いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
more...
タグ
(842)
(691)
(202)
(187)
(181)
(158)
(122)
(101)
(72)
(57)
カテゴリ
全体
ミステリ映画
ヒッチ・ワイルダー
洗練コメディー映画
60年代ポップス
本格パズラー
川上弘美
江國香織
短編小説・詞・詩
雑文
中村八大
竹内まりや
伊東ゆかり
花の24年組
最新のコメント
To まめ蔵さん >..
by nonoyamasadao at 22:14
nonoyamaさん、こ..
by まめ蔵 at 16:10
了解です(笑)
by まめ蔵 at 20:55
To まめ蔵さん >「..
by nonoyamasadao at 23:20
あ、ここでは sadan..
by まめ蔵 at 21:35
T0 まめ蔵さん >初..
by sadanono at 10:56
> 若いって素晴らしい。..
by まめ蔵 at 17:04
To まめ蔵さん >エ..
by sadanono at 20:33
nonoyamaさん、御..
by まめ蔵 at 15:27
To 穴沢ジョージさん..
by nonoyamasadao at 00:18
お気に入りブログ
soda-pop
自然風の自然風だより
おいしいもの見つけ隊 隊...
のほほん便り
ふらんす堂編集日記 By...
佐賀県武雄市  武雄温泉...
散歩日和
deux fraise
魅せられて大和路
ちまもの読書日和
最新のトラックバック
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
ああ、ついに…双葉十三郎..
from ラムの大通り
坂本九
from いいたいことは少しある
検索
メモ帳
いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:ミステリ映画( 25 )

男が感じる男の色気

 このところ、伊東ゆかりさんのことばかり書いている。
実は、きょうも書こうと思って止めた。

 昨夜、ブライアン・デ・パルマ監督の「スカーフェイス」を観た。ハワード・ホークス監督のギャング映画「暗黒街の顔役」を現代化した作品で、脚本は社会派のオリバーストーンである。そんなはずではなかったが、思わずアル・パチーノに見入ってしまった。
抑制の効かない上昇志向と、家族への屈折した思いが入り混じった複雑な性格の役柄だった。
なんともすさんだ凄みが漂っている。異形な生き様を、実に的確に演じていた。力演である。
夜陰に乗じて、豪邸に攻撃をしかける殺し屋の大群を相手にマシンガンを乱射する、壮絶なクライマックスは圧倒的だった。
さすが、デ・パルマ的な華麗な見せ場だ。こうじゃあなくちゃあねえ、と感心した。

 遠い昔のことだ。
リニューアル前の「テアトル新宿」には、ビルの上の方に大きな馬蹄形のカウンターのパブがあった。
「スケアクロウ」のアル・パチーノの話題で、年少の女の子から絡まれたことがある。アル・パチーノを嫌いだと言ったからだ。
「スケアクロウ」のアル・パチーノはチンケな小男に見えた。オドオドしたおどけた役だったからでもある。だから、でかくて喧嘩がつよいジーン・ハックマンがかっこよく見えたのだ。
でも、当時からアル・パチーノは女性の人気はあったようだ。
「アルパシーノ+アラン・ドロン<あなた」なんて歌もあった。あ、榊原郁恵が歌ってました。
森雪之丞の作詞・作曲だった。この人も摩訶不思議な才人だった。
今はパシーノとは、あまり言わない。パチーノだ。

 アル・パチーノには、「セルピコ」、「狼たちの午後」、「ゴッドファーザー」など既に代表作はあったが、断然「スカーフェイス」がいい。
完全に危ないどこかに逝っちゃった感じがあった。
そういえば、山本薩夫監督の「皇帝のいない八月」の渡瀬恒彦の眼技にも似た感じがあった。
現状への焦燥感から破滅を急ぐ男の興奮とおびえのアンビバレンスがあった。その背後には美学とニヒリズムがある。

 話題は変わって、志水辰夫の「行きずりの街」を今頃になって、読み出した。これが抜群に面白い。読書家でなくても、なにを今更。。。っていう話題でしょうね。お恥ずかしい。あちこちに、読み落とした作品がたくさん、あります。

 25年以上昔に、ぜったいに僕の好みのはずだと、ミステリ通の友人から強く薦められた作家である。僕好みの文章だと聞いた。あ、僕自身は悪文だが、読むのはきれいな文章が好きだ。柄じゃなくて、すみません。
だから何度も試みたが、どうもキブンが乗らなかった。
類稀な文章力といったって、そんなに上手いかなあ。そうも思わないけれど。。。っていう感じだった。

 今回、はじめて本気で読んでいる。今半分まで読んで書いている。
見切り発車だが、なるほど。。。すこし興奮している。そう、たしかに僕の好みのスタイルだ。
結構、部分的にかなりキザな文章もある。それがなんとも心地よい。たとえばこうだ。

 男はみんな糸の切れた凧になりたがるものなのだ。それで女が苦労している。

 う~ん、こういうのが隠し味で、行間に埋もれて、散らばって書かれている。
地名が固有名詞なのもよい。場所が描写力をもって活写されている。
イマージナリー・ランドスケープ(デジャブじゃなくて)がある。
とくに、広尾から六本木までの空間的広がりの描写が冴えている。それも’90年代初頭のバブルの時代の頃だ。鷺宮あたりの光景の描写もいい。

 女の人の描き方が、チャンドラーほど柔でなく、ロス・マクほど透明でもない。
てきどに叙情的なのだが、観察には酷薄な視線があって、描写は乾いた感傷に留まっている。
うん、シミタツと短縮形で呼ばれるのが、よ~く理解できた。

 シミタツというスタイルを感じた。
スタイルをもったハード・ボイルド作家は日本では、稀有なことである。主人公はわりとボコボコにされるが、またルックスもぼんやりしているが、なんか雰囲気があっていい。

 ちょっぴりクールで、そのくせ情もある。インテリで、内省的だが、無鉄砲。まあ、矛盾している。
そこが凡庸に見えて、ヒロイックなのだ。男の色気、うん、ありますな。

この作家の良質な部分は冒険小説にあるのではなく、正統派ハードボイルド小説にあるように思った。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2012-02-09 10:41 | ミステリ映画 | Comments(0)

双葉十三郎先生を偲ぶ

 初めて双葉十三郎先生の文章を読んだのはのは、1960年の秋だった。
場所は荻窪二丁目の角の床屋さんで散髪して、その隣の本屋で『スクリーン』誌連載の『ぼくの採点表』を立ち読みした。
前髪パッツンの坊ちゃん刈りから、生まれて初めて横分けに変えた日だ。
すこし大人になれた様な気がして、なんか得意で、うれしくてうつむいて笑った。
照れくさくもあった。にわかに色気づいた頃だった。
でもその時は、まだ『ぼくの採点表』の書き手が双葉先生(以下、先生と略)だとは記憶しなかった。

 そして数年が過ぎた。
中学生の休憩時間には、
『M.Mはマリリンモンロー、B.Bはブリジット・バルドーで、C.Cは誰だ?』
上のような、知ったかぶりの遊びをよくした。
C.Cこと、クラウディア・カルディナーレは、『ブーベの恋人』でよく知っていた。
映画のテーマ曲は『ザ・ヒットパレード』で、大好きだった、美しいお姉さんの園まりさんが歌っていた。
♪女の命は 
♪野原に人知れずに咲く花よ
だったかな。
マイナーコードの曲だった。レコードも、下井草の頃に買った。
クラウディア・カルディナーレの『ブーベの恋人』の映画評は、『ぼくの採点表』で読んだ。
淀川長治さんが編集長の『映画の友』などの双葉先生の文章は、お洒落会話に溢れ、読んでいてウキウキした。
ルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』だと、“ドロン君がドロンする話”とかのサブタイトルがついていたっけ・・・。まじめくさった風で、実はとぼけたユーモア批評文に、ひたすら憧れた。
先生が書くと、雑誌のそこだけ、際立った都会的ユーモアの洗練があって、そこだけに陽が当たったようだった。
立ち読みだが、何度も何度も、噛みしめるように熟読した。

 大学に入った頃に、SRの会員だった友だちから先生の『“疑惑の影”を分析する』(アメリカ映画)を借りて読んだ。
これは瞠目すべき批評だった。
ヒッチコックのサスペンス醸成技法について、絵コンテを書かれ、構図のカットごとに具体的にサスペンス醸成方法の分析がなされていた。
ヒッチコックが『北北西に進路をとれ』の宣伝のために、来日した時の『ヒッチコック・マガジン』の座談会の記事も読んだ。
先生はヒッチコックに向かって、北北西に進路をとったら、三十九階段(『三十九夜』)が見えたのは錯覚でしょうか?と尋ねた。『北北西に進路をとれ』の原型は、同じヒッチコックの旧作『三十九夜』だと知ったのは、ずっと後のことだ。
先生の面目躍如である。軽妙洒脱、一言で的を射抜く。
頭が切れ、大胆な質問だった。
だって、トリュフォーのヒッチコック・インタビューなど、おっかなびっくりの迎合が見え隠れする。
これは、映画ファンなら当然である。

 また、B.ワイルダー監督の『情婦』の有名な光る片眼鏡のシークエンスを、殺人教唆だと喝破したのも、先生が最初だったと聞く。
 切れる批評は、日本映画月評でも明らかであった。
小津安二郎の『風の中の雌』を床の間の置物みたいな作品と評した。
黒澤明の『静かなる決闘』は、静かすぎて、枝ひとつ動かない始末と書いた。
 
 先生は東大経済学部を卒業して、住友本社の調査課の課長まで勤められた。
映画批評は学生時代からずっと続行していたが、親孝行のための就職だったという。
自宅の庭に焼夷弾がいくつも林立して、消火しているときに、これで死んだと思えば映画批評一本に絞ってもよいな。。。と考えたそうだ。

 先生が本当に素晴らしいのは、差別なく、というよりむしろ嬉々として、埋もれたB級・C級のプログラム・ピクチャーを紹介してくれたことだ。
たとえば、学生時代ならSFファンならドーゾの『地球爆破作戦』やミステリの『ポーラの涙』など、楽しい小佳作だった。
『殺しの接吻』など今でも、飯田橋の小汚い時代のギンレイホールで観たときの興奮が忘れられない。
先生のオススメ作品をみるために、今日は千葉方面へ、明日は横浜の映画館など、あちこちで映画を観て歩いた。
上のような作品評は『キネマ旬報』などでは、ゼッタイ採り上げられることはない。

 さらに歳月は流れ、バリー・レビンソンやウォルター・ヒルは言うに及ばず、たとえばC級作家だが、結構いけるハワード・ドゥイッチやドナルド・ペトリーなどを知る。
実は、双葉評を読むコツがある。
同じ☆☆☆の評価でも、先生の好みが隠し仕事のように潜んでいる。
二十年、三十年と長く愛読していると、褒めていなくても、ああ、この映画はお好きなのだな。。。とわかる。
まさしくアウンの呼吸である。
愛読しているうちに、先生が犬好きであること、ゴルフ好き、アメリカン・フットボール愛好家、シェークスピアに造詣が深いこと、格闘技がお好き、なども仄見えてくる。
今では、好みの犬の種類までもわかる。
かつては、シャーリーマクレーンがゴヒイキ女優だったけれど、スーザン・サランドン、比較的最近ではメグ・ライアン、ジャクリーヌ・ビセット、ミシェル・ファイファーやメラニー・グリフィスも御贔屓だった。
双葉ファンならではの読み方だと、クリスティ・マクニコル、ダイアン・レイン、そしてユマ・サーマンがタイプであったのが解る。一番お好きだったのは、近いところでは、ドミニック・サンダにトドメを刺すでしょう。
 そのうちに、武蔵小山の先生のご自宅から試写室までの通勤ルートや朝のたまごかけご飯が好物なのも知る。
こうなると面識こそないが、まさにストーカーである。
けれど、ボク自身は、「趣味は双葉十三郎研究」だからだと思っている。
先生のミステリ好きはあまりに有名なので、ここではもう書かない。

 ずっと批評を読み続けていると、辛いことにも気づく。
’90年代に入ってから、よく画面が暗いとか、耳をつんざく音響とかの批評を読んだ。
ああ、目の調子がよくないのかも・・・とか、補聴器の調子が悪いのだろうか。。。などと胸騒ぎがした。

 大学生の頃、先生を大学の学園祭の講演にお呼びしようと、双葉家のご自宅まで電話をしたことがある。
それこそ、ふるえる指でまわした。
お上品な奥様が出られ、学生にも優しく丁寧に応接して頂いた。
主人は座談会ならよいのですが、講演はしたことがないと申し訳なさそうに話された。
今思うと、あの奥様が上野の音楽学校を出られて、ピアノを弾かれたのだなと思う。
どうして講演会ではなく、座談会に切り替える機転がきかなかったのだろう。。。と悔やまれる。
でも、先生のお声こそ聞けなかったけれど、ボクには大切な、思い出深い一コマになりました。

 旧臘(2009年12月)に、先生は遠い国へと旅立たれました。
ボクの手元には、夭折されたミステリ・映画評論家の瀬戸川猛資さんが編集された『ボクの採点表』と『日本映画批判』(トパーズプレス刊)が残った。
昨日、最初期の『日本映画創作上の諸問題』という論文を読み返した。
衣笠貞之助の『鼠小僧次郎吉』に触れ、モンタージュは殊更に不自然化されたコンティニュイティ上の問題にすぎず、唯物弁証法を通じてのみ理解されると書かれていた。
これこそ、映画理論である。
22才の若書きだから、やや生硬だが、現役の東大生が書いたシャープな切れと才気が横溢していた。
けれど、軽いフットワークと楽しいお遊び心満載の先生であってくれて、よかったなあとつくづく思った。

 ’30年代からずっと変わらずに、次から次へと古今東西の様々な映画を批評し続けた先生の功績は、計り知れないほど大きい。
先生を慕う映画評論家がとても多かったのも合点がゆく。
 そして、いつも本屋で胸を躍らせて、先生の『ボクの採点表』を立ち読みしていた少年たちは、幾世代も越えて夜空に散らばる星の数ほどいるに違いない。
ボクもその星の片隅のほんのひとつになれれば、とても幸運である。
 願わくば100才までという、望蜀の願いがなかったといえば嘘になりますが、いつかはお別れしなければなりません。
 
 長い間、ご苦労様でした。
 どうぞ、ゆっくりお休みになってください。

 先生が原作・構成をされた『日真名氏飛び出す』の、夜の街のエンドロールに流れた曲をかけます。
小学生低学年だったボクは、このエンドロールを観て、な〜んて都会は素敵なのだろうって思ったのでした。その気持ちは今も変わらない。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2010-01-19 10:35 | ミステリ映画 | Comments(8)

25年後のロシュフォールの恋人たち

  『ロシュフォールの恋人たち』(ジャック・ドゥミ監督)のデジタル・リマスタリー版を観る。
特典の25年ぶりにロシュフォールを訪れたカトリーヌ・ドヌーヴたちの話が、面白い。
双子姉妹の歌を歌うシーンで、窓からチラッと映っていた菩提樹が大きくなった。。。とかドヌーヴが話している。
ふ~ん、あんな天下の美女でもそんなことを思うんだあ。
な~んだ、意外とふつうの人じゃん。。。って、当たり前か・・・・。
ドヌーヴといえば、クール・ビューティ。グレース・ケリーの再来とか言われた。
思い起こせば、マルキ・ド・サドの白いドレスを着た『悪徳の栄え』(ロジェ・バディム監督)の清純な妹やフィリップ・ド・ブロカの『ピストン野郎』の雨の電話ボックスの彼女は、神々しいほど美しかった。
ヒッチコックも、遺作はドヌーヴで撮りたい。。。と語っていた。
ヒッチコックのドヌーヴは観たかった。
晩年の『フレンジー』は大傑作だが、『ファミリー・プロット』だって、とても面白かったから、楽しみにしていた。
痛恨だなあ。
フランソワ・トリュフォーが、ウィリアム・アイリッシュの『暗闇へのワルツ』の映画化『暗くなるまでこの恋を』をドヌーヴで撮った。
この映画は、アイリッシュのマゾヒズムをトコトンまで突き詰めた、心理サスペンスの秀作を貶めたとんでもない愚作だった。神代辰巳監督、酒井和歌子主演のテレビのサスペンスドラマの方が、ずっとよかった。
リメイクの『ポワゾン』は見ていないが、どうなんだろうな。

 『ロシュフォールの恋人たち』は、ずいぶん、クレーンが多用され、移動撮影も多かった。ドゥミはリリカルな映像詩人だけでなく、彼の作詞も垢抜けいて、ミシェル・ルグランの音楽がつくと楽しい。
ついこの間、邦画の文芸映画の傑作『愛の渇き』(蔵原惟繕監督)も再見したが、これも移動撮影が多く、浅丘ルリ子さんがフォトジェニックだった。
ボクは移動撮影が好きだなあ。。。今更ながらそう、実感した。

 しかし、フランスの映像派は長続き、しませんな。
ジャック・ドゥミも、クロード・ルルーシュもそうだったけど、もって初期の三作までですね。(前者の『ローラ』や後者の『行きずりの二人』を含めて三作)
そういった意味では、『冒険者たち』のロベール・アンリコは別格である。
計算外れの駄作もあるが、『まぼろしの市街戦』のフィリップ・ド・ブロカや『スパイ対スパイ』のジョルジュ・ロートネルなどは、もっと評価されてよいなあ。
ジャン=ピエール・メルヴィルは持ち上げされすぎだったけど、最近はとんと話題にならない。これも、おかしい。

 久しぶりに、映画について書いた。
通り抜けの学校では、実ザクロの実が大きくなる。毎年思うのだが、夏休みの学校はとてもさみしい。

More
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-08-01 12:54 | ミステリ映画 | Comments(2)

ハードボイルド大好き

  大好きなハードボイルド映画について書く。
『クレイマー、クレイマー』のロバート・ベントン監督の『トワイライト 葬られた過去』(未公開のDVD)は、オールドファン向けの佳品だ。
冒頭からエンディングまで、黄昏にたたずむかのような作品であるという惹句は大仰過ぎるけれど、見て損はない。
主人公は元警官上がりの探偵で、今はしがない飲んだくれ。
娘と女房がいたが、娘に死なれアル中になるというお決まりな役どころ。
だが、このダメ男がどうにか立ち直り、タバコもやめた。
ファーストシーンではプールサイドで、サングラスに口ひげで、ビールをラッパ飲みしていた。
まあ、ありがちな、いかにも正統派ハードボイルドのキャラクターである。
演じるは、ポール・ニューマンで、これが堪らなく好い。
クールでふてぶてしく不良っぽい。そのわりにストイックで、ちょっぴり哀愁などあって、でもやっぱダメ男。
けれども何故かカッコイイ。
そんな主人公がある日、突然、殺人事件に巻き込まれる。しかも容疑者になる。
遠望のよい高台の豪邸に住む元同僚が、『かわいい女』のフィリップ・マーロウ役や『ロックフォード氏の事件メモ』のジェームス・ガーナーだった。

  最近、エリオット・グルードの『ロング・グッドバイ』をDVDで見直した。
深夜にわがままな猫にご飯をねだられて、わざわざカレー風味の缶詰を買いに、スーパーまで車で出かける。設定は’70年代に置き換えられている。
真夜中なのに、若いイカレ女達がベランダで揺れるように踊ったり、ヨガに没入したりていて、ワケワカラン人種がご近所さんである。
 そういえば、ポール・ニューマンの『動く標的』でも、冒頭、朝起きるとコーヒーを切らしていて、ゴミ箱から使い古しを拾って、出涸らしのコーヒーを飲むシーンがあった。
これまたうらぶれて、みじめったらしいのだが、そこがカッコよい。
射ちたければ射ったら~というラストのストップモーションも、決まってました。

 ロバート・ミッチャムの『さらば愛しき女よ』の評価が圧倒的に高い。なるほど、原作のムードにはぴったりでしょうね。
演出のディックリチャードは写真家出身だから、構図や’40年代の物憂い紫煙渦巻くクラブなどのムード作りはさすがに上手かった。
年令がいってから観たせいだろうが、ロバート・ミッチャムが年取り過ぎだなと思った。
なんかねー、人生に疲れきっちゃった。。。って感じだった。
グルーミーな感じは良く出ていたし、シャーロット・ランプリングの謎の女はいかにもさすがで、絵になっていた。

 グルード演じるこちらのマーロウはチェーンスモーカーで、いつも煙草をくわえ、車の前に飛び出したワンちゃんにも心優しい。
だからタフでもないし、すこしマヌケでもあり、哀愁というより、動物を可愛がる善人という感じかなぁ。
これ、当初、オンタイムでロードショーで観た時に、ある意味で原作を徹底的に裏切っているし、ど、どうなんだろうって思った。
面白くはあったが、ハードボイルド映画というには、あまりにルース過ぎるよな~と思った。
再見すると、なるほどルースには違いないが、緩いというか、ゆっくりとまったりと~がいい味になっていた。
時代の流れかもしれないなぁ。
 
 正統派ハードボイルドは『最初に失踪ありき』と書いたのは、小鷹 信光 だったと思う。
『かわいい女』、『ロング・グッドバイ』、『さらば愛しき女よ』も失踪から始まる。

 今日の冒頭に、採り上げた『トワイライト 葬られた過去』も御他聞にもれず、失踪がある。
ロスマクドナルドの『ウィチャーリー家の女 』以降の、アメリカ家庭の悲劇というテーマにも近い。
ロスマクの描く私立探偵リューアーチャーは失踪調査のため、事件に介入すると、他者の秘め事を剔抉することになる。アーチャーの介入が家庭の悲劇の引き金になり、やがて家庭の崩壊をもたらす。アーチャーは介入に迷い、病めるアメリカの現実に絶望する。それが’70年初頭のハードボイルド小説だった。
 
 それから20年余、『トワイライト 葬られた過去』では、ラストなど暖かな気分になれた。
う~ん、似たような境遇なのにポール・ニューマンが演じると、MMKでよいなあ。
モテテ、モテテ、困るってえヤツですよ。いいなあ。

 NY州の田舎の冬景色が美しかった『ノーバディーズ・フール』(これまたロバート・ベントン監督作品)もそうだったけど、ちょっと世をすねた永遠の不良がよく似合う。人生の盛りを過ぎた独身男の孤影も漂う。
『黄昏』のヘンリー・フォンダも、哀愁があったが、ヘンリー・フォンダの場合、毒気を抜かれて枯淡の境地が侘しかった。まっ、そういう映画なのですが・・・。身につまされてしまった。
やっぱ、少しは不良っぽくないとつまんない。

 そういう老境を迎えたいものである。まっ、ムリかもしれませんけれど。。。
不良でなければ生きてゆけない。
エロオヤジでなければ、生きる資格がない。
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-07-13 14:39 | ミステリ映画 | Comments(0)

花冷えの日にー

  昨日の朝は寒の戻りでさむかった。けれど、穏やかな陽ざしに輝くクスノキの若葉がやさしく揺れ、ケヤキやヤマモミジの新芽は、眩しい位に鮮やかだった。
最近になって、ようやく常緑のよさが分かったみたい。
花冷えというも、気分が引き締まってよいものだ。県立劇場では国立大学の卒業式だった。
最近は、男性も花束などもらうのですねえ。知らなかったー。もっとも、そないなものもらっても、コッ恥ずかしいだけジャン。
こんなの手に持って、悦に入ってる若者なんて、ろくなもんじゃねえ~。まあ、うらやましくもあり、嘆かわしくも思う。

 例年、どうしたふうかこの季節になると野暮用が多くて、タクシーで行ったり来たりを繰り返す。
あちこちで、桜は咲いていた。
とある高校の正門の両脇に桜が咲いて、枝を伸ばしていた。ああ、この桜の下をくぐって、入学式というのは思い出になるなあと思う。
できれば親子二代で、同じ桜の下をくぐったら、さぞ感銘深いものがあるだろう。入学式まで、待ってくれるとよいですね。

 帰り道ついでにスーパーで買い物をしたけど、午後六時をまわっているのに、まだ青空だ。
隣の隣の四丁目公園の桜が、今が盛りですよ~とばかりに、繚乱と咲く。
わ~、絢爛たるものであるなあ。
三~四百坪くらいの小さな細長い長方形の芝生の公園である。
桜が十本ほど、みっしりと隙間なく植わっていて、真っ白い花が青空を覆うように咲いている。
ほう。。。しばらく、じぃーっと見入っていると、白い花がすこしピンクを帯びて見えてくる。
芝生も、ややピンクの色に染まっているみたい。
風が吹くと、風花のように小さく淡くチラチラと降る。
小さなお地蔵さんには、立派な献花が二束、供えてあった。ずいぶん豪華だ。
老母はもっと、地味な花がお地蔵さんに似合うなどと言うが、心がけの悪い我々に語る資格などない。
これぞ、公共の福祉の原点である。
当番かなにかで、この季節は桜のお礼も兼ねて、献花しているのかもしれない。
桜に染まった芝生では、いつのまにか子猫がうずくまっていた。
はて、用足し??だろうか。。。と見ていたら、這い這いをするように動き出した。やれやれ、先ずはひと安心。

 我が集合住宅の裏口の道を隔てたすぐ先に、女子高がある。
横引きのゲートが全開になっていて、入り口の傍に、一株の桜が咲いている。
こちらも、なかなか風格のある桜なのだ。
けれんなく、堂々と咲く。いや~、見事なものだ。
だだっ広い校庭に、たった一本の桜というのも省略された美しさがある。

 風花で思い出したが、一昨日見たDVDの『容疑者Xの献身』も最後に、風花が舞っていた。
落ち葉から冬にかけての物語だ。
この映画はミステリではなく、ラブストーリーだと思う。
堤真一の映画の演技はやっと、本領発揮ですねえ。演技が自然な感じにこなれてきた。
辛口に書けば難点はあるけれど、もっさり、とぼとぼと歩く姿に孤影がにじむ。
ストーカーっぽく、ポツりと立ってるシーンなど、ゾクゾクした。う~ん、いいんじゃないの~。
松雪泰子さんも、薄倖なヒロインがよく似合っていた。

 堤真一の今度の舞台『蜻蛉峠』はどうやら、極悪非道っていうよりも、やっぱ、カックィー!らしいですねえ。近々、見るので楽しみー。
女性が見ると、古田新太がとっても色っぽいらしい。それって、なんとなく分かる。

 『容疑者Xの献身』で気に入らないのは、アッペルとハーケンの四色問題とか、NP困難とかの衒学趣味が薄っぺらでヤダ。ヴァン・ダインとか都筑道夫のペダンティシズムなら別ですけれどね。
ハッタリだけなら、ワタクシだって、ヘルマン・ハーケンなら知っているけどとかさ~。。。。スチュアート・カウフマンのNKモデルなら知ってるゾとか書ける。
これ、たった今検索かけて、な~んも知らないで、でっち上げで書いた。
 柴咲コウさんの悪口も結構、読んだけど、大人っぽくなったと思う。おしとやかな感じも悪くないよねー。
まあ、台本が悪い(原作は読んでいない)だけだが、『彼女によって生かされていたんですね』は、説明による説明のためのセリフで、ぶち壊しだけどね。
でも彼女の責任じゃない。

 劇中、ザ・タイガースの『落ち葉の物語』で、すぎやまこういちさんが真似した『あら野の果てに』(Hark! The Herald Angels Sing)が聴けた。
これって、賛美歌らしいけれど、YOUTUBEだと、アー、アアアアー、アアアアー、アアア、グローリアー。。。のところが聴けないのだよね~。じゃあ、意味ないじゃん。
何故だ???。もともと、なかったのかしらん。フム、無知だからワカラン。く、くやしい。
 まっ、いっかあ。季節外れでもあるし。
『落ち葉のメロディー』で我慢しておこう。
小林麻美さんも、はかなげなスレンダー美人だった。今でも、大好きだ。


[PR]
by nonoyamasadao | 2009-03-26 08:48 | ミステリ映画 | Comments(3)

さもありなん

 ハクモクレンが散り、コブシ咲く。白くて清楚、そこがいい。
ヨコワ刺し、貝柱、スズキ刺しで、ビールを飲む。
ヨコワはクロマグロの幼魚で、ミズナと大葉を刺身のツマに、ワサビ醤油で食す。
貝柱はタイラギ貝だ。帆立じゃないぞ~。この歯ごたえ、この香り、あ~、本ワサだ。
もう、堪りませんわー。
スズキ刺しは薄造りだ。ポンズ醤油に、モミジオロシを溶き、ワケギを入れた。
少し、モウロウとしながら、リチャード・ウィドマークを偲ぶ。昨年、死んじゃったなんて、知らなかった。
美人は『世界中に通用する音楽』で、醜い女性は、『騒音だ』なんてセリフあったなあ。
本物のワルを演じて、ホント、カッコよかった。

 リチャード・ウィドマークは、どう位置づけられるのだろう。
ワル、陰、違うな。そんなの甘い、甘い。
『死の接吻』の車椅子の老女をニタニタ笑いながら、階段から蹴り落とすのは凄かったなー。唇をゆがめての高笑いというか、ハイエナ笑いも突出して非情、突出して酷薄だった。
もの凄く不気味なんだけれど、なんだかカッコよかった。
こういう悪役のカッコ良さなら、分かるんだけれど、違うんだろうな。
あ、死に際のセリフもキザだけど、カッコよかったなー。
『陽が沈む。夕陽と一緒に毎日誰かを連れて行く。今日は俺の番だ』
 ウィドマークって、大学の講師から俳優になったのだよねー。
主役になってからは、あまり、パッとしなかった。
黒岩重吾の現代小説に、素のウィドマークがお忍びで訪日しているシーンがあった。
京都のホテルですれ違う描写がある。これ、実話じゃないの~って思った。
物静かで、知的で目立たないと言う。
ふ~ん、そ~なんだ。
さもありなん。
[PR]
by nonoyamasadao | 2009-03-16 17:40 | ミステリ映画 | Comments(0)

俺たちは天使じゃない

ど忘れがひどくって、固有名詞が出てこない。
まぁ、老化だから仕方ないことだが、なんとも心許ないものだ。
人の名前が出てこない。特に人と話していて、突然、あれれ、失念しちゃった、あの人だよ。。。というふうになる。
ま、当然、相手はあの人って誰よ?って、普通、聞きますよね。
だから、あの人ですよ、あの映画に出ていたあの人です。。。とか云う。
ああ、だったら〇〇さんだ~で済めばよい。
だが相手も、うん、分かったけど、名前が出てこないとなると、俄然、ややっこしくなる。
名前が出てこない時は、必死で思い出さなければならない。。。と仄聞した。そういう努力を常日頃からしていないと、ど忘れが加速すると云うではないか。
いずれはすべては忘却の彼方になるのは、そりゃ、二十歳すぎたら、脳細胞が減って行くのだから、しょうがない。

 だがボラギノール軟膏と歯磨き粉を、取り違えたらシャレにならない。ボラギとチューブ入りわさびとかなら、やらかしそうだ。
三歩歩いたら忘れるニワトリになるのは、まだごめんだ。
よく言うでしょ、三歩歩くとすぐ忘れるとか、バカは一晩、寝れば忘れるとかね。
失恋とか、胸が痛くなるようなことは忘れてもいいけど、人の名前などは失礼だしなあ。
東海林さだおさんが書いてたが、形容詞が出てこなくなるとヤバイそうだ。実は形容詞もヤバそう~。

 でも、ど忘れって、何の前触れもなく、突然思い出したりする。会議の途中、人の話を聞いているときとかにね。そしてすぐ、また忘れる。
昔のしょーもないことはよくおぼえているのにね。5才とか7才のころのど~でもいいことは忘れない。

 『日真名氏飛び出す』というテレビ番組があった。CM第一号番組だそうだから、昔だ。
D.ハメットの『影なき男』シリ-ズを下敷きにして、映画評論家の双葉十三郎先生が構成を担当されたから有名な番組だ。
お暇な日真名氏と、あわてんぼうの泡手大作が、ホームズとワトソンのように、大活躍する話だったから、よ~く記憶している。
だが、一階に薬局があって、喫茶コナーのあるドラッグストアが舞台で、隣が事務所だったとか、くだらないことを克明に憶えている。
 『咲子さんちょっと』という江利チエミのドラマなど、歌詞まで記憶している。
♪ちょっと ちょっと来て ちょっと待って
♪ハーイハーイ ハイハイハイハイ ハイハイハイハイ 目がまわる~

 こんな記憶ばかりが残って、他がすべて欠落したらどうなるのだろう。

 『人生の扉』の歌詞を知らない先輩がこの先、何回、桜を観れるのだろうと呟いた。
真顔で36才の晩に、布団の中で、今、人生の折り返し地点だって実感したと言う。
それって、神のお告げなのかと聞くと、内的実感だと確信に満ちていう。

 な~んかさー、逆算するのはイヤだ。
余命いく日といわれても、もう一本余分にビールを飲むぞーとか、もう一冊は必ず、本を読むぞーの方がいい。

 こんなことを考えても仕方ないのだが、美しくなく、ジタバタするのがオレ流だ。
[PR]
by nonoyamasadao | 2008-11-02 22:02 | ミステリ映画 | Comments(8)

蔵原惟繕作品“ある脅迫”

 蔵原惟繕には、“愛と死の記録”(8/16)や“秋だから映画の話をしましょう”(11/15)で少し触れた。繰り返しになるが、蔵原惟繕は日本の最良の映像作家の一人だと、確信している。蔵原はインドネシアのボルネオ生まれだった。デビュ-作“俺は待ってるぜ”から、“外国願望”や“日本脱出”が首尾一貫していた。

“メキシコ無宿”や“憎いあンちくしょう”も、そして後年の数々の“大作だが、箸にも棒にもかからぬ駄作”でも変わない。たとえば大作だが凡作の典型例のバタ臭い映像だけが光る“栄光への5000キロ”がそうだ。“雨のアムステルダム”から始まり、やがてはダカール・ラリーのサハラ砂漠、果ては南極大陸まで行った。

彼の脱出の願望が、タイトルバックのモダニズム、モダンジャズのセンス、インプロビゼーションなどの、外国映画タッチの映像と深いところで切り結ばれているのは間違いないだろう。

“ある脅迫”は“硝子のジョニー 野獣のように見えて”と並ぶ蔵原(33歳)の埋もれた傑作である。この作品を序章として、この後の5-6年が作家性を追及した時代のピ-クであった。“ある脅迫”は玄人好みのミステリ作家だった多岐川恭の原作である。

映画のつくりは正統的なサスペンスであり、フランスのフィルム・ノワールの味わいが濃密である。ジャン・ピエール・メルヴィルに似ているとの批評があるが、それはお門違いだ。テイストが全く違う。それなら、森一生の“ある殺し屋”だろう。“サムライ”の影響は否定はできない。まあ、パクリだが、森一生の技巧の方が達者だった。

“ある脅迫”は添え物映画(65分)だが、蔵原監督の才気がきらきら輝いている。添え物映画はローコストゆえ、プロデュ-サ-諸氏も鷹揚に構えていたふしがある。回顧すれば、映画全盛時代の最後の残光が降り注いでいた頃だ。

実力派の金子信雄と西村晃の演技の捻りあいが見事だった。お互いの確執がエンエンと繰り広げられる長いシークエンスが続くが、絶妙なカット割りだった。短いカットバックを幾重にも積み重ね、その表情がパッパッと切り返しで映し出された。スカッとした画面構成と切り返しの妙にはタメ息が出た。なんて上手なんだろう。ネタばれになるので詳細は控えるが、ある伏線が演技と重層し、演技が伏線になり、ミスディレクションにもなる途轍もない工夫が映画全体に仕掛けられていた。ラスト数十秒で信じられないサプライズ・エンディングとなる。、ワクワク、ゾクゾクする興奮があった。
傑作である。

ブログランキング・にほんブログ村へ
[PR]
by nonoyamasadao | 2008-01-27 21:05 | ミステリ映画 | Comments(0)

大晦日の映画

大晦日に関連した映画にしようということで、“乙女座殺人事件”を見る。
開巻がニューイヤーズ・イヴのニューヨーク。

街の灯りが点綴して、警察のバイクと馬、バルーンドロップが夜空に浮かんでいる。
人、人、人で街は賑わっている。

パーティーで酔っ払った市長の娘メアリー・エリザベス・マストラントニオと友達の若い女性がタクシーに乗る。雪が舞っている中をタクシーは走り、友達の家に着く。友達を先に下ろして、メアリーは市長の公邸に向かう。
自室に帰ったところ、友達は絞殺される。

絞殺される場面が、水槽の魚、夜空から降りてくるバルーンドロップと同時並行で描かれている。人ごみの誰かのストローから吹かれたシャボン玉がいくつも漂い、夜空に浮かび流れる。カウントダウンが始まって、バルーンドロップが破裂する。

ニューヨークの夜景をロングショットで捉え、絞殺記事を載せた新聞、雑誌が次々に映し出される。そして場面は変わって、市長のロッド・スタイガーと警察長官のハーヴェイ・カイテルが話している。

この場面転換はまことに切れがよい。
そのあとも、
汚職の罪で警察から消防士になったケヴィン・クラインが火事から子供を救助する場面、
バレエの場面、
ケヴィンの自宅というように場面が転換してゆく。快調なテンポだ。

この映画はまっとうなミステリ映画としての醍醐味もあるから、あまり本筋に関係したところには立ち入らないようにしましょう。

ケヴィン・クラインはオウムと黒猫がペットで、趣味は料理。
エスプレッソが大好きという御仁である。
ケヴィンの元カノで、実兄のハーヴェイ・カイテルの奥さんがスーザン・サランドンなのだが、元カノに手料理をふるまうシーンがある。
タコにバルサミコ酢をかけるのだが、これって、マリネなのでしょうか。
ワインのデカントというのも、よくわからない。オリをとるということなのか、移しかえることなのか、検索をかけたらますますわからなくなった。

外国料理はよくしらない。

根雪の残ったニューヨークの道を歩いて、スケートリンクに行く。
そこで、ケヴィンはメアリー・エリザベス・マストラントニオを口説いて、そのままベッドイン。
ああ、なんて手が早いのだろう。
いいなあ。

用事を済ませてから、“君、いくつ”と聞くと、メアリーが23才と答える。
ケヴィンがガックリきたときには、ざま~ミロと思う。

けれど、メアリーが“100年後には、みんな死ぬわ”と言う。
ふ~ん、そういうのありなんだ。うらやましいなあ。

青いリボン、素数、プラネタリウム、公開当時のコンピュータ・グラフィックス、星座。
小道具はかなり、工夫を凝らしている。
“サマー・ホリデー”(9/1)で書いたクリフ・リチャードのある曲も出てくるし、楽しかったなあ。

おしまい近くの、サランドンとケヴィンの会話も、なかなか味わい深いのです。

ケヴィンがメアリーに、“こんどハギスのディナーを作ってあげるね”というのだが、
ふ~む、嫌味がなくて気分がよい。

ハギスはスコットランド料理で、
羊の胃袋に、刻んだ臓物、玉ネギ、脂肪を詰めて、オートミールも入れて煮込む(映画の中ではそう言っています)そうだ。
メアリーはいう。
“なんだかヘンテコな料理ね”
“でも食べてみたいわ”

おお~~、なんていい子なんでしょう。

メアリー・エリザベス・マストラントニオは、この作品のあとに、“アビス”、“フールズ・オブ・フォーチュン”と続いて、この頃が一番よかった。

サランドンは古くはワイルダー先生の“フロントページ”(舞台劇“犯罪都市”の三度目の映画化)時代から知っているが、“テルマ&ルイーズ”や“デッドマン・ウォーキング”よりも、
“依頼人”の方が、僕の好みです。
キャメロン・クロウの愚作“エリザベス・タウン”だって、彼女だけ素敵でした。
長ゼリフとタップはさすがベテランだと思った。

ハーヴェイ・カイテルなら、やっぱ、“スモーク”です。E.T.ではないけど、映画の進行にそって、魅力的な男になっていく。“アフリカの女王”のボカートみたいだ。

今年も残りわずかです。おとといは嵐のように飲んだ。

昨日は、魚介類でのイッパイでした。
オコゼの唐揚げと
季節はずれだが、シロウオと海苔の卵とじが美味でした。
筍焼きは贅沢に皮をむき、塩で食した。
これがたまらなく、うまい。


今年の年越蕎麦は、もう決めてある。
大好きな女流作家の作り方をまねしてみようと思う。

つくり方はこうだ。
煮込むおつゆには、にんじんと大根とさといもとあぶらあげを入れる。
蕎麦ではなく、きしめんにする。
うどんが汁を吸って、くたくたになるまで何回も何回も、執拗に煮る。
原型があやしくなる。それで出来上がりだ。

美味しいかどうかはわからない。ただ、そうしたいからそうする。

にほんブログ村 その他日記ブログ
[PR]
by nonoyamasadao | 2007-12-30 17:43 | ミステリ映画 | Comments(2)

DVD雑記帳(5)

新聞の占いによると、夏の疲れにご用心ーだそうです。獅子座のみなさん、睡眠が大切な今週だそうです。お互いに気をつけましょうね。

という事で、ずいぶんご無沙汰のDVD短評であります。

”アウトブレイク”。
ウォルフガング・ペターゼン監督、ダスティン・ホフマン主演です。”Uボート”と”ネバーエンディング・ストーリー"監督の作品です。世評ではその後長期低迷になったとされますが、これはマアマアの出来でした。
皮膚が腫れ体中の穴という穴から出血!!と聞いていたのでグロイのかなと思った。そうなっていない。ご安心ください。モーガン・フリーマンがめずらしく悪役?と思ったけど、フムフム。。。そうでもない。細菌兵器の怖さがリアルというより、サスペンスフルに描かれている。前半はかなりモタついているが、それに耐えれば、クライマックスは迫力あるアクションになっています。

サンドラ・ブロックの"あなたが寝てる間に”。
"微笑をもう一度”が退屈だったから、懸念しつつ観た。サンドラがカジュアルな感じで魅力的だ。シカゴの地下鉄駅を添景にしたロマンティック・コメディーである。ラブコメでないのがいい。クリスマス映画の一変種という見方もできるが、素朴な空気が流れているから、気持ちが和みます。じつは昨晩に、キャプラの"素晴らしき哉、人生!”を観て、本質の部分では、あんまり変わっていないなあと再認識をした。善意はいいことーに時間の隔たりはないのですね。
まあ、男性陣があまりパッとしないのが難点ですね。夏バテ気味の方は、この映画を観て深呼吸でもしてみましょう。オススメの小品。

ドリュー・バリモアの”エバー・アフター”。
シンデレラ物語ではなく、ホンモノのシンデレラ映画だが、少々お転婆なシンデレラのお話。のどかなテンポでありますが、時代風俗が楽しめる。シンデレラと王子の関係は現代的解釈で描かれている。
落ち着いた映像でゆったりきぶんで楽しめる。バリモアがまだ、初々しい。ラブコメ大好き人間だと、だれるかもしれないな。
疲れたおぢさんは、この作品やジョニー・デップの”ネバーランド”のようなガッチリした構図の絵を観ると、ホッとする。ジャンヌ・モローが脇を固めている。一応、あきないで楽めました。

ブライアン・デ・パルマ監督の”スネーク・アイズ”。
ニコラス・ケージ主演だ。同名で、ハーヴェイ・カイテル、マドンナの映画もあるから、ご注意あれ。開巻のボクシング・リング周辺の長まわし、手持ちカメラ多用はいかにもデ・パルマらしい。銃撃シーンは派手で、切れ味がよろしい。彼らしいファーストボールを投げている。
だが、サスペンス映画として観た場合、だんだん先細してゆく憾みがあり、
クライマックスに焦点をあてると、
”ミッドナイトクロス”の祭りの花火を遠景にしたride to rescueの華麗なダイナミズムや、
”カリートの道”のグランド・セントラル・ステーション構内でエンエンと繰り広げられるド派手なドンパチと較べると、相当見劣りするのは否めない。
サスペンス・アクションはだんだんよくなる法華の太鼓でないと、ダメですよね。

長澤まさみ・速水もこみちの”ラフ”。
つまらなかったデス。残酷ないい方ですが、真夏なのにお寒い気分になりました。

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ
にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
[PR]
by nonoyamasadao | 2007-09-02 14:04 | ミステリ映画 | Comments(0)