いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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カテゴリ:江國香織( 14 )

きらきらひかる

  ゴーヤポン酢かけ、だだちゃ豆で、ビールを飲む。


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by nonoyamasadao | 2014-09-20 14:25 | 江國香織 | Comments(4)

ストイシズムも悪くない

 江國香織さんのエッセイ集『やわらかなレタス』を読む。
妹さんとの六本木ヒルズでの「お買い物の顛末」を読んで、な~んか、ニューヨーカーの短篇小説の味だなと感じいる。
どこまでも日常的で、あざとい物語がなにもなく、都会的で、瀟洒な読み物だった。
江國さんが、1年間アメリカ に留学していたことに、関係あるのかもしれない。

 遠い昔、ストイシズムを気取った。
その名残の尻尾が今も残像のごとく、わずかにある。
曰く、ケーキは食わない、男は甘いものを食わないとか、気安く異性と話さないとかだ。

 アルコール依存症になっても、焼酎は50代半ばまで、飲まなかった。
極めつけはワインで、今も口にしない。

 学生時代に、友人の下宿で、徹夜でビールを一ダース近く飲んで、突然、酔いが回る。
トイレに立つふりをして、脱兎のごとく、真夜中の住宅街を駆け抜けて、もういいいだろうというところで、路上に大の字で寝る。
まばらな街路灯の中を、遅い帰宅の美しいお姉さんが、大丈夫ですか。。。などと、見かねて声をかけてくれる。
ぜんぜん大丈夫。。。と答えて、またまた、脱兎のごとく走って逃げた。

 そんなことがあったから、6年近く、ビールは口にしなかった。
人前では、今にいたるまで、一度たりとも、吐いたことがない。
猫が死ぬときに姿を隠すように、やばいなと思えば、トイレに立つふりをして、スッと姿を消す。
今日は酒がうまいな、快調だな。。。と思った時、酔いは突然、嵐のようにやってくる。

 最近は、自分に素直になったというより、ストイシズムに疲れたのかもしれない。
自分で決めた掟を、少しずつ、破っている。
日本酒は、いつも、いつだって、熱燗だった。

 この夏から、冷酒、冷やで飲み始めた。
そもそもは、行きつけのお蕎麦屋さんで、言い忘れで、冷酒が出たのがきっかけである。
昔なら、ゼッタイに、口にしなかった。
今や、1飲2休肝日である。
が、我慢できない。飲んじゃお。。。であった。

 冷酒も、冷やもうまい。
冷酒もよいが、冷や酒の常温っていうのが、風味といい、香りといい、のど越しといい、堪らん。
なんかいいよなあ。
季節感もある。
冬になれば、今度は、熱燗に鍋が新鮮だ。
還暦過ぎて、目覚めてしまった。
お猪口についだ、冷やをゆっくり、すする。

 最後に残った一杯は愛おしく、ふくいくたる酒の香とともに、最後の一滴までゆっくりと飲む。
それは味わいひとしおなのだけれど、すこしさみしい味もすることが、はじめてわかった。

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by nonoyamasadao | 2013-09-16 16:09 | 江國香織 | Comments(0)

あじさい通り

  ♪暮れそうで暮れない黄昏どきは~というのは、秋のイメージなのだろうが、初夏だが昨日もそんな感じだった。
暮れそうで、なかなか暮れない黄昏のオレンジ色の世界が広がり、夜の気配は始まりそうもなかった。
15階建ての大きなマンションだけがやけに目立つ通りを歩いていると、住宅にかなり大きな枇杷の木があった。
上の方まで、枇杷の実が生っていた。
ああ、枇杷の季節だなあと思った。桜桃や水蜜桃の季節でもあり、野菜なら茄子、胡瓜、隠元豆の季節だ。

 枇杷は家庭果樹であり、実の生る木は屋敷内に植えてはならない。一応、そういう慣習だった。
だから、柿や枇杷の木は、裏庭の物置の脇あたりにまとめて植えられた。
ボクが住んでいた荻窪の社宅もそうだった。

 江國香織さんの『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』という、人間模様を描いた小説がある。
ロバート・アルトマンや『アニバーサリーの夜に』のような、大勢の人の出入りを描いた作品だった。
 その中のチャーミングな若い女性モデルが強く印象に残っている。
花屋の花は夜店の金魚のようで、道に咲く草の方が好ましいと思う女性だった。
彼女が子供の頃に住んだ家の裏庭に大きな枇杷の木があり、いつか、そのような庭のある家に住むと決めている女性だった。
フ~ン、そうなんだ。。。と思った。
江國香織さん、ご自身の想い出かもしれない。すももの木のある家に住んだのは確かだ。

 それにしても、枇杷は高価だなあと、スーパーに行くたびに思う。
家庭果樹でもあり、種は大きい。でも食すと美味なので、仕方ないのかなぁとも思う。
茂木びわゼリーも、これまた絶品だ。

 まだまだ暮れそうもない坂道を下ると、官舎の植え込みにガク紫陽花が咲いている。
水色の装飾花が楚々と咲く。
ああ、よいなあと思う。
西洋の紫陽花の全部が装飾花の球の花房を見ると、ゲッソリしてしまう。
厚ぼったくて風情に欠けるように思うのだが・・・、いや、んなこたぁないな、好きな人にはそこがよいのだろう。
日和ってんじゃねえよ!と叱られるかも。

 
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by nonoyamasadao | 2009-05-27 13:27 | 江國香織 | Comments(6)

もう初夏かしらん

  『グーグーだって猫である』を観て、吉祥寺の様変わりにぶっ飛んでしまった。
あんなの、絶対に井の頭公園じゃない。
カフェだって~。。。あな、おぞましい。
井の頭公園は、小学校の低学年の時にみんなで遠足に行き、お絵かきをした。
面影があるのは公園の雑木と柵と、弁天くらいか。
暗闇のベンチでイチャイチャしてるアベックを見て、ここでのデートは、いずれ破局するのだよね。
お気の毒にねー。
ザマ~ミロ。。。などと不謹慎にも、チラッと思った罰かもしれない。

 見る影もなくなった吉祥寺ショックもあって、めずらしく二日連続で飲んでしまった。
なんかもう、初夏ですよね。
江國香織さんから聞いた(じかに習ったわけではない、当たり前か)、めずらしく気に入っているUB40の『レッドレッドワイン』を聴きながら、ビールの中缶二本を飲んだら、あっという間に酔っ払った。
なるほど~、『レッドレッドワイン』は、まったりして、何もしたくなくなる。。。のであった。
江國さんによれば、昼間に自分の家で飲む赤ワインは、なんだか駄菓子の味がするそうだ。
ならば、『レッドレッドワイン』を聴きながら自宅で飲むビールは、ポップコーンの味がした。
だったら、コーラにポップコーンと同じではないか。
いや違うな。コーラでは酔わない。
どうしてだか、初夏だなぁ。。。とシミジミそう思う。

 『デューク』だったと思うが、夜中に起き出すと、犬が落語のテレビを見ているシーンがあった。
猫がちょこんとすわって、『レッドレッドワイン』のCDを聴いていたら、おもしろいだろうなあ、と酔った頭で思った。


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by nonoyamasadao | 2009-05-12 12:05 | 江國香織 | Comments(2)

春はよもぎ色

 この数日、寒くありませんか。寒くて、夜中に目が覚めた。
こうなると、もう寝れません。
手元灯で、いつものように江國香織さんのエッセイを読んでいました。この本を読むのは、何度目になるのだろう。

 よく、和光の前で待ちあわせをするそうで、和光から眺める銀座が好きなので、大きなウインドゥの前でぼーっと立っていると、とっても幸福な気持ちになるんだそうです。
これって、前にも書きましたね~。

 ふ~ん、和光を三愛に変えれば、ボクと同じだ。(これも書いたよな?)
妙齢な?(ボクからすると今でも、十分お若いから)女性とおなじ感覚というのは、男としてどうなんでしょうね。
ヤッパ、問題ありっかな。
江國さんは、銀座の実質的じゃない贅沢さが好きなんだそうだ。

 川上弘美さんの『怖い銀座』というエッセイも読んだことがある。
川上さんの『怖い銀座』の定義では、北端はプランタン、南端は博品館、西端は電通ビル、東は松屋の四点に囲い込まれた内側が怖いテリトリーだそうだ。
胸に重しをかかえたようで苦手なんだ。。。って書いてあった。
かなり変っているよなあ。その圏外に出ると、気持ちがパアッと明るくなるそうだから、よっぽど苦手なのでしょうね。

 まあ、ボクの妄想の世界では、お二人は正妻と愛人の暗闘のようなものだ。
さすがに、この妄想は我ながら、なにっそれ。。。ってくらい、あきれにあきれたアッパレなものである。
ボク的には、どちらにも軍配は上げません。
けど文系と理系の資質の差が、かなり濃縮されて表現されていると思いません???。

 今日は花曇りだ。小学校の校庭や通り抜けの大学のキャンパスに、さんざめきがもどった。
サクラもまだまだ、楽しめる。よかったねー。

 江國香織さんは、風には色があると書いていた。
なぜだか曇りの日の枯れ野の色のイメージなんだって・・・。
さみしいことを言うなあ。。。って思った。

 ボクなら、春の風はよもぎ色だな。淡く透明な新芽の色のイメージがする。
草の香りが気持ちよいのだよねー、よもぎ。ああ、よもぎパンが食べたい。

 川上弘美さんと江國香織さんのお二人が、どうして際立って好きなのか。。。前に考えたことがある。
お二人の美ぼうは無関係かといえば、そりゃ~、嘘になります。
良家の子女風に弱い。。。これも認めます。

 でも、好きなのは、成熟と女の子が入り混じったところだ。
そして一番、好きなところは、ほのかな喪失感とさみしいところかな。
こういう孤独に弱いのだよなー。
あっ・・・そこは・・・ダメっ・・・だめだってば~みたいな・・・。。。琴線にふれるのですよ。
なんだか、タケタク兄さんの影響を受けすぎたみたいです。

 下の歌の気分が似ているかもしれません。


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by nonoyamasadao | 2009-04-02 13:14 | 江國香織 | Comments(2)

銀ブラ

 新聞の首相官邸の欄を見ると、15時53分、銀座専門店『和光本館』で買い物と書いてある。そっかあ、銀座ですか。
和光のウィンドゥの前にぼーっと立ち、ゆっくりと暮れていく空とネオンとの不思議な調和を眺めていると、幸福な気持ちになる。。。と江國香織さんは書いていた。
なんだか、納得である。ボクにとって、服部時計台(和光)は銀座のランドマークである。

 遠い昔のことー 
 春浅き宵だった。母に連れられたボクは、数寄屋橋の交差点あたりから、暮れゆく街のすがたをぼんやりと眺めた。
不二越ビルの森永の地球型のネオンや鳩首堂のヒトデ型のネオンが、お伽噺の世界ように瞬いていた。
いつのころだったろう。たぶん、小学生になる前である。
銀座が懐かしいのは、次の三つからだ。
(一)幼いころ、母親に連れられデパートに行き、美味しいものを食べ、
(二)十代から二十代は、喫茶店で待ち合わせして、映画を見て、本屋に行き、パブやバーでウィスキーを飲み、
(三)三十代以降は、季節料理屋で日本酒を飲むために、いりくんだ裏道を歩いた。
結果的にだが、すべて『銀ブラ』だった。

 銀座と言うと、たとえば『鳩居堂』、『ワシントン靴店』、『山野楽器』、『トラヤ帽子店』、『資生堂パーラー』、『バーLupin』、『養清堂画廊』などをイメージする人も多いだろう。
ボクはすっかり地方人になってしまったので、東京に行っても銀座は通過点になった。
待ち合わせの場所ではなくなり、ぶらりと出掛ける場所でもなくなった。

 それでも、ふいに思い浮かぶ光景がある。他に思いだす場所がたくさんあるのに、なぜか以下の三つである。
ひとつめは、『若松』で何度も食べた、粟ぜんざいである。このことは何度も書いた。
ぜんざいのなかに、本当に美しいきいろの微細なつぶつぶが混じる。
なにかしら楽しく、優しい夢を秘めているように思われた。あの時の粟ぜんざいのおいしさは、もう二度と味わえないだろう。

 ふたつめは地下鉄丸ノ内線の銀座駅の改札口(C1の出口側)を出たところの地下の本屋である。
ちょうどニュートーキョーから泰明小学校の真下に当たるあたりに、長い通路があった。
通路の壁際に書棚のコーナーが、いくつか散在していた。結構、古い早川のポケミスなどが買えた。

 みっつめは、先の森永の地球型や鳩首堂のヒトデ型、そして三愛の三菱のスリーダイヤのネオンである。電飾広告が夢の砦を飾った。

 以上の記憶はセピア色だが、時として、闇の中の虹のようにも思ったりもする。
『若松』は月ヶ瀬(コックドール)の裏手の露地にあったが、今は銀座コアビルの1Fにあるようだ。場所は変わってないが、まだ行ったことがない。
ウナギの寝床のような本屋はなくなって久しい。
鳩居堂の屋上からヒトデ型ネオンが消えたのは、そうとう昔だ。
森永の地球型ネオンがあった場所は、今のアルマーニの銀座タワーである。

 ボクが二十歳になった時に、銀座では歩行者天国がはじまった。今はどうなっただろう。
パラソルのついたテーブルとチェアが置かれ、言葉の波が漂っていた。
 外堀通りの銀座東芝ビルの旭屋書店が店を閉じたと聞く。イエナがとうの昔に消えて、近藤書店が消え、旭屋書店も消えた。
さみしいと思うが、それも時代の流れである。

 昨晩まで、ずっと『やまとなでしこ』のDVDを見ていた。何度目になるかわからない。それでも面白い。
下ではテンプターズとともに、最後に森永の地球儀のネオンが見れます。


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by nonoyamasadao | 2009-01-25 14:03 | 江國香織 | Comments(2)

「まったり」の定義について

  江國香織さんの「雨はコーラがのめない」(新潮文庫)をパラパラと繰っていたら、「まったり」の定義らしきことが書かれていた。
ちなみに、雨というのは江國さんの愛犬のコッカスパニエルである。
さて、「まったり」の定義について、次のようにまとめてみました。以下は,AND条件である。

 1.たとえば畳に足を投げだして、和菓子とかつまみながらぼーっとする。
 2.洗濯とかしないでうだうだすること。
 3.のんびりはのんびりだが、のんびりとはちょっと違う。うだうだがはいらないとダメである。

 以上を総括して、江國さんは以下のように整理している。
 「うだうだ」という言い回しは、ネガティブな側面が強い。それを肯定的に使うために、ある種の風情を凝らして鋳造した言葉が「まったり」だという。

 フ~ム、さすがである。なんか納得だなあ。
 
 昨日のことー
 真昼間、仕事のため、本を読んでいた。遊びの本ではなかったから、青息吐息である。
突然、きらっ、と明るくなった。
はて???。面妖な。。。真昼間の強い陽射しが窓を突き刺して、部屋の中まで伸びているのだが・・・

・・・と。
 思ったとたんに、光と音がほぼ同時に「ブリッ、ど~ぉぉぉぉぉんっ~!!」。。。。
な、な、なんだこりゃぁぁぁぁ。
稲光と雷鳴でありました。ど、どこかに落ちたかもしれないなぁ。
でもヘッチャラだもんね。雷はワタクシにだけ、絶対に落ちない確信がある。
♪ぽーにょ ぽーにょ ぽにょ さかなのこ   など口ずさみながら、仕事を続けるボクでした。

 ワタクシにとっての「まったり」とは、1.の畳に足を投げだして、四万十の青のりせんべいをポリポリかじりながら、午後の紅茶を飲みながらぼーっとするのは当たっている。
抹茶じゃないかと言われそうだが、青のりせんべいと午後の紅茶なのである。
ちなみに、四万十の青のりを食すと、他のはちょっと、もうムリかもしれない。

 2.の洗濯はしないから、おまんじゅうでも食べて、満足することにしよう。 

 3.の「うだうだ」はむつかしい。「ダラダラ」なら年中だけど、「うだうだ」というのは、ひょっとしたら、なにもしないことでは?
でも、ないな。だったら、なにもしていないよ~って書くものなぁ。
フム、「うだうだ」の定義が必要じゃね。カントールの実無限みたいなものでしょうか。
実無限は、無限をあるまとまったものとみなそう。。。ということですね。

  「人に語るようなことを何もしていない」のと「なにもしていない」とは違うものなぁ。いかん、江國さんが云う風情が露と消えた。

 昨夜、「星に想いを」を観たから、わけわからないことを書いている。
アインシュタイン博士をウォルター・マッソーが演じていたけど、髪も仕種もそっくりだった。と言っても、博士と親しく文通したわけなどありっこない。

 さて、うちに巨大なズッキーニ(西洋つるなしカボチャ:穴沢ジョージ師匠の受け売り)がある。
頂きものである。頂く物は夏も小袖。
しかし実に、巨大である。
さて、今晩、どうしてくれよう。
生も美味しいけど、くふうがないなぁ。
うん、蒸して、黒コショウ、塩、ワインビネガーで食してみよう。

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by nonoyamasadao | 2008-08-09 14:59 | 江國香織 | Comments(2)

今日も混戦模様

 九月はシアターコクーンで「人形の家」を観て、老母と小国・黒川温泉に行く。父の墓参もある。けっこう、立て込んできた。
 定期健康診断では、視力が右0.6、左が1.2だった。がちゃ眼になってしまった。
メガネは、遠近両用、老眼、近々の三種類ある。近々というのは、自宅内使用のメガネである。
外出する時は遠近、狭い場所を移動する時は近々がいいのだそうだ。
だが、左右でダブルスコアの視力は、さすがに具合が悪い。メガネ屋さんで検眼してもらう。
その結果、何のことはない、正常であった。
よかった、よかったである。
ちょうど、お昼の12時だった。ヤッパ、暑い。
タクシーで、家の近所のスーパーへ行く。
カットしたメロン、鯛の湯引き、根菜サラダ、焼きビーフン(香炒米粉)、ニラ餃子、ライ麦パンなど買う。
このところ、甘さ控えめのジャムに凝っている。
マーマレード、マンゴー、イチゴ、リンゴ、ブルーベリーなど、日替わりで試している。
などと書くと、贅沢なようだが、一番やすいジャムだ。

 ジャムの話で、思い出した。
どうしてジャムに凝りだしたのかというと、ラッセル・ホーバン著、リリアン・ホーバン (イラスト) の「ジャムつきパンとフランシス」の絵本を読んだからだ。
アナグマの女の子フランシスは朝から晩まで、ジャムつきパンばかりを食べている。
まあ、本だと最後はジャムに飽きてしまうのだが、すっかりジャムにはまった。
ジャムといえば、大島弓子のマンガに邪夢(ジャム)という少女が出てくるのがあった。
「たそがれは逢魔の時間」という短編マンガだ。
コンテンポラリーにこの作家を読んできたので、若い時分は「銀の実を食べた」なんか好きだった。
それがいくばくかのしがらみができたりして、人生にやさぐれてから、「秋日子かく語りき」の頃の作品が好きになった。
ヒロイン邪夢(ジャム)は中学生で、「たそがれは逢魔の時間」は中学生売春の話でもあった。実は、わけありの熟年の夫婦の物語をしっとりと描いた作品だ。
たぶん、「たそがれは逢魔の時間」あたりから、作風が変わったようにも思える。まあ、バックはシンプルになった。ネームの分量はどうだろう。ストーリーテリングは少し、辛くなったよな。。。違うかな。

 こういう書き方をすると、また ta-ke-58-ta-xiさんから、思考の逸脱増幅を叱られてしまう。
だが、書いてしまおう。
どうして「ジャムつきパンとフランシス」を読んだのかと言うと、江國香織さんが「絵本を抱えて部屋のすみへ」で絶賛していたからだ。
でもって、話題は江國香織さんへと流されるのであった・・・。

 江國香織さんのベストは私的には、「すいかの匂い」だと思っている。 ビターで、よ~く切れるナイフのような短編集だ。
受賞作でいうと、「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」や「号泣する準備はできていた」なども好きだ。性と死がテーマである。
前者のヒロインの「ばばちゃん」、後者の「祖母」の描き方がよい。乾いた感傷があった。英語で書けば、ハードボイルドタッチなのだが、少し憂愁がある。
 前者は、“からすとんびに”似た酸素マスクをした、死に瀕した「ばばちゃん」が束の間だが、驚異的に回復する。にっこりしたり、手を握ったり、うなずいたりの娘や孫とのやりとりの描写に哀切がある。
付き添いの後、サングラスをかけ、母とふたりの娘が、イカレ風情であっけらかんと、海の見えるレストランで白ワインを飲むところもよい。
 後者だと、祖母が年金をもらうたびに孫のヒロインに「あたしは使わないから」と一万円をポチ袋に入れて渡すシーンが悲しいけど、よい。
祖母が自分のために買うのはメンソレータムとコールドクリームとポチ袋だけだから、ヒロインは一万円を高貴なものとして使わない。ヒロインと7歳の姪、ヒロインと祖母のコントラストも鮮やかである。原宿のピーチメルバや熱いコーヒーなど、小道具の使い方が絶妙だ。
 
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by nonoyamasadao | 2008-07-22 15:23 | 江國香織 | Comments(4)

彼女はカルピス

 最近、映画のことを書いていないが、観ていない訳ではない。一昨日はジョゼッペ・トルナトーレの近作の「題名のない子守唄」を観る。それが、あーた、お先真っ暗!? な暗澹たる内容で、初期作品の「教授と呼ばれた男」に先祖がえりしたみたいだった。たぶん、秀作なのでしょうねえ。ワタクシは修業僧の気分で、世を儚みつつ画面を凝視したのでありました。ドスンって感じで、深く落ち込んだ気分をどうしてくれる?。まあ、逆恨みですけどね。
昨夜は、その反動から馬場康夫監督の「メッセンジャー」を再見した。
まあ、お気楽、軽薄、恋あり、自転車ありでね。少々、おバカっぽいけど、ヤッパ映画はこうでなくっちゃ~ってね。都会的コメディを堪能しました。今風の若大将ものみたい。
けど、アララ、思わぬ伏兵が・・・。草彅剛クンがビールをグビグビとラッパ飲みしているではありませんか!!。それも五回も六回もだもんなあ。
誤算だったなあ。ワタクシ、来週の月曜日の健康診断まで、断酒していてちょうど七日めだった。で、どうしたかって?そりゃ、じっと我慢でんがな。男は黙って、サッポロビールを飲まないのであった・・・。

 江國香織のエッセイ集から「ワンピースとカルピス」だけ、拾い読みをする。水玉模様のワンピースなどどうでもよいけど、水玉模様のカルピスかあ。カルピスといえば、カルピスウォーターではありません、昔のカルピスです。初恋の味。。。だもんなあ。
水玉模様は甘酸っぱいカルピスの味にはピッタシだ。
昔の紺に白の水玉模様のパッケージは、なんて素敵だったのだろう。
お中元にはカルピスの時代でした。非モテ1直線のボクだって一回くらいは、
♪麦わら帽子のような 匂いをさせて
♪私を海辺へつれて 走った人
だった時もあった。
彼女はカルピスで、ワタクシはサッポロのリボンシトロンでした。
シトロン(citron)はレモンではないみたいですね。クエン酸ですね。

 まあ、あの時代の包装はわかり易かったですね。わわわ~輪が三つの「ミツワ石鹸」とかさ、月のマークの花王石鹸もあった。
三日月で、顎がしゃくれてました。。。ああ、懐かしい。
今、うちにはシャボン泡だの、薬用だの、ボディーだの、プッシュ式の石鹸があるけど、ワタクシには関係ないや。
ヤッパ、石鹸は四角じゃないとね。感じが出ない。
頭を洗うのも石鹸だったものなあ。だから、危ない状態になってしまったのかな。
まあ、お風呂は大好きだけど、熱いお風呂にドボンと入り、お湯からザバッと出るのが入浴の醍醐味というもの。

 朝、通り抜けの大学でのこと。

 槿ノ木ニ
 槿ノ花咲ク
 ナニゴトノ不思議ナケレド

 ご存知、白秋のパクリですが、芙蓉の花は例年より、早いのじゃないかな。
入梅したけれど、雨は降らない。


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by nonoyamasadao | 2008-06-18 11:52 | 江國香織 | Comments(2)

西荻窪と恋愛アンソロジー

 「ここは、中央線。私みたいな人間を見かけるのは日常茶飯事。このぬるーい感じとか、ゆるーい雰囲気って、きっと風土病ね。この間も、西荻窪の商店街で、コロッケ一個買って食べながら歩いていたら、男友達に言われちゃった。おまえも西荻住人になっちゃったな!って。きー、違うの!私は、元ニューヨーカーなのっ。(中略)横をながれるのはハドソン河よ。え?善福寺川?いやーっ、そんなの信じなーい。」(山田詠美「路地裏の散歩者」より抜粋)

 山田詠美のエッセイを繰ってると、西荻窪ばかりが突出して、しかも誇張されて出現する。一流のパラドクシカルな表現だが、大好きなんだなあと思った。
山口瞳の国立のようだ。そっかあ、そんなに素晴しいところになったんだなあ。。と感無量である。慶賀にたえない。

僕は荻窪南口の神明町という、荻窪と西荻窪の中間あたりに十年間、住んだ。
その後、武蔵小金井に越したが、高校の三年間は、西荻窪から関東バスで上石神井まで通った。もう、四十年前になる。

そのころの西荻窪には、なにもなかった。南口にこけし屋があった。歩いていくと、善福寺公園、東京女子大、逆だと、西高や立教女学院の久我山があった。
高井戸は堤防の上に聳え立つ高架橋の駅だった。
西荻の南口駅前そばのゴチャゴチャしたところには高校の先輩のラーメン屋があり、下校時に時折、ラーメンを食した。だが、あまり美味ではなかった。
ラーメン屋なら、武蔵小金井の南口駅前の「娘娘」(ニャンニャン)の餃子、タンメン、ラーメン、焼きそば、チャーハンが美味だった。ラーメンを頼むと、「ヤナギ」とか言っていた。符丁だ。たぶん、ラーメン=ヤナギ(柳麺)からだろう。焼きそばがうどんのようで、「こりゃ、ダメだ」と思ったけど、こいつが病みつきになるのですなあ。いわゆる、ハマルってことですね。

 山田詠美が、「江國香織の酔っ払い方は豪快かつチャーミングで、私が男だったら、お持ち帰りの方法をあれこれ画策していたことだろう」と書いている。フ~ン、そうなんだと思いつつ、おいおい、どうせあんたが深酒させたんだろ~が。。。そうに決まっている。

 江國香織の大ファンであるが、詩集や絵本、翻訳はもういらない。銀行員の旦那さんとのノロケ話など読みたくもない。あれれ、感情的になってまいりました。もとい。もう、満腹です。
やっぱ、「すいかの匂い」のころの都会的な文体が好きですね。高級感があって、かわいい毒草のような棘があった。

 恋愛アンソロジーの「ナナイロノコイ」の一番最初に、江國香織の「ドラジェ」があったので、読んだ。フム、これって、書き方に問題あるけど、それは技術的な問題で、内容は傑作だと思う。
ドラジェって、披露宴の引菓子らしい。アーモンド入りの砂糖菓子だと書かれていた。
僕は知りませんでした。

 二人の一人称というのは、「東京タワー」も同じだ。けれど、書き方こそ「ドラジェ」には紛れがあるが、内容ははるかに高級である。ヨットハーバーでの船上ウェディングの舞台設定はバブルっぽいけど、都会的なシチュエーションだ。
ちょぴりドライで、そのくせウェットなピンクの麻のミニドレスの現代っ子の私がいる。
もう一人、こちらがヒロインだが、20代から30代を経て、そして40代になった。。。グレイの麻のスーツを着た歯科医の私。
この二人の女性の視線から、九月の風吹く記念撮影の刹那が切り取られる。

 無邪気な若い私には、後者の私はいかにも孤独そうな中年女に映った。この残酷な含みを、さりげない一行にひそませた。見事なものである。ダールやサキのようだ。

 後者の女性像に、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」(「自負と偏見」の中野好夫訳の方が好き)が思い浮かんだ。残酷でにがくて、棘のあるところに江國香織の真髄がある。

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by nonoyamasadao | 2008-04-18 12:37 | 江國香織 | Comments(2)