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いつでもどこでも映画と読書、あとなんだろう
by ののちゃん
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 いままででの人生で、一番通った店は居酒屋だと思う。たぶん、これは間違えないと思う。それが今や、1ヶ月に10日の飲酒。辛いよ~。休肝日の過ごし方ってむつかしい。 それで学生時分に戻って、いつでもどこでも映画と読書に明け暮れようと思う。大好きな川上弘美さんは、読書三昧の毎日を、なんだか彩りに欠ける人生ではありますと謙遜して書いていた。 う~む、ボクの方は、こりゃ実感だなぁ。
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永井陽之助氏を偲ぶ

  先日、二月の神谷不二氏に引き続き、永井陽之助氏の訃報を新聞で知る。実際には、旧臘に亡くなられたとのことである。
′60年代後半から′70年代にかけて、研究者でありながら、論壇でも社会的発言をした保守系の論客であった。
キッシンジャー博士が初訪日のとき、四人の国際政治学者と意見交換をしたという。
四人は、衛藤瀋吉、高坂正尭、永井陽之助、神谷不二の四名だったと記憶している。
エスタブリッシュメント側に立つ御用学者という人もいた。
研究内容も、研究のスタイルも個々に複合的なプリズムがあり、十把一絡げに論じるのは些か問題がある。
とまれ、保守系の現実主義に立つ研究者たちであったのは、確かである。

 ここで拘っておきたいのは、彼らは時宜を得て、現状分析のできる研究者であったことと同時に、時事分析だけに専心、埋没した研究者ではなかったということである。

 永井陽之助氏で最初に思い出す論文は、『日本外交における拘束と選択』(『中央公論』1966年3月号、『平和の代償』所収)である。
約言すれば、現代政治は計量化できるものではなく、人々の意欲もまた、計測不能なものである。
ややもすると、その困難さを過大評価するか、過小評価するかに陥り勝ちになる。
 たとえば国の外交政策の難しさを過大評価しすぎるなら、既成事実(fait accompli)の重視へと傾く。
つまり政治の流れが好ましくない方向に進んでいても、流れを変えることは難しい。かくて永井氏の表現では『無為の蓄積』になる。
その典型が、米国のベトナム戦争介入後の『介入の蓄積』である。
本来、米国にとって、このような介入は好ましくないのだが、介入の放棄はとてつもなく厄介な難問になった。
スペイン戦争に始まり、朝鮮戦争、ベトナム戦争を『国際的内戦』と、氏が定義されたのを今、懐かしく思い出す。
 他方で、氏は困難さを過小評価しすぎた非武装中立論も、現実的分析を無視した観念的な『構想論』として斥けた。

 高坂正尭氏や神谷不二氏は、外見は柔和で優しい感じであるが、衛藤瀋吉氏にはある種の、凄みがあった。
永井氏は重厚にして、温厚というふうであった。
衛藤氏が歴史の背景を念頭に置き、具体的に論述するスタイルだとすれば、高坂氏と永井氏は理論的で、グローバルに叙述されたように思う。
永井氏も高坂氏も核抑止に立ち、価値自由に力点を置く現実主義者であった。
だが、彼らは坂本義和氏や福田歓一氏らの非武装中立論を叩きながら、中立論者の描いた国家ヴィジョンの理想や価値を正当に評価していたことも忘れてはならない。

 永井氏は非武装には反対であったが、重武装にも反対であった。
そして、民衆の『全能の幻想』を煽るデマゴーグを懸念し、正当な手続き(due process)を重視したことは付記してよいだろう。
顧みれば、神谷氏を除く三名が吉野作造賞を受賞したのも、至極、妥当な受賞だったのかもしれない。合掌。
by nonoyamasadao | 2009-03-20 15:44 | 雑文 | Comments(2)
Commented by ta-ke-58-ta-xi at 2009-03-21 08:57
懐かしいお名前を拝見しました・・!!。
今は・・いわゆる 論客と呼ばれたり・・その位置に座る方が あまりいらっしゃらないですよね。一億総評論家みたいになってますから・・古いなぁ・・・!?。
・・・・こんな文をさらりと書かれるnonoyama 様・・・さすがです!!。
ワタクシから・・・一票差し上げます。
別に・・投票してもらっても・・でしょうけど(苦笑)。
Commented by nonoyamasadao at 2009-03-21 11:48
To ta-ke-58-ta-xiさん
>懐かしいお名前を拝見しました・・!!。
-------
あっ、兄さんは同世代ですもんね。けれど、ストーンズや拓郎ですから、
保守というより、進歩的知識人とか改革の方がにあいますねえ。

>一億総評論家みたいになってますから・・古いなぁ・・・!?。
------
これどなたでしたっけ?テレビが一億総白痴化は大宅壮一だったような。やっぱ古いですねえ。

>ワタクシから・・・一票差し上げます。
------
いや~、嬉しゅうございます。ありがたく頂戴いたしますです。
まさか、レッドカードの一票じゃないですよね。なんだかアヤシイ予感!
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