いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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カテゴリ:ヒッチ・ワイルダー( 8 )

フロントページ

 1975年5月のゴールデンウィークは、今でも覚えている。
明るい陽光が差し込む喫茶店で待ち合わせして、『フロント・ページ』を見に行く。たしか、みゆき座だったと思う。
当時、映画を見るのは色気抜きの親友と、異性では、画板を持った絵描きの恩人しかいない。画板からは、クレヨンの匂いがしたり、絵の具の匂いがした。
絵描きの恩人は、ただ憧れるだけの異性で、まったく手の届かないところの人だった。

 その頃のボクはまだ、ストイックで、飲んだら観るな、観るなら飲むなの時代だった。
異性とは、酒は何度も飲んだけれど、映画を見に行くことはなかった。
真っ白いスクリーンと対峙するような気分で映画を見た。
今は明るい茶の間で、ゆるゆると映画を観てる。堕落したものだが、それも悪くはないと最近、思っている。
要は、結構、映画に命をかけていたんだなと、今にしてしみじみ、そう思う。
 『フロント・ページ』はリメイクのリメイクで、その後も『スイッチング・チャンネル』で、再度、リメイクされた。
ジャック・レモンとウォルター・マッソーの掛け合いがあうんの呼吸で、なんともおかしい。ビリーワイルダー先生のドタバタ演出もさすがに洗練されてて、ゲラゲラ笑い、堪能した。
フロントページとは、新聞の第一面のことで、やっぱ、新聞記者になりたかったな。

 外に出て、6月には『イルカの日』を観ようとか話したのを覚えている。
大学時代の1年下の友人がボクらを見つけ、近寄ってくる。
な~んのことはない、彼もガールフレンドと次の回を見に来たのだった。
みな、顔見知りで、ボクより1学年下で1才年上の親友(2浪)と彼は同期だった。みんな大学のサークル仲間で、彼女だけが卒業したてだった。
彼は、山口百恵さんの『潮騒』を観ようか、これにしようかで迷ったみたいだ。

 立ち話して別れると、親友は自分も含め、我々男どもは、ちっとも成長していないという。
この年代では、社会人1年目となる女性は、学生時代とがらりと変わって、大人びた女性になっていた。
男二人じゃ、ニューヨーカーのようにはならないが、本屋の新刊をのぞいたり、銀座を散歩して、休日のパブで、明るいころから飲む。

 この年の2年後の彼女の誕生日に、カップルは結婚した。
男どもは成長しないと嘆いた我々は、その後、十数年以上、何ら身辺変化はなかった。
そして、暇を見つけては、おいしい刺身が食えて、温泉があって、美人女将の名館で酒を飲み、くつろぐ。
親友は、50才少し前になり、突然、炎のごとく、電撃的結婚をする。

 ボクはといえば、な~んの変化もなく、相変わらず、美味い刺身と温泉と酒をこよなく愛す。

 ここまできたら、もうどうしようもないなぁ。

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by nonoyamasadao | 2015-05-09 15:27 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(2)

恵方は北北西

 もうすぐ、節分がくる。
恵方巻きは年年歳歳、果てしなくどこまでもエスカレートしつつある。
カンピョウ、キュウリ、油揚げ、シソ、卵、ノリ、デンブとかを巻き物にするのは、ひょっとして七福神に因んでいるのか。
いや待て。アナゴなども、よく混じる。
 もっともらしいのは、太巻きが鬼の金棒説である。
まっ、いっか。

 恵方巻きだから、縁起のよい方角に向い、無言で、おごそかに願い、ガブッ!!!。
黙々と一気に食すのが習わしらしい。

 極太巻きだから、由緒正しくまいるぞ。よ~く見ていろよ。。。な~んてやったら、ウホッ、ゲホッ、ブホッ!となるに違いない。

 まあ、巻物を無心にムシャムシャ食べると、ストレス解消にはなる。
還暦前に、まるかぶり寿司を食した。
やっぱ、予想以上にボリュームがあって、食うのに随分と苦労した。

 今年の恵方は北北西だという。
北北西を向いて恵方巻きを齧ったら、ラシュモア山の夢でも見るだろうか。
 ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』の原題では、『North by Northwest』だった。
北北西なら、North-northwestなのに、な、なんざんしょね。
あ、ラストのトンネルは、なにやら意味深だったですね。

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by nonoyamasadao | 2012-01-31 17:30 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(0)

ジャック・レモンを偲ぶ

 ビリー・ワイルダーと言うとジャック・レモン、ジャック・レモンと言えばビリー・ワイルダーなのだがー、
ワイルダー監督の代表作の『サンセット大通り』にも『情婦』にも、ジャック・レモンは出演していない。
ボクにとっては、黒澤明監督と三船敏郎の関係に似ている。
ジャック・レモンの存在がなければ、後期のワイルダーの作風も変わっていたと思う。

 しばしば同列に論じられる仲の良い友人のウォルター・マッソーが性格俳優だとすると、ジャック・レモンは都会的洗練の三枚目であるとともに、大スターだったことを銘記しておきたい。
彼の役者活動は大雑把には、'60年代前半の軽妙洒脱な役者時代、'70年代の役者的空白を経た'80年代のシリアスな演技派、そしてウォルター・マッソーとのコンビ復活の'90年代に三分類できよう。

 '60年代前半の軽妙洒脱な役者時代こそ、ジャック・レモンを戦後アメリカ映画界の最高の喜劇俳優たらしめる。
’55年の『ミスタア・ロバーツ』が全ての原点だが、’59年からの『お熱いのがお好き』、『アパートの鍵貸します』、『酒とバラの日々』、『あなただけ今晩は』に至るまでが、彼のピークである。
初期の四作で極点を極めたのは、天才俳優ならではのことである。それもわずか四年間に凝縮されている。
盟友のウォルター・マッソーだと、『恋人よ帰れ!わが胸に』で才能を開花させた後、マッソーの謎の情報部長や悪徳弁護士のような悪役的個性を封じ込めたレモン監督の『コッチおじさん』を経て、ドン・シーゲル監督の『突破口』あたりから主役の風格が出てきた。
マッソーの役者人生のピークは、’70年代の『サブウェイ・パニック』、『がんばれ!ベアーズ』、’80年代初期の『わたしは女優志願』あたりだと思う。
天才肌のレモンより5歳年長ながら、ピークは10年以上遅い。
ウォルター・マッソーならではの、冗談なのに真面目くさって面白い、Deadpanの演技が引き出され、独特なあくの強さが抜け、人間的魅力が映像に定着するのは、彼が50代になってからだ。

 ジャック・レモンの軽妙洒脱系(’60年代前半)の白眉は、やはり『アパートの鍵貸します』だろう。
アパートの一室のシークエンスが多く、ワンセット・ドラマの要素もあった。
一人芝居、気弱なしがないサラリーマンのとぼけた味と哀愁が滲んだ。
レモンは、シャーリー・マクレーンであれ、誰であれ、相手役を引き立たせる芝居が絶妙だった。
すべって転ぶスラップスティックも出来た。
チャップリンの『街の灯』が好きだったと聞くが、『アパートの鍵貸します』は同じ主調音である。
せつなさや哀しみに満ちた想いを内に秘めて、シャーリー・マクレーンと会話する。それがとてもユーモラスに見え、さみしく笑うと、こっちまで少し胸が痛くなった。
ジャック・レモンは破顔一万両の役者である。
彼の笑顔には都会的知性と哀愁がある。だが、なぜかとても爽やかである。彼をスターたらしめた要件だと思う。
この時代のレモンは、高めの声で、少し早口で身のこなしが軽やかだった。
『おかしな二人』の「清潔好きが度を越した潔癖症のカリスマ主夫」Vs「無頓着なポーカー好き」のキャラクター対比は戯画化され過ぎで、ボク的にはあまり面白くなかった。
二ール・サイモンが面白く思えるようになったのは、『グッバイガール』以降だ。くしくも、名脚本家I.A.L.ダイアモンドが表舞台から消えたころと、平仄を一にする。
『わたしは女優志願』など、センチメンタルな上質な都会派コメディーだと思った。

 ジャック・レモンは、ハーバード大学の理系を卒業した秀才である。
ハリウッドの良識であり、反戦リベラルであった。それが、『チャイナ・シンドローム』、『ミッシング』の’80年代のシリアスな演技派へ向かわせた。
とりわけ、後者のアメリカの実業家から、エスタブリッシュメントへの叛逆者になっていく過程は圧巻だった。
『晩秋』(DAD)は、双葉十三郎先生によれば歩く姿だけがレモンだったと言うが、なるほど、顔も姿も全くの別人だった。『晩秋』の最晩年の老け役の渋さと木漏れ日を浴びた芝庭での親子のキャッチボールは今も、忘れられない。
レモンは他のどの役でも、素の部分を1/4か1/5を残して、役柄を演じていたのだなと、その時に思った。
逆に、ウォルター・マッソーの素の部分が透けて見えてきたのが、先の『サブウェイ・パニック』のころだった。
 けれど、シリアスな演技派なら、レモンじゃなくても他にも役者がいるのにな~という望蜀の嘆もあった。

 そして、’90年代のマッソーとの『ラブリー・オールドメン』(二作)、『カリブは最高!』、そして『おかしな二人2』の四作のうれしいコンビ復活がある。
いずれもB級映画だが、即物的なギャグのコメディー映画ではなかった。名優二人が演じたコメディー映画であった。なかんずく、一番最初が楽しかった。

 『バガーヴァンスの伝説』が遺作だが、同じハリウッド・リベラルのロバート・レッドフォード監督にはレモンへの何がしかの想いがあり、レモンは単にゴルフ好きだったから出演したのかもしれない。
けれど今思うと、最初と最後のシーンは、その後を暗示している気がして、あまり見る気分にはなれない。
 素のジャック・レモンは、ピアノも歌も、すこぶる上手だったと言う。CDもあるが、まだ聴いていない。
音楽に限らず、彼はビジネスの分野に身を投じても、おそらく成功したであろう。そんな財界人の雰囲気も有している人にも見える。

 レモンさん、あなたの少しさみしい笑顔が、とても好きでした。合掌。
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by nonoyamasadao | 2009-10-24 20:14 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(6)

夏のみずうみ

  夏になると、水辺にゆきたくなる。武蔵小金井と府中の中間に住んでいたときは、多摩川によく出かけた。夏の川原を歩くだけだ。釣りをするわけではなかったが、夏の川面を見て、なんとなく、納得して、電車に揺られよい気分で帰った。

 この南の地に越してからは、市内にある湖の遊歩道の散策が楽しかった。川もあるが、小さな川だった。
涼しい渓谷もあるが、こちらは、少し遠い。
前の住所の時は、早朝、よく湖のほとりを散歩した。朝霧がでると、ファンタジックな光景だった。
夕暮れ時になると、黄金色の夕日の斜幕が降りてきて、桟橋の屋形船を染めた。
屋形船は滑るようにゆったり走った。
夕風が吹くと、湖面に波紋が広がった。あたりが暮色に沈むころは、屋形船の提灯に灯りがともり、湖畔の樹木はシルエットになって浮んだ。

 松本清張の「影の地帯」を中学の時に読んだ。初めての、松本清張だった。
冒頭近くの、ヒッチコックの「裏窓」の会話など、本筋とまったく無関係なのだが、今でも憶えている。ロマンティックな気分になった。
この小説は清張作品の中で、そんなに高い評価ではないようだが、ボクは大好きだ。
信州の四つの湖に謎の木箱が投げ込まれる。そして、代議士が謎の失踪―。
湖底を捜索しても、木箱は消えている。
この小説が印象に残っているのは、主人公が写真撮影で次々と訪れる木崎湖、青木湖、野尻湖、諏訪湖などのみずうみの風景が、いつもながら、行ったこともないのに彷彿としたからだ。
信濃地方の町の佇まいも、短いセンテンスを積み重ねた簡潔な文体で描かれた。

 この南の地の湖も汚染が進んでいるらしいのだが、市内にも拘らず、観光名所になっていないのがよい。だから、自然にほとんど手が入っていない。
昭和30年代には、漁師さんがいたという。
夏の風物詩の花火見物もなかなか、楽しい。水辺の花火はきれいだ。
だが、湖の花火は打ち切られ、他に移転してしまった。
ガッカリなのだが、その理由は下の湖の隣に動物園があり、その動物達がおびえるからだという。
そっかあ。だったら、仕方ないなぁ。

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by nonoyamasadao | 2008-08-29 17:00 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(2)

川上弘美のめかぶ談義からヒッチ師匠の断崖まで

川上弘美さんの“寝ても覚めてもめかぶ、の日々。”を読んだ。
めずらしく落ち着きの無いエッセイだ。らしくない感じのエッセイだが、面白さは無類だ。
散歩しながら、交通渋滞したクルマの中を覗いた話を書いている。

巻きずしを丸ごと端からむしゃむしゃ食べている中年女性がいて、中身は玉子焼きとかんぴょうだった。。。とか書いている。
ムムッ、具のことまで書くとは、かなりリアルだ。でも中年女性のひたむきな像が浮かんできて、笑ってしまった。あら、みてたのねえ。。。てね。JTのギョーザだったら、笑えませんね。

知識の宝庫だったある先輩から、覗きはアメリカでは犯罪になるのだよ、と教わった。
学生時分にたまり場で、ヒッチ師匠の“裏窓”のグレース・ケリーのエレガンスを絶賛していた時のことだ。グレース・ケリーは、当時クール・ビューティといわれてた。

“裏窓”は覗きの話である。
骨折して、車椅子のジェームズ・スチュワートが、暇つぶしにお向かいのアパートの住人たちの生活風景を、カメラで覗く話ですものね。
してみると、川上さんは アメリカでは“ピーピング・トム”(あ、女性だからピーピング・スージー?)かあ。
個人のプライバシーの侵害とかになるのかなあ。
人権侵害やスパイ罪ではないよね。。。。まさかねえ。

川上さんが落ち着きがないのは、どうやら仕事の締め切りに追われているからのようだ。
一時間に三回くらい“めかぶ・・・・”とつぶやくらしい。
めかぶが気になりだすと、そればかり考えて、原稿がまるで進まなくなるという。
こうなると、めかぶ心酔症ですね。
めかぶについて、しんみりと思索して、ポイントは“色かわり”と“ぬるぬる”だなと結論づけている。ふ~ん、そうなんだ。

東京生まれの田舎ものの僕がはじめて、めかぶを食したのは前に書いた“本家旅館”だった。
朝メシが、イカソーメン、魚の塩焼き、貝のみそ汁、めかぶ、ご飯だった。

今は、アルコールホリデーの四日間の晩飯に、めかぶを食している。
めかぶは佐賀県杵島郡産の袋入りのを水につけるのか、スーパーでは三陸か鳴門産の味付けではないパックを選んでいる。この選択でよいのか、定かでない。

“本家旅館”から、北山崎に向かった。 北山崎は陸中海岸の中心的スポットである。
北山崎では、カモメの人形とソフトクリームの大きな看板がお出迎えでした。

こういうのってなんだか、うれしい。
好い年をしてなに考えて、書いてるのだろう。バッカじゃ中目黒ナニ祐天寺だ。
それにしても、ここでカモメって、一体何なのだろう?
カモメは見てませんよねえ。
ああ、カモメじゃあなくて、ウミネコなんだと一人悦に入って納得したのを思い出した。

北山崎の展望台までは少し階段を降りていかないと、たどり着かない。だから階段を降りた。
しばらく階段を下り、山道を歩いた。かな~り、疲れますよ。アハハ。。。。あとはお楽しみに。

やっとたどり着いたのが北山崎の展望台だった。
それは、それはすばらしい絶景が広がっていた。

まあ、ネット検索で、風景はご覧になってください。観れるかどうか、知らないけれど。。。

ちなみに、ここの展望台は超A級の断崖である。
景色も素晴しい。絶景である。
ああ~~、もう一度、行ってみたいなあ。
ヤッパ、見栄を張ってはいけませんな。ホンネを申せば、ああ、恐かった。

断崖絶壁を描いたヒッチ師匠の映画を一つ二つ、書く。
ケーリー・グラントとジョーン・フォンテインの“断崖”。これだけは外せないでしょうね。
原作はフランシス・アイルズの“犯行以前”(今だと“レディに捧げる殺人物語”の方が通りがいいかも!)だ。

英国の心理スリラーで、倒叙ミステリの傑作である。

じわりじわりと不安感が募るから、当時はニューロティック・スリラーなんていう言葉もありました。SMと心理スリラーを混同する人がいるが、不幸な人だ。
フランシス・アイルズには、アントニイ・バークリーという別名があって、“殺意”という傑作もある。これも、同じく倒叙ミステリの傑作だ。

ヌーベルバーグのクロード・シャブロル監督はヒッチ師匠の研究家だった。
フランソワ・トリュフォーより、ヒッチについては造詣が深かったのではないか。

スタンリー・エリンの“ニコラス街の鍵”を映画化した“二重の鍵”は、立派なミステリ映画だった。だから、クロード・シャブロル監督の“殺意”という映画には大いに期待したものだ。
けれど、映画の“殺意”はオリジナル脚本で、バークリーの映画化ではなかった。
ラストだけ凝っていたけど、悲惨な出来でした。背負い投げを食ったみたいだった。


“断崖”には有名すぎて、書くのも気が差すシーンがある。ヒッチ師匠の場合は、ほとんどがそうだから、仕方ない。

寝ている女主人公に、正体不明の夫がミルクを運ぶシーンである。
階段を夫が上がって行く。。。ミルクが闇の中で白く光ってる。
このシーンはミルクが入ったグラスに電球をいれて光らせたのだが、こういうこだわりがファンにはたまらない。
ヒッチ映画の醍醐味はこういうところに極まる。

ラスト近くの自動車が再び、走り出す場面も忘れ難いなあ。
断崖の端の方へクルマが方向を変えて、断崖に向かって進むところである。
カメラの位置がどこか考えながら見ると、とても面白い。

“北北西に進路を取れ”にも断崖がある。
ケーリー・グラントとエヴァ・マリー・セイントの主演だ。
ヒッチ映画のお楽しみの一つに、美人の存在が不可欠だと思う。
エレガントな美女だ。カトリーヌ・ドヌーブで撮ってみたいと言っていたと聞いた。
なるほど、全盛期のドヌーブは美しかったなあ。大好きだった。

“北北西”の白眉は、ラスト近くのサウス・ダコタのラシュモア山の断崖ですね。
歴代の大統領の顔が刻まれた岩壁に追い詰められるシーンである。
これ以上は、エチケット上、書けない。

“北北西に進路を取れ”の宣伝に、ヒッチが来日したときの座談会があった。
そのときに、双葉先生が“北北西に進路を取ったら・・・、三十九階段が見えました”とヒッチ師匠に語ったのを読んだ。

僕はつい最近いなって,“三十九夜”のDVDを観た。
なるほど、“北北西に進路を取れ”は紛う方ない“三十九夜”の拡張ヴァージョンであった。

こういうこと、ご本人の前で言える双葉先生は凄い。
トリュフォーはこんなこと、いえなかったものね。

双葉先生は、ヤッパ、最後の映画批評家なのだとあらためて認識した。

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by nonoyamasadao | 2008-02-11 14:41 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(2)

我が心の映画作家ークルーゾー

 我が心の映画作家を三人だけあげるなら、迷うことなく次の三人を書くでしょう。
この三人は学生時代から今の現在になるまで、ぜんぜん揺るがない。不動の三人です。

 え、進歩がないって!
まあ、進歩のない人生ではありますねえ。時間も止まっているかもしれません。
でもまあ、一応、映画は観続けているつもりなのですよ。
たぶん、よっぽど好きなんでしょうね、この三人。

 かなりもったいつけて、ひっぱってますね。アハハ。
アハハではありませんね。先に進めます。

 順不同だけど、
ゴヒイキの三名は
アルフレッド・ヒッチコック、ビリー・ワイルダー、そしてアンリ・ジョルジュ・クルーゾーでした。

 並べてみると、フム、みんなミステリ映画作家でも、ありますね。
まあ、真っ白なスクリーンに映像が映ること自体が、ある意味でミステリですからねえ。
そういえば、探偵小説が好きで、映画好きって多いですよね。
その逆もまた、しかりですね。

 この御三家(あれれ、いつのまにか御三家に!)のなかだと、クルーゾーはもっと、もっと評価されてよいなあ。
”情婦マノン””恐怖の報酬””悪魔のような女”の三作は、映画好きには極上の御馳走だと思いませんかあ。
映画の醍醐味はここに極まる、というくらい私の大好物です。

 クルーゾーの場合だと、恐怖の映画表現に凄みがあるんですね。
”情婦マノン”のエンディングなど、映画史に残る鮮烈な映画表現だと思う。

 ヒッチ師匠ですと、緩急のリズムがあるのですがね。
つまりですね、サスペンス醸成のパンチに強弱をつけると、
強いパンチの切れが倍加するわけですよ。
だから、軽いジャブのようなショットはとても有効でして、それがあって、
後続する強いストレートのショットの冴えが倍増するするわけですよ。

 ヒッチ師匠の場合だと、ユーモアを入れたりしてリズムをつくるのですね。
こうなると話芸ですね。しかも洗練されていて、とってもスマート。

 ですが、クルーゾーの場合は、息つくヒマをあたえない。
凝りに凝った構図や構成で攻め立てるわけです。ですから、クルーゾーは正統派なんですね。
あざとさは一切、ありません。純粋なサスペンス映画です。
その意味では、デ・パルマなど、うんとぬるいですよ。
サスペンス道に奥の院があるとすれば、
デ・パルマは,道中の真ん中あたりで引き返して戻ってくる感じで、
クルーゾーになると、奥の院までも突き抜けてしまうって感じですねえ。

 今、お相撲がねえ、ちょっとトラブっておりますが、クルーゾーはいわゆる横綱の相撲です。
とんだり、張り手をしたりの奇手・奇策は、一切、なしですね。
”恐怖の報酬”など、まさしく本格派のお手本のような映画ですね。
サスペンスで徹頭徹尾,押しまくって、ワルツでほっとしたときに、アレがくるのですからね。
こういう廉直な作風だから、人を驚かす映画をつくるのがよっぽど好きなのでしょうね。

 本格パズラー作家に、ディクスン・カーがおりましたね。
彼は密室にこだわりました。
あの方と似ておりますね。

 カーはミステリを書くときには、部屋を真っ暗にして、
自分でもゾクゾクしながら執筆しているという噂がありました。
さもありなん、そう思ったものです。カーのファンでしたから。
泥臭いファースもありましたけど、本格派の王道は“とびきり不可能な謎”の提示だと思いましてね。
まさに密室はそれなんですね。

 もちろん、エラリークイーンの謎解きだと、知的に構成されていて、
論理が解き明かされる過程のサスペンスにも興奮したものです。
あれれ、話題が逸れてました。

 クルーゾーの”悪魔のような女”は、
ショック演出だけに特化(こういうときに特化って使っていいのかしらん?)した映画でした。
どうだ、心臓ドキドキしたろうって得意満面なクルーゾーがふっと、思い浮かんじゃうんですよ。
グラン・ギニョール的といえば、そうなんですがね。
グラン・ギニョールという言葉には、本来は、
見世物小屋のようなあざとさがありましてね。
なるほど、原作のボアロ=ナルスジャック自体に、
そういう要素がまるでないかというとそうともいえないのですがね。

 ですけどね、”悪魔のような女”は超一流のサスペンス映画でした。
ウィリアム・キャッスルやロジャー・コーマンなら、思いっきり三流にしちゃうでしょうね。
でも、それはそれで、笑っちゃうくらい楽しいのですがね。。。
プログラム・ピクチャーの面白さを侮ってはいけませんな。

 でも、”悪魔のような女”を超えるショッカーは、たぶんないんじゃないのかな。
ヒッチ師匠が嫉妬したのですからね。
大人気ないというより、なんとなく微笑ましいではありませんか。
それで、あの傑作の”めまい”が出来たのですからね。

 ”悪魔のような女”だと、さすがにネタバレはまずいですね。比喩で書きましょうね。
この映画は、ヘレン・マクロイのある作品と同じような意味のラストなのでしょうね。

 ヒッチ師匠やワイルダー先生には、小道具、ユーモアなど、
こまかい味や絶妙なペース配分など多彩な話芸が指摘できましょうね。

 ですがザックリと言ってしまうと、
ヒッチ師匠の真髄は実験的な映像感覚、
ワイルダー先生だと、リアリズムが真骨頂じゃあないかな、と最近になって思っています。

 じつは昨晩、”アパートの鍵貸します”を観ましてね、
ワイルダーの後期が大好きだったのですが、
”アパートの鍵貸します”も昔は、都会派コメディーだと思っていたのですが、
これが、結構、辛くて、悲劇でもあったのだなあと思いました。

 ウィトゲンシュタイン笑い)ではありませんけれど、
ワイルダーの前期と後期につきまして、
かなり考えることがあったのでそれを書こうと思ってました。
ですが、なんともはや、脱線転覆してクルーゾーについて書いてしまいました。
考えないで書くから、こうなるのですね。お恥ずかしい

 最晩年の作品についてだけ、書いておしまいにしましょう。
ヒッチ師匠が偉いのは、やっぱり晩年に”フレンジー”を撮ったってことですね。
”引き裂かれたカーテン”、厳しく書くと”鳥”あたりから、低落傾向が顕著でしたね。

 若い人は”鳥“がいいとか言いますけど、あれは企画ものですよね。
前期の”海外特派員”や”見知らぬ乗客”
後期の”裏窓”などとは、”鳥”は明らかに違いますね。
もっとも、イギリス時代の”三十九夜”など、今でこそ観れますけど、
昔だと、イギリス時代のヒッチ師匠を語れるのは双葉先生・植草先生くらいでしょうねえ。
”フレンジー”は快調だったですね。骨をボキボキ折るところだとかね。
そうそ、ヒッチ師匠の”めまい”ですが、もうひとつのエンディングの方が断然、傑作ですよね。
みなさん、そう思いませんか?

 ワイルダー先生も最後が、”悲愁”というのは、凄すぎますね。
こちらも”シャーロック・ホームズの冒険”あたりでおしまいと思っていたから、
まさか”サンセット大通り”の続編を撮っちゃうとはねえ。
ビックリ。
”ニノチカ”の脚本を書いていたから、グレタ・ガルボへのオマージュもあったのかしら。。。なんてうがち過ぎでしょうね。

 さて、クルーゾーの晩年の作品ですが、”スパイ”はシュールな映像で、不条理映画でした。マアマアですね。
でも、”真実”は、う~ん、
サスペンス映画ではなかったなあ、とだけ書いておきましょう。

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by nonoyamasadao | 2007-09-26 17:21 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(0)

ワイルダーについて思うこと

 才匠ビリー・ワイルダーの”深夜の告白”を観た。
ワイルダーはヒッチ師匠と並んで大のゴヒイキである。監督だけではなく、製作も脚本も書く名実ともに映画作家である。もっとも敬愛するお方だ。いくつか考えるところがあって、それを書く。

 ビリー・ワイルダーには大きく二つの作風がある。
1.急進的風刺作家:”サンセット大通り”や”地獄の英雄”など
2.都会派コメディー作家:”あなただけ今晩は”や”お熱いのがお好き”など
3.どちらともいえない:”情婦”や”翼よ!あれが巴里の灯だ”

 ここで論じたいのは1と2だ。個人的には2.が好きだった。過去形だ。都会派コメディーは洒落ていて、お色気もあって、スマートで、ユーモア会話満載で、ルビッチを継承した艶笑話芸が楽しい。映画の醍醐味はここにきわまる、と思った。

 1.には、名作が多い。タッチは、徹底的に冷酷な救いのないものだ。刺すような視線の映画である。オーストリア出身のユダヤ系監督の孤独な視線を感じた。凄みがある傑作ぞろいだが、2.の都会派コメディーの洗練の方が好きだった。

 優れたワイルダー論として、中原弓彦の”狼が子守唄を唄うとき”を挙げとく。これは思うに、中原弓彦の評論の極点だ。そこではアメリカ文明への毒と牙を持った作家像が描かれた。だから、狼なのである。そして狼は時に、コメディーという名を借りて、悪意に満ちた子守唄を唄う。その作品群が2.であるとした。誤解のないように補足するが、中原弓彦は、”その牙が鋭いから、ワイルダーは偉い”と褒めているのである。

 先日、ワイルダーの遺作”悲愁”を観た。じつはこれ、老後の楽しみとして残しておいたが、ついつい観てしまった。”悲愁”は”サンセット大通り”と同じシチュエーションだが、たしかに残酷な牙や毒とみることもできようが、本質はハリウッドへのレクイエムだと思った。I・A・L・ダイアモンドとチャールズ・ブラケットの違いはあるが、”サンセット大通り”の酷薄にみえるエンディングも同じではないか?。シュトロハイムが”スタート!”と声をかけたのは、サイレント映画の夢の終わりを告げただけではない。オマージュでもあったと思う。そう考えたときから、私は変わった。

 私はワイルダーに、冷徹な視線ばかりを観なくなった。”サンセット大通り”は映画人の悲劇や宿命を象徴的に描いたものだ。だからオマージュでもあった。今現在、中原弓彦説には否定的である。

 ”深夜の告白”は、ジェームズ・M・ケインの”殺人保険”(新潮文庫)が原作である。”倍額保険”といった方が通りがよいと思うが、悪女モノの傑作中篇である。
脚本はワイルダーとレイモンド・チャンドラーが書いている。

 映画のつくりは原作にそったものだが、倒叙ミステリ(inverted mystery)にしたことと、結末が違っている。結末の違いは当時の映画事情によるそうだ。ネタバレになるので書かない。
クライマックスは犯行のシークェンスでサスペンス醸成は巧みで、ショッカーのようでもある。
後年の”パパ大好き”のフレッド・マクマレーと”私は殺される”のバーバラ・スタンウィックが演じていると思うと、ヘンな気分だが、あくまでこの映画が先行であり、関係ないことだ。

 男と女の関係が、当時からすれば、かなり陰湿な感じで描かれている。
脱線だが、ローレンス・カスダンの”白いドレスの女”にはこの映画の影響が大きい。まあ、暑苦しく、ねっとりした濃厚さでは、あちらが上ですが・・・。”夜の大捜査線”のような異常な熱気を帯びた男と女の絡みだから、猛暑日だとつらいと思う。

 チャンドラーが絡んだから、フレッド・マクマレーのセリフが少し、キザかな。マクマレーの独白がエンエンと続く。例によって、小道具のマッチが効いている。ラストは上質な小説のしまいの一行のようである。

この映画は文句なしの傑作である。

 昔、Raymond Chandler Speakingの訳本を買ったけど、どこかへ行ってしまった。
J・M・ケインの小説やヒッチ師匠の悪口を読んだような記憶がある。

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by nonoyamasadao | 2007-08-17 14:08 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(0)

アントニオーニとベルイマン

アントニオーニとベルイマンが相次いで、亡くなられた。巨星墜つだ。
つつしんで、ご冥福をお祈りします。

ベルイマンの”野いちご”は、人生の苦さと彩りを描いた神々しいほどの傑作だった。50年前の作品だと思うと、やっぱり天才だったなあ。そう思う。

アントニオーニだと、”赤い砂漠”や”情事”など、愛の不毛テーマばかりが採り上げられる。けど本当にそうなのかな。モニカ・ヴィッティは好きだったけど。映画は退屈だったな。
初期の”さすらい”は心に沁みる名作だ。歩くショットとピアノで、孤独や侘しさが際立っていた。ぶった切るようなラストも凄い。

でもどちらも、楽しんでみたというより、勉強しましたという感じが強い。松田定次監督「新吾十番勝負」と怪獣映画の添え物映画だった杉江敏男監督の「私と私」が、映画の原点だもんなあ。
自分の趣味傾向を考えると、前者からはチャンバラ、それからアクション、そしてヒッチ師匠につながっていく。後者からは都会的ミュージカル、そこから都会派コメディー、ワイルダーの流れになったような気がしている。

昨日観たdvd。キャプラの”波も涙も暖かい”。これは独特な語り口が不発だった。バツイチボーイ・ミーツ・未亡人ガールという物語ですね。音楽だけ楽しい。

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by nonoyamasadao | 2007-08-02 11:17 | ヒッチ・ワイルダー | Comments(8)