ほんの寝巻きで
2024-02-29T21:21:51+09:00
nonoyamasadao
いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
Excite Blog
閏日
http://sadanono.exblog.jp/33861346/
2024-02-29T13:06:00+09:00
2024-02-29T21:21:51+09:00
2024-02-29T13:06:05+09:00
nonoyamasadao
雑文
仏花は小菊ばかり供えている。洋花はすぐ枯れてしまうからだが、手抜きのような気がして、申し訳なく思う。
センスが悪いかもしれないが、小菊3本に紅いバラとガーベラ2本を組み合わせてみた。
しみじみ眺めると、やっぱ、ガーベラは大味で、好みではない。
ドラマの『結婚しない』では、ガーベラの花言葉は、「一歩」だと知った。
華美で嫌いな花だが、「一歩」という言葉は、地味だが、希望があってよい花言葉だ。
願わくは、蕾をつけた桃の一枝でも放り込めたら、サイコーなのになと思う。
来月は、母の三回忌で、守谷へ行く。
もう満員電車にはゼッタイ、乗りたくないので、空港からタクシーで行く。
川本三郎さんに『今日はお墓参り』という本があって、読むたびに20人近くの墓参りする人がいるのに、せめて恩師の墓参をしなければと思うが、その場所は誰も知らない。
古希を過ぎて、1飲2休肝日が守れなくなる。1回の酒量が増し、その分、飲む回数を減らすしかない。これが、つ、辛い。
やっぱ、依存症は本質では、治っていない。You Tubeでは、多くのお医者様たちが、どんなに少量であっても、酒は百薬の長ではなく、毒だと言う。
そうかもしれないけれど、わかっちゃいるけれどやめられないのだ。
だから、3飲4休肝日へと戻す。これだと、回数は増えるが、1回の酒量は減らす。
このローテーションだと、すごく楽だ。月の飲酒の総量は変わらない。
50代半ばで、タバコを止め、痛飲していた酒を控えめにした。
その分、面白いこと、楽しいことを増やす時間が、増えたはずだ。
けれど、80年代、90年代のトレンディ―ドラマを見るくらいしかない。
昔なら、面白いことが山のようにあったが、忙中閑ありとは、よく言ったものだ。
まあ、病気でもすれば、もっと読書をしていればよかったとか、もっと旅行していればとか思うのだろう。
かなり前から、近くの中学の緋寒桜が咲いていて、今が盛りだ。
そう、もう春である。
数日前に見た、ゆがんだ満月は、朧ではなく、くっきりとした春の月だった。
まさか、古希過ぎて、飲酒のローテーションを変えるとは、思わなかった。
いくつになっても、人間は変わる。
スーパーからの帰り道、でも寒いよな、と誰に話すわけでもないけれど、独り言を言う。
もう少しすれば、温かい春の空気がゆらめくだろう。
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新年の決意
http://sadanono.exblog.jp/33808962/
2024-01-27T13:51:00+09:00
2024-01-27T16:07:39+09:00
2024-01-27T13:51:32+09:00
nonoyamasadao
雑文
いつもより寒々しく感じるのは、やっぱ、老化なのかなと思う。
1日に6時間スイミンだったのが、7時間だったり、8時間などという日もある。
かと思えば、6時間足らずで、目覚めるときもある。
老化は、ここまでくれば仕方ないのだが、アンチーアンチエイジングが心意気などと粋がらなければよかったと、しわだらけになって、後悔しきりだ。
毎日、ヒマである。テレビはつまらないから、ニュースだけチラっと見る。
You Tubeはよく見る。
一部のIT系の知っている人たちが、頭が悪いとか、バカだとかよく口にする。
そうなのかもしれないけれど、心の中で思っているだけにすればよいのにと思う。
あまり美しくないなあと思う。
この3月がくると、まったくの隠居生活になる。
かかりつけのお医者さんに行くか、持ち回りの集合住宅の会合に出るか、夕食の買い出しくらいしか用がない。
たまには散歩に出るか、お寿司を食べに町に出るとかしなければならない。
You Tubeを見ていると、あちらこちらでお医者様が、酒は毒だという。
たしなむ程度でもNGだと言う。
実は1ヶ月の飲酒の総量はそのままにして、1回の量を減らして、回数を増やそうと考えていた矢先だ。
ど、どうしよう。
たぶん、さんざん悩んだふりだけして、既定方針を貫くだろう。
ボクは、こと享楽的なことには、意志強固だ。
まだまだ飲み過ぎて、悪酔いしてすごすつもりだ。
↓はあまり得意な人ではないけれど、この曲だけは大好きだ。
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寒い散歩道
http://sadanono.exblog.jp/33735029/
2023-12-22T14:51:00+09:00
2023-12-22T14:56:21+09:00
2023-12-22T14:51:47+09:00
nonoyamasadao
雑文
風花が舞い、天を仰ぐがそれ程でもない。
それにしても、さ、さぶい。
お昼の最高気温も4度くらいではないか。
ボクの体感では5度を超えるとどうにか大丈夫だが、それ以下だと高校時代から引きずっているお尻の病にテキメンだ。
でも、ハードボイルドに生きたいから、ホカロンなどしない。
午後、銀行(といっても、都銀と地銀のキャッシュディスペンサー)に用事があり、外出する。
ゆっくりと歩いても15分くらいのところだが、あまりの寒さにタクシー会社に電話する。
ずーっと呼び出し音が続くだけで、誰も出ない。
今の時代は、どこでも人手不足だ。
しかたないから、タートルネックにパタゴニアのパーカーを着て、裏付きハーフコートも着込む。
今時、はやらないがロングマフラーをグルグル巻きにしようかと、しばし、考えあぐねる。
けれど、いくらジジイになったからとは言え、ささやかな美意識に反するので、やめる。
散歩気分で、表を歩くと、はんぱなく寒い。
振り返れば、今までささやかなこだわりで、どれほどソンをしたかがいくつか思い浮かび、くよくよ悔やむ。
寒さが厳しいから、どんどんアップテンポで歩く。
白川の橋を渡ったさきに、新築のマンションがあり、その先の露地裏に知る人ぞ知る受験祈願の神社があると言う。
我が地では、手取天満宮が有名だが、なんとなく穴場の方がご利益ありそうだと思う。
けれど、今になって、学力が上ったところで、後の祭りである。だから、行かない。
街路樹のケヤキは裸木で、電飾がぐるぐると巻きつけてある。
ああ、クリスマスが今年もやってる。
クリスマスはいつもひとりぼっちだったけれど、今や、一年中、ひとりぼっちになった。
まあ、それでも風邪もひかず、大きな病気もしていない。
明日は、抱えきれないくらいの柚子を浮かべた湯につかり、日本カボチャを食そう。
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12月が待ち遠しい
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2023-11-25T14:20:00+09:00
2023-12-16T16:30:10+09:00
2023-11-25T14:20:45+09:00
nonoyamasadao
雑文
石垣を小さな川が流れる。
川岸には、ムラサキシキブ、芙蓉、ススキなどがある。
柳並木で、石畳の道だ。
石の橋を渡り対岸へ行き、左へ行くと、桜並木が続き、テニスコート、小学校の校庭などあって、さらに進むと市電通りで、セブンイレブンがある。
桜並木には川に枝垂れるものもあって、引っ越して間もない頃、水に浮かぶ桜の細かな花びらをはじめて見た。
しばし、うっとり見とれてた。来年はまた、見てみよう。
もう少しで、12月だ。待ち遠しい。
来月になったら、たらふく、お酒を飲もう。
スーパーに行き、仏花やカットフルーツ、納豆、トーフ、ネギ...などテキトーにカートにほうり込む。
ぐるっとまわり、パンを買って、レジへ向かう。
人手不足のこの時代、セルフレジに向かわねばと思いながら、いつもセミセルフレジに行ってしまう。
老母にそっくりな後姿のおばあさんが、ショッピングカートを押して、袋詰めをしてもらっている。
レジ係のお姉さんが走って、どこかへ行ってしまう。バーコードが読み取れなかったのか?
おばあさんが振り返って、ボクにすまなそうに頭を下げる。
ヒマを持て余しているくらいだから、恐縮して、いえいえと挨拶だけする。
おばあさんが少し離れたところにスタンバイしている店員さんへボクを優先するように目線をおくり、店員さんが飛んでくる。
かえって、気を遣わさせてしまったなと申し訳ない。
おばあさんのショッピングカートが歩行器だったら、老母と同じだった。
精算機に行くときに、レジ係を待っているおばあさんにお礼を言う。
昨夜の2時頃は、月が出て、星もいくつか散らばっていた。
かなり寒い。
ことしも残りがすくなくなったなと思いながら、しばらく星を眺め、家に入る。
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いつかそのうちに
http://sadanono.exblog.jp/33554422/
2023-10-27T14:34:00+09:00
2023-10-27T14:40:44+09:00
2023-10-27T14:34:19+09:00
nonoyamasadao
雑文
今、思い返すと大したことはしてないし、友達とつるんで、どーでもよい時間を過ごした。
1日が終わって、帰宅する時は、電車の中で座ろうが座るまいが、ポケミスや文庫本を読んだ。
リーマン時代もやはり家のことは忘れて、30代になっても、学生気分での延長のママ、仕事をしてた。
そして、夜の帳が降りるころになると、夜な夜な飲みに出かけた。
そして、2軒、3軒とハシゴした。
夕の5時頃になるとソワソワして、悪友たちからお誘いの電話が入ると、今晩の刺身はなににしようか、つまみは何かを思い浮かべ、ウキウキしたキブンになった。
入社したての若い女性社員が、「うれしそうですね。夜な夜なお盛んですこと」と皮肉を言う。
おいおい、すこし意味を取り違えているぞと思いながら、まっ、いっかと聞き流した。
ことほど左様に、うつろいゆく季節の中で、学生時分はノウテンキに、会社時代は二日酔い的で非生産的だが、楽しい時間が流れた。
当然だが、「いつかそのうちに」と、やり過ごしてきたことがある。
今や、どんなお墓に入るのか心配しなければいけないのかもしれないが、そんなことではない。
金沢のどこそこの名館に泊まろうとか、むかし美味だったふぐ刺しの店に行きたいとか、楽しみに読まないで残しておいたミステリを読みたいとかである。
もっとハードルを上げると、銀座の高級クラブとやらに2週間くらいぶっ通しで、通いつめたいとか、そんなことだ。
でも、後回しにするとどこか違う。想いにも、鮮度があるようだ。
キンモクセイがアッという間に終わり、すこし空気が紅葉しかけた散歩道、思い立ったが吉日というのは真理だなと実感する。
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断酒の妄想
http://sadanono.exblog.jp/33443844/
2023-09-21T15:33:00+09:00
2023-09-21T16:00:55+09:00
2023-09-21T15:33:51+09:00
nonoyamasadao
雑文
何が困るかというと、20日間の断酒である。
飲めないのもつらいが、間が持てないのが困る。
以前から、時間をつぶすのが不得手だ。
昔のテレビドラマや比較的新しい映画などU-NEXTやNetflixから物色して観るが、すぐ気が散る。
仕方ないので、コーヒーばかり飲む。
川上弘美さんに、「ゆっくりとさよならをとなえる」という本のタイトルと同名の短文がある。
読むと、ヒマつぶしにすることが、これでもかとばかりに書いてある。
アイロンかけ、甘栗の殻むき、みかんを眺める、爪を切る、牛乳を飲みながらつげ義春を読む...というようなことが、エンエンと4頁も綴られている。
そんなことを書かれると、ますます気が散って、落ち着かないことこの上ない。
そして、再び、コーヒーを飲む。夜に入ってから、早くも4杯目だ。
カフェイン過多だし、カリウム値が上昇しそうだから、昆布茶に変える。
川上さんのエッセイの残り3行の中に、「今まででいちばんうれしかったことはなんだったかを決める」というのがある。
はて、何があるだろう。
めぐりの悪い頭で、今までに1番うれしかったことか...と、しばし妄想にふける。
すべてが奥手だったから、異性をはじめてキレイだと意識したのは小6だった。
桃井第二小学校と合同の卒業式の予行演習が、たしか2回あった。
そのときに、世の中でこんなキレイな生物がいるのだろうかという女子と出逢った。
今までに一度も気づかなかったから、たぶん、桃井第二の生徒だろう。
そして、中学へ進むと、運よく彼女も同じ中学だった。団塊の世代の1つ後だから、1学年に450名もいて、同じクラスになったことはない。
廊下で、すれ違う時に、彼女の口元の横に、小さなホクロがあるのを見つけた。
ああ、これが彼女の唯一の欠点だなと思った。
美人だからなのか、彼女を真ん中に左右に女子が揃い、廊下を横一列で歩く。まるで女王様だ。
なんだか、好きになれないなと思った。
そのころ英語を習いに、悪友たちと土曜の午後に津田塾に通っていたときのことだ。
悪友たちが興奮して、彼女がボクを好きだと言っていると騒いで、たきつける。
嘘だろう。「ビックリ仰天、有頂天」の夢心地になった。
そしてーーー言葉を交わすこともなく、ひと夏が過ぎた。
ある日、廊下を一人で歩いてくる彼女とすれ違う。互いにしっかり顔を見て、驚いた。
唯一の欠点だと思った口元の小さなホクロが、跡形もなく、なくなっていたのだ。
不思議だが、つきものがとれたように、ボクのはじめての恋のようなものも消えた。
昆布茶を飲み過ぎると、塩分が口に残る。だから、今度は玄米茶を啜る。
人生の中での一瞬のすれ違いだったけれど、あの時が1番とは言えないけど、ちょっとだけしあわせだった。
あの頃の悪友たちのみんな、今、何をしているのだろう。元気にしているだろうか。
そして彼女は、幸せでいるのだろうか。
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季節の節目
http://sadanono.exblog.jp/33338621/
2023-08-18T18:16:00+09:00
2023-08-19T00:00:26+09:00
2023-08-18T18:16:09+09:00
nonoyamasadao
雑文
夏が得意かといえば、猛暑も嫌だし、残暑がきびしいと、はやく秋にならぬものかと思う。
そのうちに、秋刀魚がスーパーに並ぶ頃になると、いつだって何もせずに過ごしただけなのに、夏を惜しむ気持ちが微かな痛みを伴って襲ってくる。
まことに身勝手なのだが、性格だから治らない。
季節の移り変わりは、年令にかかわりなく、せつない。
もう数年すると、かなり死に近づくリアリティも増すだろうが、今のところ、その怖さは感じない。
今はまだ、季節の花木に目が行く。
あと数年たつと、周囲を囲んでいる遠くの山や空や雲などの自然のあれこれを数え上げているような気もする。
季節の境目も、今のように漠然とではなく、昨日だった、今日だったと、ああでもないこうでもないと、線を引きたくなるのではないか。
たとえば、ああ、今日は秋になった。と思ったら、また夏に逆戻りした。でも、風は秋の匂いだと言う感じの日々だ。
人生は生まれた時から、ずっと地続きだけれど、さすがにこの年令なると、セミが鳴いた、トンボが舞ったというような鮮やかな変化以外も気になってくる。
日々の暮らしに微妙なニュアンスの差を際立てたり、なにがしかのアクセントを求めているような気がする。
それを設けて、どうなるわけでもないけど、目新しい気分にはなれないまでも、日々の暮らしをいとおしく思う感情がうまれるような気がした。
けれど残念だが、それはボクにはなかった。
生来の気質は変わらない。
けれど、烈々たる日々は苦労が多かったし、疲れるものだった。
でも、今の淡彩の日々は気楽だが、色っぽいトキメキは忘却の彼方だし、もくろんでいた理想の老後とも程遠い。
予定では、良質な歴史小説や海外ミステリを読み、日本酒が飲めれば十分だと思っていた。
そうではなかった。退屈過ぎる。
まだまだ熱中するものを探さないといけないな。
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淡く、緩やかに
http://sadanono.exblog.jp/33262917/
2023-07-20T14:36:00+09:00
2023-07-20T14:40:22+09:00
2023-07-20T14:36:45+09:00
nonoyamasadao
雑文
たとえば、富士山に登るとか、バンジージャンプをするとか、フルマラソンを走るなどだそうだ。
なんだか、映画『最高の人生の見つけ方』みたいで、いかにも身体に悪そうだが、経験もせずに、とやかく言うのは老害だ。
だったら、ボクの1番の望みは、金沢か奥湯河原の高級老舗旅館に、1週間宿泊することだ。
他にも、銀座の寿司屋でお金を気にせず思いっ切り飲み食いすることだの、北鎌倉あたりのソバ屋で昼間っからダラダラと酒を飲むことだの、真冬の大雪の時に湯治場でキリタンポ鍋で酒を飲むことなどが思い浮かぶ。
どれも、ちょっと無理をすれば、今すぐ、出来そうではある。
旅先で酒を飲むことばかりだが、「いつかそのうちに」と思っていたことばっかりだ。
嫌いなことは後回しにしてきた自覚はあったけれど、バタバタしたどうということもない日々の中で、先延ばしにしていた。
先延ばしにして、すっかり忘れてしまったことが、いくつもありそうだ。
そして、死ぬ間際になって、突然思い出して、あれもしてなかった、これもしてなかったと、悔やむに違いない。
まずいな、これは。
思えば、生まれながらのスロースターターというか、奥手で、ふつうの人より、10年遅れで気づくことが多い。
10代の頃、みなが経験する青春は、20代の後半だった。
男にも結婚適齢期があるとしたら、30代前後が多いだろうが、40代前後だった。
還暦の5年前くらいから、定年後を意識する人が多いようだが、ボクの場合、古希の5年くらい前だった。
毎日の生活をしていくのは、10代も今も、たぶんそれほど変わっていないのだろう。
自分自身の中身や感情は、10代から時間が止まり、変わらない。
進歩していないのだから、深まったかと言えば、むしろ、年々、記憶だけは薄らいでいくようだ。
はてさて、この年で、目標をもって生きるのは、疲れそうだからしない。
せめて、テレビのリモコンのように一時停止して、過ぎて行った日々折々の空気を懐かしみながら、今日をそこそこ楽しみたいものだ。
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秋刀魚の味
http://sadanono.exblog.jp/33149022/
2023-06-07T13:33:00+09:00
2023-06-07T13:38:41+09:00
2023-06-07T13:33:05+09:00
nonoyamasadao
雑文
荻窪の社宅に住んでいた頃で、当時は亡父の趣味から、東映時代劇か、東宝映画だけに絞られた。
だから、チャンバラか、黒沢映画か怪獣ものばかりだった。
『秋刀魚の味』は、なぜかリアルタイムで観ていた。
秋刀魚が大好物だったのと、『バス通り裏』の岩下志麻さんのファンだったので、母にくっついて観に行ったのだと思う。
ゴルフの練習場のシーンを見て、そういえば父に連れられ、高井戸の練習場によく行ったことを、初めて思い出した。
また、セットだけれど、トリスバーの場面も数回あって、見知らぬ世代としては、当時の酒場の雰囲気も案外、捨てものじゃないなと思う。
酒場で、戦争に負けてよかったなどというセリフがあり、すこしドキリとする。
しばらくして、そうだ、その通りだと心の中で、相槌を打つ。
今、あらためて見直すと、古色蒼然とはしておらず、むしろモダニズムすら感じた。
けれど、照明やふすまの模様などはやっぱり昭和で、懐かしかった。
思えば、青春が終ってから、妻や子供のいる人生のメインテーマを知らぬままに、いつの間にか老人を経て、いまや後期へ突入した。
昔、「二十歳の老人」と言う言葉があった。
ボクは、「老人の二十歳」のまま、ずっと過ごしてきた。
傍から見れば、不憫な人生かもしれないが、極楽とんぼの当事者としては、それも悪くはないと思っていた。
けれども、人生はそう甘くはない。
マルクスが『経済学批判』で書いていたように、意識は存在が規定する。
古希を過ぎて3年目に入ると、存在の方が些か頼りなくなる。すると、ぐっと老け込んだような気がする。
つまり、存在の方に揺らぎが生じると、やはり、意識の方にもあわただしい風が吹き、不安定になる。
どこかが悪いのではない。やっと、気持ちの方が、年令を追いかけ始めたのかもしれない。
だから、『秋刀魚の味』を観て、老人たちが案外、若々しいなどと思ってしまう。
けれど、当たり前の話で、父親役の笠智衆さんも、中村伸郎さんも、北竜二さんも、みな50代後半だ。
とっくに、このお三方の年齢を追い越してしまった。
映画を観ていて、この頃になると、女性も、父親や旦那さんに対して、かなりガミガミいう時代になったなあと思う。
けれど結局は、寛大にも男たちを許してしまう。男にとっては、身勝手だが、羨ましい時代だった。
映画を観ながら、今年初めてのデラウェアを食す。そんな季節になったのか。
フム、嫌みのない甘さだ。
少し経ってから、微かな渋さが残る。
そっか、梅雨が過ぎれば、猛暑が来る。
あと、いったい何度、猛暑をすごすことになるだろう。
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社寺散策
http://sadanono.exblog.jp/33067423/
2023-05-11T15:29:00+09:00
2023-05-22T10:11:18+09:00
2023-05-11T15:29:59+09:00
nonoyamasadao
雑文
週2回のアルバイトがあるだけ、ありがたいことだと考えている。
昔々、ヒマができたら、古都巡礼などいいもんだと思っていた。
いろいろと行きたいところはあるが、お1人様となると、躊躇いもある。
若い頃、大好きで、よく読んだ立原正秋さんには、社寺を背景にした恋愛小説が多かった。
奈良を舞台にした『春の鐘』は、『残りの雪』などの珠玉の名品と較べると、通俗に流れた部分が気になり、とても佳作とは言い難い。映画も同じくだが、これまた大好きな蔵原惟繕監督の映像美学が、ひと時だけだが堪能できた。
だが、小説の秋篠寺の伎藝天の描写は、素晴らしい。若かったボクには理想の年上女性のように思え、秋篠の里に恋するように想いを馳せたものだ。
けれど、いまだ1度も行っていない。
やはり、京都、奈良は遠く、とても広い。
その意味では、鎌倉は狭い街だ。そのわりに、興味深い社寺が多い。
一度は行こうと思い乍ら、東慶寺は近かったのに、想いは果たせぬままだ。
いまの地からは遠くなってしまった。
東慶寺は北鎌倉からすぐで、その昔、駆け込み寺、縁切寺と呼ばれた。つれあいがいないので、行っても差し障りはない。
テレビ映像で見た記憶によると、まっすぐな石畳が長く伸びて、花菖蒲やアジサイが繚乱と咲いていた。
山門へのきざはしのところには、リンドウのような境栽が植えられていたが、季節ではなかったので、何の花か定かでない。
瑞泉寺には、あまりよい記憶はないが、バスで行った。寺自体は、大好きだ。
山門まで、疎水が流れ、梅の老樹が満開だった。
どうして、一人の古都巡礼が躊躇われるのかと言えば、たとえば、東大寺の大仏殿のような荘厳な大伽藍が苦手だ。
と言うより、物凄い圧倒感に押しつぶされそうで、怖い。
一人で行くなら、壮大な伽藍とは縁のない、ひっそりとした寺がよい。
アジサイの頃、アスファルトのすぐ下に、土の湿りが感じられるような道を歩きたい。
緑の苔むした石畳やシダや竹林があると、尚よい。
日暮れて道遠しの人生だが、せめて5月の陽光を浴びて、社寺散策を楽しもう。
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図書館
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2023-04-19T15:47:00+09:00
2023-04-19T20:11:49+09:00
2023-04-19T15:47:42+09:00
nonoyamasadao
雑文
ボクの大学時代を知る友人なら、図書館で本を読むことなど、1度もなかったくせにというだろう。
そうなのだ。当時、大学の図書館に行った記憶がない。第一、ほおづえをついて、俯き加減に読書にいそしむタイプとは、程遠い。
ただ、付属高校だったので、大学の図書館を利用する特権があった。
高校の時、大学の図書館に行き、高校とは違うややっこしい手続きをして、机の本に目を落とす。
すぐに飽きてしまい、勉強している周囲の人たちを見渡すと、すぐ隣に化粧っ気のないメガネの女性が必死の面持ちで、雑誌を読み耽っていた。
吉永小百合さんだった。
小学生のころは、1冊も本を読まなかった。他に楽しいことがいっぱいあった。本屋さんが配達してくれる『少年サンデー』と『少年マガジン』だけ、楽しみにしていた。
中学のころは、何度も書いたことだが、源氏鶏太、石坂洋次郎、丹羽文雄などを読んだ。
たぶん、新聞小説の影響だと思う。
みな文庫本で、面白いと、学校の授業中も読んだ。
高校受験が近い頃は、石原慎太郎の短編集の『灰色の教室』や『亀裂』、大江健三郎の短編集の『セブンティーン』や『われらの時代』など、読んだ。
通学の電車や、受験勉強の合間に読むはずが、読書の合間に受験勉強をした気がする。
高校の頃は、放課後の図書室で、江戸川乱歩の『孤島の鬼』や石川達三の『蒼氓』などを読んだ。
冒頭の大学のエッセンスは、ゼミと図書館というのは、図書館の少し大きめの「学習室」で、ずっとゼミをしていたからだ。
教学の事務局がセミ教室を割り当ててくださるのだが、長机の長方形の口の字形式の並びで、小さな声で話す女子の声が聞き取れなかったからだ。
ひょっとしたら、老人性難聴なのかもしれない。
どこの図書館に行っても、ひんやりしていて、少し本のカビ臭い匂いがする。
ボクの時代では、ノートとインクの匂いは、嗅いだことがない。
秋の午後、授業ではなく、図書館へ行った。
他の大学から寄贈された紀要を、誰もいない閲覧室で読んだ。
ちょっとだけ鬱屈した気分だったが、ひんやりと流れる空気感が、鬱屈を薄めてくれるようだ。
そういえば、高校の時、サマセット・モームだったか、オスカー・ワイルドだったかを読んでいるときだった。
窓を通して、柔らかい秋の陽が光のチリを散らし射し込んできて、本のページをオレンジ色に染めたのを、今、思い出した。
棚が幾重にも並んだ図書館のひっそりとした独特な空気は、どこから来るのだろう。
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素敵な新学期
http://sadanono.exblog.jp/32978659/
2023-03-31T14:58:00+09:00
2023-03-31T23:33:40+09:00
2023-03-31T14:58:22+09:00
nonoyamasadao
雑文
「何が好きなの」と聞くと、すこし考えて、『人間椅子』だと、屈託なく言う。
ん、何だって....
「江戸川乱歩の『人間椅子』か」と尋ねると、そうだという。しかも、高校生の妹にも読ませたと笑う。
そ、そーなんだ。オジサン、いや、オジイサンは、甚だ動揺したのであった。
『人間椅子』は、ブサイクな職人が椅子の中に住み、座る女性の感触を悦ぶという、紛う方ない変態文学だ。
ラスト1行がヘンに洒落ていて、すこし気分が軽くなったのを憶えている。
女子はどういう感覚で、この作品が好きなのだろう。さすがに追及する勇気がない。
川上弘美さんのエッセイに、鷲にさらわれ、高い塔に幽閉されたお姫様が生肉を食し、だんだんとその生肉の血の匂いにうっとりする絵本の話があった。
読んでいて、川上さんは、あの隠微な匂いは、きっと子供の性欲みたいなものをかきたてたんだと思うと書いていた。
ボクはその絵本を読んでいないが、たぶん、男なら、淫靡な感じにはならないなと思った。
ボクは知能は遅れたまんまだが、かぐや姫の話はエッチな気分になった。
なぜだがわからないが、そんな色彩や匂いを感じた気がする。
毎年、桜の季節になると、すこしユーウツになり、遠いこだまを聞くように、華やいだ色っぽい気分を思い出す。
もうすぐ、きょうからはじまる楽しい新学期だ。
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春の足音
http://sadanono.exblog.jp/32966302/
2023-03-14T12:54:00+09:00
2023-03-22T21:43:40+09:00
2023-03-14T12:54:18+09:00
nonoyamasadao
雑文
季節の移り変わりなど、若い時も中年になってからも、およそ関心事ではなかった。
なんとなく衣替えになって、いつの間にかコートを着てたという感じだ。
だから、季節の勾配や裂け目など、無自覚だった。
ただ、春というのは、昔から、なんとなく実感できた。
ボクの友人は、近くの家の蝋梅が花開き、いい香りがすると、春が立つと、何十年も前から感じてきたという。
春になると、子供の頃だと進級があったし、会社では人事異動があった。
花見に行くほど風流ではなかったし、浮かれもしないが、ヒタヒタヒタという春の足音は感じた。
今の地では、近くの中学の蘇芳色のヒカンサクラが咲き、すこし遅れてコブシの街路樹の白い花が咲くと、春の足音は消えた。
子供の頃は、中庭の梅の老樹が咲くと春を感じた。梅の老樹が朽ちて庭からなくなると、実感がなくなった。
年のせいもあって、冬から春への移り変わりに、少しだけ敏感になったような気がする。
ひょっとして、心のどこかで、今年も生き延びたという実感があるのかもしれないけど、深くは考えたくない。
スーパーの帰り道、1人でボーッと歩いていると、小学生の女の子が、「こんにちは」とニコニコ笑って挨拶をする。
とってもかわいいのに、しつけもよろしいので、尚更、かわいい。「こんにちは」と返事をした。
しかし、知らない人とは話してはいけないとは、今は言われないのかと、すこし不思議でもある。
このへんの事情は子も孫もいないので疎いのだが、昔には、知らない人とは話してはダメという時代があり、今の時代は、もっと物騒にも思う。
先日、母の一回忌の法要で、守谷の墓参りをした。
そういえば、20年近く、多磨霊園の裏門のすぐ近くに住んでいた。
大きな墓地には、広い砂利道があり、桜並木がかなり長く続いた。
徹夜の受験勉強をした中学生のころに、早朝、眠気覚ましに歩いた。
テレ朝の久米宏さんの『ニュースステーション』のアークヒルズの夜桜中継を見てた時に思い出したのだが、30才になるかならないころに、今年は桜を見ていないと思って、多磨霊園に出掛けたことがあった。
暗闇でも、灯りに照らされた墓地の夜桜は真っ白で、ときおり、チラチラと小雨のように降ってきた。
どうして怖くなかったのか不思議な気もするけど、そのころは、たぶん、いつかは墓地に入ることなど、思いもよらなかったからだろう。
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八波むと志さんの想い出
http://sadanono.exblog.jp/32942254/
2023-02-09T13:21:00+09:00
2023-02-12T22:27:39+09:00
2023-02-09T13:21:52+09:00
nonoyamasadao
雑文
荻窪の社宅だった家から、中学校が見えるくらい近いところに住んでいた。
『チロリン村とくるみの木』は、野菜や果物、小動物を擬人化した人形劇だが、楽しんで見ていた。
18時に終わると、お風呂に入って余韻を楽しみ、お風呂から出ると、すぐに夕ご飯だったような気がする。
『チロリン村とくるみの木』のご贔屓は、八波むと志さんの「スカンクのガスパ」、一龍齋貞鳳さんの「イタチのプー助」とはせさん治さんの「はらぺこ熊」だった。
そんなある日、八波むと志さんが交通事故死した。
彼の大ファンだった中学生のボクには、ケネディー大統領の暗殺と同じくらいの大ショックだった。
そのころの八波むと志さんは、東京宝塚劇場の『マイ・フェア・レディ』に出演していた。
江利チエミさんがイライザ、ヒギンズ教授は高島忠夫さんだった。
小林信彦さんだったと思うが、ハードボイルドがカリフォルニアの太陽と切り離せないように、ミュージカルもアメリカの風土に馴染んだもので、日本のミュージカルなどありえない。
日本のミュージカルはグロテスクだと言い切った。そりゃそうかもしれないが、そこまでいわなくてもよいのになあと、少し思った。
そんななかで、イライザの父役の八波さんの「運がよけりゃ」は好評で、亡くなった後で、その録画が何度も流れた。
わざと音程を外したような、野太いしゃべり声で歌い、群舞の中、軽やかに踊った。なんとも味わい深い。
八波むと志さんの白眉は、脱線トリオというより、三木のり平さんとのコンビだ。
東京宝塚劇場の『雲の上団五郎一座』の劇中劇の源治店(玄治店?)で、切られ与三郎の三木のり平さんがごろつき仲間の蝙蝠安の八波さんに連れられ、金をせびりに、妾の家を訪ねる。
妾は、与三郎が別れたお富さんだったくだりである。
先ずは、本番前の予行演習をする。
切られ与三郎が、おそるおそる歩き出す。
強面の蝙蝠安が、歩き方から怖そうに見せなきゃだめだと突っ込みを入れる。
なんとも頼りなさげな与三郎が、「こうですか」と右手、右足で歩く。
手足は互い違いじゃないとダメと、八波さんが再度、突っ込む。
さて、場面転換して、「源治店」。お富さんは、由利徹さんである。
与三郎が、「ご新造さんへ、おかみさんへ、イヤサお富!久しぶりだなあ...」と啖呵を切るが、ぜんぜん啖呵になっていない。
凄んであぐらをかいても、体が傾いて、調子が狂う。
最後は、「ご新造(心臓)さんへ、ご肝臓さんへ....」とかになったような記憶がある。
ここらあたりが、のり平さんと八波さんの阿吽の呼吸で、まさに抱腹絶倒で、あんなに声に出して笑った記憶は、後にも先にもない。
他にも、社長シリーズで、森繫さんがむらむらして美人のマッサージ師を所望したら、元プロレスラーだったというふれこみの盲目の八波さんのあんまが登場する。
レスリングの荒業で身を揉み、くんずほぐれずの結果、森繁さんが痛みで悶絶しそうになるシークエンスも大爆笑だった。
『マイ・フェア・レディ』つながりで、江利チエミさんについても、思い出がある。
それにしても、三人娘は新旧ともに、プライベートは全員、おひとり様になった。
江利さんといえば、進駐軍まわりだから、「テネシーワルツ」が圧巻だった。やや意外だが「さのさ」もお色気があって、とても心地よい。
映画やテレビでは、サザエさんや「咲子さんちょっと」のようなコメディエンヌの役柄も楽しめた。
晩年近くの「酒場にて」は、鈴木邦彦さんらしいダイナミックな展開で、さみしい歌だけれど、よい曲だなって思った。
江利チエミさんは中村八大さんに無理やり、第1回ブラジル音楽祭に引っ張り出されたことがあるという。江利さんは飛行機が大嫌いだそうだ。
「私のだけのあなた」という曲だ。
江利さんの音域を超えた低いパートもあって、八大さんの作家性を感じる。
今思うと、後の合歓ポピュラーフェスティバル'70のグランプリ曲、雪村いづみさん「涙」の原型ともいえる曲調だ。
音楽祭は審査委員長がヘンリー・マンシーニで、江利さんは最優秀歌唱賞、八大さんは最優秀編曲賞を受賞したという。
「酒場にて」もしんみりした歌詞だが、映画の「銀座の恋の物語」のラストシーンの雑踏のパトカーから、石原裕次郎とヒロインの浅丘ルリ子さんを見るさみしそうな憂い顔が忘れられない。
その後の、彼女の人生を暗示しているような気がしてならない。
https://www.youtube.com/shorts/2B_MdvBv4zA
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ビンビンの、ボーボー
http://sadanono.exblog.jp/32920613/
2023-01-10T18:17:00+09:00
2023-01-10T20:33:20+09:00
2023-01-10T18:17:08+09:00
nonoyamasadao
雑文
もともとは、現在、体調不良でお休みしている中居正広さんが、体調を尋ねられたときに答えた言葉だ。
ネット検索しても、よくわからない。
こういう時は、流行に敏感な若い女子に聞くのが1番である。
しかし、「ビンビンの、ボーボー」というのは、受け取りようによっては、ヒワイな響きがある。
若い女子に聞くのは、果たしてどうしたものか、とためらう。
それだけでなく、ためらうには、もう1つのトラウマがあるからだ。
かつて、「オン眉」(このように書くとは、当時知らなかった)という言葉が、はやったときのことだ。
「オン眉」の意味を若い女子に聞くと、「オンザ眉毛」の略で、前髪を眉毛の上に切りそろえることだと懇切丁寧に説明してくれた。ありがたい。
ただ、オマケがついて、ボクの場合、乱暴狼藉で、「茶髪似合わねえ」とか言ったことがあるらしく、どんなに似合ってなくても、オン眉女子には、必ず「似合ってるよ、かわいいよ」と言えと釘を刺される。
しかし、自分の孫娘ならいざ知らず、よそ様の女子に、「似合ってるよ、かわいいよ」は、セクハラになるか、立場上、まずいよと逃げ道をこしらえた。
間髪入れずに、若い女子曰く、ボクは万事に不愛想なのだから、少しぐらいほめ過ぎたって、セクハラどころか、それでちょうどよいくらいだとたしなめられた。
更に、追い打ちをかけるように、「じゃあ、女の子のどんな髪型がよいと思うか」と尋ねられる。
黒髪でストレートのロングかなあと、愚かにも正直に答えると、せせら笑うように、それは、デビュー当時の有村架純さんのような感じか聞かれる。
そうそう、これも正直に答えた。
バッカじゃないのとばかりに、あー言うのは、1番あざといのだと言う。
1本取られたというか、なにも、そこまでいわなくてもいいではないかと、傷ついたのだった。
だから、いまも、「ビンビンの、ボーボー」の謎が渦巻いてモヤモヤしている。
はて、どうしたものか。
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