いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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いままでで一番通った店は、居酒屋だと思う。これは紛れがない。
それが一ヶ月に十日の飲酒。辛か~。 休肝日の過ごし方ってむつかしい。それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。う~ん、こちらは実感だなぁ。
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カテゴリ:川上弘美( 12 )

やっぱ、無愛想なのか

 ついこの間、ボクの第一印象は、なかなか笑わない、不愛想な人だと思った。。。といわれた。
ああ、そのセリフは懐かしい。
昔は、とっつきにくい人と、よ~く言われた。

 女性なんか、眼中にないと思っていたのではなく、むしろ意識しすぎだったけれど、“女子、見知り”がはげしかった。
川上弘美さんの『これでよろしくて?』を読んで、『機嫌のよすぎる男』イコール『すごくもてる男』の等式を知った。
なんか、納得だなあ。
そーなんだ、知らなかった。
男は黙ってサッポロビール。。。の時代は、遠くなりにけりか。

 でも、ワタクシなどが、機嫌がよすぎたら、今なら、ウザったい。。。とか言われるに違いない。
でなければ、『まだ、そのネタで引っ張りますか~』とうるさがられて、挙句に、『なんだそれ』で終わりそうだ。
妄想でも、自虐にドップリ浸かってどうする!!!。

 と書いてきて、『最後から二番目の恋』の、早朝の駅での中井貴一氏と小泉今日子さんの会話を思い出した。
小泉今日子さんが行きたいと思っている、レストランについてのやりとりがあった。

 行ったことのないレストランについて、思わず、あそこいいですよと男(中井貴一)は、つられて言ってしまう。
女(小泉今日子)は、行ったこともないのにどうしていいですよね、とか言えるのか。
適当だなあと怒る。
男は、そんなに噛みつく大げさなことなのか、大人の会話ができない人だと理解に苦しむ。
 
 男と女の意識のすれ違いを描いた、巧みで、楽しいシーンだった。
男女だけでなく、人はみな、見ている方向や価値観だって違う。

 第一、毎日、人生の目標は何か、価値は何か。。。など考えていたら、人はみな、哲学者になってしまう。
さもなくば、考え疲れ、楽しくない人生を過ごすに違いない。

 ただ、ある程度つきあうと、だんだんと人となりがわかってきて、あの人なら、こういう場合はこう考えるだろう、こう行動するだろうとかは見当がつく。
この違いを埋めて行くのが、たぶん、交遊なのではないか。

 すこし前のウイスキーのCMで、『恋は遠い日の花火ではない』というのがあった。
ああ、こういう時代は、ボクにはなかったなあ~と、うらやましく思った。

 若者の言葉の『むかつく』、『がっつり』が どうして、『腹立つ』や『しっかり』でいけないのかとは思う。
けれど、言葉は生き物であり、時代も変わる。 

 ドラマではないが、そんなに腹立つことですか?と考えると、まあ、ブツブツ言う程度ですね。
昔、小言幸兵衛っていたじゃないですか~となにげに、今風に、呟いてみる。

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by nonoyamasadao | 2012-11-27 10:58 | 川上弘美 | Comments(0)

深夜の京王線

 川上弘美さんの『此処 彼処』の文庫本を買う。
これって、日経新聞の日曜の囲みコラムで楽しみ、ハードカバーの一冊の本でも読んだ。
三度、楽しむことになる。
浅草の喫茶店のエッセイの中で、ボクの名前の喫茶店が出てくる。
川上弘美さんの見立てでは、ボクの名前の男の性格は、『心に闇をかかえながらも、大胆に勤勉に生きるタイプ』だとある。
そっかあ。
生まれてから、一回も勤勉て言われたことはない。あ、大胆なら、鉄砲玉とはよく言われる。
でも、心に闇は縁がないなあ。

 昔のDVDばかりを見ている。よく知っているころの東京の風景が懐かしい。
『すてきな片想い』を見ていて、初期の野島伸司は和製ジョン・ヒューズだったのに気づく。
『愛という名のもとに』では『セント・エルモス・ファイアー』みたいだったな。
『すてきな片想い』では、京王線が堪能できる。
府中競馬場正門前の通勤風景が、繰り返し出てくる。
あのころは、武蔵小金井と府中の中間に住んでいた。
♪懐かしさの一歩手前で、こみあげる苦い思い出。。。。などなく、ウィークデーの閑散とした府中競馬場正門前駅のベンチに座った思い出に、心地よく浸る。
鞄をはさむ冒頭は、東府中だった。
渋谷の丸井や銀座博品館のTOY PARKまで見れる。
主人公達がビアホールで待ち合わせ、毎晩、深酒してタクシーで府中まで帰る。
まるで、ボクと同じだ。
気分は25年前のワタクシに戻った。

 新宿で深酒すると、よく京王線で帰った。
府中駅の方が武蔵小金井より、タクシーがつかまえやすかったからもしれない。
よく寝過ごした。
京王多摩センター行きだと調布で降りて、府中方面へ乗り換えなければならない。けれど、そのはずが、いつも深い眠りに落ちる。
いつの間にか、電車は京王多摩川を過ぎて、気がつけば、夜中の多摩川鉄橋を渡っている。
ああ、遠いようで近く聞こえたあの風切り音は今も、覚えている。
闇は心でなく、闇の多摩川なら深い縁があった。
深夜の京王線、深夜の多摩川。弁慶シクシク夜川を渡る。
弁慶は闇の川が怖くて、シクシク泣きながら川を渡るタイプだったんですよね。
あ、嘘です。
おしなべて青春はさみしく、財布はもっとさみしく、多摩川鉄橋をこえた時の途方もないさみしさは今や、青春のレクイエムである。
有人改札の時代に戻り、ウィスキーを飲みながら、ソファーで寝ころがり、タバコの火が危なかった頃に戻りたい。
深夜の京王線に乗ることは、これから先、あるのだろうか。

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by nonoyamasadao | 2010-06-10 09:04 | 川上弘美 | Comments(8)

ひょっとして風邪かも・・・

 久しぶりに風邪をひく。熱はない。
 でも医者は大嫌いだから行かない。
 手持ちぶさたを紛らすため、川上弘美さんのエッセー『千日前』を読む。
本屋に行った時に、最初に立ち寄るコーナーは絶対に、料理本のコーナーだと書いてある。
料理本を、ともかくじっと眺める。すると、偉大な絵画よりも、芸術写真よりも、食べ物の写真はわたしに歓びをもたらすとある。。。ふ~ん、そうなんだ。
なんだか、納得だなあ。

 ということで、料理本を開く。旬の野菜のつややかな写真や沖縄料理などぼんやり見ているだけで、元気になる。

 昨晩から今朝の食べ物を思い浮かべる。
かぼちゃの煮物と八宝菜、タコとマグロの刺身、納豆と湯豆腐まで、すんなり思い出す。果物はメロンだった。ビール二本飲んだので、あとは忘れてしまった。
朝飯はよく覚えている。
最初にバナナ一本。バターと梅ジャムで玄米パン二切れ。ゆで卵、ゆでたブロッコリー、ソーセージ二枚。最後にキウイフルーツ。

 独創性がまったくない食生活であるなあ。。。としみじみ反省していたら、ある事に気づく。
かぼちゃはニュージーランド、八宝菜のヤングコーンはタイ、タコはモロッコ、マグロはスぺインだし、メロンはメキシコ産だ。
明けて、バナナはフィリピン、ブロッコリーはアメリカ、キウイはチリだ。
粗食二回で、世界一周かあ。。。。と、呆然とする。
もし体温図が産地図だとすれば、ボクの身体をサーモグラフィーで撮影したら、青ー緑ー黄緑ー黄ー橙ー赤が、とんでもない分布になっているに違いない。 
 やっぱ、今の食糧自給率は問題あるよなあ。

 あらためて、料理本の沖縄料理をじっと眺めつつ、未練たらしく、うらめしく思う。
風邪ではなく、花粉症かもしれない。風邪だったら、昔なら、酒を飲んで治した。
でも昨日から、一日飲んだら、次の二日間はアルコールホリデーにすると決めたのだ。
とっても理不尽に思う。
釈然としないが、今夜は、ゲジゲジに似た海ぶどうと島らっきょうの浅漬けで、しずしずと茶を飲み、読書をしよう。
あまり、ぞっとしませんね。
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by nonoyamasadao | 2009-03-03 13:10 | 川上弘美 | Comments(4)

真鶴

 会社が千歳船橋にあったころ、小田急線が世田谷代田を過ぎたあたりから、しばしば富士山が見えた。
伊豆の三津海岸の別荘で、宮田重雄さんが富士山を写生していたら、二階の窓から見ていた師匠の梅原龍三郎が『もっと大きく書け』と怒鳴ったそうだ。
そういえば、銭湯のペンキ絵はいつも富士山だった。
冨士の高嶺に降った雪が、解けて流れて清流になり、湯船に注がれたってことでしょうか。
まっ、末広がりで縁起もよさそうでもあり、もっと単純に考えて、富士山は美しい山だからでもよい。

 悪友が神奈川の二宮にいる。本屋さんのおバカな若旦那だったが、今や、立派なご主人である。
十代から三十代の後半まで、二宮には何度、足を運んだことだろう。
二宮の駅が、朽ちかけた木造だったころの方が、印象が強い。風格があった。
お正月に悪友の本屋の実家に伺うと、すぐそばが、箱根駅伝のコースの道だった。

 彼の運転で、湯河原や奥湯河原、宮ノ下、戸田、稲取、蓮台寺など、いろいろなうまい魚と温泉めぐりが出来た。
宿泊した場所場所によって、富士の山容は変化した。
西伊豆の冨士もよいが、十国峠の冨士はハッとするくらいよく見えた。
途中の真鶴の割烹Uでは、よく舟盛りで飲んだ。
あのあたりはドライブインの鯵のタタキでも、美味である。
真鶴は昔、何もなかった。突然、大海原が眼の前に飛び込んできた。そんな町だった。

 東銀座に『真鶴』という割烹があった。もう店は閉じてしまったが、『なめろう』が美味だった。
鯵のタタキとお店では言っていたが、原型を留めないタイプのタタキである。
まな板の上で、出刃包丁でひたすら叩く。
粘りのある鯵らしきものに、ネギ、ショーガなどが混じっていた。ミソは入っていない。
醤油で食した。

 大好きな川上弘美さんの『真鶴』はかなり、忘れてしまっている。
失踪した夫は『なにかついてくるもの』に誘われ、妻の女性作家もノートの文字を辿って真鶴に行く。
抽象世界の中に、官能が燃えさかり、夜の海のさざなみに喪失感がゆれる。
 
 失踪したカッコよい夫の後姿のイメージは、絶対にトヨエツだろう。。。と前に書いた。
今もそれは変わらないが、容疑者X氏だったらどう演じるだろうか。
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by nonoyamasadao | 2008-11-11 15:18 | 川上弘美 | Comments(2)

「センセイの鞄」のサイドストーリー

 七夕の前日の昼、繁華街にある本屋に出掛けた。
本屋で買ったのは、野田宏子著「ベスト・ワイン」(ナツメ社)と山同敦子著「ヴィラデストワイナリーの手帖」(新潮社)の二冊。
まあ、とある事情があって購入して、にわか仕込みで読破したけど、案の定、その成果に於いては轟沈したのであった。
まあ、世の中、そんなに甘くはない。

 日曜日だというのに、車がいっぱいだった。
それにしても暑い。普段着に背広で歩くと、ぐったりだ。
デパ地下で、コチ、ヒラメ、サヨリなどの刺身を買う。
どれも500円均一だが、少量である。まっ、いいや。

 外に出ると、あ~、今日は猛暑日だなあ。。。もう梅雨明けだと思った。
やっぱ、当たりだった。
七夕の日に梅雨明けになった。
けれど、自慢するほどのことではない。
先週の土曜日、おおきな入道雲だった。
あっ今年も夏がきた。。。~って感じがした。真っ青な空に、真っ白な雲がいい絵になっていた。

 「梅雨明け十日」である。天候は安定するが、最近のトレンドだと猛暑日に見舞われることが多い。
梅雨明け十日に、センセイとツキコさんがそうめんを食す短編がある。
川上弘美さんの「センセイの鞄」のサイドストーリーの「パレード」という短編である。
「センセイの鞄」のテレビ映画については、前に書いた。(http://sadanono.exblog.jp/8122594/)
短編自体はツキコさんの小学生時代の昔話で、なんとなく不条理ワールドといった短編だ。
クラスのみんなにそれぞれ天狗、砂かけばばあ、あなぐま、ろくろ首など憑物がつく。

 ツキコさんの同級生のゆう子ちゃんが「いじめ」にあう。
ツキコさんもいつしか、無意識だが「いじめ」に荷担していた。
そしてゆう子ちゃんはささやくように言う。

「天狗でも、うれしい」ゆう子ちゃんは息を整えながら、つぶやきました。

 仲間はずれになっても、ゆう子ちゃんはあまり気にとめていないようだが、天狗の憑物でも友達だ。
上の言葉はよくわからないが、切なくも哀しい。
とかわいそうに思いつつ、天狗なるものの正体がわからない。女の子じゃないものなあ。
ある一時期の女の子のドロドロした部分が、描かれているような気もする。
なんつーか、この短編は女の人なら、よ~く理解できるのかもしれない。
ただね、天狗なるものの絵解きとか、解題を生真面目にするのは野暮なのでは。。。などと思った。
天狗はツキコさんの微妙な感情の流れに寄り添っているような気もするけど、ストライクゾーンをおおきく外しているような気もする。

 「梅雨開け十日」。センセイとツキコさんは、
たまご、みょうが、紫蘇、わけぎ、きゅうりの千切り、たたきごま、梅干しの裏ごし、煮茄子など具たくさんで、
そうめんを食す。
う~ん、カラフルです。黄、緑、瑠璃、、、、あ~あ、そうめんが食べた~い。
播州そうめん、三輪そうめんもいいなあ。
南のこの地だと、島原そうめんが美味しい。めんが細ければ、細いほど好きだ。
センセイとツキコさんは、せみがじいじいとなく中でそうめんを食し、
軽い昼寝をすると、
もう夕方の空気を含んだ風が吹いていた。

 残念だが、こちらは真夏のうだるような暑い風が吹いている。
百日紅の薄紫の花、まんりょうの白い花が咲いた。

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by nonoyamasadao | 2008-07-09 11:38 | 川上弘美 | Comments(2)

DVD化「センセイの鞄」雑感

 テレビ映画の「センセイの鞄」を観た。久世光彦の秀作である。「ああ、食った、食った。飲んだ、飲んだ。という映画」だ。と同様に、四季の彩りを背景に、三十と少し離れた、年の差カップルの恋愛ドラマでもある。ゴキゲンなできだ。
撮影期間は22日間だそうだ。秋、暮れからお正月、桜、夏、秋が描かれている。セットと実写との映像の違いなどはあからさまだが、まあ、お堅いことは抜きでいい。近来希にみる爽やかな情感が揺曳している。
実は、この原作の川上弘美さんの同名小説の半分ほど読み進んだところで、自らまいた種だが、怪我をして外科手術をする羽目になった。怪我は完治したが、以来、験をかついで、小説はよみさしのままだ。
朧な記憶では、川上弘美さんの得意分野を総動員して出来上がった小説だったような印象がある。

 秋の宵、豊田行きの中央線が走り、大町ツキコ役の小泉今日子が国立駅前を歩く開巻である。小泉今日子のナレーションが挿入され、回想シーンになる。居酒屋(季節料理屋)でたまさかセンセイと再会した時、大町ツキコは37才、センセイの柄本明は70才という設定だ。それからの二人の、二年と少しの心の交流が、映画の全部だといってよい。
タイトルの「センセイの鞄」だが、どうして“センセイ”にしたのだろうと考えた。僕は、ツキコがセンセイ、センセイと連呼するため、色のつきにくい記号のようなカタカナ表現にしたのだと思った。ツキコという表記も“同じく”である。二人はいつも、「センセイ」、「ツキコさん」と呼び合う。
「先生」と「月子さん」では鬱陶しいではないか。だから、作者の川上さんの工夫だと考えた。
 だが、テレビ映画を観ていたら、気が変わった。もしかしたら、折り目正しく、一応敬愛の念を抱かれていた時代の教師像としてのシンボリックな表現が“センセイ”なのかな。。。と考え直した。川上さんも数年間だが、教師をされた。
今だったら、女性たちから殴られそうな「女の子のくせに・・・」とか、「女のくせに手酌ですか」というセリフがよく似合う松本春綱先生である。また、その物言いが嫌味ではない、ご老体だ。
実際、映画では全て、手酌である。センセイのところから出奔した妻の墓参りした日間賀島の宿で、蛸しゃぶを食すときに、センセイがツキコに二回、お酌してあげるだけだ。

 この映画の小泉今日子は実に魅力的だ。厚手タートルのセーターとジーパン、そしてロングマフラーの普段着がよく似合っていた。
酉の市で、歩きつかれ、喉が渇く。
「我慢します。夕方にビールを飲みますから、それまでは何も口にしません」
センセイはそんなツキコに「よくできました」と答え、頭を撫でる。ツキコが童心に返った一瞬である。コイズミ、存在感があります。
小泉今日子とて、年令相応にそれなりにふけているが、ナチュラルで、そこがいい。
前髪パツンで、ふくれたり、三白眼だったり、ポカンと口を開いて放心したり、咥えタバコだったり、酔眼朦朧であったり、盃からお酒をすすったり、いろいろな表情を見せてくれた。演技はお世辞にも上手いとは言えないが、身体的動作が自然でよい。駆けたり、体を揺らしたりする。この演出は相米慎二の十八番だったが、久世監督も真似たのかもしれない。

 センセイの柄本明もさすがである。ツキコとの静かな交流の中で、池に投げた小石の波紋が徐々に広がっていくように、華やいでゆく気持ちを抑制の効いた演技で見せてくれる。

 好きなシーンはいくつもあるが、二つだけ書く。
 紅葉の季節にキノコ狩に行って、キノコ鍋をみんなでつつく。センセイが出奔した妻が笑茸を食した話をする。センセイが妻の話をすると、ツキコはいたたまれなくなって、ばっくれる。
強がりのツキコは、昔のように一人で買い物に行き、一人でお酒を飲んだ。すこし前までは、いつだって、一人だった。
季節は暮れになった。友達を呼んで寄せ鍋をつくる。
お正月になり、実家の母の湯豆腐を食べる。けれど、どうも話は弾まない。
一人暮らしの部屋に戻り、センセイと再会した、行きつけの店に行くが正月休みで閉まっている。
ツキコは咥えタバコで、所在無くリンゴをむく。アパートの近所をほっつき歩く。夜だ。空き缶を蹴る。“銀座カンカン娘”を歌いながら、夜道を一人歩く。
そして思った。
歩きなれた道なのに、迷子になったと。。。このシーンはせつない気分をうまく描いている。
偶然、再会した名前も思い出せなかったセンセイが好きになっていた。
知らず知らずのうちにセンセイと、同じ道を歩きはじめた自分を見つけたシーンだ。

 もう一つなら、これにしておく。センセイの元妻は波乱に満ちた生涯だった。彼女のお墓のある日間賀島にセンセイと旅をする。島から帰ってから、センセイとツキコはすれちがいになる。
カラオケで“銀座カンカン娘”をまた歌う。“The Stardust Memory”のノリだが、元来、小泉今日子は歌が上手くないが、わざと下手に歌っている。
かなり酔っ払っている。酔っぱらっているのが悲しいと、はじめて思う。
センセイと長く逢わなければ、感情も立枯れさせることができると思った。だが違った。
今まで、一人で結構楽しく生きてきたはずなのに、本当に、一人で楽しく生きてきたのだろうかと、来し方を疑ってみるシーンだ。
「人生にはぐれた」、そんな気がした“恋する女”になった場面だ。

 僕が綴るとなんだか通俗だが、妻に出奔された過去のある70才の老人と、37才の一人暮らしの女性のビターな物語だ。都会派コメディー仕立てだが、別れの日がそう遠くない先にくる恋愛である。こんなやりとりがある。
「ツキコさん、ワタクシはいったいあと、どのくらい生きられるでしょう」
「ずっと、ずっとです」
「そうもいきませんでしょう」

 ただ、この映画には希望がある。大嫌いな難病ものの対極にある。
かくて、恋愛を前提としたおつきあいは三年間、続き幕を閉じる。
ツキコがセンセイのからっぽの鞄の中をのぞいて、大泣きするところで終わるエンディングもよい。

 この映画はヒッチ師匠やワイルダー先生のように、小道具の使い方が実に上手い。
汽車土瓶、新聞紙、湯豆腐(トーフだけのと鱈、春菊など入る)、キノコ、卸金、鮎、雷、ヒグラシ、コオロギ、Tシャツ、そして鞄である。このほとんどは原作のアイディアだと思うが、映画で活きるかどうかは、演出家の腕である。
 
 特別出演の品数を列記しよう。まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう、やつがしらの白和え、さらし鯨の酢味噌和え、(辛い)柿の種、シメジのホイル焼き、キノコ鍋、寄せ鍋、湯豆腐、イカの白造り、鮎の塩焼き、蛸しゃぶ、枝豆、スーパードライ、北の誉れ、澤乃井など。

 一体、ワタクシはどんなふうに生きてきたのだっけ。。。と反省すると同時に、ああ、三軒も四軒もはしごして、美味い酒肴をたらふく食いたいと、つくづく思う一作でありました。

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by nonoyamasadao | 2008-05-18 16:47 | 川上弘美 | Comments(3)

また、騙されているかも

  最近の川上弘美の小説は、どれもこれもみな嫌いである。
文章がなまぐさくて、イヤだ。
「真鶴」や「風花」だと、正直、さすがにつらくなってきた。
昔のーなんかねえ、テンションが低い。くまとお散歩する「神様」など、盛り下がってよいなあ。
湿ったエロスがないから好きだ。

 たぶん、あの文体は完璧な計算が行き届いたものだったろう。

 あちらが“釣り”で、こちらが“釣られ”であっても、
オヤジ・キラーだろうが、そんなこたあどうでもいい。
さみしいよう、と言っているみたいなのがー
やわらかくて、しんみりした。たぶん、恋愛の孤独を読むのが好きなんだと思う。
ブリッコおばさんの川上節が好きなのである。

 でも「リリ、夜の公園」では
「わたしいま、しあわせなのかな」という惹句は大好物だが、
いかにもつくったような、文章が散らばっていて閉口した。
ここまで書くかなあ、下品だと思った。
やっぱ「夜の公園」のテイストは好きじゃない。やっと、わかった。。。
文句あっか!。

  でも「おめでとう」(新潮文庫)の12話のコーダの部分、
と言っても「飛ばし」記号なんかないけど
まあ、最後の「おめでとう」は、
これって、ひょっとして、死ぬほど下手くそじゃないか。
違うかなあー。

 でもこんな十把ひとからげの書き方はブログだって、不見識でしょうね。
最近は「一人で遊ぶのが好きだった。」という書き出しで、
「次に生まれてくるときは、私はぜひ風になりたい。」

 と書いた作家に、ぞっこん首ったけである。
また、計算に騙されてるって?
うん、騙されているかも。。。でも、それでいい。

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by nonoyamasadao | 2008-05-03 15:23 | 川上弘美 | Comments(0)

山田詠美とニラ炒め定食

山田詠美のエッセイ「熱血ポンちゃん膝栗毛」を斜め読みする。
以前に、空港で買い、少し繰ってそれっきりだった。
山田詠美のエッセイは、あまり面白くない。楽屋落ちが多い。いってみれば、文化人の交遊録をズッコケふうに綴った類が多い。
切れ味鋭い小説とは大違いだ。だから、斜め読みしていた。

こんなことが書いてあった。
川上弘美の「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」(平凡社刊)のサイン会を見物するつもりで、日曜日に、吉祥寺の啓文堂に行った。
立ち読みしていると、背後を通り掛った男が放屁したらしい。ご当人はすたすたと立ち去って行ったが、あたりには、そこはかとない臭いが立ちこめてる。少し、離れたところにいた人たちが、山田詠美を見たので、読みかけの本を中断して、慌ててその場を離れたそうだ。そして、かく記す。

書店での放屁禁止ーーっ!!日曜日に吉祥寺啓文堂にいたあなたのことよっ!!濡れ衣って、どんなことでも、ほんと、気分悪いったら。

へえ~、山田詠美ともあろうお方が、純真な子供のようなことをのたまうなあ、と少し笑った。しかも時間を間違えて、サイン会は終わっていたとのこと。かてて加えて帰りに犬のフンを踏み、自分の住む街で、道に迷ったそうだ。
厄日ですなあ、お気の毒に。。。と、まあ、そんな話だ。

でも僕は山田詠美、好きだ。黒髪・おかっぱ・前髪パツンのロングストレートヘア、もう堪りませんわあ。髪の毛、僕にも少し分けてくれないかなあ。

山田詠美と川上弘美かあ。作風の違いもあって、両者を比べたことなどないなあ。
調べると、川上弘美が1才、年上である。
山田詠美は、1980年代の作家であり、才気に任せて書いた、キラキラ輝くような短編が素敵だ。切れ味抜群のナイフのような作品だった。
川上弘美は90年代の後半からの印象が強い。死んだ親戚のオジサンの幽霊の出てくる作品のような、うららでせつない(文庫惹句)初期の短編が好きだ。

山田詠美のエッセイに、川上弘美の上記エッセイにでてくるラーメン屋さんのニラ炒め定食を、まったく偶然に、二人して知らぬまま、こよなく愛していたと書かれている。
一体どこのラーメン屋だろう?これは調べなくっちゃあ。。。。ということで、川上弘美の上記エッセイの該当箇所に当たってみた。
我ながらヒマだなあと思いながら、現代を代表する女流作家のお二人の食い物を調べるのは、案外、アカデミックな営為ではあるまいか。。。などと思った。
はっけっ~~~ん、しました。
川上弘美さんの仕事部屋のアパートの数件先にある「丸幸」というラーメン屋だ。
川上さんはもう引っ越していないが、「丸幸」でニラ炒め定食を食べたと書いてある。
さらに引っ越した先から、「丸幸」に行きたくて行きたくて、電車に乗って、食べに行ったとも書いてある。さぞ美味いに違いない。
昔だったら、中央線沿線だったから、電話帳で調べれば特定できたかもしれない。惜しいことをした。

山田詠美によれば、道路工事中の作業員などで、混み合う店だそうだから、肩の凝らない店なのだろう。美女お二人は、さしずめワイルド系男子がお好みとみた。だったら、若けりゃ、僕もワイルド系だけだったら、自信あったけどなあ。ジャニーズ系ならお呼びでなかったけど。。。いや、繰言、繰言でした。取り乱して、お恥ずかしい。

冒頭の放屁の話だが、男女が関係した後で、女性が抱きしめると、男がすうすうと放屁する短編があった。一瞬の死を切り取ったサディズムの傑作「可哀相」である。
川上弘美の「溺レる」(文春文庫)に収録されている。

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by nonoyamasadao | 2008-03-23 17:34 | 川上弘美 | Comments(0)

川上弘美“卵一個ぶんのお祝い。”~注射は大嫌いだ!

 大のゴヒイキの川上弘美さんの“卵一個ぶんのお祝い。”というエッセイをパラパラと繰った。本のタイトルの末尾の“。”というのは、いったいどういう意味があるのだろう。なにがしかのこだわりはあるはずだ。

 相米慎二監督の“セーラー服と機関銃”のラストシーンに、“生まれて初めての口づけを中年のオジンに捧げました マル”というのがあった。映画のマルとエッセイの“。”は関係があるのか?まあ、無関係でしょうねえ。

 川上さんのエッセイの中で、ご自分の採血の様子をじっと眺めて、ゆっくりと血が上ってくる様子が面白い、とある。彼女は生物学専攻だから、う~ん、よくわからないが、なれているのかもしれない。

 僕は採血すると貧血になる。見なければなんとか大丈夫だが、蛇蝎のごとく嫌いである。だから前の会社のときは、血液検査の時期は約20年間、三多摩方面逃走中だった。そして逃げ延びた。三多摩方面逃走中のたとえの意味は犯人は何故か、追い詰められると、昔は三多摩に逃げた。映画で、犯人が追い詰められたときに、逃げ場がなくなるのに、何故か建物の高いところに上るのに、どこか似ていないかな。

一昨年の八泊九日の入院で、点滴と採血を三十年分くらい、まとめて体験した。集中豪雨みたいだ。思い出すだに、あなおそろしい。

僕は粗野な子供だったから、子供のころからよくケガをした。大人になっても、あちこちぶつける。その場合の出血ならぜんぜんヘッチャラだ。

 だから、必然としての出血ならば、何ら問題ない。
また単なる注射も問題ない。かなり液体がしみて痛いタイプの日本脳炎の予防接種など、得意な方である。むしろ勇敢を誇るタイプだ。まあ、単細胞でおバカな性格を誇示してもみっともないだけであるが、一応自慢しておきたい。

だが採血となると川上さんのようにじっと眺めていれば、失神はしないが、貧血は避けられないだろう。寝ていたら、たぶん大丈夫だと思う。いつも目をつむっているから、まだ試したことがない。

 川上さんは、知らない液体を注入される予防注射などより、自分の血液がきっぱりとあらわれている採血が、よほど好きだという。続けて、そのロジックを敷衍するなら、“わたしは、射精(予防注射)されるよりもドラキュラの類に血を吸われる方(採血)が好きなタイプである、ということになるのかもしれない。”と書いた。

 してみると、僕は、ドラキュラに血を吸われるのは大嫌いだが、射精が好きなタイプであると言う事か。そっかあ、当たっているような気がする。だからエロ親父なのだ。
本当は、川上さんがお書きになったのは受動的立場からで、僕のは能動的なのだが、性差があるから、かたくるしいことは言いっこなしとしよう。

なるほど、ミステリ・マニアの端くれだが、吸血鬼物はどちらかというと、好きではない。

ロジェ・ヴァディム監督の映画史上、燦然と輝く怪奇と幻想の最高傑作の“血とバラ”は映像美の極点であるが、あの映画にはカタルシスがなかった。
僕には香水の香りに咽るようなレズビアン映画であった。

吸血鬼とエロ親父は対極にあるのだ。
なんだか、納得だなあ。

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by nonoyamasadao | 2008-02-08 11:32 | 川上弘美 | Comments(0)

雨あがりの天使~川上弘美さん

朝起きて新聞を取りに行ったら、舗道が濡れていた。
雨上がりは気分がよいなあ。ポエムですよ。

“雨あがりの天使”という映画がありましたね。まあ、他愛のないストーリーでしたが、映像がスタイリッシュ、とにかくジャック・ルーシェの映画音楽がよかったですね。
ピアノ演奏が大好きでした。

今日は少しテンションが高い。ヤなことがあるとテンションが上がるんです。ホメオスタシスってえヤツですよ。それで均衡をたもっているんですよ。

週に四日のアルコール・ホリデーになってから、食いしん坊が加速したような気がしています。もともと、食べ物にかんしていじきたない人間なのですけどね。

川上弘美さんが、生牡蠣が好きで、そして、必ず、おなかをこわす。三つ四つ、食べているうちはいいのだが、十も二十も食べるといけない。。。。でもそれでも、毎年せっせと食らう。。。。と書いていますね。

ふむ、いいなあ。第一、男らしい。これ、ゼンゼン褒めことばになっておりませんね。
僕は食べ物にかんしていじきたない人間だけど、そんな勇気はありません。酒盗が大好きだったけど、あたって全身に蕁麻疹が出てから、もう食べない。

4~5年前になりますかね、晩秋、ちょうど今のころくらいでしょうか、中学校の同級生と京都で落ち合いまして、彼の母校の京都大学を午前中に案内してもらいました。

彼は忙しかったから、一人で嵯峨野の落柿舎に行きました。ついたのは午後の二時くらいだったかな。

落柿舎は田園風景に溶け込んでおりました。藁葺きの建物でした。う~ん、地味でしたね。でも落ち着いた、のんびりした雰囲気には格別なものがあるなあ。とってもいいところでした。

あ、この曲をご存知でしょうか?
知る知る人ぞ知る、名品であります。こんなのです。

♪雨の落柿舎  たんぼ道   藪の茶店で書く手紙  きのう別れたあの人に

“嵯峨野さやさや”という詞です。ほんとうはここがとても素敵なので、ならべて書いておきましょう。
♪京都 嵯峨野に吹く風は 愛の言葉を笹舟にのせて 心にしみとおる
♪嵯峨野 笹の葉さやさやと さやさやと

どうでしょう。才能を感じませんか。僕はかなり、いけていると思っています。詞は、おお~~~、あの伊藤アキラさんなのですよう。

♪ハーバーライトが朝日にかわる
♪そのとき一羽のカモメが翔んだ

そうです。渡辺真知子さんの“カモメが翔んだ日”の作詞家でした。

較べるつもりなどありませんけれど、落柿舎といえば、このお方ですよね。向井去来の草庵が落柿舎ですものね。

柿ぬしや木ずゑは近きあらし山

まあ、柿の実を買う商人がいて、お金ももらいました。けれど台風だか、あらしが来て、柿の実はみんな落ちてしまいました。だから、お金もお返ししましょう。。。というエピソードがあったそうです。

いま、また外で雨が降り出しました。

三好達治に“大阿蘇”という雨降りの詩がありましたねえ。あれって、季節はいつだったっけ?

雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる

雨は蕭蕭と降つてゐる。。。というのがねえ。蕭蕭とはさみしそうですね。

さみしいといえばー
川上弘美さんは、
“ただ歩いていることがさみしくてならなかった子供の頃。そして大人になっても、やっぱりさみしい私である。”
と書いておられますね。

川上さんのさみしがりやの自分を書いたのが大好きで、
川上節とかブリッコおばさんとか悪口を書いておりますが、

ほんとうはそこにゾッコンほれ込んでいるのですよ。

あ~あ、とうとう書いちゃった。なんだか恥ずかしいやい。

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by nonoyamasadao | 2007-11-27 21:02 | 川上弘美 | Comments(6)