弓子のマンガによく出てくる、ワタを細かく千切ったようなあれである。

小さな綿屑のようなあれが、いっぱい、ふうわりふうわりと空に舞い、拡散してゆく。
あれが飛んでいる。

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by nonoyamasadao | 2008-03-17 17:24 | 花の24年組 | Comments(6)

風邪ひきの読書

風邪をひいてしまいました。心ではなくて、ごくありきたりな風邪です。
悪寒がして、ガクガクブルブルしたので、てっきりインフルエンザだと思った。でも違ったみたいだ。だって、熱がでないのですよ。内には、こもっているのでしょうけど。。。

のどの痛み、めまいを伴います。でも食欲だけはありました。結構つらいから、ご用心~なのであります。
そんなことだから、DVDを見る気がしない。だから、寝床で文庫本をパラパラ繰っていた。

小川未明の童話集を久方ぶりに読んでみたけど、前に書いた“赤いろうそくと人魚”なんかだと、どうも調子がでない。やっぱ、病気の時に読む話ではありませんねえ。
調子悪かったからか、“月夜と眼鏡”はいい気分で読んだ。

勿体をつけて書くことではないかもしれません。
体調不良のときはハッピーエンドものを読むべし、バッドエンドはあんまり馴染みません。おしまい。。。っていうだけのことかもしれない。でも続けちゃいますね。

眼鏡売りの、けがをした少女(こちょうの化身)の香水の匂いまで漂ってきました。花の香りだが、何の花かはわからない。
金木犀のような強烈なのではなくて、もっと、淡い匂いでした。
別にうなされていたわけではないですよ。
風邪ひきの妄想?はあるかもしれないなあ。

まあ、病気のときはお花畑といい月夜は気分よくても、闇夜に赤いろうそくは具合悪いみたいだ。
やさしいおばあさんというのは、僕のような年齢になりますと究極の癒しなのでした。
年を重ねて、弱ってきた男が抱く、母性なるものの到達点かもしれません。
男のエゴってヤツですよ。まあ、少し毅然としないといけません。シャキッとね。

大島弓子の“夏のおわりのト短調”も読んだ。これもダメみたい。
大体、体調がよくないのに、どうしてこういう話ばかり選ぶのでしょうね。
己が感性をいぶかる。。。たぶん、胃の調子が悪いと、味覚がおかしくなって、妙なものを欲しがるのと似ているのかもしれないなあ。
だけど、この話はとびきり不吉で、邪悪で、まがまがしい連想をさせておいて、なんて凡庸な結末なのでしょう。もともと、これとか、“ロングロングケーキ”なんかもそうかな、大島弓子さん、“らしくない”作品なのですよね。

冒頭、いきなり手作りのクッキーが捨てられていたり。。。
一体、どうなるのでしょう。。。という面白さがあるものね。
図書館に逃げ込んだり、ライフル魔のあたりはさすがに面白いけど、古い洋館が炎上してもぜんぜんスペクタクルになっていないもんなあ。

そういえば、故実相寺昭雄監督の“姑獲鳥の夏”の炎上も白けたなあ。でも“魍魎の匣”に、プチ期待している。ダメかなあ。

もとい、やっぱ、これは大島先生の失敗作でしょう。もちろん、本気でスペクタクルな物語を書こうとしたとは思っていない。そういう作風の方ではないです。

Mr KOUBOU Wrote Mistakeじゃね。

弘法にも筆の誤り。。。な~んて、これも悲惨な自滅でした。
(正解?Even Homer sometimes nods.) 

大橋歩のエッセイをめくっていたら、“洗ってアイロンかけて”が面白かった。
入院する予定なぞないけど、もしも突然入院することになったら。。。。というエッセイだ。つまり、ねまきや下着は、いっぺん洗たくしてもって行きましょうってお話。

去年の夏に、入院したときを思い出しましたよ。僕はおき巻きも寝巻きも同じ人だったから、パジャマが無くてカッコ悪かったものなあ。
いっぺん洗たくが常識というのは、なるほど、その通りではある。けれど、なかなか思いつかないものですよ。

前に、ハンカチを借りたら、たたまないで返す話も読んだよなあ。人に貸したハンカチは捨てるもんだなんて知らなかったものね。もったいないけど、そうなんですね。女の人はいろいろと、物知りだなあって尊敬したものでした。

あ、おしゃれの基本はヘップバーンから勉強できた。。。って大橋さんが書いていますが、これはよく理解できます。大橋さんは僕よりひとまわり上の世代なんですけどね。
僕にとって、東宝東和、日比谷映画街、ヘップバーンというのは三点セットでした。

日比谷映画とか有楽座で、“おしゃれ泥棒”や“いつも二人”を見たんだと思う、たぶん。東和の配給でした。
都会的というか、ソフィスティケーション映画って、これだと思ったものでした。

体調の悪いときに、気分がほぐれる読み物ってそうそうありません。
今回、あらためて実感しました。

そういう意味だと、田辺聖子さんのエッセイは抜群に面白い。元気になります。
試していないけど、佐藤愛子さんのもそうかもしれない。
あたまのいい人たちだなあと思う。

山口瞳氏のエッセイだと、憂鬱になるだけだったなあ。

田辺聖子さんだと、よく焼いたウナギの味がしみたドンブリ酒をまわし飲みしたり、豪快ですねえ。
また、カモカのおっちゃんが絶妙でねえ。。。また、いいことをのたまうのだ。

亡くなられたご主人だそうですね。それ知ってしまうと悲しいかというと、それでもオカシイ。
大変な筆力だと思うなあ。

旧制高校の時代、学生街の老人が学生さんを大切にしたのは、
彼らが戦争にならないような世の中をつくる担い手だと思っていたから。。。
な~んて、至言ですねえ。

まだ、頭がボンヤリしている。いつもそうなんですけどね。

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by nonoyamasadao | 2007-12-09 17:14 | 花の24年組 | Comments(2)

枯葉のソネット~宮沢賢治と大島弓子

毎年、この季節になると、大手町のカルガモ池のあるMビルにカンヅメになったころを思い出します。そのことを少し書きます。

もう、20年くらい昔になると思う。
大手町のMビルの15階には、会議室がたくさん集まっていて、その一つを借切りにしてもらいました。僕と入社二年目の男の二人っきりで、10月~12月末まで、朝の9時から17時30分までは、その会議室にカンズメになって仕事していました。
色気はなかったけど、仕方ないです。

エレベーターは12階までノンストップのがあって、
そこから各駅停車のエレベーターに乗り換えてもいいし、階段を上ってもたいしたことないです。

皇居とお堀が見下ろせました。
黄昏どきの皇居は緑がいっぱいあるので、オレンジ色の空の緑の風景でした。

でも17時になると、皇居側の窓のシャッターはオートマだから、勝手に下りてきました。
勿体ないことするなあって思った。

17時30分を過ぎると、切りのいいところで仕事はおしまいにしました。
いつも地下の社員用の居酒屋レストランで一杯やっていました。

ホタルイカの沖漬けのような酒肴と
焼き魚、なべ物など、まあ、リーズナブルお値段よりかな~り安かったですね。

エライ人に遭うのが玉に瑕ってところでした。
21時ころには終わってしまうので、飲み足りなければ、
パレスホテルがすぐそばだから、そこで23時ころまで飲んだ。まだ、若かった。

あ、そうそう、平将門の首塚がMビルに隣接していた。猫の額くらいの小さなスペースですけどね。
でも、首塚に背を向けるとたたりがあるというので、
ビジネスパーソンはみんな、大きなプロジェクトを手がけるときはお参りをしていました。
いつも美しい花が献花されていましたね。

宮沢賢治に“いちょうの実”という童話の傑作がありますでしょう。
あれ、じつに映画的ですよね。賢治は映画が大好きだったものね。

冬の明け方、星がいっぱい。
高いところを鋭い霜のかけらが風に流される。
サラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。

丘の上に一本のいちょうの木が立っていて、その音を聞いています。
やがて澄明な明け方が訪れます。
これは、まさに、映画の大ロングショットですね。

じつは、前回に書いた大島弓子さんがこの原作をマンガにしておりまして、
このへんはとっても大胆なカット割りになっていて、冴えたコマの連続になっています。

そしていちょうの実は目を覚ましました。
今日こそはたしかに旅立ちの日でした。
髪(葉っぱ)が全部落ちたといちょうの木は言いました。
ここは、ズームインのシークエンスです。
落ちてしまった葉の大クローズアップのコマは見事な絵でした。

一対の実が会話します。これも、クローズアップですね。
その一対の実から別のペアへ会話は引き継がれます。そしてまた別のペアの話題へと移って行くのです。
いちょうの実は擬人化されているので、男の子同士の会話だったり、女の子同士だったりします。たとえばー
“僕なんか、落ちる途中で眼がまわらないだろうか”
“ね、あたしどんな所へ行くのかしら”。。。そんな会話が続きます。

このへんは、原作だと、パンアップや、パンダウンの手法で描かれています。

マンガは、大島弓子さん独特の擬音を駆使して、やっぱ上手いですねえ。
ピヨッ。。。ガガガガ。。。ヒューーーーーゥ。。。ざーっ。。。バラバラ バラバラ バラ。。。とかね。
ウ~ン、さすがですね。
ため息が出るくらい、気持ちいい。

そして、氷のように透きとおった風の中を、
“さよなら、おっかさん”“さよなら、おっかさん”と
子供たちのいちょうの実は雨のように枝から飛び下りてゆきました。

母親のいちょうの木からの旅立ちでもあり、
一瞬、死のある風景が揺曳したようにも思いました。


ですけど、一箇所だけ、とても解せないところがあります。
ここです。

北風が笑って、
“今年もこれでまずさよならって云うわけだ。”と云いながらつめたいガラスのマントをひらめかして
向うへ行ってしまいました。


ここ、スッポリ抜け落ちているんですよ。カットしたのでしょうね。
でも、ガラスのマントって、風の又三郎の服装ですからね。

たとえばですが、
やっぱ、ドラキュラは赤マントの怪しい老紳士でないとヘンでしょう。

どうして、こんな大切なところをカットしてしまったのでしょう。
大島弓子さんだから、なんか深い意味があるはずなんですけどね。
僕の理解が及ばないっていうことでしょうけれど。。。

とっても原作に忠実な、素晴しいマンガなのですから。

フ~ム、謎だあ。

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by nonoyamasadao | 2007-11-13 20:22 | 花の24年組 | Comments(0)